東方超越歌──Il Trovatore 作:堕天奈落
目を開けた時、俺は仰向けに倒れていた。
周囲に目を向ければ、あるのは竹林とちょっとした池だけだった。人の気配など一つもない。とてもではないが、自身が望む永遠を謳歌できそうにもない。
ふと、池を覗きこんだ時、水に映った顔に俺は驚いてしまった。
「俺の顔じゃない……」
自分の容姿が変わっていたのだ。
黒い髪、黒い眼、全体的に中性的な外見、やや女性っぽく見えるのが癪に感じてしまった。
立ち上がって、思案に暮れるが何も思い浮かばない。分かるのは此処が何処かわからない事のみ。
仕方なく、竹林の中を歩き続けた。
だが、一向に竹林を抜ける事が出来ない。更には霧が徐々に濃くなってきた。
方向感覚はどうやら狂ったらしい、加えてこの竹林には目印になる様な物が一つも存在しない。手詰まりだ。
疲れ果て、下を向いた時だった。
ポタリ、と地面に水滴が滴り落ちた。
嫌な予感がする。鉄骨が腹に刺さった時に似ていた。
ゆっくりと顔を上げれば、其処には狼……と呼ぶにはあまりにもスケールの違う
大きく裂けた口は人間を丸呑み出来る程大きく、何より人間の数倍はある巨軀の身体。
その瞳は殺意一色で染まり、獲物としか認識していないのだろう。
一歩、大狼が距離を詰めてくる。
やる事は決まっているのに身体が思う様に動かない。
そして───
『■■■■■■■■───!!!!!』
雄叫びを上げて、大狼は駆け出した。
動け、動け動け動け動け動いてくれよと頭が指令を出すが未だ脚が動かない。大狼が前足を振りかぶり、確実に俺の息の根を止めにかかっていた。
「動けえええェェェェッ!!!!」
脚に力を込め、全身全霊をかけて真横に跳んだ。何とか避ける事が出来たが安心なんか出来ない、出来るはずがない。
先程まで居た場所は抉れ、砕けていた。
もし、避ける事が出来なかったら身体はミンチ確定だ。
そして、俺は駆け出した。
身体のリミッターなど既に外れているが、そんなの知らない。死にたくないのだ。
未知など要らないのに、何故こんな未知と遭遇しなければならない!
いくら慟哭しても現実は変わらない。
大狼は疾風となって再び駆け出した。
獲物を逃さない様に……その首を刈り取るために。
徐々に縮まる距離に焦る俺はふと、自身の身体の異変に気付いた。
何故、距離が少しずつしか縮まらない?
何時もの自分なら、一瞬で捕まっても可笑しくない、そう可笑しくないのだ。
頭によぎるのは正体不明の声の主。
アレの言っていた贈り物がこれなのかと思考するが直様、思考の片隅へと追いやった。
そして一気に進路を変更。右へ左へと竹と竹の間を縫う様に大狼を振り切ろうと揺さぶりをかける。
巨軀の身体が竹林を荒らすたび砂埃が舞い、視界を徐々に狭めていく。
だが、大狼にはその姿に似合う様に嗅覚が残されている。
未だ、牙から逃れられぬ人間を嘲笑い、大狼は探知を始める。
そして、直ぐに何処にいるか分かった。
「おおおおォォォッ!!!!」
それは、
彼は最初から嗅覚の存在を忘れていない。
その手には人間の腕程の太さの木片が握られていた。そのまま勢いを余さず利用して、全力で木片の先端を大狼の鼻目掛けて突き刺した。
『■■■──ッ■■■──!!?』
鮮血が舞う、嗅覚が潰された。
大狼の鼻腔は自身の血の匂いで充満し、満足に探知ができない。
その隙に蓮香は駆ける。死から遠ざかる為に、永遠に縋るために……
☆★☆★☆
あれから、何時間経っただろうか。
俺は竹林の中に存在した洞穴に身を隠していた。隠さねば己は異形の者どもに殺されてしまうと知っているから引き篭もる。
そして、慟哭する。
不変の永遠を謳歌出来ない。
これは己の求めたモノではないのだ。
だから、だからせめて───
この場で、安らがせてくれ。
しかし、現実は甘くないし、死を突然にやってくるのだ。
洞穴の入り口から、獰猛な唸り声がちらほらと……
見れば、先程の大狼によく似た何かが三匹ほど居た。
『■■■■■──!!!!』
総てが色褪せて見える。
己の嫌いな世界だ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
気が付いた時、地面に腕を振り下ろし続けながら、己は血に染まっていた。
自身の血ではない。柔らかな肉の感触。
直ぐに理解できる。
己が異形のモノを殺したのだと。
何故か心がスッとした。
そのまま彼は洞穴の奥底に戻っていった。
☆★☆★☆
あれから幾日か経った。
未だ洞穴の中で過ごしている。
しかし、日が経つにつれて生活環境は劣悪になるばかり。
異臭が酷い、血や臓物が其処らかしこに散らばっている。
そして、異形の者共は日に日に数を増やして此処を訪れる。
煩わしい、邪魔だぞ。
■■■■
私の仕事は大体、迷いの竹林の道中の護衛だ。この竹林は幻想郷の者でも理解していなければ決して出られないほど怪奇な場所だ。
しかし、そんな怪奇な場所で、更に奇妙な噂が流れている。とある天狗が個人で作成している新聞にも載っていた噂。
『迷いの竹林に住む妖怪が減少している』というものだった。
勿論、自身も迷いの竹林に住んでいるので薄々感づいてはいた。
この記事は事実だ。“文々。新聞”の記者の天狗は裏の取れない情報を載せない事を知っているから。
だから、こうして調べているのだ。
人里の者達に何かがあってからでは遅いから。
そして辿り着いたのは迷いの竹林の奥の奥。
目立ったモノも何もない、ただの洞穴。
しかし、
しかし、しかしだ。
ただの洞穴から感じる異臭や威圧感では断じてない。洞穴の天井から血が滴り落ち、全てが紅く染まった洞穴。
成る程、地獄のちまたに違いない、
だから、私は──藤原妹紅は足を踏み入れた。奥へ歩を進めていく度、強くなる異臭、威圧感。
暗い奥底で何かが蠢くのを、妹紅は見た。
「……誰か、居るのか?」
───■■■■
───返答は、眼前まで迫り来る拳だった。
研鑽も何もない、ただ鬱陶しいから払うかのような無骨な拳撃。
咄嗟に腕を交差して拳を防ぐが、
「───重い……!」
防御を貫いて襲いかかる打撃。
私はダメージを分散させる為に背後へ跳び退いた。
しかし、暗闇からの襲撃者の攻撃は尚続く。
襲撃者は天井を、床を、壁を弾丸の様に飛び跳ね、三次元的軌道を描いて迫り来る。
「チィ───!」
瞬間、周囲に印が、符が浮かび上がる。
そして───
「───唵!」
紡がれる呪は瞬く間に洞穴を炎で紅く染め、埋め尽くしてみせた。
「ふぅ……ヒヤヒヤするねぇ」
焦熱地獄の洞穴から無傷で出てきた妹紅は一人ごちる。だが、そうせねばならない気がしたのだ。
火が鎮火してきたのを感じ、後に残った洞穴の方向へ振り向いた。
アレがなんだったのかは分からないが───
「AAAAAAaaaaaaaaaaaa───!!!!」
悲痛な絶叫と共に放たれた拳が妹紅の頬に突き刺さる。奥歯が何本か折れた音が口内にくぐもって反響する。
妹紅は遂に、妖怪殺しの正体を見た。
それは青年だった。黒い髪に背は自分より少し高く、
だが、そんな事はどうでも良い。
彼の素性も何も知らないが、これだけは分かる。彼は自分の願いを踏み躙られた事を怒っているのだと。
妖怪の死骸の数からして、相当数の妖怪が彼に襲いかかっていた筈だ。それらの血肉を喰らい、魂魄さえも食い尽くしてきたのだろう。
「ちょっと痛いが我慢しなよ───!」
故に、この場から引き離さねばならない。
乱れ舞う霊符。火の粉がチロチロと空気で踊り狂った。
正しくそれは見る者を魅了する幻想。
此処に、運命は廻る。