夢を見た。昔の夢。
まだ幼い恋と共に并州の何処かにある草原を歩いている夢。
大人しく物静かな恋は、いつも御主の後をついて歩いていた。そんなこともあり恋の面倒をみるのは御主の役目になり、いつの間にか恋の兄として過ごしていた。
「御主お兄ちゃん……」
初めてお兄ちゃんと呼ばれた時の事は今も忘れない……お兄ちゃん?
「起きて、御主お兄ちゃん……」
幼く可愛らしい恋の姿が歪んでいく。
それどころか声も歪み変わっていく。
「――恋は、俺の事をお兄ちゃんとは言わない。にいに、だ」
御主がその歪んだ恋に言うと、歪んだ声が知る者の声へと変わる。
「そうであったな。恋は、御主殿のことをにいにと言うのだった。この趙子龍一生の不覚……」
昨夜は、遅くまで華琳と昔話をしていた。そのおかげで眠るのが遅くなったわけなのだが――
「なぁ、星?」
「どうかしましたか、御主殿?」
「なんで、隣で寝てるの?」
意識がはっきりしてくると、すぐ隣に星の顔がある。少し下の方を見ると、当然のように身体もある訳で。普段から着ている胸元のあいた服から足にかけての色気が寝台の上という事もあり強まっている。
「さすが、大陸一の種馬と称揚される御主殿……朝から御盛んな事で」
「朝から美人の顔を見て起きるのは最高だと思う。でも、寝起きで下ネタを聞かされるのはどうかと思うぞ?」
楽しそうに笑みを零す星から名残惜しいが状況を少しでも把握するために周囲を見渡す。場所は、平原の屋敷にある自室。窓が開いているが陽は出ているようだ。
「もう皆は起きてるの?」
「ええ、すでに。それで、面白い話があるので此処へ来たのですよ」
「面白い話?」
なんだろう、嫌な予感がする。
「安心めされよ。決して、悪い話ではないですぞ」
「本当か? 星の面白いは、あくまでも星が面白いかどうかだからな~」
「……せっかくこうして起こしに来てまで教えようと思いましたのに」
星は機嫌を悪くしたのか、背を向けてふて寝を始める。
「……星?」
言葉を掛けるが、返事は返ってこない。
「そうか……なら仕方がないよな?」
御主は、星へと近づくと後ろから抱きつく。その拍子に普段の星からは想像もできないような小さな可愛らしい声が上がる。
「ご、御主殿……いきなりなにを……」
「此処は、俺の自室。そして、寝台の上。来たのは星だからな?」
力を込め、より強く抱きしめる。腕の中での小さな抵抗、動揺からか背中越しに伝わりそうな程に高鳴る心の鼓動。普段は攻めの星は、逆に責められると弱い。後ろからなので顔が見えないのが残念だ。
「面白い話もいいけど、最高の抱き枕が手に入ったからもう一眠りするのも悪くない」
昨日の華琳とはまた違う良き香りを楽しみながら、確かな人の温かさの下に眠りに――
「わかりましたっ! だからこれ以上は……やめて……ください……御主殿……お願いですから」
その言葉を聞き解放する。
今日は、いつもより長かったのかな? 夢中になると時間の感覚が分からなくなるからどうなのだろう?
「教えてくれる?」
星に訊ねるがなかなか言葉は返ってこない。おそらくだが表情と気持ちを落ち着かせているのだろう。どうしよう、今すぐ顔が見たい。抱きしめたくなるぐらいに愛らしい。
「……昨日のお返しをするはずだったというのに」
「昨日のお返し?」
「私の事をお忘れになっておられたでしょう?」
あぁ、愛紗に夕飯まで言うのを忘れていた事か。
「だって、まさか華琳が来るなんて思わないだろ? なんだかバタバタしてたしさ。でも、愛紗は分かってくれただろ?」
未だに背を向ける星に言葉を投げ掛ける。
「そういうものではない……」
星は、こちらを見ずに背を向けたまま寝台から降り、立ち上がる。
「華琳殿が、桃香様と愛紗を連れ台所に居る。約束は果たした」
それだけ言い残すと星は足早に部屋から出て行く。
「忘れていたのは……確かにまずかったか」
自分の事を忘れられたと思ったのだろう。星には、悪い事をしたな。
♢♢♢♢♢♢
着替えなどの準備を終え、気持ちを新たに屋敷にある台所へと向かった。本来であるのなら屋敷の使用人が調理を行っているのだが華琳、桃香、愛紗の三人だけだ。
「桃香。生地を練る時は力加減を考えて行いなさい。強すぎでは生地が硬くダメになる。弱すぎては柔らかすぎて使い物にならないわ」
「はいっ、師匠!」
桃香は、華琳に言われた通り生地を練り始める。その表情から集中しているのだろう真剣そのものだ。
(約束を守ってくれているんだな)
華琳は、口ではいろいろと言うが面倒見はいい。もっともやる気のある相手にだけだが。本当なら忙しい身なので桃香にかまっている時間などはないはずなのに時間を掛けて教えているようだ。
「さて、次は愛紗ね」
とりあえず桃香の方は終わったのだろう。控えていた愛紗へと移る。
「華琳殿。私は、別に料理は……」
「あらっ? 主君一人だけにさせるのかしら?」
どうやら愛紗は乗り気ではないようだ。そもそも桃香の思い付きなのだからしようがない気もするが。
「些細な事であったとしても主君と共にやるのは大事な事よ。少しでも桃香の事を知りたいとは思わない?」
「それは……思いますが」
「なら迷っている暇はないわよ? 既に桃香は先を歩いているのだから」
愛紗の目に桃香の姿が映る。普段なかなか見せない程に真剣な表情で物事に取り込む姿。それこそが愛紗が桃香に望む姿と重なる。
「決まったようね」
表情から読み取ったのだろう。華琳は愛紗に指示を出し、言葉に従うように愛紗が行動に移る。
「愛紗には餡を作ってもらうわね。材料は用意してあるからこれを器に入れて混ぜて頂戴」
「分かりました」
愛紗が小皿に分けてあった材料を器にまとめていく。それからは、普通に手で混ぜ合わせるのだがそこは華琳。目の前に獲物が居るのにジッとなどはしていない。
「違うわ、こうするの」
愛紗の後ろに立ち、後ろから器へと手を回すと愛紗の手と共に生地に触れる。
「か、華琳殿!?」
これにはさすがの愛紗も動揺を隠せないようだ。
「どうかしたの? 続けるわよ」
敢えてそれに反応はせずに続ける。
「本来なら熱をあまり加えない方がいいの。でも……今日は教えるのが目的だから丁寧にやりましょう」
完全に色事だ。料理を教えるついでに愛紗に手を出している。
「や、やめて下さい……このようなことは……」
「あら……なんの事かしら? 私は、餡の混ぜ方を教えているだけなのだけど?」
これはあくまでも推測でしかない。華琳の手技は、霞よりも上だと予想できる。理由は、経験の差だ。華琳は女の子が好きで普段から情事を行っている。その手技の練度は高く、霞以上のものと言えよう。
「別にここでやめてもいいのよ? でも、あんなに頑張っている桃香の姿を見ても……言えるのかしらね?」
普段の凛々しさからは想像できない弱々しさを見せる愛紗。主君への忠誠心だけがその視線を動かす。
「桃香様……」
今まさに桃香の後ろで愛紗が華琳に手籠めにされようとしているのを知らず、今も真剣に生地をこねている。
「――ㇰッ……」
「それでいいのよ……愛紗。それでは、続けましょう」
忠誠心から愛紗はやめるのを諦める。
「今更だけど朝からナニやってんだよ……」
ここまで止めずに隠れて見ていたが思わず言葉を口にしてしまった。ただ、もう少しだけ見ていよう。
御主は、台所の入り口の方から息を殺し隠れて見続けることに決めた。
だって、勿体ないもん。