今や平原の娯楽として定着している競馬場の元となったものが北平にある。そもそも金銭がなかった時期の苦肉の策、生産している良馬を見せる場として考えられた。しかし、御主も家族とも言える愛馬を金儲けや見世物にすることには躊躇いがあった。それは、協力者であった白蓮も同じだった。ただ、霞の言葉で事は動くことになる。誰の愛馬が最高なのか? 誰が一番の乗り手なのかを証明したくないのか? そんな提案が大陸で神速と称揚される騎馬隊を率いる張文遠の言葉として各地に広まり、愛馬と自分の腕に自信のある者達が話に食いつき、打倒張遼を掲げ競馬場が開かれる事となった。
「意外と盛況なんだな」
今や人が多く、交通が便利な平原の方が主流だ。その為、わざわざ此処北平まで足を運ぶ者は多くない。しかし、此処は良馬の生産地。まだ表に出てはいない名馬を見ようと足を運ぶ者も少なくはない。更に言えば今のうちに名馬を購入しようと思う商人が足を運んでいる。
「もうそろそろ、翠やたんぽぽが出る頃だと思うぞ」
名を馬超、字は孟起(もうき)。真名を翠(すい)。涼州の馬騰の子供で槍の名手である。馬上での戦いに関しては、必ず名前があがるほどの猛将である。
名を馬岱、真名を蒲公英(たんぽぽ)。翠の従妹であり、普段から妹分として行動を共にすることが多い。
どちらも自分の愛馬と乗馬の腕には自信があり、今では競馬場で屈指の人気を誇っている。今回は、たまたま警邏の一環で来ていたようで白蓮の案内で久しぶりに会う事にした。
「白蓮は、出ないのか?」
「たまに出てはいるが、最近は政務が忙しくてな。そう言う、御主は出ないのか?」
一応、御主も騎手として登録してある。基本的に登録さえしていればいつでも参加できる事になっている。
「白蓮が出るなら出ようかな? 今日の絶追の調子なら良い所まで行きそうだし」
「……まさかとは思うがそれは、白馬長史の名を持つ私に勝つと? いくら絶追が良い馬だったとしても御主の腕だとなぁ……」
互いに馬に関しては負ける気がしない。これは、騎馬民族としての意地だ。
「白蓮、準備は大丈夫か?」
「あぁ、いつでも」
「凪、装鞍所に絶追を連れてきてくれ。俺は、準備に入る」
「分かりました」
「ではまた、白蓮」
「逃げるなよ、御主」
御主と白蓮は互いの準備に入る。
♢♢♢♢♢♢
「おう、久しぶりだな、御主!」
「ひっさしぶり~」
先に装鞍所まで来た御主に気づいた翠と蒲公英が御主を迎える。
「二人も元気そうで」
「元気だけが取り柄だからな」
「ホントだよねぇ~。でもね、お姉さまも少しだけ元気がなかったんだよ?」
「翠が?」
珍しい。元気じゃない翠なんて想像ができないぐらいだ。
「最近、御主が会いに来ないってうるさくって。ほら、洛陽から離れたから気軽に会えなくなったじゃん」
「そうだったか。すまないな、翠」
「べ、別にあたしは寂しくなんかないしっ! ただちょっと……会えないなって思っただけで……って、なに言わせんだよっ!」
翠の腕が振るわれ、御主へと迫る。なんとなく来る事が分かっていたので避ける。昨日今日の付き合いじゃないのでこれぐらいなら余裕だ。
「危ないぞ、翠」
「うっさいっ! 御主が悪いんだからなっ!」
「そうだそうだ!」
「たんぽぽも乗るなよ」
「えへへ。でも、たんぽぽも寂しかったんだからね?」
「それは、遊び相手が居なくてか?」
「ん~、どうかなぁ~」
上目遣いでたんぽぽが御主の方を見ている。恋とは違う感じで撫でまわしたい衝動にかられる。
「相変わらず可愛いな、たんぽぽは!」
蒲公英の頭に手を乗せ、思い切り撫でまわす。
「えへへ、これ好き~♪」
「年季が違うからな」
長いこと恋の兄をやっているわけではない。満足するまで撫でまわしてやる。
「おいおい、あんまりたんぽぽを甘やかさないでくれよな」
「お姉さまもやってほしいんだよ。ほら見てよ、羨ましそうに見てるでしょ?」
翠の方を見る。たんぽぽを撫でるのに夢中で、照れ隠しで飛んできたビンタをまともに受ける。
「痛いって! 俺は、何もしてないだろ?」
たんぽぽから自分の頬に手を移す。ジンジンする。
「ふんだ。それよりなんで此処に居るんだ? もしかして走るのか?」
「あぁ、白蓮と勝負する。今、凪に絶追を持って来てもらっているよ」
「絶追か……たんぽぽが欲しかったのに」
絶追は、涼州の産まれだ。涼州と幽州の馬を掛け合わせたりしているのだが、絶追もその中の一頭になる。今でこそ御主の所に居るが成長するまでは翠たちが面倒をみていた。
「絶対にやらないからな。途中からとは言え洛陽で俺が育てたんだから。絶追は、俺の馬だ」
「でも、たんぽぽが乗った方が早いと思うよ?」
「……この後、白蓮と勝負するけどたんぽぽもやるか?」
「負けたらなにしてもらおうかなぁ~」
「いい度胸だ。負けて泣いても知らないからな」
既に勝った気でいるたんぽぽも今度のレースに参加が決まる。
「まったく仕方がないな、御主もたんぽぽも」
「翠はやらないのか?」
「ん~、どうしようかな? 参加する予定だったんだけど紫燕の機嫌が少し悪いんだよ」
紫燕は、翠の持つ三頭の内の一頭だ。どれも絶追に負けない名馬だ。
「珍しいな、紫燕の機嫌が悪いなんて」
「たぶんだけど、お姉さまに問題があるんじゃない?」
「えっ? あたしに?」
「此処に来てからお肉いっ~ぱい食べてるもん。ほら~、お腹周りとか~」
たんぽぽに言われた翠は自分のお腹を見る。
「そんなはずは……」
「そんなことないよ。今日だって煮豚の山盛り食べてたもん。昨日なんて沢山盛り付けしたラーメン頼んでたし、替え玉も五回だよ、五回!」
「翠……」
「そんな目であたしを見るなぁー! なんだ、あたしが太ったから紫燕の機嫌が悪くなったって言うのかよっ!」
「どう思います、御主さん?」
「呆れられているな、間違いなく」
騎馬民族にとって、人と馬は対等だ。人が馬に求めるように、馬も人に求める。日頃の行いが大事なのだ。
「うぅ~、あたしが悪かったよ、紫燕……ごめんな……」
「せっかく、翠と久しぶりに走れると思ったのに。たんぽぽ、翠の代わりに頑張ろう」
「そうだね。お姉さまの分もたんぽぽが頑張るよ!」
翠が紫燕に謝りに行っている間に凪が絶追を、白蓮も自分の愛馬である白馬を連れてきた。さっそく運営の方に話を通し、三人はレースに備える。
♢♢♢♢♢♢
競馬のやり方は簡単だ。一番になる馬を選ぶだけ。レースにはいくつか種類があるが、今回は最も多く行われる純粋な早さを競うものになる。
「凪は、誰に賭けたんだ?」
翠は、凪と共に観客席へと来ていた。
「オーナーに賭けました」
凪は、御主の札である三番を一枚手に持っている。
「あたしはどうしようかなー。普通に考えると白蓮なんだけど、配当が少ないからな」
既に掲示板に張られている掛け率を見るに一番人気が白蓮。二番人気がたんぽぽ。三番人気が御主となっている。掛け率を見るに多くの者達は、白蓮が勝つと予想している。ちなみに今回は、三人だけでのレースになる。
「たんぽぽは、どうなのですか?」
「そうだな~、体重が軽い分負担は少ない。でも、絶追は良い馬なんだよ。最後の逃げ足が凄いのなんのって」
「確か、オーナーが勝たれる時は追い込みからの逃げ足でしたよね」
「そうそう。最後の曲がり角から一気に前に出てそのまま逃げるのが御主と絶追の走りなんだよな。たんぽぽの場合は、軽いから初めから少しだけ飛ばして前に出て、最後に逃げ切る感じだ。白蓮は、あたしじゃないと勝てないぐらいに強い。それこそ、張遼でも連れて来ないとな」
翠が誰に賭けるか悩んでいる頃。
「早く始まらないかなぁ~」
「そう焦るな、たんぽぽ」
「そうだぞ。焦りで飛び出しての失格はよしてくれよな?」
地面に線が引かれている場所から銅鑼の音を開始の合図として馬を走らせる。その際に合図の前に飛び出した場合は、仮に一着だとしても失格となる。だからと言って出るのが遅れると純粋に不利となる。走る前から既に勝負は始まっているのだ。
「しかし、私が一番人気とは……みんな見る目があるな」
白蓮の表情に自信が見える。
「ふーんだ。たんぽぽが勝っちゃうんだからね」
「凪が俺に賭けてくれているだろうし、賭けで勝った分で美味いものでも食いに行くかな」
たんぽぽも御主も自信に関しては負けていない。
「それでは、準備の方お願いします」
運営側から開始の合図が出る。それぞれ手綱をしっかりと握り、銅鑼の音が鳴るのを待つ。
――銅鑼のなる音が競馬場に響き渡る。
音と共に一斉に飛び出す。先行したのは、たんぽぽ。問題なく飛び出したたんぽぽは、どうやら早いうちから勝負に出たようだ。次に続くのは、白蓮。馬体の状態も問題がなさそうで安定した出だしだ。最後に御主だが、こちらは様子を窺いながら最後尾に着く作戦のようだ。
「たんぽぽが飛び出しましたね」
「そうだな。配分を考えられればこのまま行けそうだけど」
凪と翠は、レースの様子を見守る。
曲がり角は、二つ。会場の約半周と半分ぐらいの距離を走る。距離としては大したことはないが、それ故にどの瞬間に全力を出すかが問題になってくる。あっという間に思えるほどに走っている者には短い距離だ。
(このままたんぽぽが頂いちゃうよ)
後方の様子は見えないが、最初の曲がり角を内側に設けられた柵に沿うように走らせる。できる限り走る距離を短くする作戦だ。
(さすがは、馬の名を持つ一族だな)
たんぽぽに続いて白蓮が曲がり角に入る。こちらは、少し外側に浮く形になるが敢えてそうしているようだ。柵に沿うように走れば確かに距離は短くなるが僅かばかり負担が多く掛かる。
(腕で勝負は分が悪いか)
たんぽぽと白蓮の乗馬の腕は知っている。今は、絶追に負担をあまり掛けずに最後の直線で勝負に出る。
「どうやらこのまま行きそうですね」
「んー、身内としてはたんぽぽに勝ってほしいけど、勝って調子に乗られるのは嫌なんだよなー」
「可愛らしいではないですか」
「確かに可愛いんだけど何かありそうで嫌なんだよ」
そんな翠の心配をよそに順位は変わらないまま最後の曲がり角に差し掛かる。
(そろそろ行くか)
白蓮は、たんぽぽの後方に付いて行く形で様子を見ていたが先に勝負を仕掛けることにした。
(――来たっ)
外側から追い抜きに来た白蓮の姿が横目で見える。
(白蓮が強いのなんて知ってるよ。でも、今回は絶対にたんぽぽが勝つ)
たんぽぽが抜かれまいと速度を上げていく。
「白蓮様にたんぽぽが対抗していますね」
「距離の目測を間違っていなければ……いや、土地の利がある白蓮の方が……」
速度を上げたたんぽぽと白蓮は、たんぽぽ優勢のまま――否、白蓮がたんぽぽに並び、半馬身差ではあるが前に出る。
「オーナー……」
凪は、二人から離れて走る御主の方を見る。速度を上げた二人に比べ、まだ御主は変わらずに走っている。
(絶追……行けそうか?)
乗馬の腕もそうだが、二人よりも御主の方が体重は重い。その為、限界まで負担を抑えてきた。
(――そうか、行けるか)
手綱から確かに伝わる。今すぐにでも走りたいと言う声が。
(行くぞ、絶追)
後は何も考えない。全てを絶追に任せ、信じるのみ。
「き、来ましたっ! オーナーが追い込みに来ましたよ!」
「距離が短い。追い越せるか……」
絶追の追い込みはまるで今までの鬱憤を晴らすかのように一気に加速する。それは、先を行く二人に追いつく程に速い。
「オーナー!」
凪は、追い風になれるよう願いを込め声援を送る。
「……ダメだ」
しかし、凪の声援は届かない。
「一着、公孫伯珪! 二着、馬岱! 三着、御主人!」
順位は、倍率の通りとなった。
御主の追い込みは確かに凄かったが距離が足りず、二着であったたんぽぽに並ぶまでが限界だった。白蓮は、最後まで速度を上げ続け最後は差をつけての勝利となった。