三雲が眠りに落ちた頃、玉狛支部のキッチンでは支部長の林藤 匠と支部に所属している迅 悠一、そして部外者である『まぐれS級隊員』の姿があった。
他の隊員たちは眠っているか出払っているのか、とにかく今このキッチンにいるのは3人しかいない。
彼らは今、遅めの夕食を取っているのだ。メニューは鴨鍋。この時期には最高の食事の1つである。清治の得意料理だった。
「しっかし、たっさんも人が悪いのぉ。結局ゲートの話になるまでどういうスタンスなんか分からんかった」
清治が『たっさん』と呼んでいるのは林藤のことだ。もちろんこの人物をそう呼ぶのは清治しかいない。
「まあそう言うなよ。俺ぁこれでも臆病モンなんだ。これ以上城戸さんたちに睨まれるのは勘弁だからな」
とてもそうは思っていない口調で林藤が言う。彼にしても迅にしても清治にしても、人を食った性格の持ち主の代表選手のような連中である。
「相変わらずムサさんの和食はうまいなぁ。俺の嫁さんに欲しいよ」
メンバーで唯一酒の入っていない迅が面白そうにそう言う。
「やめとけやめとけ。こんなの嫁にもらうとケツの毛まで抜かれるぞ」
林藤の言葉に3人で大笑いする。彼と清治はかなり酒が入っていた。
素面の若者が酔っ払いを相手にするのには限界がある。さすがの迅も少し持て余しはじめたころ、助け舟となる人物が現れた。木崎 レイジが防衛任務から戻ってきたのである。
木崎は玉狛支部に所属する部隊の隊長である。近接戦闘だけでなく中距離戦闘や長距離狙撃もこなす、ボーダーでも稀有な存在だ。
その戦闘力は極めて高く、彼を慕う本部隊員も少なくない。
ちなみに、全距離での戦闘をこなすことができるのは数多くいる戦闘員の中でも彼と清治だけである。
また、清治曰く『インチキ』でパーフェクトオールラウンダーになった自分とは違い、木崎のそれは純粋に本人の優れた資質とたゆまぬ努力の結果である。
「おおレイジさんおかえり」
すっかり出来上がっている清治が銚子片手に言う。
「武蔵丸。来てたのか」
酔っ払いが2人いても木崎は表情を崩さない。彼が表情を崩すことなどほとんどないのである。
「いいところに帰って来たなレイジ。今から鴨鍋の残りに蕎麦を落とすところだ」
鍋の締めと言えば冷や飯などを使った雑炊が定番であるが、鴨鍋の場合は蕎麦を落とすのも良い。すっかり煮詰まって濃くなった煮汁に蕎麦を落とすと、それはまさに絶品の鴨蕎麦になるのだ。
この蕎麦も清治が自ら打ったものだ。彼の祖父は無類の蕎麦好きで、その腕前は一流の蕎麦匠も舌を巻くほどであったとか。清治も剣術の稽古の合間にしっかりと蕎麦打ちを仕込まれたのである。
とはいえ、食事の前に打ったものだから、打ちたてのものと比べるとどうしても風味が落ちる。
「そこでちょいと日本酒をかけまわすんでさぁ」
時代劇の登場人物のような口調で清治が言う。
「それで終わらすにゃもったいねぇな」
言いつつ林藤が、清治の手から残った日本酒を取り上げるとそのまま呑む。
「こいつぁ良い酒だな。レイジ。お前も呑め呑め」
「いただきます」
「持ってきたのわしなんぢゃけど」
清治が言いつつ蕎麦を鍋に落としていく。頃合いになるとそれぞれが蕎麦をよそい、すすっては舌鼓を打つ。その間にも林藤と木崎、清治は日本酒をちびちびやっている。
明日に備えて寝るという迅と入れ替わりに、晩飯がてら木崎が残る。この宴はかなり遅くまで続いた。
翌朝迅が目覚めると、キッチンにたたずむ清治の姿があった。
「おはようムサさん。ってうわっ!」
さすがの迅も驚いた。なんと清治は、朝も早くから茄子の浅漬けを肴に冷やの日本酒をあおっているのである。
「おおゆいいっちゃんおはようさん。今日は珍しく早いんと違うか」
そう言う清治の顔は少し赤くなってはいたが、目はわりとすっきりしている。
「ムサさん。いくらなんでも朝から呑むってのは…」
苦笑しつつ質す迅に、清治はあっけらかんと言い放った。
「いやぁ。昨日飲み過ぎたせいか二日酔い気味なんでな。迎え酒ぢゃ」
さすがに絶句する迅の足元に、カピバラに乗った少年が現れた。昔のヒットソングのタイトルのようだがそれは関係ない。
「おはようきよはる。あさからさけとはなさけないぞ」
寝ぼけまなこをこすりながら言うのは、玉狛支部に所属する林藤 陽太郎。玉狛が誇るお子さまS級隊員である。
動物と会話のできるサイドエフェクトの持ち主なのだが、意思疎通ができるというわけで言うことを聞いてもらえるわけでもないそうだ。
その証拠に、彼が今乗っているカピバラ――― 陽太郎ととあるもう1人は犬だと思っているようだが、カピバラの雷神丸にも言うことを聞いてもらえない。
ちなみに、雷神丸は支部長の林藤がどこからか拾ってきたのだそうで、玉狛支部のほとんどのメンバーがオスだと思っているが、実際はメスである。
「おお陽太郎おはようさん。これは酒ぢゃなぁよ。『般若湯』と言って、大人だけが飲むことができる知恵をつける飲み物ぢゃ」
同じようなことを清治が『とあるもう1人』の小南 桐絵に言っていたことを迅は思い出した。5歳児と同等の嘘にまんまとだまされる彼女ではあるが、その戦闘力は一級品でありボーダー最強部隊と名高い玉狛第一のエースを務める。ルックスが良いためファンも多いということは、彼女本人は知らなかった。
朝食をしたためた迅は、一合ばかりの酒を呑みほした、昨日と今朝の酒の影響を全く見せないほどにすっきりとした顔をした清治と連れ立って玉狛支部を後にした。
三雲の家に近づいた時、迅と清治の視界に見知った人物のシルエットが見える。三輪隊の三輪と米屋である。どうやら彼らは三雲の見張りをしているらしい。
昨日の会議の後、三輪は三雲に質問をした。先日正体不明の人物(?)によってロストしたネイバーの件である。
三輪は彼に、その場に彼がたまたま居合わせたために対応したのではないかと訊ねた。本心ではそんなことは1mmも思っていないのにだ。
問われた三雲は自分がやったと言った。彼本人もそうではないことを知ってはいたが。
その場では納得した旨のことを言っていた三輪だが、三雲が迅らと退室した後でその疑義について城戸となんらかのやり取りがあったのは間違いない。
彼らが今ここにいるということは、つまり城戸のお墨付きを得て三雲を見張っているということだ。
三輪が疑っているのは三雲の腕ではない。彼にとってそれはどうでも良いことであった。使えるならそれで良し。そうでなければそれはそれで良いのである。
彼が疑っているのは、三雲がネイバーと接触しているのではないかということだ。かつての大侵攻で実の姉を失って以降、彼はネイバーを敵視している。その思いは苛烈と言ってよかった。
そんな彼が、ネイバーと接触している可能性のある人物を看過することなどありえない。もし三雲とネイバーが接触しているようであればネイバーを始末しても良いとも言われている。
三輪と共に見張りを務めている米屋は、正直そこまでは思っていなかった。ただ、あれだけ派手にネイバーを撃破した人間であれば、とにかく戦ってみたい。
相手が強いやつであれば、彼にとってはたとえそれがボーダーの隊員であってもネイバーであっても構わないのだ。
米屋は控え目に言ってもバトルジャンキーであり、そういう意味ではA級1位部隊の隊長、太刀川 慶とそう変わりが無いと言える。
余談だが、その太刀川は他の部隊とともにネイバーフット、つまりネイバーの世界へ遠征に出かけている。帰還までにはまだ数日あった。
「やっぱおったね三輪っち。どうするよゆういっちゃん」
三輪が三雲を見張っているということは、そのまま放置しておけば三雲とともに出かける2人もいっしょにつけられることになる。そうなると少々面倒な気がするのだ。
「そこはそれ、実力派エリートの手腕をご覧あれ」
言うや、迅は三輪たちに気づかれないようにそっと近づいていった。
「ぼんち揚げ食う?」
突然後ろから声をかけられ、三輪と米屋は『ズザッ』という擬音が似合いそうな音を立てて半歩ほど後退りした。
「うおっ! 迅さん!?」
そう言う米屋の視線の先には、以前棒でコテンパンにされた男の姿がある。特徴的なテンガロンハットと咥えパイプはいつもの彼のスタイルだった。
「よ。三輪っちに米やん。うまい棒食う?」
まるっきり迅と同じような口調でそう言ってくる。三輪は奥歯をかみしめて2人を睨みつけ、米屋は苦笑しつつもう一歩後退りした。
「まあまあ。そんな怖い顔しんさんな。ところで、朝も早よから働きよる勤勉な若者に、こちらの実力派エリートさんがお話があるんぢゃと」
促された迅は、懐から1枚の紙を出しながら言う。
「おまえらさ。今日の午後から大仕事があるから基地戻っとけよ。ほいこれ命令書ね」
取り出した紙を三輪に渡すと
「じゃあな。よろしく~~~」
迅の言葉を潮に、二人はその場を立ち去って行った。
「このタイミング… なんか
清治から渡されたうまい棒を手に米屋がつぶやく。
「迅…!」
悔しそうにそう一言吐き捨てた三輪は、しかし米屋と共に基地に帰還した。そうしたくは無かったが、上層部から出された命令書を手渡された以上、従わないわけにはいかなかった。
「さすがはゆういっちゃん。あんなもんを事前に準備しておるとはの。いやはや。『給料泥棒』のわしにゃ到底できん芸当ぢゃ」
三雲の方に向かいつつ清治が言う。
「ああ。あいつらがあそこに居たのは『見えてた』からね。ついでに、この後本部で秀次が武蔵丸って人のことを『生ごみ』って言ってるのも」
楽しそうに迅が言う。
「酷ぇな。そりゃ渾名ぢゃのぉてただの悪口ぢゃ。その武蔵丸とか言う奴ぁよっぽど嫌われちょるらしい」
「まったくね」
そう言って2人は大笑いするのだった。
「あの、お2人は一体、どういう関係なんですか?」
清治たちと合流し、迅の言う場所に移動しながら、三雲は以前から疑問に思っていたことを口にした。彼からすれば、玉狛に所属する迅と本部と鈴鳴を行き来する清治があまりに親しいので不思議に思っていたのだ。
「わしらの間柄か…」
「それは…」
言うと二人はがっちりと肩を組み
「
と声をそろえて言う。
「はぁ…」
聞いておいて何だが、若干引き気味に曖昧な笑顔で三雲が答える。
「俺はぼんち揚げ布教活動委員会の委員長でムサさんは副委員長」
「んでわしはうまい棒普及協会の会長でゆういっちゃんは副会長なんじゃ」
ますます引いてしまった三雲だが、どうやら彼らが非常に仲が良いということだけは良く分かった。
「ところでゆういっちゃん。そのシャツだとカレーうどんが食えんのではないかね?」
「ああホントだ。こりゃ大問題だな」
2人のどうでも良い話がひとしきり終わったあと、ふと清治が三雲に向かって言った。
「ボーダーに入らんかったら、わしはゆういっちゃんに会うこともなかったじゃろう。メガネくんにもきっと、わしにとってのゆういっちゃんのような存在ができるぢゃろうて」
「お。ムサさん今良いこと言ったね」
「ホンマぢゃね。こりゃ明日は雨か槍が降るの。米やんの槍はカンベンぢゃな」
そんな2人を見ながら、自分にもこんな風に楽しい友人ができたら良いなと思った。
「ところで、この先にイレギュラーゲートの原因を知る人間がいる」
「ほほう…」
この先と言えば警戒区域だ。それも、清治のいい加減かつ曖昧な記憶が正しければ、三雲がバムスターを撃破したとされる場所である。
「迅さんの知ってる人ですか!?」
「いや全然」
三雲の質問にぼんち揚げを食べながら即答する迅。
「でも多分メガネくんもムサさんも知り合いだと思うよ」
「…?」
三雲は不思議がり、清治はある程度予想がつくという顔をしている。いや、清治のそれはほぼ確信していると言って良いだろう。
三雲からすれば、自分と清治には接点はほとんどない。にも拘わらず、両者の知り合いがイレギュラーゲートについて知っているという。あまりにも解せない話だった。
そうこうしている間に現場へとたどり着いた3人は、良く見慣れた、久々に見る、初めて見る白髪頭の少年をその視界にとらえることになるのである。
「…ん?」
バムスターが撃破された際にできた窪地の中でしゃがみこんでいるのは、三雲のクラスメートであり清治の隣人でもある空閑 遊真だった。
「空閑…!?」
驚く三雲に
「おっ。やっぱ知り合い?」
と迅が言う。
「おうオサムとムサシマルさん… と、どちらさま?」
その場に知り合い2人と知らない人がいるので空閑はそう聞く。
迅と空閑が互いに自己紹介したあと、ちょっとしたやり取りがあった。ある意味確認作業であると言って良い。そのあと、
「お前、
迅が真顔で問いかける。その問に三雲は驚き、空閑はわずかに下がると身構えた。
「ああ。やっぱそうだったんぢゃ」
清治の言葉に、今度は空閑と三雲が驚きの顔でそちらを向く。
「ま、気にしんさんな。ゆういっちゃんにしてもわしにしても、1度ならずネイバーフットに行ったことがあるけぇの」
「そうそう。だからネイバーにも良いやつがいるのも知ってるから、捕まえるとかそういうあれじゃない」
2人にそう言われて空閑は身構えを解いたが警戒は怠らなかった。
「ただ、おれのサイドエフェクトがそう言ったから、ちょっと訊いてみただけだ」
「ほう…?」
またサイドエフェクトだ。三雲は昨日空閑とレプリカと話した内容を思い出していた。
「迅さんのサイドエフェクトって…!?」
三雲の問いかけに迅が答える。
「おれには未来が見えるんだ。目の前の人間の少し先の未来が」
「未来…!?」
初めて聞いた人間であれば、誰しも驚かずにはいられないであろう。清治にしてもそうだった。
「昨日基地でメガネくんを見たとき」
迅が言葉を続ける。
「今日この場所でムサさんと一緒に誰かと会ってる映像が見えたんだ。その『誰か』がイレギュラーゲートの謎を教えてくれるって言う未来のイメージだな」
「んでわしに限って言えば」
清治が話を引き取る。
「未来なんてぇモンは見えやせんが、サイドエフェクトのおかげで目ぇがよぉ見えてな。で、先日とあるトリオン体の人型ネイバーが、懐にもう一体のトリオン体を抱えとるのを見た」
空閑の方を見ながらそう言う。
――― 武蔵丸さんは、最初から空閑をネイバーだと思ってたんだ
三雲でなくてもそう思うだろう。そして、今日のこの時まで黙っているように迅に諭されたのではないだろうか。
「フム。どうやら私のこともバレているようだな」
そう言いながら、空閑の懐から黒い炊飯器のようなものが出て来た。
「はじめまして。ジンとムサシマル。私はレプリカ。ユーマのお目付け役だ」
「おお。これはどうもはじめまして」
「これはこれは。ご丁寧な挨拶痛み入る」
互いに挨拶を交わしたあと、レプリカが説明を始める。
「今ユーマが手にしているものが、今回のイレギュラーゲートの原因だ」
レプリカの言葉を聞きつつ、全員が空閑の方を見る。彼の手にはいびつな六角形のトリオン兵と思われるものがあった。
「なんやフナムシみと~なやつぢゃの」
「フナムシ?」
「海のゴキブリとか言われる、海岸とかで良く見られる虫ぢゃ。まずいで。苦ぁし臭ぁ」
「うぇっ!? ムサさん食ったことあんの?」
「あるよ。昔無人島に1年近く放置されたことがあってな」
清治との付き合いがそれなりに長い迅だが、やはり未だに彼には謎な部分が多い。
ところでレプリカいわく、これは偵察に特化した『ラッド』というトリオン兵なのだそうだ。もともとは偵察のためのものだが、今空閑が持っているものはゲートを発生させる装置としても機能するように改良されたものだという。
「昨日と一昨日の現場を調べたところ、バムスターの腹部に格納されていたらしい」
さらに解析すると、バムスターから離脱したラッドは地中に隠れ、周囲に人がいなくなるのを見計らって活動を開始。人の多い場所に移動するとそこに潜んでゲートの起動準備に入る。そして、近くにいる人間から当人たちには分からぬように密かにトリオンを少しずつ収集してゲートを開くというのだ。
「なるほどの。ぢゃ、ボーダー隊員の近くでゲートが開くことが多かったのは、どうやら偶然ではなぁっちゅ~ことか」
「その通り。おそらくトリオン能力の高い人間からは大量のトリオンを得られるからだろう」
ラッドは攻撃力をほとんど持たないため撃破は容易だという。多少トリオン能力のある人間なら、場合によってはトリガーを使用せずとも倒したり捕まえたりするくらいのことはできるのだという。
「ただ、今回こちらに送り込まれたラッドの数は膨大だ。今探知できるだけでも数千体が街に潜伏している」
「数千…!」
予想以上の数に三雲が息をのむ。
「イレギュラーゲートが開き始めた時期を考えると、そのバムスターから出て来た奴とは別個体のやつがいくつかおるかもしれんな。めんどうぢゃのぉ」
「全部殺そうと思ったら、何十日もかかりそうだな」
空閑の言葉に迅が答える。
「いや、めちゃくちゃ助かった。こっからはボーダーの仕事だな」
迅と清治、そして三雲はすぐにボーダー本部へと向かう。ここからが正念場である。