幽州にある北平。平原から袁紹の居る南皮を通り、更に北東へと進むとある漢の田舎とも異国とも言われる場所。
「行くぞ、絶追!」
御主は、愛馬である絶追(ぜつおう)に声を掛ける。誰も追いつく事ができない名を持つ御主の愛馬は、今までの鬱憤を晴らすように北平の地を駆ける。
「待ってください、オーナー!」
遥か後方から呼び声が聞こえる。どうやら飛ばし過ぎたようだ。
「やり過ぎたか、すまない、凪」
絶追を落ち着かせ、護衛で付いて来た凪が来るのを待つ。
「なんだかさ、こう気持ちが昂っちゃって」
「気持ちは分かりますが、私はそれほど乗馬が得意な方ではありません。それに、私の馬とオーナーの馬では差があり過ぎます」
絶追は、幽州から涼州を股にかけて良馬の生産に力を入れている御主の宣伝用の馬である。本当なら献上する程の名馬なのだが、自分の物にしている。御主も馬と共に生きる并州で育ったので馬にはそれなりに思う所がある。
「でもさ、絶追が走りたいって言うんだよ。南皮までは、商団に混じってゆっくりだったし。それに見てみろよ、凪! この一面に広がる世界を! これを見たら愛馬と共に駆けたくなるだろ?」
いつもよりも気分が高揚している御主に同行している凪も少し引いている。
「分かりました。ですが、今回は私一人がオーナーの護衛になります。それだけはお忘れなきよう、お願いします」
今回は、沙和と真桜は平原で留守番となっている。沙和に関しては、凪と共に交易路の確保から帰還したのだが、喜屋武喜屋武と美似美似の現状を知りそちらに尽力を注ぐ事となった。真桜に関しては、本来なら今回の件に連れてきたかったのだが沙和一人にしておくこともできないので今回も平原に残ってもらうことにした。
「忘れてなんかないよ。凪が居てくれるから安心していられるんだし、ありがとう、凪」
「……はぁ~、ズルいですよね、オーナーは」
頭では分かっていても機嫌が良い御主の顔を見るとあまり強くは言えない。既に御主と凪の主従関係は決まっている。
「しかし、何処を見ても馬に羊、たまにだけど豚や牛も見かけるな」
幽州の地では畜産が盛んに行われている。土地柄穀物などの生産に適した場所が、黄河の流れる中央に比べて乏しくあまり向いていないのだ。度々、不作による飢饉を迎えているぐらいに厳しい場所である。代わりに畜産には適しており、動物たちが食べる草は多くある。もっともこれが田舎とか言われる要因ではあるが、馬を好きに走らせられる者にとっては良い環境だ。
「オーナーが長い時間を掛けてきた甲斐がありましたね」
「あぁ……そうだなぁ……」
幽州との関わりは、何進大将軍に良馬を確保するように命じられた時からだ。あの時から仕込んでいたものが、別の形で使われるとは思わなかったが。
「早く、公孫賛の――白蓮の所へと向かおう」
御主は、凪を伴い白蓮の居る北平へと急ぐ。商品開発担当である真桜の責任の下で製作された切り札を持って。
♢♢♢♢♢♢
「久しぶりだな、御主。それに、凪も」
公孫賛こと、真名を白蓮(ぱいれん)は、自分の屋敷に来た二人を歓迎する。
「元気そうでなによりだよ」
「お久しぶりです」
簡単な挨拶が終わると、御主と白蓮は卓に着き。凪は控えるように壁際へと移動する。白蓮は、仮にも幽州の太守である。いくら旧知の仲でも最低限の礼儀がある。少なくとも話が終わるまでは。
「早馬で来たと思うけど、呉の方に木材は送ってくれた?」
「前々から決まっていたから準備はしていたし、御主に言われたら送るよ。そもそも全部お前のなんだし。でも、あれだけの量が入用とは……曹操は金があるんだなぁ……。今は、御主が支援をしてくれているから幽州もそれなりになったがウチには無理だよ」
「予想外ではあるけど、十分予想もできた。曹操が俺の予想を超えるなんて洛陽に居た時から知っているから」
「ふーん。私からしたら御主も……いや、協力している奴らも大概だけどな。ここまでは予定通りになるんだろ?」
全部ではないが洛陽に居る詠と平原に居る朱里と雛里が考えた策。三人は直接会って話した事はないが、御主を通してここまでの事を考えていた。もしもの話になるが、仮に面と向かって話し合っていたらどうなっていたのかは気になるところだ。
「俺は、何もしてないよ。白蓮が知っている朱里や雛里、それにもう一人の天才が考えた事。俺なんかが分かる訳ないだろ?」
「そうか? まぁ、そう言う事にしておくよ。しかし、私はつくづく思うよ。朱里と雛里は、桃香の所とは言え私の下に居たわけだろ? 愛紗や鈴々だって。星なんて、一度は客将として私の下に居たのにさ……私って人望ないのかな?」
なんだろう、この酒場で酔っ払いに絡まれた時のような感覚は。
「それに、曹操の所であの荀彧と共に国政を担っている郭嘉や程昱も一時的に居たし、優秀な人間を得る機会はいくらでもあったと思うんだよ、どう思う、御主?」
「えっと……どうかしたの? なんだか荒れてるけど?」
「私も最近思うんだ。もしかしたら時代の主役になれたんじゃないかって。だってそうだろ? 桃香たちに郭嘉や程昱が居れば、袁紹や曹操にだって負けないんじゃないかって思うんだよ」
確かに白蓮の言いたいことは分かる。桃香の下には、黄巾の乱で名をあげた愛紗、鈴々、星の三人の武将が居る。王佐の才を持つと称揚される荀彧が認める朱里や雛里のような天才も居る。それに加えて、郭嘉や程昱まで手元に居れば確かに大陸の覇権は取れたかもしれない。一度は手元にあったのだから夢を見るのも仕方がないことかもしれない。
「今日、付き合うから飲もう? 朝まで徹底的にさ」
「本当に私でいいのか? こんな普通でつまらない私なんかで?」
「もちろんだよ。それに白蓮は普通じゃないって。普通なら太守になんてなれないから」
「……そうだよな。普通は太守になれないよな?」
「そうだよ。なぁ、凪もそう思うだろ?」
援護を壁際に控えていた凪に視線で要請する。
「はい。白蓮様は、素晴らしい方だと思います」
「ほら、凪もこう言ってるしさ。自信を持ちなって」
「お前達は本当にいい奴だよなぁ……」
なんだか今にも泣きだしそうだ。まだ昼間だけど本当に飲んでいたりしないよな?
「それで、白蓮。本題に入りたいんだけどいいかな?」
「あぁ、そうだったな、すまない。言われた通り、弓騎兵の準備はできている。良馬もそうだが、複合弓の生産に必要な動物の骨や腱も良質なのが取れている。既存の弓でも十分な成果を生めるだけの鍛錬も積ませてあるぞ」
「ありがたい。これで、平原で改良中の金属があれば最新鋭の弓騎兵ができる。一応、真桜が製作した試作品を持ってきたけど見てみる?」
御主は、平原から大事に持ってきた真桜特製の複合弓を取り出す。幽州で生産した良質な動物から得た骨や腱。それに、平原で改良している金属。これらを組み合わせて強力な馬上でも使用できる短弓が対袁紹戦での切り札になる。元々は、何進の命で異国からの侵略を防ぐ手段として考えられたものだ。しかし、その何進も滅び計画だけが独り歩きしていた。
「……コレがそうなのか」
白蓮は、試作品の複合弓を手に取って眺める。
「コレを使用するのは、あくまでも反董卓後になる。それまで改良は続けるけどこれでも十分な成果は生むと思う。白蓮が弓騎兵に必要な練度を持つ兵を育ててくれているから数で勝る袁紹にも負けない」
「だろうな。敵を翻弄する弓騎兵は強力だ。ただ、それができる兵が育つまでに時間が掛かる。それに、馬や弓も安くはない。数が居たとしても寄せ集めの兵じゃ話にならないだろう」
「まさか、侵略者に対する切り札を同じ国の者に使うとは思わなかったけどね。でも、手段を選ぶ気はないんだ」
「……たまに御主が怖いと思う時があるよ。産まれや身分を問わずに施しを与える。幽州でも支援や貿易協定のおかげで不作でも民が飢える事もなくなった。なぁ、御主。お前は、自分の国を持ちたいと思った事はないのか? 人も、金も、物も十分に揃えられるだろ?」
「俺は、ただの商人だよ。王の器なんてないよ」
「欲のない奴だな。まぁ、別にいいけどさ。でも、試しに一つだけ聞いてみてもいいか?」
「なにを?」
「私の所に来る気はないか? 他は諦めるけど、こうして御主とは長い付き合いだしさ、その……なんだ……傍に居てくれると心強いんだよ」
白蓮が急に顔を赤らめイジイジとし始めた。
「最近、周囲からもアレコレ言われるし。できれば、その……好きになった人がいいだろ? 政略とかは嫌なんだよ……」
ドンドン顔が赤くなっていくのが分かる。ここまで積極的な白蓮を見るのは初めてだ。
「気持ちは嬉しいけど、今の白蓮は太守だからね。さすがに他とはちょっと違うかなぁ……?」
「だったらなんで私には手を出さなかったんだよ。呂布や張遼、凪たちは私と知り合う前からだから構わない。でも、他は違うだろ? これでも私なりに頑張ったんだぞ? それなのにお前ときたら……」
「白蓮が俺を好きで居てくれたのは知ってたけど、その頃には太守の話も出てたし」
「くぅ~、せっかく頑張ってなった太守が障害になるなんて……」
本気で悔しがってくれているのは素直に嬉しいと思う。でも、太守である白蓮と結婚すれば、身分として白蓮を第一夫人にしなければならない。でも、それだけはできない。最初に結婚する相手は決まっている。
「ごめん、白蓮」
「謝るなよ。なんだか惨めになるだろ……」
それからは、白蓮を凪と共に慰める事となった。途中で、白蓮が凪に絡んでもいたが対応がし辛い。せめて、太守に近い地位を手に入れられればいいのだけど。