ゴッド・オブ・ウォー 葬送の残火   作:アォン

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「お前が、噂の医者か」

 

一人クレイトスは、寝る間も惜しみ目指し続けた場所へと辿り着いた。吹雪の中でも燃え盛る彼の意思は絶えなかった。

山肌に空いた洞穴に居を構える年老いた医者は、悠然と佇みクレイトスを迎えた。人里遠きこの場所へ来る訪問者を、予め知っていたかのように……。

 

「私がここに来たのは――――」

 

「皆まで言わずとも全て知っている、クレイトス。そなたの望みは決して叶わないという事も……」

 

何もかもを見通したような瞳とともに与えられた言葉は、一瞬でクレイトスの憤激を煽った。

 

「もう一度言ってみるがいい!娘の為ならば、私はお前の命など何とも思わないのだぞ」

 

胸ぐらを掴むクレイトスに対しても、医者は抵抗もせず、淡々と続ける。

 

「私は……そなたの行いを止めようと言うのではない。ただの警告だ。これを持っていくがいい。アポロの炎が、アスクレピオスへと導いてくれるはずだ。だが、導きの灯は身を守る力とはならない。忘れるな……」

 

男の手から、人の頭ほどもある淡い緑色の火の玉が生まれ、クレイトスの周りを漂う。温度を感じない、優しげに揺らめくその炎は、スパルタ人の行き先を示すように洞窟の入り口で瞬いた。

 

「どんな危険など恐れるものか。神々は、カリオペを救う力を私に与えてくれるはずだ」

 

力強く言い放つと、クレイトスは踵を返した。この場所にもはや何の用もなかった。

 

「……哀れで、愚かな若者よ。その神々をこそ、真に恐れるべきなのだ……」

 

――――耳に届くこともなく消えた言葉について、クレイトスが考えを巡らせる事など、あろうはずもなかった。

険しい山道を炎に導かれて歩き続けるクレイトス。構えた剣の切っ先は、立ちふさがる全てを切り捨てるのに躊躇の無い意思を発し、彼の眼光と等しい鋭さでぎらつく。

 

「戯言だ……何者にだろうと、この私が負けるものか。カリオペ、リサンドラ……すぐに私は戻ってくる。褥が冷えるよりも、ずっと早く」

 

首をもたげる微かな不安を打ち消したいかのように呟いたクレイトスを、突如それが襲った。

大地は悲鳴をあげてひび割れ、そこから灼熱を湛える熔岩が噴き上がる。

 

「これは!?」

 

答えを与える者は居なかった。獄炎の柱がクレイトスを取り囲み、最も巨大なひとつの中から、確かな形を得た存在が顔を覗かせる。

 

「誰であろうが、何だろうが、私を止められはしない!」

 

身の程を知らぬその宣言を受けてか、地の底から生まれる轟音は声を成して語りかける。

 

「人間だと?哀れな肉塊め、骨まで焦がしてその骸を喰らってやろうか!」

 

白熱する熔岩の身体と、赤く燃え盛る羽毛を散らす巨大な火の鳥は、長い尾羽根の一本を蛇のようにくねらせてクレイトスの身体を絡め取った。

 

「やってみせろ!」

 

それでも、骨の髄まで彼はスパルタ人だった。自分を引き寄せる炎の縄を振り解く事も、皮膚を焼く熱に戦意を萎えさせる事もしない。

 

「娘の為ならば、どんな戦いであろうと退かぬ!!」

 

引き寄せられる勢いのまま彼は地を蹴り、飛び上がる。人間など一呑みに出来るほどの頭目掛けて、剣を振り下ろした。側頭部に突き刺さった剣から、大量の火の粉が噴き上がる。

魂まで焼き尽くしそうな熱波を浴び、脳を引き裂きそうな怪物の悲鳴を聞いても、クレイトスは恐怖を覚えなかった。

振り払われて地に身を投げ出されるクレイトスに、怪物は怒りの声をぶつけた。

 

「子供の心配などすぐに尽きるだろう!灰も残らずに焼かれてな!」

 

ハデスのしもべが吹き上げる烈火の轟音が暗闇で反響し、クレイトスの意識を長く遠い幻想から引き戻していく……。

 

 

--

 

 

……そして、時は今に戻る。

 

「かつて、命を救うべくここに来た……だが、今は……」

 

闇の奥から這い出したミノタウロスの赤子と対峙しながら、クレイトスは胸を満たす重みに耐えるよう、両手を握る。

 

「終わらせるために、再び来た……」

 

そして足を踏み出そうとした瞬間、その赤子は唸り声をあげて跳んだ。

 

「何だと?」

 

人間の幼子ほどしか無い身体でも、開かれた顎門には鋭い牙が完全に生え揃っていた。

クレイトスは、確かにその瞬間だけは、心を遥かな時のかなたへと旅立たせていた、が――――

 

「――――!!」

 

鍛え抜かれた戦士の肢体は反射的に、飛びかかる敵の首を掴んで止めた。

 

「ケダモノめ!」

 

彼に一切の哀れみは無かった。手放すと同時に、浮いたその身体に渾身の蹴りを叩き込む。

僅か先刻に親達の築いた断末魔よりも、幾ばくか甲高くある悲鳴を上げてミノタウロスの赤子は闇の奥へと……。

 

「なに……?どういうことだ」

 

それは、空中で静止した。何か、目の見えない障壁が小さな獲物を受け止めたのだ。クレイトスの瞳孔が広がると、闇の中で細く煌めく糸を認めた。

岩肌のそこかしこから這い出した小さなそれらは、糸を辿って巣にかかった獲物へと群がる。

数え切れない蟲に全身を齧られるミノタウロス。苦痛はどれ程のものであるか、そのおぞましい悲鳴を響かせることで聞く者に思い知らせた。

すぐに骨だけになった餌を捨てると、捕食者達は四方八方からクレイトスへと殺到する。

闇の中から、声がした。

 

「無駄な事はやめろ、人間よ……」

 

藻掻くクレイトスを見下ろす八つの眼光。

八つの毛だらけの脚が、小さき人間を囲んでいた。

 

「苦しみはすぐに終わるだろう。抗おうなどと考えるな、戦いはすぐに終わる」

 

洞窟の主たる大蜘蛛の宣告を、クレイトスは聞いた。自然の摂理を突きつけるかのように無感動な言葉だ。

だがこの怪物は、自分が対峙する存在の力を知らなかった。

 

「そうとも、貴様が死ぬことでな……!」

 

クレイトスは洞窟を朧げに照らす松明を、群がる子蜘蛛達の中に投げ込んだ。

乾いた体毛を生やす大量の子蜘蛛は、あっという間に炎の糧となって命を散らしていく。

 

「子供達……よくも、貴様は!!」

 

それに目を奪われた愚かな親は、子供の為に最大の誤ちを犯した。眼前の敵は今まさに、手にした武器を振りかぶっていた。

 

「誰の言葉も聞くものか!!私は――――戦いの神だ!!」

 

双剣は彼の消えない怒りを宿すように、炎を纏う。

躊躇無く、それは大蜘蛛の脳天に突き立てられた。

 

「ギャアアアアアアア!!」

 

痛みに叫び、盲滅法に脚を振り回して毒牙を立てようとする怪物を、容赦なくクレイトスは斬り付ける。

戦いはすぐに終わる。その通りだった。

 

「戦いの神だと……貴様はただの、簒奪者だ……クレイトス……貴様を狙う者は……まだ……」

 

虫の息で紡がれる、呪いの言葉。

 

「誰に遣わされた!言え!惨めな虫けらめ!」

 

大蜘蛛の目からは命の光が絶え、ただ凄絶な怒りを浮かべるクレイトスの表情のみを反射した。

彼の怒りは、何もかもを失ってしまった深い絶望が呼び起こすものだった。

いま身体を突き動かすのは、終わらせなければならない使命感だけだった。

だがかつての彼は、何かを終わらせる為になど戦っていなかった。

守るために、救うために戦った、そう、あの時は。

 

 

--

 

 

「お前の娘が救われる事は無い!冥界の薪となり永遠に燃え続けるが良い!」

 

火の鳥は、地割れから噴き上がる尾羽根を一斉にクレイトスへ差し向ける。

 

「違う!!」

 

その一本を切り裂くクレイトス。叫ぶ彼の脳裏に蘇る記憶。

スパルタ人ならば、弱きを葬れ。抱える赤子の感触、崖下から襲い来る冷たい風。

定められた法を覆す事は出来ない。どんな慈悲も捨て、その苦しみに耐える強さを持たなければならない――――

 

「誰にもあの子を救えないのだとしても……私は!」

 

叫ぶクレイトスは次々に、燃え盛る魔手を刃で退け、怪物と肉薄する。炎の中にある幻影を打ち払うかのように、彼の全身は動く。

投げ捨てられ、小さくなっていく影。誰もがそうする。誰もがそうではなかった。誰もがそうなるかもしれなかった。……自分もまた。

生きている限り、強きを求め続けなければならない……奈落の底に積み上がる、赤子達の骸。無数の怨嗟の声は、最愛の妻の股の間から溢れ出る――――

 

「死ぬのは貴様だ!そして……カリオペは生き延びる!私が救ってみせる!!」

 

顔に浮かぶ苦悶と憤怒は、何が呼び起こすものであったか――――熔岩の奔流が去り、切り刻まれた炎の怪物を背に、クレイトスは力なくその歩みを再開する。

 

「うっ……」

 

川のほとりでクレイトスは火傷に呻き、水の中に家族の幻影を見た。

 

「リサンドラ……そうとも、私は約束したのだ。――――必ず、アンブロシアを手に入れて戻る」

 

身体に浴びる水の冷たさと、乾きを満たす喉の潤いに、彼の魂は再び力を取り戻す。

だが、疲労は激しかった。川べりに手をついて、クレイトスは妻と娘に呼びかける。

 

「私がこうして生きている限り、それに背くことは決して無い……」

 

自分は何があろうともその約束を果たさねばならないとわかっていながら、暫しクレイトスは静寂の中で佇んだ。

カリオペが奈落の底へ帰っていく運命を逃れ、母の手の中で歓びの声をあげる姿を想う。それを実現させられるのは自分だけだと、強く決意を新たにしつつ……。

……そこに現れる影があった。

 

「そこの戦士よ!」

 

「誰だ!?」

 

クレイトスは己の油断に歯噛みしてその方へ顔を向けた。しかし、剣を構える彼に対し、声は冷静に告げる。

 

「落ち着け、敵ではない。そなたがそうと望まない限りは」

 

クレイトスはその男の、そして後ろに率いられる兵士達のことをよく知っていた。

 

「ニコス隊長?なぜここに……?」

 

「静かに……王はそなたの求めるものが、真にスパルタの利益にかなうものであるかを確かめたいようだ……ただ死ぬ運命に在る赤子を救う為だけに、助けをよこす事はしない」

 

たった一人ででも果たすと信じた道だった。だが、スパルタはその偉大な戦士を放っておく酷薄さも無かったのだ。

クレイトスは黙ってやや俯き、ニコスの言葉を聞いた。

 

「そなたは我が指揮下についてもらう。勿論、そなたの果たすべき事は変わりはしない……承知したか?」

 

金眼に浮かぶ深い感謝の念。彼は決して、孤独な男ではなかった。成したこと、築き上げたものは確かにあった。

 

「いかなる時であろうと、王の言葉に背く気は無い。出発しよう、時間が無限にあるわけではないはずだ」

 

クレイトスの言葉に反対する者などいようはずもなかった。偉大なる戦士の導きのまま、スパルタ人達はその困難に満ちた旅路を歩むのを選んだ。後悔も疑いも、彼らは抱かなかった。

……彼らが荒れた砂地を渡っている頃、遥か東の地で別の脅威が蠢動しつつあった……。

 

 

--

 

 

「若君……」

 

ギリシャ人を脅かしつつある蛮族達の野営地。

その最も大きなテントの前に、鷹のような鋭い眼差しを持つ戦士が馬を駆って現れる。

 

「……それで、どうなっている」

 

黒髪を幾つもの房にして揺らす男は、その勇猛ぶりを鍛え抜かれた身体と数々の傷痕で言葉無く物語った。

アルリックは、迎えの者に馬上に在るまま尋ねる。

 

「医者のもとにいる。長が目を覚ましたのは、何日前だったか……」

 

重い病に斃れた父を癒やす為の、あらゆる手段を彼は探し求めていた。

地を踏み鳴らす足取りで、医者のテントに向かう。

 

「いったいどういう事なのだ、何が起きている?」

 

どんな薬も効かない病、祈りも届かず、人の手で出来る限界をだけアルリックは思い知らされ、その心はひたすら焦燥に燃えていた。

 

「長は深い眠りの世界に幽閉されているのです、若君……」

 

どんな者も、その原因すらうかがい知れないのだ。いよいよアルリックは怒りを顕にして医者の胸ぐらを掴んだ。

 

「どうすればこの病を治せるかを聞いているのだ!」

 

偉大なる長の後継者は、誰もが認める強さと冷酷さを併せ持つ、真の戦士だった。医者は顔を青ざめさせて、必死に弁を紡ぎ始めた。

 

「お、お待ちを……神託があったのです、何者によるかはわかりませぬ。しかし、かの神は言いました、アスクレピオスの泉にそれはあると」

 

矮小なる人間がどうして知れよう。その導きを与えた神こそが、この運命を紡いだのだという事を。

医者はハデスの言葉をアルリックへと伝え切るまで、己の命が尽きぬことをのみ願った。

 

「神の霊薬アンブロシアでなければ、長をモルペウスの領域から引き戻す事は決して出来ないと……しかし、こうも言いました。アンブロシアを求める者は他にも居る、そして」

 

アルリックは決断に迷わなかった。万事において彼はそうだった。戦いと勝利、略奪と蹂躙を求める男達を率いるのに、必要な資質全てを彼は備えていた。

地を揺るがすほどの勢いで走る、無数の馬群。それに跨り、血への渇望に吠える蛮族達。

先頭を行くアルリックは、前方に現れる異形の影を目にするや、戦意に発奮し咆哮した。

 

「……それを最初に手にする者があなたでなければ、長は死ぬだろう、と……」

 

それらが、どの神が遣わしたか怪物であるか、彼にとってそんな事はどうでもよかった。

部下とともにミノタウロスの群れを屠っていくアルリックは、切り落とされた牛の頭を掲げて、叫んだ。

 

「聞くが良い、勇敢なる戦士達よ!俺は必ずやアンブロシアを手に入れ、父を救ってみせよう!そして、その障害となる全ての者は、この怒りによって残酷な死を迎えるだろう!」

 

 

--

 

 

「あの哀れな男がお前の勇者か?」

 

祭壇に浮かぶ光景を見るアレスは、せせら笑った。神々の集う広間で、かれらは漏れず一堂に会している。

 

「動揺が声に透けているぞ?アレス。今降りれば、恥をかかずに済むだろう」

 

ハデスは戦いの神の浅はかさに哀れみすら抱く――――しかし、アレスの余裕はまだ、尽きるのは早い様子だ。

彼は両手を腰に当てて佇み、ハデスに対し酷薄な笑みを向けている。

 

「妄想も逞しいことだ、好きに夢見ているがいい。子供の為に戦うクレイトスを止める事は、誰にも出来ぬだろう」

 

「は!子供、たった一人の!」

 

青く波の文様を浮かべる身体を持つ、海の神ポセイドン。彼はアレスの勇者が戦う動機について、いかに取るに足らないかを論う。

 

「我が勇者は村全ての者の思いを背負って戦うというのに、気楽なものだ」

 

血の気の多い連中を横目に、頭冠を煌めかす優男が肩を竦めていた。

 

「やれやれ申し訳ない気分になるよアルテミス。皆どうにも見る目が無いようだ。僕の勇者はもっと偉大なもの……このヘルメスの栄光の為に戦うというのにね」

 

「お前の大口も大概だな、ヘルメス。皆も聞き飽きているところだろう

 

アルテミスの口調は呆れ果てた心境を隠さなかった。まことに男どもは、このような場にあってさえ下らぬ争いごとを楽しむばかりであると。

 

「アルリックの戦斧の切れ味を見た時、お前がどんな負け惜しみを紡ぐか楽しみだな」

 

「どうせくだらぬ策でも弄するのだろうが。そうでなければ誰にも敵わぬとお前は自分自身よく知っているからな!」

 

アレスとハデスの舌鋒はますます鋭くなりつつあった。

ヘリオスはため息をついて、兄弟たちを諌める。

 

「そろそろ止めにしないか。人間達の姿を見るよりも面白いというのなら、私はもう何も言わないが」

 

興が削がれたか、アレスとハデスは、その場を去る。呆れたヘリオスも続いた。

祭壇を囲う影は二つだけになっていた。

 

「おや、これがポセイドンの勇者かい?」

 

「そう、テーラのヘロディオス。奴の島が疫病に満ちるよう図らったのだ。あまり愉快な話ではないがな……」

 

帆船で指揮をとる男の姿が、そこに浮かび上がっている。故郷の為に命を投げ出すのも厭わない覚悟を、全身から溢れ出させる戦士が。

信ずる神を擬したか、顔には波のような幾つもの線を入れ墨にして刻んでいた。表情にあるのは、必ず成し遂げるという使命感、邪魔するものに容赦しないという覚悟……それは、クレイトスと全く同質のものだ。

それを見ているヘルメスはなんでもないように、別の方角を映すよう指をさした。

 

「もっと悪い話があるよ。ほら、ご覧」

 

兵士の先頭に立って、港を目前に迫るクレイトス。彼らの狙いは明らかだった。海を越えたところに、求めるものはあるのだ。

 

「スパルタ人がもうあんなところにまで……その勇者様はどちらに?」

 

「奴らの殆どはもう船出の準備をしている……アレスの好きなように事が運ぶのは面白くないな」

 

腕組みするポセイドンが眉をひそめる。それを覗き込むヘルメスの顔は、不敵な笑みを作り出す。

 

「うーん、それなら、ちょっとした案があるんだけど。たとえ、うまく行かないとしても……」

 

――――スパルタ人達が、そのような神々の思惑を知るはずがなかった。

 

「どっちみち、面白い事になるだろうさ……」

 

 

--

 

 

大挙して港へ押し入り船を目前と迫るスパルタ人の前に、幾つもの異様な陰影が現れた。

死すべき者達の前に立ちふさがる怪物は、濁り湿った吠え声を上げて鎌を向けてくる。

強靭な二本脚で地を蹴って撥ね回り、踊るように獲物の命を刈り取ろうと迫る、凶悪な牡山羊の群れ……。

 

「なんだ?!」

 

「サテュロス……!」

 

咄嗟に陣を組み迎え撃つ決意を宿すスパルタ人。しかし、斯くの如き異質な存在と戦う経験など彼らは碌に養われていなかった。

人の背丈を飛び越えるほどの跳躍と、変幻自在とも言える両刃の攻撃。鋭い牙が、血肉を求め唾を飛ばす。その光景は人間達の足を竦ませるに充分だった。

何よりも、この存在は何処から遣わされたか?穿たれた闇の穴から怪物が這い出す光景は、人智を超えた意思の実在を死すべき者へと訴えかける。

スパルタ人のひとりが、遂にその恐怖を決壊させた。勇猛さだけを戦場で発揮すべきという薫陶も、投げ捨てていた。

 

「か、神々の送り込んだ怪物だ……にっ、逃げ……!」

 

振り下ろした長剣でサテュロスの腕を切り落としたクレイトスは、その勢いで踵を返そうとする兵士を殴り倒す。

 

「駄目だ!逃げる兵士が辿り着く先は死だ!!」

 

刃を掻い潜り、前へと踏み込むクレイトス。屈んだ脚が弾け、握った剣を思い切り振りかぶる。

渾身の唐竹割りは、サテュロスの身体を真っ二つに切り裂いた。

 

「たとえ相手が人でも獣でもない存在だろうと、我々は退かん!」

 

兵士の一人が斃れる。別の兵士が牡山羊を斃す。怒声を張り上げ果敢に戦うクレイトスの狂熱は、次々にスパルタ人へと伝染していく。

 

「私達はスパルタ人だ!!違うか!?」

 

応とばかりの雄叫び。槍がサテュロスを貫き、鎌が人間の首を刈り取る。

 

「決して降伏するな!」

 

クレイトスは迫る刃を剣で弾き、がら空きの胴体を槍で串刺しにする。

 

「立ちはだかる者は全て敵だ!」

 

骸を蹴り倒し、また踏み込む。更に襲い来るサテュロス。切り裂く。

 

「敵が現れれば戦う……!」

 

やがてスパルタ人の掛け声が、怪物の叫びをかき消しはじめる。

夥しい返り血を浴びたクレイトスは、剣を掲げて叫んだ。

 

「そして――――全て、滅ぼす!!それが、スパルタ人だ!!」

 

「オオオオーーーー!!」

 

偉大なる戦士の鼓舞は、怪物など完全に飲み込む気迫をスパルタ人に促した。

彼らは最早、冥界の使者から逃れようとする供物ではない。忌むべき敵を蹴散らす征服者だった。

 

 

--

 

 

「あらら。あいつ、なんでサテュロス相手にあそこまでやれるんだ?信じられないよ」

 

ヘルメスは両手のひらを天に向け驚愕していた。だがその中には、予想を越えた光景を楽しむ感嘆もあった。

憮然としたポセイドンは、隣の神の考えなど一切無視することを決め、額に手を当てた。

 

「……ヘロディオス、聞こえるか?我が勇者よ、お前はあの男を倒さねばならない……」

 

俯く大海の王の言葉は、遥か地上を這う一人の人間へと瞬時に伝わる……。

 

 

--

 

 

港につけた船の上で、テーラの民はスパルタ人の奮戦ぶりを横目に、火急の勢いで出港の準備をしていた。

しかし、彼らを率いるヘロディオスは一つの決断を下す。

 

「……皆、いま我らの神ポセイドンのお告げがあった」

 

かの戦士達は、人ならぬ存在を前にして狂気すら滲む勇猛さでもってそれらを斃し、目と鼻の先に迫っていた。

神の言葉は、最早腹を決めた彼らのほんの少しの後押しに過ぎなかったのだ。

 

「奴らスパルタ人は、我らが道を阻み、テーラの救いを奪い去ろうとしている」

 

ヘロディオスは船より眼下の埠頭を見下ろし、顔まで見える距離にある敵を指差した。

 

「……我らの父母、妻と子の運命は今!我らの手に委ねられているのだ!!」

 

テーラの戦士達は、熱の篭もる勇者の言葉にのみ耳を向け、それを薪にして闘志を燃え盛らせていく。

掲げる武器とともに、人々の声は上がる。それは一つの意思となって、港にまで響き渡った。

 

「奴らを皆殺しにしろ!!」

 

クレイトスもまたヘロディオスの言葉に応えるように、眦をつり上げて叫んだ。

 

「ならば受けて立とう!行くぞスパルタ人よ!!私に続け!!」

 

先陣を切った彼に倣い、桟橋から次々に船へと飛び移るスパルタ人。広大な甲板は、あっという間に戦場と化した。

襲い来るテーラの戦士を斬り捨て、クレイトスは怒声で宣った。

 

「奴らの命ともども、この船を奪うのだ!!」

 

アレスの勇者と、ポセイドンの勇者。

それぞれの率いる戦士とともに、彼らはここで激突した。

 

 






・ニコス
nikos:名前は勝利の女神ニケーから……らしい。彼女の彫像はちょくちょくシリーズで出演している。

・テーラ
thera:サントリーニ島の古名。GOWシリーズではメタナ火山地下深くに封印されたオリジナルのタイタンにもこの名前がつけられている。

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