艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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 半年近くぶりの更新です。でも内容は全然進んでない……ほぼ生存報告みたいなもんです。

 無駄に文字数だけは増えて寄り道ばかりしている駄文の塊りですが、とりあえず書き続けることに意味がある。

 令和3年もお付き合いよろしくお願いいたします。


第二十六話・出撃前夜(2)

 時間は少しだけ巻き戻る。

 

 初霜たちが雪風と出会い、水斗 慧爾も含めて仔猫を救出した、その日の夜のことである。

 

 帰宅した慧爾を出迎えた母は、その手に抱かれた仔猫の姿を目にすると「あら、まあ」と顔をほころばせたが、すぐに事情を察して、慧爾の顔を見てニヤニヤと笑った。

 

「下心丸出しだね、あんた。どうせ困ってる女の子に良いところ見せようとして引き取ってきたんでしょ」

 

 図星を突かれてグウの音も出ない慧爾に代わって、手の中で仔猫がみゃーと鳴いた。

 

「可愛い猫ちゃんねぇ。お腹空いてるでしょう、ミルク用意してあげるから待っててね~。……慧爾、あんたは今すぐ猫の餌とトイレセット買ってきなさい」

 

「それ経費で落ちるやつ?」

 

「舐めたこと言ってんじゃないわよ。あんたが引き取ったんだから、あんたの自腹に決まってるでしょ。その代わり、明日は有給休暇にしてもらうようお父さんに頼んでおくから」

 

「マジで? いいの?」

 

「猫ちゃん動物病院に連れて行って予防接種受けてきなさい。もちろんその費用もあんたの自腹ね」

 

「げ」

 

 これはなかなか痛い出費だ。次の休みには本島にでも遊びに行こうと思っていたのに、この分では諦めるほか無さそうだ。

 

 慧爾はため息交じりに自宅の車を近所のスーパーに向かって走らせて、キャットフードと猫用トイレ砂、トイレ容器を購入した。

 

 それらをスーパーの駐車場で自家用車のトランクに積み込む途中、慧爾の懐で携帯端末がメッセージの着信を告げた。

 

 端末を確認してみると、そこには「初霜」の文字。

 

 慧爾の心臓の鼓動が急に早くなった。仔猫救助の後、連絡先を交換していたのだ。それがもう連絡が来るなんて!

 

 慧爾は緊張で細かく震える指で、メッセージアプリを開いた。そこには、仔猫の救出に手を貸してくれたお礼と、近いうちに仔猫の様子を見に行きたいので都合の良い日時を教えて欲しい、という旨の文面があった。

 

 猫の様子を見に来る? ということはそのまま、初霜が自宅に来るという事である。

 

≪もちろんです≫

 

 ほとんど反射的にメッセージを返信すると同時に、「よっしゃあ!」と、慧爾は思わず拳を突き上げガッツポーズを取った。突き上げた拳は開けっ放しのトランクの裏側に当たった。

 

「痛ってえ!?」

 

 ひりひりする拳をさする慧爾を、スーパーを出入りする客が不審そうな目で眺めながら行き交っていた。あ~恥ずかしい。

 

 慧爾はトランクを閉め、運転席に乗り込んでドアを閉め、周囲を見渡して近くに他に人が居ないことを確かめると、そこで改めて小さくガッツポーズを取った。

 

「わはは、我が世の春が来たぁ!」

 

 まあとっくに夏なんだけどな。と独りで自分にツッコミを入れながら、改めて携帯端末に目を戻した。

 

 さて、どう返信しようかな。ていうかもうしてしまったな。問題はいつ来てもらうか、だ。

 

 正直、今すぐに来てもらっても構わない。というか来て欲しい。だけどさすがにそれは無茶振りだろう。

 

 ならば明日はどうか? ちょうど自分は休みをもらえたが、しかしそれは猫を動物病院へ連れていくためだ。さらに言えば、明日はまだ平日の木曜日であり、初霜も仕事があるだろう。

 

 一番都合が良さそうなのは、明後日の金曜日以降かな?

 

(っていうか、冷静に考えたら、ほぼ反射的にオーケー返しちゃたけど、早すぎて初霜さんから引かれてたりしない? この男、どんだけがっついんてんだよ、下心丸出しだろ、とか思われてたりしない? いや、でも初霜さん、そんなこと言いそうな感じじゃないし、でもでも、それ俺の勝手な印象だよな。もしそんなこと思うような子だったら、俺かなりショックだぞ!?)

 

 なにやら思考が変な方向に走り出してまとまりがなくなりかけた時、初霜から新たなメッセージが届いた。

 

 慧爾は思わず身震いし、またもや細かく震える指でメッセージを開いた。

 

≪もしご都合がよろしければ、明後日、金曜日の夕方に少しだけお伺いしてもよろしいでしょうか?≫

 

≪もちろんです!≫

 

「しまったぁ!?」

 

 またしても秒で返信してしまった。がっつき過ぎにも程がある。俺はパブロフの犬か。慧爾は運転席で頭を抱えつつ、そこでハッとあることに気が付いて再びメッセージを確認した。

 

 初霜は≪少しだけ≫と書いてあった。少しだなんて冗談じゃない。できれば一晩中だっていて欲しい。そんな欲望丸出しの思考に支配されそうになったので、慧爾は頭を振ってその欲望を追い払った。

 

 落ち着け俺、焦ってはせっかくのチャンスを不意にする。深呼吸だ、スーハ―、ピロリン、とメールの着信音。

 

≪ありがとうございます。それでは18時過ぎ頃に少しだけお時間を頂いてもよろしいでしょうか?≫

 

「うーむ」

 

 これはつまり、夕食の時間にかからないよう、その前に猫の様子だけ見たらすぐに退散するという事だろうか。だったらいっそ、そのまま夕食に誘ってしまうのも一つの手か?

 

 うん、そうしたい。いや、そうすべきだ。

 

 慧爾はそう決意し、メールで≪せっかくですから夕食もご一緒しませんか?≫と書き込み、送信ボタンを押そうとしたところで、はたと指が止まった。

 

(いや、やっぱり流石に性急すぎるかな?だって初霜さんとは今日やっとまともに話せた程度なのに、あんまり焦ったら引かれるかも知れないし、もう少し慎重に行くべきかな? そうだよな、猫をダシにして誘えばまた来てくれるかもしれないしな。もうちょっと様子を見て――)

 

 と、うだうだと考えているところに、手元の携帯端末の画面が急に切り替わり、音声通話の着信を告げる呼び出し音がけたたましく鳴り響いた。

 

「うわっ!?」

 

 慧爾は端末を取り落としかけたが、画面に表示された名前を見た瞬間、反射的に通話ボタンを押して耳に当てていた。

 

「はいもしもし! 慧爾です!」

 

『ひゃ!? け、けいじ…? あの、水斗 慧爾さんでお間違えないでしょうか?』

 

 落ち着きのある、でもどこか耳元をくすぐるような高めのその声は、初霜だった。慧爾は思わず上ずった声で答えていた。

 

「はいそうです水斗慧爾です!」

 

『よかった。私、初霜です』

 

「はい存じてます!」

 

『そ、そうですか……』

 

 声だけだが、一瞬、初霜が引いたような気配を感じて、慧爾は咳払いで誤魔化し、気持ちを落ち着けようとした。

 

「し、失礼しました。ちょっと慌ててしまったようです」

 

『あの、ご迷惑でしたか?』

 

「いえいえ全然まったくそんなことはありません!」むしろウェルカム最高ハッピー嬉しいヤッターげふんげふん。「……ゆっくり電話できますから、大丈夫ですよ」

 

 興奮しすぎて変なことを口走らないように気を付けながら、慧爾は携帯端末から聴こえてくる初霜の声に耳を澄ませた。

 

『ありがとうございます。明後日お邪魔させていただく件ですけど、こういう用件をメッセージだけで済ませてしまうのも失礼かと思いまして』

 

「お気遣いいただいてわざわざすいません。18時ですよね、大丈夫ですよ。問題ありません」

 

 大丈夫じゃなくても無理やり大丈夫にしてみせる。慧爾は内心で覚悟を決めた。誰も俺の邪魔をさせるものか。

 

『そうですか、よかったぁ。ありがとうございます』

 

 初霜の弾んだ声を聞けて、慧爾の心も弾んだ。

 

『では10分程度ですが、お邪魔させていただきますね」

 

「え? それだけ? いやいや、もっとゆっくりしていただいても全然かまいませんよ!」

 

『いいえ、ご夕食の時間も近いでしょうし。……それにただでさえ週末の大事なお時間を割いていただくのですから』

 

 週末の大事な時間だって? 慧爾は思わず吹き出してしまった。

 

『どうかしましたか?』

 

「いえ、失礼しました。週末の予定なんてどうせ独りで過ごすだけですよ。あなたに会えるほうが大事ですから」

 

『へ?』

 

「…ん?」

 

 俺は今、何を口走った? 調子に乗って本音までこぼしてしまい、慧爾は慌てて言葉を繋げた。

 

「ああ、えっと!? い、今のは初霜さんが猫と過ごす時間の方が大事って意味です!」

 

『そ、そうですか。…そこまで気遣ってくださり、ありがとうございます』

 

「き、気遣いとかじゃなくて…えっとですね、ね、猫も初霜さんに会いたがっているんですよ」

 

『まあ、そうなんですか?』

 

「そうなんですよ。連れ帰ってからもアイツ、初霜さんに会いたい、会いたいってニャアニャアうるさくて」

 

 慧爾の言葉に、携帯端末の向こうで、初霜がふふっと軽やかに笑った。

 

『まるで仔猫の言葉がわかるみたい』

 

「わかりますよ。俺、猫大好きですから」

 

 嘘じゃない、と慧爾は自分に言い訳した。今この瞬間から猫好きになったから嘘はついてない。…筈だ。

 

『ふふ……水斗さん、優しいんですね。あなたのような人が預かってくれて、私、安心しました』

 

「うっ……」

 

 ちょっと罪悪感。しかしもう後には退けない。慧爾は今この瞬間から誰にも恥じることのない――特に初霜に恥じることのない猫好きになるのだと覚悟を改めた。猫好き王に、俺はなる!

 

「是非、猫とゆっくり遊んでやってください」慧爾は一縷の望みをかけて言葉を紡いだ。「夕食の時間も気にすることは無いですよ。な、何なら、そのままウチで食べていっても、か、構いませんから!」

 

 あくまで自然にさりげなく夕食の話題をふろうとしたのに、喉がつかえてしまった上に声が少し大きくなってしまった。慧爾は緊張と恥ずかしさで顔が熱くなっているのを自覚しながら、初霜の返事を待った。

 

『そんな、夕食までご厄介になる訳には……』

 

 この反応はまだ予想の範囲内だ。慧爾は唾を飲み込みながら、言った。

 

「え、遠慮することありませんよ。ウチって言っても会社事務所の方ですし、そこの社員用の休憩所って意味です。そこで社員用にまかないを出すなんてしょっちゅうですし、せっかくですから初霜さんもそこで食べてってください。も、もちろんお代は結構ですよ。それは俺が出しますから!」

 

『そ、そこまで仰って下さるなら……』

 

 よし! 慧爾は声に出さず小さくガッツポーズした。かなり強引な誘い方になってしまったが、結果よければすべて良し、だ。

 

『あ、でも食事代だけはちゃんと払わせてください。軍としてのコンプライアンスに関わりますので』

 

「あ、ハイ」

 

『ちなみに言うのが遅れましたが、四人で伺うんですけど、大丈夫ですか?』

 

「それくらいなら全然……四人? 初霜さんお一人じゃなく?」

 

『はい、今日一緒に仔猫を助けた私たち艦娘四人です。本当は技官さん――例のラジコンみたいなドローンを持ってきてくれた方もご一緒したかったんですけど、仕事の関係で今夜中に島を発たなければならなくて……』

 

「そうですか、残念ですね」

 

 二人っきりじゃないのかよぉっ!? という心の叫びは、女の子が四人も来てくれるのも悪くないな、という身も蓋もない下心に相殺された。名前も知らないドローンの人にありがとうと言いたい気分だ。

 

 正直、仔猫救出の一番の功労者はドローンの人だと思うが、仕事ならしょうがない。チャンスをくれてサンキュー、ドローンさん。と慧爾は心の中で軽薄な感謝を捧げながら答えた。

 

「何も問題ありませんよ。是非みんなで来てください。楽しみにお待ちしています」

 

『はい、ありがとうございます。それでは失礼しますね』

 

 通話が終わり、慧爾はしばらく光の消えた携帯端末を見つめ続けた。高揚感に包まれて身体がフワフワしている。夢じゃなかろうか、と自分の頬をつねりたい気分だった。そんな真似をするやつは漫画の中だけだろうと思っていたが、今ならその気持ちがよく理解できる。

 

「あはっ……あはははっ……よっしゃー!」

 

 慧爾は車のエンジンをかけ――速度超過で警察に捕まらない範囲で――急いで自宅へと帰った。

 

 買ってきた荷物を抱えて自宅の事務所のドアを開けると、中には母の他に、仕事を終えた父と、そして数人の従業員の姿があった。

 

 といっても、仕事をしている訳じゃなかった。みんなして仔猫を取り囲んでいた。いかつい中年オヤジたちが揃って顔をほころばせてキャッキャウフフしてる。キモイ。

 

 父が振り返り、言った。

 

「おう、慧爾。話は母さんから聞いたぞ。女の子ナンパするために仔猫を引き取ってきたんだってな?」

 

「なんて言い草しやがるんだよ、父さん」

 

「はっはっはっ」

 

 愉快そうに笑う父の太い腕の中で、抱かれた仔猫が「みー」と甘えた声で鳴いた。

 

「おー、可愛いなぁ、よちよち」

 

 大柄で屈強な身体つきの父が、今まで見たことが無いような締まりのない顔をしていた。他の従業員たちも同じだ。むさ苦しい男たちの中心で、一番むさくるしい父が仔猫を撫でながら言った。

 

「それで、名前は何て言うんだ?」

 

「まだつけてないよ」

 

「猫のじゃない、女の子の方だ。どんな子なんだ?」

 

「い、言わねーよ!?」

 

 両親と従業員まで揃っているこんな場所で白状すれば、からかわれるまま酒盛りが始まって一晩中おもちゃにされるに決まってる。

 

 ちなみにここの従業員はたいていここで夕食と酒を飲みながら深夜まで入り浸るのが常だった。自分の家に帰って飲めばいいのに、と慧爾は時々思うが、なんなら従業員の家族までが夕食とお酒の差し入れをもってここへやってくるので、家庭環境に特に問題は無いらしい。

 

 というかここまでくると何が問題で、何がそうでないのかよく分からなくなってくる。

 

 が、それはともかく一度は初霜の名を出すことを拒否した慧爾だったが、すぐに、明後日の金曜日に彼女たちが訪問してくる約束のことを思い出した。

 

「むむむ」

 

「どうした慧爾、変な顔だぞ。あ、それは生まれつきか」

 

「製造元が無責任なことを言うんじゃないよ。これでも最近は父さんに似てきたってあちこちで言われてるんだ。嬉しくもないけど」

 

「それは嬉しくないな。俺の若いころはもっと男前だった。写真見るか?」

 

「見飽きたよ。何回見比べたって俺の方がイケメンだ。違う、そういう話じゃない」

 

「じゃあどんな話だ」

 

「むむむ」あんまり言いたくは無いが、言うしかない。「実は、金曜日の夜に来てくれることになった」

 

「誰が?」

 

「猫を助けた子」

 

「もう紹介してくれるのか。気が早いな」

 

「そうじゃない。猫の様子が気にかかるから、見に来るだけだ」

 

「見に来るだけだぁ? お前、それで手ぶらで返すつもりじゃないだろうな?」

 

「一応、夕食もここで食べてもらう約束をした」

 

 その言葉に従業員一同が「おおっ!」とどよめき、母は「まあまあ、あらあらまあまあ!」とはしゃぎだし、父は「よくやった!」と大声で笑い出したので、その手から仔猫が驚いて逃げて行った。

 

 仔猫は母の膝を避難場所に選んだ。

 

 父が言った。

 

「良し、じゃあ明後日も宴会だな!」

 

「明後日“も”? 何言ってんだ、父さん」

 

「今日はお前が女の子を引っ掛けた祝賀会だ」

 

「それと猫ちゃんの歓迎会もね」と、母。

 

「そして明日は本番前の前夜祭だ」

 

「何だよそれ!?」

 

「おいみんな、すぐにオトーリ始めるぞ。親(一番手)は慧爾、お前だ。今日の出来事を洗いざらい白状してもらうからな!」

 

 ふざけんなバカ、誰が大人しくしゃべるかよ、と一瞬反発したが、手際よく注がれた酒を差し出されると、それを反射的に受け取ってしまっていた。

 

 出された酒は受け取らなければならない。これはこの島で生まれ育った者の本能とも言うべき哀しい習性だった。

 

「ああ、もう、わかったよ。話してやるよ。俺の武勇伝をなぁ!」

 

 こうして宮吉島の夜はいつものように更けていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 この仔猫救出とその後の話が水曜日のことである。

 

 その翌日の木曜日。宮吉島から南へ50海里離れた海域に、南方警備艦隊に所属する二隻の艦艇が展開していた。

 

 伊勢型航空戦艦一番艦・伊勢と、妙高型重巡洋艦四番艦・羽黒である。彼女たちはそこからさらに南西へ30海里離れた場所にある深海棲艦出現海域――通称J海域の監視任務にあたっていた。

 

「羽黒ちゃーん、そっち捉えた?」

 

「ES探知あり。かなり強力な妨害電波です。伊勢さんの探知方位と整合が取れます」

 

「てことは一隻か」

 

 伊勢はその高い艦橋から、妨害電波を探知した方角に目を向けた。台風接近の影響により波は高いものの、空に雲は少なく、水平線が良く見通すことができる。

 

 しかし、その方向には何の影も見当たらなかった。高倍率の望遠カメラでも何も見当たらない。伊勢の艦橋の高さから眺めた場合、水平線は約25海里先にあった。

 

 伊勢は多目的スクリーンに目を移した。そこに表示されている水上レーダーの画面は真っ白に染め上げられていた。

 

「戦艦と重巡の二隻を相手に、25海里以上も先からバラージジャミングするなんて、とんでもない相手だね。……羽黒ちゃん、私は瑞雲を発艦させるから、そっちも偵察機を出して」

 

「了解しました」

 

 伊勢の船体後部に広がる広い飛行甲板から、多目的艦載電子戦闘機・瑞雲が、推力変更ノズルを真下に向け、真上に向かって垂直に発艦した。瑞雲はそのままホバリング状態で伊勢と並走しながら、その高度を徐々に上げていく。

 

 瑞雲は深海棲艦のジャミングに対抗するべく生み出された電子戦闘機だ。母艦である航空戦艦と連携して敵の電波を収集、解析し、妨害されていない周波数を見つけ出す、または妨害電波を相殺・無効化するための電波を発信するなどの対抗手段をリアルタイムで行うことが可能だ。

 

 このように敵のECM(電子妨害)に対抗するECCM(対電子対策)は艦艇単体でも可能だが、艦載機を上空に飛ばすことにより広範囲からの電子情報収集、またはこちらからのECM攻撃がより効率的に可能であった。

 

 伊勢が瑞雲を使ってECCMを行っている間に、羽黒も自らの後部甲板から偵察用ドローンを発艦させた。X字型の機体に四つのローターが付いた小型ドローンだ。ドローンは上空300メートルまで一気に上昇した。

 

「羽黒ちゃん、どう?」

 

「深海棲艦と思われる影を視認しました。数は1。距離約60海里」

 

「60海里? そんな遠くなの!? ……ありえないでしょ。周りに他の艦載機も居ないのに、どうやって妨害電波が届くのさ?」

 

 周波数や気象条件にもよるが、基本的に電波は直進する為、水平線よりも遠くに居た場合、それを受信することは無いはずだ。

 

「それも変ですけど、他にもおかしな感じですよ。光学センサーを最大倍率にしているんですけど、全体像が分からないんです」

 

「どういうこと?」

 

「形がわからないんですよ。そこに何か居るというのは分かるんですけど、なんだか海面に染みが拡がっているみたいな感じで……人型とか、鯨型とか、そういうんじゃないんです。染みが盛り上がったり、縮んだり、なんなの、これ……」

 

 気持ち悪い……。羽黒が小声で呟いた。

 

 伊勢は言った。

 

「ECMだけじゃなく、光学センサーに対する何らかの欺瞞工作も行っているのかもしれないね。60海里も離れてるんだもの、瑞雲とドローンをもう少し接近させて確認しましょう」

 

「わかりました」

 

 二隻のほど近い場所でホバリングしていた瑞雲とドローンを、その妨害電波の発信源に向けて移動させた。

 

 しかし数海里も進まないうちに、艦橋内に映るモニターにノイズが走り、瑞雲と偵察ドローンのコントロールが同時に乱れ始めた。

 

「やばっ!? 撤退、撤退!」

 

 二人は慌てて二機を頭上に引き戻した。コントロールが正常に戻り、伊勢は冷や汗を拭った。

 

「あっぶな~。なにこれ、この距離で瑞雲が落とされかけるなんて、こんなパワー、ル級が数隻集まったってありえないでしょ」

 

「もしかしたら、昔一度だけ出現した“水鬼”級かもしれませんね。もっとも、手元のデータベースには情報が無いので、上級司令部からの照合結果を待つしかありませんけど」

 

「めちゃレアじゃん、それ。SSRじゃん。私たちが監視を担当しているときにそんなもん引くとか、運が良いのか悪いのか分かんないね」

 

「今ガチャ引いたらいい結果が出そうですね」

 

「入港したら十連ガチャにぶっこんでみようかな。エンプラちゃんの新スキンがゲットできるかも。…羽黒ちゃんは今、誰狙いだっけ?」

 

「私、今はとうらぶにハマっちゃって、だから帰ったら急いでチケットを予約しようと思ってるんです」

 

「チケット? ……ああ、ゲームじゃなくて舞台の方か」

 

「本島で公演が始まるんですよ! 鬼切丸国綱さまをこの目で拝むまでは絶対に死ねません!」

 

「そ、そう……」

 

 随分と短期的な人生目標だなぁ。伊勢は苦笑しつつ、羽黒のドローンから送られてきた映像に目を向けた。

 

 確かに気持ち悪かった。海面にインクを一滴こぼしたように黒い染みがぽつんとにじんでいるだけで無く、それが輪郭をうねうねとくねらせ、ときに海面高く盛り上がっては、また海面にべったり拡がるなどという動きを繰り返していた。

 

 その染みの位置は発見した位置からまったく変わっていなかった。

 

 海上に浮かぶ物体は常に風や波、海流といった外力の影響を受けて流されてしまうので、同じ場所に留まるためには、その外力を相殺する方向と速度で動き続ける必要がある。

 

 つまりあの染みのようなモヤモヤは、自らの意思でその場に留まり続けているという事だった。

 

 伊勢は、今回の監視に出撃する前に司令である海尾から受けたブリーフィングの内容を思い出した。

 

“今回の監視任務では出現した深海棲艦を攻撃してはならない。深海棲艦への攻撃は派遣された二水戦が行う。南方警備艦隊はそのサポートに就く。”

 

 というのがその内容だった。そして海尾は、これから示達する内容は極秘事項であり、許可なしに口外するだけで懲戒処分対象だ、と脅し文句を口にしながら続けた。

 

「二水戦との共同作戦における敵目標は、おそらく未確認の深海棲艦となる可能性が非常に高い、というのが上級司令部の見解だ。また深海棲艦だけではなく、隣国の艦艇が現場海域に侵入してくる可能性も高い。我々南方警備艦隊は、深海棲艦だけでなく、この隣国艦艇に対する監視、情報収集も同時に実施する」

 

「監視?」伊勢は首をひねった。「ちょっと提督、それだけでいいの? 海域への侵入を阻止しなくてもいいの?」

 

「手は出すな。連中の好き勝手にさせろ、というのが参謀本部からの指示だ。――そんな顔するな。俺だって上を問い詰めたさ。だが答えは最重要機密の一点張りだ」

 

「まあ現場の私たちにしたら、連中が戦場に勝手に突っ込んで死のうが沈もうが別に構いやしないんだけどさぁ。最前線の二水戦が困るんじゃない?」

 

「最初から織り込み済みだそうだ。ちなみに二水戦が隣国にどう対処するかは、こちらには一切知らされていない。知る必要が無い、と言われたよ。なぜなら彼女たちは存在しない部隊だからだそうだ」

 

「存在しない部隊が居る海域に飛び込んで沈んだとしても、当局は一切関知せずってわけ? ダークだね。んじゃ私たちも“現場じゃ何も見なかった”って証言しなきゃいけないんだ?」

 

「察しが早くて助かる。現場には色々と負担が多い任務だが、よろしく頼む」

 

「はーい」

 

 あのときは平然と軽いノリで請け負ったが、こうして実際に得体のしれないモノの出現を前にしたとき、伊勢は胸の奥で不安が徐々に大きく育っていくのを感じていた。

 

 伊勢とて戦艦クラスの艦娘である。多くの艦娘から選抜されたエリートであり、実戦だって数え切れぬほど経験してきた。そんな百戦錬磨の艦娘をして不安に陥れる気配を、この謎の深海棲艦は漂わせていた。

 

 深海棲艦は動かない。まるで、何かを待っているかのように……

 

 

 

 

 

 

 

 伊勢、羽黒から深海棲艦出現の情報が寄せられると、その情報は南方警備艦隊から海軍総隊参謀本部を通じて、内閣官房室にまで速やかに上げられた。

 

 それとほぼ同時刻、情報部からも隣国から大鉄塊が出港したという情報が届いていた。

 

 この二つの報告を受け、内閣総理大臣は国家保安・安全保障委員会の緊急会合の開催を指示。深海棲艦出現から約1時間後、首相官邸地下にある危機管理センターに総理大臣以下、委員会の主だったメンバーが集結した。

 

 国家保安・安全保障委員会は、国家の安全保障に関する重要事項および重大緊急事態への対処を審議するために内閣に置かれた行政機関の一つだ。

 

 そのメンバーは内閣総理大臣:菅部 淡三、副総理兼財務大臣:浅海 太郎、防衛大臣:川辺 信安の他、外務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣、内閣官房長官、そして情報部を傘下に置く国家公安委員会委員長で構成されている。

 

 さらに各メンバーの背後には、その手足となって補佐するための各省庁のスタッフが待機していた。防衛大臣である川辺のそばには三軍を統べる統合幕僚長の姿と、そして山賊の通り名を持つ女・統幕作戦部長・野木 魔鈴の姿もあった。

 

「情報部から現在の情勢について報告します」

 

 先ずは情報部の官僚が、隣国から大鉄塊が出港し、針路をJ海域に向けて航行中であることを説明した。

 

「こちらが監視衛星による解析画像です。ご覧下さい」

 

 大スクリーンに映された大鉄塊の姿に、センター内にどよめきが沸き起こった。

 

「二隻が…繋がっているのか……?」

 

 誰かが漏らしたつぶやきに、情報部官僚が頷いた。

 

「映像分析の結果、ドックで建造されていた二隻とほぼ同一であると結果が出ました。それが並列に繋がれて一隻となっております」

 

「ニコイチにしてスペックも二倍ってか」

 

 そう言って鼻で笑ったのは、副総理の浅海だった。皮肉屋として知られた彼は、巨大な鉄球が二つ並んでくっつきながら海面を進む衛星写真を眺めながら言った。

 

「単純だが、明快なコンセプトだ。ウチも予算と建造場所に余裕があればこんな化け物を量産してみたいもんだぜ。……で、こいつはJ海域の深海棲艦を撃破するために出てきたのかい?」

 

「それについて、外務省から報告します」

 

 外務大臣が手元の資料を眺めながら答えた。

 

「現地からの情報によりますと、各報道機関に共産党本部から報道発表用の資料が配布されているそうです。それによりますと、“本日1030、人民解放海軍は国際社会の信義に基づき、国家海上航路の保護および漁業に従事する人民の安全な操業を保護するために、軍事艦艇を派遣した”とのことで――」

 

 背後から外務省官僚がメモを渡してきたので、外務大臣はいったん言葉を切ってそれを受け取り、そして続けた。

 

「――先ほど、共産党報道官が正式に会見を開始したそうです。内容はただいま申し上げたとおりです」

 

「人民の保護だ?」浅海は眉をひそめた。「J海域は封鎖されて漁船は居ないはずだろう。それ以前に、そもそもあそこはウチのEEZだ。隣国の漁民が居る道理が無い」

 

「無茶を通せば道理は引っ込む、てね」

 

 防衛大臣:川辺が口を挟んだ。

 

「J海域でも、国籍不明の漁船が連日のように不法操業を続けています。SK海域に比べると数は少ないですがね」

 

「隣国の工作船か?」

 

「その可能性は低いでしょう。隣国以外の他国の漁船や、また我が国の漁船も含まれているようです。命知らずはどこにでもいるという事です。隣国としても国籍を定かにしない不法漁船を保護するために軍事艦艇を派遣するのは名分として弱いでしょう。となれば、気にかかるのはSK諸島周辺で操業している隣国漁船群となる訳ですが……」

 

 その時、川辺の隣に座っていた統幕長が、背後の部下からの報告を受け、それを川辺に耳打ちした。

 

「わかった。……海軍からも新たな情報が入りました。SK諸島海域でも動きがあったようです。詳細は統幕長から報告させます」

 

「統合幕僚長、報告させていただきます。SK諸島周辺で不法操業中の隣国漁船群約三百隻が、一斉に南下を開始しました。それに合わせ、漁船保護を名目に進出していた隣国海軍のフリゲート三隻も南下を開始。その進路はJ海域に向いております」

 

 統幕長からの報告に、センター内が再びどよめいた。統幕長は淡々と続けた。

 

「これまでにない動きです。仮にこの漁船群が隣国の言う“保護すべき漁業に従事する人民”であった場合、漁船群がJ海域へ到達するのは約72時間後となります」

 

「ひでえマッチポンプだ。自国民の命をなんだと思ってやがる」

 

「ですが、ここまでは想定の範囲内であります」

 

 副総理の言葉に対し答えたその声は、スクリーンの方向から聴こえてきた。

女の声だ。

 

 センター内の視線が一斉に集まった先に、野木 魔鈴の姿があった。彼女は顔の古傷をゆがませながら不敵に笑った。

 

「隣国が深海棲艦に呼応し動き出すことは先刻承知のこと。我々はそれをじっくり眺めて、奴らの意図を探ればよいのです。なあに、ケツは我々がきっちり拭きますゆえ、ご安心を」

 

「あいかわらず口汚ねえ女だな、山賊よ」

 

 浅海が口端を歪め、笑みとも、不機嫌ともつかない表情を浮かべた。魔鈴は陸軍准将という高級将校ではあるが、この国家中枢の場においては単なる補佐スタッフの一人にすぎない立場だ。こんな無作法な口調が許されるはずも無い。

 

 しかし、魔鈴の口調に反応したのは浅海ただ一人だけだった。防衛大臣と統幕長もそれを咎めすらしなかった。

 

 野木は続けた。

 

「つい先ほどですが、さらに新たな情報が届きました。東南アジア周辺でも深海棲艦の艦隊が北上しているのを発見したそうです。戦艦2、重巡3、軽巡4、駆逐艦6、空母2、軽空母2、なかなかの規模ですな。J海域へ向かうのはほぼ確実でしょう」

 

「その艦隊もそのまま引き込むのか?」

 

「引き込みます。J海域に現れた正体不明の深海棲艦はそれを待っている。もちろん、大鉄塊も待っている。すべてはそこにいる正体不明艦を中心に回っている。それが深海棲艦予測プログラムによる“託宣”です」

 

 託宣。魔鈴の告げた言葉に、センター内に緊張が走った。

 

 国家機密の中でも最も強度が高く、同時に胡散臭い、しかしその結果は誰もが認めざるを得ない、得体のしれない存在。

 

 深海棲艦予測プログラム。それは、この国家中枢を支える軍事・行政・治安そのすべてのAIの総意とも言って良かった。

 

 もはや人間がその思考ロジックを解析することなど不可能な領域に達した巨大コンピューターネットワークが示した未来を、そのまま無批判に受け止めることは強い抵抗感を伴っていた。とりわけ、政治は人間が、人間的な感性で行わなければならないと固く信じている政治家たちにとっては……

 

「続けたまえ」

 

 静まり返ったセンター内に、ポツリと呟かれた言葉が響き渡った。

 

 その声の主は、センター中心に座る男。総理大臣:菅部 淡三だった。菅部は、静かに、しかしハッキリとした声で言った。

 

「託宣は、大鉄塊と融合させず、深海棲艦を破壊せよ、と言った。しかし君は、それを無視しようとしている。大鉄塊を深海棲艦に向かわせようとしている。……いや、それは構わない。そうしなければ託宣が真実かどうか、証明できぬからな。そして、その状況を注視することにより、我々は深海棲艦の思考の一端を知ることができるだろう。だが、これは賭けだ。託宣はこの先の状況を想定していない。そうさせてはならないとAIたちは訴えている。この先、何が起きるか、それは誰にも予測できない……」

 

 菅部は、魔鈴を真っ直ぐに見据え、続けた。

 

「だが、予測不可能な未来を恐れていては勝つことはできぬ。託宣どおりに深海棲艦と大鉄塊の融合を防いだところで、勝つことはできない。それは負けないための戦いに過ぎない。我々は三十年間、負けないための戦いを続けてきた。勝つのではなく、守るための戦いを選んできた。しかし、それもすでに限界に近付きつつある。……我々は深海棲艦に勝たねばならぬのだ。続けたまえ。野木准将、君の立案した作戦を私は承認する。君の思うがままに進むがいい」

 

 菅部の静かな言葉は、センター内の全てを圧するように、陰々と響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪風は上機嫌だった。初霜と一緒に出掛けるというだけでこんなにも胸が躍るなんて、自分でも不思議だった。

 

(と、友達に……なれるかな……っ!?)

 

 雪風は人付き合いが良いほうじゃなかった。むしろ下手だ。幼少期はロクデナシ親父のせいで家族ぐるみで近所から疎んじられてきたし、父が借金を残して失踪してからは学校へ通うのもそこそこにバイトに明け暮れてきたから、雪風には“友達”と呼べる人間が居なかった。

 

 入隊後、共に訓練に明け暮れた同期生たちは、人生で初めてできた“仲間”と呼べる存在だった。ただ、“友達”と呼べるかどうかは微妙なところだった。

 

 家族そろって疎まれてきた幼少期と、お世辞でも褒められない家族、そしてその負債を文字通り背負って返済に明け暮れる今の自分。これらを他人にあけっぴろげに晒すことができるほど周囲を信頼できず、さりとて同期の仲間の輪から離れて孤高を選べるほどの冷たい悟りも開けない。

 

 そんな中途半端な距離感のまま、それでも苦楽を共にしてきた同期生達との絆は雪風の半生にとって確かに貴重で暖かなものだったが、しかしそれすらも二水戦という秘密部隊へ配属されてしまったことで全て途絶えてしまった。

 

 その二水戦で出会った新たな同僚たちは、ある意味で雪風と似たり寄ったりな、スネに傷持つ連中ばかりだった。そんな連中が明日なき危険な戦いに身を投じ、櫛の歯が欠けるように消えていく。

 

 そんな部隊で作られる人間関係は、だいたい二通りに分けられた。誰にも心を開かずビジネスライクに付き合うか、それともお互いに傷を舐め合うズブズブの関係になるか、だ。

 

 雪風と初風は、後者に近い関係だと周囲からは思われていた。けれど雪風自身は、そんなことは無いと思っていた。お互いの過去まで踏み込んだ覚えはない、というのがその理由だった。

 

 踏み込んでしまえば、きっと友情という距離感を超えて離れがたい関係になってしまう。そうなってしまったら、片割れが死んだとき、生きてはいけない身体になってしまう。それに金を十分稼いで二水戦を引退できるようになっても、片割れを残していくことができずに、ずっと抜け出せなくなってしまう。

 

 ここは明日をも知れぬ二水戦だ。片割れ恋しさのあまりに抜け出す機会を失って戦死した者、戦死した片割れを追って後追い自殺した者たちを雪風は知っていた。

 

 二水戦とはそんな部隊だ。

 

 だから、我が身と初風の身を案じるならば、これ以上の関係になってはいけないのだ……と、たまに自分に言い訳するように言い聞かせることがあったが、その一方で、実はもう手遅れ気味であることにも気が付いていた。主に初風側から向けられている感情の重さが、である。

 

 そんな雪風が、どうして初霜に対しては浮かれているのか。

 

 それはやはり「別の部隊だから」というのが大きな理由だった。二水戦の様に簡単に死んでしまう事も無く、それでいて近くで共闘してくれて……

 

 ……いや、何よりも一番の理由は、お互いに艦娘と知らずに出会ったことかも知れない。

 

 初霜との出会い方は、かつての同期たちとも、初風とも違っていた。友達も仲間も居なくて、世間から疎まれ続けた過去の自分がそのまま曝け出された様な状態の時に初霜と出会い、相手もまた雪風を艦娘と知らないままに、二人は同じ時間を過ごした。

 

 それは、初風と共に過ごす時間とはまた違った居心地の良さがあった。初霜と一緒に過ごしている間は素直にありのままの自分を曝け出せることができ、それが心地よかった。

 

 その心地よさは、今夜の外出が初霜との二人きりではなく、霞と朝霜が付いてくると知って多少は損なわれたものの、仔猫に会いに行くという理由ならばまあ仕方ないか、と雪風は自分に言い聞かせて、ウキウキ気分で身支度を整えた。

 

 その際、脳裏に初風の姿がふいに現れて、“浮気者!”と雪風をなじった。

 

(浮気者? いやいや、初霜さんとは友達になりたいだけだからセーフセーフ)

 

 心の中で変な言い訳をしながら、雪風は寮の前で初霜たちと合流した。

 

「お待たせしました!」

 

 表で待っていた初霜……と、ついでに霞と朝霜に声をかける。

 

 霞が雪風の服装を見て「あら?」と声をかけた。

 

「今日はあのワンピースじゃないのね?」

 

「いや、あれは、その」

 

 今日の雪風は薄手のシャツにショートパンツというラフな格好だった。本当は色々とお洒落したいという願望もあったけれど、悲しいかな、日頃からズボラ生活していたツケが重なり、お洒落センスも服も化粧品も何もかもが足りない自分に気が付いて軽く絶望していたりする。

 

(こんなときに初風が居てくれたらなぁ……)

 

 と、都合よく相棒をアテにしては心に潜む初風の幻影に“浮気者!”と罵られる繰り返しである。違うし、浮気じゃないし、友達になる予定だし。

 

 朝霜が、雪風をしげしげと眺めながら言った。

 

「あのワンピ姿、いかにも育ちが良いお嬢様って感じだったけど、だいぶ印象が変わるもんだな。そういう格好してると、いかにも艦娘……つーか、プライベート中の軍人って感じだ」

 

 それはつまり垢ぬけてないと言外に告げられたようなものだが、正直、そのとおりなので雪風は反論する気も起きなかった。むしろ言葉を選ばせてしまって申し訳ないくらいだ。

 

 ちなみに朝霜はタンクトップにダメージジーンズという、カジュアルにも程がある格好だった。今から他人様の家に訪問しようというのにそれでいいのかと、流石に雪風も首をひねりたくなった。

 

 一方、霞はといえばシンプルなフリルが付いたシャツに、下は裾の広いワイドパンツというカジュアルなものだが相応の落ち着きも併せ持っていた。

 

 そして初霜は、白いブラウスに灰色のサマージャケットとスラックスというスーツスタイルだった。

 

(わー、カッコいいしちょっと大人っぽい! ……堅苦しいけど)

 

 まあ初霜の雰囲気によく合っている。私もスーツスタイルにしようかな、なんて雪風が思いながら見惚れていると、当の初霜からこう言われた。

 

「私としては、ワンピ姿も、今の雪風さんも、どっちも可愛いと思いますよ」

 

「あ……ありがとうございますっ!」

 

「脚、綺麗ですものね。ショートパンツが履けるってだけでも羨ましいです」

 

「へ?」

 

 初霜から真面目な顔で下半身をしげしげと眺められて、雪風は戸惑った。確かに脚には少し自信はあったし褒められて嬉しいけれど、視線を受けている太ももあたりが何やらこそばゆくて、心なし内股気味になってしまう。

 

 そんな雪風の戸惑いを察したのか、霞が、初霜の肩を小突いた。

 

「初霜、あんた痴漢みたいな目つきになってるわよ?」

 

「え~、私そんな目をしてた?」

 

「舐めまわしてたわよ、視線で」

 

「そ、そこまで…?」

 

 初霜が申し訳なさそうな顔を雪風に向けた。

 

「ごめんなさい。別に他意は無いですから」

 

「い、いえいえ気にしないでください。ていうか、こんな私の脚でよければご存分に」

 

「え?」

 

「あ…!?」

 

 思わず変な本音までポロリと零してしまった。

 

「んじゃ、遠慮なく」

 

 雪風の背後から手が伸び、内腿から尻まで撫でまわされた。

 

「ひゃあっ!!??」

 

 雪風は、驚きとこそばゆさと背中を走る電撃のような一瞬の快感に悲鳴を上げて飛び上がった。そのまま目の前に居た初霜の胸に飛び込んでしまう。

 

 霞がすかさず、朝霜の頭をひっぱたいた。

 

「何やっとんじゃあんたは!?」

 

「セクハラ」

 

「ちょっとは悪びれなさいよ」

 

「だって本人が良いって言ったしよ。それに女同士だからいーじゃん」

 

「あんたの触り方はそこらのオッサンよりいやらしいから嫌なのよ」

 

「そりゃ霞相手に散々練習したからな」

 

 朝霜は両手の指をワキワキと動かしながらニヒヒと笑った。霞の平手が朝霜の頭を盛大に引っ叩いた。

 

「今度私にセクハラしたらその腕をへし折ってやる。…そもそも何でいつも私ばっかりにちょっかいかけるのよ。たまには初霜にもセクハラしなさいよ」

 

「ちょっと霞、私まで巻き込まないで」

 

 初霜が雪風を胸に抱いたまま抗議した。朝霜は肩をすくめた。

 

「初霜はケツ触っても無反応だから面白くねえんだよ」

 

「我慢してるのよ。私の忍耐力が朝霜のセクハラに打ち克ったってことね」

 

 ふふん、と初霜が得意げに胸を反らした。朝霜がそれを眺めながら言った。

 

「揉むほどの胸も無いから、やりがいもねえ」

 

「腹いせに事実を突きつけるの止めて」

 

 雪風を抱く初霜の腕に力がこもった。うん、確かにそうだわ、と雪風は実感した。お陰でそれ以外のことは何も考えられなくて脳みそが茹で上がりそうだ。

 

 霞がハッとして言った。

 

「それってつまり、私の反応がいいからセクハラされてたみたいじゃない!?」

 

「そのとおりだぜ?」

 

 朝霜が笑った。霞の平手がまた襲い掛かったが、朝霜はそれをひょいとかわし、霞の脇をすれ違いざまにその胸を揉んでみせた。

 

「きゃああああああ!!??」

 

「お、前よりちょっと膨らんだんじゃね?」

 

「あんたねぇっ!? その腕へし折ってやる! いや、その首へし折ってやる!!」

 

 朝霜と霞はバタバタと追いかけっこ。初霜は呆れながら声をかけた。

 

「二人とも、私たち先に行くからね。……雪風さん、行きましょ」

 

「は…はい」

 

 抱擁を解かれ、今度は初霜に手を引かれて、雪風は歩き出した。その後しばらく雪風の頭は茹だったままで、ハッと気が付けば街中の酒屋の前に到着していた。

 

 でもどうして酒屋?

 

「手土産を買おうと思いまして」

 

 初霜が、店内に並ぶ泡盛の瓶を品定めしながら答えた。

 

「とは言っても、地元の人に観光客向けのものを持っていてもしょうがないし、かといって高価すぎるコンプライアンスに引っかかっちゃいますし、なかなか難しいんですけどね」

 

「いや、仔猫に会いに行くだけじゃないんですか?」

 

「ご夕食もご一緒させて頂くって言ったと思いますけど?」

 

「あー、そういえばそうでしたね」

 

 正直、初霜からの誘いに一も二も無く飛びついたから、詳細については聞き流していた。だから夕食は仔猫の様子を見た後、別の場所で摂るものだと思い込んでいた。しかし、まさか民間人の自宅で夕食までご馳走になるとか、それこそコンプライアンスの面で大丈夫なのか不安になる。

 

 雪風がそう問うと、初霜が苦笑しながら答えた。

 

「厳密に言えば、かなりアウトよりのグレーゾーンですね。でも司令にはちゃんと報告して許可は頂いているから安心してください。もちろん、郷海大佐も了承済みです」

 

「それなら良いですけど…」

 

 よく許可が降りたもんだ、と雪風の内心の疑問を見透かして、初霜は言った。

 

「この島だから許されているようなものですよ。狭い島ですからね、人間関係もどうしたって近くなっちゃうんですよ。かといってズブズブになっちゃいけないので難しいところですけど」

 

 そう言いながら初霜は、手頃な価格の一升瓶を取り上げ、レジに向かった。支払いの際に領収書は忘れない。

 

「それ、値段はともかく、量が多すぎやしませんか?」

 

「ところがこれでも少ないくらいでして……雪風さん、オトーリって知ってますか?」

 

「知りません。なんですかそれ?」

 

「知らないほうがいいです。その方が巻き込まれずに済みますから」

 

「え、なにそれ怖い」

 

 酒屋を出ると、外には霞と朝霜が、腕を組んで寄り添いながら立っていた。この二人、仲が良いんだなぁ、と雪風が思ったところに朝霜が悲鳴を上げた。

 

「イデデ!? 霞やめろ腕折れるマジで折れるからっ!?」

 

「うるさい! 二度とセクハラ出来ないようにしてやるから覚悟なさい!!」

 

「二人とも、まだやってたのね。霞、折るなら明日からの出撃から帰ってきてからの方が良いわよ。二水戦に迷惑がかかるから」

 

「そ、そうだぞ霞! あたいは出撃を控えた大事な身体なんだからな!?」

 

「そんなもん、首一つ残ってりゃ問題ないわよっ!」

 

 本気で折りかねない霞と、絶叫する朝霜、それを前に平然としている初霜。二水戦に負けず劣らず、この人たちもどこかネジが抜けている。雪風はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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