艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第六話・南方警備艦隊再編成

 南方警備艦隊司令兼宮吉島鎮守府長官代行である海尾守大佐は、先日の空襲によって半壊した鎮守府庁舎の二階にある長官執務室で、ひび割れた窓から外の景色を眺めていた。

 

 春先の南の島は、例年ならとっくにまばゆい太陽と沸き立つ入道雲が空をコントラストに彩っている頃だったが、今年は冬の名残の寒気団が長く居座っているせいで鉛色の陰鬱な雲が頭上を覆っていた。

 

 その曇り空の下で、鎮守府敷地の正門の向こう側に、真っ赤な横断幕がひときわ目立つように張られていた。

 

 

【STOP!! 深海棲艦を呼び込む基地の再建を許すな!!】

 

 

 横断幕の周囲には戦国時代の合戦場さながらに大量ののぼりが乱立され、そこには

 

【戦争反対!】

 

 だの、

 

【基地は島から出ていけ】

 

 だの、

 

【過剰軍備を許すな!】

 

 だの、

 

【平和な島を取り戻せ】

 

 だの、威勢のいい言葉が並んでいる。

 

 世界が深海棲艦の脅威に晒されてから三十年。しかし実は、海上以外で直接的な被害を受けたという事例は少なかった。

 

 無論、島に暮らすものが海上航路を封鎖されて無事で済むはずがないのだが、そういった経済的な理由以外で、物理的な襲撃を受けた事例というのはそんなにない。

 

 そしてその数少ない襲撃というのは例外なく軍事艦艇を要する基地施設に限定されており、それさえも深海棲艦に対しアドバンテージを取れるようになった近年ではめったに見られなくなっていた。

 

 そんな時代にもなると、勢いこういう活動をする者たちも息を吹き返してくるものらしい。自称、平和を求める団体というのがここ最近やたらと増えてきた。

 

 彼らは深海棲艦が地上を攻撃するのは軍事基地があるためだと主張し、軍事基地がなければ攻撃されないと訴えていた。

 

 これは一応、事実に沿っているようで、しかし主客が転倒している。

 

 なるほど基地が無ければ深海棲艦も攻撃目標にしないだろう。攻撃するまでもなくその島は日干しにできるからだ。

 

 無抵抗、非暴力主義が通じるのは同じ人間だけであり、いや、人間でさえ通じる可能性は恐ろしく低い。通じたにしてもそれは、おびただしい流血を覚悟したものだ。よく誤解されがちだが、無抵抗、非暴力主義とは本来、不退転の覚悟を要する捨て身の戦法なのである。

 

 ならば、さて、あの正門の向かいに横断幕を張ってのぼりを掲げた者たちにその覚悟があるのだろうか。と、海尾は思う。

 

 まぁ、ないな。とコンマ五秒で結論を下す。

 

 あったとしても深海棲艦相手には無駄なことだ。奴らに人間の主義主張など関係ない。

 

 戦争?

 

 あの活動家たちは軍が深海棲艦と“戦争”をしていると本気で思っているのだろうか。

 

 確かに日夜軍事艦艇が海上を縦横無尽に走り回り、毎日何百発というミサイルと砲弾と魚雷が消費され、数限りない深海棲艦を海の藻屑にしている。しかし国家の正式見解としては、実は、これらは戦争行為ではない。

 

 なぜなら深海棲艦側から宣戦布告をされていないからだ。

 

 戦争の定義とは、武力を用いた政治目的の達成である。しかし深海棲艦にどのような目的があるのかは未だに判明せず、意思疎通手段さえ現状では不可能だ。分かっているのは、海上に存在する人間への執拗なまでの敵意のみ。

 

 これでは文字通り、お話にならない。戦争終結に向けた交渉が不可能なのだ。となればどちらかが滅ぶまで戦い続けるしかない。それは、もはや戦争とは呼べない。情け容赦ない生存闘争だ。

 

 その違いを理解している人間は意外と少ない。海尾自身、理屈ではわかっていても結局は目の前の敵を沈めることに違いはないので、だからどうした、という感じだ。

 

 海上航路の安全を脅かす脅威は排除する。それが任務だ。相手が深海棲艦かどうかは関係がないし、その過程で敵から反撃を食らうこともある。今回の空襲はその延長線上だったのだ。

 

 だから、あの横断幕だののぼりだのは本来、海のど真ん中にでも行って、深海棲艦に向かって見せつけてやるべきなのだ。なのに、なんだってこのボロボロの鎮守府に対してやってるのか。

 

 だがまあしかし、この国は民主主義国家であり、信条の自由と言論の自由がある。あれはその証明のような光景だと思えば、抗議活動の一つや二つくらい、どうでもいいかと無関心になることはできる。

 

 それに、横断幕やのぼりの勇ましい訴えに反して、正門付近は実に静かなものだった。

 

 時刻は午前十時。今日は平日。

 

 活動家たちは毎朝八時過ぎに集合すると、九時から三十分ほどデモを行った後は解散し、あとは見張りなのか場所取りなのか活動を継続しているという形ばかりのアピールなのか、二人の老人だけが残り、今は折り畳み式の机と椅子でもってのんびり将棋に興じている。他には誰もいない。

 

 いや、居た。正門の守衛が傍に立って勝負の行方を眺めていた。

 

 さて、どうしようかなと海尾は思案する。

 

 職務怠慢を目撃してしまった以上、この長官執務室から正門の詰所に電話をかけて注意すべきだろうか。

 

 彼はコンマ五秒だけ迷って、その案を却下した。面倒だし、意味がない。守衛も将棋に興じる老人も、どちらも島の住民だ。聞いた話では日当で一万五千ほど支給されているらしい。どちらが誰からとはあえて言わないが。

 

 そんな風に海尾が窓から外を眺めていると、背後から重いため息が聞こえてきた。

 

 振り返ると、秘書艦の叢雲が電卓を手に、大量の見積書を前にして、疲れた表情を見せていた。

 

「駄目だわ」

 

「駄目か」

 

 ため息混じりにつぶやいた叢雲の言葉に、海尾も力なく頷いた。

 

 鎮守府再建に必要な予算が不足していた。

 

「こうなったら、もう一度上にかけ合うしかないわね」

 

「既に二回もおかわりしているけどな」

 

「足りないものは足りないんだから仕方ないわよ。だいたい、ここ一週間で資材がこんなに値上がりするなんて想定外だわ」

 

 そう。ここ最近、世界各地の海域で深海棲艦の活動が急激に活発化し、通商航路に大きな影響を与えていたのだ。

 

 世界有数の経済大国でありながら自国内に資源が乏しく、輸出入の九割以上を海上航路に頼る我が国にとってその影響は極めて大きかった。

 

 さらに辺鄙な離島であるこの地では、ただでさえ本土よりも二重三重の輸送コストが嵩むのに、そこに今回の通商航路の不安定化によって原材料価格まで跳ね上がってしまったのだ。その結果、鎮守府再建の資材どころか、島民の日用品まで不足し、急激なインフレ状態となっていた。

 

 しかも急激であるがゆえに海軍から降りた予算が実情を反映できず、二回の増額を得てもまだ足りないという事態に陥っていた。

 

 もっとも、予算が足りなくなった理由はインフレが全てというわけでもない。ほぼ壊滅状態になったこの島の鎮守府の再建を急ぐあまりに、見積もりが大雑把だったというのも要因の一つだ。

 

 だが急がせたのは上層部である。ならば俺は悪くない。と海尾は自分に言い聞かせた。

 

 しかし、そうやって開き直ってみても、三回目の増額要請が通るかどうかは未知数だった。

 

 なにしろ海軍全体の年間予算は決まっており、そしてインフレに苦しむ鎮守府は何もここだけに限らない。二回目の増額要請の時でさえ、請求元の後方支援本部への電話は常に話し中でなかなか繋がらなかった。

 

 そしてようやく繋がった後は、それこそ戦争だった。武力を用いた政治目的の達成である。

 

 互いに言葉という武器を使い、宥め賺して褒めて煽てて懇願した挙句に恫喝した。

 

 母港が再建できずにどう戦えというのだ、この海域が深海棲艦の手に落ちたら貴様のせいだぞ。と、武力(の損失)を背景にこちらの目的を押し通したのだから、立派な戦争行為といえる。

 

「というか、次はホントに戦争になるかもしれん」

 

「昔、軍の誰かが言ったわ。我々は主力を持って業務に当たり、余力を持って敵と相対する。って」

 

「ブラックジョークは真実を含むから笑えないんだ。次は恫喝で済まないかもな。予算担当から訴えられてもおかしくない。なあ叢雲、そのときは弁護してくれるか?」

 

「できる限り努力するわ。駄目だったら差し入れくらい持って行ってあげる。そして、あんたがこの鎮守府再建のために人柱になった事を語り継いでいくわ」

 

「・・・ありがとよ」

 

「どういたしまして」

 

「皮肉で言ったんだ」

 

「あんたのことは忘れないわ」

 

 そう言って優しくほほ笑んだ叢雲は、悔しいが魅力的だと海尾は認めざるを得なかった。

 

 海尾はやれやれとため息をついて、そして覚悟を決めて受話器に手を伸ばした。

 

 と、その手が受話器に触れるよりも先に、電話が鳴りだした。

 

「はい、こちら南方警備艦隊司令部」海尾は慌てて咳払いする。「ではなく、鎮守府長官執務室、長官代行の海尾大佐です。・・・はい? いや、警備艦隊司令も兼任してるから思わず・・・え?」

 

 なんだか要領を得ない応答に、叢雲が秘書艦席からいぶかしげな視線を向ける。

 

 海尾は突然、立ち上がった。

 

「し、失礼しました。司令長官殿!」

 

 通話相手の意外な正体に、叢雲も秘書艦席から立ちあがって、海尾の傍に寄った。

 

「はい・・・はい・・・ええ、予算の件は確かに厳しい状況で・・・はぁ、正直に言ってよろしいんですか? 足りません。全然、足りません」

 

 どうやら用件は再建予算についてらしい。しかしなぜ司令長官が? と叢雲は疑問に思う。

 

 警備艦隊を要する艦隊司令部と、予算を管理する後方支援本部は、同じ海軍総隊内に並列しており、指揮系統は別々だ。

 

 尚、鎮守府長官は本来、この後方支援本部に属しており、海尾は人手不足による臨時的処置で長官代行を務めているに過ぎない。

 

 つまり鎮守府の予算問題について、司令長官がどうこう出来る権限は無いはずだった。海尾とて、長官代行に任じられていなければ再建予算に頭を悩ますこともなかった。

 

 不思議に思いつつ見守る叢雲の前で、海尾は「え!?」と驚きの声を上げた。

 

「鎮守府再建の予算増額交渉をやって下さるのですか!?」

 

 司令長官の意外な申し出に、海尾と叢雲は互いに顔を見合わせた。

 

 これは思わぬ救いの手だ。しかし、

 

(叢雲、どう思う?)

 

(怪しいわ。絶対に裏があるに決まってる)

 

(だろうな)

 

 素早くアイコンタクトを交わし、海尾は改めて受話器を握り直した。

 

「長官、それはありがたい申し出ですが、失礼ながら鎮守府の予算問題は、艦隊司令部にとって畑違いのはずです。理由をお聞かせ願いますか?」

 

 質問しながら、海尾は密かに電話機のスピーカー機能のスイッチを入れた。

 

『理由は三つある』と、司令長官の声が部屋に響き渡った。『一つは言うまでもなく、鎮守府の再建と警備艦隊の再編成を急がねばならんからだ。特に最近の深海棲艦の活発化は由々しき事態であり、南方警備艦隊も早く戦列復帰してもらわなければ困る。わかるな?』

 

「無論です」

 

『二つ目の理由は、警備艦隊の再編に邁進すべき君が、本来の業務を離れて鎮守府長官代行業務に忙殺されていることだ。そもそも君の代行就任は、後方支援本部側の人手不足に原因がある。替えの居ない連中の無理を聞いてやって、君を兼業にしたのだ。この一件だけでも後方支援本部には大きな貸しがある。こちらの要請を断ることはできんよ』

 

 なるほど、自分の代行就任はそんな事情だったのか。と、海尾は司令長官の言葉の裏を読んだ。

 

 人手不足は表向きの理由で、実際は、艦隊司令部が後方支援本部と交渉するための布石だったわけだ。

 

 しかし、その布石をわざわざ本人のために使ってくれる、本当の意味とは何だろう。

 

『三つ目の理由だが、取り急ぎ、君の艦隊に編入される五人の艦娘が決定した。君にはこれを受けてもらう』

 

 それを聞いて、海尾は思わず顔をしかめた。傍らの叢雲も、聞こえないようにため息を漏らす。つまりこれが予算増額の本当の理由で、交換条件ということだ。

 

「司令長官、失礼ながらお聞きします。これに関しては“検討”では無いのですね?」

 

『頭ごなしに命令して欲しいかね?』

 

「失言でした。申し訳ございません」

 

 命令となれば予算増額も何もあったものではない。海尾は受けざるを得なかった。

 

『着任は早い者で明後日の予定だ。資料を送信しておいたから目を通しておくように。以上だ』

 

「ありがとうございます」

 

 海尾は苦虫をかみつぶしたような表情でそう言うと、受話器を置いた。

 

「一難去って、また一難だな」

 

 海尾の愚痴に、叢雲も肩をすくめた。

 

「艦隊司令部がわざわざ熨斗付きで送ってくるなんて、いったいどんな連中かしらね」

 

「とりあえずリストを見てみるか。・・・仁淀、居るか」

 

 海尾がどこへともなしにその名を及ぶと、今まで誰もいなかった部屋の一角に、一人の女性が“出現”した。

 

「お呼びですか、司令・・・あ、この部屋では長官代行でしたね」

 

 そう言ってニコリとほほ笑むその姿は人間そのものだが、実態は鎮守府の地下深くに設置されたスーパーコンピューターに宿る業務支援用プログラム「UN=A」であり、この姿は業務遂行を円滑に行うための対人インターフェイスによる立体映像だった。

 

「別に訂正しなくていい。用件は警備艦隊司令としての仕事の方だ。今、司令長官からウチ宛に、新着任する艦娘たちの資料を送ったとの連絡があった。受信しているか?」

 

「それでしたら、ちょうどいま届いたところです。ご覧になりますか?」

 

「ああ」

 

 では。と仁淀は、自身と同じく立体映像を使って五人分の人事資料を表示した。

 

 海尾はA4判に縮小表示された資料をざっと眺める。

 

 艦種は、軽巡洋艦娘が二人と、駆逐艦娘が三人だった。

 

「右上端がタッチパネルになってますので、そこで拡大表示できますよ」

 

 と仁淀に促され、海尾は軽巡娘の一人の資料を拡大表示させた。

 

 

【球磨型軽巡一番艦・球磨】

 

 

 球磨型といえば現在海軍で運用されている軽巡級でも旧式の部類だ。そのネームシップともなれば、艦齢もかなり古い。

 

 性能諸元は、全長162メートル、排水量5500トンの船体に、14センチ単装砲五基と、二連装SSSM発射装置二基、煙突型短SAM発射装置三基を搭載する他、軽巡の大きな特徴でもある無人偵察機を一機搭載している。

 

 そしてその艦娘である「球磨」は、写真を見る限りでは、叢雲よりもやや年上のような印象を受けた。しかしこれは巡洋艦が無人機を運用するため、その分だけ駆逐艦娘よりも基礎教育期間が長く、それゆえに起きる現象だった。

 

 ちなみに彼女自身の経歴を見てみると、かなりのベテランであることが伺いしれた。普通、艦齢の古い船体は幾人もの艦娘によって受け継がれているものだが、彼女はまだ“二代目”だった。艦娘としての戦歴は十年以上に及ぶ。叢雲といい勝負だ。

 

 前所属は遠征護衛艦隊。これは特定の海域を哨戒する警備艦隊とは違い、輸送船団を護衛しながら長距離航海を行うことを主任務とする艦隊だった。

 

 この艦隊は主に航続能力に優れる軽巡で構成されていた。しかし艦娘は省力化を突き詰めた結果、単独での長期間の航海が難しいという短所を抱えている。そのためこの艦隊は、艦娘と通常艦艇が入り混じって編成されていた。

 

 球磨はこの艦隊で、艦娘にとっては負担の大きい長距離船団護衛に長らく従事し、北方海域から南方海域に至るまで幅広く行動していた。その間、護衛する船団に目立った被害を出しておらず、ある一点を除けば、かなり優秀な人材といえた。

 

 そう、ある一点を除けば。

 

 それは、前所属の司令が記した人物概評の一文だった。

 

 

【技量、勤務成績ともに優秀。船団護衛に関する経験及び知識も豊富である。ただし、一人称と語尾がクマ】

 

 

「・・・・・・」

 

 一読して、何を言っているのかわからなかったので、もう一度読み直してみた。

 

 

【ただし、一人称と語尾がクマ】

 

 

 うん、やはり意味がわからない。一人称が自分のコードネームというのはまだわかる気がするが、語尾がクマとか、なんだそれ。

 

 海尾は少し想像力を巡らして、もしこの球磨が自己紹介をしたらどんなことになるのかを考えてみた。

 

 

--球磨は球磨型軽巡一番艦、球磨だクマ~

 

 

 こうなるわけか。クマという単語がゲシュタルト崩壊を起こしかねない気がして、海尾は奇妙な戦慄を味わった。

 

 とりあえず気を取り直し、海尾は次の軽巡艦娘の資料を拡大表示する。

 

 

【川内型軽巡三番艦・那珂】

 

 

「げえっ、那珂ちゃん!?」

 

 思わず変な声が出た。

 

 那珂、といえば今や海軍内で――いや、民間にまでその名を轟かす艦隊のアイドルだ。その知名度は圧倒的で、彼女と面識もなくファンですらない海尾でさえが思わず「ちゃん」付けで呼んでしまうほどである。

 

 海軍の決戦兵器たる某最新鋭巨大戦艦や、世界七大戦艦の一隻、そして練習艦隊の女王の異名を持つ香取の妹など、国民的認知度と人気が高い艦娘は数あるが、「那珂ちゃん」はそれらに匹敵する・・・いや、その草分けにして独自の地位を築いた艦娘だった。

 

 そもそも軽巡・那珂は、球磨型に始まる5500トン級の最終建造艦だが、性能的に球磨とそこまで大差は無い。せいぜいSSSM発射管が二連装二基から四連装二基へ、そして煙突型短SAM発射装置が三基から四基へ増設されたぐらいである。

 

 したがって、大和や長門のように兵器としての評価が高いわけでもなく、また軽巡という艦艇自体、現在の海軍の主力艦艇として建造数が最も多い(通常艦艇は全て軽巡級である)ため、平凡な存在である。

 

 だが、艦娘本人が平凡とは程遠かった。資料に付随する写真を見るだけで、それはハッキリと分かった。

 

 外見は球磨と同程度の十代後半から二十歳程度。だが右斜め四十五度からのテヘペロウィンクポーズによって彼女はもう少し幼く見えた。海尾は写真から目を離し、疲れた目の周りを指で揉んだ。

 

 公的文書である人事資料の写真がなぜブロマイド調なのか。これを提出されたとき人事担当者は何も文句を言わなかったのか。もしかして那珂ちゃんのファンなのか。

 

 いや、考えてもしょうがない。「那珂ちゃん」とは今やそういう存在なのだ。

 

 当初はどこにでもいる、少し明るくて、笑顔がかわいい、活発さと人懐っこさが魅力的な少女だった。

 

 新人の頃、所属していた警備艦隊で駐留していた港町の住民たちと、その性格から積極的にかかわり、なかでも地元向けの広報イベントで開かれたカラオケ大会で優勝したことによりローカル的な人気を博した。

 

 この時の観客の一人が、撮影していた動画を投稿サイトへアップし、それがまた数日で数十万回も再生されたことにより、那珂はネット界隈と軍事ファンから「知る人ぞ知るご当地アイドル艦娘」としての知名度を得た。

 

 だがここまでは艦娘界隈ではよくある話だ。ネットが発達した今の世の中、どの艦娘でもいいからその名を検索してみれば、必ずと言っていいほど一定のファンが存在するのが伺い知れる。

 

 那珂に転機が訪れたのは、彼女が警備艦隊から遠征護衛艦隊へ転属になった時だった。

 

 遠征護衛艦隊は先にも言った通り長距離船団護衛を主任務とする艦隊である。艦隊は数十もの小部隊に分かれており、日夜、世界中の港へ船団を送り届けている。それは時に地方の小さな港でもあったりするため、遠征護衛艦隊は俗に「地方巡業艦隊」とも呼ばれていた。

 

 那珂はそこで真面目に任務を遂行した。

 

 明るさと人懐っこさから誤解されがちだが、根は非常に真面目な娘である。どんな任務も全力で取り組む努力家とも人事資料にしっかりと書いてある。そして民間人への広報活動は軍にとって重要な任務の一つでもある。

 

 だから彼女は、地方巡業で訪れるどんな小さな港でも、広報活動に全力で取り組んだ。

 

 これがまた評判を呼んだ。

 

 そして、もともと「知る人ぞ知るご当地アイドル艦娘」として一部で有名だった那珂は、「向こうから会いに来てくれる地方巡業アイドル艦娘」へと変化した。

 

 さらに熱心なファンの一部が那珂のイメージソングを製作、動画投稿サイトにアップしたものを、彼女自身が広報イベントのカラオケ大会(という名の那珂の非公式ライブ)で自ら歌い、そしてそれがまた観客により撮影されアップされそのサービス精神の旺盛っぷりに更にファンが増えマスコミからも取材申し込みが殺到するようになり・・・

 

 こうなるともう海軍全体としても見過ごすことはできなくなり、上層部は彼女に対し、ある処置を下した。

 

 

 

 那珂の公式アイドルデビューである。

 

 

 

 これが公表されたときは「海軍ご乱心」だの「公式が病気」だの「また宮城地本がやらかしたか!」「宮城地本なら仕方ない」「安定の宮城地本である」等の様々な憶測が流れたが、海軍の真意と宮城県地方協力隊本部がなぜか黒幕扱いされた理由は未だ謎のままである。

 

 とにもかくにも那珂はこうして海軍広報部全面バックアップの下、公式アイドルとして地方巡業に精を出しているのである。

 

 いや、居たというべきか。

 

 その地方巡業公式アイドルが何を血迷ったかこの南方警備艦隊へ転属するという。上層部はいったい何を考えているのか。海尾が首を傾げると、傍らの叢雲も同じく首を傾げた。

 

「・・・妙だわ」

 

「ああ、まったく妙な人材を押し付けてくれたものだ」

 

「はぁ、何を言ってるの? 妙といったのは別の理由。彼女たちの事じゃないわ」

 

「なん・・・だと・・・」

 

 語尾がクマや、艦隊のアイドルというのは彼女にとって問題ないというのか。

 

「彼女たち、確かに個性は強いけれど職務上の問題は一つもないし、むしろ即戦力になりうる技量の持ち主よ。ウチにとっては予算増額の交換条件どころか、不利な条件を提示してでも欲しい人材だわ」

 

「そこまでのものなのか、この二人は? いや、球磨はまだ分かるとして、那珂ちゃんだぞ?」

 

「あんた、センターダンスって聞いたことないの?」

 

「それってたしか、戦技教本に載っている爆撃を回避する際の操艦術の一つだろ」

 

 それは敵の艦載機による空襲にあった際、先ずは徐々に増速しながら、通常とは逆に敵編隊めがけてふところに飛び込むように変針し敵機をまごつかせ、そして敵機の爆弾投下と同時に最大戦速を命令しつつ舵を一杯に切らせ、一挙に急転舵し敵編隊の後ろに回り込む。数ある操艦術のなかでも難易度が高いものとして知られる戦技だ。

 

「これを編み出しのが、那珂よ」

 

「・・・マジか」

 

「実戦で何度か披露もしているわ。僚艦だった軽巡・五十鈴の目撃談によれば、艦載機の大群に集中爆撃を浴びせられたときに、撃沈されたと思うくらいの水柱を浴びつつ、全爆弾回避に成功したらしいわ。そこからついた名が“那珂ダンス”。戦技として採用される際に本人の意向で“センターダンス”に改名されたけどね」

 

「すごいな・・・」

 

 思わず、ファンになりそうだと口走りかけた。

 

「私にしてみれば、むしろこの二人も予算増額に加えた交換条件の一つに思えるわ」

 

「ということは、問題はあとの三人か」

 

 海尾と叢雲は次の資料を拡大表示させた。

 

 ここから先は駆逐艦娘だ。

 

 一人目は、

 

【白露型駆逐三番艦・村雨】

 

 開発順では初春型の後期改良型になるが、叢雲が属する吹雪型駆逐艦とほぼ同じ装備の駆逐艦だ。

 

 艦娘本人としては軽巡二人組と比べて目立った特色は無いものの、教育期間中の成績や、これまでの勤務地での評価も良い優等生である。

 

 資料に付随する写真からも、どこか育ちの良いお嬢様といった風情を感じさせる。まあ、経歴を見る限り、実際はごく普通の中流家庭なのだが。

 

 だが前述の二人があまりに個性的すぎたために、彼女のこの普通さは、それだけで海尾にとって好ましいものだった。

 

 となると問題は残る二人だ。海尾は半ば緊張しながら資料を拡大表示する。

 

 そこに示された艦名と写真を見て、海尾と叢雲は同時に、

 

「「え?」」

 

 と声をあげた。

 

【吹雪型駆逐二番艦・白雪】

 

「意外だな」

 

「ええ、まさか彼女が・・・」

 

 二人はそう呟いて、そしてお互いに顔を見合わせた。

 

「って、叢雲。お前、彼女を知っているのか?」

 

「そりゃ知ってるわよ。同じ吹雪型艦娘の同期生よ」

 

「ああ、そうだったのか」

 

「それより、あんたこそどうして白雪を知ってるのよ」

 

「昔、同じ艦隊に属していたことがあってな」

 

「それって、もしかして練習艦隊?」

 

「そう。俺が通常型練習艦の若手士官だった頃、僚艦として在籍していた。香取、鹿島、白雪、そして俺の乗っていた【セトユキ】で遠洋航海に行ったこともある」

 

「へえ、意外な縁もあったものね」

 

「しかし彼女、確か今年度限りで艦娘を引退すると聞いていたんだが・・・」

 

「ええ、私もそう聞いているわ。それに練習艦に改装されて以降、近代化改修も受けていないみたいだし・・・と思ったら、ちゃんと受けてるわね」

 

「資料によるとつい最近の話だな」

 

 どうやら上層部からの要請で、もう少しだけ現役に留まることになったらしい。理由としては人材不足と言ったところだろう。

 

 艦娘といえど人間なので、一身上の都合で艦娘の資格を返上したり、退職することは当然ある。

 

 それでも艦艇をワンマンコントロールできる技能保持者は貴重な存在であるし、船体だって旧型だがまだまだ使える状態だ。海軍としては何かと理由をつけて引き留めたがるのも無理はない。

 

 ちなみに艦娘が引退した後の船体は、新たな艦娘に受け継がれるか、解体されて他の艦娘用の予備部品として保管される事になる。

 

「ともかく」と、海尾。「俺の知る限り、白雪は練習艦でも優秀だったし、近代化改修を受けているのなら性能的にも問題無いだろう。それに叢雲とも知った仲なら人間関係的にも助かる」

 

「白雪本人が現役続行をどう思っているかは知らないけどね。ま、でもあの娘の事だからちゃんと自分で考えた上での結論のはずよ。私としても歓迎の人事だわ」

 

「そうなると・・・」

 

「・・・予算増額の本命は、最後の一人ね」

 

 二人の前に、その艦娘の資料が拡大表示される。

 

 その名と経歴に目を通し、海尾はひとつ、重く息を吐いた。

 

「なるほど、この艦娘だったか」

 

「ええ、どうやら間違いなさそうね」

 

 二人はそれきり黙って、資料を見つめ続けた。

 

【初春型駆逐四番艦・初霜】

 

 それきり黙り込んでしまった二人に、それまで口を挟まずにいた仁淀が「あの・・・」と口を開いた。

 

「この初霜さんは、どういった方なんでしょうか?」

 

「うん?」と、海尾。「なんだ、知らないのか。かなり有名なはずだが」

 

「それはつまり、那珂ちゃんさんの様な方なのでしょうか?」

 

「どちらかと言えば逆の意味で有名ね」と叢雲。「今から二年ほど前よ。ある事件があって、海軍全体が世間からひどくバッシングを浴びたわ。初霜はその当事者よ」

 

「そうだったんですか。二年前といえば私が本格的に運用される直前ですね」

 

「知りたかったら当時のニュースを見れば良いわ。大きく報道されたから、ネットに情報は幾らでも残っているはずよ」

 

「私が一般回線と接続するには情報管理責任者の許可が必要です。司令、よろしいでしょうか?」

 

「許可する。初霜、人喰い雷巡、敵前逃亡、で検索するといい」

 

「穏やかでは無いキーワードですね」仁淀が検索一覧を表示する。「60,000件以上の検索結果が出ました。【海軍、救助船を見捨てて逃亡。100名以上の乗客が深海凄艦の餌食に】。【海上の大惨事。深海凄艦を前に被害者を残し、軍艦が逃亡】。【助けたのは犯罪者のみ? 問われる海軍の救助体制】。【海軍の衰退。駆逐艦初霜、深海凄艦を相手に敵前逃亡】・・・」

 

 仁淀は検索画面を閉じた。

 

「概要は概ね把握しました」

 

「誤解の無い様に言っておくが、被害にあった船は密入国船であり、被害者は貨物コンテナに隠れていた。船員は自分たちだけ初霜に救助を求め、不法移民の存在を隠していた。そして撤退は司令部判断だ」

 

「わかっております。公開情報は全て閲覧済みです」

 

 そういえば本体はスーパーコンピュータだった。

 

 叢雲が言った。

 

「海軍としては、どうしようも無い事故だった、としか言いようがないわ。多分、誰であっても被害は防げなかったでしょうね。でも人喰い雷巡なんてセンセーショナルな存在の出現と、それに対して撤退したという事実は世間に対しあまりにも衝撃的すぎた。それに・・・」

 

 叢雲は窓の外に視線を向け、正門の向かい側に貼られた横断幕を眺めた。

 

「・・・ああいう活動家たちにとって、まさに絶好の機会だったと言うわけよ」

 

 叢雲の言葉に、仁淀も頷いた。

 

「初霜が取り締まり権限も無いのに追跡したのが原因、と書かれた記事もありますね。わざと深海凄艦の方へ追い込んだのでは無いか、と言う記事もありました」

 

「人間、自分の見たいように物事を眺めるもんなのさ」と、海尾。「それぞれの主張に合わせて都合の良い部分だけ継ぎ接ぎして、好き勝手に騒ぎ立てる。ま、それでも人の噂は七十五日ってな。被害者が不法移民ばかりで国内に遺族が存在しなかったこと、お隣さんが密入国船についてだんまりを決め込んだことで、世間はすぐに静かになったよ・・・だが、海軍としては触れて欲しく無い過去であるのは間違い無い」

 

 海尾の言葉に、叢雲が溜息をついた。

 

「彼女が来ると知ったら、門の外の連中は舌舐めずりをして待ち受けるでしょうね」

 

「どうりで那珂を送り込んでくる訳だよ。那珂の広報力で非難を抑え込もうって訳だ。しかしそこまでして、どうして初霜をここに配属させようとするんだろうな」

 

「純粋に技量だと思うわよ。あんな活動家たちなんか些細な問題だわ。私たちの敵は深海凄艦、任務は海域の安全確保。そのために初霜は大きな戦力となるわ」

 

「そんなに凄いのか?」

 

「ここ見て」

 

 と、叢雲は前所属を示す。そこには北方警備艦隊とあった。そして続けて示された人物概評には、技量抜群の文字がある。

 

 北方警備艦隊とは数ある警備艦隊の中でも、最も過酷として知られる海域を担当している艦隊だった。

 

 そこは冬場は雪嵐、春から秋にかけては濃霧が続き、そして離島が多い。

 

 想像を絶する様な悪環境の中で深海凄艦と戦いながら離島への輸送支援も果たさなければならないという艦隊であるだけに、そこに属する者たちへの負担は大きく、それ故に人員の異動も多い部署だった。

 

 初霜はあの事件以降、北方海域へ異動となり、どんなに長くとも一年も居られないという過酷な海域で、二年にわたり任務を遂行していた。

 

 しかもその上で最高練度を示す抜群の評価を得ている。艦隊建て直しの即戦力としては過去の醜聞を考慮してでも欲しい人材であった。

 

 海尾は納得した様に頷いた。

 

「人事に異論は無い。周りが多少うるさくなるだろうが、そこは叢雲、お前と白雪でカバーしてやってくれ。頼むぞ?」

 

「ええ、任されたわ」

 

「とりあえず資料によると、明後日に着任するのは白雪、村雨、初霜の三人か。歓迎するとしよう」

 

 そう言って、海尾は人事資料を閉じた。

 

 

 




 今回登場の艦娘たちは作者が艦これを始めたときに着任してきた五名となります。

 初霜と叢雲はつい先日に改二となりました。やったね!

 那珂サンタコスは営業頑張ってるなぁという感じ。球磨サンタは天使。

 村雨は改造したらいきなりエロス全開で大変ケシカランね。



次回予告

 ついに着任した二人の艦娘、白雪と村雨。

 波が高まる南西海域に新たな戦力が着任したとき、初霜もまた、古巣に別れを告げていた。

 旧友からの忠告を胸に秘め、彼女は旅立つ。

次回「第七話・着任、白雪と村雨」

「お久しぶりです、海尾さん」



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