虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第二十六景『再会女中夫人(さいかいのリーリャ)

 

 甲龍歴417年

 アスラ王国フィットア領ブエナ村

 パウロ・グレイラット邸

 

「アイシャ! あなたはまたウィリアム坊ちゃまの御髪(おぐし)を掴んで!」

 

 私はリーリャ。グレイラット家のメイドである。

 今、私の娘のアイシャが、読書中のウィリアム坊ちゃまの束ねた後ろ髪を引っ張って、その背中をよじ登ろうとしている。ビクリと身体を震わせたアイシャは、涙目になって私を見つめていた。

 毎日の見慣れた光景……いつもは、静かに瞑想しているウィリアム坊ちゃまだけど、たまにこうして本を読み返している。特に気に入っているのか、“三剣士と迷宮”は何度も読み返していた。

 ノルンお嬢様やアイシャを膝の上に乗せたり、背中を登らせているのはいつもの光景だ。とはいえ、坊ちゃまの読書を邪魔してまで甘えているのは流石に見過ごせない。

 

「ウィリアム坊ちゃま、申し訳ありません。アイシャが粗相を」

「……」

 

 ウィリアム坊ちゃまはアイシャが髪を引っ張っていたのを気にしていないのか、黙々と読書台に置かれた本を読み続けている。まるで、大きな猫……いや、小さな虎が、泰然と小動物をじゃれつかせていたように。

 

「アイシャ。あなたはウィリアム坊ちゃまの妹である前に、グレイラットのメイドなのですよ。分をわきまえなさい」

「……だって、うぃーにいが、いいって」

 

 涙目になり、声を震わせるアイシャ。

 ウィリアム坊ちゃまの視界に入るように、おずおずと私の前に立って。

 

 我が娘ながら、妙に聡い子だ。

 本気で涙を浮かべているわけではないのだろう。幼子特有のずる賢さといえばそうなのかもしれないけど、わざわざウィリアム坊ちゃまに見せつけるように涙目を浮かべているのは、流石に姑息すぎやしないだろうか。

 だって、こうすれば、坊ちゃまは必ず……

 

「良い。リーリャ」

 

 ほら。

 予想通り、お許しになられた。

 アイシャはその言葉を聞くやいなや、パッと顔を輝かせてウィリアム坊ちゃまの膝の上に座る。

 

「えへへ!」

「こ、こら! アイシャ!」

 

 にこにこと笑いながら勝手にページをめくり、思いっきり読書の邪魔をし始めたアイシャ。

 そんなアイシャを叱るわけでもなく、ウィリアム坊ちゃまは膝の上に乗せたアイシャの両頬に手を当てた。

 

「これはな、三大流派の初代が、迷宮に挑む話よ」

「めーひゅう(きゅう)?」

「眉唾だ。だが、面白い」

「ふーん」

 

 もみもみとアイシャの柔らかい頬を揉むウィリアム坊ちゃま。やはり、読書の邪魔をされて怒っているのでは……

 そう思っていたけれど、どうやら怒ってはいないみたいだ。ほんの僅かだけれど、ウィリアム坊ちゃまは優しげに表情を綻ばせている。

 

「ウィリアム坊ちゃま。あまりアイシャを甘やかさないでくださいませ」

 

 ため息をつきながらそう言うと、ウィリアム坊ちゃまは静かに言葉を返した。

 

「お父上の子は、家族だ」

 

 家族。

 ウィリアム坊ちゃまは、アイシャの頬をグニグニとつまみながらそう言った。「ぷー」と、アイシャの口から息が漏れると、坊ちゃまはフッと優しげに微笑んでいた。

 

 ウィリアム坊ちゃまは、あの日から随分とお変わりになられた。

 三年前のあの日。ルーデウス様がボアレス家に送致されてから、本当にお優しくなられた。以前の、悍ましいまでの不気味さを見せていた時とは大違いだ。

 相変わらず無茶な鍛錬は積んで、あまり感情を表に出さないのだけれど……でも、こうしてアイシャや、ノルンお嬢様の相手をされている時などは、穏やかな表情を見せるようになった。旦那様や奥様の過剰なスキンシップには、相変わらず困り顔を浮かべているのは、坊ちゃまらしいというか。

 

「……リャも」

「え?」

 

 小さく呟いたウィリアム坊ちゃま。

 膝の上に乗せたアイシャに隠れるように顔を俯かせているので、その表情はよく見えない。

 でも、少しだけ、耳が赤くなっているような気がした。

 

「なんでもない」

 

 顔を上げたウィリアム坊ちゃまは、いつもの澄ました表情を浮かべていた。

 

 前言撤回。

 やはり、大きな猫だ。

 気まぐれで、家族に優しい、大きな猫。

 少なくとも、今はまだ。

 

「……今日は、ウィリアム坊ちゃまがお好きなスープをご用意致しますね」

「スープはお父上の好みでいい」

「いいえ。坊ちゃまの分は坊ちゃまのお好みでご用意させていただきます」

「……左様(さよ)か」

 

 ウィリアム坊ちゃまは何かにつけて旦那様を立てる。

 でも、少しくらい旦那様に遠慮せずに、我儘を言ってもいいのだけれど。

 

 だって、家族なんだから。そうでしょう、ウィリアム坊ちゃま。

 

 私が笑顔を向けると、ウィリアム坊ちゃまは少しだけ微笑みを返してくれた。

 

 私は、ルーデウス様と違って、ウィリアム坊ちゃまには恩義を感じていない。

 旦那様と不貞を働き、アイシャを身ごもったあの時。

 ルーデウス様は、アイシャと私を機知を効かせて救ってくれた。思えば、わざと子供らしい振る舞いを見せてまで奥様を説得したのは、グレイラットの家庭崩壊を恐れていたからだろう。奥様もそう感じていたのか、子供達の為に旦那様をお許しになられた。

 あの時のウィリアム坊ちゃまは、ただ黙って事の成り行きを見ていただけだった。当然だろう。あの時の坊ちゃまは、僅か四歳の幼子でしかなかった。丁度、目の前のアイシャと同じ歳。ルーデウス様のような賢くて聡明な振る舞いを、あの時のウィリアム坊ちゃまに求めるのは酷な話だ。

 

 私は、最初はルーデウス様を避けていた。ルーデウス様が赤ん坊の頃、抱き上げたら中年親父のような下卑た笑みを浮かべ、赤ん坊の愛らしさなど一欠片も感じさせないその有様に、生理的な嫌悪感を抱いていた。ご成長されてからも、必要以上に近づきはしなかった。ルーデウス様も、どこか私が避けていたことに気づいていたのだろう。

 

 それなのに、ルーデウス様は、私を救ってくれた。

 身重の奥様を裏切り、旦那様を誑かしたあげく、妊娠した私を、許してくれた。

 それが、どんなに嬉しく……そして、今までルーデウス様を避けていた自分が、どんなに恥ずかしい存在だったことかと思い知らされた。

 

『リーリャさんがやめちゃったら、僕だって困るんです』

 

『だって、リーリャさんがいなかったら』

 

『毎日淹れてくれる、このおいしいお茶。飲めなくなっちゃうでしょう?』

 

 はにかんだ笑みを浮かべて、ルーデウス様はそう言ってくれた。

 ルーデウス様は尊敬すべきお方だ。死ぬまで仕えるべきお方だ。この恩は、一生を持って尽くしたとしても返しきれない。

 だから、アイシャ共々ルーデウス様に仕えることで、この恩を返そうと思っていた。ルーデウス様には家族としての情愛より、恩義や、忠義が勝っていた。

 

 でも、ウィリアム坊ちゃまとは……

 出来れば、家族として共に過ごしたいと思うのは、私の我儘なのだろうか。

 ウィリアム坊ちゃまの母親になろうなんて思わない。坊ちゃまには、ゼニス奥様という素敵なお母様がいる。

 私は、あくまでグレイラット家の一員として、共に過ごせれば……それで良いのだ。

 

 静かにそう想っていると、いつのまにかウィリアム坊ちゃまの背中をよじ登っていたアイシャの声が響いた。

 

「おやだんな、おとこのせなかだねえ!」

「大根か……どこで覚えた、その言葉」

「おとーさん!」

「……左様か」

 

 ……もう少し、旦那さまに遠慮しなくてもいいのだけれど。

 とにかく、夕食にはうんと苦いスープを用意しよう。

 その方が、ウィリアム坊ちゃまのお好みの味になるのだから。

 

 

 その日の夕食は、ウィリアム坊ちゃまと旦那様の分だけが、野草をたっぷり入れた苦いスープだった。アイシャの分には、少しだけ野草を足していた。

 美味しそうにスープを召し上がるウィリアム坊ちゃまと、今度こそ本当に涙目になってスープを啜るアイシャ。

 旦那様が涙目を通り越して盛大にむせてしまったのを見て、ちょっとやりすぎたと思った。

 

 

 

 私は、リーリャ

 

 グレイラット家のメイドであり、ルーデウス様に仕えるメイド

 

 そして──

 

 

 グレイラット家の……ウィリアム坊ちゃまの、家族である

 

 

 

 

 

 


 

 甲龍歴423年

 ベガリット大陸

 迷宮都市ラパン郊外

 

 砂の大地にこつ然と現れた迷宮都市の外観は、十二柱の湾曲した巨大な白色の柱に囲まれている。よくみると、その柱は巨大な生物の肋骨で出来ていた。

 都市をまるごと覆う巨大な肋骨は、かつて北神二世アレックス・カールマン・ライバックが、仲間と共に討伐を果たしたベヒーモスの死骸が朽ち果てて出来た物である。

 街は土色の建物が林立し、近くにオアシスがあるのか存外に街は緑で彩られていた。街からはツンとした辛い匂いが漂っており、粗野な街の雰囲気を良く醸し出していた。

 

 ベヒーモスが討伐され、死骸から膨大な魔力が漏れ染みたせいか、この地を中心に多くの迷宮が現出し始める。以来、小振りなオアシスでしかなかったラパンは、迷宮に挑む冒険者達や商人達が世界中から集まり、欲望からの活気に満ちた大都市へと変貌していた。

 

「ようやく着いたか。なかなかに愉快な道中であったが、いい加減砂には飽き飽きしたな」

「アッハイ」

「ソウッスネ」

 

 転移魔法陣を潜り、砂漠の大地にて狂乱の初日を過ごした異界虎眼流師弟と現人鬼。

 それから一ヶ月程の時が経過しており、当初は初めて目にする砂漠にはしゃいでいた波裸羅であったが、代わり映えしない砂漠の景観に三日で飽きていた。

 感慨深げに美声を発する波裸羅とは対照的に、無感動にハイライトの消えた瞳を浮かべながら抑揚のない声を返す双子の兎。

 一行はそれぞれが騎乗の身であり、砂漠の民が纏うターバンや、現実世界でいうところの“ガラベーヤ”によく似た白布の貫頭衣を身に付けていた。所々、その白布は血で汚れていたが。

 

「アダムス。ここに(なれ)の身内がおるのじゃな?」

「……はい」

 

 波裸羅は、同じく馬に跨りながらラパンを静かに見つめるウィリアムへと声をかける。

 短く波裸羅に応える若虎は、迷宮都市へ向け、僅かに濡れた瞳を向けている。

 そんな若虎へ向け、現人鬼は()力に溢れた笑みを浮かべていた。

 

「母者に、会いたいか?」

「……」

 

 シャリーアを発つ前、愛しい妹へ向けた言葉と、同じ言葉を発する波裸羅。普段の残虐な笑みとは違い、如来尊の如く慈愛に満ちた笑顔を向ける波裸羅。ウィリアムは沈黙をもってそれに応える。

 黙して語らずのウィリアムを見て美笑(びしょう)をひとつ浮かべた波裸羅は、傍らに控える双子へと美視線を向けた。

 

「しかし砂漠とは難儀な所よ。もう二度と訪れたくは無い喃……そう思わぬか、兎共」

「「俺(僕)はあんたとは二度と旅をしたくない……」」

「何か言ったか兎共」

「「イエ、ナンデモアリマセン」」

 

 満身創痍といった体の双子の兎は、波裸羅へ向け見事に揃った双声を上げる。彼らはラパンに至るこれまでの旅路を思い出し、ふるふるとその身体を震わせ青ざめた表情を隠そうともしなかった。

 

 ルーデウス・グレイラットとエリナリーゼ・ドラゴンロードが転移魔法陣からラパンへと向かう際、バザールにて隊商の護衛に混ざりラパンへと赴いている。砂漠を移動する冒険者にとって、それは常の手段であり、手堅い方法といえた。

 

 しかしこの尋常ならざる一行は、尋常ならざる手段で迷宮都市へと到達していた。

 

 

 

 

 転移の遺跡から出立した一行は、迷宮都市ラパンの方角へと歩み出す。道中、襲いかかる砂漠の魔物を難なく蹴散らす波裸羅を先頭に、意識を取り戻したウィリアムもまた滾った獣欲を発散させるかのように魔物へと襲いかかっていた。

 獰猛な双尾のサソリ(ツイン・デス・スコルピオ)をぶった斬り、巨大な砂の芋虫(サンド・ワーム)の臓物を悶えさせ、喉が渇けばサボテンに擬態した樹魔(カクタス・トゥレント)の体液を啜る。途中、数千匹はいるであろう大きな軍隊アリ(ファランクス・アント)の行進列に襲いかかろうとした若虎と現人鬼を、双子が必死になって止める一幕もあった。

 幸か不幸か、一行はベガリットでも一位二位を争う強大な魔物、ベヒーモスには出くわすことは無かった。後にベヒーモスの存在を聞いた波裸羅は、たいそう悔しそうにその美顔を歪めていたのだが。

 

 ともあれ、普段は人間を襲う魔物を、逆に見つけ次第全殺し(サーチ・アンド・デストロイ)しながら休息地であるバザールへと辿り着いた一行。

 魔物の血を存分に浴びた為か、その頃にはウィリアムの性欲も随分と落ち着いており、手頃な娼婦でも充てがって虎を鎮めようとしていた双子を密かに安堵させていた。

 

 が、一行はここで最初にして最大の落とし穴に嵌まる事となる。

 

「どいつもこいつも砂の民の言葉を話せぬとは! (うぬ)らマジでつっっかえぬのな!」

((知んねーし……))

 

 さもありなん。

 ウィリアム一行の中で、ベガリット大陸での言語“闘神語”を喋れる者は皆無だったのである。

 ウィリアムは中央大陸で広く使われている言語“人間語”と、もうひとつの言語を習得していたが、生憎と闘神語を修めているわけではなく。波裸羅も人間語と魔大陸での言語“魔神語”を習得していたが、こちらも闘神語を修めてはおらず。双子は双子で人間語以外で習得をしている言語は、故郷の大森林で扱われている“獣神語”しか無く。

 揃いも揃って肝心の闘神語を話せる者がいなかったのを受け、波裸羅は憤懣遣る方無しといった様子を見せていた。

 

「むぅ……」

 

 ウィリアムは背負うズタ袋の中から路銀を入れてある小袋を取り出し、その中身がアスラ貨幣しか入っていないのを見て顔を顰める。

 ベガリットで流通する貨幣“シンサ”を持たぬのも、一行が途方に暮れる理由の一つであった。このバザールからラパンまではまだまだ日数がかかる以上、食料を始めとした物資の補給が出来ないことには話が始まらず。

 言葉を通じずとも、金さえ払えばとりあえず物品を購入できると思っていただけに、バザールでアスラ貨幣が全く使えぬ事実を受け渋面を強めていた。

 

「言葉を話せずとも物の交換は出来よう。適当な品を見繕って……」

「若先生。言いにくいのですが、我々は交換できるような物は何も……」

 

 ナクルが言いづらそうにウィリアムへ言葉を返す。

 基本的に着の身着のままのウィリアム一行。換金できる品物といえば、各々が持つ得物ではあるが、剣士にとって命とも言える剣を気軽に物々交換に出せるわけがなく。道中蹴散らした魔物の素材を売ることも考えられたが、性欲を持て余したウィリアムが必要以上に滅多斬りにしたせいで売買可能な部位は残されておらず。波裸羅は基本的に魔物を爆散させていたので言うに及ばなかった。

 

「水も食料も手に持てるだけじゃ足りませんし、そもそも食料は尽きておりますし。どっかの誰かさんのせいでな! 物資と一緒に、荷運び用の馬かラクダも調達しなければなりません」

 

 ナクルに続きガドも困ったように声をあげた。小声で現人鬼をdisるのも忘れていない。

 オアシスの水で飲料水の補給は出来るが、それでも手持ちの水袋では到底ラパンまでは持たない。豊富な水を内包するカクタス・トゥレントも、そうそう都合良く現れるとも限らず。

 そして、持参した食料は底をついていた。残っていれば中央大陸産の食料は高値で売れるのだが、員数外の波裸羅が参入したせいで予定よりも早く食料が枯渇していた。とはいえ、もしここで食料が補給出来たとしても、手持ち分だけでは目的地まで到底足りるとは思えず。

 波裸羅が無遠慮に干し肉を頬張っていた姿を思い出した双子は、恨めしげな視線をその美姿へ向けていた。

 

「ええい、こうなったら適当な隊商にでもカチ込んで荷をかっぱらうぞ!」

「いやいや現人鬼殿。そんな物騒な話じゃなくてもっと建設的な話をしましょうよ」

「そうっスよ。どうにかして隊商の護衛に参加してラパンに行くとか」

「そうっスか……虐殺陣地を拵えて全殺しにすれば良いのじゃな?」

「誰が建設しろと言った!」

「非常識もいい加減にしろよコノヤロー!」

 

 不穏な物言いの波裸羅へ向けギャンギャンと吠える双子の兎。シャリーアでウィリアムを探し求めていた際、誰構わず襲いかかった事を棚に上げていた双子であったが、天衣無縫傍若無人な波裸羅と出会ったことでそのモラルは幾分か常識を取り戻していた。もっとも、ウィリアムが命じればいかな悪逆非道であれ双剣を血で染め上げるのを厭わないのだが。

 少ない衣服を分け合ったのか、半裸の兎達は砂漠の強烈な日差しを受け続け、その肉体を赤く染めている。このときは波裸羅の傍若無人っぷりに顔を赤くして憤っているのだけれど。

 

 目を離した隙に喜び勇んで隊商へ襲いかかる波裸羅の姿を想像するは、ウィリアムにとっても難くなく。あまつさえ、波裸羅の実力ならば目撃者を残さずに皆殺しにするのは容易いだろうとも。

 ウィリアムは前世と同じくある程度の社会性を持っていた為、不必要な殺人はしないよう心がけていた。というより、自身が野盗の真似事をしたくないというのもあった。

 己の悪行により、この世界で主君筋と認めるナナホシの顔に泥を塗るわけにはいかず。とはいえ、いよいよとなれば波裸羅の言う通り目撃者を残さずに隊商を襲撃せんことを頭の片隅に留めていたが、下手に襲いかかりヤケになった隊商が荷を破棄することも十分に考えられた為、おいそれと実行に移すのは躊躇われた。

 

「万事休すだなアダムス!」

「いだだだだ!」

「ヤメローッ!」

「……」

 

 みしり、と生意気な口を叩く双子の頭を絞め上げ(アイアンクロー)ながら、やけに明るく言い放つ波裸羅。どうみてもこの状況を愉しんでいるとしか思えず、ウィリアムもまた憎々しげに波裸羅を睨みつけていた。

 

「おや?」

 

 そんなウィリアムの睨みを普通に流した波裸羅は、にわかに騒がしくなったバザールの中心部へと目を向ける。天幕が林立するバザールの中心部は、商売の活気とは違い異様な熱気が渦巻いていた。

 ウィリアムが波裸羅につられて視線を向けると、明らかに襲撃を受けたであろう隊商の姿がそこにあった。その惨状を見たウィリアムは、まるで負け戦から逃れた落人の集団のようだと、僅かに眉を顰めた。

 

「魔物……ではなさそうじゃな。こんな砂漠しか無いところでも、匪賊はいるもんじゃ喃」

 

 遠巻きに隊商を見つめる波裸羅。見ると、惨憺たる様子の隊商の何人かは矢傷を負っており、毒矢を受けたであろう者は瀕死の状態で介抱を受けている。刀傷を受けたものも少なくなかったが、存外に生存者が多くいるのを見て、元は規模の大きい隊商であったのを窺わせていた。

 

「ざっと見た所、隊商は五十はいるの。襲撃を受ける前は百はいたかもしれんな。あれを襲うとは、賊共はなかなかの多勢のようじゃな」

「……」

 

 波裸羅の分析に無言の同意を返すウィリアム。言われるまでもなく、隊商を襲った野盗の規模は隊商と同等か、それ以上に思えた。

 

「規模の大きい隊商を組めば、匪賊が棲まう地域を突っ切れるとでも思ったのか……運が悪い連中よ」

 

 負傷者を手当する為に奔走するバザールの住民や、隊商の元締めであろう恰幅のよい商人の青ざめた表情を見て、波裸羅は憐れみが篭った言葉を吐く。しかし、その表情は獲物を見つけた肉食獣のような嗤いを浮かべていた。

 

「連中は北から逃れて来たようじゃ喃……ちょうど、迷宮の都がある方角じゃ。で、どうする。アダムスの」

 

 ニヤニヤと嗤いながら顎に手を当て、ウィリアムを何かを期待するような目で見つめる波裸羅。

 嫌な予感がした双子は、くっきりと鬼の指跡が残るこめかみをさすりつつ波裸羅の嗤い顔を見やる。

 

 やめろよその表情何思いついたんだ。いや、何思いついたのか薄々分かるけど。

 

 双子は波裸羅が賊を逆に襲うつもりであるのを、気づきたくなかったが気づいてしまった。

 確かに、隊商を襲撃するのは正道に反する外道の行いではある。ならば、その隊商を襲った賊から収奪せしめるのは、天道に則った大義に溢れる行い也。交易路の安全保障を担い、更にはウィリアム一行の物資不足の解消、移動手段の確保も成し得る。まさしく、誰も困らない妙案である。

 

「いやいやいやいやいや」

「そういう問題じゃないし」

 

 どうか、早まったマネはしないで。

 

 そんな双子の儚い願いが、虎の一声にて無惨にも粉砕された。

 

「……よし」

 

 チャキ! と妖刀の鍔を鳴らし、ウィリアムは北へと確りと歩き出す。

 我が意を得たりと上機嫌な波裸羅は「行くのか」とカラカラと嗤いながら後に続き、青い顔を俯かせた双子は「死ぬなよ」と互いに声をかけ合いトボトボとそれに続いた。

 

 その様子を偶々目撃したバザールの商人は、虎と鬼に追従する双子の兎を、まるで邪神の生贄に捧げられる哀れな獲物のようだと、後に商売仲間に述懐していた。

 

 真に哀れなのは、これから虎と鬼による大殺戮劇を演じるハメになる、匪賊の集団であるとも知らずに。

 

 

 

 

 地獄だ。

 

 一人生き残ってしまった賊は、目の前の惨劇をみてそう思った。

 圧倒的な、死と破壊。音もなく現れた一頭の虎と、一匹の鬼。

 百人以上はいた盗賊団を、虎と鬼は瞬く間に殺戮し尽くしていた。

 その様は、まさに瞬殺無音。

 

「言葉は分からなくても理解は出来るだろ? まだこの辺を根城にしている仲間に、この事をようく伝えておけよ」

「お前ら盗賊連中は横の繋がりが太いからね。この辺りじゃもう仕事は出来ないぞ。ほら、行けよ!」

 

 兎耳を生やした獣人達が、やや哀れみが篭った眼差しを浮かべ生き残りの賊に話しかける。

 賊は、獣人達が闘神語ではない言語で話しかけていた為、何を言っているのか理解が出来なかった。だが、何を言われているのかは、よく理解していた。

 涙に濡れた顔を勢いよく縦に振り、大小便を撒き散らしながら、賊はほうぼうの体でその場から遁走した。

 

 日が沈み、厳寒の地へと変わった砂の大地。

 篝火がごうごうと焚かれている匪賊の宿営地では、明かりに照らされた無惨な死体がそこかしこに散らばっている。必要最小限の斬撃で息絶えた者と、不要なまでに痛めつけられた惨殺体。この正視に耐えない地獄の光景を、虎と鬼は僅かの間で現出させていた。

 

「やっぱ半端ねえな若先生と現人鬼殿」

「討ち漏らした奴らを斬れって言われたけど、全然出番無かったね僕たち」

 

 双子は妖刀の血糊を落とすウィリアムを見て、その凄まじき技量に感嘆を新たにする。

 大規模の隊商を襲い、積財を強奪せしめた匪賊集団。この一帯で、もっとも大きな集団である彼らは、久方ぶりの大きな戦果に酔いしれており、街道からいくらか離れた場所で酒宴を行っていた。

 この辺りで匪賊征伐を行うような治安組織は存在せず、討伐依頼を受けた冒険者が来るまで時間的な猶予はいくらでもある。また、戦利品が多い為か、いくらかはここで消化しようと横着に至った賊達。油断しきった賊の集団を、虎と鬼が狩り尽くすのは赤子の手をひねるより簡単であった。

 

 ウィリアムは賊集団の側面から音もなく斬り込んで行った。最初にウィリアムに気付いた賊は、声を立てる間も無く妖刀により喉を貫かれる。続けて傍で酒盃を傾ける賊の顔面を瞬時に斬り裂く。さらに、周囲の賊の額や小手を斬り下げる。次々と最小限の斬撃を急所に打ち込み、一太刀にて賊を屠っていった。

 すわ敵襲かと賊が迎撃態勢を整えた頃には、虎の刃圏は百を超える賊共を捉えていた。

 七間(約12m)先の弓をつがえる賊へ、一足飛びに斬撃を打ち込み、その頭蓋へ刃を斬り入れる。虎にとって七間は一跳躍。瞬きひとつする間に爪をかける。あとは暴れまわっていた波裸羅と共に、残る賊共を屠殺するのみ。

 

 百名を見るな、ウィリアム・アダムス

 (おの)が間合いに入りし者を、ひたすらに打て

 脈所を斬り下げたる敵、背を向けたとて害なす恐れ無し

 

 集団の中心へと斬り進むウィリアムの撃ち、足運び、呼吸、拍子は、まさに虎眼流の極意を顕していた。

 

「若先生を前にしたら目瞬き出来ないな!」

「うん。僕たちも早くあの剣境に達したいね」

 

 荷の選定を行い、比較的汚損が少ない衣服を死体から剥ぎ、残った馬やラクダへ荷を載せる双子。奪った物資で出立の準備を整えながら、双剣は改めて虎眼流を極め尽くさんと決意を新たにしていた。

 

 

「ふん、つまらん。もそっと歯ごたえがある獲物が良かったぞ」

 

 波裸羅は返り血を拭いながら辺りを睥睨する。賊の中で波裸羅に手傷を追わせる使い手は皆無であり、あまりの手応えの無さにつまらなそうに鼻を鳴らしていた。

 

「……あまり蛮勇が過ぎるのもいかがなものかと。明日もありますゆえ」

 

 ウィリアムは妖刀を鞘に収めつつ、波裸羅をやや責めるような眼で見やる。オルステッドとの戦闘の際も感じたが、この現人鬼はあまりにも好戦的すぎる。

 ウィリアムもその大望の為に強者に挑むのは厭わない。もちろん、その場限りの命であったとしても。死を覚悟して強者に挑むのは当然といえよう。

 だが、誰構わず向けられる波裸羅の旺盛な戦意は、さながら鎌倉の世の武士を想起させる刹那的すぎる代物であった。

 

 波裸羅は眉を顰めるウィリアムを一瞥すると、その美顔を更に美しく輝かせた。

 

「ハッ! 何を申すかと思えば!」

 

 美得を切り、翻る美しい肢体が、若虎の心を震わす。

 

「この波裸羅、明日の事など考えておらぬ!」

 

 その美声は、若虎の臓腑へと染み渡る。

 

「今、ここ、自己(おのれ)! それで良いではないか!」

 

 今、ここ、自己(おのれ)

 

 その言葉は、若虎の貝殻に熱き血風となって染み込んでいった。

 明日も知れぬ我が身。それゆえに、今を全力で生き抜く。

 この異世界を、現人鬼は全力で愉しむのみ。

 

 古の武者魂を色濃く残す、“一所懸命”の生き様を見せつける波裸羅。その美姿を見て、ウィリアムは眩しそうに両の虎眼を細めていた。

 

(今、ここ、自己(おのれ)……か)

 

 ウィリアムは波裸羅の言魂をゆっくりと咀嚼する。

 今の己は、家族を、母を救うためにここにいる。

 ならば、それに全身全霊をかけて臨むのは、今の己が成すべき“儀”だ。

 どこか身の入らぬ此度のゼニス救出行であったが、波裸羅の言葉を咀嚼する内に、ウィリアムの中で何かが溢れそうな想いが湧き上がっていた。

 

 “今の家族を、大切になさりませ”

 

 三重の言葉が、虎の貝殻に木霊していった。

 

 

 

 

 

 


 

 迷宮都市ラパン市内

 

「じゃあリーリャさん。私達は先に宿に戻っていますね」

「はい、ヴェラ様。宿の方はお任せしますね」

「リ、リーリャさん。やっぱり、私も買い出しを手伝いますよ……?」

「ありがとうございます、シェラ様。でも、食料と日用品を少し買い足すだけですから、大丈夫ですよ」

 

 ラパン市内ではフィットア領捜索団の団員であるヴェラとシェラの姉妹、そしてグレイラット家のメイドであるリーリャの姿があった。

 

 ルーデウスとエリナリーゼがラパンに到着してから、三日。

 転移迷宮内で転移魔法陣の罠にかかり、迷宮内に取り残されていたロキシーを見事に救出したルーデウス達は、ロキシーの回復を待って再び迷宮に挑んでいた。

 今度こそ、深部に囚われた母であるゼニスを救うために。

 迷宮入り口にてその姿を見送ったリーリャ達は、一行が無事に戻った時に備えるべくラパンへと戻っていた。ロキシーの時以上に衰弱しているであろうゼニスを出迎える為に、抜かり無く準備を整えなくてはならない。

 

 通常、迷宮に挑むパーティは、サポートの人員を迷宮の入り口にて待機させる。しかし、転移迷宮はラパンから馬で一日、駆ければ半日の距離にある。わざわざ危険な迷宮付近で待機する必要はない。

 リーリャ達、特にリーリャ自身は元アスラ王国近衛侍女であり、まだノトス家の御曹司であった若き日のパウロと水神流道場で同門だったので、それなりに武芸の心得があった。とはいえ、魔物が出没する市外で待機するより、ラパン市内で待機しているほうが安全である。

 迷宮から帰還するルーデウス達、そしてゼニスを出迎える準備を整えるのが、今のリーリャの使命であった。

 

「ふぅ……」

 

 街の外周にある厩舎にて馬を預け、ヴェラ達と別れたリーリャは、そのまま市内の市場へと歩き出す。

 ラパンに来てから一年。やっと、ゼニス救出の目処が立った。

 シーローンで再び自身と、娘のアイシャを救ってくれたルーデウス。あの頃よりも更に逞しく成長したルーデウスがいるならば、ゼニスはきっと……

 

「……そういえば、ロキシー様は本当に大丈夫なのかしら」

 

 そこまで考えたリーリャは、ふと迷宮から帰還したロキシーの姿を思い浮かべる。

 救出した際に一悶着あったのか、ルーデウスはやたらロキシーの体調を気遣っていた。十年以上出会ってなかった師弟だ。弟子は師匠を気遣うのは当たり前なのかもしれないが、それにしては過保護がすぎる。

 また、ロキシーが衰弱から回復した際、妙に右目を気にした様子(・・・・・・・・・)を見せていたのも気がかりであった。

 体調や精神状態も本調子を取り戻したロキシーであったが、唐突にケレン味のあるポーズを取ることもあり、リーリャは本当にロキシーが回復している状態なのか疑わしかった。

 

 更に言えば、ロキシーが見たという謎の鎧(・・・)も……。

 

「旦那様と……ルーデウス様を、信じるしかありませんね」

 

 リーリャは信じて待つだけだ。

 主人であり、家族を。

 疲れた表情を浮かべながら、リーリャはそう呟いた。

 

 この一年、迷宮に挑むパウロ達と同様に、リーリャもまた疲れて果てていた。だが、それでも主人を支え、メイドとしての本分を果たすべく、パウロ達を支え続けていた。

 身につけたエプロンドレスは清潔に整えられてはいたが、ベガリットの過酷な風土に晒され、相応にくたびれている。

 エプロンドレスの摩耗に比例するかのように、リーリャ自身の肉体もまた消耗していた。

 

 

 

 市場へとたどり着いたリーリャは買い物を手早く済ませる。ヴェラ達には物資を少し買い足すと言っていたが、それでも両手が塞がる程の量になってしまった。

 ルーデウス一行を見送り、休む間もなく市場での買い出し。

 リーリャは市場にあふれる人の波に揉まれながら、ややふらついた足取りで宿へ向う。自身が気づかぬ程の、疲労した身体を酷使して。

 

「あっ──」

 

 故に、普段のリーリャならば回避出来たはずの、荷を満載した馬車との接触を避ける事が出来なかった。

 前方不注意。抱えた食料と日用品が、無惨にも散らばる。

 

「馬鹿野郎! 気ぃつけろこのスットコドッコイ!」

「も、申し訳ありません……」

 

 軽い接触で済んだのは不幸中の幸いだったのだろう。荷馬車の手綱を握る御者の男は、べらんめえ口調の闘神語でリーリャをなじると、時間の無駄とばかりにそそくさと馬車を走らせていった。

 

「はぁ……」

 

 ため息を一つつき、リーリャは散乱した食料日用品を拾い集める。

 忙しなく行き交う周囲の人間は、リーリャのことを全く気にしていないのか誰も手伝おうとしなかった。

 エプロンドレスを砂で汚しながら、リーリャは地べたを這うようにして品を拾い集めていた。

 

 丁度、果実(デーツ)を拾おうと手を伸ばした、その時。

 

「……」

「あ、申し訳……」

 

 リーリャの前に、果実が差し出される。

 礼を言おうと顔を上げたリーリャは、差し出された右手の指が一本多いのに気づいた。

 

「え……」

 

 見上げると、貫頭衣を身に着けた一人の若者が、片膝をついてリーリャの瞳を覗いていた。

 

「旦那……様……?」

 

 白髪を束ねたその若者の顔立ちは、水神流道場で共に汗を流したあの頃のパウロに瓜二つだった。

 だが、パウロとは異なるのは、その眼だ。怜悧な刀剣を思わせるその眼が、瞳の奥底に暖かい火を宿しながら、じっとリーリャを覗き込んでいた。

 

「あ……ああ……!」

 

 若者の顔を見つめる内に、リーリャの視界が徐々にぼやけていく。

 若き日のパウロと瓜二つの顔立ち、そして一本多い右手の指。

 リーリャの脳裏に、ブエナ村での穏やかな営みが想い起こされる。

 

 幼いアイシャを、慈しんでくれた虎子

 家族として認め合った、あの幼子──!

 

 

「ウィリアム……坊ちゃま……!」

 

 

 リーリャは涙で濡れた顔を拭おうともせず、若者……ウィリアムの胸に、その顔を埋めた。

 嗚咽を漏らし、ウィリアムの胸に縋り付くリーリャ。虎は、そっと女中の肩に手を置いた。

 

「わかせ──ぐぇッ!」

「何すん──!?」

「空気を読め兎共。折角の家族との再会、水を差す無粋は許さぬ」

 

 何事かと声をかけようとした双子の首根っこをむんずと掴む現人鬼。

 鬼は、虎が纏う暖かい空気を、その鬼眼を細めて見つめていた。

 

「……少し、痩せたか?」

「はい……はい……!」

 

 穏やかにリーリャへ声をかけるウィリアム。消耗した女中を労るように、虎は優しくその肩を抱いていた。

 

「苦労をかけた」

「そんな……そのような……!」

 

 どうか、そのようなことは仰らないで。

 リーリャは、グレイラット家のメイドとして務めを果たしているだけです。

 

 そう言おうとしたリーリャだったが、上手く言葉が出ない。

 やっと、やっと出会えた、家族。グレイラットの家族が、やっと揃う。

 リーリャの胸の奥から万感の想いが溢れ出し、涙を流すことしか出来なかった。

 

「ああ……こんなに……こんなにも逞しくなられて……ああ、その御髪はどうなさったのですか? ちゃんと、毎日お食事は召し上がっていますか? どこか、お身体に不調はございませんか?」

「……一度に言わなくても良い」

 

 顔を上げたリーリャは、ウィリアムの身体のあちこちに手を伸ばす。変わり果てたその髪を撫で、細身ながらもしっかりと筋肉が付いたその肉体に触れ、精悍な面構えを見せるその顔を包む。

 ウィリアムはリーリャの抱擁に困ったような顔を見せるも、その眼は暖かい火を宿し続けていた。

 

「坊っちゃま……本当に、よく……」

「……」

 

 感極まったリーリャはぎゅっとウィリアムを抱き締めると、再びその両目から涙を流す。

 ウィリアムはただ黙ってリーリャの背中に手を回し、ぽんぽんと叩きながら女中の暖かい体温に身を委ねていた。

 

 

 

「申し遅れました。私はグレイラット家のメイド、リーリャと申します」

 

 リーリャが落ち着くまで暫しの時が経っていたが、双子の兎と波裸羅は大人しくウィリアムとリーリャを見守っていた。

 波裸羅は相変わらずその眼を細めており、双子は師匠と女中の再会を見てドバドバと涙と鼻水を垂れ流している。

 慎ましく挨拶を述べるリーリャに、波裸羅は蠱惑的な笑みを浮かべて返礼した。

 

「波裸羅じゃ。そっちの兎共は捨て置いて良いぞ」

「ひどっ!」

「横暴だ!」

「鼻汁を飛ばすな、気色(キショ)いわ」

 

 涙と鼻水を撒き散らしながら抗議の声を上げる兎達を、波裸羅は心底嫌そうな眼で見やる。

 リーリャは波裸羅達を見てやや困惑しつつも、ウィリアムとの間柄を遠慮がちに問うた。

 

「あの、つかぬ事をお伺いしますが、坊っちゃま……ウィリアム様とは、一体どのようなご関係なのでしょうか……?」

 

 リーリャの問いを受け、波裸羅は増々美口角を引き攣らせる。

 つかつかとリーリャの傍らにいるウィリアムの前に立つと、おもむろにその頭を自身の美胸元に引き寄せた。

 

「肉体関係!」

「違う」

 

 みしり、と虎と鬼の間で肉が軋む音がする。

 全力で波裸羅の抱擁から逃れんとするウィリアムを、波裸羅は鬼の剛力にて押し止める。

 互いに血管が浮き出る程肉を盛り上がらせているのを見て、リーリャは増々困惑の表情を浮かべていた。

 

「そ、そうですか……ずいぶんと個性的なお方と……」

「だから違うと……!」

 

 みし、みしと肉を軋ませながら、虎の否定は空しく砂漠の空にかき消えていった。

 

「さっきと言ってる事違うじゃねーか!」

「空気読めやこの鬼! ……鬼だった!」

 

 鬼なのだ。

 

 

 

「リーリャ。父上達は何処に?」

 

 波裸羅の戯れも一段落したところで、ウィリアムはリーリャへ現状の確認をする。

 波裸羅の奇天烈ぶりに戸惑いつつも、リーリャは有能なメイドらしく淀み無くウィリアムへ説明を始めた。

 

「旦那様方は、奥様を救いに迷宮へ向かわれました」

 

 既に兄ルーデウスがラパンへと到着し、不明だったロキシーを救い出し再び迷宮へと潜ったことまで聞いたウィリアムは、その瞳を爛と燃やした。

 

「寸前で間に合わなかったようじゃなアダムス」

 

 同じくリーリャの状況説明を聞いていた波裸羅の言葉を受け、双子もやや残念そうに肩を落とす。

 ともあれ、追いかけるにせよここで待つにせよ、まずは砂漠の旅の疲れを癒やす必要があった。

 

「征くぞ」

 

 だが、ウィリアムは貫頭衣を翻すとラパン市外へと足を向ける。

 それを見たリーリャと双子は慌ててウィリアムへと声をかけた。

 

「ウィリアム様! お待ち下さい! せめて休息を取ってからでも──」

「そ、そうですよ若先生!」

「何の準備も無しで迷宮に潜るのは蛮勇です!」

 

 足を止めたウィリアムは、業と燃え上がった瞳を女中と弟子へ向けた。

 

「喉が渇きければ魔物の血を啜れ」

 

「腹が減りければ魔物の肉を喰らえ」

 

「そうでなくては迷宮内、斬り進むこと叶わず」

 

 虎の苛烈な言葉に、リーリャ達は呆然とその後姿を見やる。

 一人現人鬼だけが、戦意を轟然と噴出させ応えていた。

 

「リーリャ」

「は、はい」

 

 歩みだしたウィリアムは、後ろを振り返ることなくリーリャへと声をかける。

 その声色は、凛とした勇武を纏わせていた。

 

「待っておれ」

 

 静かにそう言い放つウィリアム。

 娘と同じ言葉をかけられたリーリャは、逞しく……本当に逞しくなった虎の姿に、再び涙を滲ませていた。

 

「はい……!」

 

 一筋の涙を流し、儚げな笑顔で虎を見送るリーリャ。

 

 長子の加勢を受け、再び精強さを取り戻したパウロ。

 強力な魔術に磨きをかけ、再び家族を救いに参上したルーデウス。

 

 そして、千軍万馬の勇士に成長したウィリアム。

 

 この三人が揃えば、一体何の憂いがあるというのか。

 

 リーリャはただ待つだけだ。

 主人と、終生の主と、大切な家族の、その強さを信じて。

 

「何だか知らんが!」

 

 双子の襟首を掴みながら、虎の後に続く現人鬼。

 その美声は、リーリャの心にさらなる活力を与えていた。

 

 

「とにかくよし!」

 

 

 引くものか、ウィリアム・アダムス

 いざ無双せん、異界虎眼流──!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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