藤永田丸から舵復旧の見込みが立ったとの連絡が入ったのは、ヲ級を見失ってから三十分後のことだった。
『この分なら、なんとか生き延びられそうです。護衛に感謝します』
「希望に水を差すようで心苦しいですが、深海棲艦はまだ諦めてはいないと我々は考えています。しかしご覧の通り、我が艦も損傷を受けています。隣の警備艦隊の管轄海域へ入るまでは油断をしないで下さい」
『了解しました。しかし礼だけは言わせて下さい。貴方たちが身を挺して守ってくれなければ、私たちは先の襲撃ですでに沈んでいた。本当に有難うございます』
「わかりました。その言葉は彼女にも伝えておきます」
『彼女? もしかしてその船は“艦娘”ですか?』
「ええ、そうですよ。私は座乗中の警備艦隊司令です。叢雲は彼女の名前ですよ」
私がそう言うと、相手は少しの間、押し黙った。交信終了を宣言することなく交話が切れたかと思った矢先、相手が言った。
『・・・私には娘がいます。幼い娘は艦娘になるのが夢だと言っていました』
「・・・」
突然始まった身の上話に私は少し戸惑ったが、相手が何かを伝えたがっているのが分かったので、黙って聞いた。
『私は海の怖さを知っています。だから娘には海に出て欲しくはなかった。ましてや艦娘なんて危険な職業などとんでもない、と。そう思っていました』
私はそれを聞きながら、横目で叢雲の様子を伺った。彼女は多目的スクリーンに映る修理状況を見つめていたが、交信内容は聞こえているはずだ。
相手が、『しかし』と言った。
『しかし、今は娘のその夢を誇りに思います。叢雲さんに伝えて下さい。私は生きて帰って、貴女の勇姿を娘に語ります、と』
わかりました、と答えながら横目で叢雲を見ると、彼女は相変わらずスクリーンを凝視したままだった。
だが、その頬は耳まで赤くなっていた。
私は無線を切って、彼女に言った。
「叢雲、ファンができそうだぞ?」
「やめてよ、国際無線であんなこと言われたら恥ずかしくてたまらないわ」
「私じゃない、相手が言い出したことだ」
「きっと空襲直後で気が昂ぶっていたのよ。・・・艦娘なんて憧れるものじゃないわ」
「だが、悪くないって顔をしてるぞ?」
「うるさいわね、あんまりからかうと魚雷食らわせるわよ」
なるほど、こういう煽りに弱いのか。と、私は彼女に関してまた一つ情報を入手する。
「魚雷といえば、SSSMは直せそうか?」
「不具合箇所の特定ができたし、交換用の予備品もあったからなんとかなりそうよ。ただ他の武器に関してだけど、二番砲については発射回路が焼き切れていて使用は無理そうね」
「てことはSSSMを除けば、残る武器は前部機銃一基と主砲一基のみか」
「ヲ級もどうせ5インチ砲一基だけよ。当たってもすぐに沈みはしないわ。・・・前方10000、雨域よ」
叢雲の言葉に前を見る。
水平線上に伸し掛かるように黒雲が広がり、ところどころで稲妻が音もなく走っていた。雲の下は激しい雨で、灰色に霞んでいる。
二隻はそのまま進み、スコールへと進入した。頭上を覆う厚い雲と大量の雨によって周囲は薄暗くなり、視界は急激に悪化する。
そんな中、藤永田丸から舵復旧の知らせが届いた。
「これで少しは気が楽になるな」
「こっちもいい知らせよ。SSSM修理完了、使用可能」
「よし、とりあえずこの雨域を出よう」
レーダーでもソーナーでも見つけられない敵を探すには、目視見張りしかない。しかしこのスコールではそれも難しかった。哨戒機も本艦に近づく敵が見えなければ支援し辛いだろう。
私は無線で藤永田丸を呼び出し、針路変更を通報する。藤永田丸は了解。
「叢雲、北に針路をとれ」
「了解。面舵、0度宜候」
『0度宜候』
叢雲の船体が右への回頭を始める。私は腕時計に目を落とす。
ヲ級の最後の確認地点から考えると、遭遇までおよそ三十分といったところだ。ようやく舵が効くようになったのだから、なんとかこのまま遠ざかりたいものである。
私は目を艦橋の窓に戻し、相対的に左へと流れていく海を眺めた。鉛色の雲が頭上に広がり、雨に混じり、時折、稲光が輝いて周囲を照らす。
回頭が終わろうとした時、いくつかの稲光が連続して瞬いた。
回頭方向を眺めていた私の視界に、一瞬、人影が映る。
それは海の上、はるか向こうだ。それなのに、この雨で煙る視界の中、長い髪をなびかせた女の姿が、稲光の中でハッキリと浮かび上がったのが見えた。
雷光は一瞬のみ。視界は再び灰色に戻る。だが、人影が見えたその方角から、チカチカと閃光がまたたいた。四回。
「叢雲--!」
「面舵いっぱい! 最大戦速、急げ!」
私が注意を促すまでもなく、彼女もすでに気づいていた。舵を大きくとり、速力を上げて人影と閃光が見えた方角へ艦首を向ける。
私は大きく傾く艦橋の中、国際無線の受話器を取るや否や叫んだ。
「藤永田丸! 今すぐ左回頭、全速力で南下せよ!」
叫ぶ私の耳に、低く重い炸裂音が四回届いた。この音を私は知っている。5インチ砲の発砲音だ。さらに艦橋の頭上を高速の物体が空気を切り裂いて飛び抜けていく。
私はウィングに飛び出して後方にかわった藤永田丸を見た。
藤永田丸のすぐ真横に、立て続けに四つの水柱が立ち昇る。
被弾はしていない。だが至近弾だ。私は前に向き直る。
私はそこに、今度はハッキリと、海上に立つ巨大な女の姿を視認した。
ヲ級だ。
距離は目算で7000ヤード。しかし相手の体長が100メートルもあることを知らなければ、まるですぐ近くにいるかのように錯覚してしまいそうだ。
そのヲ級は右手に杖のような細長い構造物を持ち、その先端をこちらに向けていた。杖の先端が閃光と煙を放つ。
叢雲が叫ぶ。
「艦首方向、主砲緊急発射始め!」
FCSの管制を受けないままに12.7センチ連装砲が火を噴いた。四発の弾丸が盲撃ちされる。叢雲が立て続けに指示を下す。
「FCS光学照準、目標艦首ヲ級!」
『FCS1オンターゲット』
「射弾群連射四発、撃ち方始め!」
牽制用四発に続き、照準をつけた四発を発射。同時に頭上を、ヲ級の放った5インチ弾が飛び去っていく。
再び振り返った私の目に、じれったいほどゆっくりと左回頭する藤永田丸の船影があった。そのすぐ手前と、そして向こう側に、まるで船体を挟むかのように数本の水柱が立つ。
夾叉弾だ。藤永田丸は、ヲ級の放った射弾群の散布界に捕らえられてしまった。まだ命中弾は無いが、それも次の射弾群が降り注げば被弾する確率は高い。
私は前方に目を戻す。
みるみる近づいていくヲ級の姿を隠すように、四本の水柱が立っていた。牽制の盲撃ちが着弾したのだ。おそらくヲ級のはるか手前だが、少なくとも相手の視界と射撃の機会を潰すことには成功したようだ。
水柱が下がったとき、ヲ級の杖の狙いが、明らかに接近する本艦に向けられていた。
ヲ級の杖と、叢雲の主砲が同時に火を噴く。
「面舵一杯!」
叢雲の操船に、船体がまるでドリフトをするかの様に艦尾を滑らせながら右回頭する。大きく傾く艦橋で私はウィングの縁にしがみつきながら、照準発射された四発の12.7センチ砲弾がヲ級を囲む様に着弾するのを見た。夾叉弾だ。
だがすぐに、右回頭した叢雲の艦尾の真後ろで砲弾が次々と着弾した。ヲ級もこちらを捕えたのだ。
私は艦橋内へ飛び込む。
「ヲ級が藤永田丸から狙いを変えたぞ! このまま引きつけろ!」
「もとよりそのつもりよ! 取舵一杯!」
叢雲は主砲を放ちながら船体を左に切り返す。左へ流れる艦首のすぐ目の前に水柱が上がった。ギリギリの回避だ。だが叢雲とて弾道が見えているわけでは無い。とにかくランダムパターンで艦を動かすことにより、相手の狙いを狂わせるのだ。
そして、それはヲ級も同じだった。見た目こそ海上に仁王立ちしているが、実際は氷上のスケーターの如く30ノット以上で右へ左へと切り返しながら航行していた。その後を追う様に、叢雲の放った12.7センチ弾が水柱を上げる。
互いに回避運動を取りつつ接近、当初7000ヤードあった彼我距離は、瞬く間に4000を切った。この距離になると砲弾はほぼ直進弾道を描き、発砲から着弾までのタイムラグもほぼ無くなる。
「主砲連射始め!」
叢雲は四発ずつの射弾群に区切るのを止め、間断なく撃ち続けながら、さらに距離を詰める。杖をこちらに向けていたヲ級に立て続けに命中弾が発生。上半身が爆煙に包まれる。
だがヲ級はわずかに上体を仰け反らしただけで、こちらに構えていた杖を逸らすことさえしなかった。ヲ級が発砲。
叢雲はヲ級を左舷側に見ながら最大戦速で取舵一杯、左急速回頭を実施。至近弾が着弾。水柱による動揺の他に、船体が別の衝撃に大きく震えた。
『後部短SAM発射筒被弾』
スクリーン上に、後部の煙突型短SAM発射装置が破壊されたとの情報が表示される。残弾があれば誘爆必至だったが、不幸中の幸いか残弾無しだ。
「この程度、むしろ軽くなったわよ!」
叢雲はさらに回頭を続けヲ級を左舷から右舷側に見る位置へ変える。ヲ級とは反航態勢から、同航態勢へと変わった。彼我距離3500。連射力で勝る叢雲の主砲はヲ級の上半身に次々と砲弾を命中させていた。
だが、しかし、
ヲ級は倒れない。それどころかごく表面を浅く傷つけるだけで、殆どダメージを与えられていなかった。
もとより12.7センチ砲弾では駆逐艦同士ですら致命傷を与えるのに不十分な威力なのだ。このクラスの砲の利点は連射力と取り回しの良さであり、それを発揮できるのは対空戦のときである。
頑強な肉体を持つ空母ヲ級を斃すには、その威力はあまりにも貧弱だった。効果といえば、間断なく弾幕を張ることにより、せいぜい相手の砲撃の精度を落とすことぐらいである。
しかし、こちらの弾薬とて無限にある訳では無い。後部の二基分の弾薬を残った前部一番砲に回しているとは言え、このままでは後数十秒もしないうちに撃ち尽くすことになる。
ヲ級を仕留める強力な武器が必要だ。そう、それは、
「SSSM発射用意! 短魚雷に切り替え!」
ヲ級を吹き飛ばすに充分な炸薬を持つSSSMを、叢雲は魚雷仕様への切り替えを指示。サポートAIが発射菅に残る二発のSSSMの飛翔用ロケットモーターと、先端部の短魚雷部を切り離す。
『SSSM、短魚雷用意よし』
「発射方向右舷、発射弾数一発、短魚雷発射始め!」
魚雷発射管が右旋回し、短魚雷を海中へと放った。同時に反対方向から切り離されたロケットモーター部が海中投棄される。
放たれた短魚雷はウォータージェット推進により水中80ノットまで加速、ヲ級の足元めがけ突き進んでゆく。
SSSMをミサイルとして直接放たなかったのは、至近距離のためロケットモーターでは速度が大き過ぎて狙いを修正できないこと、そして命中時の威力をより高めるためである。
深海棲艦も含め水上艦はすべからく船底が構造的に弱い。そして水中にある魚雷は船底の真下で爆発する様になっており、水圧の影響もあって上方へ破壊力が集中することにより、大型で堅牢な目標でも一撃で葬ることができた。
SSSM短魚雷にはヲ級を沈めるに足る炸薬量と、そして音響探知誘導装置が搭載されている。相手の航行音を聴きとり追尾する装置だ。ソーナーに探知されないくらいの静粛性を待つ深海棲艦だが、戦闘航行中の波切音まで消すことはできない。
魚雷がヲ級に迫る。回避はほぼ不可能な間合いだ。
勝った。
そう思った、次の瞬間、ヲ級が信じられない行動に出た。
ヲ級は杖を足元へ向けると5インチ弾を連射、同時に上体を大きく横へ傾けながら海面を蹴った。足元に撃ち込んだ5インチ弾が爆発、高い水柱を上げ、ヲ級はその反動で横へと跳躍。
その直後、短魚雷の水中爆発による一際巨大な水柱が天高くそそり立った。
ヲ級の100メートルの巨体が真横に飛び、海面を叩きながら受け身を取るように横転、大量の水飛沫を撒き散らしながら、それでも膝をつく姿勢に戻った。
「なんて機動力!?」
「しかも沈まんとは、物理法則どうなっているんだ!?」
ここまでくると驚愕を通り越して呆れすら感じてしまう。しかし機動力もそうだが、あの巨体で無茶としか思えない動きに耐える頑強な身体構造も脅威的である。12.7センチ砲が通じないのも当然だ。
それでも、やはり無茶は無茶だったようだ。立ち上がったヲ級の右腕が力なく垂れ下がったままだ。おそらく肩を損傷したに違いない。
ヲ級が杖を左手に持ち替え、再びこちらを狙ってくる。叢雲は急速回頭して一時的に距離をとる。それを追って砲撃の水柱が上がるが、明らかに精度が落ちていた。
「深海棲艦にも利き腕があるようだな。この距離を維持すればかわし切れる。しかし」
「こっちの砲撃が効かないんじゃ意味ないわね。主砲残弾二十発、連射二十秒で弾切れよ」
「残る手は・・・」
私は多目的スクリーンの武装表示を見つめた。短魚雷仕様のSSSMが後一発。
「叢雲、さっきの雷撃距離は?」
「3000よ」
「・・・さらに踏み込む。いいな?」
「了解!」
叢雲はほとんど間をおかずに即答し、そして、ちらりと私を見て苦笑した。
「やっぱり、フラグ立てちゃったかしらね?」
「縁起でもないこと言うな。しかもそのフラグ、私を相手に立てて良かったのか?」
「そうね。・・・あんたとなら、悪くないわ。--取舵一杯!」
叢雲は再度、針路をヲ級へと向ける。ほとんど真正面だ。ヲ級が杖を構える。
「主砲連射撃ち方始め!」
叢雲とヲ級は真っ向から主砲を撃ち合った。こちらの砲弾がヲ級の顔面に集中し、相手の視界を奪う。ヲ級の砲撃は精度を欠いたものの、それでも至近弾が叢雲を次々と襲った。
着弾の衝撃に激しく揺さぶられる船体を必死に制御し、叢雲はヲ級へ突き進む。彼我距離が3000を切る。
「ねえ!」と、叢雲が私に向かって叫んだ。「フラグの立てついでにもう一つ言わせて!」
「何だ!?」
「帰ったら、カレーが食べたい! あんたの作った秘伝のカレー!」
「任せろ!」
主砲が発砲を止めた。残弾なし。次の瞬間、主砲が直撃弾を受けて砲塔が半壊した。
艦橋が一瞬、煙に包まれて視界が奪われる。その煙が晴れたとき、艦橋のすぐ目の前に、山のように大きな影が映った。
ヲ級だ。こちらに向かって前傾姿勢をとり、杖を大きく振り上げ突撃してくる。
彼我距離は既に500を切っていた。
「面舵! 左舷、短魚雷発射始め!」
わずかに右へ進路を変え、左手で振りかぶったヲ級の死角へ入る。ヲ級はこちらを追って身体を捻り、そこに一瞬の隙が生まれた。
短魚雷が海中へと放たれ、ヲ級がほぼ真横を通り過ぎようとする私たちへ杖を振り下ろした。
轟音と激しい衝撃、そして視界の外を埋め尽くす凄まじい水飛沫に、叢雲の船体が襲われた。
もはやこれまでか、と覚悟するほどの長い揺れと激しい動揺だった。
やがて、ようやく揺れは落ち着きを取り戻し始めた。船体はまだ航走を続けている。どうやら無事のようだ。
しかし、ヲ級は?
「やったか!?」
「それもフラグよ!」
「そんなもん今更だ!」
私はウィングに出て、後ろを見た。
ヲ級は、まだ浮いていた。私はその姿に、思わず唾を飲み込んだ。
ヲ級の両脚は砕け散り、仰向けになって、唯一無事な左手のみが我々を探すかのように杖を振り回していた。
大きく動かした左腕につられ、ヲ級の身体が仰向けから俯せにひっくり返る。ヲ級はまるで溺れているかのように、大きくもがきながら、再び仰向けになって私たちに顔を向けた。
青く光る大きな目が、こちらを真っ直ぐに睨む。
だが、その目からも光が失われ、やがてヲ級はそのまま、大量の気泡で海面を泡立たせながら沈んでいった。
叢雲も、私と同じようにウィングに出て、それを眺めた。
「ヲ級撃沈を確認」
呟くように言った叢雲に、私は頷いた。
「水上戦闘用具収め、戦闘用意用具収め。・・・叢雲、よくやってくれた」
次回予告
ここはどこだ、俺は誰だ。
帰投した海尾は、再び“前世世界”と向き合うことになる。
そして深夜の執務室に鳴り響く電話のベル。
それは、前任者からの電話だった。
海尾は前任者から、“提督”の秘密を告げられる。
次回「第四話・暁の水平線」
「私は・・・軍人で、艦娘たちの指揮官、か・・・」