虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第九景『若虎快復聞書(わかとらかいふくききがき)

 

「……ここは」

 

 剣神流道場にて手酷い“仕置き”を受けたウィリアム。

 雪原に放り出され、その後駆けつけたギレーヌとエリスの治療を受けた。その後、怨みのこもった独白を吐き、眠るように気絶した。

 

 目を覚ましたウィリアムは、自身がベッドに寝かされていた事に気付いた。やや煤けた天井を見つめる。

 

「ぐっ……」

 

 傷んだ体を起こす。周りを見ると、くたびれた調度品が並んでおり、お世辞にもあまり良い等級とはいえない宿の一室である事が伺えた。

 己の体を確認すると、剣神や北帝に受けた傷は包帯が巻かれていた。包帯の上からは確認出来ないが、傷はほぼ塞がっているように思えた。服は着ておらず、下履きしか履いていない。包帯は丁寧に巻かれていた。

 

「……ッ」

 

 立ち上がろうと力を入れる。が、重い体に引きずられ、ベッドに倒れ込んでしまった。

 傷は塞がっていたが、肉体が失った血は存外に多かった。

 

 再び煤けた天井を見つめる。

 自然と、涙が溢れて来た。

 その涙はただの悔し涙ではない。怨恨に満ちた、暗い感情が込められた涙であった。

 

「おのれヒトガミ……おのれ剣神……」

 

 先程まで見ていた“夢”の内容を思い出す。

 思えば、あの訝しすぎる(・・・・・)神は最初に夢に現れた時から思う所はあった。

 あの時はあまりにも唐突な事態であった為、ヒトガミの助言に唯々諾々と従ってしまった。

 

 ウィリアムが受けたヒトガミの助言は、今回のを含め都合四回。

 一回目は素直に従い、実際に助けになった。

 二回目も、一回目が上手くいった事で素直に聞いた。

 

 そして三回目。

 今までの助言に比べて、妙にぼかした言い様だった。訝しみながらも、その助言の通りに事を進めた。

 

 そして、屈辱を味わった。

 

 このような結果になるくらいなら、従わずに剣帝を打ち倒し、そのまま剣神と仕合えばよかった。

 五分の状態で剣神と立ち合えるならば、己の虎眼流が遅れを取ったとは思えなかった。

 

 あの不意打ちさえなければ──

 

「……やってくれた喃」

 

 自身の背に木剣を突き立てた剣神は、完璧にその“意”を消していた。

 剣神の不意打ちにも腹が立ったが、それを察知出来なかった己の未熟さにも腹が立った。

 

 何が異界天下無双か──

 

 反撃の抜き打ちも水神流の技で受け流された。その後、あの“奇抜な”剣士にも遅れを取った。為す術もなく、剣神流の門弟に袋叩きにされた。

 

 結果だけ見たら、己は負けたのだ。

 

 転移してからウィリアムは苛烈な日々を過ごしていた。培った自信と、より練り上げた虎眼流をぶつけんが為、挑んだ剣神流であった。だが、結局剣神には届かなかった。

 まだ挑むのには早かったのだろうか。

 そう思うと、こうして命がある事は僥倖なのでは……

 

 ウィリアムはそこまで考え、かぶりを振った。

 あの助言が正しかったかどうかはもはやどうでもよかった。どちらにせよ、今後はあの怪しい“人神”の言うことは真に受けない方がいい。シャリーアに兄がいるというのも怪しいものだ。

 先程の夢にて告げられたあの助言をまともに聞いて、果たして己の為になるものか。

 そもそもが、兵法者として己が信仰していたのは鹿島香取の神兵、軍神武甕槌神(たけみかづちのかみ)であって、あのような怪しい詐欺師紛いの自称“神”ではない。

 助言を聞く必要は全く無かったのだ。

 

「……うむ」

 

 しばらく横になっていたおかげか、漸く体を起こすことが出来た。なにはともあれ、まずは腹に何か入れたかった。

 虎が本能で“餌”を求めるかのように、ヨロヨロとベッドから這い出る。

 若干の肌寒さを感じた。ふと、ベッドの近くに備え付けられているテーブルを見ると、綺麗に折り畳まれた衣服と自身の“妖刀”がそこにあった。

 衣服を掴み、もそもそと服を着る。

 そして、妖刀を手に取った。

 

「……」

 

 スラリと鞘から刀身を抜く。

 妖しく輝く刃の刃紋を見て、前世でどのような経緯を辿ってきたのかおおよそ(・・・・)察する事が出来た。

 ウィリアムはスゥっと、刃の芳香を嗅ぎ取る。刀身からは、僅かに女人の血の匂いが感じられた。

 いくら手入れをしても落ちぬその無惨な芳香は、剣鬼の魂を鎮撫するのに役立っていた。

 

『藤木……』

 

 この世界の言葉ではなく、日ノ本言葉で呟くウィリアム。

 前世での忠弟が見事に仇を取ってくれたであろう事が容易に見て取れた。

 

 でかした! よう伊良子を成敗いたした!

 

 そう、喝采を上げたくなる程の高揚感がウィリアムの中で湧き上がる。

 しかしその後の残酷な結末までは想像出来たのだろうか。

 濃尾無双とまで言われた無双虎眼流本流が、岩本家嫡流が潰えてしまった事は、剣鬼がいくら刃を見つめても知る事は出来なかった。

 

 クゥ、と、ウィリアムの腹が鳴った。

 存外にこの体は空腹を覚えていたようだと、ウィリアムはやや顔を赤らめる。

 剣を鞘に収め、杖代わりにして部屋から出た。

 

 思えば、この妖刀を再び入手した経緯も人智を超えた“怪異”としか思えないような出来事であった。

 もしかしたら、虎子が“親”を想って、この妖剣を異界へと送り届けてくれたのだろうか……己の窮地を幾度も救ってくれた、この妖剣を見つめウィリアムはそう思考する。

 そう思えば、この妖剣が自身の手に舞い戻ってきた意味が見えて来るのだ。

 

 虎眼流は異界においても“最強”であれ──

 

 弟子からの時空を越えた後押しを感じた若虎は、力強く歩を進めた。

 

『見ておれ……この世界でも、虎眼流は天下無双。無駄にはせぬぞ……』

 

 忠弟の“手柄”に報いるかのように、ウィリアムは呟く。

 虎は一度の敗北では決して折れない。

 

 “異界天下無双”に至るまで、虎は決して歩みを止める事は無いのだ。

 

 

 

 


 

 

 

「もう起きていたのか……」

 

 ウィリアムが起き上がってから小半刻が経った頃、“剣王”ギレーヌ・デドルディアが部屋に入って来た。

 つい先程まで寝ていたはずのウィリアムの姿が無い事で、ギレーヌは虎が思ったより早く回復していた事に驚きを感じていた。

 

 傷ついたウィリアムをここまで運んだのはギレーヌであった。

 剣の聖地に程近い街にあるこの宿屋は、ギレーヌが剣神流に入門したての若い時分に厳しい稽古から“逃げる”為によく利用していた。剣神流の若い門下生が厳しい稽古から逃げる為の一時の逃げ場になるようにと、宿の主は創業時の理念としていたのだ。

 もっとも宿の主自身が剣神流の猛稽古から“こぼれ落ちた”一人であった事から、そのような理念に至ったのだが。

 ギレーヌにとって古くから馴染みのある宿でもあった為、ボロボロのウィリアムを見ても何も言わず、粛々と迎え入れるくらいは気を利かせてくれた。

 

「まだ満足に動ける体ではないのに……無茶をする」

 

 そっとウィリアムが眠っていたベッドに腰をかけ、体温が残るシーツを撫でる。

 ギレーヌはシーツを撫でながらウィリアムとエリスとの立ち合いを思い起こしていた。

 エリスの指がへし折られ、不様を晒したあの試合。エリスの悔しさに満ちたあの表情を見たあの瞬間は、ギレーヌは己のはらわたが煮えくり返る思いを感じていた。

 しかしこうしてウィリアムを宿屋に運び入れた頃には、既にギレーヌはウィリアムに対し何ら遺恨を感じる事は無かった。

 

 あれはエリスの未熟が招いた事──

 

 姉弟子であり、かつてはボレアス家でエリスに剣を教えていた師匠としての立場から見ても、ウィリアムの立合いは堂に入っていた。

 正々堂々と剣神流に乗り込み、剣帝までも圧倒した。

 その姿を見てギレーヌは胸が熱くなる思いを感じた。獣族の本能からか、“強い雄”を見ると気持ちが高ぶるのだ。

 

 もっともウィリアムがパウロの息子だと知り、9年前に見たあの才気溢れる少年だと気付いてから、遺恨など持ちようが無かったのだが。

 

「一体どんな修練を積めばあそこまで到れるのだろうか……」

 

 ギレーヌはウィリアムの残り香を感じつつ、そう呟く。

 転移してからパウロが必死になって家族を探していた事は、各地に残されたギルドの“伝言”を見て知る事が出来た。

 その必死な探索網に全く引っかからずに、あまつさえあのような実力を身に付けていたとは。

 名前を変えた理由、ウィリアム自身が家族を探そうとはしなかったのか、そして剣神流に向かって来た理由とは……

 

 とにかく、ウィリアムには色んな事を聞きたかった。

 ギレーヌはルーデウスから読み書きや算術を教えてもらい、昔に比べて頭は回るようにはなってはいたが、ウィリアムが転移後どのような心境の変化、そしてどのような日々を過ごしていたのかは全く想像する事は出来なかった。

 

「パウロか……」

 

 ふと、ギレーヌは冒険者パーティー“黒狼の牙”時代を思い出す。

 僅か数年でS級へと駆け上がり、中央大陸ではその名を知らぬほどの冒険者パーティーと成った“黒狼の牙”

 リーダーのパウロとメンバーのゼニスが結婚するまで中央大陸で大いに暴れまわったものだと回想する。

 

 エリナリーゼ、タルハンド、ギース……

 

 かつての仲間達は今どこで、何をしているのだろうか。

 あのパウロの伝言を見て、パウロの家族を探しているのだろうか。

 自分も、パウロの家族を探しに出た方がいいのだろうか。

 

 そこまで思考し、ギレーヌは僅かに頭を振る。

 自分にはエリスを一人前の剣士として育てる使命があるのだ。

 そして、大恩あるサウロス様、フィリップ様、ヒルダ様の“仇”を取らなければならぬのだ。

 

 ぎゅっとベッドのシーツを握りしめる。

 転移に巻き込まれ、中央大陸南部の紛争地帯で感じた無念は未だにギレーヌの中で燻っていた。

 フィリップとヒルダの死を確認した時の、あのどうしようもない空虚な思い。その空虚な思いは、フィリップ達を殺した下手人を斬り殺しても晴れなかった。

 フィットア領に帰還した後も、サウロスがアスラ王国上級大臣とノトス家当主によって転移事件の全責任を押し付けられ、処刑された事を知り口惜しさを感じた。

 

 エリスがルーデウスに相応しくなるよう決意した時、ギレーヌもまたボレアス家の人々の無念を晴らすことを決意したのだ。

 パウロには悪いが、この事はギレーヌにとって何よりも代えがたい使命であった。

 

 ボフっと、音を立ててベッドに倒れ込む。

 寂寥感と、申し訳無さがギレーヌの心で広がっていた。

 いつになったら、この心の虚無は埋まってくれるのだろう。

 

 ウィリアムが使っていた枕に、顔を埋める。

 ギレーヌがいくら考えても、陰鬱な思いが晴れる事は無かった。

 

 

「スン……」

 

 ふと、枕に残った匂いを嗅ぐ。

 雄々しくも、どこか懐かしい匂いが感じられた。

 

「パウロの匂いがするな……」

 

 ギレーヌはかつて“黒狼の牙”でパウロとただならぬ(・・・・・)関係を持っていた事があった。

 

 元々無頼の女好きであるパウロが、ギレーヌが発情期になった時をつけ込んで半ば無理やり関係を持ったのだ。

 それからある理由で淫蕩な性格を持っていたエリナリーゼを交え、3人で爛れた生活を送っていた時期があった。

 パウロがゼニスを孕ませてからは指一本、自分やエリナリーゼに手を出してくる事も無くなったが、今にして思えばあれは恥ずかしい淫猥な日々であった。

 快楽に身を任せ、ただ溺れていた自分が情けなく、どうしようもなく恥ずかしかった。剣王として、己の欲を律する事が出来なかったのが許せなかった。

 

 パーティーが解散してから、ギレーヌは発情期になると猛稽古を課すことでその滾った情欲を発散させていた。

 剣の聖地に来てからもそれは変わらず、周りの門弟達は獣族の発情期が近づくとギレーヌの猛稽古に付き合わされる事を想像し、陰鬱な表情を浮かべるようになった。

 もっともギレーヌの猛稽古に付き合わされるのはもっぱらエリスだけであったので、門弟達にはなんら“被害”は無かったのだが。

 

「スン……スン……」

 

 枕に顔を埋め、ウィリアムの芳香を嗅ぎ続ける。

 思えば、既に今年の発情期は始まっていた。どうしようもなく高ぶった感情を鎮めようと道場へ向かった矢先、ウィリアムが来てしまった。

 稽古で発散する事が出来なかった獣慾が、ギレーヌの中で大きく膨らんでいった。

 

「スーッ……ハァー……」

 

 大きく吸い込み、熱い吐息を吐き出す。

 ギレーヌは発情期で高ぶった獣慾を、自分で慰めて鎮める事は殆どしなかった。

 そのような事をする必要が無く、ただ獣の様に剣を振る事で欲を発散することが出来たのだ。

 でも何故か今だけは、この高ぶった感情を剣を振る事以外で鎮めたくなった。

 

「……ンッ……ハァ……」

 

 自然と、下腹部に手が伸びる。

 熱い吐息は、徐々にその熱を高めていった。

 

 ウィリアムの“匂い”は、パウロとの爛れた日々を思い起こすだけでなく、パウロには無かった雄々しい“獣性”が感じられた。

 その匂いは、獣族の“雌”にとって抵抗し難い悩ましい引力を発生させていた。

 

 ギレーヌは下腹部に伸ばした手を動かし、ウィリアムの体を思い起こす。治療をしていた時に見たウィリアムの肉体は、年齢に似つかわしくない程歴戦の古傷が浮かんでいた。

 その肉体は獣族の女にとってどうしようもなく逞しく、美しく、そして淫靡な肉体であった。

 ギレーヌはウィリアムの肉体が発していた残り香に包まれ、増々その獣慾を滾らせていった。

 

「アッ……クゥッ……」

 

 最低限しか肉体を隠していなかったその面積の少ない衣服ごしに、己の乳房を掴む。ギレーヌの悩ましい声が、湿った水音と共に部屋に響いた。

 剣の聖地は常に雪が降り積もる程の寒さであったが、部屋は艶めかしく、淫靡な温度が保たれていた。

 

 もはや、そこにいるのは“黒狼”の二つ名を持ち、剣王の称号を抱く女剣士では無く、欲に負けてしまった一匹の“雌”がいるのみであった。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ふと入り口に目を向けると、食事が入った籠を抱えたウィリアムが白い目でギレーヌを見ていた。

 

 

 

「フッッ!!!」

 

 

 ギレーヌは驚きのあまり、全身が硬直する。尻尾はピンッと立って、その毛は逆だっていた。驚愕と羞恥が織り交ざった事で、その顔は一瞬にして朱に染まる。

 行為に夢中になるあまりに、ギレーヌはウィリアムの存在を全く感知することが出来なかった。

 

「……」

「……」

 

 しばし見つめ合う二人。

 立合いとはまた違った、妙な緊張感が辺りに漂った。

 

 

「……ごゆるりと」

 

 

 パタン、とドアを閉める。

 ギレーヌは人生で最も速い俊敏さで扉に向かった。

 

「待てッ! 待ってくれッ! 今のはッ! 今のは違うんだッ!!」

 

 何が違うというのか。

 ギレーヌの顔はゆでダコの様に真っ赤に染まり、先程の行為のせいもあって全身から汗を噴き出していた。ドアノブを掴み、全力で扉を開けようとしたが、向こう側でウィリアムが押さえているのかドアはびくともしなかった。

 

「それがしにお構い召されるな」

「構うわ! ていうか開けろ!」

「存分に戯れ(・・)よ」

「戯れんわ! クソッ! 凄い力だな!」

 

 万力のように締め付けられたドアノブが、音を立てて軋む。

 あれ程の傷を負っていたウィリアムのどこにこのような力が残っていたのだろうか。

 そんなどうでも良い事を思いつつ、半ば錯乱したギレーヌはドアを猛然と叩いた。

 

「あっ!」

 

 破砕音と共に、ドアが縦に割れた。

 剣王と剣虎の剛力に耐えられるドアは、この世界の宿屋には存在しなかった。

 

「……」

「……」

 

 再び気まずい沈黙が流れる。

 互いに、目を合わせようとはしなかった。

 

「……まぁなんだ。ウィリアム。今のくだり、無しな」

「……」

 

 

 破壊されたドアから吹き込む外の風により、宿の一室は適度な温度が保たれていた。

 

 

 


 

 

「そうか、シャリーアに行くのか」

 

 テーブルに備えられた椅子に座り、ギレーヌは言葉をかける。

 ウィリアムはベッドに腰掛け、もくもくとパンを頬張っていた。

 

「確か、以前ウチのニナがラノア魔法大学にいるルーデウスを見に行った事があったな。あの時何があったのか知らんが、ひどく打ちのめされていたようだったが……」

 

 先程の醜態を見られたせいか、やたらと饒舌なギレーヌ。それを尻目に、ウィリアムは調達した食料をただ黙々と喰らっていた。

 ギレーヌもギレーヌでお構いなしに、ルーデウスとの手紙のやり取りで知り得た今のグレイラット家の現状を喋る。

 妹達の名前を聞いても、ウィリアムは表情を変える事無く、黙々と食事に手を付けていた。

 

 最後のひとかけらとなったパンを口に放り込み、水差しを直接口をつけ、喉を鳴らす。

 そこに、一匹のノミ(・・)がウィリアムの目の前を跳ねた。

 

 パチッ

 

 宙空のノミを一瞬にして二本の指が仕留めていた。

 

「見事だな」

 

 ギレーヌはほぅ、と、感嘆のため息をつく。

 復活したウィリアムの肉体は、瑞々しい生命力を放出していた。

 

 やがて人心地が付いたウィリアムは、その場で深々と一礼をする。

 

「遅れ申したが、それがしを()けて頂き真っ事感謝に耐えませぬ。この恩は、いずれ必ずや……」

「ああ、その事は気にするな。あたしも師匠のやり様は気に入らなかったんだ」

 

 深々と腰を折るウィリアムに、ギレーヌはひらひらと手を振る。

 事実、不意打ちをしたあげく嬲りものにした剣神がどのような思惑を持っていたとしても、ギレーヌはそれを許すことは出来なかった。

 

 静かな時間が流れる。

 尚も頭を下げるウィリアムに、ギレーヌは一番聞きたかった事を問いかけた。

 

「ウィリアム……おまえは、ウィリアム・グレイラットで間違いないんだな?」

「……」

「どうして、パウロ達を……家族を探そうとしなかったんだ……?」

 

 白髪の総髪が僅かに揺れる。

 何故、名前を変えたのか。

 何故、家族に会いにいこうとしなかったのか。

 詰問するわけではなかったが、ギレーヌはこの何を考えているのか分からない少年に、真っ直ぐその疑問をぶつけていた。

 

 沈黙が続く。

 やがて顔を上げたウィリアムは、何かに耐えるように僅かに表情を歪めていた。

 

「……ウィリアム・グレイラットは、あの転移で死に申した」

「ウィリアム……」

「ここにいるのはウィリアム・アダムス。それに尽き申す」

 

 ウィリアムの決意を携えた眼差しをじっと見つめるギレーヌ。

 余人には計り知れない思い、くぐり抜けてきた修羅場がウィリアムの眼に現れていた。

 

 やがてため息を一つついたギレーヌは、それ以上の詮索を諦めた。

 

「……わかった。お前が何を思って名前を変えたのかは、もう聞かない。ただ、シャリーアへ行くという事はルーデウスに会いにいくんだろう?」

「……はい」

「ふむ……」

 

 顎に手を当て、ギレーヌはしばし思案する。

 しばらく瞑目していたが、よしっと、意を決してウィリアムを見つめた。

 

「あたしがネリス公国の国境まで送ってやろう」

「え」

 

 ウィリアムは全く予想してなかったギレーヌの言葉に、目を丸くして固まった。

 

「なに、徒歩でもそれ程かかる距離ではない。少しばかり剣の聖地を留守にしても、何も咎めは無いさ」

「いや……」

「何だ? あたしの心配は無用だぞ。帰りは駆けていけば一月で帰れるしな」

「そういうわけでなく……」

「ああ、これは恩返しとか考えなくていいぞ。気遣い無用だ」

「だから……」

「よし! そうと決まれば善は急げだ! さっさと支度しろ! あたしも支度してくる!」

「……」

 

 強引にウィリアムの旅についていく事を宣言し、部屋を後にするギレーヌ。ネリス公国の国境までの短い旅路ではあるが、ウィリアムは何故ギレーヌがついてくる事になったのか、ただ困惑した表情を浮かべるのみであった。

 というか、復活したとはいえまだ傷は完全に癒えているわけでなく、そもそもシャリーアへ行くといっても真っ直ぐ向かうつもりは毛頭無かったわけであるが。

 

「……」

 

 嘆息を一つ吐き、ウィリアムはふと運命の妖刀を見やる。

 妖刀“七丁念仏”──

 ウィリアムはこの妖刀に“虎殺し”の名前が付け加えられた事を知らない。

 だが、“七丁念仏”が招く数奇な運命を感じ取る事は出来た。

 果たしてこの妖刀は、自身の助ける文字通り“助太刀”となるのか。

 或いは、以前と同じように持ち手に仇なす“悪剣”なのだろうか。

 

 シャリーアにいる兄に会い、ヒトガミの思惑に乗って良いのだろうか。

 それとも、真っ向から歯向かい、兄の出立を止めない方がいいのだろうか。

 

 ギレーヌが出立の準備を整える為、部屋を出た後……一人残されたウィリアムは瞑目し、思考する。

 

 いくら考えても、どちらが正しいのか見当もつかなかった。

 逆を張る事が、かえってあの悪神の思惑通りになる事も考えられた。

 素直に従えば、それはそれであの悪神を喜ばせる事になりかねなかった。

 

「已んぬる哉……」

 

 そう呟きながら思考を続ける。

 シャリーアにはルーデウスの他に、ノルンとアイシャ、リーリャがいるという。

 しかし今更どの面を下げて会えばいいのだろうか。

 

 転移した後、しばらくはあの場所(・・・・)で留まっていた為、家族がどうなっていたか皆目見当が付かなかった。

 後にフィットア領へ赴いた際、父パウロが必死になって自分達を探していた事を知った。

 しかし、その時のウィリアムは家族は既に亡き者と思い、苛烈な環境に身を置くことで“異界天下無双”に至る為の日々を過ごしていた。

 何もかもを捨て、一廉の人物となったあの異国の迷い人に倣い、グレイラットの姓を捨てアダムスと改めた。

 それゆえに、今更家族に対して想いを抱く事は“異界天下無双”を目指す虎にはあってはならない事なのだ。

 

 無双の剣士に至るまで己のあらゆるものを捧げなければ、かつて縄で縛られた“牛”に対して背信する事になってしまう。

 前世での忠弟に不誠実な事はしたくなかった。

 

 そのような想いから、ウィリアムはパウロが残した“伝言”を無視した。

 かつては建前で『己の多くを捧げる事で剣の(ひじり)が宿る』という事を宣っていた。しかし今生ではそれがウィリアムの中で確かな真実となって、心に根付いていたのだ。

 転移での様々な“経験”が、虎の前世での価値観を僅かに変えていた。

 

 やがて大きく息を吐き、ウィリアムは決意する。

 

 どちらにせよ、自分は歩みを止める事は無いのだ。

 “異界天下無双”に至るまでに、足りない所は補う必要がある。

 聞けば、ラノア魔法大学にはこの世界でも屈指の強者と言われる“魔王”が逗留しているという。

 また、ラノア魔法大学には魔術だけでなく、軍学や兵法を教えることもあるという。

 ならば、魔王を打ち倒し、更に己の虎眼流を高みに達する為にシャリーアへ赴くのも一興。

 

 そこで兄に会って、どうするかはその時に考えれば良い。

 いや、剣の聖地へと至るまでに伝え聞いた“泥沼”の強さも体感してみたかった。

 強い魔術師ですら、“異界天下無双”の糧となるしかないのだ。

 

 己の使命は、虎眼流を最強の頂きに持っていくことのみ。

 そして、頂きに立つ為には再びあの剣神と刃を交えなくてはならない。

 

『その時は、出鱈目に刻んで盛ってくれるわ……』

 

 怨みがこもった日ノ本言葉を呟くウィリアム。剣虎は地獄の業火ともいえる熱く、そして暗い感情を高ぶらせた。

 決して折れることのないその熱を受け、妖刀もまた妖しく刃を輝かせる。

 

 先程までとは比べ物にならない“熱”が、部屋の中を充満していた。

 

 

「ウィリアム! そういえば路銀は持っているのか!? あたしは生憎持ち合わせが少なくてな! 少しばかり貸してくれると助かるんだが!」

 

 旅装を整えたギレーヌの間が抜けた言葉に、ウィリアムは思わずがくっと頭を垂れる。

 短い間ではあるが、この締まりのない“黒狼”との旅路に待ち受ける“困難”を想像し、ウィリアムは力のない笑みを浮かべるしかなかった。

 

 

 

 

 かくして復活した剣虎と黒狼は剣の聖地を旅立つ。

 シャリーアにて待ち受けるは、虎にどのような運命をもたらすのか。

 まだ見ぬ強者と、断ち切った家族の絆を思い、虎は力強く歩を進める。

 

 

 シャリーアへと続く道は、深々と雪が降り積もっていた。

 

 

 

 

 

 

 


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