ゴッド・オブ・ウォー 葬送の残火   作:アォン

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クレイトスが、触れることすら出来ない卓越した狩人と戦っていた頃。

はるか東。その大軍はアンブロシアを求めて怒涛の勢いで進撃していた。

冥界の王ハデス、その勇者アルリックは父の命を救う一心で馬を駆る。

……対峙する軍勢を率いるは、ヘルメス――――幸運と詐術、そして牧畜の神――――の勇者ダナオス。

ダナオスの村の家畜は次々に死に絶え、人々は飢えに苦しみ喘いでいた。

 

「アンブロシアを手に入れるのはこの俺だ!他の誰にも渡さんぞ!」

 

馬を駆り農具を振り回す村人の姿は、アルリックにとっては到底敵とすら見なせぬ、ただの踏み越えるべき雑草としか映らない。

彼の雄叫びは、戦斧で命を刈り取られる者達の聞いた最後のものとなった。

その姿を共に演じる蛮族の一人が、馬上を飛び回る一つの影に首を撥ねられる。

まるで猛禽が獲物を仕留めて飛び回るような光景が、敵味方入り交じる馬群の中で演じられていた。

 

「違うな、野蛮人」

 

それを成すダナオスは、剣を手にした身一つで目標を見定める。

どれ程の軍団だろうが、益荒男だろうが、首を切り落とされれば最早木偶に過ぎない。ヘルメスの勇者は、最小の労力で最大の結果を得る方法をよく心得ていた。

 

「私の背には、多くの民の命が――――」

 

だが――――彼はただひとつ、知らない事があった。

ダナオスの踏み越える馬群を割り、巨大な影を幻視させる威容の戦士が、突如出現した。

 

「くだらん駄弁りはうんざりだ!!死ね!!」

 

――――自分の打ち取るべき相手の強さは、遥か隔絶した高みにあった、という事。

 

「進め!俺達を阻むものなど何も無い!!」

 

戦斧の一撃で、他の雑兵と同じように切り落とされた勇者の首は、驚愕に目を見開かれたままだった。

蛮族の蹂躙を止められる唯一の者は、そのように死んだ。

趨勢は、決していた。

 

 

--

 

 

……スパルタ人と、アマゾネスの戦いも。

 

「お前は多くの命を無駄に散らしている、見ろ」

 

促すように、クレイトスは左手を振った。周囲に斃れているのは、ほとんどが女達だ。膝に手をついたスパルタ人は、なおも戦う気概を残している。

死に呼ばれ呻く哀れな狩人達への憐憫が、クレイトスの目にあった。

 

「大人しく降伏し立ち去れ。命までは必要としていない……帰るべき場所があるだろう」

 

結局、彼らが戦ったのは女だった。アルテミスの勇者は確かに強かったし、勝つ為に手段を選ばない非情さも持つ、しかし……女なのだ。クレイトスと、全てのスパルタの戦士にとって守るべき存在と同じ、自分達とは別の生き物……。

苦味を滲ませて言葉を紡ぐクレイトスを、ポティアは鼻で笑った。

 

「跪けと?私が?お前に?ちょうど今、私がお前に要求しようとした事だな」

 

棍を手放し、無防備な姿で間合いに足を踏み入れる彼女の姿は、クレイトスの動揺を誘う。

肌を濡らす汗と血は洞窟の奥から差す光で照り、冷めやらぬ戦いの高揚に混じる別のものを呼び起こした。

 

「或いはもっと良い方法もあるだろう?互いに殺し合うよりも、ずっと容易に、楽しく、望むものを得られる……」

 

クレイトスの胸板に、掌が触れる。ゆっくりと腹へと這わせられる。

噛み締められた歯を開いて、クレイトスはそれを振り払った。

 

「そしてお前は私の背を剣で貫き、アンブロシアを得るというわけだ。それを手にすることが出来るのはただ一人だけだ。お前が知らない筈はない」

 

ポティアは、虚ろに笑い、首を横に振った。

 

「選択の余地は無い、か。――――残念だ!」

 

腰に当てられていた左手は、刹那の光輝を湛えるその刃を繰り出した。

……それも、全て、クレイトスの目は看破していた。

 

「もう、話すことも無い。死ぬがいい!」

 

アルテミスの技が届くより先に、彼の剣はポティアの身体を真っ二つに両断した。美しきアマゾネスの戦士は、泣き別れた半身を岩肌に横たえ、二度と動かなかった。

この場の全てのアマゾネスが、そのようになっていた。地に臥し苦しみに喘ぐ彼女らに最後の慈悲を授けるスパルタ人達の顔は、一様に固い。

 

「我々の勝利だ、クレイトス」

 

「行こう」

 

ニコスに促されるまでもなく、彼は歩みを再開する。洞窟の出口から流れ込む光の奔流に身を晒すスパルタ人達。……見渡す限りまで広がる、砂の大地。

アポロの像は、矮小なる存在を嘲笑うことも、励ます事もなく彼らを見下ろしている……。

 

 

--

 

 

ただ歩く中、砂漠の熱気が増していくにつれ、彼の過去の記憶は薄れていく……。

……今ある、その悲惨なる現実に取って代わられるのだ。

 

「あなたの過去は、消すことなど出来ないのです、クレイトス……」

 

アテナの耳障りな忠告はなおも途切れなかった。クレイトスは、行く先を遮るように立つ光の化身を手で払う。

 

「お前は思わせぶりな事ばかり言う、過去だと?恐れるべき過去も未来も、私には何も無い!」

 

彼にはもう何もありはしないのだ。

彼は何もかもを失った。

彼が引き換えに得たものには何の価値も無かった。

彼が何よりも思っていた者達は、皆死んだのだ……。

 

「……クレイトス。あなたが恐れなければならないのは、その、戻らない死者達なのです」

 

「何だと?」

 

アテナの像が、蜃気楼のように歪んで消えていく。

 

「アテナ、どういう事だ!」

 

答えは、無かった。クレイトスは暫し謎掛けへの思索に佇み、結局何も得られずに歩き始める。

 

「……死者を恐れるだと?……そんなもの……」

 

広がる地平。生の気配を見出だせない熱砂の果てを目指し、クレイトスの足跡は一直線に辿られる。

崩れ落ちたアポロ像とすれ違う。手足が折れ、頭は砂の中に沈んでいた。神々の導きも無く歩く彼は、己の中にある衝動だけを拠り所に旅を続けていた……。

 

「死体……死者……」

 

……彼は、そこに転がる無数の死体を前にして、誰に対してでもなしに呟く。

焼かれそうな道程の末に、小さなオアシスへと辿り着いたクレイトス。そこが砂漠の終点だった。彼方に望む山々から流れ落ちる風が、冷えた空気を肌に与えた。

乾き、骨の覗く朽ちた骸達。光なき眼孔は、クレイトスの決して捨てられない感情を呼び起こした……。

……それは、まさしく現実となって彼の目の前に形を成しつつあった。

 

「……なぜ、俺達を見捨てた……クレイトス……」

 

死者は、禍々しい光をその目に宿した。抜け落ちた髪を振り乱す者。腐り落ちた鼻孔から息を漏らす者。どれも、クレイトスを恨めしげに睨みつけている。

そこに転がる骸のみならず、地に埋もれ骨ばかりとなって眠っていた者までも、そこから這い出す。

彼らは次々とクレイトスを取り囲んでいく。

 

「なぜ……お前だけ、生きている……?」

 

「お前も……!」

 

戦いの神クレイトスの前に、無数の敵が立ちはだかる。

それはかつて、彼に命を預けともに戦った者達……。

失われた過去の残滓は、呪いの言葉を奏でる……。

 

「見捨てないでくれ……」

 

「一緒に……!」

 

壊れた武器を構える、スパルタ人だった者達。冥界から呼び戻された哀れな魂は、壮絶な戦いで失った手足を晒し、クレイトスの耐え難い苦しみの記憶と重なる。

 

「違う……お前達は、もう死んだのだ!」

 

はらわたを締め上げるような重い枷を、その言葉ととも吐き出す。

背の双剣を抜いたクレイトスは、両腕に巻き付く冷たい鎖に、消えない激情を宿した。

 

「汚らわしいバケモノども、彼らの死を愚弄するな!」

 

炎が、双剣とともに死者たちを薙ぎ払った。円を作ってクレイトスに襲い来るスパルタ人の骸は、今度こそ永遠の眠りに就いていく。

クレイトスは、燃え盛る彼らの姿から目を逸らさずに叫ぶ。

 

「ハデスのもとへ帰るがいい!!!」

 

――――そして、怒りに目の曇る戦士は、背後から迫る刃を見落とした。

 

「お前が、俺達を裏切った!それが、この運命を紡いだのだ……!」

 

死者の言葉が、クレイトスの背に深く刻み込まれる。

どうあっても消せない痛みが、彼の心身を瞬時に縛り付けた。肘を地につきながら、苦悶の表情を浮かべて立ち上がろうと足掻くクレイトス。

 

「死ね……クレイトス」

 

傷の痛みに視界が暗く染まり、彼の意識はかつてこの場所で起きた出来事へと時を超えて彷徨う。

あの時、ここで何が起きたか……。

 

 

--

 

 

砂漠の真ん中で、スパルタ人達は深い疲れに喘ぎ、それでもただ前へと進んでいた。

今にも倒れそうなニコスに肩を貸して歩くクレイトスが、語りかける。

命を分かち合う全ての仲間にも伝えるように。

 

「ニコス隊長、前に進まねば。私達がスパルタ人である以上、足を止める事は出来ない。たとえ死の淵にあろうが、毅然として歩み続けよう……求めるものは、すぐそこなのだから」

 

翳る事のない日差しが、残り少ない体力を奪っていく。それでも彼らを突き動かすのは、スパルタの戦士として生きている挟持だけだ。

 

「アンブロシアならば、その傷も治す事が出来るはずだ、私の娘を救うとともに……」

 

希望は絶えずクレイトスの中にあった。何としてもそれを手にしなければならないという決意とともに……。

 

 

--

 

 

……いじましく今生にしがみつこうとする小さな意思も、冥界の王の力の前には無為に等しいものと、彼はすぐに知るだろう……。

 

「しぶといな、アレスの勇者よ。貴様さえ居なければ、儂もここまで気を揉む事もなかっただろう……」

 

祭壇に浮かぶ映像をひとり眺めるハデスが、そこへ向け手を伸ばした。

 

「そろそろ退場してもらうぞ」

 

掌から真っ赤な業火が生まれ、スパルタの軍勢へと降り注ぐ……。

 

 

--

 

 

何が起きたのか理解出来る者は、居なかった。そのまま影も残さずに焼け死ぬか、皮膚全てを焦がして耐え難い苦痛の末に死んだか……さもなくば、ただ逃げ惑い、悲鳴を上げ、神々の慈悲を乞うた。

天から落ちてくる幾つもの巨大な火の玉の前には、どんな人間の力もただそのようにしか反応出来なかった……。

だがクレイトスは、不条理をただ体現した光景を前に、それに対する怒りを燃やした。獄炎の瀑布に消える者達の無念は、彼が知れなければ他の誰も汲み取れないものに違いなかった。

 

「クレイトス――――伏せろっ!!」

 

ニコスとともに必死にその場を離れようとしていたクレイトスは、迫る業火の一欠片を目にした瞬間に突き飛ばされた。

すぐに上体を起こすが、目を焼く閃光に手を翳し、爆音に聴覚を失った。

 

「隊長!!」

 

爆ぜた火球の跡、陽炎の中に斃れるニコス。焦げた肌に外套が焼けて貼り付いた彼の命運は、誰の目にも明らかだった。

 

「なぜ……」

 

ニコスを抱き起こし、クレイトスは狼狽を露わにした。

ニコスは笑みを浮かべていた。

 

「私は皆の為の選択をしたのだクレイトス。今これからはそなたがそうする必要がある」

 

黒い灰を吐き出しながら、ニコスはその息吹を少しずつ弱めていく。

彼の目は、まっすぐにクレイトスを見つめていた。

 

「私がそうしたように……彼らを、導いてくれ……クレイトス……」

 

多くのスパルタ人がそうであるように、彼は最期まで戦士として生きた。

神の無慈悲な選別も過ぎ去っていた。沈みかける日に照らされるスパルタ人達は、冥界へ旅立った戦士を土の棺へと葬る。

全てが済んだ後、夜闇の下にある彼らは、ただ喪失感に打ちのめされていた。

 

「隊長、これから……私達は、どうすれば?」

 

男の言葉は途方も無い疲労が明らかだった。誰もが休息を必要としていたが、クレイトスはこの場所に留まる危険を知っており、抑えがたい恐怖が彼の中にあった。

 

「私達の旅は……まだ終わってはいない」

 

いつまた、神の力が自分達へ向けられるかもわからないのだ。そして、残された時間は多く無い。

しかし、彼はニコスの残した言葉を思い出した。誰かを導くには、その者達の要望を受け入れる時も必要だ……。

遥かな星々と、そこに並ぶスパルタ人達の眼差しを感じながら、クレイトスは座り込んだ。

 

「……明朝、夜明けとともに出発する。しっかり休んで、力を養っておくのだ」

 

煌々と輝く月は、真円へと近づいていた。

焚き火を囲み、歓談に興じるスパルタ人達に横目を向けるクレイトス。

 

「そうさ、あいつはいい女だった。滑らかで柔らかい感触、いつでも準備が出来ていてな……」

 

「ああ、アンシアが恋しいよ。あの唇、豊かな胸……」

 

「お前童貞じゃなかったか?あんなのが恋しいって?」

 

「だよなあ、あいつは誰とでもやる女だぞ。他にも居るだろ?」

 

「水曜日は、俺の為だけにって空けてくれていたな」

 

「水曜日?俺もその日に会ったぞ。働き者みたいだな」

 

「相手が居ないよりマシだ」

 

彼らは遠い温もりに思いを馳せていた。クレイトスは彼らを愚かだと思った。いつ死の担い手が現れるかもわからない戦場で、下世話な駄弁りに恐怖を紛らわそうとしているだけだと……。

……しかし、いつしか彼も、まんじりとした思考の中に愛する女の姿を浮かべる。

果ての見えない旅路に疲れ果てた心身は、確かな安らぎを求めていたのだ……。

見初めた時、名を伝えあった時、褥をともにした時、肩を抱き、寄り添い合って沈む日を眺めた時……。

青白い月の光が見せる幻は、彼の魂を眠りの世界へ引き寄せようとさざめく……。

 

「……お父さん……」

 

リサンドラの幻影が自分の頬に触れた瞬間、クレイトスはその声を聞いた。

 

「お父さん……お父さん……!」

 

振り向いた先には、冥界へ続く穴に飲み込まれていく娘の姿があった。

小さなてのひらを開け、短い腕を精一杯に伸ばし、言葉も解せぬカリオペは必死に助けを求める。

他でもない、たった一人の父親に。

 

「お父さん……助けて……!」

 

血の海の底へと沈んでいく娘の幻影。それが消えた後には、砂漠の地平まで広がる闇だけがあった。

 

「……!」

 

クレイトスは目を見開き、立ち上がった。足腰に溢れ出す力を抑える事など出来なかった。

 

「もう休息は十分だ!私達は行かなければならない!!」

 

どんな反駁も許さない気迫があった。聞く者の佇まいを一瞬で戦士へと引き戻すクレイトスは、先頭に立って、内なる炎の導きに従う。

スパルタ人達は、アスクレピオスの神殿へと続く最後の道程を進み始める……。

 

「……スパルタ人も俺達と同じものを求めているというわけだな」

 

遠くからスパルタ人の行軍を眺めている者達が居た。崖の上に立つアルリックは口角をつり上げ、言葉を紡ぐ。

 

「神々の慈悲に感謝せねばな。あんな腑抜けどもを倒すだけで父を救えるとは!」

 

蛮族は一斉に哄笑を上げる。昼も夜も無く馬で駆け続け、道すがらの全てを彼らは踏み越えて来たのだ。

首を落とし、ほうほうの体で歩くスパルタ人の影には、そのような反応しか生まれなかった。

 

「奴らは疲れ切っている。今ここで皆殺しにしてしまおう」

 

魅力的な提案を、武器を構えた蛮族の一人が行う。だが、アルリックは残虐な笑みでそれを制した。

 

「待て。アンブロシアはおそらく近い……だが、それを守る試練もまだ数多くあるはずだ。奴らは俺達の為に率先して面倒事を片付けてくれるだろう……そして、弱りきった奴らは容易く俺達に蹴散らされる。少し我慢すれば、全てうまくいくというわけだ」

 

悪辣などという概念は彼らに存在しない。勝つか、負けるか。奪うか、奪われるかだ。自分達以外の全ての者に対して彼らはそうだった。

それこそ、ハデスに勇者と見込まれた最大の理由だった。

 

「若君、南方に……」

 

目ざといその戦士は指差す。アルリックの目も、それを認めた。

たった一人、猛烈な速度の馬を駆る男の姿が、砂漠の中にあった。光輪を頭上に浮かべ、それは彼の身体に描かれる太陽の刻印を照らしていた。

 

「ん……成程、勇者はまだ残っているようだ。ちょうどいい、奴らをぶつけ合わせてしまえ。どちらが生き残ろうが、もはや俺達から逃げる力すらあるまい」

 

アルリックは斥候達に振り返り、拳を握った。

勝利への確信が、その笑みにあった。

 

「喜べ、我らが長が救われるのも目前だ……」

 

日の出が迫り、砂漠を踏破したスパルタ人達はそびえる山脈を前にしていた。

 

「クレイトス!あの山です……ロック鳥が飛び回っている……奴らはアンブロシアの番人だという言い伝えです」

 

ひときわ高く険しい山を指差した某は、伝説の実在に瞠目していた。迷いなくクレイトスはその山へと歩を進める。

あとに続く兵士は、悪路を力強く踏みしめるごとに、確信を強めていく。

 

「間違いありません……私達が求めるものはすぐそこに」

 

「ああ、そうだろう。そうでなければならない……」

 

巨大な大鷲の影から逃れるように、軍勢は山に貼り付き、崖を飛び、岩壁を登った。狭路をひた歩き続けた末に、視界は開かれた。

アポロの子、医術の神、不死なる蛇の主アスクレピオス。その神殿は、どんな人間も寄せ付けない世界の果てであっても、巨大な彫刻と門柱に守られた荘厳さで見る者の心をうった。

地平を照らそうとする日の光は、白亜の神像と尖った山の陰影を神々しく彩っていた。

……山一つくり抜いて作られた神殿へと続く広い道を、スパルタ人は歩く。その果て、神殿の入口には、一寸先も知ることの出来ない深い闇が広がっていた。

クレイトスを導くアポロの炎は、間違いなくその奥へと彼を誘おうとしていた。

 

「命に代えてもここを守るのだ、いいな」

 

そう兵士に言い渡し、クレイトスは闇の中へと足を踏み入れる。

アポロの炎は、あらゆる光を飲み込む闇を退けて彼を導いた。

……そして彼は、ついにそこへ辿り着いた。

アポロの炎が止まると、道の両脇に篝火が点いた。いつの間にか平坦な石床になっていた通路に、杖に絡みつく蛇の紋章が浮かび上がる。

だがクレイトスの目は、途切れた道から眼下に広がる湖と、巨大な島に生える無数の樹木に奪われた。

娘カリオペを救う、たった一つの手立てを、彼は見つけたのだ。

ためらう事なく湖へと飛び込むクレイトスは、そのまま島へと上陸して階段をのぼっていく。

一つの葉もつけない枯れ木に挟まれた、希望への階段。その先に、それはあった。

小さな木だった。青々とした葉を茂らせた、曲がった幹のその木は、クレイトスの手がちょうど届く高さに、一つの実を成らせていた。

この小さな果実は、いったいどれ程の勇者の命を啜ってきたのだろうか……。

 

「私は約束を守る、カリオペ」

 

それをもぎ取ったクレイトスは、そのまま強く握り締め、滴る果汁で革袋を満たした。

――――そしてまた、彼に克服すべき苦難が訪れる。

 

「スパルタ人!」

 

呼び声の主を確かめるより先に、クレイトスは動いた。

 

「アンブロシアは貰い受けるぞ!」

 

「断る!!」

 

まばゆい光が、飛び退いたクレイトスの元いた場所を焼いた。

触れるもの全てを燃やし尽くす光線を放つ存在は、太陽のようにクレイトスの直視を拒んだ。反射的に瞼を閉じようとする彼に対し、その勇者は手心を加えなかった。

小さな岩山から飛び降りるや、もう一発、更にもう一発と光線を放つ。凄まじい轟音と爆風、密集する枯れ木によって増す炎の熱が、クレイトスの身体に襲い掛かる。

 

「――――っ!」

 

掠めた焦熱と、背後の爆発に思わず耳を抑えるクレイトス。しかし、上げた顔には逡巡の無い決意が滾っていた。

 

「その気ならば、容赦はせんぞ!」

 

岩壁へと駆けるクレイトスへと向けられる太陽の腕。放たれる光線は、ただ岩を熔かし、新たな薪を生んだ。

壁を蹴り、闇の広がる天蓋目掛けて跳び上がったクレイトスは、陽炎の中に在る勇者の死角に降り立つ。燃え盛る木々の中へと。

 

「耳障りな騒音も、そこまでだ!」

 

炎の中から飛び出したクレイトスの飛び蹴りを食らって、その影は島を焼き尽くす灼熱の中へ消える。

 

「貴様の生んだ業火に焼かれるがいい!」

 

賞賛の言葉を投げてよこすクレイトス。

だがその影は悠然と立ち上がり、ゆっくりと炎の中を歩いて、互い勇者の顔を認められる距離で止まった。

そして、呟いた。

 

「誰を焼くだと?」

 

クレイトスは、影を前に片膝立ちになり、いつでもその身を動かせる姿勢をとった。

 

「太陽の神の勇者を焼き殺す事が、出来ると思うか?」

 

セレヨンは、全身に紅炎を纏ってクレイトスの死をその手に宿した。

集束する太陽の力が弾けるよりも先に、クレイトスが跳ぶ。

閃光と爆発が、彼の身体を更に後押しした。前へと跳んだ、戦士の意思を。

 

「ぐあっ!」

 

容赦ない衝突で声を上げるセレヨン。触れるもの全てを焼き尽くす光の化身は、スパルタ最強の戦士に組み付かれた勢いで断崖を落ちていく。為す術もなく……。

 

「やめ――――っ!!」

 

一つの火の玉が、水面を突き破った。蒸気は凄まじい勢いで噴き上がる。湖の中では、クレイトスの剛腕がセレヨンの首をがっちりと極め、その筋肉を限界まで興らせていた。

死に物狂いのセレヨンは、一度はそれを外したが――――戦士の執念は再び獲物の身体を掴んだ。両手のひらが、セレヨンの気道を今度こそ握りつぶした。

底なしの闇へと沈みゆく太陽の勇者。水面から顔を出したクレイトスはアンブロシアを掲げ、勝利の雄叫びをあげた……。

 

「クレイトス!」

 

闇の中から戻った彼を見て、兵士の声は歓喜に満ちた。

まして、手に在る革袋を見れば、驚愕に身体を強張らせる。

 

「それは、まさかアンブロシア……!」

 

クレイトスは高々と偉業の証を見せつけて、叫ぶ。

 

「そうだ、皆!!これよりスパルタへ帰還する!!」

 

全てのスパルタの戦士は、感動と喜びに沸いた。両手を上げ、歓声が響く。長い、険しい、果ての見えない戦いだった。

人ならぬ敵、神に選ばれた勇者、抗いようのない災害……神の怒り。かつてそれらを体験した事のある者など、誰一人としていなかった苦難の数々。

だが幾度も尽きかけた皆の気力を偉大なる戦士は鼓舞し続け、勝利を疑わない姿で導き続けた。

誰もがクレイトスを、真の勇者だと認めていた。そして思った、この英雄譚を故郷で永遠に語り継ごうと……。

その時だった。

 

「そう急くこともあるまい」

 

それを阻もうとする、最後の敵が彼らのもとへと現れた。

 

「これほどの旅でさぞや疲れているだろう、スパルタ人ども」

 

山を揺らす蹄の音。馬の嘶き。――――無数の戦士の咆哮。

 

「ここでゆっくり、永遠に休むがいい!!」

 

餞代わりの巨大な戦斧を掲げるアルリックは、そこに会する全ての者に聞こえる声で、叫んだ。

 

「殺せ!!皆殺しだ!!」

 

蛮族の鬨の声が、スパルタ人の心身を凍てつかせた――――。

 

 

--

 

 

クレイトスが越えてきた苦難の記憶は、いまの危機が迫り来るのを自覚して霧散した。

 

「死ね!」

 

逆手に握られた剣は、クレイトスの心臓を空振り、地に突き立てられる。

 

「死んだのだ……全て」

 

横に転がって死者の怨嗟を躱し、その剣の持ち手を掴んで起き上がった。

クレイトスは、万感の思いを込めて呟く。

 

「……死者はそのままであるべきだ。もう何もするな、何をしようと、私を止める事は出来ない」

 

奪った剣で、持ち主を貫くクレイトス。冥界へと帰っていった魂の抜け殻が、彼の周囲に残った。

 

「私はもうお前の知っている私ではない……お前が人間ではないように」

 

行く手を阻む岩の柱を、死者の剣で砕く。光が洞窟に溢れた。

 

「今の私は神だ。戦いの神なのだ」

 

あの時と同じ、荘厳な光景がクレイトスを出迎えた。

夕暮れの色が神殿を染めていた。

 

「……アンブロシア……」

 

迷いなく、あの時と同じ道を辿り、彼はそこにやって来た。

 

「やはり……まだ、残っていたか」

 

通路を照らす火はとうの昔に燃え尽きていた。だが仄暗い視界には暗い湖と、葉の無い木々を乗せて佇む島が変わらずにあった。

きっとあの時から、誰ひとりとしてここに来た者は居なかったのだろう。

島の中心で微かに輝きをたたえる木を見つめ、クレイトスは呟いた。

 

「太陽の火でも、アンブロシアの木を焼き尽くす事は出来なかった……だからこそ、私は帰ってきたのだ」

 

あの時と同じように、湖へ飛び込み、島へと上陸する。階段を登っていくクレイトス。その先にあるものも同じだ。不毛の島で一本だけ、葉を茂らせる生命の木。

だが、今度の目的は違う……。

 

「クレイトス!!」

 

世界を揺らすほどの声が、大広間に反響した。クレイトスはたたらを踏む。

階段は確かに揺れ動いていた。凄まじい地響きと同時に、枯れ木の根本に赤い光が灯る。

 

「何!?」

 

階段に、大穴が開いた。とっさに跳び、木の枝を掴んでぶらさがるクレイトスを、島の斜面に並ぶ無数の瞳が見据えていた。

木々はひとつひとつが、意思を宿したかのようにうねっていた。

底の見えない穴には、幾重もの牙が生えている。巨大な口から、どこまでも重く響く、恨めしげな声が再び轟いた。

 

「待っていたぞ、貴様を待っていた、クレイトス!!」

 

それは島ではなかったのだ。

想像を絶するほどの巨体の主は、百の目玉全てに激しい怒りを宿していた……。

 

 

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