虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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幕間『凶剣異界転移奇譚(まがつるぎいかいてんいきたん)

 

「さぁさ。そこ行く皆々様。おひとつ歌を聞いていかないかい?」

 

 人々の生活の活気が満ち溢れる街の中、一人の吟遊詩人が往来の人々に語りかける。

 噴水の縁に腰をかけ人々に声をかける吟遊詩人の様子は、その細指から奏でられる美しい竪琴の音と相まって人魚が船乗りを誘引するかのような光景であった。

 美しい音につられ、あっという間に人だかりが出来上がる。

 

 やがて集まった人々の前で吟遊詩人は本日の演目を高らかに謡い上げた。

 

「さて、今日の物語は運命の出会いを果たしながらも別れを余儀なくされた、緑髪の少女の歌を──」

「詩人のおねいさん! それ昨日も聞いたよ!」

「あり?」

 

 吟遊詩人の前に座っていた少年の言葉に周囲は苦笑いを浮かべる。既に昨日謡った内容を指摘された吟遊詩人も、やや羞恥で顔を赤らめながら居住まいを正した。

 

「ん、おっほん。それじゃあ、今日の物語は恋に恋する少女、運命の出会いを夢みた純白にして蒼穹の魔法少女の──」

「それはおととい聞いたよー」

「あ、あらぁ?」

 

 今度は少年の隣に座る少女が指摘する。周囲に集まっていた大人達も子供達の無邪気な指摘にたまらず笑い声を上げた。

 

「じ、じゃあ、今日の物語は情炎の契りを果たしながらも己の弱さと向き合い、孤高の試練に臨んだ朱色の乙女の──」

「それは三日前にきいたよ」

「ぉ、ぉぅ」

 

 少女の前に座る幼女にまでダメ出しが入る。子供達の容赦の無い指摘に、吟遊詩人は出だしの壮麗な様子から一変し滑稽な様子でまごついていた。その様子を見て周囲は増々笑い声を大きくする。

 

「くそう……ガキんちょだからって中2日程度じゃ誤魔化しきれなかったか……!」

「全部聞こえてんだけど!」

「もっとほかのお話ないのー?」

「しってるよ。こういうのネタ切れっていうんでしょ?」

「ぐぬぬ……」

 

 もはや当初の詩吟とは打って変わり、噴水の前は吟遊詩人と子供達の漫才の会場と化していた。

 ひとしきり周囲の笑い声が落ち着いたのを見計らい、吟遊詩人は再びその居住まいを正す。

 

「はぁー……仕方ないなぁ。あまり子供向けじゃないんだけれど、今日はとっておきの物語を聞かせてあげましょうか」

 

 竪琴を持ち直し、それまでの穏やかな音色から音調を変える。

 その音色は、過剰にして無謬、猥褻にして純潔な音色を奏でていた。

 

 竪琴の音色に併せ、吟遊詩人の謡声が辺りに満ちていく。

 その謡声は、聞く者全てを現し世とは異なる幻想なる世界へと誘うかのような……まるで、超常の者が放つ霊威に満ちたかのような謡声であった。

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて……今日の物語は世界を超越し、怨々たる業を持ちながらも不退転の“火”を鮮やかに燃やす、散華の(かすみ)の歌を歌おうじゃないか──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「愉快じゃ!」

 

 宿場街を哄笑を上げ闊歩する一人の美女……否、美漢。

 その顔立ちは傾城の麗人とも眉目秀麗な美丈夫にも見てとれる。真紅の総髪を美麗に靡かせ、身に纏う綺羅びやかな陣羽織を揺らし、力強い足取りを見せていた。

 

「狂ほしく愉快じゃ!」

 

 元和二年(1616年)三月

 この日、信州松本城下にて一人の“現人鬼(あらひとおに)が“治国平天下大君”徳川家康が統べる覇府に叛逆を(きざ)しめさせる出来事があった。

 

(流石真田の隠し姫、稀に見る胆力よの!)

 

 上機嫌に体を揺らし歩を進める男女の垣根を超越したこの超人は、先程の博労宿での出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

「現人鬼殿」

 

 “現人鬼様御宿”と看板に記された博労宿の一室。徳利が散乱し、酔い潰れた一人の若者の傍らで一人の乙女が現人鬼と対峙していた。

 乙女はしこたま酒を呑んでおり、その顔は朱に染まっている。しかしその瞳は酩酊したそれではなく、確りとした不屈の意志が宿っていた。

 乙女は仰いでいた酒碗を置き、その懐から紐で括られた六枚の永楽銭を取り出す。

 

(六文銭──!)

 

 現人鬼は六枚の永楽銭──六文銭を眼にした瞬間、その美しい瞳を鋭く光せる。

 三途の川の渡し賃であるこの六文銭を、戦国の世に生きる者達はいつ死んでも良いようにその懐に忍ばせていた。

 いつ果てるとも解らぬ刹那の人生。故に、今を全身全霊を懸けて生き抜く。

 この生き様を旗印にしたのが、かの有名な信州真田家である。

 

 そしてその六文銭を懐から取り出したる乙女は、かの名将真田左衛門佐(さえもんのすけ)信繁(真田幸村)の隠し姫、兵藤伊織。

 大阪の陣にて、負けると分かっていた戦に臨み討ち死にし果てた真田衆の義と無念。

 それらを一身に背負い、日ノ本を統べる“覇府”に対し一矢報いんが為怨身忍者“零鬼(れいき)”こと葉隠谷の化外者カクゴと共にたった二人で孤高の戦いを続けていた。

 

 伊織は六文銭を現人鬼の前に差し出す。

 

 その意味は、命を省みぬ共闘の要請──!

 

「無理スか」

「姫!」

 

 六文銭が差し出された瞬間、現人鬼の空気が一変する。

 手にした盃に殺気を込め、伊織を睨みつけた。

 

「家康の棲まう駿府城を見物したが笑うたわ! 豊臣の残党を掻き集めたところで焼け石に水!」

 

 治国平天下大君の居城駿府城は、覇府の都に永遠の安寧をもたらしむ為、日ノ本各地に燻る不穏分子の掃滅を目的として建造された“大虐殺要塞”

 六重七階の天守閣は有事の際東西に分裂展開し、巨具足(おおぐそく)金陀美(きんだみ)”を発進せしめた。

 また、本丸御殿の地下には大怪鳥“(ちん)”が飼育されており、採取される猛毒は一国を(ほろぼ)す程。

 覇府の強大な力を前に、この真田の姫の共闘要請は現人鬼からみて余りにも無謀な行いであった。

 

 現人鬼が手にする盃中の酒が渦を巻く。

 この現人鬼の神妙なる魔技は、ただの液体でも人体を殺傷せしめる鋭利な刃に変える事が出来た。

 

「派手に死に花咲かせたいなら、この酒で首を撥ねてやるぞ!」

 

 猛烈な殺気が伊織を包む。

 しかしこの可憐な真田の姫は全くそれに怯むことなく、現人鬼に言葉を返した。

 

「違うス」

「どう違う!?」

 

 伊織はその瞳を爛と光らせ現人鬼に胸の内を開陳する。

 

 “金陀美”に抗し得る武田信玄公由来の巨具足“舞六剣(ぶろっけん)”が諏訪湖にて眠っている事。

 祖父、真田昌幸と父、真田幸村が徹底的に鍛え上げた異能軍団“真田十勇士”が日ノ本各地に潜み居る事。

 そして零鬼を始めとした一騎当千の怨身忍者達が各地に現出し始め、その牙を覇府に対し剥いている事。

 

 全くの勝算が無かった訳では無い事に、現人鬼の目もまた爛々と輝きはじめていた。

 

「民草は治国平天下大君にひれ伏しおろがむその鬱憤を、身分無き者を踏みにじる事で晴らしています」

 

 現人鬼を真っ直ぐ見据え、伊織は言葉を紡ぐ。

 

「徳川の天下が続くなら、このおぞましき営みも終わらない……!」

「……」

 

 乙女の真摯な瞳を受け、現人鬼は黙考する。

 

 身分なき者──

 

 この言葉が、現人鬼の胸の中で波を打っていた。

 

 現人鬼の母親は石鏡港(いじか)の漁民が不漁の鬱憤を晴らす為、無惨に打ち殺ろした身分無き者。

 その際、破れた腹の中から骨の無い水蛭子(ひるこ)……未熟児が這い出ていた。

 不吉な物を見た漁民達はその水蛭子を突き殺さんと銛を立てると、たちまち銛は水蛭子へと吸い込まれ玉の如き赤子へと変わる。

 生え揃ったばかりの歯を剥き出しにし、飛びかかった赤子は漁民達を皆殺しにした。

 

 これが現人鬼の出生の逸話である。

 

 当時の漁民達の様子を鮮やかに記憶している現人鬼は、身分なき母の姿もまた鮮やかに記憶していた。

 必死になって己の腹を抱え、最後まで腹の中の現人鬼を庇い続けた母。

 現人鬼は腹の中で見た母の無念を、この乙女の瞳の中に視ていた。

 

 現人鬼は再び黙考する。

 一度は覇府に忠誠を誓ったこの身。己の享楽な振る舞いを許容する覇府の居心地、そして強者との戦いに飢え、その飢えを満たしてくれる覇府に“叛意”を持つ意義はあるのか。

 この現人鬼と民草を同じ扱いにする愚昧な衛府に転ぶ意義は。

 いや、そもそも己はその身分なき者の腹胎から産まれたのではなかったのか。

 

 現人鬼は乙女の瞳を見据える。

 乙女の瞳の中には、覇府に対する浅薄な忠義を遥かに越えた悠久不滅の大義が燃えていた。

 

「……!」

 

 現人鬼は盃の中に光り輝く“龍神”を幻視する。

 光輝を放つ天龍の姿を見つめ、現人鬼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「愉快じゃ……!」

 

 

「狂ほしく愉快じゃ!」

 

 

 この日以降、志摩国の現人鬼は覇府に叛意ありと見做され第四の“怨身忍者”として認定される。

 博労宿を立つ現人鬼は真田の隠し姫の魂を懸けた要請を受諾したのであった。

 

 

 

 

 

 

「まずは覇府の都、江戸見物とでも参ろうかの!」

 

 共闘の要請を受諾した現人鬼は零鬼達とは別行動を取る。

 しかるべき時に備え、少しでも“敵”の全貌を把握しておかねばならない。

 

 松本城下から数里離れた人気の無い山道。朝露に濡れた木々の葉が、朝日を反射して綺羅びやかに現人鬼の進む道を彩る。

 強大な覇府に挑むその足取りは、一歩歩く毎に現人鬼の自信が満ち溢れるかのような極美な姿であった。

 

「……うむ?」

 

 やがて現人鬼は上空に一点の赤い珠(・・・)が浮かんでいるのに気付いた。

 現人鬼が足を止め、上空を見つめているとにわかに辺りに乳白色の霧(・・・・・)が立ち込め始めた。

 

「面妖な……物の怪の出る刻限ではあるまいし」

 

 薄ら温かい霧が立ち込める中、現人鬼は突如発生した奇怪な現象に対し全く動じずに辺りを見回す。

 この自信に満ち溢れた現人鬼にとって、たかが妖怪如きではその身に傷をつける事は敵わず。

 乳の味がする霧を舐め、現人鬼はこの現象の正体を探るべく周囲の気配を探る。

 

 周囲は白い濃霧に完全に包まれ、白い闇の中に現人鬼はただ一人佇んでいた。

 

 

 “現人鬼よ!”

 

「ッ!?」

 

 突如、厳威に満ちた竜声と共にに一頭の天龍が現人鬼の目前に現出する。

 光輝くその龍は、先程現人鬼が幻視したまさしく──

 

「衛府の龍神……!」

 

 妖魔の類を警戒していた現人鬼だったが、まさか衛府の龍神が目前に現れるとは想定しておらず。

 動揺を隠し切れない現人鬼に構わず、龍神の竜声が辺りに響いた。

 

 “志摩の現人鬼よ!”

 

 鎌首をもたげる龍神が発する威光に、志摩の凶剣(まがつるぎ)と恐れられた現人鬼でさえ、その威を平常の心で受け流す事は難しく。

 その美しい首筋に汗を一つ垂らした現人鬼は、龍神に視線を向け続けていた。

 

 現人鬼が凝視し続ける中、龍神はその神命を現人鬼に下した。

 

 

 “人神を僭称する悪神を討つ為、この敷島では無くしばし(・・・)異界にてその蛮勇を奮うべし!”

 

 

「なに!?」

 

 龍神の声が響いた直後、現人鬼の体は光に包まれる。

 困惑する現人鬼は為す術もなく光に包まれ、やがてその意識を手放していった。

 

 

 しばしの時が経ち、乳白色の霧が晴れると現人鬼と龍神の姿はどこにも存在していなかった。

 まるで始めから存在していなかったかのように、現人鬼の姿は敷島……この世界から消え失せたのだ。

 

 乳白色の霧が消え去ると同時に、空中に浮かんでいた赤い珠はその役目を終えたかのように静かに消え去った。

 

 

 

 かくして、最凶の怨身忍者は現し世とは異なる異世界へと赴く事となる。

 

 その美瞳(ひとみ)で、何を映すのか。

 

 その美脚(あし)で、どこへ向かうのか。

 

 その美胸(むね)で、誰を包むのか。

 

 その美掌()で、何を掴むのか。

 

 

 

 志摩の凶剣、現人鬼波裸羅(はらら)

 

 

 またの名を、怨身忍者“霞鬼(げき)

 

 

 

 

 

 衛府の龍神の神命を受け、六面世界“人の世界”に現出す──!

 

 

 

 

 

 


 

 

 甲龍歴420年

 魔大陸ガスロー地方ネクロス要塞

 

 世界屈指の危険地帯“魔大陸”でも一、ニを争う苛酷な地ガスロー地方。その中心部に建造されたネクロス要塞は、山間部に五層に区切られ築城された魔大陸屈指の戦闘城塞である。

 下層の三層に分厚い城壁に守られた城下町が形成されており、上層二層は魔大陸最強と謳われる“不死魔王”の親衛隊が駐屯する軍事施設が形成されていた。

 

 その最強の親衛隊を率いるのがガスロー地方を治める魔王“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックである。

 

 かつて第一次人魔大戦で大いに暴れまわった“五大魔王”不死のネクロスラクロスの娘であり、受け継がれた不死魔族の不死性とその剛力をもってアトーフェ自身も第二次人魔大戦において存分にその戦闘力を発揮した。その絶大な暴力は、魔神殺しの三英雄“初代北神”カールマン・ライバックに敗れるまで人族に大きな損害をもたらしめた。

 “初代北神”に敗れた後、北神の妻となったアトーフェはそれまでの剛力に加え、北神直伝の“不治瑕北神流”を修めている。アトーフェは自身の親衛隊にもその不治瑕北神流を伝授し、いつしか“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックとアトーフェ親衛隊は魔大陸随一の戦闘力を誇るようになったのであった。

 

 

「立てお前らッ! 今日の稽古はまだ終わりじゃないぞ!」

 

 ネクロス要塞上層“練兵場”

 一人の女魔族が地に伏せる“親衛隊”の黒装備に身を包んだ若者達を見下ろし気炎を吐く。

 青色の肌、白い髪、赤い目、コウモリのような翼……。額から突き出る一本の太い角を生やす女魔族の名は“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバック。

 地を舐める親衛隊と同じ黒鎧を身に纏っており、その鎧は傷だらけで歴戦の風格が漂っていた。

 

「オラァッ! ペルギウスの使い魔共はこんなもんじゃないぞ!!」

 

 アトーフェは剣を肩に担ぎ、倒れ伏す親衛隊に活を入れる。

 自身の宿敵であり、かつてラプラス戦役において“魔神殺しの三英雄”と謳われた甲龍王ペルギウスを打倒するべく、アトーフェは親衛隊に日が暮れるまで容赦のない訓練を加えていた。

 ボロボロになった親衛隊の若者達は、アトーフェの一喝を受けヨロヨロと立ち上がる。アーメットによりその表情は窺えないが、ボソボソと不満の声を上げる若者達は疲労困憊した様相を呈していた。

 

「使い魔達はこんなもんじゃないって、アトーフェ様ペルギウスの使い魔と戦った事ないよな……」

「ていうか昨日はこの時間に終わってたよな。その日の気分で終了時間ころころ変えるのホントやめてほしい」

「治癒スクロールもってる?」

「ありもうはん!」

 

 ぶつくさと文句を垂れつつも、武器を構え直し再びアトーフェの前に整列する親衛隊。

 この不死の女魔王は、たかが疲労如きで訓練を中断する程甘くはなかった。

 

「よっしゃ! もう一丁いくぞ! お前、来い!」

「は!」

 

 整列した親衛隊を無作為に指名したアトーフェは自身の得物を構え、親衛隊の若者と対峙する。

 アトーフェの訓練は北神流の技を仕込む為の物であったが、基本的にはかかり稽古が主であり、もっと言えば『体で覚えろ』を地で実践していた。

 

「であああああッ!」

「ふんッ!」

「ガッ!?」

 

 親衛隊の若者が放つ渾身の袈裟斬りをアトーフェは片手で難なく弾く。勢い良く弾かれた自身の剣で痛烈に頭部を打った親衛隊の若者は、その勢いのまま気絶した。

 “剛力魔王”の異名も持つアトーフェの力は、ただの振り打ちですら必殺の威力を備えているのだ。

 

「次!」

「ごわす!」

 

 続けて大柄な親衛隊隊員がアトーフェに躍りかかる。体格差は倍以上あろう巨漢の隊員は、アトーフェに指名されると重戦車の如き勢いで突進していった。

 アトーフェはその重爆を真っ向から迎え撃つ。

 

「チェストオオオオッ!」

「オラァッ!」

「もす!?」

 

 倍以上の体格差にも拘らず、アトーフェは巨漢隊員の勢い以上のぶちかましを喰らわせた。吹き飛ばされ、地面を転がる巨漢隊員はがっくりと脱力し、そのまま気絶した。

 

「次ぃッ!」

「アトーフェ様」

 

 いつの間にかそこにいたのか、同じ親衛隊の鎧を身に着けた老魔族がアトーフェに声をかける。

 

「ムーアか! オレは忙しい! 手短に済ませろ!」

 

 老魔族……親衛隊隊長ムーアはアトーフェに見えないように溜息を一つ吐く。

 親衛隊の中では最古参であったムーアは、このジャジャ馬のような主君の態度を一時は改めるべく奮闘した時もあった。が、結局のところ“力こそが正義”である魔大陸の習わしを考えてその性格を矯正することは千年前に諦めていた。

 

「お忙しい所申し訳ありませんが、バグラーハグラー様からアトーフェ様に御進物が届いております」

「バグラーだと?」

 

 見ると、ムーアの後ろには布で覆われた物が鎮座していた。大きさはアトーフェの身長と変わりなく、中身がどのような物なのかアトーフェは興味深そうに見る。

 

「酒か? 食い物か?」

「いえ、どうやら石像のようですな」

 

 魔大陸北西部を治める魔王バグラーハグラーは、ラプラス戦役においてアトーフェと共に魔族側の急先鋒を務めた武闘派魔王であり、人族の領地から大量の食料を奪い取った事から“略奪魔王”と呼ばれていた。

 魔族では珍しい美食家であり、時折交易や自領で取れた数々の酒や珍味をアトーフェに届けていた。その逸品の数々はアトーフェを唸らせる物ばかりであり、アトーフェはバグラーからの進物を密かな楽しみとしていた。

 

「そんなもんいらん。酒か食い物に換えろと伝えろ」

「アトーフェ様……」

 

 ムーアはまた一つ溜息をつく。

 この老魔族は親衛隊を束ねる隊長ではあったが、どちらかというとアトーフェの政務全般を補佐する傅役としての側面が強かった。傍若無人、傲岸不遜、無知蒙昧なアトーフェの補佐は並々ならぬ神経では務まらず、第二次人魔大戦以降から仕えているムーア以外には、この役目を担う事は出来なかった。

 

「ともあれ、まずはひと目御覧になってからでも遅くはありますまい」

「ふん」

 

 つかつかと像の前に立ったアトーフェは、被せられていた布を乱暴に取っ払う。

 布の下に現れたのは、アトーフェを模した精巧な石像であった。

 いつもの黒装備姿ではなく、大きく胸元が開かれたドレス姿のアトーフェを模したその石像は、普段の勇壮な姿と相まって官能的に美しい姿であった。

 

「おお……」

「なんと素晴らしい……」

 

 周りの親衛隊から感嘆の溜息が出る。

 素人目から見ても、アトーフェの勇猛さ、妖艶さを良く表した名作といっても過言ではない出来に、ムーアもまたほぅ、と感嘆を新たにした。

 

「バグラーめ、駄作を送りやがったな!」

 

 しかし不死魔王はその石像をひと目みるや“駄作”と斬って捨てる。

 ムーアは主君のあまりにも不遜なこの言い様に諫言を制する事は出来なかった。

 

「アトーフェ様! いくら気に入らぬからといってそのような言い草はあまりにも礼を欠きますぞ!」

「うるせぇムーア!」

「アトーフェ様!」

 

 諌めるムーアは、ふとアトーフェの視線が一点に注がれているのに気付く。

 アトーフェはセクシーに開かれた石像の胸部を親の仇の如く睨みつけていた。

 

「オレの乳はもっとでかい!」

 

「えぇ……」と、周りから呆れた声が上がる。ムーアを始めこの傲岸な女魔王の複雑な乙女心を理解する者は、この場に誰もいなかった。

 

 

「む……?」

 

 ふと、ムーアは石像の頭部にヒビが走っているのに気付く。

 石工職人の完璧な仕事と思っていただけに、それは不自然なヒビの入り方であった。

 

 ムーアが訝しげにヒビを見つめていると、突然ビシリっと音を立て、石像の頭部に深い亀裂が走った。

 

「なっ!?」

 

 ビシ、ビシっと亀裂が縱橫に走る。瞬く間に石像はヒビだらけになり、異様な石像の様子に周囲は息を呑んだ。

 

 

 そして、石像が爆ぜた(・・・)

 

 

「なぁッ!?」

「なんごっしょ!?」

「女!?」

 

 破砕された石像の中から、一人の()が躍り出る。

 真紅の総髪を靡かせ、一糸纏わぬ姿で悠然とアトーフェの前に舞い降りたその女は、己の美しい乳房を惜しみなく周囲に曝け出していた。

 

「刺客か!?」

「ムム! 全裸!」

「ヘンタイか貴様ーッ!」

 

 ムーアを始め親衛隊がアトーフェと闖入者の間に入る。

 アトーフェを討伐し、“勇者”の称号を得ようとする者は未だに後を断たず、大抵の者は正面から正々堂々と挑むのが常であった。だが、稀にこのような奇を衒ったやり方でアトーフェの首を狙う者も存在した。

 

「うふふふ」

 

 石像の中より出た闖入者は自身の股間を妖しい手つきで撫でる。

 そこには、女が持ち得ぬはずの凶剣(・・)が雄渾なる威容で屹立していた。

 

「い、イチモツ……!?」

 

 ムーアは闖入者の股間を凝視する。長い時を生きるムーアは半陰陽の者を見る事は初めてでは無かったが、まさか石像の中から出てくるとは。

 困惑する周囲に構わず、闖入者は雄弁とその美口上を述べる。

 

「魔界に温羅(うら)の雌魔王が居ると聞いて」

 

 流暢な魔神語(・・・・・・)で語る半陰陽者は己の凶剣をひと撫でし、蠱惑的な瞳でアトーフェを見つめた。

 

「犯しに参った」

 

 この一言に、親衛隊が纏う空気が一変した。

 半ば強引に親衛隊として引き入れられた者が大半ではあったが、長くアトーフェと同じ時を過ごす内にその忠誠心は確実に親衛隊に根付いていた。

 自身の主君を汚そうとする不届きな半陰陽者に向け、獰猛な殺気を放つ。

 その殺気を受け、半陰陽者はにやりと不敵な笑みを浮かべていた。

 

「アハハハハッ! お前面白いな!」

 

 半陰陽者の不敵な態度に、アトーフェは快活な笑いを上げる。

 己を倒し名声を得ようとする者は後を断たなかったが、己を犯すなどと宣う輩は長き時を生きているアトーフェにとって初めての事であった。

 ともあれ、こいつはオレと戦いたがっている、と解釈したアトーフェは即座に戦闘体勢に入る。

 

「下がれ! こいつはオレがやる!」

 

 間に入る親衛隊を下がらせ、半陰陽者と対峙する。

 両者の間はヒリヒリとした殺気で渦巻いていた。

 見守る親衛隊はアトーフェのいつもの名乗り口上に備え、剣を前に掲げアトーフェと半陰陽者を挟むように整列した。

 

「オレが“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックだ! オレに勝てれば勇者の称号をやろう! 負ければ我が傀儡(くぐつ)として息絶えるまで使ってやろう!」

「うふふふふ」

 

 アトーフェの名乗りを受け、半陰陽者……否、“現人鬼”はお返しとばかりにその美声にて名乗りを上げた。

 

「我が名は波裸羅……人は呼ぶ“現人鬼”!」

 

 “現人鬼”波裸羅は悠然とアトーフェに名乗りを上げる。形の整った美しい乳房とイキり立つ凶剣を併せ持ち、その猥褻にして純潔な姿から発せられる妖艶な空気は周囲の者を陶然と惹き付けていた。

 だが、アトーフェにはそのような現人鬼の妖艶な姿に惑わされる程純粋でも無く、ましてや惑わされない程不純でも無かった。

 

「あらひとおに? なんだそれは! 鬼族の新種か!?」

 

 ムーアを始め親衛隊は斜め上のアトーフェの返答に頭を抱えた。「今そこ気にする所じゃないでしょ……いや気になりますけど」と、親衛隊の誰かが言った言葉にムーアは無言で同意の意を示した。

 

「温羅の雌魔王に鬼と呼ばれる筋合いはない喃」

「さっきから『うら』とかわけわからん事言いやがって! 馬鹿にしてんのか!?」

「この異界に転移してから実に三年……雑魚を喰い散らかすのは些か飽きが来おってな」

「ああ!? オレが雑魚だって言うのか!?」

「温羅の雌魔王は“不死魔王”として魔界屈指の実力者らしいの。そんな雌魔王が糞尿撒き散らして身悶えする様は、狂おしくも愛おしいぞ」

「ふざけんな! オレはちゃんと便所でウンコするぞ!」

 

 ムーアを始め親衛隊は現人鬼と主君の会話を聞き、強烈な目眩に襲われる。

 アトーフェも大概人の話を聞かないが、この半陰陽の闖入者はそれに輪をかけて自分のペースでしか物事を言わない。

 会話が成り立っているようで全く成り立っていないこの状況に、頭痛まで覚えたムーアと親衛隊はやがて考えるのを止めた。

 

「おい! お前素っ裸じゃないか! そんなんでオレとやろうってのか!?」

「身に何も纏う事なければ雌魔王と互角! 度し難き退屈よりの解放よ!」

「あああああん!?」

 

 波裸羅の挑発に、アトーフェの青い肌はみるみる朱が浮かぶ。

 先程から渦を巻いていた殺気は、常人なら心臓が止まる程濃く変容していた。

 

「はよ参れ! 阿呆(・・)魔王! その蕾の奥を掻き出してやろうぞ!」

 

 ブチっと、何かが切れる音がする。

 怒髪天を衝いたアトーフェが、猛烈な勢いで腰から剣を抜き放った。

 

「ぶっ殺す!!」

 

 地を抉る程の踏み込みで波裸羅に突進するアトーフェ。

 激烈たる横薙ぎが、波裸羅の脇腹へと吸い込まれた。

 

 ドムッ! と重たい音が練兵場に響く。

 アトーフェの剛剣は波裸羅の脇腹に直撃していたが、その高密度な肉体はアトーフェの剣をギリリと咥え込んでいた。

 

「ッ!? 抜けねぇ!?」

「いかに雌魔王! 波裸羅の締め付け!」

 

 ギリギリと肉が刃を軋ませる音が響く。苦悶の表情を一切浮かべず、余裕に満ちた表情を浮かべる現人鬼。

 アトーフェの剛力すら咥え込む尋常ではない肉体に、周囲は再び息を呑んだ。

 

「今度はこちらが参るぞ!」

 

 尚も剣を握りしめるアトーフェに、波裸羅は勢い良く腕を振りかぶる。

 そのまま、アトーフェの腹部を平手にて打ち抜いた。

 パアンッ!、と乾いた音が鳴り響く。鎧越しにただ平手を打たれただけのアトーフェは、ニ、三歩後ずさるも何らダメージの無いその攻撃に拍子抜けした表情を浮かべた。

 

「なんだその気の抜けた張り手は! 舐めてん──」

 

 そう言った刹那、アトーフェの口内から臓物が勢いよく飛び出した(・・・・・・・・・・・・)

 

「うぶぅッ!」

「アトーフェ様!?」

 

「忍法“渦貝(うずがい)”! その美しい臓物(モツ)、悶えさせてみせよ!」

 

 忍法“渦貝”

 

 大地からの反作用を拇指裏より捻りを加えつつ掌へと伝達させ、臨界寸前の大地力を余す所無く目標へと浸透させる現人鬼の絶技。その威力は鎧越しでも十分にアトーフェへと届いていた。

 

「ゴァアッ!」

 

 しかしアトーフェは口中からまろび出る己の臓物を両手にて掴み、そのまま自身の剛力にて強引に臓物を腹中へと押し戻す。

 

「剛力で臓物(モツ)を引っ込めたか! だが我が螺旋は未だ胎内(なか)で渦を巻いておるぞ!」

「ぐぐ……ギ……!」

 

 苦悶の表情を浮かべるアトーフェ。その体内では現人鬼が放った渦貝が大蛇の如くのたうち回り、アトーフェの内臓をかき回していた。

 

「どう凌ぐ! 雌魔王!」

 

 歯を軋ませ、螺旋に耐えるアトーフェ。その姿を見て波裸羅は愉悦に満ちた表情を浮かべる。

 苦悶の表情を浮かべるアトーフェは、着装していた胸甲を剥ぎ取り、身につけていた襯衣を勢い良く破り捨てた。

 波裸羅に負けずとも劣らない程の美しく、大きな乳房を晒し、片膝を突いたアトーフェは歯を食いしばらせ、己の腹部に手刀を添える。

 

「ガアァァァァァッ!!」

 

 そして、裂帛の咆哮と共に、アトーフェは手刀にて自らの腹を真一文字に斬り裂く(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 魔 界 で 割 腹 !

 

 

 自ら腹を掻っ捌いたアトーフェは己の腸を引き千切り、その鮮血に濡れた腸を床に打ち捨てる。床に打ち捨てられたアトーフェの腸は、体外に排出されても未だ大蛇の如くのたうち回っていた。

 アトーフェはそれを一瞥し、不敵な笑みを波裸羅に向ける。

 

「成功だ!」

「重傷です!」

 

 不敵に笑うアトーフェにムーアは思わず声を上げた。

 不死魔族の中で特に強力な再生能力を持つアトーフェ。四肢がバラバラになり、上半身を強力な魔術で吹き飛ばされても即座に再生する程の回復力を誇っていたが、流石に臓物を全て抜き出す凄惨な光景は、ムーアにその異常な再生能力を忘れさせる程の衝撃を与えていた。

 

「臓物がまろび出ても死なぬとは! ガチで不死身じゃの!」

「ハッ! お前の技がオレの中に入って、臓物出して帳消しにしただけだ!」

 

 アトーフェの腹部からシュウシュウと煙が上がる。尋常では無いその再生能力は、瞬く間にアトーフェの臓器を再生せしめ、やがてその美しい肢体は常の姿を取り戻していた。

 

「痛くねえ! ものすげえ痛くねえ!」

 

 両手を大きく広げ、大見得を切るアトーフェ。

 

「オレは“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックだ! この程度じゃ死なん!」

 

 その威容を受け、波裸羅は静かに瞑目し、不気味な嗤いを浮かべた。

 

「うふ、うふふふふ」

「何がおかしい!?」

「“端麗人(きらぎらびと)”と同じく永遠の命を持つ者か……うふふふふ」

 

 波裸羅はその両眼をかっと見開く。

 不死魔王に負けず劣らずの大美得を切った。

 

「よっく聞け! 不死魔王!」

 

 

「地獄に落ちる“覚悟”も無しに、この波裸羅と同等口(ためぐち)叩くまいぞ!」

 

 

「ッ!」

 

 波裸羅の芯を突いた美声が響く。

 不死に胡座をかくアトーフェにとって、その言葉は今まで受けたどの攻撃よりも鋭い一撃であった。

 

「クソがぁッ!」

 

 激高したアトーフェは波裸羅に躍りかかる。その猪突進を波裸羅はひらりと躱し、後方へと跳躍した。

 

「逃げんなこのヤロウ!」

「うふふふ。とはいえ、確かにこのままでは不死を殺すのはちと難しいの」

 

 波裸羅は自身の腹部に埋まるアトーフェの剛剣を引き抜く。鮮血に濡れた刀身をひと撫でし、その切っ先を自身の腹部に押し当てた(・・・・・・・・・・・)

 

「ふむっ!」

「なにッ!?」

 

 ずぶり、と波裸羅は腹腔内に剛剣を埋める。

 ずぶずぶと剣が埋まるにつれ、波裸羅の肉体が徐々に……徐々に異様な様相へと変質を遂げていく。

 尋常ではない波裸羅の姿を、この場にいる全ての者が呼吸を忘れるかの如く見入っていた。

 

「うふふふふ……これは、切腹にあらず……!」

 

 

「無双化身忍法の儀式なり!」

 

 

 アトーフェを始め周囲が困惑する中、波裸羅は構わず己の肉体に剣を埋めていった。

 剣が完全に波裸羅の体内へと吸収される。

 現人鬼に埋まりし刃は、熱血に溶融(まじわ)りその肉体を玉鋼(はがね)へと変えていったのだ。

 

 怨々たる日ノ本言葉(・・・・・)が辺りに響く。

 地獄の底から呻くようなその声色に、魔族達は久しく感じていなかった“恐怖”に苛まれた。

 

 

 忌々しきかな

 

 世に類なき見目形(みためかたち)

 

 百鬼夜行の頂に

 

 魔界に咲く黒薔薇(くろそうび)

 

 おぞましき異界の化外者ども

 

 一日に万頭括り殺さむ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「怨身忍者“霞鬼”見参!」

 

 

 

 突如現出した霞鬼の“睨み”一閃にて、ムーアを含めた親衛隊全員の金玉が縮み上がる!

 それは捕食者に子種を取られまいとする、凡そ全ての生物が持つ防御本能であった。

 

 捕食者(霞鬼)が放つ猛烈な殺気の中、ただ一人血気盛んなのは“不死魔王(アトーフェ)”のみ。

 

「アハ」

 

「アハハハハーッ!」

 

 霞鬼の異形なる姿を見て、快活に笑うアトーフェ。

 その瞳は青白い炎の如く燃え上がっていた。

 

「おもしれえ! 変身するヤツと戦うのは初めてだ!」

 

 アトーフェはムーアから替えの剣を奪い取る。

 正眼に構えたアトーフェは、不治瑕北神流の極意の全てをこの鬼へとぶつけんが為、闘気を全力で解放した。

 

 不死魔王が放つ圧力を悠然と受ける霞鬼。

 いつの間にか現出していた胴田貫を抜き放ち、同じく正眼に構える。

 

 鬼と魔王。

 二匹の怪物はその牙を剥き出しにし、まさに互いの喉笛を喰い千切らんとしていた。

 

「参れ! 雌魔王!」

「応ッ!」

 

 重爆音が鳴り響く。

 

 怪物同士の噛み合いは、地獄が現出したかのような惨憺たる有様を見せていた。

 

 

 

 この日、ネクロス要塞上層部は鬼と魔王の戦いで無惨な姿へと変わり果てた。

 戦闘要塞としての機能が失われる程の激しい戦いは、目撃した下層部に住まう住民が“天地が覆る天災に襲われた”と誤認する程であった。

 

 

 そして、住民達はやがて仰天の事実を耳にする事となる。

 

 

 

 甲龍歴420年

 魔大陸ガスロー地方を統べる“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックは、異界からの来訪者“現人鬼”波裸羅の軍門に下ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「というお話だったのさ……ってあれ?」

 

 詩吟を終えた吟遊詩人がふと顔を上げると、それまでの人だかりが嘘のように消え去っていた。

 一心不乱に歌う詩人には気づけぬ事であったが、臓物がまろび出たあたりから徐々に聴衆は散ってしまっていたのだった。

 

「トホホ……まぁあの御方の話は万人受けする話じゃないよねぇ」

 

 おひねりを入れる為の容器が空なのを見て、詩人はがっくりと項垂れる。

 今日は砂糖水で凌ぐか……と、消沈する詩人。不死者(アンデッド)のような暗い表情を浮かべながら撤収作業を行っていると、ふと自身を見上げる幼い少女に気付いた。

 

「おもしろかった!」

 

 詩人を見上げる幼女は目をキラキラと輝かせる。

 大人でさえ顔しかめる無惨な内容を、この幼女は純粋に楽しんでいた。

 やがて幼女はポケットの中からいそいそと一枚のアスラ銅貨を詩人に手渡した。

 

「あれま。何ていうか、変わった子だね」

 

 ありがとう、と言って詩人は幼女から丁寧な手つきで銅貨を受け取る。

 幼い手から渡された拙い報酬であったが、詩人は真心を込めて感謝の意を伝えていた。

 

 銅貨を手渡した幼女は、詩人の隣にちょこんと座る。

 変わらずキラキラと目を輝かせ、詩人に物語の“後日談”をせがんだ。

 

「詩人さん、はらら様はいまなにしてるの?」

 

 幼女の無垢な様子を微笑みながら見つめる詩人。

 柔らかい髪をひと撫でし、魔大陸がある方向へと顔を向けた。

 

「そりゃあ、そのまま魔大陸でぶいぶい言わせて──」

 

 

 視線の先に、過剰にして無謬、猥褻にして純潔な姿を持つ一人の若者がいた。

 真紅の総髪を美麗に靡かせ、身に纏う綺羅びやかな陣羽織を揺らし、力強く立つその人物は、どうみても詩人が知る“現人鬼”その人であった。

 

「久しいの! 詩人の!」

「は、はら、はらららら」

 

 パクパクと口を開け閉めし、震える指で現人鬼を指し示す詩人。

 先程までの壮麗な詩吟姿とは打って変わり、滑稽な様相を見せていた。

 

 現人鬼の姿を見留めた幼女は、その足元にトコトコと駆け寄る。

 無垢な瞳で、現人鬼の美しい顔を見上げた。

 

「あなたがはらら様?」

「然り!」

 

 現人鬼は流暢な人間語で幼女に応える。

 足元に駆け寄る幼女を、勢いよく抱き上げた。

 

「わぁ!」

 

 抱えられた幼女はその美しい髪に顔を埋める。

 花や果実を絞り出したかのようなみずみずしい芳香に、幼女の鼻はくすぐられた。

 

「はらら様、いいにおい!」

「当然じゃ! “えちけっと”は大事じゃから喃!」

 

 肩に幼女を乗せ、その柔い頬を撫でる現人鬼。

 微笑ましいその様子を、詩人は恐ろしい物を見るかのような目つきで見つめる。現人鬼の本性を知る詩人にとってこの状況は全く微笑ましくなく。

 おずおずと、死人の口から出るようなか細い声で現人鬼に話しかけた。

 

「あの、波裸羅様……いたいけな幼女を食べちゃうのは流石にどうかと……」

「戯け!」

「ぎゃふん!」

 

 現人鬼の手刀が詩人の頭に落ちる。

 本気ならば熟した瓜のように詩人の頭は苛まれていたであろうが、この日の現人鬼は多少の戯言で機嫌を損ねるような事は無かった。

 

「ていうかなんでここにいるんですか!? 魔大陸にいるんじゃなかったんですか!?」

「うふふふふ」

 

 頭を擦りながら声を荒らげる詩人に対し、現人鬼は幼女を抱えながら不敵な笑みを浮かべる。

 

「波裸羅は統治はせん。ただひたすら強者と享楽を追い求めるのみ!」

 

 現人鬼の美声が辺りに響く。先程の詩人の謡声とはまた違った誘引力を放っていた。

 

「魔界は温羅の雌魔王にそのまま任せたわ!」

「は、はぁ……」

 

 そういえばこの御方はこういう人だったな……と、詩人は疲れた表情を浮かべる。

 六年前に出会って以来、奔放な生き様を見せ続ける現人鬼にはいつまでたっても慣れる事は出来なかった。

 

「詩人の!」

「は、はい!」

 

 はっと顔を上げる吟遊詩人。

 “現人鬼”波裸羅の美しい横顔は、蒼天の空の元でさらにその壮麗さを増しており、吟遊詩人はしばしその美顔に見とれていた。

 

 

 やがて現人鬼は美笑を浮かべ、この素晴らしい異世界を祝福するかのように空を見上げた。

 

 

 

 

「呑みに参るぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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