第五話・守りたいもの
その日、隣国にもほど近い海域を、一隻の駆逐艦が単艦で哨戒を行っていた。
その駆逐艦の名は、初霜。
全長110メートル、排水量1700トン、一等駆逐初春型の四番艦である。
前甲板には二門の砲身を持つ対空用12.7センチ連装高角砲一基。その後ろに20ミリ連装機銃、そして三階建て構造の艦橋と櫓のようなマストから、甲板は一段下がり、そこに煙突型短SAM発射装置が二基と三連装SSSM発射装置二基、そしてさらに二基の20ミリ連装機銃が交互に搭載され、艦尾側に至ってもう一基ずつ20ミリ連装機銃と対空用12.7センチ連装高角砲が搭載されている。
この初霜を含む初春型は、前型である吹雪型よりも小型の船体でありながら、ほぼ同程度の武装を搭載する艦として建造された駆逐艦であった。
吹雪型とは排水量にして200トンの差があり、武装の差でいえば12.7センチ連装砲と三連装SSSM発射装置が吹雪型のそれぞれ三基から二基へと減らされているが、主砲が減らされた分、対空用機銃が増設され、さらにSSSMについても発射装置一基を撤去する代わりに次発装填装置が搭載されており、発射速度は落ちるものの装弾数自体は吹雪型の9発よりも多い12発へと増加している。
しかし、かようなまでに軽量化と重武装化を図った代償として、船体の安定性が悪化し、操艦性に非常に難のある艦となっていた。そのためこの初春型は四番艦の初霜で建造が打ち切られ、船体を再設計した有明型、そしてさらにそれを改良した白露型が開発されることになった。
現在、海軍では白露型からさらに発展した朝潮型、陽炎型、そして大型化した夕雲型に続き、さらに大型、対空兵装を充実させた2700トン級の秋月型が主流になりつつあり、その性能に追いつくため旧式艦である吹雪型や白露型も近代化改修を繰り返していた。
だが、初春型は小型重武装というコンセプトのために近代化改修に必要な拡張性が足りず、相対的に低性能のレッテルを張られつつあった。
言わばこの初霜は、一種の失敗作の烙印を押されてしまった艦である。
しかし終わりが見えない深海棲艦との長き戦いにおいて一隻でも多くの戦闘艦を必要とする現在の状況下、初春型のような艦と言えども、まだ第一線で使用され続けていた。
そんなある種の妥協の産物ともいえる駆逐艦の艦橋に、一人の少女が立っていた。
多目的スクリーンとアナログ計器が入り混じるその艦橋で、少女は誰にともなく声を発する。
「面舵。330度、宜候」
『面舵。330度、宜候』
少女の言葉を電子音が繰り返し、艦はひとりでに右へと回頭を始める。すぐに回頭は終了し、電子音がそれを報告する。
『宜候、330度』
「宜候」
少女は答えながら、目を前方の海上の景色に向けたまま、意識だけをジャイロコンパスに向け、艦が指示通りの方角に針路を取ったことを確認する。
それは一種のテレパシーにも似た機器操作だった。少女の意識は船体に搭載されたあらゆる機器と同期しており、少女はたった一人で、装置などに物理的に触れることなく、この艦全体を掌握、操艦することができた。
このように艦艇を単独で運用することができる能力を持った少女たちは、俗に“艦娘”と呼ばれていた。
その艦娘である少女だが、外見はひどく若かった。幼さを多分に残したその容姿は十代半ばを超えているようにはとても見えない。
だが、揺れる艦橋で微動だにせず背筋を伸ばして立つその姿には軍人としての威厳があり、海を見つめるその眼差しには年齢不相応の大人びた落ち着きと理性の光が宿っていた。
この少女は、自らが操る艦名と同じ『初霜』というコードネームを名乗っていた。というのも海軍では、艦娘と船体を両方まとめて一つの軍用艦艇として扱っているため、すなわちこの駆逐艦は操艦においても書類上においても彼女自身、初霜そのものなのである。
この少女が“艦娘”となるべく海軍へ志願したのは十四歳の事だった。
艦娘としての適格性は身体的特性によるところが大きく、またそれは十代の少女が最も適していた。
深海棲艦が出現する以前までは、このような“ほぼ若い女性しか使えない軍事兵器”の存在など倫理上到底認められるものではなく、実戦投入されることなく基礎研究だけが細々と続けられていた。だが深海棲艦との終わりの見えない戦いが続く現在、背に腹は代えられなくなった現状、世界の海軍では艦娘が急速に実戦へ投入され、今に至る。
初霜が志願した頃は、艦娘はすでに女性の憧れの職業の一つと数えられるくらい世間に認知されていた。初霜自身も志願動機は、幼少期から刷り込まれた漠然とした憧れでしかなかった。
戦場という危険地帯での任務ということもあって両親はあまり良い顔をしなかったが、兵器と戦術の進歩から深海棲艦による被害が減少していたこともあって、最終的には容認してくれた。
適性が認められ入隊した後は半年間の基礎教育を受け、そして“船体”を受領し、艦娘となった。
このとき彼女は「立花型駆逐五番艦・萩」と名乗っていた。全長100メートル、排水量1300トンの小型駆逐艦であり、主に基礎教育を終えた艦娘たちが練習航海用に使用する仮船体である。
しかし仮とはいえ操作方法は通常艦娘艦艇と同様であり、この船体を受容したことにより、彼女の肉体的成長と老化は停止した。
人間の艦娘化によって発現する奇妙な現象の数々を巷では通称“艦娘七不思議”と呼ぶが、その一つにこの「成長、老化が止まる」という現象がある。
原理は解明されていないが、今のところ他に副作用等は発症していないこと、船体との結びつきを解除すればまた成長と老化を再開するところから特に大きな問題になってはいない。それに彼女自身、もともと発育が遅かったところもあって、この当時から実年齢と外見に差異を生じていた。
一年間の練習航海を終え、正式に駆逐艦娘:初霜の名と船体を受け継いでから一年、いま彼女の実年齢は十六歳を超え、外見との差はさらに広くなりつつある。
もっとも、これは採用時期が早く基礎教育期間が短い駆逐艦娘全般に言えることであり、彼女自身、特に気に病んだことはなかった。旧式化しつつあるこの初春型の船体にしても、カタログスペック上はともかく、癖のある操艦性に慣れてしまえばむしろ小型艦故に他の駆逐艦にはない運動性能を発揮でき、結構気に入っていた。
しかし多少の問題はある。小型重武装ゆえに波に対し揺れが酷いのだ。
もともと初霜は船酔いしやすい性質だった。それなのによく艦娘を志願したものだと彼女自身も時折、自虐的に思うこともあった。
しかし、そもそも入隊前は船に乗ったことがなく、そして自分が船酔いしやすい体質だったと気づいたのは教育期間中の乗船実習の事であったから仕方が無いと言えた。
それに、なによりも艦娘の適性条件に「船酔いしないこと」なんて項目はどこにも存在しなかった。
二週間にわたる乗船実習の最初の数日は時化に見舞われ、彼女だけではなく同期生たちは揃って酔いに苦しめられた。
だがこのとき指導についていた練習艦隊の艦娘をはじめとした教官たちは、そんなことお構いなしに新人たちをしごいてくれた。
「そう、気分悪いの。トイレはあっちよ、いっぱい吐いてきなさい」
酔い止め薬をもらおうとしたら、指導艦娘の香取から笑顔でそう言われた。
「薬は眠くなる成分が含まれているから、訓練中はできれば止めてほしいわね。大丈夫、吐けば楽になるわ。・・・え、もう吐くものがない? それはいけないわ。ちゃんとご飯を食べないと胃を痛めてしまうし、体力も落ちるのよ。ちなみに今日の夕飯は特製カツレツよ、いっぱい食べてね。うふふっ」
慈悲深い笑顔で無慈悲な現実を突き付けられ、新人たちは絶望しながらトイレへと駆けこんでいった。
当時の初霜もその一人で、そうやって時化の間中、船酔いと時化に苦しめられ続け、三日たってようやく天候が回復したころには、もう海上勤務は絶対に無理だと思うほどになっていた。
それから数日間は穏やかな天候が続いたが、訓練終盤を迎えて再び時化に見舞われた。
このとき、初霜たち訓練生は全員が、もう駄目だ、今度こそ死ぬ、と覚悟したが、ところがいざ揺れだしてみると、意外と平気な自分がいた。
艦橋にある計器で揺れを計測してみれば訓練初期の時化と同じくらいに揺れているのだが、不思議と堪えることができた。
「一度酷い揺れを経験するとね、三半規管がマヒするの」
と、別の指導艦娘だった白雪は言った。
「経験は力なり、よ。どんなことでも、そう。訓練も、実戦も、人生も、めいっぱい辛い目を一度くらい経験すれば、大概の苦難は乗り越えられるわ」
その話を聞いたときは、船酔い程度で人生を語るなんて大げさなと思っていた。つい先日までその船酔いで絶望していたことなど忘れるくらい、もう水上生活に身体が慣れていた。
しかし、苦難を経験して強くなるというのは確かに一つの真理であり、軍隊の訓練というのは正にその為にあると言っても良かった。もっとも訓練としての苦難は強さに代わるよう人為的に調整されたものであるが・・・
では、これが現実の、実戦での、予期しない事故であったなら、それは人にどのような影響をもたらすのであろうか。
初霜はこの単艦哨戒任務で、それを経験することになる。
今、初霜が航行する海域は近傍の大陸国家にも近い海域だった。彼女は、本国と大陸を結ぶ通商航路から外れた海域で、その船と遭遇した。
全長は初霜の半分程度、約50メートルの貨物船だった。
かなり古い船であり、遠目からでも船体のペンキが剥げ、多くの錆が浮いているのが見て取れる。船体の後部に船橋があり、そこから前方部には長方形のコンテナが複数積載されていた。船首近くの横側には船名らしき漢字の文字列が表記されていたが、素人の手書きなのか文字が酷く歪で読み取ることができない。船尾側には船籍を示す国旗が掲げられていた。それは我が国の国旗だったが、こちらもボロ布のような有様だった。
初霜はその船を警戒した。
航路から大きく外れた、普段滅多に船が通らない海域を航行する、船名も定かではない古い船。どこかしら怪しさを感じさせるが、初霜が警戒した理由は、それとは別の、もっと単純な理由だった。
その貨物船は、初霜の左斜め前方から、彼女の進路上を横切るように航行していた。しかもお互いの速力と距離の関係から、このまま進めば初霜と貨物船の進路が交わる場所でちょうど衝突する恐れがあった。
広大な海上でも、船同士が衝突する事故は意外と多い。
陸上の道路のように信号があるわけでもないため、船同士が衝突の危険に陥った場合、どちらかの船が針路を変えるよう、明確なルールが国際法で取り決められていた。
ちなみに現在のように互いの針路が交わって衝突の危険が発生した場合、相手の船を右前方に見る船が針路を変える義務を負っていた。つまり貨物船が初霜を避けなければならないのだ。
しかし、貨物船には一向に変針する気配がない。互いの距離が接近し、初霜は危機感を覚えた。
国際法上、初霜は相手が避けやすいように、現在の針路速力を維持する義務があった。つまりあの貨物船がまだ変針しないからと言って、勝手に避けてはいけないのだ。初霜が回避動作を行うためには、まずお互いの航船意図を明確にする必要がある。
初霜はそのために国際無線で呼びかけを行うことにした。
相手の船名が読めないので、その外見的特徴を盛り込んで、複数の言語を使って呼びかける。
しかし、応答がない。
数回繰り返しても反応が無く、その間にさらに距離が詰まってきたので、初霜は汽笛を吹鳴した。短く五回。相手の航船意図を問う疑問信号である。吹鳴しながら、外部の監視カメラを貨物船の船橋に向け、望遠映像で内部の様子を観察する。
すると、船橋の窓ガラス越しに人影が動いたのが見えた。続いて右ウィングに一人の男が慌てて飛び出してくる。薄汚れたシャツにジーンズ姿の男は、初霜を認めると、すぐに中へ引き返していった。
男のその様子を見て、まるで寝起きを起こされたかのようだ、と初霜は感じた。おそらくそうなのだろう。居眠り運転だ。艦娘のようにサポートAIが搭載されていない船舶での居眠りは致命的な事故を招く。
しかし何はともあれ、相手は目を覚まし初霜を認識した。幸いにしてまだ避航動作を取るだけの距離的余裕はあった。あとは相手の貨物船が避けるのを注意しつつ見守るだけだ。
そう思っていた初霜は、突然、けたたましい警告音を聞いた。この警告音は衝突警報だ。
警報に続きサポートAIが、貨物船が増速したことを告げた。それは航行ルールを無視した信じがたい危険行為だった。
「両舷停止! 両舷後進いっぱい、急げ!」
初霜の指示によりスクリューの可変ピッチプロペラが角度を逆に変える。推進力が前進から後進に代わり、初霜の船体に急制動がかかった。
速力を急激に落とした初霜の艦首すれすれを、貨物船が波しぶきと黒煙を上げながら横切って行く。
その船影が左から右へと抜けていき、行き過ぎたところで、艦橋内に鳴り響いていた警報もようやく止んだ。
初霜は安堵のため息をつき、そして船体が前進を止めて後進を始めたことに気づき、慌てて両舷停止を命じた。可変ピッチが中立になり、スクリューは回転したまま推進力を失う。
初霜は船体を停止漂泊状態にしたまま右ウィングに出て、煙突から大量の黒煙を吹き出しながら遠ざかっていく貨物船を眺めた。
あの貨物船に対する怒りはなかった。むしろ初めて経験した衝突の危機と、それを何とか避けた安堵感、そしてあの貨物船の不審な行動に対する疑問の方が大きかった。
(なぜ、増速を・・・?)
寝起きで判断を誤ったにしても、普通は速力を落とすか舵を切るものだ。自動車の居眠り運転のようにアクセルとブレーキを踏み違えるというのは、船の構造上、ありえない。船は操舵と速力制御が明確に分かれており、一人用の小型船でもない限り、それぞれを操舵員と機関員が分担して操船している。
つまりあの貨物船が増速したということは、ウィングに出た男(おそらく操船担当者)が機関員に指示したわけであり、極めて意図的な行為である可能性が高かった。
しかも、その速力が尋常ではない。初霜が艦橋内に戻り水上レーダーを確認したところ、遠ざかっていく貨物船は現在30ノット近い速力を出していた。
深海棲艦の脅威が現れて以来、民間船も緊急避難を可能とすべく緊急時には30ノット以上の高速航行を行えるものが多かった。しかしそれは経済性を無視した一時的な能力である。普通の商船は脅威からの逃亡時にしか使わない。
ということはだ、つまりあの貨物船は初霜を脅威と捉えたわけだ。
初霜自身は危害を加えるつもりも誤解を与えたとも思わない。だとすれば、あの貨物船は何らかの不法行為に従事していた可能性が高い、と初霜は結論付けた。人目につかない海域で油断していたところに軍用艦艇と遭遇し、動転したのだろう。
初霜は追跡を決意した。
「面舵、第一戦速!」
船体の針路を貨物船に向け、加速を開始。同時に司令部へ通信をつなぎ、状況を報告する。
司令部からの命令は、
『今すぐにその不審船を停止させよ』
だった。
その指示に初霜は戸惑う。警備艦隊の任務は深海棲艦の脅威を排除することであり、不審船への臨検や海上犯罪を取り締まる権限を有していない。それを行うのは別組織の海上保安隊である。初霜はあくまで保安隊の巡視艇が到着するまで追尾監視を続けるつもりでいただけだ。
だが司令部は停船させろという。これは越権行為の可能性があった。
「海上保安隊よりも先に、不審船を確保せよ。ということですか?」
問い直した初霜に、司令は『違う』と答えた。
『俺の言い方が悪かったな。正確には、停めるか、もしくは針路を変更させろ。今さっき深海棲艦が出現したとの通報があったんだ。不審船の逃亡先が、まさにその現場だ』
なるほど、そういう理由かと初霜は納得し、同時に事の重大性にも気づいて胃を締め付けられるような感覚を味わった。
つまり、これから深海棲艦との戦いが待ち受けているのだ。初霜にとって初の実戦だった。
『今、他の艦娘をそちらに急行させている。深海棲艦との戦闘は僚艦に任せて、お前はとにかく不審船を現場海域から遠ざけるんだ。いいな』
「りょ、了解です」
初霜は機関を最大戦速まで引き上げる。
しかし、不審貨物船との距離は一向に縮まらなかった。水上レーダーで確認すると、貨物船の速度はさらに上がり、35ノットにまで達していた。初霜の最高速が33ノットまでなので、これでは追いつくどころか引き離されていく一方だった。
初霜は水平線に向けてどんどん小さくなっていく貨物船の影を見ながら、国際無線で必死に呼びかけた。
「こちらは海軍警備艦隊、駆逐艦・初霜です。貴船は深海棲艦の出現予測海域へ向けて進んでいます。危険ですので即刻、停止、もしくは針路を変更して下さい! 繰り返します!」
しかし応答は無い。サポートAIが初霜の言葉を数か国語に自動翻訳して繰り返すが、相手はそれでも逃走を続けていた。
初霜の言葉を臨検するための方便だと疑っているのだろうか。それとも国際無線そのものを搭載していないのか。どちらにせよ相手に止まる気が無いのは明らかであり、そしてこのままでは深海棲艦に襲われてしまうことは確実だった。
不審船とは言え、深海棲艦を前にすればそれは守るべき対象に違いはない。初霜自身、その考えを疑う気はなく、むしろ軍人として新人であるがゆえに、その使命感は純粋ですらあった。
その使命感を持って初霜は必死に呼びかけと追跡を行っていたが、彼女のその努力もむなしく貨物船は煙突からの排気煙を残し水平線の向こうへと消えていった。まだ水上レーダーにはその影が映っていたが、このままではもう止める術はない。
懊悩する初霜だったが、不意に、レーダー画面上での貨物船の動きに変化が現れたことに気が付いた。
貨物船の速力が35ノットから33ノットに落ちている。逃げ切ったと思って速度を落としたのだろうか。
いや、違う。と初霜は視線をレーダーから水平線上に戻しながら思った。貨物船が吹き上げていた黒い排気煙が、その量をさらに増して立ち上っているのが見えた。
おそらく機関に負荷を掛けすぎたのだろう。軍事用の特製機関でさえ高速航行の負荷は無視できないほど大きいのに、それを超える速力に民生品――そしてあれはきっと違法改造の類だ――が耐えきれるはずがない。
初霜のその考えは正しかったらしく、貨物船の速力は見る間に落ちていき、ついには停止した。
初霜はそれを確認して安堵のため息をつきかけたが、すぐに、このままでは深海棲艦のいい的になると気が付いた。
深海棲艦は故障した船を優先して狙う傾向がある。それも人が乗っている船を、だ。
かつて廃棄寸前の船を自動操縦で同行させ、襲撃にあった際には能動的に故障させるという囮戦法が考案されたこともあったが、深海棲艦は無人船には見向きもしなかったために失敗した。深海棲艦の敵意が人間そのものへ向いていると判明したのは、この失敗の経緯によるものだ。
この事実は船舶の省力化、無人化を進めるきっかけともなった。その省力化の極限ともいえるのが艦娘という存在だ。
しかしそんな改装が可能なのは国家組織か大企業のバックアップを受けられる船舶に限られ、大半の船が未だに従来型なのが現状だ。深海棲艦が出現する前から就航し続けている船もザラにある。
そんな船にはせめてもの手段として、従来の救命筏に代わり、小型高速艇が搭載されるようになっていた。深海棲艦の襲撃に遭遇した際には、鈍足な船を捨ててこれで逃げるのだ。
もっとも、深海棲艦の主目的が人間であるとはいえ、放棄した船が必ずしも無事という保証もなかったため、船員たちの多くは未だに船を捨てることに抵抗感を抱いていた。
むしろ深海棲艦の脅威が顕在化してからというもの、船と運命を共にしたがる船員が増えてしまったくらいであり、船舶業界としては意識の向上を喜びつつも人的被害の増加に頭を悩ませていた。
海軍や海上保安隊も船を最後まで守ろうとする船員たちの救出に骨を折っているのだが、しかし、今回の不審貨物船に対しては、その心配をする必要はなさそうだった。
貨物船はまだ水平線近くにようやく影が見えた程度だったが、レーダー画面上では貨物船から小型目標が分離したのが認められた。おそらく脱出用の小型高速艇だろう。船員は早々に船を見捨てたようだった。問題はその高速艇でさらに逃走を図る可能性があることだ。
しかしその高速艇は貨物船から離れると、初霜から遠ざかるどころか、逆に反航態勢になり接近してきた。
(何故?)
初霜は望遠カメラを高速艇がいる方角へ向けた。ズームアップすると、船外機を積んだ4~5メートル程度の小型ボートに三人の男が乗り、初霜へ向けて大きく手を振っていた。
それは切羽詰まった必死な様子であり、まるで何かに追われているようである。
(まさか――!?)
初霜はカメラの角度を上げ、水平線上に向ける。
そこに、海上に立つ人影が見えた。
海面に直立不動が可能な存在は、二種類しかいない。艦娘か、軽巡級以上の人型深海棲艦。まして一万ヤード彼方においてはっきりと視認できる程の巨体である。
サポートAIが自動的に画像分析を実施。顔面を覆う白いのっぺりとした仮面と、左腕そのものが主砲化したその特徴的なシルエットから、相手の正体が判明する。
『深海棲艦・雷巡チ級』
その報告を受け、初霜は反射的に叫んでいた。
「敵艦、見ゆ!」
その宣言を受け、サポートAIが自動的に司令部との戦闘用回線を開きリアルタイムコンバットリンクを開始、現在の状況を司令部へ逐次送信する。
初霜は立て続けに「戦闘用意」を宣言する。
船体中枢コンピュータが戦術モードに移行し、FCS(火器管制システム)が起動、主砲及び煙突型発射筒に収められた短SAMと接続される。待機状態にある主砲の油圧モーターが起動し、弾薬庫から砲弾が給弾装置を使って装填を開始。同時に待機状態にあったメンテ妖精たちが全機起動し、各区画へと散っていく。妖精が配備についた区画から水密保持のため隔壁が閉鎖する。
初霜の身体感覚にも変化が訪れる。船体と艦娘のリンク能力が強化され、各種センサーの情報が直接、皮膚感覚へと変換される。両腕に主砲の重みが加わり、両足感覚は機関部と連動。足元に波を切る感覚が伝わってくる。
初霜の視界に各種カメラの光学情報及びレーダー探知情報が表示され、彼女は近づいてくる小型ボートに乗った男たちの姿をはっきりと見た。初霜はそちらに向かって舵を切りながら、数体のメンテ妖精を上甲板に上げ、右舷側に乗降用の縄梯子を用意させる。
縄梯子の準備が終わるまでに、初霜と小型ボート、そして水平線上から反航態勢で迫る深海棲艦との距離は縮まっていく。
レーダー上、初霜と小型ボートまでは約5000ヤード、停止した貨物船まで8000ヤード、深海棲艦・雷巡チ級までは一万ヤードある。しかし、雷巡チ級の装備する6インチ砲の最大射程は2万ヤードを超える。命中弾を得られる有効射程距離は推定7000ヤードだが、既に敵の攻撃可能範囲に踏み込んでいることに変わりはない。
初霜は右腕の感触から主砲が発砲可能状態にあることを確認する。しかし撃たなかった。船員たちを乗せた小型ボートが間近に迫っていたからだった。救助者の収容と戦闘を同時に実施することは、まだ経験の浅い彼女にとっては困難な話であった。
司令部も同様の判断を下したようで、すぐに指示が来た。
『要救助者の収容を最優先とし、速やかに撤退せよ』
「了解です」
初霜は小型ボートに近づき、後進をかけ速力を落とす。甲板上に待機させていた妖精に縄梯子の展開を指示。初霜はリンクレベルを落とし身体感覚を通常レベルに戻すと、艦橋の右ウィング出て身を乗り出した。
「あなた達を収容します。右舷側に横付けてください!」
初霜が外部拡声器と身振り手振りを交えてそれを伝えると、小型ボートはぶつかるくらいの勢いで横付けしてきた。三人の男たちは我先にと縄梯子に取りすがった。
そんな男たちに初霜は呼び掛ける。
「船員はこれで全員ですか!?」
男たちは波で揺れるボートから必死に縄梯子をよじ登りながら、初霜に向かって何かを叫び返した。外国語だ。サポートAIがすぐに翻訳機能を作動させ、同時通訳を開始。
「これで全員だ! 早く逃げろ!」
「了解」
初霜は艦橋内へ戻り、再びリンクレベルを上げる。チ級は彼方から接近を続けている。
しかし、初霜は疑念を抱く。
(おかしい、どうして・・・)
撃ってこないのか。既に有効射程内まで近づいている。だが敵は停止している初霜に砲口を向けようとすらしない。なら砲撃戦ではなく魚雷による雷撃戦を仕掛けるつもりなのか。チ級は雷巡と呼ばれるだけあって、強力な魚雷を大量に装備している。至近距離での打撃力は戦艦を優に上回るほどだ。
しかし雷撃戦を仕掛けるにしては敵の速力が遅く、針路もおかしい。高速でジグザグ航行しながら相手の砲撃をかわしつつ接近するのがそのセオリーだ。だがチ級は15ノット程度の巡航速度で、貨物船へ向かって針路を取っている。
そう、船員が初霜の方へ逃げてきているにも関わらず、無人のはずの貨物船を目指しているのだ。
深海棲艦は人間を狙う。無人船なら絶対襲われないわけではないが、囮用の船があっても、付近に有人船がある場合は間違いなく有人船への襲撃を優先する。その有人・無人の判断はほとんど超感覚としか言いようがない程確実であり、誤認することはまず無い。
初霜は再度ウィングに出て、男たちに向かって叫んだ。
「本当に、本当にこれで全員なんですか!? 船には誰も残っていないんですか!?」
男たちは三人目がメンテ妖精の手を借りてようやく甲板上に引き上げられたところだった。男たちは初霜に向かって、狂ったように「逃げろ、逃げろ」と繰り返した。
初霜は問いかけを諦め、面舵いっぱいで前進を開始した。船体が艦尾を振りつつ右回頭を開始。艦橋からは、放棄した貨物船と、それに接近するチ級の姿が見えなくなる。
初霜はFCSの一基をチ級に向け続け、その搭載カメラで動向の監視を続ける。船体が180度回頭を終え、機関最大戦速で離隔を開始。貨物船及びチ級との距離が開き始める。
チ級は逃げる初霜に目もくれず、ついに貨物船に到達した。そして100メートル近い身体をかがめ、貨物船に積まれていたコンテナの一つを掴みあげる。
チ級の顔面は白く平坦な仮面におおわれているが、口元は露わになっていた。その口が大きく開かれ、掴んだコンテナの端に噛みつき、引き千切る。
「え・・・?」
FCSカメラでそれを見ていた初霜は、その光景に言葉を失った。
噛み千切ったコンテナから、あるはずの無いものが見えていた。いや、居るはずの無い者、か。チ級が上を向き、顎を大きく開いてコンテナの中身を口腔内へ振り落とす。手足を振り回しながら、多数の人間が、コンテナから落ちていった。
コンテナには生きた人間が詰め込まれていた。あの男たちは、人間を運んでいたのだ。あの貨物船は密入国船だった。いま、チ級に貪り食われているのは不法移民たちだ。
「お、面舵いっぱい!!」
初霜は回頭を宣言。悲鳴のような絶叫だった。船体が再度急速回頭、右へ急旋回する遠心力で艦橋が左側へ大きく傾く。初霜は両腕を振り上げチ級に向ける。
「デジグFCS1、2、3。アサインマウント!」
FCS三基がチ級を捕捉、前後部の12.7センチ連装砲がFCSと連動し照準を定める。
初霜の突然の攻撃行動を察知した司令部から通信。
『初霜、どうした。何があった!?』
「貨物船に人が取り残されています!」
『なんだと!?』
「密入国船だったんです。コンテナにたくさん人が入れられていて――いま、目の前で食べられているんです!」
『食べ・・・ばかな!』
「助けないと。このままじゃ、みんな」
報告する初霜の言葉を、突如、銃声が遮った。
背後から飛来した銃弾が初霜のすぐ傍をかすめ、艦橋の防弾ガラスに当たって放射状のヒビを作る。
振り返った初霜が見たのは、艦橋内に侵入した三人の男たちの姿だった。
それぞれの手には拳銃がある。初霜は咄嗟にその場に伏せた。同時に男の一人が発砲し、銃弾が伏せた初霜の頭上を掠め、防弾ガラスに二つ目のヒビを作る。
「まだ殺すな!」
別の男が、撃った男にそう叫びながら、床に伏せた初霜に飛びかかってきた。初霜は俯せのまま男に馬乗りにされ、後頭部に拳銃を突き付けられた。
「いいか、クソガキ、さっさと逃げろ。言う通りにしないとお前を殺す」
『おい、今の銃声は何だ! それに、そこでしゃべっているのは誰だ!?』
艦橋内に響く司令の声に別の男が周囲を見渡し、マイクを見つけるとそれに向かって銃を撃った。司令の声が沈黙する。
またがった男が、再び初霜に命じる。
「早く針路を変えて、あの化け物から遠ざかるんだ」
「・・・嫌です」
押し倒され、銃を突き付けられたまま、それでも初霜はハッキリとそれを拒絶した。
次の瞬間、初霜は後頭部に重い衝撃を感じた。拳銃のグリップで殴りつけられたのだ。激しい痛みに意識が朦朧とする。
「殺すぞ。殺して、この船を乗っ取ってもいいんだ」
「そうしようぜ」
別の男が、舵輪のついた操舵装置を見ながら言った。
「たぶん、俺達でも動かせる。早く逃げよう」
三人目の男が、ウィングから外を見ながら言った。
「おい、大砲が化け物に向いているぞ。早く止めさせろ。どうせ勝てっこねえんだ!」
「大砲を下ろせ!」
男が初霜に命ずる。
初霜は痛みをこらえながら叫んだ。
「嫌だ!」
「くそったれ」
「どうして嘘をついたんですか!? まだあんなに人が残っているのに、どうして見捨てて逃げてきたんですかっ!?」
「黙れっ!?」
「私は助けます! あの人たちを守ります!」
初霜の強情な態度に、男の我慢がついに限界に達した。再び銃口が後頭部に押し付けられ、引き金に指がかかる。
そのとき、ウィングに出ていた男が悲鳴を上げた。回頭を終えた船体が貨物船を目指し最大戦速で近づきつつあり、チ級の様子も肉眼ではっきりと視認できるようになっていたのだった。
仲間の悲鳴に、初霜に伸し掛かっていた男も艦橋の窓の外に目を向ける。口元を大量の血で染めたチ級の姿をみて、男は凍り付いた。
そこに生じた一瞬のスキを突き、初霜は艦橋のすぐ外に待機させていたメンテ妖精たちを艦橋内へと飛び込ませた。
メンテ妖精たちは突入するや否やその形状をアメーバ状に変化させ、同時に修理用触手を展開し、男たちへと襲い掛かる。
男たちは妖精の体当たりと、さらに触手によって全身の動きを封じられた上、アメーバ状になったそのボディに包み込まれ、完全に拘束された。
自由の身になった初霜は、すぐさま立ち上がった。ぬるり、と首筋に生暖かいものが流れた感触がする。手で拭うと、べっとりと血塗られていた。殴られた時の傷だ。
しかし初霜は、自分の傷も、拘束した男たちにも目もくれず、チ級へと目を向けた。
チ級もまた、接近してくる初霜についに興味を向けたようだった。その口元も、手にしたコンテナも、足元の貨物船も、すべてが血に染まっていた。
(生存者は残っているの?)
チ級が主砲化した左腕を持ち上げ、初霜に向けた。
(私一人で、チ級に勝てるの? ・・・違う、勝たなきゃ、守らなきゃ!)
チ級が発砲。
「主砲、撃ち方はじめ!!」
轟音とともに、激しい水柱が初霜の目の前に吹き上がった。至近弾を受けながら、初霜は猛然と突撃した。
「私が、守ります!」
次の瞬間、初霜の視界が真っ赤に染まった――
次回予告
誰も救えなかった。
見殺しにした。
初霜の初陣は“人喰い雷巡事件”という海軍のスキャンダルとして人々に記憶されることとなった。
一方、南方警備艦隊は新司令・海尾の下で再編成されることが決定した。海尾の意向を無視するかのように、上層部はある艦娘の着任を強制する。
その艦娘とは・・・
次回「第六話・南方警備艦隊再編成」
「球磨に、那珂に、村雨、白雪・・・そして彼女。なるほど、これが交換条件というわけか」