陽だまりの君へ   作:Mi-Me-2

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7.本編/幕間

 カチューシャと白沢が初めて言葉を交わした、その数日後。プラウダ高校戦車道チームには、待ちに待った大舞台が目前に迫っていた。

 長閑な野原、ここまで匂ってきそうなほどに向日葵の黄色が眩しく輝く試合会場で、カチューシャは隊長として、戦車道メンバーに檄を飛ばしていた。

 

「いーい、アンタたち!これからすぐに一回戦が始まるわ!相手は豆戦車や軽戦車が主のボンプル、勝つのは当然だと頭に叩き込みなさい!」

 

 車高の高い彼女のお気に入りの戦車、KV-2の上に立ち、堂々とその声を響かせる。普段時折見せる子供らしいあどけなさは、今の彼女には無い。あるのは、ただ豪壮と構えた彼女の将たる器である。

 

「但し、この言葉だけは心に刻み付けておきなさい!『才子才に倒れる』、驕った力ある者は弱い者ではなく、自身のその力に打ち負かされる運命よ!相手戦車のほとんどがウチの装甲を破れないからって、絶対に油断しないように!いいわね!」

 

『了解!』

 

「いいわ。それじゃ、各自車両に乗り込みなさい!今回の試合でやられたりなんかしたら、本当にシベリア送りにするわよ!」

 

 遥か格下である相手にさえ、『油断するな』と彼女は語った。…それは、本来考えられなかったことなのだ。かつて『小さな暴君』と呼ばれ、恐れられた彼女。その彼女を知るものなら、そのあまりの変わりように驚くだろう。

 それほどまでに、彼女は変わったのだ。普段ならノンナに任せてばかりの作戦も編成も、彼女直々のものに変更されている。獅子はウサギを狩るにも全力を持ってあたるというが、今の彼女はまさにそれだ。

 

「変わったべな、あんのカチューシャ隊長も」

 

「んだんだ。だども、今の隊長の方がしっかりしてて、そんでどっか人間味あるよーな気がすんべ」

 

「んだなー」

 

 チームメイトも、もちろん彼女の変化には気付いている。悪い変化ではなく、良い変化として。

 

「ちゃんと練習しなけりゃーどやされらぁと思ってたけんど、最近はちゃーんとどこがダメだかきちんと教えてくれるしなぁ」

 

「そうけ?なんべんやっても怒られんだども」

 

「そりゃニーナがどんくせぇだけだべ?」

 

「ちげーねぇー」

 

 けらけらと笑いあう一年生組。彼女達はカチューシャお気に入りのKV-2を担当している。『あまりに要領が悪くて、乗せられる戦車がこれしかない』とカチューシャが彼女達に宛がったものだ。未だ完全に乗りこなせたとはいえないものの、カチューシャのお気に入りともあって試合経験が多く、一年生としてはかなりの練度を有している。

 その時、砲塔上部のハッチの開く音が聞こえた。

 

「…貴女たち、先ほどのカチューシャの話を聞いていましたか?」

 

 そこには、無表情で怒りを漂わせているノンナ、そしてその肩に乗ったカチューシャの姿があった。

 

 一年生であるがゆえ、そして戦車自体が扱いにくい戦車であるがゆえに。このように、ノンナやカチューシャに手ひどく怒られることも、もはや日常茶飯事なのだ。

 

「ひえ~~すみばせん~~!」

 

 彼女達は悲鳴を上げる。カチューシャもため息をつく。

 

「…油断するなって、言ったわよね?アンタたちはシベリア送り……いや、そうね、三両以上撃破できたら、シベリア送りは見逃してあげる。前線に数両配置しておいてあげるから、出来る限り頑張りなさい」

 

「了解です!」

 

 バタン、と逃げるようにハッチが閉まる。ニーナたちは腕は良いのに抜けているところがあるのがちょっとなぁ、などとカチューシャは思ったが、口には出さずにノンナに向き直った。

 

「それじゃ最後の確認、始めるわよ」

 

「そういえばカチューシャ様?ヴィーチェルさんは今日の試合、ご覧になるんですか?」

 

 そうカチューシャに声をかけたのはクラーラだ。不思議と上機嫌なのは、小此木が試合を見に来てくれるかららしい。そんな彼女に、カチューシャは小さくため息をつきながら答えた。

 

「……多分、来ないわよ」

 

「お誘いしなかったのですか?」

 

「誘わなかったわ。だって、彼は『(ヴィーチェル)』だもの。見に来るなんて出来ないだろうし」

 

 それに、真面目に答えるなら、と前置きして、

 

「名前を、知られたくない、っていうか」

 

「…それは、どうしてです?」

 

 今度はノンナが口を挟む。彼女の鉄面皮には心配とある種の嫉妬が渦巻いているに違いないが、それをおくびにも出さずに。

 

「彼とはそういう関係だから、…って、言えばいいのかしら。『カチューシャ』って名前を知った途端、彼は『夜』として接してくれなくなるような気がして。そのとき、この関係が壊れちゃうんじゃないか…って……」

 

 そこではっと我に返ると、カチューシャは首を大きく色づき始めていた空気を吹き飛ばす。そして睨みつけるようにノンナとクラーラを見た。

 

「そんなことより!作戦会議、始めるわよ!」

 

 彼女のよく通る声は、誇らしげに咲く向日葵の頭上を掠め飛んでいった。

 

 

----------

 

 

「……それで、相手フラッグ車を……わ、私が倒しておしまい。実にあっけなかったわ!」

 

「…話を聞いていて思ったんだが、本当に相手選手は無事なんだよな?」

 

 プラウダ高校が戦車道全国高校生大会二回戦を突破した翌日。カチューシャとヴィーチェルはいつもの芝生で並んで座り込み、これまでの試合について話していた。

 とはいってもヴィーチェルはカチューシャの予想通り試合を二つとも見ていなかったため、カチューシャが説明しながら試合を振り返っている、といったほうが正しいほどだが。

 

 話しながらカチューシャは空中に小さな指で試合会場の地形を描き、そこに戦車の種類と配置を示していく。カチューシャは実際にその光景を見ているとはいえ、ヴィーチェルには想像しにくい光景のはずだ。にもかかわらずヴィーチェルはその光景が目に映っているかのようにカチューシャの話に聞き入り、時に質問を投げかけた。そのどれも戦車道を知らない人間の質問とは思えずカチューシャは舌を巻いたが、この質問に関しては流石の彼女も笑ってしまった。内容もさることながら、無表情のままで言うものだからたまらない、とカチューシャはお腹を抱えた。

 

「大丈夫、だったんだよな?」

 

「え、ええ…そうよ。別に、7TPやTKSよりも装甲が薄いチハみたいな戦車でもちゃんと乗組員は特殊カーボンで守られてるわ。しかも弾薬も戦車道用の特別製だから、装甲を貫通することも無いしね」

 

 笑いをこらえながらカチューシャはきちんと答える。その間も、真面目な顔でヴィーチェルは思案したままだ。

 

「…でも、T-34/85の直撃を食らって数メートル下まで転がり落ちたんだろう?中で怪我とかしないものなのか?」

 

「そうね、怪我くらいはあるかもしれないわ。…でも、絶対に怪我をしない競技なんてほんの一握り、というかほとんどないわよ」

 

「ソーンツェは?怪我は無かったのか?」

 

「え、私は別に大丈夫だけど…?」

 

「……そう、か。なら、いい」

 

 そう言って、次はヴァイキング水産高校との試合の話を、と無言で催促した。なんだかんだ言って表情豊かなのよね、とカチューシャがうすく微笑んだ瞬間、突然ヴィーチェルの頭がカクン、と前に傾いた。ヴィーチェルと話しているとたびたび起こることだが、何度経験しても慣れるものではない。カチューシャは慌ててヴィーチェルに声をかける。

 

「ちょっと、ヴィーチェル!?」

 

 その声に、少しだけ彼の頭が揺れた。何かに耐えるような、というか眠そうな声が彼女に答える。

 

「……ん、ぁあ……すまない。眠くなった、だけなんだ。それで、ヴァイキング水産との試合はどうだったんだ?」

 

「へぇ、私の話は子守唄代わりって訳かしら?」

 

「ああいや、そういうわけじゃない…が…」

 

「冗談よ。私の方こそ聞いて欲しいくらい」

 

 カチューシャは笑ってつい先日の試合について振り返る。ヴィーチェルも多少眠りそうになりながらも、話を続けた。

 

 

「それで、あっちの高校はいろんな国の戦車が集まってて、主にフランスやドイツのが多かったわ。主戦力はどっちかって言えばドイツね」

 

「ドイツ…となると、重戦車とかもあるのか」

 

「んー、見た感じ重戦車とか駆逐戦車の姿は無かったわね。ウチとの試合で出し惜しみするような強豪校でもないし、まずあっちには無いでしょうね。もしかすると、コアラの森学園との試合で壊れちゃったのかもしれないけど」

 

「じゃあ、あんまり労せずに勝てたのか?」

 

「それがそう上手くはいかなかったの。相手指揮官が優秀だったのもあるけど、戦車自体が結構信頼性が高いのを優先的に保有してるっぽくて、そもそもの性能で結構危なかったのよ。ウチの戦車ってちょっと粗悪なとこあるから。あとは結束力も高かったわ。向こうのチームってば学生って言うか女海賊みたいなのばっかりで……」

 

 

---------

 

 

「準決勝は残念でしたね」

 

「去年私達が勝ったところに負けるなんて」

 

 労りの言葉をかけるノンナに対し、強気な言葉をかけるカチューシャ。流石にその言葉には看過できないものがあったのか、輝く金髪をギブソンタックでまとめた少女がむっとして言葉を返した。

 

「『勝負は時の運』と言うでしょう」

 

「どうぞ」

 

 会話に割り込まず、不快感を微塵も与えさせない完璧なタイミングでノンナはお菓子と紅茶、それに宝石のような美しいジャムを運んできた。少女はお礼を言う。

 

「ありがとう、ノンナ」

 

 この『お嬢様』という言葉が形を得たような少女こそ、戦車道の名門であり日本が誇る有数のお嬢様高校、聖グロリアーナ女学院の戦車道隊長であるダージリンだった。彼女は個人的にノンナやカチューシャと仲が良く、こうして長い距離をものともせずお茶を飲みに、もしくは世間話をしにやってくるのだ。

 かつてカチューシャに教えられたとおり、ジャムをスプーンでいくらか掬い取り、口に運んでから紅茶を飲む。ジャムは彼女が思っていたほど甘くは無く、さっぱりした味わいだった。ヴァレーニエというのだったか。濃い目の紅茶とよく合っている。

 そう思いながら優雅にカップを傾けたダージリンだったが、ふとあることが気にかかってカップをソーサーにおいてカチューシャの方を向いた。

 

「そういえばカチューシャ、貴女、『私』なんて一人称だったかしら?」

 

 その言葉は、カチューシャを動揺させるには十分な破壊力を持っていた。ダージリンが、思った以上に。 

 

「え!?そ、そんなことカチューシャ言ったかしら!?言ってないわよね?ねぇノンナ!?」

 

 あまりの動転ぶりに思わずダージリンはクスリと笑う。カチューシャは彼女と何も言わないノンナを恨めしげに睨むと、話をなかったことにしようと話を変える。もちろん、二人はこれ以上追及すると彼女が拗ねてしまうと判断し、話題の転換については何も口を開かなかった。

 

「それで?わ…カチューシャの練習時間を削ってまで来たわけは何?」

 

「練習?私とわざわざお茶会を開いているくらいだし、余裕があるのではなくて?」

 

「そんなわけないでしょ。次は準決勝、しかも相手は西住流の妹の方でしょ?正直言って、姉の方よりあっちの方が怖いわよ。得体が知れなくて」

 

 ちいさくため息をつく。そして紅茶をジャムと共に口に含み、飲み込んだ。少しの渋みが舌を撫で通り過ぎていく。

 

「あら、貴女がそこまで評価するなんて。貴女のことだから『カチューシャに負けた相手じゃない、今年も期待してるわ』くらい言いそうなものなのに」

 

「カチューシャだって言えるものならそう言いたいわよ。…でも、アレは間違いなく難敵だわ。姉の方の作戦を完全に理解して、そのサポートに勤めた。西住流は、あの二人で完璧だったのよ」

 

 ほう、とダージリンはカチューシャの言葉を聴いて感心の息を洩らした。プラウダのカチューシャといえば大胆不敵、豪放磊落を形にしたような性格だったからだ。それが今やかつて破った相手のことを分析し、一つの油断もしていない。…率直にいって隙が無い。もしかすると今年もプラウダが優勝旗を手にするかもしれないわね、と考えをめぐらせながら、静かにダージリンはカップを傾けた。

 

「…では、何が怖いの?貴女がそこまで彼女を恐れるのは、何故?」

 

「……あの局面。味方戦車が川に落ちた、あの時。彼女は助ける道を選んだ。それがどんなに恐ろしい決断だったか。

 そもそも、戦車道は死者がほとんど出たことの無い競技よ。驚くほど制限されてて、笑っちゃうくらい安全。…でも、川に落ちたら?水圧でハッチも開かない、酸素が無い、隙間から空気は漏れ水が入ってくる、雨天の試合中で助けが来るかも、そもそも戦車が川に落ちたことすら気付かれているかどうかも分からない。

 そんな中で、例えばあなたなら命の安全が保障されているって確信して、仲間を見捨てることが出来るのかしら?」

 

 普段からは考えも付かないほど真剣な眼差しで、カチューシャはダージリンを見据えた。ノンナも雰囲気に引きずられ、押し黙ったままだ。

 

「しかも彼女には多くの重圧があったわ。黒森峰ファンの、黒森峰同窓の、黒森峰OGOBの、チームメイトの、そして隊長である姉の、十連覇にかける期待。『西住流』の名。その中で、彼女がどれほど葛藤したか。カチューシャには想像することしか出来ないけれど、それはきっと想像を絶するものだったでしょうね」

 

 その後、『西住みほ』は自主的という形で黒森峰を転校した。数人の命を救い、万人の期待に背いた彼女は。それでも、なお。

 

「その上で、大洗という無名の学校を背負って再び戦車道に戻ってきた、というわけ。

 …それにしても、よくそこまで考えたわね。あの頃は皆まほさんにばかり注目していて、みほさんにはほとんど誰も関心を向けていなかったというのに」

 

「当たり前でしょ!カチューシャはあの時勝てるなんて思ってなかったもの。あのまま彼女がフラッグ車を置いて救助に行かなかったら、黒森峰は十連覇を達成できてたわ。…あの乗組員が無事だったかは分からないけど。

 だったら、なんであんな行動を取ったかは調べておくべきだと思ったの。なにはどうあれ、結局アレがウチの勝因になったことは間違いないんだし」

 

 そういうと、カチューシャはカップをくいっと傾けて中の紅茶を飲み干し、立ち上がった。

 

「ノンナ、そろそろ練習に行ってくるわ。燃料がもったいないけど、大洗女子は何してくるか分からない。出来る限りのことはしておくわよ。ひいては黒森峰戦にも繋がる練習だから、あとで貴女もくるのよ、いいわね」

 

「了解です」

 

「ん。じゃあね、ダージリン。ピロシキ~」

 

「ええ、ごきげんよう」

 

 手を振って部屋を出て行ったカチューシャを見送り、ダージリンはノンナに向き直った。ノンナは自分の分とダージリンの二杯目の紅茶をサモワールから淹れ、お湯で薄めた。ノンナのものはダージリンのものと比べ水色が幾分薄めになっている。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう、ノンナ。貴女も座って」

 

「ありがとうございます、それでは」

 

 ノンナは先ほどカチューシャが座っていた席について、自分の紅茶を飲んだ。優しげな香りが彼女の形の良い鼻を抜ける。

 

「カチューシャ、変わったわね」

 

「ええ。皆さんそう言いますね」

 

「今まであんなこと言う子じゃなかったでしょう。カチューシャがあんなに他人の気持ちを考える、なんてただ事じゃないわ。何か、あったの?」

 

 不思議そうにダージリンは首をかしげながら、サモワールからお湯を注ぎ自分の紅茶を薄める。ノンナよりは濃い色程度でお湯を注ぐのを止めた。やはり濃い紅茶は彼女の舌に合わなかったのだろう。 薄まった紅茶を口に運び、満足げに微笑む。

 

「それなんですが、ダージリン。質問で質問に返すようで悪いのですけれど、『白沢夜一』という男子生徒を知っていますか?」

 

「シラサワヤイチ?『白い沢』『夜に一つ』と書いて『白沢夜一』かしら?」

 

「ええ。何か知っていませんか?」

 

 その言葉に、ダージリンは不思議そうな目でノンナを見た。

 

「何か知っているも何も…。彼は貴女達の高校に在籍しているはずでしょう。知らないのかしら?」

 

「いいえ、在籍しているのは知っていますが…。どんな経歴か、などはご存知ありませんか?」

 

「経歴?経歴というかなんと言うか…。白沢夜一といえば世界的な芸術家、『黒極(くろごく)崇彌(たかや)』の孫よ」

 

 それを聞いて、ノンナはようやく『白沢』という名前に聞き覚えがあったことを思い出した。

 

 

 黒極崇彌。プラウダ校出身の芸術家。主に絵画を中心に、陶芸や彫刻などにも造詣が深い。国内でしか活動していないにもかかわらず、彼の作った作品は世界中で絶賛されているほどだ。プラウダ学園艦にも彼の作品は寄贈されており、プラウダ学園艦の観光資源の一つにもなっている。

 

 

「ああ、通りで聞き覚えがあると。黒極氏のお孫さんでしたか。ということは、彼も絵が上手いのでしょうかね」

 

「そうねぇ…よくは知らないわ。年下ならともかくとして、私達と同い年でしょう?詳しい方がおかしいと思うけど」

 

 そういえば話を聞いたことがあったな、と思いながらノンナはダージリンに聞いてみたが、彼女もあまり彼の家族関係には詳しくないらしい。

 

「まぁ、彼の一人娘、その白沢夜一さん?そのお母さんは芸術とは全く関係ない道を進んだそうだから彼が絵を描いているとは限らないでしょう。

 それで?その白沢さんが一体カチューシャにどう関係しているのかしら?」

 

 興味津々な様子で目を輝かせるダージリンに、ノンナは悟られないようにため息をついた。

 ああ、こういう人だったな、と。

 

「最近カチューシャと仲が良いようで。カチューシャの言動を見たでしょう?」

 

「ええ、少し穏やかになっていましたわね。子供らしさが抜けてきたのかしら?少し寂しいけれど、誰しも変わり続けるものだもの。地球上で変わらないものなんて、夜の暗さくらいなものですからね」

 

 その言葉にノンナは思わず詰まってしまう。

 

 『夜』というのは、あまりに。

 

 誤魔化すように紅茶のカップに口をつける。

 

「それで?恋愛に発展しそうなの?」

 

 だが言葉を選ばない彼女の一言に、ノンナはカップの中身を一気に喉に流し込んでしまった。カップに注がれたものとはいえまだ熱い液体が彼女の食道を灼くように流れる。だがそれをまさしく鉄のような無表情で耐えながら、ノンナはカップを静かにソーサーに置いた。

 もちろんダージリンはその涙ぐましい努力に気が付いているが、澄まし顔で見ないふりをした。淑女のマナーというものである。

 

「……いいえ。今のところは、そのような様子ではありませんね」

 

「そうなの?でもあなたが知らないだけで実は結構進んでいるかもしれないわよ?」

 

「いえ、そんなことは……、どう、なのでしょう」

 

「可能性の一つよ」

 

 

 

 そんなことを話しながらしばらく紅茶を飲んでいた二人だったが、ふと内線電話が鳴った。ノンナはよどみない動作で受話器をとり、何か一言二言話したかと思うと受話器を置いてダージリンの方に向き直った。そうして申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すいません、練習に呼び出されてしまいました。ご足労いただいて申し訳ないのですが、私も向かわなくてはなりません」

 

「いいのよ、気にしないで。大事な準決勝前に訪ねてきた私のほうが悪いのだから」

 

 まるで予想していたかのようにタイミングよく紅茶を飲み干し、カップをソーサーに戻す。そうして、ノンナに向き直った。

 

「では、最後に一つ。こんな格言を知っているかしら。『恋の悩みほど甘いものは無く、恋の嘆きほど楽しいものは無く、恋の苦しみほど嬉しいものは無く、恋に苦しむことほど幸福なことは無い』」

 

「……」

 

「気を悪くしないで頂戴。恋は人を否応にも変えるものよ。それでも、決して悪いことではないわ」

 

「……ちなみに、誰の言葉なのですか?」

 

「アルント。ドイツの詩人、小説家ね」

 

 いつも彼女の格言集を聞いているオレンジ色がかった茶髪の少女の、可愛らしいため息が聞こえてきたような気がした。

 

 

----------

 

 

 身を切るような寒さの風が吹き、弾丸のような速さで雪が舞う。夜でありながら雪の白さで明るさを保つそんな銀世界を眺めながら、分厚いジャンパーを着た小此木がぶるりと身を振るわせた。ネックウォーマーの位置を調整し、迷った末に耳当てを持ってこなかったことを後悔しながら隣にいる白沢に声をかけた。

 

「なァ、夜一。なンでこンな場所でもやるンだろうなァ、戦車道の試合ってのは。場所によって有利不利が出ちまうンじゃアねェのか?」

 

「…それを俺に聞かれても困る。実際の戦いでの戦車は雪原、市街地、荒野、森林、色んなところで戦っている。それを鑑みているんじゃないか?」

 

「…そういうもンかね」

 

 真っ黒いロングコート、薄い灰色のマフラーを身に着けた白沢が小此木の質問に答えた。もこもこした防寒具に覆われているにもかかわらず体全体で寒さを表現している小此木とは対照的に、白沢はいつもと変わらない無表情で眼下に広がる銀世界を眺めた。

 

 

 プラウダ高校対大洗女子高校。全国戦車道高校生大会準決勝が、この雪原で開かれようとしていた。

 

 

 デジタル表示の腕時計を眺め、あと二時間で試合開始か、と小此木が呟いた。見るとプラウダと大洗の両艦から観戦会場へと向かう人の影がちらほらと見える。二時間前からご苦労なことで、と小此木は彼らを見下ろしながら欠伸を一つこぼした。

 

「お前は観に行かねェのか」

 

「試合をか?」

 

 観に行ったところで何も変わるまい、と白沢は首を横に振った。それと同時に風がまた吹き、白沢のマフラーに雪を散らしながら通り過ぎていった。二人の後ろを大洗から観光に来たのだろう、小さな女の子がはしゃぎながら風のように駆けていった。

 

「ソーンツェからは来て欲しい、とか言われなかったのか?」

 

「何も。というか、もし言われても行くかどうか」

 

「なンでだよ?」

 

「名前が紹介されてしまうかも知れないだろう?ソーンツェの。そうすれば俺は彼女を『ソーンツェ』と呼べなくなる」

 

「……はァ」

 

 よく分からないことを言ったかと思うと、白沢は踵を返して町へと歩いていった。その背中に「本当に良いのか」と小此木は問いかけたが、「眠い」とか何とか言って見えなくなってしまった。

 

 まぁ、そんなことがあっても小此木は試合を見に行かないわけには行かないのだ。何しろ、クラーラが先日、

 

『絶対見に来てくださいね』

 

と念を押してきたからだ。これで観ていないなんてことになったら何を言われるか想像も付かない。あの綺麗な目でじとっと睨まれるのはご免だった。

 

「わー!」

 

 先ほど走っていった少女が戻ってきた。雪でぬれないように赤い長靴を履いて、暖かそうな格好で、笑いながら。

 

「おい、そろそろ試合始まるんじゃないか」

 

 そんな少女に、声がかけられる。背後から突如響いた声に、思わず小此木は振り返った。

 

「うォ……」

 

 そこには、比較的身長の高い小此木を以ってして『身長が高い』と言わしめるほど背の高い男性が立っていた。小此木が180cm前半であることを考えてみれば大体190cm後半、もしかすると2mに届いているのかもしれない、それほどの身長だった。

 

「だいじょーぶですー!あと二時間くらいはありますからー!」

 

 そんな男性に少女は笑って返事をして、その場でクルクルと回って見せる。瑞々しいほどの少女の黒髪がふわりと舞い踊った。二十代くらいに見えるその男性は、そんな少女の様子を見て深々とため息をついた。親子にしちゃ若く見えるなァ、と小此木は何とはなしに考える。

 

「…先に下りとくぞ」

 

 男性はそう言い残すと、先ほどの白沢と同じように踵を返して去っていった。

 小此木は何をするでもなく少女の方を見た。と、ちょうどその時少女もこっちを見ていたらしい、ばっちり目が合ってしまった。

 

「おにーさんはプラウダの人ですかー?」

 

「え、あ、あァ」

 

 てくてくと可愛らしく近づいてきて、深々と頭を下げる少女。日本人としての性か、不意打ちじみた挨拶に思わず小此木も頭を下げた。少女は溌剌とした笑顔で小此木の顔を見上げた。

 

「今回の試合、どっちが勝つと思いますかー?」

 

「…そりゃア、普通に考えりゃアプラウダだろうけどなァ…。大洗は予測できねェ。あんな寄せ集めみてェな戦車でサンダースとアンツィオに勝ってるってンだからな。

 嬢ちゃんは、大洗の子か?」

 

「はいー。大洗に住んでるのですよー」

 

「そうかァ」

 

 そうして何をするでもなく、少女と顔を見合わせる。少女は屈託の無い笑みを浮かべて小此木を見上げていた。

 

「さっきの人ン所に行かなくても良いのか?」

 

「あの人は戦車道が好きなだけですよー。だからプラウダの学園艦には興味なくて、試合を待ちきれないくて会場に向かっただけなんですー。私は学園艦に興味、あるんですけどねー」

 

 素直じゃない人なんですー、と語尾がのんびりとしている少女の言葉を聴いて、小此木は少し考えたあと、しゃがみこんで少女に問いかけた。

 

「ここで会ったのも何かの縁だ、ちょっとだけでいいならプラウダ学園艦を案内してやろうか」

 

「ちょっとだけですかー?」

 

「今から一時間ちょっとしたら観戦会場まで行かなくちゃ行けねェだろ?」

 

「でもー。どうせ見るのならじっくりと見てみたいのですー」

 

 ぶー、と柔らかそうな頬を膨らませる少女の顔を見て、小此木は思わず吹き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「着いた、着いた」

 

「お疲れ様なのですー」

 

 その後一時間ほどのプラウダ学園艦観光を終え、急いで小此木と少女は観戦会場にやってきた。ゆっくりと少女を肩から下ろす。案内の途中で少女が疲れたと駄々をこねたので、小此木は途中から肩車した状態で歩いていたのだった。

 

「ゲンゲはどこですかねー?」

 

「すげェ人だなァ…」

 

「ゲンゲは背が高いくせに座高が低いですから、そう簡単には見つからないですねー。まーいいです。おにーさん、一緒に見ましょー」

 

 座席に座った小此木の膝の上に、少女が勢いよく座り込んだ。思ったより軽く、さらに体温が高いのか暖かいので、小此木は無理に彼女を膝の上からどけることなくさせるがままにしておいた。不満点と言えば彼女の黒髪が鼻をくすぐることくらいだが、その度にシャンプーの良い香りも小此木の鼻をくすぐるのだった。

 

「おにーさんは良い人ですねー。ゲンゲは私が膝の上に乗ると嫌がるんですよー」

 

「ゲンゲってェのは、あの背の高ェ人のことか?」

 

「そーです。大洗に戦車道が復活したって聞いて試合を見に来てるんですよー」

 

 と、突如会場におかれた巨大ディスプレイがトラックにも似た車両を映し出した。トラックで言う荷台の部分に物騒なロケット砲が置かれているのを見て、膝の上の少女が声を上げる。

 

「『スターリンのオルガン』ですねー」

 

「そっちかァ。普通『カチューシャ』って言うもンじゃねェか?」

 

「おにーさん達から見ればそうですけどー。こっちは敵対してる側ですからー」

 

 そんなことを言っている間に大洗の戦車が置かれたその目の前に『カチューシャ』は停車し、中から二人の人影が出てきた。雪の寒さを物ともしない堂々とした立ち振る舞いの背の低い少女と、雪の寒さを感じていないのではないかと思うほど淀みない動きで歩く背の高い少女。

 

「プラウダ高校の隊長副隊長、カチューシャさんとノンナさんですねー」

 

「『カチューシャ』からカチューシャかァ…なンだかなァ…」

 

 音声を拾ってはいないものの、大洗側の、こちらも小さな生徒がカチューシャたちに歩み寄り握手を交わしたのが画面に映される。各校の試合前の挨拶、というものだろうか。

 

「あれー、おかしいですねー?」

 

 と、その光景を見て少女が首をかしげた。

 

「おかしいって、なにが?」

 

「カチューシャさんってー、あんな風に相手に屈まれながら握手するなんて、許すような人でしたかー?」

 

「……ああ、そういえば、そうだな」

 

 プラウダ高校隊長のカチューシャといえば、その小柄な体躯に似合わない横暴で勝気で自信家な性格が有名だ。プラウダの戦い方を踏襲した

圧倒的物量作戦(スチームローラー)』などの作戦を得意とし、苛烈な戦い方、物言いから『小さな暴君』『地吹雪のカチューシャ』などと呼ばれ恐れられている。

 また、自身の低身長をコンプレックスとしているらしく、それを思わせるような行動を取ると激昂する、などと言われている。

 

 そのカチューシャが、腰を屈められながら握手を交わすなんてことを黙認するのだろうか?

 

「というか、今年のプラウダは何か変でしたー。作戦が例年とだいぶ違いますー。物量作戦ではなく、強固な岩のように堅実な作戦でしたしー」

 

 油断がないですー、と少女は体を小此木に預けながら言った。その小さな体を支えながら、小此木はふと思い当たったように少女に問いかけた。

 

「そういえば嬢ちゃン、名前は何て言うンだ?」

 

「え、何ですかー?おにーさん、ロリコンさんだったんですかー?」

 

「断じて違うが…。名前くらい教えてくれても良いだろう?次に来たとき案内してやるからさァ」

 

「んー。嫌ですー。名前を知っちゃったら、おにーさんとのこの距離感がなくなっちゃいますー」

 

 さらりと小此木の申し出を拒否してディスプレイを見る少女。また来たときには私からおにーさんを探してあげますからーと言う声を聞きながら小此木は、どこかで聞いたような台詞だな、と首をかしげずにはいられなかった。




お待たせしました。

タイトルは「ガルパン本編でありながら、本作では幕間」という意味です。

今回登場した二人は今後の出番はないです。構想中の小説よりの登場人物なので。

夜一くんの出番はどこ…ここ…?
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