虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:男どすこい♥♥♡♡♡
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第十三景『若虎開腸鬼哭秘剣(わかとらかいちょうきこくひけん)

 

 寛永六年(1629年)一月

 駿河国駿府城

 

「御前試合を真剣もってせしめるの儀、お取り止めくだされい」

 

 この日、駿府城大広間にて御附家老鳥居土佐守成次が主君徳川大納言忠長へ“真剣仕合”を取り止めるよう諫言を行っていた。

 

 この時、成次は“陰腹”を切っていた。

 事前に一寸(約3cm)程腹部を真一文字に切り、さらしを巻いて大広間に赴いていた成次。その(かみしも)の腹部は朱く染まっている。

 朝倉筑後守宣正ら駿府藩の重臣達が見守る中、成次の生命を懸けた諫言がこの駿府城大広間にて凄絶に行われていたのだ。

 

「うぶっ!」

 

 腹中から込み上げる血を必死で飲み込む成次。

 ごくり、と血の塊を飲み込みながら、成次は決死の諫言を続けた。

 

「天下は、既に泰平……! かかる御時世に、東照大権現様(徳川家康)ゆかりの駿府城を血で汚せば、御公儀への叛意と受け取られましょう……!」

 

 口元から夥しい血を滴らせながら成次の諫言は続く。

 諫言を受ける忠長の瞳は黒く濁っており、虚空を見つめるその表情は只ならぬ様相を呈していた。

 

「さすれば、お家の、一大事ッ!」

 

 やがて居住まいを正し、成次は忠長を真正面に見据えた。

 

「されば、御前試合の剣士に成り代わり……それがしがお見せつかまつる」

 

 裃を脱ぎ捨て、熨斗目(のしめ)(はだ)け己の腹部を晒す成次。

 巻きつけられていた真っ白なさらしは、赤黒く変色していた。

 

「真剣仕合のもたらすものは、つまるところ」

 

 そして成次はさらしの隙間へ己の両手を突き入れた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「このようなものッ!」

 

 血を吐きながら両手にて己の(はらわた)を引きずり出し、血走った双眸を忠長に向ける成次。

 大広間は瞬く間に血の臭いで溢れかえり、畳は成次から溢れる血液で赤黒く染まっていった。

 

「それでも殿は、駿河五十五万石を引き換えに、このようなものが御覧になりたいと仰せられるかッ!?」

 

 腸を掴み血の海に沈みながら諫言を行う成次の凄絶な姿は、見守っていた重臣達ですら息を飲む程であった。

 中には成次の壮絶な士魂に感動し、薄っすらと涙を流す者もいた。

 このような身命を賭した(さむらい)の忠義に、心を動かされない者はいない。

 

 そう、誰もが思っていた。

 

 

「──ッ!?」

 

 

 しかし、忠長は成次が血海の中で掴むその腸を見て──

 

 

 満足そうに、薄い笑みを浮かべていた(・・・・・・・・・・・)

 

 

「暗君……」

 

 怨みがこもった呪詛を吐き、成次は絶命した。

 

 

 

「こやつ、主君である余の前で無念腹を切りくさった」

 

 伏せ果てた成次を薄い笑みを浮かべながら一瞥し、忠長は大広間を後にする。

 

「御前試合、真剣をもってせしむべし」

 

 去り際の忠長の一言に、重臣達は一斉に平伏する。

 平伏する重臣達は一様に沈痛な空気を纏い、その表情は弔辞のそれであった。

 

 

 このような忠長の理不尽な暴虐を、もはや何者も止め得ず。

 

 かくして様々な悲劇を生んだ“駿河城御前試合”は忠長の意向通りに執り行われる事となる。

 

 

 士の命は、士の命ならず

 

 主君のものなれば

 

 主君の為に死に場所を得ることこそ

 

 武門の誉れ

 

 

 “武士道”という封建社会の完成形が、少数のサディストと多数のマゾヒストで構成されるという典型的な光景であり

 

 士が持つ“武士道”という本能が、まさに“死狂ひ(シグルイ)”ということを如実に現していた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 古来より剣豪の歴史を語る上で、“至高の一戦”とはどの戦いの事であるか、という論争がしばしば行われている。

 

 舟島(巌流島)における宮本武蔵、佐々木小次郎の決闘か。

 あるいは、歌舞伎の題材にもなった“鍵屋の辻の決闘”の河合又五郎一派に対する渡辺数馬、荒木又右衛門の仇討ち仕合か。

 仇討ち仕合なら、討人仇人両人が生き残った掛川における藤木源之助、伊良子清玄の戦いこそが至高の一戦と見る者もいる。

 いやいや、幕末の維新志士の多くを屠った“新撰組”隊士達の闘争こそが至高、という意見もある。

 

 数多の剣談に登場する剣士達の戦いで、至高の一戦を決めるというのは現代になっても難題である事は確かであろう。

 

 

 では異世界──六面世界“人の世界”においての至高の一戦とは、一体どの戦いになるのか。

 

 “北神二世”アレックス・カールマン・ライバックによる王竜王討伐か。

 ラプラス戦役において“魔神”ラプラスと対峙した“七英雄”の戦いか。

 第二次人魔大戦における“黄金騎士”アルデバランと“魔界大帝”との一騎打ちか。

 いや、第一次人魔大戦まで遡り“勇者”アルスの物語における数多の戦いを推す者もいるかもしれない。

 

 吟遊詩人や演劇によって語られる英雄達の戦いは、事実とは異なって(・・・・・・・・)人々に伝わる事も多々あった。だが伝承される英雄譚というのは、偽りはあれ華やかな一面があるからこそ多くの人々の心に残る物なのだろう。

 

 それ故に、英雄達の華やかな戦いの影に隠れた“究極の一戦”というのも数多く存在した。

 

 

 甲龍歴423年

 魔法都市シャリーアにて人知れず行われた“死神”ランドルフ・マリーアンと若き虎、ウィリアム・アダムスの一戦。

 これもまた、上記の様な歴史の影に隠れた究極の──否、“秘剣の応酬”であった。

 

 

 

 

 

 

「しかし──」

 

 シャンドルがそう言いかけた刹那、ウィリアムの“流れ”が放たれた。

 

 虎眼流必勝形ともいえる“流れ”

 その神速にして最小の斬撃は、死神の頭部目掛けて一直線に放たれる。

 

「ッ!」

 

 しかし死神の恐るべき身体能力は、地を這うように身体を折り曲げる事でその神速の斬撃を躱した。

 

 振り切った“流れ”の握りは、二の太刀を生み出せない──

 

 無防備となったウィリアムの姿を見て“死神”がこの好機を逃すはずもなく。

 即座に無防備な虎に斬撃を見舞うべく距離を詰める。

 

「っと──」

 

 しかし“死神”は寸前で立ち止まり、即座にウィリアムから距離を取った。

 

「危ない危ない、ですねぇ」

 

 後方へと引いた“死神”を見てウィリアムはギリっと歯を軋ませる。

 その左手にはいつの間にか拾ったのか、先程投擲されたナイフが握られていた。

 

(距離を詰めていれば隠し持っていたナイフで抉られていたか……)

 

 シャンドルは虎の狡猾な牙から寸前に逃れた“孫”を見て安堵する。

 と同時に、この少年ともいえる風貌のウィリアムが持つ技量に舌を巻いていた。

 

(あの斬撃は明らかに射程距離が伸びてましたねぇ……一体誰に教わったのやら)

 

 “死神”ランドルフ・マリーアンもまたウィリアムの業前に感心をしていた。

 この世界で三大流派以外で名の知れた剣士は、恐らく自分以外は殆どいないであろう。

 しかしウィリアムの一手を見て、これほどの技量を持つ“流派”が人知れず存在していた事に驚くとともに、その若き才能にもまた感心をしていた。

 

 対峙するウィリアムを“死神”は改めてその窪んだ眼窩で見つめる。

 

(若いですねぇ。出来れば斬らずに済ましたい所ですが……)

 

 “死神”は少年ともいえるウィリアムの年齢を見透かしつつ、そう思考する。

 虎眼流を前にして斬られる事より斬る事を恐れてしまうのは、いかに七大列強5位とはいえこの世界では“死神”ランドルフ・マリーアンのみであろう。

 もっともウィリアムの前世に於いて同様に虎眼流の使い手に対し、斬ることを恐れた“戸田流印可”月岡雪乃介の“峰打ち不殺剣”のような活人剣は、この死神は持ち合わせていなかった。

 

(ランドルフ、手心を加えられるような相手ではないぞ!)

 

 虎の恐るべき技量をひと目で看破したシャンドルは“死神”に警戒を促すよう視線を送る。

 それを受けた“死神”は相変わらずニタニタとした表情を浮かべていた。

 

「……」

 

 “死神”が泰然と構える様子を見て、ウィリアムはナイフを放り捨て七丁念仏に親指を押し当てた。そのまま、血に染まった親指で自身の唇をなぞる。

 紅を差した唇は、文字通り血の如く赤き熱を纏っていた。

 これは、取られた首が見苦しくならぬよう薄化粧を施す“武士の作法”

 

 死して尚も桜色──

 

 強敵と対峙するウィリアムの不退転の覚悟が伺えた。

 “剣神”と対峙した時は、ヒトガミめの余計なお告げの所為でその覚悟を持つ事が出来なかった。

 故に、あのようなつまらない不覚を取ったのだ。

 

 此度は違う。

 これはヒトガミのお告げにも無い事であり、“剣の聖地”の時とは違い強者に対し決死の覚悟を持って望んでいるのだ。

 決死の覚悟で必死を回避し、確かな勝利を掴むのだ。

 

 “剣神”と“人神”に対する怨み、そして“死神”に対する覚悟からウィリアムはみしり、と歯を軋ませた。

 

 当然ながら異世界ではこの作法を知る者はいない。

 しかしながらウィリアムの異様ともいえるこの行動に何かしらの執念を感じ取った“死神”はニタニタとした表情を消し、口を真一文字に引き締めた。

 

「少女に狼藉を働く不逞者を懲らしめるだけと思っていましたが、これは予想外な展開ですねぇ……」

 

 “死神”はちらりとシャンドルの傍に佇むアイシャを見やる。

 アイシャの表情からは生気が消え失せており、その光の無い瞳は只々ウィリアムを見つめ続けていた。

 吐息を一つ吐いた“死神”は、その窪んだ眼窩を再びウィリアムへ向ける。

 

「“幻惑剣”……御覧にいれましょう」

 

 “死神”は剣を正眼に構えると、ゆるりと上段に剣を運ぶ。

 それは死神が鎌を構えるかの如く、幽世に迷い込んだかのような幻惑なる威容。

 

 しかし“死神”が剣を最上段に構えると、途端に屹立した剣から殺気が消え失せた。

 

「ランドルフ……!」

 

 見守っていたシャンドルが思わず声を上げる。

 

 隙だらけだ──

 

 “死神”は上段に剣を構えただけ(・・・・・)であり、その両脇には大きな隙が生じている。まるで木こりが薪を切るかのような、凡そ列強剣士にあるまじき所作であった。

 

 

 しかしこれこそが死神の代名詞である“幻惑剣”

 

 

 “幻惑剣”には“誘剣”と“迷剣”の二種類の型があり、誘剣は相手に好機だと思わせ誘導し、攻撃を誘うもの。

 迷剣は敵に攻めるべきではないと思わせ誘導し、窮地を逃れるもの。

 虚実を折り混ぜた幻妙なる“死神”の絶技であり、数多の剣士達を屠ってきた“死神の鎌”であった。

 

 ウィリアムはそれを見て再び七丁念仏をゆるりと担ぐ。

 但し、此度のウィリアムは担ぐだけにとどまらなかった。

 

「なっ!?」

 

 シャンドルは驚愕の声を上げる。

 同様に“死神”もその表情を一変させた。

 

 みりり、とウィリアムは担ぐ姿勢から更に身体をひねった(・・・・・・・・・)

 完全に“死神”に後頭部──急所をさらけ出し、その瞳はあらぬ方向を見据える。

 

「あり得ぬ……!」

 

 

 これは“決闘の光景”ではない──

 

 

 科人(とがびと)が斬首を待つ、“土壇場(どたんば)の光景”だ!

 

 

 シャンドルはウィリアムの異様な構えに驚愕の表情を浮かべる。

 “死神”の無防な構えに対するウィリアムの無謀な構えは、どう見ても自殺行為であった。

 

「この私と“幻惑合戦”ですか……」

 

 “死神”の首筋に一筋の汗が流れる。

 ウィリアムの奇怪な姿を、その窪んだ眼窩で凝視した。

 対峙する“死神”にしか解らぬ事であったが、“死神”はウィリアムが急所をさらけ出した途端、左半身にヒリヒリと強烈な殺気を感じていた。

 

(左から斬撃が来る……と、見せかけて(・・・・・・・)右から……いや、やはり左……?)

 

 “死神”はウィリアムの意図を読むべく必死になってその窪んだ眼で若虎を凝視し続けた。

 敵に対し後ろを向くウィリアムにその困惑する様子は見えないと思われたが、ウィリアムには確かに“死神”の様子をその眼で視ていた(・・・・・・・・)

 

 

 虎眼流“紐鏡(ひもかがみ)

 

 

 (ひも)氷面(ひも)であり、ウィリアムは七丁念仏の刀身を鏡にし“死神”の様子を視ていたのだ。

 

 幻惑剣による誘剣に対し、虎眼流による紐鏡。

 

 “死神”と“剣虎”による虚実を交えた秘剣の応酬を、シャンドルは固唾を呑んで見つめていた。

 傍らに佇む朱髪の少女は、依然その瞳に光は宿らず。

 

「ランド──」

 

 シャンドルが“死神”に声をかけたその瞬間──

 ウィリアムの神速の“横流れ”が、“死神”の右半身(・・・)へと放たれた。

 

 闘気と共に身体を半回転させ放たれた“横流れ”の速度は、通常の“流れ”を凌駕する。

 飛燕の速度で放たれた“横流れ”は、“死神”の半身を両断するべくそのガラ空きの脇腹へと吸い込まれた。

 刃が届く刹那、ウィリアムは死神の両断された半身を幻視し、僅かに口角を上げる。

 

 しかし──

 

「ッ!?」

 

 突如ウィリアムの目の前に現れた壁(・・・・・・・・・・・・・・・・)が轟雷ともいえる金属音と共に“横流れ”の斬撃を阻害した。

 戸惑うウィリアムに対し、容赦無く“死神”の袈裟斬りが襲いかかる。

 

「ヌゥッ!」

 

 しかしウィリアムは咄嗟に構え直した七丁念仏にて真正面からその斬撃を受け止めた。

 七丁念仏の腹を向け、刀身に掌底を添えて“死神”の剣を凌ぐその様子は、さながら念仏を唱える僧侶が如く。

 

 

 虎眼流“片手念仏(しのぎ)受け”

 

 

 虎眼流の数少ない太刀にて相手の斬撃を受けるこの技は、刀身と峰の間にある小高い窪み“(しのぎ)”と言われる部位に掌底を添えて斬撃を防ぐ堅牢なる肉と刃の防御の型。

 刀身にて迎撃していれば“死神”の剛剣は七丁念仏を巻き込みながらウィリアムの頭部を十文字に斬り裂いていただろう。

 ウィリアムはそのまま“死神”を押し倒さんと渾身の闘気を掌底に込める。

 

「ぐぅッ!?」

 

 しかし“死神”の恐るべき膂力は、逆にウィリアムを地面へと縫い付けた。

 馬乗りとなった“死神”は剣をウィリアムへと圧し当てる。

 

「“詰み”です。潔く降参なさい」

「~~ッッ!!」

 

 “死神”に組み伏せられたウィリアムは歯を軋ませ全力で抗うも、“死神”の剛力は虎を起き上がらせる事は許さず。

 この時のウィリアムは知るべくも無かった事だが、“死神”ランドルフ・マリーアンの膂力は“怪力の神子”として知られるシーローン王国第三王子よりも強く、単純な腕力だけでいえば七大列強の中でもトップクラスを誇っていた。

 鍔迫り合いとなった状況から刀身ごと“死神”を地面に圧し当てようとしていたウィリアムであったが、この骸骨の様な男がまさか虎眼流剣士の膂力を上回るとは。

 七大列強の力を決して甘く見積もった訳ではなかったが、この事態を招いたのは完璧に虎の誤算であった。

 

(奇なッ!)

 

 ウィリアムはこの状況下の中、先程の奇怪な現象を思い起こしていた。

 突如現出した“壁”に阻まれた必滅の“横流れ”

 “横流れ”は確かに“死神”の反応を凌駕し、その胴を薙いだはずである。

 しかし現実には“死神”に縫い止められた我が身。足掻けば足掻くほど、己の鳩尾に乗せられた“死神”の膝が重く突き刺さる。

 “死神”が圧し当てる剣を七丁念仏で必死に支える状態で、ウィリアムは焦りと共に増々困惑の表情を深くした。

 

 困惑する最中、ウィリアムは“死神”の顔に違和感を覚える。

 “死神”は先程まで装着していた“眼帯”をいつの間にか外していた。

 瞳には六芒星のような文様が浮かんでおり、怪しげに赤く光るその瞳をウィリアムに向けていた。

 

「“空絶眼”か……」

 

 端から視ていたシャンドルが“死神”の絡繰を見破っていた。

 

 

 “空絶眼”

 

 

 “死神”ランドルフ・マリーアンが備えている魔眼であり、その瞳を向けられた者は突如発生した“壁”を幻視し、自身の行動を阻害される事となる。

 実際には“壁”など発生していないのであるが、幻出した“壁”を本物の“壁”と誤認させることにより、対象は何もない空間(・・・・・・)で虚構を相手に動きを止められるのだ。

 十分に魔力を練った状態ならば、遠距離から大軍の行動をも阻害する事が出来る正に列強に相応しい空絶なる魔眼。

 対象が一人であり、かつ至近距離からならば僅かな時間でも十分に対象の行動を阻害する事が出来た。

 

 シャンドルから見れば、ウィリアムの“横流れ”は“死神”に触れる寸前で、ウィリアム自身の手によりその斬撃が止められていたのだ。

 

(ああまで深く極まれば最早返す事は出来まい……)

 

 シャンドルはウィリアムの“死に体”を見て安堵の息を吐く。

 “孫”の勝利は疑いようもなかった。

 

 ふと、シャンドルはこの勝負の原因となった朱い髪の少女の存在を思い出した。

 勝負が決まり、もはやあの暴虐なる若者は無力化したと言葉をかけるべく、横に佇むアイシャを見やる。

 

「ッ!?」

 

 しかし、シャンドルはアイシャに言葉をかける事は出来なかった。

 

 

 アイシャは幽鬼のような虚ろな表情を浮かべており、元が快活な少女とは思えぬ程“呆けた”空気を纏っていた。

 だらしなく開かれた口から僅かに涎を垂らし、変わらず光の無い瞳で“死神”が“剣虎”を制圧する様子を眺めている。

 芯の抜けたその立ち姿に、シャンドルは見てはいけない物を見たと思い視線を“死神”に戻した。

 

 そしてシャンドルが視線を戻したその瞬間

 

 “死神”の身体が跳ねた(・・・・・・)

 

「ゲボォッ!!」

 

 “死神”は血反吐を噴射し、ウィリアムから人形の如く跳ね上がる。

 

 

 虎眼流“土雷(つちらい)

 

 

 “土雷”は組み伏せられた状態から渾身の踏み込みと全身の反りを用いて瞬時に拳を内蔵にめり込ませる柔の技だが、ウィリアムは七丁念仏の柄頭にて“土雷”を放ち、“死神”の内臓をその牙で食い破っていた。

 “死神”の楔から解放されたウィリアムは“土雷”を喰らい、転がる“死神”に止めを差すべく七丁念仏を担ぐ。

 “空絶眼”はウィリアムの姿を捉える事は叶わず、死に体となった“死神”に虎の牙が襲いかからんとした。

 

 しかし、七丁念仏を振り切る寸前にウィリアムはピタリと動きを止める。

 

 ウィリアムは、この絶好の勝機を見送った。

 

 見送らねば、ならなかった。

 

 

(アイシャ──)

 

 “死神”が“土雷”を受け転がり込んだ先は、呆然と佇む一人の朱い少女の前であった。

 ウィリアムは“死神”の真後ろに佇むアイシャを見つめる。

 

 アイシャの姿を視認した瞬間、ウィリアムはそのままアイシャごと(・・・・・・)“死神”を斬るつもりで七丁念仏を振ろうとした。

 グレイラットの性を捨てた自分には、家族などもう関係ない。

 ましてや妾腹の妹など、己の大望の為ならばいくらでも犠牲にしても構わない。

 

 致し方なし──

 

 一瞬でそう判断したウィリアムは、七丁念仏を振ろうとした。

 

 ところがウィリアムの肉体は脳髄の命令に反抗し、その動きを止めた。

 心の貝殻の奥底の、淡く、暖かな“火”が、ウィリアムの動きを止めたのだ。

 

 

 白髪の剣虎と、朱髪の少女の視線が交差する。

 ウィリアムはアイシャの瞳の中に家族と過ごした暖かなひと時を幻視した。

 

 “ウィル……偶には父さんとも遊んでくれよー……”

 

 “まぁウィルったら! こんなところで寝てちゃ風邪引いちゃうわよ?”

 

 “ウィリアム坊ちゃま。今日はウィリアム坊ちゃまが好きな野草のスープですよ”

 

 “うぃーにぃ、ご本よんで?”

 

 “うぃーにぃ! うぃーにぃ!”

 

 パウロ、ゼニス、リーリャ、ノルン……そしてアイシャ。

 穏やかなひと時を過ごした、あの時の光景がアイシャの瞳の中に映し出されていた。

 

 

「ウィル……にぃ……」

 

 ウィリアムの視線を受け、アイシャはその瞳に光を取り戻し始めていた。

 その可憐な朱い瞳で、白い若虎を見つめていた。

 涙で濡らした跡が残るその表情に、徐々に熱が戻り始めていた。

 アイシャを見つめる虎の眼は、先程まで“死神”と死闘を繰り広げていたのが嘘のような穏やかな眼をしていた。

 

 アイシャは拒絶され、失った“大好きなウィル兄ぃ”が少しだけ戻ってきたように感じた。

 

 

 やがてアイシャから視線を外したウィリアムは、自身の心の奥底で湧いた感情の揺らぎを悟られまいと後方へ跳躍し“死神”と距離を取る。

 

「参れ! “死神”!」

 

 ウィリアムの凛とした声が辺りに響く。

 自身に生じた“迷い”を断ち切らんが如く、鋭い声を放っていた。

 

「ゲホッ……」

 

 血反吐を一つ吐き、“死神”はゆらりと立ち上がる。

 シャンドルが手を貸そうと駆け寄るが、“死神”はそれを手で制した。

 

「大事ありません……お構いなく」

「ランドルフ、私も加勢するぞ」

「お祖父様は、その少女を連れて離れていてください」

「ランドルフ! らしくないぞ!」

 

 シャンドルはあくまで一人で戦おうとする“死神”に声を荒らげる。

 “死神”ランドルフ・マリーアンは七大列強入りした当初は修羅の如く、向かってくる剣士達を片っ端から斬り伏せて己の剣名を高めていた。

 だがやがて戦う事に疲れを感じ、自身の腕前の衰えを自覚した頃には列強5位の名にさして拘りを持てなくなっていた。

 王竜王国にて親戚の定食屋を継いで、剣の代わりに包丁を持つ日々に満足していた。

 

 そんな“死神”が“北神二世”の助力を頑なに拒む。

 以前の“死神”なら二つ返事でシャンドルの申し出を受け入れ、二人掛がりで虎退治に望んでいただろう。

 いや、むしろ自分からシャンドルに助勢を申し入れていたのかもしれない。

 もはや自身の腕前は列強5位に相応しく無く、三大流派の長にすら及ばないと自覚していた。

 “死神”の剣士としての闘志は、萎えて久しかった。

 

 しかし窪んだ“死神”の眼からは、久しく現れていなかった闘志が燃えていた。

 

「お祖父様……どうか、私にお任せください」

「ランドルフ……」

「包丁以外の刃物を持って“楽しい”と思ったのは、本当に久しぶりです」

 

 “死神”は滴る血を舐め、その口角を上げる。

 得も言われぬ凄味が“死神”の全身から噴き出ていた。

 そのまま幽鬼のような足取りで、ウィリアムの方へ向かう。

 シャンドルはそれを黙って見送っていた。

 

「お待たせしました」

 

 再び“死神”は剣を上段に構える。

 先程とは打って変わり、剣先から噴出する殺気は見ていたシャンドルですら怯む程のものであった。

 

 もはや、“幻惑剣”など使用せず。

 渾身の“死神の鎌”を振り下ろすのみ。

 

 地獄の獄卒が如き猛烈な殺気を、“死神”はウィリアムにぶつけていた。

 

 

(つかまつ)る……!」

 

 それを受けたウィリアムは、右手の掴みをそのままに左手を持ち上げ、人差し指と中指で七丁念仏の剣先を挟んだ。

 

 

 みしり

 

 

 虎はその秘めおきし魔剣を、再びこの異界にて解き放たんとしていた。

 

 

 

 

 

──────────────

 

 

 ナナホシ・シズカはネリスの商人と共に騎士団の屯所へと赴いていた。

 しかし土地勘の無い商人と魔法大学の研究室に篭り滅多に出歩かないナナホシの組み合わせでは、禄に縁が無い騎士団の屯所へと容易に辿り着けるはずもなく。

 リニア、プルセナのいい加減な案内の仕方もあり、散々迷った末ようやっと辿り着いた頃には日は既に傾きかけていた。

 

「しかも肝心のウィリアム・アダムスはもういないって……」

「さーせん! あっしが道に迷わなければぁ!」

 

 ナナホシ達が屯所へと赴いた時には、既に件の白髪の剣士は放免された後であり、全くの無駄足を踏んだナナホシは商人へ呪詛が篭った呟きを吐く。

 なぜか商人は己の股間を抑えており、涙ながらにナナホシへ謝罪していた。

 

(今日はもう帰ろう……)

 

 何もしていないのに勝手に股間を抑えて蹲る商人をゴミを見るかのような目つきで……実際には仮面をつけているのでその目つきは分からないが、ナナホシは商人を一瞥し、魔法大学の寮へと帰宅するべく歩み始めた。

 

「あ、あの、おいてかないで……」

「……」

「無視ィ!?」

 

 喧しい商人をつとめて無視し、ナナホシは歩みを早める。

 傾いた太陽は紫陽花色に染まり、辺りは薄闇に包まれていた。

 散々歩き回った疲労、ウィリアム・アダムスに会えずに終わった徒労、そして商人への倦怠からナナホシの白面の下の表情は三日三晩荒野を彷徨った旅人の如くやつれていた。

 

 

 

 

 しばらく人気の無いシャリーア郊外を歩いていると、商人が唐突に声を上げた。

 

「あ! 若先生ってヴェェッ!?」

「ふぁ!?」

 

 商人の素っ頓狂な声に不意を打たれたナナホシは、同様に頓狂な声を上げる。

 苛立ちもあってか、猛然と商人に詰め寄った。

 

「何よいきなり!?」

「い、いや、若先生がいたんですけど……」

 

 そう言いながら商人はおずおずと指を差す。

 ナナホシは仮面の下に怪訝な表情を浮かべ、商人が指を差す方向に視線を向けた。

 

「ッ!」

 

 そしてナナホシは見た。

 白髪の剣士と、骸骨の剣士が、禍々しい程朱く染まった空の元で剣を構えているのを。

 

「け、決闘!?」

「……!」

 

 商人が驚愕の声を上げる中、ナナホシもまたある事実に気づき、その内心は大きな波が立っていた。

 

 白髪の剣士が持つ得物。

 それはまさしく──

 

(日本刀──!)

 

 ナナホシは白髪の剣士の剣を凝視する。

 反り返った片刃の刃、刀身と峰の間にある鎬、柄巻きが巻かれた柄、切羽にて挟まれた木瓜型の鍔……

 ナナホシが良く知るそれは、日本刀と呼ばれるこの世界では決して存在し得ない異世界(・・・)の業物であった。

 

 ナナホシは自身の心臓が早鐘の如く鳴るのを自覚する。

 とうとうあの転生者以外で……それも平成日本への帰還の手掛かりが得られるかもしれないその刀の妖しい輝きに、ナナホシはしばし我を忘れて見とれていた。

 

「わ、若先生が骸骨……ってあれ七大列強“死神”じゃないっすかぁ!? どゆこと!?」

 

 再び頓狂な声を上げる商人により、ナナホシはハッと我に返る。

 七大列強“死神”

 ナナホシはこの世界の大抵の事柄は、共に旅をした龍神から十分に教えを受けていた。

 七大列強とは即ち、この世界でトップクラスの強者の称号。

 その強者と探し求めていた白髪の剣士……ウィリアム・アダムスが真剣にて立合いを行っている。

 

 一体これはどういう事なのか。

 困惑するナナホシは、ふと“死神”とウィリアムが対峙するのを見つめる黒髪の壮年と朱髪の少女に気がついた。

 そして朱い少女は、ナナホシが良く知るあの転生者(ルーデウス)の妹であった。

 

「アイシャちゃん!」

「ナナホシさん……?」

 

 駆け寄りながら声をかけるナナホシ。

 アイシャはナナホシを見留めると、くしゃりと表情を歪めた。

 

「ウィルにぃが……ウィルにぃの……!」

 

 ポロポロと涙を流し、ナナホシに縋るアイシャ。

 ナナホシは依然この状況を掴めず困惑していたが、自身の腕の中で震え涙を流す少女を優しく抱きしめた。

 

「大丈夫……大丈夫だから……」

 

 変わらず“ウィルにぃ”と繰り返し呟くアイシャの背中を擦りながら、ナナホシは傍らに立つ黒髪の剣士を見やる。

 何はともあれ、まずはあの決闘を止めねば。

 アイシャがここまで狼狽するという事は、あの白髪の剣士はアイシャと何かしらの関係があるという事だろう。

 骸骨の方が“ウィルにぃ”と思えなかったナナホシは、何かしらの事情を知るであろう黒髪の剣士へと声をかける。

 

「今すぐあの決闘を止めてちょうだい」

 

 黒髪の剣士、シャンドルは先程からナナホシ達の存在に気付いているものの、その眼は“死神”と“剣虎”から外そうとしなかった。

 視線を前に向けたまま、ナナホシに応えた。

 

「……無理だ。もう、誰にも止める事は出来ん」

「そんな……なんで!?」

「もはや余人が関与する事は……」

 

 シャンドルは最後まで言葉を発する事はなく、“死神”とウィリアムの立ち合いを凝視し続ける。

 ナナホシもつられて見ると、丁度ウィリアムが刀の切っ先を左手で掴んでいた。

 

「ッ!」

 

 尋常ではない闘気が発せられる。

 平成日本ではただの女子高生に過ぎなかったナナホシでは到底耐えられぬ程の剣圧。

 全身の震えをごまかす為、腕に抱くアイシャをぎゅっと抱きしめる。

 

「ウィル、にぃ……」

 

 抱きすくめられるアイシャもウィリアムの様子をその眼で見つめる。

 先程までの虚ろな瞳では無く、光を宿したその濡れた瞳は確りとウィリアムを見つめ続けていた。

 

 

『……しく』

 

「えっ──」

 

 地獄の底から呻くような声が、辺りに響いた。

 ナナホシやシャンドル、そしてアイシャはその声に本能的な恐怖を覚える。

 

 そしてナナホシは聞いた。

 

 

 呻くような声で発せられる、“日ノ本言葉”を。

 

 

 狂ほしく

 

 血のごとき

 

 月はのぼれり

 

 秘めおきし魔剣

 

 いずこぞや──

 

 

 みしり、と重々しい音が辺りに響く。

 憤怒の形相を浮かべ無念の涙を流しながら(・・・・・・・・・・)刀を構える剣虎……いや、剣鬼。

 尋常では無いその様子に、ナナホシは息を飲む。

 とてもではないが、ルーデウスのような平成日本の転生者(・・・・・・・・)とは思えなかった。

 

『“剣神”……! 貴様の流派、いずれ根絶やしにしてくれん……!』

 

『“人神(ヒトガミ)”! 貴様にかかされた恥、忘れようとて忘れられぬわ……!』

 

 このような怨みが篭った怨念を、目の前の“死神”に向けるウィリアムは果たして正常だろうか。

 そして無念の涙を流す剣鬼は、最大限に怨みが篭った怨嗟を吐いた。

 

 

『清玄ッ!!!』

 

 

 ピシリ、と軋ませた歯にヒビが入る。吐き気を催す程の憎悪を込め、吐かれた日ノ本言葉。

 先程までウィリアムの心の貝殻に灯っていた甘く、馨しい火は、瞬く間にその怨嗟の業火により打ち消されていた。

 

 

 “死神”は死の流星の間合いに入り、猛然と虎へ向かい突進する。

 

 

 向かってくる“死神”に、虎眼流奥義“流れ星”は放たれた。

 

 

 

 

 ──一閃

 

 

 

 

 閃光と共に肉と鉄がぶつり合う重低音が辺りに響き渡る。

 

 眩しさで目が眩んだナナホシ達は流星が“死神”に直撃する瞬間を見る事は敵わず。

 しかし目を開いた瞬間、ナナホシ達は信じられぬ光景を目にする事になる。

 

 

「ウィル兄ぃッ!!!」

 

 アイシャの叫び声が響く。

 ナナホシが抱きすくめるその腕から必死にもがき、朱い髪の少女はウィリアムの元へ駆け出した。

 

 ウィリアムは“死神”の剣により肩口から心臓にかけて斬り込まれていた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 と同時に、“流れ星”は“死神”の頸部をニ寸程斬り込んでいた(・・・・・・・・・・・・・)

 剣によって結ばれた二人の剣士は、やがて同時に地に倒れ伏した。

 

「馬鹿な……」

 

 倒れ伏す間際、ウィリアムは“流れ星”が“死神”の頸部を切断し得なかった現実を受け入れる事が出来なかった。

 “()”を出現させる間も無く、死の流星は“死神”に襲いかかったはずである。

 闘気によって高められたその速度、その威力は前世においての“流れ星”とは比べ物になく。

 

 困惑と無念、そして己から大量に流れる血で何も考えられなくなった虎は、やがて意識を手放した。

 

「ウィル兄ぃ! ウィルにぃ!!」

 

 アイシャがウィリアムに駆け寄る。その可憐な手で、ウィリアムの肩口を押さえた。

 

「やだよ、やだよぉ、ウィルにぃが、しんじゃうよぉ」

 

 流れる血を必死で押さえ、治療魔術をかけるべく震える声で詠唱を始めるアイシャ。

 しかし初級魔術しか修めていないアイシャの治療魔術では、深手を負ったウィリアムを完治することは出来ず。

 必死に傷口を押さえるアイシャの手は、ウィリアムから流れる大量の血液で痛々しい程朱に染まっていった。

 

 

「ランドルフ!」

 

 シャンドルもまた“孫”に駆け寄っていた。

 “死神”は頸部に斬り込まれた七丁念仏を抜き、溢れる血を手で押さえていた。

 “死神”はシャンドルに力なく微笑む。

 

「大事、ありません……」

「莫迦いうな!」

 

 シャンドルは懐を探り“北神の秘薬”を取り出す。

 北神流高弟以上でしか持ち得ぬこの秘薬は、初代北神が魔大陸にて発見した治癒効果が非常に高い薬草から作られている。

 門外不出の製法にて作られる秘薬の効力は、例え胴体が千切れても有効な代物であった。

 

 シャンドルは秘薬を“死神”の頸部に充てがう。

 大量に血を失った“死神”は元々の暗い人相を更に青白く変化させ、まさしく幽鬼がこの世に現出したかのような様相を見せていた。

 

「相討ちとはな……」

 

 シャンドルがウィリアムの方を見やりつつ、“死神”の手当を続ける。

 治療を受ける“死神”もまたウィリアムを見つつ、シャンドルに言葉をかけた。

 

「お祖父様。秘薬はまだありますか?」

「あるが、何故?」

「あのウィリアムとやらも治療してください。今ならまだ……」

 

 力なくウィリアムを指差す“死神”。

 アイシャが必死に治療する様子は、見る者の胸を打つ痛ましい光景であった。

 

「いいのか……?」

「あの才能、死なすには惜しい。それに……」

 

 “死神”は震える手を必死に上げ、シャンドルに見せつけた。

 

「お祖父様。これを、見てください」

「うむ?」

 

 “死神”の両手の指にはそれぞれの人差し指、中指に指輪が嵌められていた。

 その指輪はシャンドルが良く知る希少な魔力付与品(マジックアイテム)であった。

 

「ッ!?」

 

 そしてシャンドルは戦慄する。

 “死神”が嵌めていた指輪は“斬撃を軽減する”非常に希少な魔力付与品(マジックアイテム)であり、その効果は帝級剣士の一撃すら無効にする。

 使用者が魔力を込めれば発動するその指輪が、“死神”が手を上げた瞬間みるみる砕け散っていった。

 

「ゆ、指輪4つ分とは……」

 

 帝級の攻撃を4回分、それでも尚防ぎ切れなかった虎の流星の威力を目の当たりにし、シャンドルの背筋は凍りついた。

 

「指輪が無ければ、私の首は即座に胴体と離れていた事でしょう……あの若者は、剣一本で私と戦っていた」

 

 力なく呟いた“死神”は、やがてゆっくりと瞼を閉じ、天を仰いだ。

 

 

 

「私の、負けです」

 

 

 

 “死神”ランドルフ・マリーアン。

 

 

 七大列強5位の座を、若い虎に譲り渡した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ウィリアムは夢を見ていた。

 

 ブエナ村で家族と過ごす暖かい夢を。

 その夢の中で、成長したノルンとアイシャ……妹達がいた。

 

 幼き日と変わらず、己を慕う妹達。

 そんな妹達を邪険にせず、ウィリアムは黙って妹達の頭を撫でる。

 ニコニコと微笑む妹達を見て、自然とウィリアムの表情も緩んだ。

 

 穏やかで、優しい日々……。

 いつからだろう。こんなにも、穏やかな日常が遠い物になってしまったのは。

 

 転移してから、様々な出来事があった。

 たった一人で、苛酷な日々を過ごしていた。

 その苛酷な日々が、穏やかな日常を忘れさせる程の修羅に、己を変えてしまったのだろうか。

 

 いや、元々が濃尾無双と称された剣の修羅ではなかったのか。

 いつから、己はこんなにも“腑抜け”てしまったのだろうか。

 

 

 気がつけば、妹達の姿はなかった。

 代わりに前世での娘……三重の姿が、そこにあった。

 

『三重……』

 

 ウィリアム……虎眼は、三重の頬を優しく撫でる。

 三重の表情は、薄く……そして、儚い微笑みを浮かべていた。

 

『お父上……』

 

 三重は微笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。

 

『今の家族を、大切になさりませ』

 

『三重……!』

 

 三重の姿は、やがて徐々に透けていった。

 三重が消えていく最中、虎眼は三重の後ろに立つ大きな体躯に気付いた。

 

『権左……』

 

 前世の忠弟、牛股権左衛門がそこにいた。

 権左衛門はゆっくりと頷くと、三重と同じように微笑みを浮かべその姿を消していった。

 

 

 

 

 

「ウィリアム兄さん……!」

 

 目を開けると、ベットに寝かされた我が身。

 痛々しく肩口に巻かれた包帯は、僅かに血が滲んていた。

 傍らにて目に涙を溜め、心配そうにノルンが見つめていた。

 

「ノルン、か……」

 

 ウィリアムは、力なくその右手上げ、ノルンの頬を撫でた。

 ゆっくりと、優しくノルンの頬に手を当てる。

 ノルンはポロポロと涙を流しながら、ウィリアムのその手をぎゅっと握っていた。

 

 ノルンの対面……ウィリアムの左側にて、同様にウィリアムを見つめていたアイシャは、その瞳に涙を浮かべる。

 しかし、ノルンが浮かべた涙とは違う意味で、その少女は涙を溜めていた。

 

(また、ノルン姉だけ……)

 

 ミシリオンにて散々に味わったノルンと自分との扱いの差。

 妾腹の子と、実の祖母に言われたあの時の悲しさ、やるせなさ。

 再び味わうあの哀しみを、アイシャは実の兄にまで感じて、その瞳は光を失いつつあった。

 

 

「……アイシャ(・・・・)

「!」

 

 失意に沈むアイシャに、ウィリアムはその名を優しげに呼んだ。

 ゆっくりと、慈しみを込めた眼を、アイシャに向けた。

 

「美くしゅう、なった喃……」

 

「……っ!」

 

 アイシャは、それまで感じていた哀しみが全て消え去るのを感じていた。

 

 その瞳から涙が溢れた。

 

 嬉しさと、愛しさで、涙が溢れ出てきた。

 

 

「うわあああああああん!!」

 

 

 アイシャは泣いた。

 

 生まれたばかりの、赤子のように。

 

「ウィルにぃ! ウィルにぃ!! ウィルにぃ!!!」

 

 横になるウィリアムに飛びつくアイシャ。

 大好きな兄の胸元に顔を埋め、ぎゅうぎゅうとその体にしがみついていた。

 

 左手にて、ゆっくりとアイシャの頭を撫でるウィリアム。

 アイシャが泣き止むまで、ずっとウィリアムはその朱い髪を撫で続けていた。

 

 

 

 失われたと思われた兄妹の絆を確かめるように、優しく、穏やかな時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 中央大陸某所

 

「何だ……この紋様は……」

 

 銀色の髪、金色の瞳、何かの皮で作られた無骨な白いコートを身に着けた一人の男が、道端にある石碑の前で立ち止まっていた。

 男はその鋭い三白眼で石碑を睨みつけるように見つめている。

 

 魔力が濃い場所に置かれているこの石碑は、嘗て“技神”が世界各地へと設置した七大列強を示す物であり、石碑の中心部に闘神語で描かれた“7”を現す字の周りを現在の七大列強を表す紋様が囲んでいる。

 そして、“死神”の紋様が刻まれていた箇所に、新たに剣五つ桜に六菱(・・・・・・・)の紋様が刻まれていた。

 

「七大列強が入れ替わっただと……?」

 

 男は訝しげに呟く。

 この男の数多の人生(・・・・・)で、このタイミングで七大列強が入れ替わるのは初めての事であった。

 

「こんな事は今までには無かった……ルーデウス・グレイラットといい、今回は何かがあるな」

 

 やがて男は石碑から視線を外すと、再びその足を動かす。

 男には、全てをかけて果たさねばならない使命があった。

 その使命を果たすべく、今回(・・)もまた様々な“勝利”への布石を積む必要があった。

 それ故、イレギュラーが一度発生すると“勝利”への布石が揺らぎかねない。

 万が一今回が失敗したとしても、その失敗を次回(・・)につなげる為に、この新たな七大列強の正体を探らねばならなかった。

 

 

 もし、新たな七大列強があの悪神の使徒であったら──

 

 

「生かしてはおけぬ」

 

 

 

 悪神打倒を掲げた若き龍神は、その足を止める事無く目的の場所へと歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※冒頭の鳥居成次の陰腹シーンですが、史実ではそもそも陰腹云々した人は多分いなかったと思います。成次さんは忠長が徳川家光に自刃を申し付けられた際、忠長の助命嘆願で走り回った過労で亡くなってます(心労ともいう)
ていうか駿府城での真剣仕合自体無かった。
ちなみに忠長の乱行の数々はかなりの部分が事実で、ザ・暴君といわれている松平忠直ですら擁護論があるのに忠長には全くそういう擁護論が無い上『自分病気っすから家臣に無茶振りしすぎましたわ。マジ後悔してるっす』て感じのお手紙を南光坊天海に送ってるくらい確信犯でした。

※ランドルフどんの空絶眼は無職本編を読んでも私のうどん玉ではどんな能力なのかよくわからなかったので、字面から刃牙のドリアンっぽいアレな感じに捏造しもした。原作準拠ほいならんぜ。


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