虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第十景『虎狼剣客恋唄(ころうけんかくこいうた)

 

 寛永三年(1626年)

 薩摩国川辺郡坊津

 

「ちぇすとおおおおおおッッ!!!」

「きえぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」

「うりゃりゃりゃりゃーーッッ!!!」

 

 道場では(ゆす)の木剣が軋む音と共に、門弟達の裂帛の気合が轟いている。そこには上級武士も下級武士も無く、ただただ己を鍛える為に剣を振るう男達の姿しかない。

 道場内は板張りの床では無く、桜島の黒砂が敷き詰められている。その上で門弟達が激しく乱取りを行っていた。

 道場の外では蜻蛉と呼ばれる構えから立木に向かい、渾身の力を込めて木剣を左右に激しく打ち込み、猿叫(えんきょう)とも言われた雄叫びを上げ立木打ちを繰り返す門弟達の姿も見られる。

 

 薩南“示現流”道場

 

 ここでは日々薩摩の武家人(ぼっけもん)達による激しい稽古が繰り広げられていた。

 実戦と変わらぬ激しさで行われる猛稽古。(ゆす)の木剣は互いの体に当たる寸前に留めるようにするのが道場での約定ではあったが、当然の事ながら留めきれず当たる事もままあった。

 稽古着を脱ぐと、門弟達の肌には幾つもの黒々とした痣が走っている。しかし誰一人それを気にする者はおらず、昨日より速く、昨日より強くなる為苛烈な修練を繰り返していた。

 

 

「よか! 本日の稽古はいまずい(これまで)ござんで」

 

 師範代の号令と共に道場内外から門弟達が集まる。門弟達は整列、正座し、黙想を始めた。

 先程までの狂騒とも言える騒がしさとは打って変わり、道場は厳粛な静寂に包まれる。

 

「神前に礼!」

「お師匠どんに礼!」

 

 整列した門弟達が道場上座に座する師範の男に礼をする。

 門弟達の礼を受けた男は穏やかな笑みを携えていた。

 

「皆さぁご苦労さぁでごわした。明日もまた元気ゆうと(元気よく)稽古しもんそ」

 

 男は身分が遥か下の士分に対しても丁寧な言葉で語りかける。粗暴な者が多いとされる薩摩者の中で、珍しくこの男は誰にでも礼儀正しく、穏やかな性格の人格者として知られていた。

 

 東郷“肥前守”重位(ちゅうい)

 

 若き頃体捨流を学んだ重位は京の天寧寺僧侶、善吉から“天真正自顕流”を伝授され、その自顕流を薩摩の地にて練り上げていた。

 体捨流と天真正自顕流を組み合わせ、臨済宗の僧南浦文之より“示現流”という流派名を命名された頃には、示現流は島津家家中で大勢の門人を抱え薩摩一の剣法として完成していた。

 数多の体捨流の手練と果し合い、悉く勝利を掴んだ重位はやがて島津家兵法師範となり、主君島津“中納言”忠恒よりここ坊津の地頭に命じられる。それ以降、坊津は薩南示現流本拠地として栄える事となった。

 

 重位が練り上げた示現流は『一の太刀を疑わず、二の太刀要らず』の信念で剣を振り、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける『先手必勝』の鋭い斬撃が特徴である。

 その初太刀の威力は受けた刀身ごと対象を真っ二つに叩き斬り、後の世に“新撰組局長”近藤勇が『薩摩の芋侍共の初太刀は何がなんでも外し、決して剣で受けてはならぬ』と隊士達に厳命するほどであった。

 正に一撃必殺の示現流。初太刀のイメージが強すぎてあまり知られてはいないが、初太刀からの連続技も伝えられており、外された場合に対応する技法もある。

 熟練した示現流の使い手は他流の剣術家とは比べ物にならぬ程の強さを誇り、島津家の勇壮な武家者と併せ“薩摩隼人”の伝説を彩っていた。

 

 

「お師匠どん、江戸から文が来ておいもす」

「文か。江戸からとは珍しか」

 

 三々五々に帰宅した門弟達を見送り、幾人かの内弟子達と道場の清掃を一緒に行っていた重位に弟子の一人が声をかける。

 この謙虚な剣聖は常に弟子と共に道場の雑事を率先して行っていた。

 弟子から一通の手紙を受け取った重位はその場で胡座をかき、手紙を広げ読み始めた。

 

「誰でん文でごわすか?」

「……」

 

 読み進めていく内に、先程までの穏やかな表情とは打って変わり沈鬱な表情を浮かべる重位。その様子を不審がった内弟子の一人が心配そうに声をかけた。

 

「お師匠どん、良くん事(良くない事)が書いてあったでごわ?」

 

 重位はやがて悲しみを堪えるかのように眉間に皺を寄せ、ため息を一つつくとぽつりと呟いた。

 

「虎眼殿(どん)が逝きもうした」

「虎眼どん?」

左様(さよ)(おい)が京で友誼を交わした、虎のごつお人でごわした」

 

 手紙を懐に仕舞い、黙祷を捧げる重位。道場の清掃をしていた弟子達も手を止め、師に倣い黙祷を捧げた。

 

「合掌ばい」

 

 静かに手を合わせ、友の冥福を祈る。先程とはまた違った静けさが道場を包んでいた。

 

 

「……左近どん。示現流の極意とは何でごつ?」

「極意でごわすか?」

 

 しばし黙祷を捧げた後、重位は左近と呼ばれた弟子の一人に問いかける。左近はうむむっと、腕を組み、しばし黙考する。やがてうぉっほんと、わざとらしい咳を一つ吐いた後、示現流の極意を滔々と語り始めた。

 

「一呼吸を“分”と呼び、それを八つに割ったものを“秒”という。秒を十に割ったものを“()”と呼び、絲の十分の一の速さが“(こつ)”、忽の十分の一の速さが“(ごう)”、毫の十分の一が“雲耀(うんよう)”。雲耀とは稲妻のこと。即ち、示現流の極意とは打ち込む太刀の速さが雲耀に達すること──」

 

 一呼吸で語り終えた左近に、重位は満足そうに頷く。

 

「うむ。それこそが示現流の極意でごわす」

 

 重位の満足げな言葉に、左近は得意げとなって胸を張った。

 

「左近どん! おはんにしてはまともな答えをしちょるばい!」

 

 そこに左近をからかうように弟子達が囃し立てた。

 

「参りもした!」

「てへぺろでごわす!」

「おはんは講釈が得意な“ふれんず”なんでごわすな!」

「なにぃ!?」

 

 額に青筋を浮かべた左近は、木剣を手にし、囃し立てた弟子達を睨みつける。

 

「なんじゃぁその眼はぁ!!」

「そういう眼をしたッ!!」

「チェスト関ヶ原!!」

「ようごわすとも!!」

 

 売り言葉に買い言葉。怒髪天をついた左近達は手にした木剣を構え互いに睨み合い、一触即発の空気が道場に漂う。ちなみに“チェスト関ヶ原”とは島津家の隠語で“ぶち殺せ”という意味である。

 そして、木剣を上段に構えた左近が吠えた。

 

「このガンタレ(馬鹿者)共がッ! そけなおれッ! 叩っ殺しちゃるどッ!」

「ガンタレはおはんじゃ」

「イテッ!」

 

 パシっと、重位は手にした扇子で左近の額を打った。弟子達はこの重位の神速の抜き打ちを全く知覚する事が出来なかった。

 正しく雲耀の速さで、重位は左近の額を打ち抜いたのだ。

 

「全く……そげんに粗忽な振る舞いをしておっては、いつまでたっても剣の悟りはやってくうこたあんよ」

「お、おそれいりもす……」

 

 打たれた額を押さえ、左近は恐縮しながら頭を下げる。重位はやれやれとため息をつき、周りの弟子達を見やった。

 

「おはんらも左近どんをからかいすぎじゃ。そげん事は日新大菩薩(さぁ)(島津日新斎)が(あら)せられた二才(にせ)魂とは言えんと知りやんせ」

 

 重位はやんわりと弟子達を窘める。

 かつて島津忠良(島津日新斎)が唱えた『強固な武士魂を鍛える事以外は一切厳禁』の薩摩式教育、“二才教育”を引き合いにし、同輩をからかう事の愚かしさを穏便に伝えた。二才とは『青二才』『若者』『青年』の意味であるが、薩摩では『質実剛健』『武辺強固な若武士』を意味し、その教育は着実に薩摩の若者達の愛国心と勇壮な武者魂を育んでいた。

 

「ま、参りもした……」

「てへぺろでごわす……」

「左近どん、笑ろうた事許せ……」

「おはんら……」

 

 眼に涙を浮かべた左近は、手にした木剣を収め、囃し立てた弟子達と熱い抱擁を交わした。

 二才教育のもとで育んだお互いを傷つけ合わない“野郎同士の友情”が、確かにそこには存在した。

 

「してお師匠どん。虎眼どんとは一体いかな御仁でごわすか?それと、いけんいう(どういう)意味で左近どんに極意を語らせたんで?」

 

 その様子を重位と共に微笑みながら見つめていた師範代の男が重位に問いかける。抱擁を交わしていた左近達も重位に注目し、その言葉を待った。

 

「そうさなぁ……先も言ったが、(おい)が龍伯(さぁ)(島津義久)が豊太閤どん(豊臣秀吉)の命で京へ上られたるに同道した折、丁度廻国修行中の虎眼殿(どん)と知りおうたんよ」

 

 天正十五年(1587年)

 若き日の重位は、折りしの豊臣秀吉による九州征伐により敗れた島津当主、島津義久の上洛に同行していた。

 そこで天寧寺の僧・善吉に出会い、天真正自顕流に開眼するのだが、剣術修行で諸国を巡っていた若き日の岩本虎眼とも出会っていた。

 

「虎眼殿(どん)はその名の通り虎のごつ空気を纏っていてなぁ……あの頃の(おい)じゃ、全く敵わんと思ったもんよ」

「お師匠どんが敵わんとは……強かお人だったんで?」

「強か。技比べする機会はついぞなかったが、虎眼殿(どん)が開眼した虎眼流剣法を見せてくれた事があったんよ。すごか抜き打ちでごわした……」

 

 重位の実直な人柄は、修羅の如き若虎とも友好を交わす事が出来た。

 奥義こそは見せなかったものの、互いの技を教え合い、充実した剣談を楽しんだ。

 島津勢が薩摩へ帰国する僅かな一時ではあったが、薩摩の剣士と流浪の若虎の間には心を許せた友人としての関係が出来上がっていた。

 

 重位は昔を懐かしむように言葉を続けた。

 

「雲耀の速さとは、(おい)が善吉師父どんから学んだ示現流の極意じゃっどん……実際の“速さ”は虎眼殿(どん)の速さを目指したものでごわした……」

「そうだったんでごわすか……」

「あれから会う機会はついぞなかったが、文のやい取りだけは続けてきもんした。惜しい人を亡くしたもんでごつ……」

 

 国元に戻った重位と虎眼はその後会う機会は無かったが、手紙のやり取りだけは続けていた。

 虎眼が掛川にて仕官した後も文通は続き、他家の家臣同士との手紙のやり取りを公儀があらぬ疑いをかけぬ為、態々江戸にいる島津家縁の商家を介してまでその交流は続いていた。

 虎眼が曖昧な状態になるまで両者は頻繁に文を交わす間柄であったのだ。

 

 そして江戸にいる商家からもたらされた手紙には、虎眼が乱心し、元弟子に討たれた事が記されていた。

 あの鬼神の如き強さを誇った剣士が討たれた事実は、重位にはにわかには信じられぬ事ではあった。

 だが、それと同時にあの剣鬼と称された虎眼の危うさ(・・・)も僅かに感じてはいた。

 どちらにせよ何かしら人知れぬ事情、真実があったのだろう。友の無念を感じ、重位は再び瞑目し黙祷を捧げた。

 

「ま、湿っぽい話はここまででごつ。おはんらも切磋琢磨できる友を得て、日々精進しもんせ」

「あい!」

 

 互いに肩を組み、元気一杯に返事をする示現流内弟子衆。重位はその様子を見て微笑を浮かべた。

 

 

「あ! 忘れてもした!」

 

 道場の清掃が終わりかけた頃、何かを思い出したかのように左近が声を上げた。

 

「お師匠どん! おいはちと出かけていきもす!」

 

 左近の唐突な申し出に、重位は首をかしげながら問いかけた。

 

「なんぞあったんか?」

「いや、浪花から尻小姓が来とっとで、数馬どんと鹿太郎どんとちっと挨拶をしてまいりもす」

 

 そういえばさるやんごとなきお方とそのお供が薩摩にいらしていたな……と、重位は思い起こす。

 

「左様か。あまり失礼の無いんごつよ」

「わかい()した!」

 

 重位の言葉を受け、左近は道場から駆け出していった。

 駆けていく左近の後ろ姿を見ながら、重位は虎眼の魂に思いを馳せる。

 

(虎眼殿(どん)……いずれは(おい)もそちらへ参ろうが……その時はゆるりと積もる話を、したかなぁ……)

 

 東郷重位は空を見上げ、亡き友に思いを馳せる。友の魂が極楽へと向かうよう、静かに手を合わせた。

 剣虎の魂が常世の国へと誘われたと信じていた重位は、まさかこの世とは異なる異界へと転生を果たしていたとはついぞ思いつくはずもなく、ただただ友の冥福を祈るばかりであった。

 

 

 

 桜島から噴く煙が、空を僅かに曇らせていた。

 

 

 

 

 


 

 

 剣の大地を含む中央大陸北部は通称“北方大地”とも言われ、その大地は厳しい自然環境に包まれている。

 一年の三分の一が雪に埋もれるこの大地は農作物の実りが少なく、小国が割拠し少ない食料や資源を奪い合っていた。

 魔物の数も多く、アスラ王国にはいない強力な魔物も多く生息している。故に武者修行者や魔物の討伐を専業とする熟練冒険者が多くがこの北方大地で力を振るっていた。

 そのような北方大地ではあるが、魔法三大国と言われるラノア王国、ネリス公国、バシェラント公国の三ヶ国だけはそれなりの国力を保持していた。三ヶ国は互いに同盟を結び、それぞれ得意な魔術に関わる分野を発展させて国力を高めており、そこに住まう人々は他国に比べて幾分か豊かな暮らしを維持していた。

 

 

「ウィリアム! そっちへ一頭行ったぞ!」

 

 剣王ギレーヌ・デドルディアが剣を振りかざし、総髪の少年剣士ウィリアム・アダムスへと警告を飛ばす。ギレーヌの前には北方大地に生息する魔物“ラスターグリズリー”の死体の山が出来上がっていた。

 ラスターグリズリーとはランクB級の魔物で、熟練の冒険者ならば単体では不覚を取ることはないポピュラーな魔物として知られている。

 白い毛皮を持ち、背骨に沿って黒い線を持つ大型の熊の魔物。普通の熊と違うのが群れで行動をする事、そして冬場は食料を蓄える為人里や街道に出没し、人間を襲う事が多い事だろう。

 

 ギレーヌとウィリアムが剣の大地を出立し一ヶ月の時が経っていた。

 当初は徒歩での移動、そして復活を果たしたとはいえ深手を負ったウィリアムの歩みは遅々としたものであったが、北帝オーベール・コルベットの傷薬の効能は高く、旅をしながらでも一週間も経てばウィリアムの肉体は全快していた。

 

 そこからは高い身体能力を持つ剣豪二人。歩むペースを上げ、途中で立ち寄った街から商隊の護衛に混じり、魔法三大国の西端にあるネリス公国に程近い街道付近にまで到達していた。

 この辺りはネリス公国の依頼を受け、定期的に冒険者による魔物の討伐が行われているので比較的安全ではあった。

 だが、夏場に行われるラスターグリズリーの駆除が芳しくない結果に終わっていた為、冬場の今は例年に比べ多くのラスターグリズリーが出没していた。

 故にこの辺りを通る商人は手練の冒険者を雇い、隊商を組んで目的地に向かうのだ。

 ウィリアム・アダムスはギルドにて冒険者登録を行ってはいなかったが、同行したギレーヌがSランク冒険者、そして“剣王”という絶大なネームバリューを持っていたのですんなり隊商の護衛に混ざる事が出来た。

 

「グオォォォォッッ!!」

 

 口から唾液を滴らせ、ラスターグリズリーがウィリアムに向け突進する。狂暴な魔物を前にしてもウィリアムは泰然とした佇まいを崩さず、ゆるりと七丁念仏を肩に担いだ。

 

 次の瞬間、ウィリアムの“流れ”が一閃した。

 

 神速の流れは8年前、兄ルーデウス・グレイラットに放った流れと比べ物にならぬ程の速さで放たれていた。

 額を僅かに斬られたラスターグリズリーは、その勢いのままウィリアムの前に倒れ伏し、絶命する。

 見ればウィリアムの周りには最小(・・)の斬撃で倒されたラスターグリズリーの死体が散乱していた。

 

(流石だな)

 

 ギレーヌはラスターグリズリーの群れに躍りかかり、次々とその豪剣で斬り伏せながらウィリアムの様子を見やる。

 ウィリアムは隊商の馬車の前から一歩も動かずに(・・・・・・・)、間合いに入ったラスターグリズリーを斬り伏せていた。

 必要最小限の斬撃で仕留めるその業前は、剣王級剣士であるギレーヌから見ても“合理的”且つ“美しい”手並みであった。

 

(綺麗だな──)

 

 新たに襲いかかるラスターグリズリーの一体をまたも瞬時に斬り伏せたウィリアムに、ギレーヌはしばし見とれる。

 胸の奥から熱い何かが、ウィリアムの姿を見て沸き上がった。

 獣人の習性か、それとも剣士としての本能か。

 

 それとも、それまで感じていなかった“女”としての感情か。

 

 旅を始めてから徐々に大きくなるこの感情は、ギレーヌにとって初めて味わうものであり、戸惑いを感じさせるに十分であった。

 

「っと!」

 

 余所見をしていたギレーヌを格好の獲物と見たラスターグリズリーの一体が襲いかかる。しかしギレーヌは即座に反応し、これを難なく斬り倒した。

 

(今は、そんな事思ってる場合じゃない!)

 

 戸惑いを振り払うかのように、再びラスターグリズリーの群れに飛びかかる。

 

 剣王の豪剣は、心の惑いを感じさせない鋭さで振り抜かれていた。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 やがて襲いかかってきたラスターグリズリーの群れを全て斬り伏せたギレーヌとウィリアム。ギレーヌは一息つき、剣を振って血糊を落とした。

 ウィリアムも懐から懐紙を取り出し、丁寧な手つきで妖刀に付いた血糊を落とす。

 

「3人もやられてしまったか……」

 

 馬車二台の小さな隊商の護衛は、その規模に合った少人数で構成されていた。ギレーヌとウィリアムを含め、この隊商の護衛は5人しかいなく、先の戦闘でウィリアム達以外の護衛は全員ラスターグリズリーの狂爪にかかり死亡した。

 目的地が近い為の油断。それに加え、ラスターグリズリーの数の多さが3名の冒険者の命を落とす原因となった。

 二人の剣豪が斬り伏せたラスターグリズリーの数は30を越えていた。

 

「せ、先生方……魔物はもういないんで?」

 

 馬車の陰に隠れていた依頼主の若い商人が、おずおずと顔を出す。

 まだ駆け出しの商人であるこの若者は、今更ながら護衛を雇う資金を惜しんだ事を後悔していた。

 

「安心しろ。もう魔物はいない」

 

 ギレーヌが剣を納めながら辺りを見回す。周囲はラスターグリズリーの死骸が散乱し、濃厚な血の匂いが漂っていた。

 商人も同じように辺りを見回し、実質二人だけでこの死体の山を築いた剣士二名に畏怖の念を覚えていた。

 

「早くここから移動した方がいいな。血の匂いで魔物が寄ってくる」

「へ、へい。でも、他の冒険者さん方の遺体は……」

「放置していくしかないだろうな……」

 

 ギレーヌが諦め気味にそう言いかけた時、いつのまにかウィリアムが冒険者の遺体の傍で屈んでいた。

 手を合わせしばし黙祷を捧げた後、遺体の装備品をいくつか回収し、ギレーヌ達の前に戻る。

 

「遺体の回収は諦めよ。ここで埋葬するも時が惜しい」

 

 3人の冒険者の遺品を抱え、足早に馬車の前に移動する。魔物の襲撃で気が立っていた馬を宥め、早々に出立の準備を整えていた。

 

「そういうことだな。そろそろ日が暮れるし、あたしらがいるとはいえ死体を抱えながらの旅は危険だぞ」

「へ、へい……剣王様と、若先生がそうおっしゃるなら……」

 

 死体が発する匂いは魔物を引き寄せる。まだ若輩とはいえ行商を生業とする商人はようやっとその事実を思い出し、慌てて出立の支度を整えた。

 馬に鞭を入れ、馬車が動き出す。ウィリアムとギレーヌは後続の馬車の御者台に座り、同じように馬車を走らせた。

 

 やや駆け足気味で馬車を走らせるウィリアム。その横顔を見つつ、ギレーヌが声をかけた。

 

「ウィリアム。先程手を合わせていたが、あれはどういう意味なんだ?」

「……死者の魂を弔っておりますれば」

 

 ウィリアムは前を向き、手綱を操りながら応える。

 共に過ごした日々は短いなれど、共に戦った(つわもの)の魂を弔わずに行く事は、戦国の武者としての価値観が許さなかった。

 

「遺体はあそこで朽ち果てなれど、魂はこれらに宿っておりまする。以後はそれに手を合わせ、死者の御霊を慰めるが宜しかろう」

 

 馬車に積まれた冒険者の遺品を差しながらウィリアムは言葉を紡ぐ。

 ギレーヌはふむ、と顎に手をつける。

 

「そういうものか……」

 

 ギレーヌは獣族や人族では聞いたことの無いこの習慣に疑問を覚える。

 

「ミリス教……ゼニスの教えか?」

「……」

 

 ゼニスの名前が出た瞬間、ウィリアムは僅かに眉を顰めた。

 暫し忘れていた母の温もりが、若き剣虎の心を少しばかり乱していた。

 

「あ、す、すまん……詮索はなしだったな」

 

 押し黙ってしまったウィリアムに、ギレーヌは慌てて言葉を取り繕う。

 どうも、この若き虎の前では普段の調子を出せずにいた。

 普段はピンっと立っていたその耳は、今は力なく垂れていた。

 

 夕日が差し込み、ウィリアムの姿が逆光に重なる。ギレーヌは目を細めながら、ウィリアムの表情を見ようとしたが、やがて前を向き、口をつぐんだ。

 

 

 冬の大地を、二台の馬車が駆けていった。

 

 

 

 

 

──────────────

 

 

 ウィリアム達は日が暮れるまで馬車を走らせていたが、やがて辺りは一面の夜の闇に包まれた。

 夜間の移動は昼間以上に危険を伴う為、一行は野営の支度を整える。

 襲撃地点からそれなりには距離を稼ぎ、街まではあと少しの距離であった為、この辺りは野営をするには幾分か安全ではあった。

 

「やれやれ……あそこで襲われなければ日が暮れるまでには街へ着いたのだがな」

 

 薪を抱えながらギレーヌが呟く。ウィリアムは石を並べ、焚き火の支度を始めていた。

 ギレーヌはウィリアムの隣に座り、薪をくべる。そして焚付の藁を取り出し、ボソボソと魔術の詠唱を始めた。

 

『汝の求める所に大いなる炎の加護あらん……勇猛なる灯火の熱さを今ここに』

 

 詠唱が終わり、小さな火の玉がギレーヌの手から放たれる。着火した火が勢い良く燃えだした。

 

「魔術の心得が?」

 

 その様子を見てやや驚きの声をあげるウィリアム。この脳みそまで筋肉がつまっていそうな獣人剣士が魔術を行使するとは、ウィリアムにとっては思い掛け無い出来事であった。

 

「フフン。昔、ルーデウスに教わってな。簡単な魔術なら使えるぞ」

 

 焚付を焚き火に放り込み、ふんす、と得意げになるギレーヌ。外套に隠れても分かる大きな胸を張るその様子は、昼間の修羅の様な剣士とは一変し、まるで褒めてと言わんばかりに尻尾を振る子犬のようであった。

 実際にその尻尾はふりふりと揺れ動いていた。

 ウィリアムはそんなギレーヌをやや羨望の眼差しで見つめていた。

 

 

「先生方、大したもんは用意できやせんでしたがこれを」

 

 焚き火を囲むウィリアム達に、食料を抱えた商人が声をかける。そのまま干し肉とパンをウィリアム達に手渡した。

 

「かたじけなし……」

 

 ウィリアムは受け取った干し肉を頬張る。肉は硬かったが、存分に塩が効いており、疲れた体に染み渡った。

 

「それじゃ、先生方。申し訳ねえですが、あっしは先に休ませてもらいます」

「わかった。見張りはあたしらに任せてゆっくり休むといい」

「へぇ……ほんと、申し訳ねえです」

 

 いそいそと馬車に戻る商人。その表情は魔物の襲撃で存外に消耗していたのか、疲れを滲ませていた。

 

 

「ギレーヌ殿も休まれよ」

 

 ウィリアムはギレーヌを気遣い、先に馬車で休むように促す。

 だが、ギレーヌはそのままウィリアムの隣から動こうとはしなかった。

 

「いや、あたしもここにいるよ」

「……左様か」

 

 パチパチと薪が爆ぜる音がする。日が暮れた冬の大地は、ひっそりと静まり返っていた。

 静寂と共に、夜の冬の大地の寒さが二人を包んだ。

 

 

「少し、冷えるな」

 

 僅かに身震いしたギレーヌが呟く。凍てついた空気の中、やや熱く、白い息を吐き出す。

 

「馬車から毛布を」

 

 ウィリアムは馬車に積んである毛布を取りに腰を浮かせる。

 

「いや、それには及ばないさ」

 

 ウィリアムを制したギレーヌは徐ろに立ち上がり、ウィリアムの後ろへ回る。そしてウィリアムを自身の外套で包み、抱えこむようにして座った。

 

「こうすれば、暖が取れるだろ?」

 

 ギレーヌの熱を持った吐息と体が密着し、互いの体は熱を帯びた。

 いきなりの出来事にウィリアムはやや驚きの表情を浮かべたが、直ぐに常住の表情に戻る。

  

「お戯れを……」

「……嫌か?」

 

 ウィリアムの一言に、切なげな声でギレーヌは返した。

 

「……嫌、というわけでは」

 

 少しばかり困った表情を浮かべたウィリアムは嘆息と共にギレーヌに応えた。

 身じろぎ一つ取らず、獣が暖を取るが如く、不動の姿勢を続けていた。 

 

「じゃあこのままだ」

 

 ギレーヌはニッコリと満足そうな表情を浮かべ、更にウィリアムに体を密着させた。

 再び嘆息を吐いたウィリアムはやがて諦めの表情を浮かべ、ギレーヌのされるがままに体を預けた。

 豊満なギレーヌの肉体を背に感じる剣虎は、己の体温が上昇してくるのを感じていた。

 

 思えば、この獣人剣士は旅をするにつれ、自分との距離を詰めて来たように思える。

 ギレーヌをまったくそのような対象として見ていなかったウィリアムは、今更ながらこの状況に至った理由を考える。

 が、前世でも異性からの率直な好意を寄せられた事がなかったウィリアムには、ついぞその理由を推し量る事は出来なかった。

 

 パチパチと薪が爆ぜる。

 

 静かな夜──

 

 周囲からは魔物の気配はなく、害の無い動物しかいないように思えた。

 ホゥホゥと、フクロウらしき動物の声が聞こえる。

 久方ぶりに風情を感じたウィリアムは、暖かな空気と共に閑静な異世界の自然に包まれ、しばし瞑目した。

 

 と同時に、フゥフゥと頭上からなにやら悩ましげな吐息も聞こえてきた。

 

「……ギレーヌ殿」

 

 嫌な予感がしたウィリアムは目を開き、おずおずと後ろの様子を窺おうとした。

 しかしギレーヌが頭に顔を埋めているせいで後ろを振り向く事は出来ない。

 

「フーッ……フーッ……」

 

 一心不乱にウィリアムの芳香を吸い込むギレーヌの様子は、尋常の様子ではなかった。

 まさかとは思ったが、この様子では未だに発情が治まってない(・・・・・・・・・)のだとウィリアムは察した。

 旅立ってからそのような様子は見られなかったので、ギレーヌがその実、滾った獣慾を鉄の精神で抑え続けていた事は気付きようが無く。

 昼間の戦闘で血の匂いを嗅いだからか、とうとう獣人としての本能が鉄の精神を破り、その滾った獣慾を顕にしていた。

 段々とウィリアムを抱え込むギレーヌの力は強まり、その体をギュウギュウと締め付けていく。

 

(獣かこのおなごは……)

 

 身じろぎも出来ずにウィリアムは黙考する。

 以前、父パウロから教えを受けた獣族の発情について思い起こす。

 といっても、ひどく下世話な話しか聞いていなかったのでこの場合では何も役に立たぬと即座に気付いたが。

 

「ウィ、ウィリアム……すごく……切ないんだ……」

 

 蠱惑的な吐息を吐き、上気した表情でギレーヌは言葉を発した。ウィリアムを抱きしめるその力は、増々強くなっていく。

 やや痛みを感じ始めたウィリアムは、ギレーヌの表情に反し、少し困った表情を浮かべ考えあぐねていた。

 

 このまま相手(・・)をしてやっても良いものか──

 

 ウィリアムは思案を続ける。

 転生してから、この肉体は“女を知らぬ”というわけではなく。また、前世でも散々いく(・・)の体を弄んでいた為、情を発した女人の扱いは十分心得ていた。

 

 だが、恩人に対してそのような行いをしても良いものなのか。

 いや、恩人が困っているからこそ手を出すべきなのか。

 そもそも恩人以前にこのような場所で女を抱くというのはいささか気が緩み過ぎているのでは。

 

 遅疑逡巡と思考を続けるウィリアムにはこの状況を打開出来ず、不動の姿勢を取り続けるしかなかった。

 

「……ウィリアム。あ、あたしは誰にでもこんな事する女じゃないぞ」

 

 吐息と共に、ギレーヌはなにやら言い訳じみた事を宣い始める。

 潤んだ瞳を、ウィリアムに向けて言葉を続けた。

 

「あたしは……最初は、剣神流に喧嘩を売ってきた、威勢の良い奴だなとしか思っていなかった」

 

 ぎゅっとウィリアムの体を掴み、言葉を続ける。

 

「でも、パウロの息子だと分かって……いや、パウロは関係ない」

 

 ウィリアムの体を抱きしめる力は常人では耐えられぬほどに強まっていた。

 それでもウィリアムは身じろぎ一つせず、ギレーヌの言葉を聞いていた。

 

「お前と旅していく内に、お前の強さと、お前の気質がわかって来たんだ……それから、お前の事が段々と……」

 

 やがて意を決したかのように、ギレーヌは言葉を続けた。

 

「お前に……惹かれたんだ」

 

 ギレーヌの熱が篭った告白に、ウィリアムは沈黙を続ける。

 ただ黙って、ギレーヌの言葉を聞き続けていた。

 

「誰かを……好きになった事なんて無かった……だから、この場合はどうしていいのかわからないんだ……」

 

 ギレーヌも男を知らぬ生娘というわけではない。以前の人としての心を持つ前……獣の心を持っていたギレーヌなら、そのままウィリアムを押し倒し、欲望に任せてむしゃぶりついていただろう。

 だが、初めて“好きになった男”にそのような乱暴を働く程、ギレーヌは人の心を忘れたつもりはなかった。

 いや、人の心を持っていたからこそ、以前のような強引さで事を進めることは出来なかったのだ。

 

 やがて押し黙ったギレーヌは、ウィリアムの頭に顔を埋めた。呼吸は熱かったが、先程のようにウィリアムの芳香を吸う事はしなかった。

 

 再び静寂が、二人を包む。

 

 厳つい体躯に似合わぬ可憐な獣人乙女の告白に、剣虎はどう応えるのか──

 

 

(寄残花恋か……)

 

 

 剣虎はかつて前世で西行法師が遺した歌を思い出す。

 武士道での色恋の至極は忍ぶ恋──

 かつての価値観が未だ己の大部分を占めているウィリアムにとって、この獣人乙女の直接的な情愛は理解し難い物であった。

 

(発情したギレーヌ殿は常の判断が出来ぬ)

 

 結局はそう結論付けたウィリアム。素面(・・)に戻れば、この懸想は勘違いであったと気付くだろう。

 それに、ギレーヌは剣神流の高弟だ。下手に男女の関係を持ってしまえば、いずれ片を付けるべき剣神との一番で迷いが出るやも──

 

 そこまで思い至った剣虎は一ヶ月前のあの剣神流道場での出来事を思い出す。

 不様に這い蹲った己の姿──

 それを見下ろす剣神ガル・ファリオン。

 

 ウィリアムはギリッと、歯を軋ませ憤怒の形相を浮かべる。だが、その表情は直ぐに常の表情に戻った。

 

(今は、それどころではなかったわ)

 

 己が置かれた状況を改めて考える。

 ギレーヌは確かに美しかった。健康な男子であれば劣情を催す容姿ではあったが、“異界天下無双”を志す剣虎にとってその程度(・・・・)では己の情欲が揺れ動く事は無かった。

 

 兎に角どうするべきか……この状況を打破するべき手段に考えを巡らす。

 憎むべき剣神の直弟子とはいえ、恩人にはあまり手荒事はしたくない。

 ウィリアムはこのジレンマを打開するべく更に深い思考の海に沈んだ。

 

 

 ふと、前世で友誼を結んだあの薩摩の剣豪の姿が思い浮かんだ。

 

 数瞬瞑目した後、意を決したウィリアムは自身を締め付けているギレーヌの腕にそっと手をかけた。

 

「ウィ、ウィリアム……?」

 

 そのまま腕を掴み、骨子術を用いて容易くギレーヌの締め付けを解いた。

 

「ッ!」

 

 ギレーヌと向き合ったウィリアムは、ドンっとギレーヌを押す。

 ギレーヌは、地面に倒れながらこの突然のウィリアムの行動に顔を上気させた。

 

「な、なるほど。ゆ、床ドンってやつだな!」

 

 ウィリアムが己の告白を受け入れたと思い、ギレーヌはモジモジと体を揺らした。

 

「久しぶりだから、その、や、優しくしてくれるとありがたいんだが……」

「ギレーヌ殿」

 

 そんなギレーヌに構わず、いつのまにか棒きれを持ったウィリアムはその棒きれを手渡しながら言葉を紡いだ。

 

「我らは剣士で御座る。故に、滾ったその情欲は剣で発散するのがよろしかろう」

「……ッ」

 

 ウィリアムの言葉に、ギレーヌは棒きれをぎゅっと握りしめ立ち上がる。

 その表情は、ひどく沈んだものであった。

 

「そう……か。そうだよな。そうなるよな……」

「ギレーヌ殿……」

 

 上気した顔は見る影も無く沈みきっており、その目は悲しそうに半開きの状態であった。耳は元気なく倒れ、首をうなだれ、がっくり肩を落として猫背になったギレーヌ。

 その力のない様相を見たウィリアムは、ふぅっと息を吐き、目を細めながらギレーヌに声をかけた。

 

「その返事、今しばらくお待ち頂くよう」

 

 ウィリアムは存外に優しい声色になった自身の言葉に、内心僅かながら戸惑う。

 剣虎の内心、その深い所で自身の思惑とはまた違った新たな感情が生まれ出ようとしていたのを、剣虎は気付くだろうか。

 

「何故だ……?」

「今はまだ、情に現を抜かす身では無く」

 

 ウィリアムは少しばかり辛そうな表情でギレーヌに思いを受けられぬ理由を説く。

 剣士として、無双の剣豪になるべくして思いを拒絶するウィリアムの表情を見て、ギレーヌもまた剣士としての表情を取り戻していた。

 

 

「……わかった」

 

 しばしの沈黙の後、ギレーヌは顔を上げしっかりとその片目でウィリアムを見つめる。

 先程までの獣人乙女としての顔は既に無く、そこには“黒狼”ギレーヌ・デドルディアが存在した。

 

「で、この棒きれで何をするんだ? 模擬戦でもするのか?」

 

 ギレーヌの精悍な表情を見てウィリアムもまた剣虎としての表情を浮かべていた。

 ウィリアムは近くにある樹木の前に立ち、その手で指し示す。

 

「この木に向い渾身の力で棒を振り抜くが宜しかろう」

 

 やや首をかしげつつ、ギレーヌは言われた通り立木の前に立ち、気迫と共に棒を振りかぶった。

 

「でぇいッ!」

 

 ゴッっと鈍い音を立て、樹木が揺れる。たった一撃で樹皮が無惨に剥がれ落ちていた。

 

「……気合が足りませぬ」

 

 ウィリアムの発破に、ギレーヌはむっとした表情を浮かべるが、直ぐに立木に向かって咆哮を上げた。

 

「でやああぁぁぁぁッ!!」

「まだまだ気合が足りませぬ」

「チェストォォォォォォォォォッッ!!!」

 

 (ましら)のような叫び声を上げ、ギレーヌは更に強烈な一撃を叩き込む。

 轟音を立てたその打ち込みで棒きれはへし折れていた。

 

「うむ! 気迫を込めた立木打ちも中々いいな!」

 

 額に汗を浮かべ、満足げにギレーヌは息を吐く。

 ウィリアムもまた満足気に頷いた。

 

「かように“気”を込めれば太刀筋に粘りが出まする。不動不抜の腰が固められるよう打ち込みを続ければ、何事にも動ずる事はない“不動心”を得ることが出来ましょう」

 

 ウィリアムの講釈を真剣な眼差しで聞き入っていたギレーヌ。瞳の奥にはまだ“熱い”感情を宿らせ、明星を仰ぎ見るようにウィリアムを見つめた。

 

「なるほど、不動の心か……」

 

 ギレーヌは棒きれ新たに拾い、再度立木の前に立つ。

 羽織っていた外套を脱ぎ捨て、その黒肌を外気に晒した。

 

「よし! もう一丁いくか!」

 

 裂帛の気合を込め、立木打ちを続ける。

 黒肌に滴る汗を散らせ、湯気を立ち上らせたその肉体は正しく野生の美しさを備えていた。

 

(綺麗じゃ喃──)

 

 ギレーヌの様子を見つめていたウィリアムは、強き者が発する美しさにしばし陶然と見とれていた。

 やがてはっとして頭を振り、焚き火の前に戻る。

 

(初心な青二才じゃあるまいに……)

 

 ざわざわと、揺れる心を落ち着かせる為座禅を組んだ。

 ギレーヌの猿叫を聞きながら、じっと瞑目し、雑念を除く。

 しかしいくら瞑想してもこの雑念は払う事は出来なかった。

 

 

「せ、先生方……うるさくて寝られないんですけど……」

 

 

 

 馬車から顔を出した商人を、ウィリアムは努めて無視し、瞑想を続けていた。

 

 

 


 

 

 ネリス公国第三都市ドウム。

 国境付近にあるこの街に今朝方たどり着いたウィリアム一行は、早々にギルドに向かい護衛の謝礼を受け取る。その際に死亡した冒険者達の遺品を託した。

 煩雑なやり取りを終え、人心地がついた頃には既に日は中天に差し掛かかろうとしていた。

 

「先生方、ありがとうございやした。これでブルーノのオジキに顔が立ちますわ」

 

 ぺこぺこと頭を下げる商人の若者。想定外の出来事が起きていたが、なんとか荷を運び終えた彼の表情は一睡もしておらず(・・・・・・・・)、疲れた表情を浮かべていた。目の下にはくっきりと隈が浮かび、端から見れば実に辛気臭い表情であった。

 同じように薄っすらと隈を浮かべ、やや青い表情のウィリアムが力なく手を振り、それに応えた。

 

「おまえさんも達者でな。今度は護衛代をケチるなよ」

 

 陰気な表情を浮かべた二人とは対照的に、つやつやと晴れやかな表情のギレーヌが応える。

 この獣人剣士は一晩中剣を振っていたくせに全く疲れを感じさせない表情を浮かべていた。

 

「じゃあ剣王様。若先生。お達者で……」

 

 ヨロヨロと立ち去る商人。彼はこの後荷を恩義ある商人の元へ捌きにいくのだが、果たしてしっかりと商談が出来るのか……

 ウィリアムはその後姿を見つつ、いらぬ心配をしていた。

 

 

「ここまでだな」

 

 ギレーヌはウィリアムに向き合った。

 しっかりとウィリアムを見つめる。

 ウィリアムもまた、ギレーヌの一つしかないその瞳を見つめていた。

 

「あの時の返事は、今は言わなくていい」

「……」

 

 努めて平静に言葉を紡ぐギレーヌ。しかし、注意して聞いてみればややその言葉尻は震えていた。

 

「次に会った時に……聞かせてくれるか?」

 

 淡い微笑を浮かべるギレーヌ。ウィリアムはゆっくりと頷き、やがて浅めに腰を折った。

 

「……かしこまって御座る」

 

 顔を上げ、再会を約束し合う剣虎と黒狼。

 雑踏の中、二人の間だけ静かな空間が出来上がっていた。

 

 やがてウィリアムはその場から立ち去るべく、別れの挨拶を告げた。

 

「ギレーヌ殿。次見えるまで、健やかに──」

「ウィリアム!」

「?」

 

 突然大きめの声を上げるギレーヌ。つかつかとウィリアムの目の前に立った。

 

 

 そして、ぐいとやや乱暴にウィリアムの顔を引き寄せ、口づけを交わした。

 

 

「ッ!?」

 

 不意を突かれたウィリアムは不覚にも硬直してしまう。

 衆目を気にせず、ギレーヌはしっかりとウィリアムの顔を掴み、口を続けていた。

 ウィリアムはみるみる青かったその表情を朱に染めていった。

 

 というか、ギレーヌの強引な口づけで呼吸が困難になっていた。

 

「ぶはっ!」

 

 ようやっと解放されるウィリアム。ゲホゲホとむせるその様子を、満足気にギレーヌは見つめていた。

 

「またな!」

 

 そして踵を返し、ギレーヌは駆け出していった。

 その様子を呆然と見送るウィリアム。

 あっという間にその姿は雑踏の中に消え、見えなくなってしまった。

 

『なんとも……虎のようなおなごよの……』

 

 思わず日ノ本言葉で呟くウィリアム。

 しばらく立ち尽くしていたが、やがて息を一つ吐くと、ギレーヌが駆けていった方角とは逆に歩み出した。

 

 力強く歩みを進める。

 黒狼との一会は、虎に何を残したのだろうか。

 虎は、この異界で前世には無かった新たな感情を芽吹かせていた事に気付いているのだろうか。

 

 

 太陽の光が、ウィリアムを包む。

 異界天下無双を目指す若き虎の表情は、太陽の光に負けないくらい晴れやかなものとなっていた。

 

 

 

 

「いいなぁ若先生……青春だなぁ……」

 

「お、お主、まだおったのか……」

 

 

 

 いつの間にか隣を歩いていた商人に、不覚にも狼狽してしまった虎であった。

 

 

 

 

 

 

 

 






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