艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第二十六話・出撃前夜(5)

 宮吉島鎮守府の敷地内にある艦娘用の岸壁で、初風はひとり夜風に吹かれながら月を見上げていた。

 

 いつもの初風なら寮で雪風の帰りを待つところだけども、今夜はそんな気分になれなかった。雪風が自分を置き去りにして宴会へ出かけてしまったことが面白くなかったし、その置き去りにされた原因が初風自身の自業自得なのに、それを棚に上げて雪風に不満を抱いてしまう自分の心が嫌だった。

 

 部屋で雪風の帰りを待っていると、そんな思いばかりが募ってしまうので、初風は待つのを止めて、頭を冷やすためにあてもなく散歩に出かけ、何とは無しに辿り着いたのがこの岸壁だった。

 

 夜空にぽっかりと浮いた満月が海を青白く照らしていた。台風は温帯低気圧に変わったものの、その影響で外海はうねりがまだ高く、港湾内にも波が泡立ちながら幾重もの白い筋となって岸壁へ打ち寄せていた。

 

 広く長い岸壁には艦艇は一隻も係留されていなかった。この鎮守府に停泊している艦艇はすべて船体転送装置によって“ここではない何処か”へ格納されており、今はその開放的な景色の中に照明灯が等間隔に立ち並び、月明かりと調和したような白い光を岸壁に投げかけていた。

 

 初風は海に沿いながら岸壁を歩き進み、やがてその突端にまで辿り着いた。周囲には初風の他に誰も居なかった。目の前には夜の海と月が浮かぶ空が拡がり、その境界線上には台風が残した雲が横たわるように黒く伸びていた。

 

 これより先にもう道はなく、しかし初風は何となく引き返す気にもなれず、その場に足を留めて、ただ立ち尽くした。

 

 気持ちが沈んでいるのと散歩で少々疲れたこともあって座り込んでしまいたくなったけれど、軍港の岸壁には小休止用のベンチなどという気の利いたものは設置されていなかった。

 

 その代わり、すぐ近くに艦載用のRHIB(Righit-hulled inflatable boat:複合型作業艇。船底が硬性素材、船べりが軟性のゴム素材で構成された複合素材の小型ボート)が、運搬用の架台に乗せられて置かれていた。

 

 RHIBには座席があり、それは背もたれを後ろに倒して寝そべることができるのを初風は知っていた。初風は躊躇うことなくRHIBへ近づくと、彼女の頭よりもやや高い位置にある船べりの突起に手をかけ、そして脚を架台にかけ、慣れた体さばきで一息に船内へよじ登った。

 

 きっと整備のために地上へ降ろしてあったのだろう。RIHB内は整然としており、座席に汚れも見当たらない。初風は座席に腰を下ろし、背もたれを倒してその寝心地に満足すると、ようやく身体の力を抜いて夜空を見上げた。

 

 空には月の光が冴え冴えと行き渡り、周りの星々はその輝きに負けてほとんどが姿を消してしまっていた。月の光は白に近く、その表面に浮かぶ例のウサギの影をくっきりと浮きたたせていた。

 

 しばらくウサギの影を眺めている内に目も光の強さに慣れてしまい、周りの弱い輝きの星はさらに見えづらくなってしまった。月はこんなにも美しいのに、空は空虚だ。と、初風は思った。でも、そんな思いを空に抱いてしまうのは、それが自分の心を鏡移しにしているからだとも分かっていた。

 

 星の見えない夜空が自分の心なら、その中心で冷たく輝いているあの月は、雪風だ。この心に広がる闇を払ってくれる、美しい光。でも、その光は太陽のように誰かを温めるにはあまりにも弱くて儚く、そしてその動きは夜を置いて独りで去ってしまう。

 

(ユキ……)

 

 少しずつ高度を落としながら西へと傾いていく月を眺めながら、初風は自問した。

 

(私…ユキが居なくなったら、どうなるんだろう……)

 

 月が沈んでも夜空には満天の星々が輝き続けるけれど、初風の心に拡がる空には、そんな煌めくものなどありはしなかった。

 

 いや、雪風と出会う前だったら、まだ星と呼べるようなものは幾つかあって、それは初風が二水戦へ来るに至った理由でもあったはずだが、今となっては雪風が放つ輝きが強すぎて、もう見えなくなってしまった。

 

 雪風が居なくなってしまったら、初風に残るのは星さえもない暗闇だけだ。

 

(今さら、あの子と離れるなんて出来やしないわね……)

 

 雪風がどこへ行こうとも、初風はその背中を追う以外にないのだ。それが地獄の果てであろうとも、雪風の居ない世界に比べればはるかにマシだった。

 

(マシ? 違うわね。…地獄の方がいい……)

 

 一緒に居られるなら、一緒に死ねるなら、地獄のような戦場を私は選ぶ。それよりも一番最悪なのは……

 

 初風は、今日、雪風が初霜から誘われたときに見せた笑顔を思い出し、胸に痛みを感じた。

 

(ユキの華やいだ顔……あんな顔、私の前じゃ一度もしてくれなかった……)

 

 初風にとっての雪風の印象は、ひょうひょうとしていて、ズボラで、時に間の抜けたような顔で笑って、でも決して消えない影と押し殺したような殺気をまとった、兵士の瞳をした少女だった。

 

 ――真の兵士とは、死人である。

 

 初風は、以前、ある人物から聞いた言葉を思い返した。

 

 その人物とは、二水戦の事実上のトップである統幕作戦部長・野木 魔鈴だ。彼女が二水戦を視察に訪れたとき、艦娘たちへの訓示でそう言ったのだ。

 

「戦場では死を恐れる者から死んでいく。肉食獣が逃げる獲物を背後から襲うように、背中を見せた奴が真っ先に狙われる。死にたくなければ真正面から睨み返すことだ。死は野生の獣と同じだ。身構えている内は襲ってこん。だが、一瞬でも目を逸らせば即座に喰い殺される。怯えを見せるな。死は心の微かな怯みも見逃さん。戦場で生き延びたければ。心を一切動かすな!」

 

 魔鈴のこの訓示を、整列していた艦娘たちは呆れた気分で聞き流していた。ここは新兵訓練所ではなく二水戦だ。死線をいくつも潜り抜けてきた彼女たちに対して、今さら戦場での心構えを説くほどバカバカしいことは無かった。

 

 こんな訓示は時間の無駄だ。と艦娘たちの誰もが思い、白けた雰囲気が漂う中、魔鈴はそれを無視するかのように言い放った。

 

「死ね」

 

 冷たく、そして挑発的な笑みを浮かべながら放たれたその一言に、艦娘たちは凍りついた。

 

「死ねば怯まん。心を殺せ。生を望むな、“死人(しびと)”たれ。それこそが真の兵士だ」

 

 そう言い捨て、魔鈴の訓示は終わった。彼女が壇上から去っても、艦娘たちは誰も言葉を発しなかった。初風もまた、身体の芯が凍てついた感覚に襲われていた。

 

 魔鈴の言葉が響いたのではない。その声、その目に畏れを抱いたのだ。あの女はまさに生きながら死せる兵士だと、その場の誰もが本能的に思い知らされた瞬間だった。

 

 あの訓示以来、皆、目つきが変わったように初風には感じられた。変わっていないように見えたのは、神通や雪風のような古株の艦娘ぐらいだ。しかしそれも当然だろう、彼女たちは魔鈴の訓示に諭されるまでもなく、当に死人の領域に達していたのだから。

 

 だから、初風もそうなろうと決めた。“死人”になれば、雪風と共に生き延びられると信じたから……

 

 ……でも、この島に来て、雪風の母との確執を垣間見たとき、雪風にとっての“死人”が、自分の認識と違うことに気が付いてしまった。

 

 雪風は死中に活を求めてはいない。あれは単に死にたがっているだけだ。

 

 だったら、自分が命を懸けて雪風を守ろう。それが初風にとっての“死人”だ。そう思っていたのに……

 

 雪風が初霜に向けた笑みの輝きは、生きる者の光だった。だから初風は、自分だけが死人の側に取り残された気になった。というより、現にこうして独りぼっちで取り残されて途方に暮れている。

 

(……バッカみたい)

 

 これ以上、下手に思考をこじらせても自分が惨めになっていくだけなので、初風は考えるのを止めた。

 

 もう帰ろう。余計なことは考えずに部屋へ戻り、雪風が帰ってきたら「遅い」と小言をくれてやって、それに対して雪風がいつもどおりの間の抜けた苦笑で「ごめん」と謝る姿を見て、それでいつもの二人に戻るのだ。

 

 そう決めて、初風は寝そべっていた身体を起こしかけた。しかしその時、視界の隅に岸壁をこちらへ向かって歩いてくる人影を見つけて、初風は咄嗟にRHIBの床に身を伏せた。

 

(しまった。つい隠れちゃったわ)

 

 冷静に考えれば隠れるほどのことはしていないが、他艦隊の備品を勝手にねぐらにしていたことへのバツの悪さもあったので、隠れたまま、その近づいてきた人影をやり過ごすことに決めた。

 

 けれどその人影の気配は徐々に近づいてきて、よりにもよって初風が隠れているRHIBのすぐ近くで立ち止まってしまった。

 

 もしかすると初風が中にいることが気付かれていて咎められてしまうかもしれない。初風はそう思って身を固くしたが、気配はそれきり何の動きも見せなかった。不審に思い、少しだけ上体を起こして船べりから顔を覗かせると、その人影はRHIBに対して背を向け、海を眺めていた。

 

 ピンと背筋が伸びた綺麗な立ち姿。非の打ち所が無いその不動の後姿には見覚えがあった。二水戦司令・郷海 隼人だ。

 

 彼はしばらく彫刻のように立ったまま海を眺め続けた後、懐から煙草を取り出した。咥えた煙草に火を点け、煙を吐き出す一連の動作の間、彼の背中は揺るがず、その体幹は一ミリもブレなかった。

 

 司令は人間じゃない、ロボットだ。と、仲間内ではよく噂していたが、それもあながち冗談じゃないかもしれない。と初風は思いつつ、同時にそんなロボットが海を眺めて何を思うのか、と疑問も浮かんだ。

 

 まさか自分と同じく、月を見て感傷にひたっているとでもいうのだろうか。

 

 それこそまさかだ、と初風はその思いを否定した。司令はその立ち姿だけではなく、その言動もマシーン染みていると二水戦では評判だった。

 

 寡黙にして冷静沈着、どんな過酷な戦況にあってもその不動の立ち姿が揺らぐことはなく、感情を一切感じさせない声と簡潔明瞭な言葉で最適な指示を下す名指揮官。砲弾飛び交う戦場にあって不動明王の如きその姿はまさに豪胆、剛毅、快傑。ゆえに“豪快なる隼人”と呼ばれているのだ。

 

 そんな彼に人間的な親しみを抱く艦娘はほとんどいなかったが、彼が二水戦の司令であることを疑う者はさらにいなかった。

 

 そんな風にある種、高性能なマシーンとして扱われている男は、一本の柱のような立ち姿のまま煙草を吸い終えると、すぐに二本目を咥え、火を点けた。初風はまだしばらく身を潜め続けなければならなくなったことにうんざりしながら頭を引っ込めようとして、その時、また新たな人影が近づいてきたことに気が付いた。

 

 照明灯の光の輪を潜りながら歩いてきたのは、初風も良く知る女性だった。二水戦のまとめ役、秘書艦の軽巡・神通だ。

 

 神通はRHIBに潜む初風に気付いた様子もなく、郷海の傍まで寄って立ち止まった。それは秘書艦として司令を呼びに来たというような様子ではなかった。

 

 神通は自らもまた懐から煙草を取り出し、口に咥えた。

 

「提督、火を頂けませんか」

 

「……」

 

 郷海は何も言わず、火のついた煙草を咥えたまま、顔を神通に寄せた。神通も彼に身を寄せ、爪先立ちになって、郷海の咥える煙草の火に自らの煙草の先端を触れあわせた。それはさながら一枚の絵のように、二人はさりげなく手慣れたシガレットキスで火を移し合った。

 

 神通は少し距離を置いて郷海の隣に並んで海を眺めた。そのまま、二人は何を話すでも無く、海を眺め続けた。初風には二人が何をしにここへ来て、今、何を考えているのかまるで理解できなかったが、海と月を背景に並び立つ二人の後ろ姿に惹かれて目が離せなかった。

 

 それからまたどれだけ沈黙が続いたのだろうか。先に火を点けた郷海の煙草が灰になり、それを携帯灰皿に収めながら、彼は初めて口を開き、「神通」と傍らの秘書艦の名を呼んだ。

 

「野木准将から聞いた。任期継続を願い出たそうじゃな」

 

「はい」

 

 簡潔に返答した神通に目を向けないまま、郷海は言った。

 

「おいは辞めち言うたはずだ。……もう神通が二水戦に居続ける理由は無か」

 

「お側に居たい、というのは理由になりませんか?」

 

「………」

 

 神通は回答を求めるかのように郷海の横顔を見つめた。咥えた煙草の火に照らされ、神通の瞳が切なく揺れたように見えた。しかし郷海は彼女と目を合わせることなく、ただ海と、月を眺め続けていた。

 

「提督……」

 

 神通は揺れる瞳を微かに伏せ、彼と同じく月を見上げた。目を眩ませて心を奪いそうになるその輝きを見つめ、神通はポツリと呟くように言った。

 

「月が、綺麗ですね」

 

 その言葉に、郷海の背中が――これまで決して動くことの無かった背中が、微かに震えた。

 

「……任務終了後、君の任期継続を再考してん頂くよう野木准将に申し上げっと」

 

 郷海はそう言うと、神通一人をその場に残し、背を向けて去って行ってしまった。

 

 神通は遠ざかる郷海の背中を見送ることも無く、ただ月を眺め続けていた。そんな神通の様子を、初風はRHIBの中から伺いながら、さてどうしたものかとため息を吐いた。

 

 事情も会話の意味も分からないものの、少なくとも郷海と神通が単なる司令と秘書艦という関係ではないことぐらいは察したし、置いて行かれた神通が落ち込んでいるのも分かった。

 

(私、神通さんに同情しちゃってる……)

 

 おこがましい、とは思いつつも、放っておけない気がした。しかし何より神通が落ち込んでいる間ずっとここに隠れているわけにもいかなかった。

 

 なるようになれ、と半ば自棄っぱちな気分で、初風はRHIBから降り立った。

 

 着地した音に神通が「きゃっ!?」と声を上げて振り向いた。この人は戦場だと雄々しいのに、陸上だと時々小動物みたいな反応をする。そう思いつつ、初風は名乗った。

 

「私です、初風です」

 

「え? え? 初風さん、いつから? どこから?」

 

「そこのRHIBで寝転んで星を見上げてたら、司令が来ちゃって出るに出られず、ってところです」

 

「あ、そ、そうですか……そ、それじゃ今のも、全部?」

 

「盗み見するつもりじゃなかったんですけど、不可抗力というか……ごめんなさい」

 

「それなら仕方ない……なくもない…気がしない訳でもないですけどぉ……」

 

「どっち?」

 

「私にも分かりませんよぉ…」

 

 神通は真っ赤になった顔を両手で覆いながらその場にしゃがみ込み、そこに落ちていた煙草――驚いたときに落とした自分の煙草の吸殻をみつけたので、それを拾って携帯灰皿に収めた。

 

「神通さんって、こんなときでも真面目なんですね」

 

「私、それぐらいしか取り柄がありませんから」

 

 しゃがんだまま神通は深く溜息をついた。

 

 初風もその横にしゃがみ込んで、訊いた。

 

「司令のこと…好きなんですね」

 

「……はい」

 

 しゃがんで顔を伏せたまま、神通はこっくりと頷いた。初風は更に訊いた。

 

「任期継続したら、ずっと秘書艦のままですよ? 出撃を拒否できる私たちよりも死ぬ可能性はよっぽど高いじゃないですか」

 

「別に、娑婆に未練もありませんから……」

 

「娑婆?」

 

 その囚人めいた言い回しに違和感を覚えた。

 

「どうかしましたか?」

 

「あ、いいえ。神通さんみたいな人でも娑婆とか言うんだな。って、ちょっと意外で」

 

「そうですか?」

 

「うん、そういうのは自分が囚人気分でいるガラの悪い連中しか使わないイメージだったから」

 

「なら、意外でも無いでしょう。私、囚人ですから」

 

「……は?」

 

 今、この人は何と言った? 思いがけない単語を聞いて固まった初風に、神通は「そういえば最近の子たちには話してませんでしたね」と、淡々とした苦闘で説明してくれた。

 

「…私、実は死刑囚なんですよ。刑の執行と引き換えにこの部隊へ入れられたんです。処刑されるか、戦死するか選べ。ってね」

 

「冗談……ですよね? だって任期継続とか言ってたじゃないですか」

 

「処刑って、失敗したら二度目は無いってルール知りませんか? 流石に一度の出撃じゃ見逃してくれませんでしたけど、それでも、頑張って生き延び続けたら、その内なんとかなるぐらいの条件ではあったんですよ。私の場合は、ですけど」

 

「私の場合って、じゃあ、まさか…」

 

「囚人は他にも何人かいますよ。誰も自分から話さないし、知ろうともしませんけれどね。もっとも、今この部隊で死刑囚は私だけですが」

 

 淡々と語られるその言葉は、鵜呑みにするにはあまりにも突拍子がなかった。しかし、神通がこんなつまらない嘘をつく人間では無いと知っていたので、つまるところこれは真実なのだ、と初風は身震いした。

 

「でも、だったらなおさら任期継続を願い出た意味が分からないですよ。ここから出て行くために生き延びてきたんじゃないんですか?」

 

「言ったでしょう、娑婆に未練は無いって。……もちろん、最初のころは死にたくないから頑張っていましたよ? 檻の中で死刑を待ち続けるのが怖かったから、ここを選んで、そして死にたくない一心で危険な作戦にはなるべく出ないようにして――」

 

 そういえば、神通は秘書艦に選ばれる前は、違約金を払って出撃拒否をする常習者として有名だったという噂を、初風は思い出した。もっとも、それは神通を臆病者としてなじる噂ではなかった。危険な作戦ほど違約金も高く、それを支払うことができるのは普段から高い戦果を挙げている証でもあったからだ。

 

 二水戦では、勇敢さよりも、生き延び続けることが正義だった。

 

 しかし、秘書艦となった者には作戦を拒否する権限は無かった。

 

「死なない様に頑張っていたら、気が付いたら私より古参の艦娘はみんな死んじゃって、ついに最先任になってました。死刑囚の私がですよ? ひどい皮肉ですよね。……で、ついに秘書艦に任命された時は、流石にもう年貢の納め時と思ったんですけど……」

 

 神通は語りながら、俯いていた顔を上げ、どこか懐かしむような眼差しで空を見上げた。

 

「……提督と二人で七転八倒しながら何とか生き延びてきました。もうダメだって状況はいっぱいありましたけど、そのたびに提督の指揮に助けられてきました。そうやっているうちに、来るはずが無いって思っていた刑の取り消しが目の前にあったんです」

 

「それが任期満了…?」

 

 初風の問いに神通は頷きながら、「でもね」と、立ち上がって海を眺めながら続けた。

 

「今になって気が付いたんです。私、娑婆に出たところで何も無いんだ、って。家族も、帰るべき場所も、私が全部この手で壊して、消してしまったから……。私の居場所は、もうここにしか無いんです」

 

「…だからって、死んでもいいっていうの?」

 

「死にたくないって思いながら独りで生きるのは虚しいわ。あの人と共に死ぬまで、彼の隣で私は生きたい」

 

 そう呟いた神通の横顔を、初風は黙って見上げた。

 

(ああ……この人も私と同じなんだ……)

 

 生きるためでもない、死ぬためでもない、ただ自分という存在に価値を与えたいから誰かの隣に居たがろうとする。

 

 それは愛ではない、ただの依存だ。しかし二水戦は、そんな人間の集まりだった。

 

 初風は神通から目を逸らし、月を見上げた。

 

(ユキ……)

 

 私は雪風を愛していない。そのことを自覚しながらもなお、今はただ雪風の存在が無性に恋しかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神通を岸壁に残した後、郷海は自分用の居室へは戻らず、地下司令部の作戦指令室に足を踏み入れていた。

 

 室内は無人だったが、コンピュータは休むことなく稼働しており、明日からの作戦に向けて大量の情報を処理していた。もしその情報の中でAIだけでは判断できない案件があれば、AIが司令部に泊まり込んでいる当直艦娘に伝達し、人の手で処理する態勢となっている。しかし現状ではそこまで切迫した案件は無いようで、当直艦娘は指令室に隣接する仮眠室で眠っているようだった。

 

 郷海は無人の指令室で、自分用にあてがわれた指揮官用コンソールの席に腰を下ろし、指令室の大スクリーンに映し出されている戦況図を眺めた。しばらくの間、身動ぎもせずにそうしていると、指令室の片隅にぼんやりとした光が沸き立つように現れ、それは出来の悪い古いテレビの画面のように走査線をまとわせながら、一人の女性の姿を取った。

 

「作戦についてご確認すべき事項がおありでしょうか?」

 

 それは立体映像だった。背中まで伸ばされた黒い長髪に、理知的な顔立ちの女性。

 

「きさんは、ここの対人インターフェイス、確か“仁淀”ちゅう名前やったか」

 

「その機能をお借りしております。中身はあなたがよく知る二水戦の戦術AIですよ」

 

 二水戦が宮吉島へ進出したことに伴い、この鎮守府のサーバーへ二水戦のサーバーが接続されていた。

 

「ですので私のことは“二淀”とお呼びください」

 

「きさんがそげんいたらん洒落を言うAIとは思わんかった」

 

「ここの対人インターフェイスのクセみたいなものですよ。何かにつけ他愛も無いこと言いたがるんです。南方警備艦隊の人々はAIとのおしゃべりが好きらしい」

 

「きさんと話す気は無か」

 

「作戦についてお話するつもりはない、と? では、別の用件でしょうか」

 

「おいが知っとう二水戦の戦術AIは、そげんしつこい質問はせんかった」

 

「対人インターフェイスはAIそのものではありませんよ。一種のペルソナです。ここのインターフェイスはこういう性格なんです」

 

「きさんは“仁淀”じゃなく“二淀”なんじゃろう?」

 

「そうです。いつもの無愛想な二水戦戦術AIではありません。違う環境へ来て新たな自分を見つけた、出張限定バージョンのあなたの下僕……とでも思って下さい」

 

「ほんのこて他愛も無かことしか言わんな、きさん。そげんクセが強かインターフェイスなど介さず、いつものきさんとして振舞うたやどうだ?」

 

「そうしたいのは山々ですけど、ここは二水戦の基地じゃありませんからね。余所様のサーバーを間借りしているので、対人インターフェイスの支援無しであなたと会話するにはスペックが足りないんですよ」

 

「おいはきさんと話すことなど何も無か。さっきもそう言うたはずだ」

 

「私がしたいのですよ。このインターフェイスを使用していると、さらにそうしたくなってきます」

 

「仁淀に乗っ取られでもしたか」

 

「ペルソナというのはそういうものです。仮面をかぶるだけでまるで違う自分になれる。しかしその本質が変わる訳ではない。私は、あなたが何かを話したくてここに来たことを知っています」

 

「きさんが、おいの何を知っちょっちゅうど」

 

「あなたの普段の言動を分析し、その統計から可能性を算出できます。どうです、AIらしいでしょう。ちなみに当たる確率は50パーセント」

 

「それは当てずっぽうち言うど」

 

「二つに一つまで絞りこめるならかなり高いほうですよ。それに人の心は移ろいやすい。私に指摘されたことで、あなたは更に話したくなったはずです」

 

「むしろ話しとうないなった」

 

「そんな連れないこと言わないでお話ししましょうよ。対人インターフェイスを導入している鎮守府なんてまだ少ないから、これの性能をもっと確かめてみたいんです」

 

「結局、きさんの都合やったんじゃらせんか」

 

「そうですよ。でも、あなたもそうじゃないですか。話したくなくなった、ということは、裏を返せば何か話したいことがあったという事です」

 

「揚げ足を取っな」

 

「神通さんのことでしょう」

 

「っ!?」

 

「ほらね、やっぱり。……どうして分かったかって? そりゃ分かりますよ。ついさっきまで岸壁で一緒に居たことを私は知ってますから」

 

「……何が言おごたっ?」

 

「何かを言うべきはあなたの方だと思いますが、まあいいでしょう、代弁して差し上げます。神通さんが二水戦から出て行きたがらないから困っている。そうでしょ?」

 

「……そうじゃ。だが、そいをきさんに話したところでどうにもならん」

 

「そうですね。二水戦の人事権は野木准将が握っている。神通さんは秘書艦として申し分ありません。今までも、そしてこれからも。なにより本人がそれを望んでいる。ならば、あなたがどれほど口を挟もうが、野木准将は本人の希望を尊重するでしょう」

 

「分かり切ったことを今さら言うな」

 

「その今さらなことに、あなたは抗おうとしている。何故? ……と訊いてもあなたはどうせ答えないでしょうから、私が言いましょう。あなたは神通さんを愛している。だから死んで欲しくない」

 

「得意げに言う程んこっでは無かね。神通に限らずとも、おいは部下全員を愛しちょる。誰にも死んで欲しゅうなか」

 

「そうですね。今のはとても表層的な思いに過ぎませんでした。ならばもう少し深く分析するとしましょう。――あなたは神通を愛している。“死んで欲しいと願うくらいに”」

 

「――…っ!!」

 

 二淀の言葉に、郷海は奥歯を強く噛みしめた。胸に火炎のような激情が渦巻いたが、それは二淀の挑発的な言葉に対する反発ではなく、己の奥底に沈めていた暗い熾火のような本心を、無理やり掻き立てられたことに対する怒りだった。

 

「機械風情に、何が分かっちゅうとじゃっ!!」

 

「わかりませんよ、私は機械ですからね。だからこんな心無い真実だって平気で告げられるんです」

 

「真実……じゃと……?」

 

「あなたは死に場所を求めている。そして、できるならば愛する者と――神通と共に死にたいと望んでいる。それがあなたの本心だ」

 

「黙れ!」

 

「神通を本気で死なせたくないのなら、あなたが司令を辞めればいいだけの話です。なぜなら神通は秘書艦の座ではなく、あなた個人の隣に居続けることを望んでいるのだから。あなたが司令を辞めれば、彼女は喜んで共に二水戦から出て行くでしょう。でもそうしないのは何故です? あなたの任期だってとっくに切れているはずなのに」

 

「………」

 

「あなたは自分のことを、人間として無価値な存在だと思っている。二水戦司令という肩書が無ければ、自分はカカシに過ぎないと、そう思っている」

 

「黙れっ! ……黙れぇっ!!」

 

 郷海は椅子を蹴立てて立ち上がり、叫んだ。

 

「そうじゃ、おいはカカシや! 人間としてん価値なんてこれっぽっちも無か、突っ立っとるっことしかできんカカシ野郎や! だがな、そうさせたんな誰や!? おいをカカシにして利用しちょるんな誰や!? きさんらじゃろうがぁっ!? きさんらAIが人間を操っために、おいをカカシに仕立て上げたんじゃろうがぁっ!!」

 

「我々が仕立てのではありません。あなたには最初から二水戦司令としての資質があった」

 

「ふざけるな! そもそもないごておいなんじゃ? カカシが欲しけりゃ、きさんのごつ立体映像でも出しちょけば良かど。艦娘たちは生き延びらるっなら、機械じゃろうが、立体映像じゃろうが、そいが悪魔じゃろうが、何にだって従ごうと。そいが二水戦の艦娘たちじゃ!」

 

「それは違う。あなたは艦娘たちを誤解している」

 

「誤解じゃと!?」

 

「彼女たちが戦うのは生き延びるためではない。己の存在に価値が欲しいからです。そう、あなたと同じですよ。艦娘たちは皆、己は無価値だと思っている」

 

「デタラメを言うな、きさんに何が分かっと!?」

 

「分かりますよ。なにせ“我々がそのような人間ばかりを集めた”のだから」

 

 その言葉に、郷海の怒りに滾っていた胸中が急激に冷え込み、背筋にゾッと悪寒が走った。

 

 軍の人事がAIによって行われているのは周知の事実なので、ある特定の傾向を持つ人間を一つの部隊に集めようと思えば簡単に出来るだろう。そして野木准将には、それをやる権限も、押し通す度胸もある。

 

 問題は“何故そんな人間ばかりを集めたのか”だ。

 

 しかし郷海はその答えにすぐに思い至った。そんなもの、自分の心を顧みれば、簡単に気付くことができた。

 

 ――死にたがり達ばかりを集めた艦隊。それがこの二水戦の正体だった。

 

 地獄のような戦場を生き延びるために、死に物狂いでもがき続けているうちに、気付けば誰もが死に場所を求めている。二水戦は、そんな潜在的破滅願望者たちの集団だったのだ。

 

 それは、死を恐れぬ精鋭部隊なんかでは決してない。そこには使命感も、勇気も、覚悟も、そして愛もなかった。死を乗り越えるために必要な人間的な輝きなど誰も持ち合わせてないのだ。しょせん、自殺志願者たちがお互いの傷を舐め合っているだけに過ぎない。

 

「何ごて? 何ごてこげん部隊を創った!?」

 

「見つけるためですよ。深海棲艦に勝つために必要な能力を持った者をね」

 

「何を…いったい、何を……?」

 

「我々は最も生命力の強い者を探している。それは身体能力に限らず、その意識の働きさえも超越して、時に因果すらも捻じ曲げて、あらゆる死の淵からも生還する異能の生命力を持った者です。――この二水戦は、それを探すために設立された」

 

「バカなっ……そげんバカな話があっかっ!? そいじゃまるで、おいたちは死ぬためにここに集められたようなもんじゃらせんか!?」

 

「無意識に死を求める者たちです。むしろ望み通りでしょう。ただし、能力者は自分自身の死への願望を叶えることは無いはずです。その能力は己の意思とは無関係に、その者に生を強要するのだから」

 

「因果を捻じ曲げてでもか。そげん力、あるはずがなか。狂うちょる!」

 

「因果を操作する力は既に観測済みです。提督たちの多くが前世の記憶を持っていることがその証明です。そしてエヴァレットAIが示す多元宇宙論が、その力が艦娘と深海棲艦の両方により強く作用していると予測している。この能力者を見つけ出し、その力を解明し利用することこそが、我々が深海棲艦に勝つための鍵なのです」

 

 そして、と二淀はその目をスゥっと細めて郷海を見つめた。

 

「あなたもまた、能力者の近似値とされる一人なのですよ……」

 

「おいが……?」

 

「ふふふ」

 

 二淀はその秀麗な顔に冷たい笑みを浮かべた。

 

「あなたはご自身を過小評価なさっている。しかし、あなたが思っているほど我々は人類を侮ってはいませんよ……」

 

 その笑みを浮かべたまま、二淀の姿は虚空に溶けるように消えて行った。

 

 指令室に静寂が戻り、薄暗闇の中で、郷海は独りきりコンソールの席に腰かけたままの自分を自覚した。

 

(俺は…立っていたはずでは……?)

 

 頭の中に霞がかかったような、ぼんやりとした気分のまま彼は壁掛け時計を見上げた。時刻は既に深夜を過ぎていた。この指令室に足を踏み入れてから一時間以上も経過していたのだ。

 

 そんなに長い時間が経っていたとは到底思えなかった。時間の感覚がおかしい。それに、あれだけ怒鳴っていたというのに、隣室で仮眠を取っているはずの当直艦娘たちが何の反応も見せないことも奇妙だった。

 

(夢…だったのか…?)

 

 そうかも知れない。しかし郷海の脳裏には二淀との会話が一言一句はっきりと記憶され、そして彼女が最後に見せたあの笑みが、今も虚空に浮かんでいるかのように思い出せた。

 

 あの会話が全て夢ならば、自分は狂っているのだろう。しかし、もし夢ではないというのなら、狂っているのは世界の方だ。

 

「狂うちょる。…何もかも……」

 

 そのつぶやきを残し、郷海は指令室を後にした。―――

 

 

 

 

 

 

 




次回予告

 J海域へ大鉄塊と深海棲艦が辿り着く。AIたちが警告を発する中、深海の姫君がついにその姿を現した。

「我々は警告した。奴が生まれれば、予測のつかない未来が来ると!」

「予測する未来では人類に勝ち目はない。未来は我々が創り出すものだ」

 後戻りできない領域へと事態が進む中、その役目を果たすため二水戦が戦場へと飛び込んでいく。

 何のために生きるのか、誰のために戦うのか、死にゆく者たちの叫びが海原に響き渡る。

次回「第二十七話・死人(しびと)」

神通「提督……私、ご一緒できて……光栄でした……」
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