久しぶりの再会を祝う酒宴もここまでとしよう。さすがに凪をこのままにしてはおけない。凪の事は沙和に任せ、二人の代わりに恋と霞と共に月と詠を後宮まで送る事にする。二人の屋敷も街にはあるのだが皇帝の警護も兼ねているらしい。ついでに言えば、沙和制作の本も持っていかれるのだがこれに関しては秘密にしてある。献帝が自分の書いた本を読んでいるなんて知ったら制作に響く可能性があるからだ。
「霞、次からはほどほどにしろよ。凪は、武人としての霞が好きなんだからな? このままだと……嫌われはしないだろうけど軽蔑されるぞ?」
「しゃーないやろ、御主とも久しぶりやったけど凪ともなんやから。ウチかて寂しかったんや、恋ならウチの気持ちを分かってくれるやろ?」
霞の言葉に恋は頷く。
「そうは言われてもな……」
今は、後宮からの帰りの道中。霞の提案で恋の屋敷で飲み直す事になったのだが――
「もうそこまで時は来ている。今までもあれこれとやってはきたが上手く行くとは限らない以上できる限りの手は打っておきたい。今の段階ですら結局のところ戦は起こるんだから」
そう、戦が起こる。反董卓の下、大陸中から諸勢力が集まり此処洛陽を目指すことになる。
「俺は、できれば恋にも霞にも死んでほしくない。戦が始まれば本当にどうなるか分からないんだ。俺の気持ちは分かるだろ?」
いくら策を巡らしたところで戦という大きな流れを操りきる事などできない。それこそ大陸の時代の分岐点ともなるものならば尚更だろう。
「そりゃ、ウチや恋だって死にたくはない。別に戦って死ぬのは武人としての本望やからええけど……できる事なら今日みたいな日々を過ごしたい……この場所が嫌いやないからな」
少し前、と言っても実際はかなり前なのだろう。行商をしている中、恋と霞は各地の野盗どもを討って回った。それが大将軍である何進の耳に入り洛陽入り、その後はあっという間に何進の重鎮にまで上り詰めた。それに比べ、こちらは一介の商人。確かに店の方は軌道に乗ってはいたが二人に比べると本当に大した事はなかった。もし二人の口添えで洛陽に来られなかったら今もまだ行商とは言わないにしろ、何処かで小さな店でも開いていた事だろう。あれからあっという間に時は流れたが今も尚、こうして三人で居る時がある。立場や環境は変わったが、人となりは変わっていない。あの頃のままだ。
そんな昔の事を各々思い出していたのだろう。言葉を口にする事もなく恋の屋敷へと着いた。セキトたちが出迎えてくれて、セキトたちの分と共に酒の肴を三人で用意する。場所は、屋敷中の動物たちが庭で好き勝手しているのが見える縁側。夜空には、欠けた月がある。
「再開を祝して」
御主を真ん中にして、三人は杯を交わす。三人の生まれ故郷の酒、もしかしたら御主だけは産まれが違うかもしれない、それでも大陸の中では一番馴染む気がする酒を飲む。
「今度は、敵同士なんやな。恋は、ちゃんと戦えるか?」
「戦える。御主にいもそれを望んでるから」
「敵同士にはなるけど恋とは戦わないよ? 最初の打ち合いで負けるの分かってるし」
子供の頃の話。近所に住んでいた人に恋と共に武術を習った。治安の悪い世の中なので護身として学んだのだが共に学んだ相手は、天が選んだ無双の武人。敵う訳もなく、地面に転がるか気絶するかの毎日だった。
「でも、御主にいは馬術は得意」
「大陸基準ならそうだけど、并州だと裸馬に乗れて一人前だからな」
「せやな。鞍を付けんと乗れて一人前。并州の人間やったら赤子でも普通や」
「赤子でも普通とか言うなよ、俺の唯一の自慢なんだから」
馬上でならその辺の奴に負ける気はしない。涼州や幽州で良馬の生産をしているので自前の馬も上等なものに乗っている。
「御主には他にも自慢のもんがあるやろ、なぁ、恋?」
そこですぐに恋は頷かない。もしかしてないのか? いや、一つぐらいは……あってほしい。
「いや、一つぐらいはあるだろ?」
思わず口から出た御主の言葉に恋の視線が泳ぐ。珍しい。あの天下に名高き飛翔軍が動揺している。
「なぁ、御主……」
ふと、肩に重みを感じる。温かさと共に。
「寂しかったんやで……」
霞の顔が、見上げる形でそこにある。
「酔ったのか?」
「そんなわけあるかい……ウチだけやない、恋だって寂しかったんやからな」
今度は、反対側でも重みを感じる。
「御主にい……」
恋の身体が、御主の腕に絡まる。
「これじゃあ、酒は飲めないな」
右を霞に、左を恋に。今日はもう飲む事はできないだろう。
「なぁ、御主」
「なんだ?」
「疲れてないか? 今日、洛陽に帰ってきたばかりやろ?」
洛陽に凪と沙和たちと戻って来たのが昼頃。確かにまともに休んではいないが旅慣れているので特には疲れていない。
「いや、言うほど疲れてないぞ?」
「そっか……じゃあ、かまへんな」
そう聞こえたと思えば。
「久しぶりの御主やー♪」
霞に上に乗られる形で押し倒される。まるで動物のように御主の胸に顔を擦りつけてくる。
「恋も……」
少し遅れて恋も霞に続く。こっちは、腕に絡みつく形のままだが先ほどよりも力が込められている。
「……マジでか?」
「ええやん、久しぶりなんやから。それとも嫌か?」
「そうじゃないけどさ、凪の事をほっとくと後々面倒な気が」
「なに、明日改めてウチが詫び入れとくから……今は、ウチと恋の相手をせんとダメやで?」
一見すると平気そうに見えるが、霞の顔が紅潮しているのが分かる。凪の時とナニが違うのか分からないが。
「恋はいいのか?」
御主の言葉に恋は頷く。それからは、御主に身を任せるようにして静かにその時を待つ。
久しぶりに再会した三人の夜はこれからまだまだ続く。
♢♢♢♢♢♢
「ごめんよ、凪」
「知りません」
恋と霞との一夜を終えた御主は、床に正座をしながら凪に謝っていた。
「オーナー、そこは身を挺してでも凪ちゃんを守るべきだったの!」
無視をしながら作業を行う凪の代わりに沙和が御主に怒る。沙和は、凪とは御主と出会うから前からの付き合いだ。真桜を加えて、とある村で戦争孤児の子供たちと暮らしていた時からの。
「いや、無理だって。霞は、酔うと暴走するのは知ってるだろ? 下手に止めると他にも被害が及ぶかもしれないからな?」
恋はあまり気にしないが、月や詠に飛び火したらどうなるか分からない。中途半端なおあずけが霞にとってはよくないのはこの場に居る者なら付き合いの長さから知っている事だ。確かに、乱れる凪を見たかったのはあるけど。
「知ってるの! でも、問題はそれだけじゃないの!」
沙和の言葉に合せるように、それまで無視をしながら作業に没頭していた凪から視線が来る。まるで、憎むべき敵にでも対峙した時のようだ。
「凪ちゃんはね、自分を助けないで見捨てたオーナーに怒ってるんじゃないの! 自分を置いて、霞さんや恋ちゃんと一緒に過ごしたことに怒ってんだからね!」
「……そうなのか?」
凪の方を見る。
「――ち、違います……確かにその……私も、たまにはしてほしいですが……」
凪の顔が赤面し、しどろもどろになる。最後の方なんて何を言っているのか聞こえない。
「とーにーかーくー、少しは反省するの、分かった?」
親友の事だからか、沙和が本気で怒っているのが分かる。今はただ平謝りする。
「すまない、凪。今度から気をつけるよ」
「……分かってくれればいいんです」
「ありがとう、凪!」
許しを得るとすぐに立ち上がり、凪の手をとる。
「凪なら許してくれると思ってた!」
今度は、言葉と共に抱きつきに入る。なんだかんだで、凪はそれを受け入れてくれる。
「ナーギー、そんな優しい凪が好きだよ! 今日は、洛陽中の店を回ろう!」
「オ、オーナー……その……」
「もう、凪ちゃんばっかりズルいの! 沙和も混ぜてー!」
そんな感じの朝を迎えたのだが今は何とも言えない気分になっている。
凪と仲直りをし、業務を開始したのだがその中にお得意様への商品の納入があった。お得意様なので自ら出向くことにしたのだがその帰りに見知った顔を街中で見つける。大陸中を渡り歩いていた為に顔見知りは多く居る。世の中には似ている顔が三人は居るらしく間違える事もある。だが、今回ばかりは絶対に間違いない。一人はともかく、他の二人を見間違えるはずもない。
「久しぶりだな、華佗!」
名を華佗。大陸中を医者として回る大陸一の名医だ。彼は、漢方などにも精通しているのだがそれ以上に鍼の名手である。この世には、気と呼ばれる物がありそれを身体にあるツボに刺した鍼を通して患者に流し治療する。その腕は、難病、奇病もたちまち治してしまうほどである。他にも外科手術などと呼ばれるものなどにも精通しており、華佗に治せないのならば誰にも治す事はできないと称される程である。
「おー、御主か! 奇遇だなこんな所で!」
お互い大陸中を移動する生活をしているのでこうして会う事は珍しい。
「洛陽に用があって来てたんだよ、そっちは?」
「こっちは、冀州に用があってな」
「冀州に?」
「あぁ、実はな……」
華佗は、御主の耳元に近づく。こちらもそれを向かえるようにする。
「前に話していた太平要術の書のある場所が分かったんだ」
太平要術の書。世に災いをもたらすと言われている禁書である。詳しくは秘密らしいので教えてもらっていないが、華佗が所属する道教の教団五斗米道が代々封印してきた物との事だ。
「そうか、それはよかったな」
「あぁ、これで俺も本来の医者としての役目に戻れる」
「でも、何処にあったんだ? 華佗に頼まれたからこっちでも探してみたけど冀州にあるなんて話は聞かなかったぞ?」
「それが、黄巾党の教祖張角が所有しているらしい。御主、何か情報を持っていないか?」
既に大陸中に張角に関する情報は流れ始めている。特に隠す必要もない。華佗に知っている張角に関する情報を教える。
「……なるほど、複数居るかもしれないのか」
「おおよその場所は分かっているんだけどね、一応こっちの方でも張角の持ち物に本がないか調べるように各所に連絡を入れておくよ」
「すまない、助かる」
「いいよ、華佗には多くの人が世話になってるからね。できる限りの協力はする。ウチの店なら好きなように使ってくれて構わないから」
華佗は、無償で治療を行う事がある。困っているのなら助けるのが彼の信条だからだ。しかし、その為に金銭が足りなくなることがある。多くの場合は、華佗への恩や今後を考えて先に恩を売っておくなどされて問題がないのだが、たまに無一文で過ごす時がある。
「あははっ、助かるよ。だが今は大丈夫。この前、豪族の家の者を診たんだが報酬にといろいろと貰えたからな」
「そうか」
久しぶりの友人との会話は良いものだ。幻聴さえ聞こえなければ。
「ふふふっ、見てみろ貂蝉。ワシらの美しさがあまりにも眩し過ぎて見えてはおらんようだぞ」
「もぉー、御主人さ――じゃなかった、御主は仕方がないわねぇー。でも、久しぶりに会えて貂蝉ちゃんは嬉しくて体中から湧き上がるこのち! か! ら! ぶるあああっ!」
話し掛けようか、無視をしようか悩む。洛陽には知人が大勢居る。別に嫌いという訳ではない。別に知られたから困るという訳ではない。ただ――
「えっ!? なにあの格好っ!?」
「ねぇーママー。なんであの人下着姿でお外に居るの?」
「見ちゃダメ! 早く行くわよ!」
周囲から聞こえる声。なにを隠そう、いや隠れてはいないんだけど二人の服装は独毒なのだ。貂蝉は、ピンクのビキニパンツと呼ばれる物だけの姿。貂蝉の知人である卑弥呼は、それに少し布面積が増えたぐらいの格好をしている。初見の人なら逃げるか妖の類だと思って臨戦態勢をとるのが普通だ。
「……久しぶりだね、貂蝉、卑弥呼」
「お久ぶーり、貂蝉ちゃんは元気だったわーよ」
「うむ。ワシも元気だったぞ」
だろうな、とは思う。病気で弱っているところなんて想像もしたくない。
「貂蝉と卑弥呼が居れば道中も大丈夫だろう。俺も近々平原の方に行く事になるから気が向いたら寄ってくれ」
「分かった。御主も元気でな!」
そう言うと、華佗は二人を連れて街の中へと消えていく。華佗だけならもう少し話もしたんだけど。
「あっ……貂蝉に訊くのを忘れてた」
今度会ったらもう一度産まれの事に関して訊いてみようと思っていたのだが、急ぎではないのでいいか。追う気もないし。
「しかし、太平要術の書を張角が持っているとは」
世に災いをもたらすと言われる物を、実際に世を乱した者が持っていた。
「早馬で各地に知らせないとな」
そんな危険な物を見捨てておくわけにもいかない。ただ、そのまま伝えるのはやめておこう。もしかしたらよからぬ事を考える者が居るのかもしれないのだから。