オリョール海を哨戒中。イムヤは沈没した潜水艦を見つけた。
 イムヤはその潜水艦を写真に収めるが、それをゴーヤやしおいに見せても名前が分からない正体不明の潜水艦だった。ハチの話を聞き、「もしや宝船かも」とイムヤ・ゴーヤ・ローの3人は潜水艦内の探索に出かける。
 しかし、出てきたのはお宝ではなく幽霊少女。
 どうやら彼女には、生前の記憶がほとんど無いようで・・・。
 潜水艦娘たちが一夏の不思議を経験する、そんなお話。

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ニコニコ動画に投稿した動画の小説版です。お暇なときにどうぞ。


【艦これ】サブマリンズ・サマー

 南西諸島、オリョール近海。その東部を哨戒中、沈没した潜水艦を発見した。

 海中に無機質にある岸壁に横たわり、その岩の一部と言われても違和感はない。

 潜水艦の外殻が茶色く錆びており、長い間海中にあったことが分かる。その付近を、背泳ぎで通った一人の少女がいた。

 少女は潜水艦を見つけ顔をしかめた後、艦首から損害状況を確認することにした。

 外殻前部。フラッド・ポート。潜舵、縦舵、横舵。後部スクリュー。

 一通り流し見た後、少女は再び潜水艦のお腹まで戻った。

 外殻全体にナイフで切られたような無数の切り傷が見られたが、これは沈むときに岩にぶつかったからだろう。

 それよりも目を惹く傷。目をしかめたくなるような傷が船底にあった。いや、その傷は艦内部を通って甲板まで伸びている。

 ひとで言うなら、おへその辺り。そこに、船底から甲板まで、何かが貫いたような大穴が開いていた。外殻と内殻を貫いており、バラストタンク内が丸見えだった。

 沈没の原因はこれか。何かが潜水艦の機関部を直撃したのだ。しかし、その何かは潜水艦付近には見当たらない。

 相当な被害だったと想像された。亡くなった方もいるだろうが、脱出チャンバーが使われた跡が残っていたため、助かった乗組員もいるようだった。

 少女は潜水艦から距離を取り、深くため息をつく。

「まさか、こんなところで沈んだ艦を見るなんてね」

 それも、『私たち』と同種の艦船ときたものだ。思うところもある。

 ため息は水中で大きな気泡となり、ぶくぶくと上昇していく。上昇する途中で少女の赤髪を揺らした。

 ふと思い至り、背中の艤装兼バッグからスマフォを取り出してカメラアプリを起動した。潜水艦娘用に特注した完全防水だ。海水程度じゃビクともしない。

 フォーカスを潜水艦に当て、スマフォを持つ手を固定する。

「一応、提督への報告用に撮らせてもらうわ。失礼するわね」

 少女は潜水艦に一言掛けてからシャッターを切る。「かしゃ」という音とともに、アルバムファイルに画像が保存された。カメラ写りを確認してスマフォをしまう。

 本来なら内部の状況も確認しておきたかったが、哨戒中にそんなことをしていては帰りがいつになるか分からない。内部調査はまた後日にしようと決め、少女は哨戒ルートに戻る。

 しかし彼女は踵を返し、再び潜水艦まで戻ってきた。海底に鎮座する潜水艦を見つめ、何か解ったのか、はっとした顔をする。

「この子、名前が分からない」

 そうだ、艦名が分からないのだ。もう一度潜水艦に近づく。

 艦番号が無い――というより、砕けてなくなっている。

 潜水艦には必ず、セイル部分に艦番号が書いてある。しかし、この艦のセイルは根元でポッキリ折れているように無かった。

 いや、別に艦番号がなくとも名前は分かるはず。58や19のことが分かったように。

 アレコレ考えていると背中のスマホから「ピピピッ」という音がなった。14:00を知らせるアラーム音だ。

 少女は一旦考えを保留にし、急いで哨戒ルートに戻った。

 ここで、遅ればせながら少女の名前を明かそう。

 彼女はイムヤ。伊号第168潜水艦娘。その数字をもじり、イムヤという。

 

 

 普通の人間が海中で背泳ぎをすれば鼻が痛くて仕方ないはずだ。しかしそれは、潜水艦娘には関係ないことだった。

 酸素ボンベがなくとも、海中を長時間、自由自在に動ける。もちろん、速度は普通の艦娘より遅い。提督指定の水着を着ているときのみ、という制限もある。

 数時間に一度は、顔だけでも海面へ出さないといけない、という制限もある。

 しかし、潜水艦の隠密性は味方にとって頼もしい力であり、敵にとっては脅威だ。それは艦娘になった今でも、無機質な金属だった昔も変わってない。

 そして、潜水艦の弱さも変わってない。装甲の弱さ。水中聴音機で敵に見つかれば完全に無防備なこと。少しの衝撃が死につながる。

 艦娘は過去の大戦で沈んだ艦船の魂だ――そんな考えがあるらしい。その魂は女の子の姿で現世に現れた、過去の大戦と同じ運命を辿っている、とも。

 同じ運命。つまり、再び暗い海の底に消えていく、ということ。沈むのが鉄か人肌かの違いだけ。沈んでしまえば、有機物も無機物も同じ。海の藻屑となるだけだ。

 イムヤは目をつむり、先ほど見た潜水艦を瞼の裏に描く。広大過ぎる海の中に、ポツンと取り残されてしまったように座っていた。

 私たちも沈んだら……あんな風に。

 まぶたの裏に、泡を立てながら沈んでいく自分の姿が映った。淡く光る海上どんどん遠くなり、視界が暗くなっていく。いつしか海底に背を付ける。その姿を思う人は誰もいない。沈んだことにも気づかれない。誰からも忘れられて、一人ぼっち。

 これ以上はいけない。ブルブルと首を振り、悪い考えを振り払う。

 今は哨戒中だ。何時深海棲艦が現れてもおかしくないのだ。余計なことに囚われていてはいけない。

 心に喝を入れて、警戒を厳に。

 弱い心を鼓舞するように、水を押す力を強くした。

 

 ***

 

 鎮守府。艦娘の活動拠点である。夜には仲間と枕を共にし、共に提督の指揮を受け出撃する。また夜になれば布団にもぐる。鎮守府内には酒保と呼ばれる売店や、何人同時に入浴できるか分からない広さの大浴場もあった。

 イムヤが帰投したのは午後6時過ぎ。空を仰ぐと、鮮やかな茜色から静かな藍色に変わりかけていた。

 他の艦娘も出撃から帰ってきているようで、広い鎮守府には姦しい声が響いていた。

 濡れる身体をそのままに、イムヤは艦隊司令部へと向かった。

 身体が濡れているのに、布で拭かなくていいのかと思われるだろう。だが、彼女の着用している水着は提督がさるメーカーに特注で作らせたスクール水着だ。身体を拭かなくても乾燥させられるような機能が備わっている。そう、あの紺色の薄い水着に。

 司令部にある提督室にて哨戒報告と、同中に発見した潜水艦の説明を済ませた彼女は足早に食堂へ向かう。

 今日は弁当を忘れたおかげで昼食なしだったのだ。報告中にお腹が鳴ったときの提督の顔を今すぐ忘れたい。

 木製の扉を開けると、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。食堂の席は大半が埋まっており、イムヤは空席を探した。

 首を振りながら進んでいると、

「あ~う~」

 見知った女の子が机に突っ伏しているのを見つけた。

「ゴーヤ。何してるの?」

「見て分からないでち? 机に伏さってるんだよ」

 ゴーヤと呼ばれた少女は目をつむったまま顔を上げた。背中を曲げ、「ふぅ」と息を吐く。

 彼女もイムヤと同じ水着を着ている。つまり、同業者だ。伊58潜水艦、58をもじって『ゴーヤ』だ。

 イムヤはゴーヤの正面に座り、スマホを手にする。

「食事するときくらい置いておくでちよ」

「まだ食事する前よ。いい加減、このゲームのイベント進めておかないと遅れちゃうし」

 そう言ってスマホの液晶を横にし、画面に現れる敵をバッタバッタとなぎ倒していく。巷で流行りのオンラインゲームだ。

 課金総額は、聞かない方が良いだろう。

 キャラクターを操作しながら、イムヤは尋ねた。

「机に伏さるほど疲れた?」

「今日は特にね。ちょっと良くわからないことがあって」

「良くわからないって。ユーちゃんと一緒にいて疲れることとかある?」

 このユー、というのもまた、彼女たちと同じ潜水艦娘だ。ユーは海外、ドイツから日本に派遣された。日本の潜水艦娘は少なく、急遽ドイツから送られてきたのがこの子だった。

 しかし、このユーという少女。人見知りが激しく口数が少ない。もちろん日本語も分からない。寡黙なのではなく、完全なる静寂だった。そんな状態で艦隊運動が出来るはずがない。

 そこで、まずは日本に慣れさせることになり、彼女と一緒に行動する艦娘が必要と提案があった。その役目を担ったのが、このゴーヤというわけだ。

 彼女の尽力の甲斐あってか、ユーはたどたどしくも日本語を話せるようになり、日本にも慣れていった。

「今日ね、ユーの改装があったでち」

「へ~。出撃回数も増えてきたしね。十分改装できる段階にいても、おかしくないわ」

 改装とは、艦隊運動や敵艦隊との戦闘をこなし、十分な練度を持つ艦娘の強化をすることだ。行われるのは主に肉体と艤装の強化。強化された艦娘の中には、身長ガンおびたり胸が大きくなったりと、特徴的な変化をする娘もいる。それでも大半の子は改装する前と何も変わらない。何とな~く力こぶが大きくなった気がする、何とな~く早く走れるようになった気がする。その程度の変化である。

 その改装が、本日ユーに施されたそうだ。それは喜ぶべきことであり、何も机に突っ伏して疲れるような事態ではない。

「嬉しいことじゃないの。何で疲れるのよ」とイムヤは頬杖をつく。

「アレを見て、同じことが言えるでち?」

 ゴーヤがすっと厨房の方を指差す。厨房は扉で仕切られており、その先は見えない。何を見ればいいのかとゴーヤに聞こうとしたが、それは扉を荒っぽく開ける音でさえぎられた。

 どうしたどうした、と他の艦娘も開け放たれた厨房の扉の方を向く。

 そこには、柔肌をこんがり綺麗に日焼けした女の子が仁王立ちしていた。

 女の子はゴーヤを見つけると、満面の笑みで駆け寄ってきた。

「でっち! ご飯持ってきたよー!」

「ロー、走ったら危ないでち! 周りの迷惑になるよ!」

「ごめんなさーい!」

 反省してるのかしていないのか、その声は明るかった。ローは料理の乗せられたトレーをゴーヤの前に差し出す。

「ゴーヤ」とイムヤがゴーヤを呼ぶ。

「何でちか?」

「この子、誰?」

 見たことのない子だった。ローはスクール水着を着ているため、潜水艦娘だということは分かるが。

 そういえば、いつもそばにいるユーがいない。

 ある想像が浮かび上がってくる。

 イムヤはローを見やり、

「ユーちゃん?」

「はい! ユーちゃ……じゃなかった! 違う違う!」

 ローが首を振るたび、白い髪の毛が揺れる。「こほん」と一つ咳払いをして、敬礼。

「ローちゃんです!」

 格好つけているつもりなのか目元をきりっとさせているが、幼い子がヒーローのマネをしているような微笑ましさがあった。可愛い。

「どういうこと?」

「改装したらこうなった、としか……」

 日本に慣れたせいかなぁ。

 確かに改装で性格が変わるとは聞いたことがあるけど、ここまで変わるなんて。

 もしかして変なもの食べた?

 改装中にペンチが頭に当たったとかないでちよね?

 ゴーヤは原因をブツブツと考えている。その間にローは、厨房から続々と料理を運んでいた。

「はい、召し上がれ!」

 気づけばテーブルの上はトレーで埋め尽くされており、ゴーヤが目を開けると驚きで肩を跳ねさせた。

「ちょっと、多いよコレ! 食べきれないよ!」

「え……食べてくれないの?」 

 ゴーヤの抗議を聞いて、ローはじわりと眼を濡らす。その破壊力たるや。

 どういう訳か「食べないといけない」という責任感に駆られる。

「イ、イムヤ」

 ゴーヤは助けを求めようとイムヤを見る。

「ごめん、今いいところだから」

 が、ゲームが佳境に入っているようで、助けになりそうになかった。

 ゴーヤは無言で両手を合わせた。

 

 ***

 

 時と場所は移って、夜の艦娘寮。

 その一室、イムヤ・ゴーヤの部屋に潜水艦娘が集まった。

 別に何か会議をするわけでも、乙女的な甘いトークをするわけでもない。ただ何となく、友達の部屋に上がり込んでいるだけだ。みなさんも経験あるはず。友人の部屋にずけずけと上がり込み、勝手に台所を借りて鍋を作ったことが。

 彼女たちも鍋をするのか、そういうわけではない。勝手に食材を持ち出せば『銀蝿』というレッテルを張られるし、そもそも夏に鍋など暑くてしかたない。

 何もしないが夜に集まるのが、半ば習慣となっているのだ。

「あれ、イクは?」

 そう訊くのは伊401、シオイだ。それに伊8、ハチが答える。

「提督を探しに行くからパスだって」

「あの子はまた……諦めないね」

「無理だよ、決めたら何があっても曲がらないから」

「だよね。提督もマッサージくらい、やってもらえばいいのに」

 シオイは畳の上に寝転がり、ハチは本に目を落している。

 窓際で座るイムヤはスマフォをいじり、ゴーヤはちゃぶ台にうつ伏せて、パンパンに膨れたお腹をさすりながらローの相手をしている。

 あぁ、素晴らしき日常。深海棲艦との戦いの最中だということを知らねば、これほど気の緩んだ空間はないだろう。

「ねぇ、シオイ。これ見て」

 イムヤはスマフォをシオイに手渡す。

 画面には、昼間の海で見つけた潜水艦だ。

「どしたの、これ」

「哨戒中に見つけたの」

「わぁ、錆び錆び。結構時間が経ってるね。ありゃ、艦番号がないよ?」

「番号のところだけ欠けちゃってて」

 艦娘にも名前が分からない不明な潜水艦。

「サルベージして調べればどう?」

 ローが提案するが、

「それをするには、人員もお金も必要でち。今の海には深海棲艦がいるし、引き上げるには危険すぎるよ。当分の間は無理でち」

 と、ゴーヤはお腹をさすりながら言う。

 つまり、これ以上、この潜水艦について考えることはできないのだ。それでも、潜水艦の場所は分かっている。地震などで位置がずれるかもしれないが、数十キロも離れることはないだろう。

 後の処理は提督に任せよう、ということで落ち着いた。

「それよりも、明日の哨戒がおっくうでち」

「え~。でっちと一緒にオリョクル、楽しいよ?」

「アレが楽しいなんて、初めて聞いた」

 シオイが渋い顔をする。

 潜水艦娘は有能なだけに、他の艦娘より駆り出される機会が多かった。艤装の燃費の良さ、敵に発見される危険が少ない隠密性。哨戒役にはうってつけだ。

 その分、休暇が少ないのが大きい欠点だった。軍関係で休暇が少ないのは当然と言えば当然なのだろうが。

 明日に憂う潜水艦娘たちに、どうかまとまった休日を願うばかりである。

「あ、そういえば」

 ハチが思いついたように本から目を上げた。「さっきの潜水艦の話なんだけどね」と前置きする。

「戦後になって、ある潜水艦が作られたの。その潜水艦は、海外の船団と一緒に任務に就いてたの。だけど海外からの帰還途中、その潜水艦だけはぐれて、消息を断っちゃったんだって」

 電探の不調かなにかで通信もできなかったみたい、とハチは付け足す。

 それはなんとも寂しい話だ。

 海中で行動する分、連絡手段が断たれてしまえば完全な孤独だ。

「え~。はぐれたら駄目、ですって」

「他の国に寄港してるっていう情報もないから、たぶん沈んじゃったんじゃないかって噂されたみたい」

 あくまで『噂』らしい。

 ハチも「出所が不確かな本だったから怪しいけど」と言い添える。

 しかし、思い出したという割にはそれほど盛り上がるような内容ではなかった。「だからなんだ」という空気が流れる。

「ただ、その沈んだ船に載せられてたものが――」

 次に出てくるハチの言葉が、その空気を壊した。

「海外でも相当値打ちのある宝物なんだって」

 ゴーヤの肩がぴくりと揺れる。

「任務っていうのは、輸送任務。海上で輸送すると海賊に襲われる可能性もあったから、隠密性のある潜水艦に積もうって話になったの。そんなに大きなものじゃないし、十分スペースはあったからって」

 そこまでハチが行ったところで、「ひゃう」と小さな悲鳴が上がった。

 見ると、ゴーヤが畳の上に立ち上がっていた。

 悲鳴の主はローで、コアラのようにゴーヤに抱きついていた手が離れてしまったようだ。

「でっち、どうしたの?」

 ローはお尻を擦りながらゴーヤを見上げる。

「明日の南西諸島の哨戒、イムヤも同行するでち」

「え? 何で?」

 潜水艦の南西諸島哨戒は基本的には2~3人ペアで出撃することが多い。

 今日はたまたま出撃できるのがイムヤしかいなかったため、ひとりで出撃していた。

 明日はゴーヤとローの番だが、それについて来いと言うのだ。

「その船の場所を知ってるのはイムヤだけでち。イムヤがいないと話にならないでち」

「待って、もしかして船を調べる気?」

 そうだと言わんばかりに、ゴーヤは息を荒くした。

「もし本当にお宝が見つかったら、ゴーヤたちは大手柄! 日々の重労働から解放されるに違いないでち!」

 まぁ、ゴーヤの気持ちは分からなくもない……。

 潜水艦娘は他の艦娘と違い、燃料や弾薬などのコストを掛けずに出撃することが出来る。 

 南西諸島には資源を貯蔵している場所があり、そこへ立ち寄り燃料等を持ちかえれば、資源がプラスで返ってくる。

 そういった面もあり、潜水艦娘は出撃回数が非常に多かった。

 ローテーションを組んでも休日と呼べる休日は数えるほどしかなかった。

「なんか気が引けるんだけど……」

 世界には沈没した船をお墓と見立てるところもあれば、神聖な場所と見るところもある。

 そういった解釈からすると、墓荒らしのようで気が引けたのだが。

「それだけのお金があれば、課金ガチャ回し放題になる可能性も―」

「明日の哨戒、あたしも行くことにしたからよろしく」

 やはり私たち潜水艦娘には、その宝がどうしても必要だと気づいた。

 イムヤとゴーヤが固い握手を交わす。そこに「少年漫画みたい!」とローも混じって手を添える。

 明日の哨戒は、急遽作られた「お宝探し隊」によって行われることになった。

 盛り上がる3人を眺めていたしおいが「罰が当たるよー」と言ったが、熱く燃える3人の耳には入らなかったようである。

 

 ***

 

 夜が明けて次の日。

 探索時間と帰りのことも考えて、日が昇る前に出発することになった。提督には「潜水艦の調査」と説明している。

 2日連続で早起きしたイムヤはゴーヤに引きずられるように海へ潜った。

 途中にある島で一休みするころには太陽は顔をだして、雲一つない空が露わになる。

 午後から曇るとのことだったが、そんなことを感じさせないくらいに快晴だった。

「あたし、夜行性だから朝日は嫌いなの」

 イムヤは日の光から逃げるようにゴーヤの後ろに隠れる。

 もぞもぞと動く様子がおかしかったのか、ローがケラケラと笑う。

 一息ついたのち再び航行に戻り、3人は昼前に沈没船前に到着した。

「本当にあったんでちね」

「なんだか、キレー」

 水底といっても、それほど深いところにあるわけではない。 

 海水がゆらゆらと揺れるたびに光の柱がカーテンのように揺れる。

 潜水艦の周りには幻想的な雰囲気が漂っていた。

 光のカーテンと沈没船が、ひとつの作品だと言われてもなんら不思議はない。映画のワンシーンのようだ。

 しかし、今日は鑑賞に来たわけではない。

「入り口を探そう」

 イムヤの合図で、3人は船の周囲を泳いで回る。

 昨日も見たように、船体には小さな穴や擦り傷が多い。そして、お腹には巨大な穴。

 そこから入るのは流石に躊躇われ、セイルの上から入艦することにした。

 怪我をしないように注意して、イムヤたちは船内へと足を踏み入れる。

 入った先は、おそらく士官室。狭い室内には広めのテーブルが置かれている。この上に海図や計画書を広げ、幹部たちが航路・作戦の会議をしていたはずだ。

 ベッドの上に荷物らしきものは見当たらない。床に衣服が散らばっているが、貴重品の類はない。

「脱出チャンバーが開いてたから、必要なものは持って逃げたのかも」

 イムヤはベッドを隅々まで覗く――この行動、本当に墓荒らしみたいで嫌だな。

 士官室を見終え、下へ続くハッチを通ると、縦長のテーブルが並べられた区画に出た。

 ゴーヤが欠けた食器を見つける。食堂だ。

 艦首‐艦尾方向にはハッチがあり、両隣にまた区画がある。

「どっちに行く?」とイムヤが聞く前に、ローが扉を開けていた。

 開けた先は機関室らしい。中に入ると、上に大きな穴が開いており、海面を望むことが出来た。見ると下にも穴が開いている。

「被害を受けたのは、この区画だね」

「そうでちね。ディーゼルエンジンが破壊されてる。穴が開いたときにバラストタンクも使い物にならないから浮力も動力も維持できない。沈むしかなかったんでち」

 左右に整然と並べられていたであろうエンジンは、3機ほどしか残っていなかった。破壊されたエンジンの破片が、部屋の端に溜まっていた。

 残ったディーゼルエンジンの間から、ひょこっと小魚が顔を出す。

 人間の手が加わらないここは、水生生物の棲み処に適任だったようだ。

 ローは素手で捕まえようと近づくが、するりと逃げられてしまう。逃げられる度に「がるる~」と唸る。

 その姿が可愛らしく、イムヤは取り出したスマホのカメラを起動する。

 シャッター音に驚いた何匹かが影に隠れてしまった。

「もー! イムヤのばかっ」

「ごめんごめん」

 片手で謝り、カメラのフラッシュを切った。 

 

 潜水艦内は基本的に5つの「区画」に分かれている。

 各区画は防水扉で繋がっており、万一艦に浸水してもこの防水扉を閉じることで、その被害を最小限に抑えられるようになっていた。

 潜水艦は海の忍者だ。水のベールに包まれることで、こっそりと敵に近づく。そして、確実にしとめる。

 火力でも、速力でも劣る潜水艦の強さはその隠密性だった。

 しかし、ひとたび被害を受ければ、誰にも知られることなく海の底へ消えていく。

 イムヤは機械室の方を見やる。

 3人が入ってきた穴。外殻と内殻を貫くほどの何かがあったのだ。

「あ、開いたよー」

 ローは隣の区画への扉を開け、先へ進もうとしている。

「その扉、結構固いんだよ? どこにそんな力があるの」とイムヤ。

「改装されたからかな? わかんない」

 進んだ先の部屋には、3段ベッドが通路の左右にあった。

 ベッドの上と下の間はかなり狭く、起きようと思ったら転がり出るしかなさそうである。

「ここは居住区ね」

 船員が寝たり、荷物を置いたりするところだ。

 両脇に注意しながら奥へ進む。これといって目ぼしいものは見当たらない。

 ここにもお宝はない。誰のものかは知る由もないが、床にカメラが転がっているだけだ。

「この潜水艦にお宝はない気がする」

 イムヤがぼそりと呟く。

 勢いで飛び出したが、この潜水艦に宝物と呼べるものは無い気がしてならない。

 そもそもハチの言っていた潜水艦がこれとは限らないし、その情報が偽物の可能性だってある。

 ゴーヤも何となくそう感じ始めているようで、眉をひそめている。それでも諦めがつかないらしい。

「機械室の先の部屋を見てくるでち。固まって動いたら時間がかかるからね」

 そう言ってゴーヤは元来た道へ戻って行く。置いて行かれたくないのかローも「あ、待って」とそれに付いて行った。

 ひとり取り残されたイムヤは、ベッドのポールに背中を預けため息をついた。

「あるのかな~、お宝なんて」

 流れるように画面をフリップし、スマホのスリープモードを解除する。

 暇つぶしにオンラインゲームでもしようかと思ったのだが、良く考えたら海底に電波は届かなかった。

「適当に写真でも撮ろうか」

 再びカメラを起動して、室内を画面に映す。

『潜水艦の調査』と銘打って出撃したのだ。艦内の撮影だけでもしないと言い訳がつかない。

 どういう風に撮ろうかとスマホを右へ左へ。

 すると、画面越しに何かが映った。

「なんだろ」

 魚でもいるのかなと画面から目を離すが、何かがいた気配がない。

 再び画面を覗く。 

 画面には、半透明で、青白く発光している物が映っていた。

 いや、『物』は正しくない。それは明らかに人の形をしている。なのに、実体な感覚がしない。

 次に画面から目を離す。やはり、そこには誰もいない。 

 寒気を感じる。

「……うそでしょ」

 イムヤはもう一度画面に目を向け、『そいつ』が眼前に近づいていた。

 息を飲み込むような悲鳴を上げ、距離を取ろうとするがベッドを背にして後ろに下がれない。

 とにかく、逃げないと!

 慌てるあまり間違えてシャッターを切ってしまい、シャッター音でまた驚いてしまう。ごつんと上のベッドの淵で頭をうった。

 痛む頭を抑えながら、水で満たされた艦内を全力で機械室の方へ。

「イムヤ、さっきの音は何でち?」

「こっちの部屋には何もなかったよー、ですって」

 イムヤが機械室に入ると、すでにゴーヤとローはそこにいた。

 イムヤは二人の肩をがっと掴む。

「ど、どうしたでち?」

「逃げるの!!」

「へ?」

「良いから早くっ」

 目を白黒させるゴーヤに言うがよくわかってないみたいだ。

「ひぅ」

 ローが息をのむ声を上げ、何事かと見るとイムヤの後ろを指差して、小刻みに震えている。

 まさかと後ろを振り向くと、さっきの『何か』がゆっくり近づいてきていた。

 今度はカメラ越しではなく、両目でハッキリと。

「な、何でちか!?」

「ゆ、幽霊みたいな……」

「分かんないけど、今は速く逃げるの!!」

 イムヤの声を合図に、3人は急いで潜水艦から脱出した。

 

 中継地にしていた小島に到着した時には、もう空が茜色に染まっていた。

 全力で航行した3人は、砂浜に倒れ込んだ。全員肩で息をする。

 嫌な寒気がする。いつもは茹だるようで鬱陶しい夏の陽光で温まりたかったが、太陽は山側に隠れてしまっていた。

「イ、イムヤ。何なの、あれ」

 イムヤは首を横に振る。疲れて声が出せない。

「ろ、ろーちゃん。ゆーれいを見たの、初めて……ですって。こう、背筋がぞわぞわーって」

 可愛い表現をしているが声が震えている。余程怖かったのだろう。

 深海棲艦とかいうある種幽霊のような存在と戦ってはいるが、それとこれとは話が違った。

 艦娘だって、夜中の怪談話で震え上がることだってある。それが怪談ではなく、その眼で見てしまったのだから震え上がるどころではない。

「も、もしかして」

 ゴーヤが不安そうにイムヤを見る。

「邪な考えで沈没船に入ったから、船で死んだ幽霊を怒らせたとか」

 信じられないものを見たせいか、ゴーヤは珍しく弱気になっていた。

 イムヤは身体を起こす。

「幽霊なんている訳ないじゃない。そういうのは、心の弱さが見せるもんなのよ」 

「そ、そうでちよね」

「きっと、船内に住んでいた白魚が束になっていただけだって。幽霊なんて」

 信じない、と言いたかった。

 それを言葉にするには、あまりにも衝撃が強すぎるものを見てしまった。

 ふと、間違えてシャッター押してしまったことを思い出した。

 なんとなく、あの居住区の写真を持っていたくなかった。

 懐からスマホを取り出し、写真が保存されているアルバムを開く。

 そこにはやはり、白い何かが映り込んでいた。

 ゴーヤには魚の群れと言ったが、白く周囲がぼやけているそれは全く魚に見えなかった。

 イムヤはいつになく指を早く動かし、写真をゴミ箱に送ろうとした。

 途端にイムヤの指が止まった。指だけでなく、今度は表情も固まる。

「どーしたの、イムヤ」

 違和感を感じたのか、ローがイムヤに近寄る。

 イムヤの持つスマホの画面には『削除しますか?』という文の下に『Yes・No』と選択肢が出されていた。

「どうしたの? 消さないの?」

 いつまでも止まっているイムヤをローが促す。が、イムヤは口をぱくぱく動かしているだけだ。

 そしてやっと、のどから絞り出すような声を上げた。

「……消せないの」

 良く聞こえなかったのか、ローは首を傾ける。

 イムヤはごくりとつばを飲み込み、さっきよりはっきりと言った。

 

「この画像……消せないの」

 

 その言葉に、ローとゴーヤも固まる。

 イムヤも何が起こっているのか理解が追いつかない。

 夕暮れ時の潮風が島全体に吹き渡る。海水でぬれた肌に吹き付ける風が、強く、嫌に冷たく感じた。

 

 ***

 

 イムヤたちが潜水艦探索から帰ってきて3日が過ぎた。

 相変わらずからっとした天気が続き、セミが暑そうに鳴いている。

 しおいは2段ベッドの上から発せられる物音で目が覚めた。

 というより、3日前からずっとこの調子なのだ……流石に鬱陶しくなってくる。

 しおいは下から顔を覗かせる。

 ベッドの上では、ローが何やら怪しげな儀式をしていた。

「ローちゃん。もうそろそろ止めたら?」

「ダメ、ですって。でっちが『毎朝やれば効果がある』って言ってた」

 昨日も一昨日も同じことを聞いて、同じような返事が来た。

 これは本人にいっても治らないな。

 しおいは一つあくびをして、隣の部屋へ向かった。

「ちょっとゴーヤ? ローちゃんに何おかしなこと吹き込んで――」

 扉を開けて息をのんだ。

 良く考えて見れば、ローがあんな風になっているのだから、ゴーヤが同じになっていないわけがなかった。

 部屋の中はまさにお化け屋敷のそれで、お札やなんやらでいっぱいだった。

 部屋主たちは窓際にいた。

 ゴーヤは畳に正座したまま昇る太陽を拝んでいる。

 側にはイムヤもいたが、力つきて眠っていた。

「何してんのよ、あんたたち」

 しおいが声をかけると、ぎこちなくゴーヤが振り向く。

「お祓いに決まってるでち」

 妙にげっそりした顔に、目の下にはくっきりと見えるクマ。

 睡眠不足のせいか、ゴーヤの声は淀んでいた。

 しおいは頭を抑えたくなるのを何とか抑える。

 もしかして、ローの世話役でストレスでもたまったのか。

「何でそんな信仰深いことしてるのよ」

「これを見るでち」

 ゴーヤはイムヤのスマホをいじり、写真をひとつ見せてきた。

 3段のベッドが置かれている狭い部屋に、ぼんやりと怪しげな何かが映っていた。

「潜水艦の居住区みたいね……何、この白いの」

「幽霊……信じたくないけど」

 睡眠不足の原因はこの写真のようだ。

「気にしすぎじゃない? いる訳ないじゃん、お化けなんて」

「ゴーヤもそう思っていたんだけどね」

 彼女が言うには、件の沈没船から戻ってきてから、出撃した3人の周りでは不可思議なことが起こっているらしい。

 階段から足を踏み外す。

 食堂の椅子が抜ける。

 ちょっとしたことなら、まだ運が悪かったと思うことも出来る。

 しかし、耳を塞いでいるのに女の子の声が聞こえてきたり。

 誰もいないのに海の方に引っ張られたり。

 窓ガラスに真っ赤な手形がついているのを見たときにはイムヤが卒倒した。

「もうどうにもならないと思って、3人でお寺にお祓いにいったんでち」

 今行っているお祓いは、そこの坊主に指南されたそうだ。

 部屋に飾られて(?)いるお祓いグッズも、巫女が売っていたものを買ったらしい。

「この写真が原因なの? じゃあ消しちゃえばいいじゃない」

「それが出来ないから困っているんでちよ」

 画面を操作して、写真を削除しようとする。

 しかし、無機質な機械音が流れ、「削除できません」のテロップが現れる。ゴーヤの言う通り、削除ができないみたいだ。

 しおいはため息をついた。

「行かなきゃよかったのに」

 ミイラ取りがミイラに――というわけではないが、お宝目当てで沈没船に潜り込んだ罰が当たったらしい。

 例えお宝が見つかったとしても、それはどこかの資料館に寄贈されるに決まってるし、日々の労働がなくなるわけがなかった。

 楽をしようとして痛い目をみる良い例だった。

 耳が痛いようで、「それを言うのは無しでち」とゴーヤは項垂れた。

 今の怪奇現象から脱却するには、坊主に言われたことをやるしか道がないようで。

「とにかく、ゴーヤたちはもう少し拝んでからご飯にいくでち。邪魔しないでほしいでち」

 そうして、ゴーヤは太陽に向き直った。

 気が済むまでやらせた方がいいかな。

 しおいは静かに部屋を後にし、ローをベッドから引きずり下ろすことにした。

 

 それから一週間。

 お祓いの効果があったのか、といえばそんなことはなかった。

 相変わらず少女の声は聞こえ、窓には手形が見えた。

 イムヤ、ゴーヤ、ローの3人は、他の潜水艦を食堂に集めた。

 以前の面々に加えて、今回はイクも参加していた。

「また提督に逃げられた。絶対マッサージするの。逃げられないように言葉攻めしようかしら」

 この子が発言すると、何もかもがいやらしく聞こえるのは気のせいだろうか。

 本当ならまるゆもいるのだが、輸送任務に就いていて今は鎮守府にいなかった。

 話を切り出したのはゴーヤだ。

「もう一度、あの潜水艦のところに行くでち」

 さすがのしおいも、これを聞いて椅子から落ちそうになった。

「まだ懲りてないの? お宝なんてないんだから止めときなさいって」

「お宝はもうどうでもいいんでち。違う目的でいくの」

「何しに行くの?」

 ハチが首を傾げる。それにはイムヤが答えた。

「謝りにいく。勝手に潜水艦の中に入ってごめんって」

 どうやら、相当参っている様子だ。おかしな幻想に1週間も悩まされれば疲れもするだろうが、思いついた解決策が子供のそれだった。

 気が済むまでとは言ったが、シオイは流石に物申した。

「謝るって言ったって、相手は幽霊なんでしょ? 謝って許してくれるとは思えないけど」

「もうそれくらいしかやることがないのよぉ」

 手は尽くしてしまった。

 というより、お祓いの効果がないとなるとどうしようもない。

 3人は、ダメもとで謝罪に行こうとなったのだ。

「でも、何でイクたちを集めたの? イクたちに不思議なことは起こってないの」

 イクの言う通りだ。

 ゴーヤたち以外の潜水艦娘は幽霊現象には遭っていない。

 謝りに行くなら、次の出撃のときにでも行けばいい。

 ローがか細い声で言う。

「みんなで、行かない?」

「へ?」

「潜水艦のみんなで、謝りにいかないかな~って……」

「え、なんで」

「だって3人じゃ怖いんだよー、ですって!!」

 ローは叫びながらゴーヤに抱きついた。目の端からポロポロと涙がこぼれている。

 余程怖いのだろう。

 イムヤとゴーヤも、顔には出していないが体が震えていた。

「私たちは関係ないんだけどなぁ」

 しおいはハチとイクに目を向ける。

 ハチは「仕方ないな」と肩を落している。

「明日、はっちゃんとイクが哨戒担当なの」

 3人はハチをみる。

「一緒に行こうか」

 わかりやすく笑顔になるローに、ほっと安心するイムヤとゴーヤ。

 いくら自業自得とはいえ、ここまで来ると放っておくのも可愛そうだった。

 イクは「明日はみんなで出撃? 楽しみなのね!」と、3人とは違う喜び方をしていた。 

 

 出撃に際して、潜水艦6人で出撃できるよう、提督に打診した。

 提督は一瞬驚いた顔をしたが、翌日の哨戒も休まないという条件で許可を出した。

 明日の哨戒担当のしおいが苦い顔をしたが、提督の前で文句をいう前に退室する。

 その日、とても珍しい潜水艦隊での出撃をすることになった。

 午後。先日3人で来た時と、ほぼ同時刻に潜水艦のある場所に到着した。

 居住区前のハッチはぴったりと閉じられており、イムヤ達3人は霊の存在を思い出し身震いする。

 食堂の通路に潜水艦娘たちは並んでいる。狭いため、一列に。その先頭にはシオイが立たされていた。

「何で、あたしが先頭なの?」

 当然の疑問である。

「だ、だって、シオイが一番頼りになるから!」とローが言う。本心だろう。

「そうそう、頼りになるから」とハチが半眼で言う。間違いなく嘘だ。

「別に、信じてくれないシオイだったら呪われてもいいや、とか思ってないから」とイムヤが口を滑らせる。

 シオイはため息を吐き、

「まぁいいけどさ。中に入ったら自分達で何とかしなよ?」

 震える3人は小さく頷く。

 一人ウキウキしているイクは、進む先に何があるのか楽しみなのだろう。こんな状況下でなら、ある意味彼女が羨ましい。

「まだ行かないの?」

「はいはい、今開けますよー」

 狭いハッチが開かれ、潜水艦娘は居住区へ足を踏み入れた。

 最後尾のローがハッチをくぐり終えた――突如、後ろで何かがぶつかるような音がする。

 一斉に振り返ると、開かれた防水扉が完全に閉じられていた。

 ローが慌てて手を掛けるがびくともしない。

「開かない、ですって!?」

 ゴーヤも加わって引っ張るがやはり開く気配がない。

 2人の視線の先は金属の扉。そこを透過するように、白い「何か」が潜水艦娘たちに近づいてきた。

 慌てて距離を取るローとゴーヤ。一瞬のうちに、今度はイムヤが先頭に立たされていた。

「ちょ、ちょっと! 先頭にしないでよ!」

 抗議のために振り返ると、最後尾になったシオイの顔が蒼白になっていた。

「シオイ! 幽霊なんて信じてないんじゃなかったの!?」

「目の前にいたら考えも変わるよ! まさか本当にいるなんて思わないじゃん!」

 シオイとイムヤの言い合いをハチは冷ややかな目で見つめ、「楽しそうなのね!」とイクは頓珍漢なことを言う。

 イムヤの後ろに隠れているローとゴーヤは幽霊から目を離せずにいた。

 ぎゃーぎゃー!

 しおいが先頭になりなさいよ!

 だから怖いんだってば!

 イムヤ、潔く呪われるでち!

 大丈夫、イムヤは死んでも甦られるよ、ですって!

 イクも混ぜてほしいの!

 うるさいなぁ。

 女の子の言い合い。このまま放っておけば「あんたのこと、前から嫌いだったのよ!」で始まる恐ろしい口喧嘩に発展するに違いない。

『ねぇ』

 喜ばしいことに、喧嘩には発展しなかった。

 澄んだ女の子の声に、潜水艦娘の間には静寂が訪れた。

 イムヤが前に向き直ると、幽霊は息がかかりそうなくらい目の前にいた。

『ねぇ、お願い』

「は、はい!」

 イムヤは思わず敬語になる。

 白く発光する少女は、さらにイムヤと距離を詰める。

 歯の根がかみ合わない。

 足が震えておぼつかない。

 腰が抜けて倒れそうになるが、後ろで他の娘たちがイムヤを盾に押さえていて、倒れたくても倒れられない。

『お願い……』

 耳から入っているのか、頭に直接投げかけられているのか良く分からないその声に、ぞわりと背筋が粟立つ。

 お願い……お願いとは、もうここに入るな、ということか。

 イムヤ達が来るまでは、この艦内が踏み荒らされることはなかった。艦内、いわばこの幽霊のテリトリーだ。テリトリーを荒らされれば黙っていられないだろう。

 次にその口から出るのは糾弾か呪いの言葉か。

 発光する少女は、先頭のイムヤの両手を取る。

 一体何をされるのか。

 イムヤ達は恐怖で目をつむってしまい――。

『お願い……』

 

『わたしを、この船から連れ出して下さい』

 

 思わぬ言葉に、全員が目を開けた。

 恐る恐る幽霊を見る。

 彼女は困ったように眉根を寄っていた。その眼は、懇願するようにイムヤたちを見ている。

『わたしを、わたしの家に連れて行ってくれませんか』

 呪いの言葉でも、責め立てる言葉でもない。

 イムヤ達は、ただただ目を丸くするばかりだった。

 

 ***

 

 沈没した潜水艦から連れ出してほしい。

 そして、家に連れて行ってほしい。

 幽霊の少女がイムヤ達に懇願した。

 恐怖で支配されている間は、少女の声に悪寒を感じていた。

 だが、困った表情をみて、彼女の願う言葉を聞いて少し緊張は和らいだ。

 それでも完全に気を抜く訳にはいかない。相手が油断したところで仕留める、とは良くあること。少なくとも彼女たちの周りでは。

 イムヤが幽霊少女に尋ねた。

「家って……ここはあんたの家じゃないの?」

『違います。この潜水艦はわたしが死んだところ。わたしの家は別のところにあります』

 相変わらず、耳で聞いているのか頭に流れてきているのか不安になる声だ。

 気持ちよくはないが、我慢して質問を続ける。

「ここで死んだって、戦いで死んだの? でも、潜水艦には男しか乗らなかったはずなんだけど」

 イムヤの問いに、少女は首を振る。

『分からないんです。自分が、どうして死んだのか。死んでいるのは分かるんですが、思い出せないんです』

 なぜ死んだのか。

 それは、つまり。

 恐る恐るイムヤの背中から、しおいが顔を出す。

「それって……記憶喪失、ってやつ?」

 少女はこくりと頷く。

 そのまま俯いてしまう。

『わたし、気づいたらこの潜水艦の中に居ました。どうしてここにいるのか、全く思い出せなくて。何度も潜水艦から外に出ようとしたのですが、出られなくて。この状態で何年ここにいたか分かりません。もしかしたら何十年かもしれないです』

 少女が一言話すごとに、イムヤたちの緊張はほぐれていく。

 幽霊にも、善いもの、悪いものが存在するはずだ。

 口調と態度をみれば、彼女は間違いなく後者だ。

 ローがしおいの隣まで出てくる。

「出られないって、どういうこと? すり抜けるとか出来ないの?」

 少女はベッドの一つを指差した。

 そこには、以前来たときには気づかなかったが、カメラがひとつ置かれていた。

 かなり古いもののようだ。

『わたし、このカメラから離れられないんです。物をすり抜けられても、船から出られるほど遠くに行けなくて』

 それはもう、ここに拘束されていると同じ意味ではないか。

 その状態で、仮に幽霊だとしても、何十年もここいたことになる。

『だから、皆さんがこのカメラを持って出てくだされば、わたしは潜水艦から出ることが出来ます』

 そして、自分の家に連れて行ってほしい。

 その悩みは、迷える亡者特有のものな気がしなくもない。

 こんな物語を、ハチから借りた本で読んだことがある。

 行場を失った魂が望むのは、自身が過ごした場所へ帰ること。自分が今まで生き、過ごした場所へ還ること。

 彼女も、つまりはそういうことなのか。

「で、でも待つでち」

 ゴーヤが声を上げる。

「ゴーヤたちは、ここに来てからおかしな出来事が起こってばかりだったよ。あなたが何かしたじゃないの?」

 そういえばそうだ。そのことについても聞かなければならない。

 少女は、また困ったように目を伏せる。

『今まで、ここにひとが来たことないの。あなたたち初めて。だから、これを逃したらもうここから出られないって思った。

 でも、わたしを見てすぐに逃げちゃっから……少し呪えば、また来てくれるかもって考えて』

「んな無茶な」

 やはり、これまでの怪奇現象は彼女の仕業だった。

 呪えばまた来てくれる――幽霊特有の考えなのだろうか。呪いを掛ければ、逆に掛けられた側は恐怖で二度とその場に来ないだろう。

 しかし、現にイムヤ達は、再び潜水艦を訪れた。彼女の読みは正しかったということになる。

「それに……」と幽霊少女はもごもごと口を動かす。

 何を付け足すのか、と思ったら。

『それに……寂しかったから』

 その声は途切れそうなほどか細かった。

 呪った理由が、寂しくて、イムヤたちにまたこの潜水艦へ戻ってきて欲しかったからとは。

 恐ろしい幽霊の呪いというより、可愛い女の子のいたずらという認識が正しそうだ。いや、やっていることはスズメの涙ほども可愛くはないのだが。

 イムヤは振り返って、仲間の意見を確認した。

 頷く。表情は三者三様だが、同じ結論に達したらしい。

 おかしなことになったな、とイムヤは頭を掻いた。

「分かったわ」

 俯いていた少女は顔を上げる。

「あなたを家に帰してあげる。ずっと狭い部屋にいるのも、つまらなかったでしょ」

 ぱぁっと笑顔になる。

 彼女は『よろしくお願いします』と深く頭を下げた。

 

 ***

 

「これ、もうボロボロ、ですって」

 潜水艦からの帰り道。古いカメラはローが持っていた。沈没した潜水艦からカメラを持ち出すと、幽霊少女は引っ張られるように彼女はイムヤたちについてきた。確かに、カメラが彼女の中心のようだ。

「あんまりいじらない方がいいわ。壊れちゃいそうだし」

 イムヤの注意に「はーい」と素直な返事をする。

 間違って落とせば、それだけで粉々になること必至だ。

 ローはカメラに波を当てないように、お腹に抱えるようにした。

 イムヤたちにとって幸運だったのは、少女は悪意を持って呪ったわけではないことだった。

 呪いの中にも悪意のあるものと、ないものがあるらしい。

 ゴーヤたちが行っていたお祓いやそのグッズは、悪意のある呪いには効果があるが、其れ以外には全く無意味だったらしい。

 後に少女はイムヤとゴーヤの部屋に入るのだが、『どうせお祓いのものを売るなら、全部に効果があるものを作ればいいのに』と話した。

 それを幽霊が言っていいのか。

 逆に運が悪かったのは、少女が自分自身のことをほとんど覚えていないことだった。

 彼女の名前に始まり、誕生日、生前住んでいた場所、そこから見えていたもの。

 重要なことがごっそり、記憶から抜け落ちてしまっていた。

「あの潜水艦の名前は?」

 もちろん分かるはずがなかった。

 唯一覚えていたのは家族のこととカメラのこと。

 父母はおらず、祖父母と共に暮らしていたらしい。それだけでは住所を特定するのは不可能だ。

 カメラは自分のものらしいが、それ以上のことは聞けなかった。

 鎮守府に帰投するまでの間に投げた質問のほとんどは不発に終わった。

 潜水艦娘以外の女の子と一緒に海中航行をするという貴重体験をしつつ、一行一路鎮守府の航路を進んだ。

 

「とりあえず、ここで寝泊まりして」

 この日、少女はイムヤとゴーヤの部屋に居ることになった。

 もし出歩きたくなったら、彼女の側にあるカメラを持ち歩いてあげればいい。

 布団はいるかと聞くと、『寝なくてもいいんです。疲れはありませんから』とのこと。

 何とも羨ましい体質である。幽霊にはなりたくないが、ぜひその性質だけ欲しい。

 空腹も感じないそうで、経費には優しかった。

 こんこんと扉をノックする音が聞こえる。

「イムヤ、ちょっといい?」

 開いた扉の隙間からシオイが顔を出す。

 少女の相手をゴーヤに任せ、イムヤは部屋を出た。

 部屋の外にはローとハチもいた。イクはどこかへ行ってしまったらしい。

「どうしたの?」

 ハチが答える。

「あの女の子のこと、話そうかなって」

「これからどうするの、ですって」

「どうしたもんかねぇ」

 もし幽霊少女に記憶があったら、何も悩む必要ななかったはずだ。

 カメラを運ぶのが自分たちか運送業者かの違いはあるだろうが、少女に住所を聞き、そこへ案内してもらうだけでよかった。

 しかし、少女には記憶がない。

 自分の名前。住所。家族。必要な記憶が抜け落ちていた。

「あの子が思い出すまで、待つしかないわね」

「それ、いつまでかかるか分からないよ」

 シオイが難を示す。

「それでもよ。家に帰すって引き受けちゃったんだから」

 それに、悪い子では無さそうだ。彼女が艦娘に危害を加えるようなことはないだろう。

「待つしかなさそうだね」

「うん。でも、友達が増えるから、全然問題なし、ですって!」

 ローが場を和ませる。

 無垢な笑顔に、思わず3人も明るくなった。

 かくして潜水艦娘は、幽霊少女と過ごすことになった。

 

 *

 

「仮でも名前がないとダメ!」というローの意見によって、幽霊少女は『ウミ』と名付けられた。

 命名、ウミ。名付け親はしおい。ローに付き合わされて、寝ずに考えたそうだ。

 もう日はだいぶ上っているのに、まだしおいは布団から出てこない。お疲れ様、しおい。存分に眠っておくれ。

 しおいの頑張りあって、『あの子』とか『その子』と呼び続けるよりずっといい呼び名が決まった。

 ウミが来て最初の日、彼女と一緒にいるのはゴーヤだった。

「もう聞いてると思うけど」

 部屋の畳に座り、ゴーヤはウミに説明する。

「帰る場所が分かるまでは、しばらく鎮守府にいてもらうね。鎮守府にいる間は、ゴーヤたち潜水艦娘が一緒にいるから。みんな一緒には無理だから、1人ずつ交代でね」

「分かりました」

 ウミはぺこりとお辞儀して、「ありがとうございます」と付け加えた。

「気遣って頂いてすいません。帰るところを覚えていたら、皆さんに迷惑を掛けずに済んだのに」

「気にしないでいいでち。長い間、狭い潜水艦にいたんだから、羽を伸ばしたつもりでいればいいよ」

 どこかの温泉旅館みたいにね。

 一日で探検できないほど広く、そこらじゅうに女の子がいる――温泉旅館というより女学校の印象が強い。昨日この鎮守府に来てから何人かとすれ違ったが、ウミと同年代に見える少女も見かけた。

 それに、ウミは死ぬ前の記憶がほとんどなく、ずっと潜水艦の壁ばかり眺めていたのだ。新しい世界に興味が出るのは必然。

 あれやこれやと思いを馳せていると、気づけばゴーヤの姿が見当たらなかった。

 ベッドの方からあくびの声が聞こえ、そちらを見るとゴーヤが眠る体勢を取っていた。

 いくら幽霊とはいえ、知人ではない人がいるのにこれはいかに――ゴーヤさん、もう少し気を使って頂いていいですか?

 ウミはすーっとゴーヤに近寄り、二段ベッドを覗き込む

「他の艦娘の方はもう起きてますよ? 良いんですか、ダラダラしていて」

 ゴーヤはもう一つあくびをした。

「今日はせっかくのお休みなんでち。また明日からオリョクルだよ……」

 その様子は、子持ちの父親のそれだった。子どもに遊ぼうと言われるが「明日も仕事あるから」と朝からゴロゴロする父親。

 ウミはゴーヤに何かしようと言ったわけではないが、それと似たような感じがゴーヤから漂っていた。

 そこでウミは首を傾げる。

「えっと。おりょ……おりょくるって、何ですか?」

 さて諸君。諸君も、初めて聞く単語には疑問を持つだろう。その意味は何? それってどういうこと? 知らない言葉が出てくれば、その意味が知りたくなってもおかしくない。

 ただ、ウミがこの言葉に疑問を持つのは完全に失敗だった。

 想像してみてほしい。日々の労働で疲れ、上司へのストレスがたまっている人を。その人の目の前に、何とも愚痴を聞いてくれそうな相手がいる状況を。

 ゴーヤはウミの方へ寝返りを打ち、重い瞼を何とか持ち上げて言う。

「鎮守府の闇でち。誰が考え出したか知らないけど、アレはこの世から消えるべきものでち。潜水艦の間で絶えず議論されてきた大問題だよ」

 ゴーヤはため息を吐く。

 昨日知り合ったばかりだが、ウミにはゴーヤが疲れているのが良くわかった。

 疲れるということは、『おりょくる』とは仕事のことかなと想像する。

「重労働なんですね」

 言葉の裏に、「お話を聞きますよ」のニュアンスを込めてそう言った。

 あぁ、仮称ウミちゃん。なんて優しい子なんでしょう。少し話を聞いてあげようなんて思わなければいいのに。

 ゴーヤの口か開く。

「重労働なんてもんじゃないでち。『クルージング』なんて楽しい名前は合わないよ。オリョール『クレイジー』の方がしっくりくるでち」

 そこからのゴーヤはもう止まらなかった。

 日々の不平不満。提督の潜水艦への扱い。悩みに怒りにと、堰を切ったように流れ出て止まる様子がない。

 ウミとしては、この後鎮守府を案内してもらおうかと思っていたのだが、切り出すタイミングが見つからない。「あの、もういいですから」とは、自分を助け出してくれた人には、さすがに言えない。

 その後、起きてきたしおいによって、ゴーヤの怒涛の愚痴に終止符が打たれた。

 

 ***

 

「じゃあウミちゃん。今日はローちゃんが一緒にいるからね」

 翌日。この日の当番はローだった。

「はい、分かりました」

「じゃあ今日は、鎮守府を案内しましょ!」

 ローは両手でカメラを持ち、寮の外へ出た。

 ずんずんと進むローに、ウミは引っ張られるように付いて行く。

 時々立ち止まっては、見える施設が何であるかをローは説明した。

「いろんな施設があるんですね」

 見るもの全てが新しいウミは随分楽しそうだ。

 自分の案内でウミが楽しんでいることで、ローは嬉しくて頬が緩む。

「次! 次はあっち、ですって!」

 ローは歩幅を大きくして案内を続けた。

 

 その案内の途中。

 太陽がもうすぐ真上に来るかというころ、ローの後ろから走ってくる音が聞こえてきた。

「ローちゃん」

「あ、プリンツ! どうしたの、ですって」

 走ってきたのはプリンツ・オイゲンだ。海外から派遣された重巡洋艦で、いつものように赤と黒の制服を着ていた。

 プリンツはローの前で立ち止まった。

「ローちゃん、日本語辞典持ってたよね? 貸してほしいんだけど、良いかな?」

「うん、いいよ! ちょっと忙しいから、後でもいい?」

「うん、ありがとっ」

 プリンツはニパッと笑顔になる。

「この方も艦娘の方ですか?」

 側にいたウミがローに尋ねた。

「そうだよ。すっごく強いんだから」

「へ~」

「他の鎮守府からも人気で、他の提督が『うちにくれぇ』って言うんだ」

「舞妓さんみたいですね」

 ローは何気なくウミと話す。しかし、そのローの行動は、プリンツには違和感でしかなかった。

 ローの素振りを見て、プリンツが怪訝な顔をした。

 プリンツの表情に気づいたローは、

「プリンツ、どうしたの?」

「あぁ、いや。えっと」

 プリンツは何やら聞きづらそうに口を動かしていた。

 首を傾げるローに、プリンツは尋ねた。

「ねぇ……そこに誰かいるの?」

 予想だにしなかった質問に、ローは目を見開く。

「……へ?」

 プリンツは、ローが質問を聞きのがしたのかと思い、再び聞いた。

「そこに、誰かいるの? さっきから横を見て話してるから」

「プリンツ……? 見えて、ない?」

「見えてないって、何もないのに見えるわけないよ?」

 嘘、とローはぼそりとつぶやく。

 何を思ったのか、突然ローは走り出した。

「へ、うわわわわわわっ」

 ローはカメラを持っているため、ウミがそれに引っ張られる。

「ちょ、ちょっとどうしたんですか!」

 ウミの問いに答えることなく、ローは鎮守府庁舎に足を踏み入れる。

 そこには戦艦ビスマルクと駆逐艦江風がいた。

「ビスマルク、江風!」

 2人が振り向く。

「あら、どうしたの?」

「何か用か?」

 2人に走り寄り、ローは問いかける。

「ねぇ、ウミちゃんが見える!?」

 ビスマルクは首を傾げた。

「ウミ……って誰?」

「ウミちゃん! 見えるよね!?」

 今度は江風が言う。

「何言ってんだ。お前しかいないじゃんか」

 さらに、疲れてんのか、と心配される始末である。

 何が起こっているのか。

 急に引っ張りまわされ、目を回してへたり込んでいるウミを、ローは何度も確認するように見た。

 

 その日の夜。

 同室のシオイに、あったことを話した。

「見えてない、ね」

「うん。みんな、ウミちゃんが見えないみたいで」

 もしかしたら、とウミが声をだす。

「潜水艦娘のみなさんにしか、私は見えないのかもですね」

 ウミが死んだ場所が潜水艦だから縁があるのか、それとも別の要因で見えるのか。

 さすがにそこまでは分からないが、ウミのことは潜水艦にしか見えない。

 体育座りをしてうずくまるローは混乱していた。

「ローちゃんたちが見えるなら、みんな見えるんじゃないの? ローちゃんたちには見えるのに他の人は見えないって、何だかおかしいよ」

 顔を膝の間にうずめ、ぐりぐりと首を動かす。

 自分の中で、今の状態を消化しきれないんだろう。

 何と声を掛けようかと、しおいは唸る。

「私たちだから、見えるんじゃない?」

 シオイの声に、ローは首を上げる。

「ローちゃんの見えてるものが、他の人にも見えているとは限らないよ」

「どうして?」

「例えば、道に咲いてる花。見ようとしてる人には見えるけど、その花を知らない人とか興味がない人って、その花が見えないでしょ?」

「うん」

「あたしたちは、ウミちゃんのことを知っているから見える。でも、他の娘はしらない。その違いじゃないかな?」

 説明しづらいなとは思うが、こう言う他ない。

 う~ん、とローは唸り、

「……分かった。それで納得する」

 ぶっちょう面を見るに、まだまだ理解しきってないのが良くわかった。

 ウミはシオイの言いたいことが分かるのか苦笑いを浮かべている。

 シオイはほっとして、

「もう遅いから、寝よっか」

「うん」

 電気を消し、2人翌日の出撃に備えた。

 

 ***

 

 そして次の日。

 ウミの相手は潜水艦の中で最もやっかいな娘だった。

 ローからカメラを受け取ったイクは、ハツラツな声を上げる。

「今日はイクがお相手するの!」

「よろしくお願いします」

 潜水艦内でもそこから出た後も、ウミはこの青髪少女と話してはいなかった。

 他の潜水艦と話している様子を見ての印象でしかないが、元気で活発な女の子と思った。

 実際にはウミが思っている斜め上の存在だったと、その日の夜に考えを改めることになるのだが。

 そういえば、とイクに問いかける。

「他の潜水艦娘の方と違って、あまり寮内で見かけないんですけど。何をしているんですか?」

 日中は潜水艦娘は方々に出撃しており、非番で相手をしてもらっている娘以外は見ない。

 夜には帰ってきているため声をかける。

 しかし、イクに至っては夜に見かけることがなかった。

 ウミの質問に、イクはきらりと目を光らせる。

「もしかして、イクのしていることに興味があるの!?」

 ぐいっとアオに顔を近づける。

 あまりの勢いにたじろぐが、ウミはこくりと頷く。 

 イクはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。

「やった! 今までイクのやってることに興味を持ってくれた人、いなかったんだ! ウミちゃんが初めてなの!」

「え、そうなんですか?」

 普段見かけない人が何をしているか、気になるものではないのか・

 この鎮守府の人たちは冷静なのかな、とアオは思う。

「よし、じゃあアオちゃんには特別だよ。付いてくるのね!」

 イクの持つカメラに引かれるまま、ウミは鎮守府庁舎最上階に入った。

 

 数分後。

 ウミは目を覆って、目の前で行われていることを何としても見ないように努めていた。

 イクのやっていることには興味があったが、知らない方がよかったと思い始めている。

 手で覆う目の先には、イクと、この鎮守府の提督がいた。

 どういう訳か、彼は十字架に繋がれていた。

「ふふふ、どうなの? イクにマッサージされたいって、思う?」

「だ、ダメだ! 私にはまだやることが」

「でも~。毎日机仕事じゃ疲れるはずなの。イクのマッサージで、気持ちよくなれるよ?」

「お、お願いし……いやいや! 今はダメ! 後で」

「そう言って、いつも逃げるの! まだ一回しかマッサージ出来てないの! イクの両手がうずうずして仕方ないの! ほらぁ、やらせてよ~。ね?」

 ウミの目の前では、マッサージをすると言って聞かないイクに、提督が言葉責めにされていた。

 提督は何とかそれを避けようとしているのが分かるが、時折誘惑に負けそうな声を上げている。

 イクはというと、先ほどのハツラツとした声ではなく、妖艶な、聞くだけでとろけそうな声を出している。どこからその声を出しているのか疑問だった。

 その上、彼女は女性にとって羨ましい身体の持ち主である。

 その彼女が耳元で甘い声で囁いている訳で、誘いに抗おうとする提督が健気だ。2人の距離はほぼゼロで、豊満な胸が提督の方に当たるのを見ると顔が熱くなってしまう。

 そして、思わず顔を隠してしまった今の状況の出来上がりである。

「ねぇ、ウミちゃん!」

 突然声を掛けられ、肩が跳ねる。

「ウミちゃんも、提督はイクにマッサージされるべきだと思うよね?」

「な、何の事だかさっぱりです!」

「ほら! ウミちゃんもそうだって言ってるの!」

「だ、誰のことか分からないが、その子はきっとそう思ってないはずだ!」

 提督にウミは見えていない。とにかく今の状態から抜け出したために言ったことだろうが、見事ウミの気持ちを言い表していた。

「もう、逃げようとしちゃダメ!」

 ぎゅっと、イクは提督に抱きつく。そんなことをしなくても、十字架に繋がれている時点で逃げることはできない。

「今日は~。イクにマッサージされるまで~。逃がさないから、ね」

 この人と一緒の日は退屈しないだろうな。

 ウミは、とにかく前向きにとらえることで、目の前で行われていることから逃げようとしていた。

 

 ***

 

 ウミが鎮守府での生活に慣れ始めたその日。

 カメラはイクからハチに渡された。

 ハチは一言「よろしく」と言い、すたすたと図書館へ向かう。

 開架から一冊の本を取り出し、手ごろな席につくと、もくもくと読み始めた。

 イクとの激しい一日のあとだからか、逆に静かなのがギャップで、妙に落ち着かない気持ちになる。

 ただ側にいるだけでは、何か物足りない。

 それにハチも、イクほどではないが、鎮守府内で見かける頻度は多くなかった。潜水艦内でも話したわけではない。

 イクは言動からハツラツなイメージを抱いたが、ハチに至ってはどのような人なのかはっきりしていなかった。

 それに、昨日のイクとのギャップが激しいせいか、ウミは妙にソワソワした気持ちになってしまう。

 流石に沈黙に耐えられず、たまらずハチに話しかけた。

「あ、あの」

 ウミはたまらずハチに話しかけた。

「どうしたの?」

「何を、読んでいるんですか?」

 そう聞くと、ハチはページの一つを指差す。

 恐る恐る覗き込むと、そこには潜水艦についての説明が、白黒のイラスト付きで書かれていた。

「あなたのいた潜水艦を特定できれば、帰る場所が解るかなって」

 ぱらりとページをめくると、また別の艦種の潜水艦が現れる。

 各潜水艦に排水量や速力、乗員数などが丁寧に記載されている。

「ウミの記憶が戻るまで待つとは言われたけど、それじゃいつになるか分からないでしょ? その間全く何もしない訳にもいかないから、こうして調べてるの」

「そう、だったんですか」

 いつも見かけないのは、こうして図書館で資料に当たってくれていたから。見かけない潜水艦娘は他にもいた。イムヤもそうだし、ゴーヤも一緒にいた後はほとんど見かけない。もちろん、出撃しているからかもしれないが……。

「あの、イムヤさんやゴーヤさんは」

「あー。あの二人は出撃したついでに、ウミがいた潜水艦内を調べてるよ。何か残ってるかもしれないしね」 

 ハチたちにとって、ウミは間違いなく見ず知らずの人間(幽霊)だ。偶々出会っただけなのに、彼女たちはウミのために行動している。

 家まで連れて行ってほしい、そう頼んだのはウミだ。幽霊の身体で、物に触れないため、自分で手がかりを探すということは不可能だった。

 だが、記憶を取り戻すことは、形ある道具が無くてもできることではないか。

 初めて来た場所で、狭い潜水艦から出ることが出来て、浮かれていた。見たことのない場所を案内してもらえることが嬉しくて、誰かと一緒にいることで満足してしまっていた。

 自分が楽しんでいる間にも、潜水艦娘たちは彼女たちの時間を割いて、ウミのために動いていた。

 それを知って、ウミは申し訳なくなる。

「ごめんなさい」

 自然に口から出たのか、その声はとても細かった。それでも、ハチはそこ言葉を聞き逃さなかった。

 ハチは尋ねる。

「何か悪いことしたの?」

 ウミは俯いたまま、

「ゴーヤさんから聞きました。潜水艦娘のみなさんは休みの時間がほとんどないって。それなのに、私が来たせいで、みなさんの時間がもっと減っています」

 悩んでいることを話し始めると、言い切るまで止めるのは難しい。

「私は、自分で手がかりを探すことが出来ない……いえ、出来ないんじゃないです。探そうとしてないんです。誰かと話せるのが楽しくて、見たことのない場所に来たことに浮かれてて、自分で探そうとしてないんです」

 ハチは口を挟まない。ただ、俯いたまま話すウミを見ている。

「私が全部覚えていれば、こうはならなかったです。早く思い出さないと、みなさんに迷惑をかけたままです。だから……ごめんなさい」

 いつの間にか、図書館にいた艦娘は居なくなっていた。ちょうど出撃・遠征に出る時間になったらしい。

 紙をめくる音もなく、誰かの話し声も聞こえない。時計の針が等間隔に進む音が、ウミの耳にはっきりと聞こえる。

 ハチが怒鳴ったわけではないが、ウミは大人に叱られた子どものような気持ちになる。

 ウミには、今の静寂が痛く感じた。

「そうだねぇ」

 ハチはそう一言置いて、

「とりあえず、『ごめんなさい』は、もう使わない方が良いかな」

 ハチはウミに優しく微笑んだ。

「謝るより『ありがとう』の方がいいんじゃない?」

 ウミは顔を上げる。

「ですが、私の記憶がないばかりに、皆さんに苦労を」

「『ごめんなさい』は、失敗したときや悪いことをしたときに使う言葉。ウミは失敗したわけでも、悪いことをしたわけでもない。謝っちゃダメ」

 そうは言われても、やはり自分がすべて覚えていれば、と思わずにはいられない。

 自分さえ何も忘れていなければ、ハチにこうして調べ物をさせることも、ローに複雑な思いをさせなくても良かったはずだ。

 それこそ、潜水艦から連れて出てもらったその日に家に帰ることが出来ていた。

 自分がいることで、手を煩わせていると思ってしまう

「だから、『ありがとう』を使うの」

 ハチは本を閉じ、

「はっちゃんたちは、面倒だとは思ってない。ウミのことを、何とかしたいと思ってる。もし面倒なんだったら、ウミを潜水艦に置いて行ってた」

「……」

「今度からは、感謝の言葉を使う。はっちゃんたちがウミのためにしていることには、『ありがとう』を使う。分かった」

 じんわりと、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 それに、今まで自分を縛っていたものから解放されるような、心がすっとする感覚を覚える。

 誰も、自分のことを面倒だとは思っていない。

 それを知れただけでも、ウミは安堵する思いだった。

「すいません。ハチさんのこと、もっと冷たい人なのかなって、思ってました」

「それは失礼だね。謝りましょう」

「ふふ、すいません。でも、ありがとうございます」

 その日から、潜水艦娘は明るいウミを見かけるようになった。

 

 ***

 

 ウミがやってきてもうすぐ2週間になる。

 相変わらずウミの記憶は戻らない。

 潜水艦娘たちも帰り先についての手がかりを探っているが、成果はなかった。

 そんなときである。

 その日、ウミと一緒にいるのはイムヤだ。

 イムヤは暇を見ては、インターネットから手がかりを探していた。

 ウミと話している間も、それを欠かさなかった。

「ありがとうございます」

 突然、ウミがイムヤにお礼を言った。

「へ? どしたの、急に」

「いえ、なんでもありません」

 ふふっと笑ってごまかされてしまう。

 何故かむずがゆい気持ちになり、照れ隠しに頬を掻く。

 こんこんとドアをノックする音がして、部屋に入ってきたのは明石だった。

「あ、いたいた。イムヤ~」

「どうしたの?」

「頼まれてた魚雷。改修終わったから、試し撃ちしてくれない?」

「あ~い」

 イムヤはカメラを手に取って腰を上げた。

 そのカメラを見て、明石は訪ねる。

「最近みんなそのカメラ持ってるよね? 回して使うの、流行ってるの?」

「別に流行ってないわよ」

 もちろん、明石にはウミが見えていない。見えていないのに詳しいことを話すわけにもいかない。

 はぐらかして部屋を出た。

「すごく錆びてるね。使えるの?」

「使えないけど持ってるの。落し物を預かってるだけだから」

「ふ~ん」

 怪訝な顔をしたが、とりあえず納得したのか顔を前に向ける。

 そして何かひらめいたような顔をした。

「ねぇ、そのカメラ。直してあげようか?」

「直せるんですか!?」

 付いてくるウミが声を上げた。 

 イムヤは後ろを振り向き、目で「直してもらう?」と尋ねる。ウミは首がおれんばかりに縦に振った。

「出来るの?」

 イムヤは念のために聞く。

 明石は胸を張って、

「そんなのお茶の子さいさいよ。何なら新品にしてあげるわよ」

 そこまで工廠の技術は発展していたのか。

 以前工廠へ行った他の艦娘が「あの人、無から有を生み出してる」などと言っていたが、まさか本当ではあるまいな。

 そこを突っ込むと話が長くなりそうだったため、真相は聞かないことにした。

「じゃあ、お願い」

「あい、任されました~。昼前には終わると思うから、取りに来てね」

 工廠前で明石にカメラを手渡した。

 イムヤはウミに耳打ちする。

「工廠内は案内されてないでしょ? しばらく見学してて」

「はい、わかりました」

 それだけ言い渡し、イムヤは魚雷を持って海へと向かった。

 カメラが直れば記憶も戻るかな、と期待しながら。

 

 午後。

 工廠前で明石が待っていた。

 その側では、ウミが目を輝かせながら宙を舞っていた。

「はい、直したよ」

 そう言って手渡されたカメラは新品のような光沢を放っており、傷一つ見当たらなかった。

「凄いわね……」

 イムヤは思わず感嘆の声を出した。

「持ち主の女の子のために、気合入れて直させてもらったわよ~」

「もしかして、錬金術とかできる?」

「おっと、それ以上は聞かない方が良いよ」

「さいで……」

 気になるが、やはり突っ込まない方が良いだろう。

「イムヤさん! 見てください! キラキラ光ってます!」

 ウミはぴょんぴょんと器用には寝る仕草をしている。

 そうだね、と心の中で返事をする。

 そこではっと思いつく。

「明石さん、このカメラで撮られた写真。現像できる?」

 ものは試しとイムヤは訪ねる。

 明石はあっさり、

「うん、出来るよ」

「ホント?」

「疑り深いね~。出来るったら出来る! 撮りたての状態にしてあげるわ!」

「じゃあ、お願いしてもいい?」

「もちろん。中にフィルムが入ってたから、そう頼んでくるんじゃないかなって思ってたのよ」

 イムヤは再びカメラを明石に手渡した。

「じゃあ夕方ごろに来て」

「分かった」

「あ、あの」

 明石が背を向けたのを見てから、ウミが訪ねてくる。

「どういうことですか?」

 イムヤは思いついたことを話す。

「もし現像できれば、写ったものを見れるじゃない? それを見て何か思い出すんじゃない?」

 それを受けて、ウミはぱっと明るくなる。 

「イムヤさん、ありがとうございます」

「お礼はわたしじゃなくて、明石に……あ、見えないんだった。ほら、カメラと離れられないんでしょ。またしばらく工廠見学になると思うけど」

「問題ないです。工場の中、まるで遊び場みたいにごちゃごちゃしてて、退屈しませんから」

 そう言って、ウミはぴゅーっと飛んで行った。

 我ながらいい案を思いついたと、イムヤは内心自身に満ちていた。

 それに、思いつきとはいえ丁寧にお礼を言われると、胸がドキドキしてしまう。

「お別れ、かぁ」

 もちろん、現像されたフィルムを見てウミが何かを思い出すと決まったわけではない。

 ただ、彼女と別れるのが近づいているようで、なんだかしんみりとしてしまった。

 まだ日は高く、夕暮れが近づく様子はない。

 セミの鳴き声を聞きながら、イムヤは工廠を後にした。

 

 夕方。

 紹介から帰ってきたローとゴーヤに、フィルムの現像のことを話した。

 ローがぱっと顔に花を咲かせる。

「じゃあ! ウミちゃんの帰る場所、わかるの?」

「そうと決まったわけじゃないよ。でも、何か思い出すかもしれないわね」

「それだったら嬉しいけどね」

 でも、と急に寂しそうな顔をするロー。相変わらずテンションの上がり下がりが激しい。

「ウミちゃん、帰っちゃうのか」

 ローが寂しがるのも無理はない。潜水艦娘の中で、ウミと最も親しく話したのは彼女と言っても過言ではない。

 ローの表情を見て、イムヤとゴーヤもまたしんみりしてしまう。

 知り合ってたった2週間であり、交代でウミと接してきたため長い時間一緒にいたわけではないが、それでも『別れ』には寂しいものがある。

 ゴーヤがローの頭を撫でる。

「もともと、家に帰すって約束だったでち。お別れはいつか来るものだよ」

「そう……なんだけどね」

 ローも、そのことは分かっているようだ。

 む~と唸っている様子が、空気に似つかわしくないが、かわいらしく思ってしまう。

 その時、部屋をノックする音がした。部屋に入ってきたのは、朝方と同じく明石だった。

 その手にはカメラと、一通の封筒があった。

 側にはウミもいる。

 ただ、2人して浮かない顔をしていた。

「あっかしー! 写真見せてー、ですって!」

 ウミの前では暗い顔をしないようにと思ったのか、ローは明るく明石に駆け寄る。

 明石は無言で、手元にあった茶封筒をローに手渡した。

 何かおかしい。

 イムヤは、言い知れない不安を感じた。

「あれ?」

 それ不安は、ローの言葉で明らかになった。

 

「写真、真っ黒……ですって」

 

 見せられたフィルムは、インクで塗りたくったように黒で満ちていた。

 景色、人、モノが映っているはずのところは、黒で塗りつぶされたようになっていた。

 明石は苦々しい声を出す。

「フィルムが海水で傷んでたの。何かが撮られていたのは間違いないんだけど、きちんと現像できなかったんだ。何とか綺麗に映らないかなと思って、いろいろ試したんだけど。その結果が……」

 ごめんね。明石の謝罪が、室内で溶けるように消えて行った。 

 

 ***

 

 夕方の食堂は閑散としていた。夕食時になれば出撃から帰ってきた艦娘で賑やかになる。

 今はイムヤとゴーヤの2人だけだ。

 冷房が効いているため窓は締め切られているが、外からヒグラシの声が途切れることなく聞こえてくる。

「フィルム、処分しようか」と明石に提案されたが、イムヤは受け取ることにした。捨ててしまえば、明石の苦労が無駄になってしまう。

 ウミとローは今も部屋にいる。「何とかすれば見えるはず!心を清らかに、ですって」と、ローは諦めていないようだった。

「どうしたんでち?」

 イムヤの対面に座るゴーヤは尋ねる。

 明石にフィルムを渡されてから、明らかにイムヤの様子がおかしかった。今も頬杖をついて、テーブルに目を落してばかりだ。

「そうねぇ」、イムヤの声に覇気がない。

「何をそんなに落ち込んでるんでち? 確かにフィルムのことは残念だったけど、それはゴーヤたちにはどうしようもないことだよ。それに、仮に写真が見えても、それでウミの記憶が戻るとは限らない。新しい方法を探しながら、記憶が戻るのをゆっくり待てばいいと思うんだけど」

「違う、そうじゃなくてね」

 ゴーヤの元気づける言葉を、イムヤは否定した。

「そんなことで落ち込んでるんじゃないの」

「じゃあ何で」

 イムヤは静かに目をつむり、

「持ち上げて落としちゃったことに、悩んでるのよ」

 記憶が戻るかもしれない。その希望が見えた彼女の笑顔はまぶしかった。

 楽しみに、待ち遠しく思っていたプレゼントが、今まさに目の前にある。そんな風な。

 そして、そのプレゼントは、ウミの手に渡ることなく取り上げられた。

 予期せず、イムヤは期待を裏切る形となってしまった。

 フィルムの現像をしたのは明石だが、提案をしたのはイムヤだ。

 あの時、工廠前でされた笑顔のお礼を、無駄にした。

 そのことが悔しくて、つらくて、罪悪感がイムヤの胸を締め付けていた。

 鉄の塊であったころは、こんなことで悩まなくて良かった。しかし、今は女の子の、人間の身体を持っている。もちろん、感情も。

 期待を裏切ったことに悩む。そして、その悩みに共感して欲しいと思っている自分に、また嫌気が差す。

 感情の負の連鎖で、イムヤは顔を上げられなかった。

「イムヤ、少し責任を感じ過ぎでち。自分にはどうしようもないことを自分のせいだなんて思わない方が良いよ」

 ゴーヤは励ますように優しく言った。

 その言葉に救われたような気もするが、イムヤの中のモヤモヤした感情は拭いきれなかった。

「ただいまー」

 食道の扉を開けたのはシオイだ。

「もー、イクと哨戒に行くときははっちゃんも一緒に来てもらおうかな。あの子元気すぎてコントロール出来な――どしたの、イムヤ」

 悩ましげな表情をしているイムヤに気づく。

 答えられそうにないイムヤに変わって、ゴーヤが答える。

「お悩み中でち」

「何かあったの?」

「実は、カメラのフィルムを明石さんに現像してもらったんだけど」

 ゴーヤがシオイに、事の顛末を話した。

「あ~、それは残念だね」とシオイ。

「まぁ悩んでも仕方ないよ。次のことを考えよ?」

 シオイが優しくイムヤの肩を叩く。

「ん、そうしてみ――」

 違和感を感じた。

 何だろう、とイムヤは思う。

 まだ胸を締め付ける感覚は残っているが、それとは別に、何か突っかかっているものがある。

 それは、出せそうで出せない声のような、取れそうで取れない空気のようなもどかしさだ。

 そういえば……。

 あの時、明石はなんと言っていた?

 そう、明石がフィルムを持って、イムヤの部屋を訪れる前。

 まだ、フィルムを現像する前。

 イムヤは思い出した。そうだ、あの時彼女はこう言った。

 

「持ち主の女の子のために、気合入れて直させてもらったわよ~」

 

 持ち主の可愛い女の子。

 あのカメラは、潜水艦娘が代わる代わる持ち歩いていた。明石はそれを見ていて、その中に持ち主がいると思ったのかもしれない。

 いや、明石には「落し物を預かっている」と説明した。潜水艦娘の中に持ち主がいたとは考えないだろう。

 同じ艦娘で、同じ鎮守府にいるのに「持ち主の女の子のため」なんて遠まわしな言い方をするだろうか。

 ……では。どうしてこの持ち主が『女の子』だと分かったのだ。

 明石にはウミが見えていないはず。

 なのに、どうして。

 タイミングよく食堂の扉が開かれ、入ってきたのは明石だった。

「明石さん!」

 突然呼ばれて明石は驚いた表情をする。かなり声が大きかったのか、他の艦娘からも注目を集めてしまう。

 気にせず明石に近づく。

「ど、どうしたの? やっぱりフィルムは処分する?」

「そうじゃない」

 イムヤは本題に入る。

「明石さん。あのカメラの持ち主のこと、『女の子』って言ったよね。なんで持ち主が女の子って分かったの?」

 イムヤは今までに見せなかった勢いで詰め寄る。

 それに押されながらも、明石は頷いた。

「あ、あのカメラのフィルムを入れるところがあるじゃない? その蓋の裏側に書いてあったのよ、『名前』が。あの名前は女の子かなって」

 最後まで聞かず、イムヤは食堂を飛び出した。

 向かう先は自室。ウミとローがいる、イムヤの部屋だ。

 

 ローは机の上に並べられたフィルムを凝視していた。『並べた』というより、封筒から乱雑にばらまいたせいで、『散らかった』と表現した方が正しい。

「もう、諦めませんか?」

 宙で器用に正座しているウミは、困ったような表情を浮かべる。

「たとえ、そのフィルムにきちんと映っていたとして、私の記憶が戻るとは限りませんよ」

 そう言う声には、何か落ち込んでいるようなニュアンスがあった。

『記憶が戻るかも』と期待していた。それが裏切られたことは、やはりウミの心を傷つけていたのだ。

 しかし、そんなことローには関係ない。言葉にしないと、『今私は傷ついています』と言わなければ、誰にも伝わらない。

 世の中にはニュアンスだけで相手の感情を判断できる人と、できない人がいる。ローは、まごうことない後者だった。

 ローはフィルムから目を離さずに言う。

「あきらめちゃダメ! もしかしたら、このフィルムに名前が写ってるかもしれないよ」

 自分の名前を写真に撮るひとがいるだろうか、そんなことは、やはりローに関係ない。

 やれることはやる。諦めずにやる。自分がダメと思わない限り、他の誰が言おうと曲がらない。

 改装される前の『ユー』なら、素直に諦めていただろう。

 あきらめの悪い所は、ある意味イクと似ているかもしれない。

 ウミとしては何とかして諦めさせたい。これ以上、無駄な時間を過ごさせるわけにはいかない……言葉で伝わらないなら手段で。ウミは潜水艦の扉を閉めたときのように、フィルムを取り上げようとした。

 それは、イムヤが慌ただしく、部屋の扉を開けることで防がれた。

 

「あ、イムヤ!」

 部屋に入ったイムヤの目にローとウミが映るが、今は声をかけている余裕はない。

 明石から手に入れた情報。それを確かめることが先決だ。

 肩で息をするイムヤを見て、ローは首を傾げる。

「どうしたの?」

 その声が聞こえているのかいないのか、イムヤは机の上のカメラを取る。

 その裏のフィルム部分。

 焦って何度か外してしまうが、5回目でようやく蓋をあけた。

 余りの勢いにウミも目を向いた。

「ちょ、ちょっと! あんまり乱暴にしたら、また壊れちゃ――」

 

「カナデ」

 

 びくり、と少女は肩を揺らした。

 イムヤは息を整え、手に持った蓋の裏を、ウミに見せた。

 そして、イムヤの口からも、少女の名前を呼んだ。

「ヨシノ、カナデ。これが、あなたの名前よ」

 その名前を聞いたウミ……カナデはその名前に。遠く聞こえる潮の音と。祖父・祖母の顔と。潜水艦の名前、船員、そして潜水艦甲板で見た景色が目に映った。

 柔らかそうな、透明な頬に一筋の涙が伝う。

 

「思い……出しました」

 

 別れの時は、近い。

 

 ***

 

 わたしは、生まれつき身体が強くありませんでした。

 おうちの布団の上で、庭を眺めているだけの、退屈な毎日。

 遠くの砂浜に波が寄せる音を耳に、祖父が買ってきた本を読む日々でした。

 ある日、外国の本の中に、ペンギンの写真が載っているのを見つけました。

 飛べないけど、厳しい自然の中で生きている。

 なんだか似ている気がして、一度で良いから、見たいと思ったんです。

 こんな鳥がこの世にあるのかって、わくわくしてしまいました。

 ペンギンの他にも、夜空で七色に揺れるカーテンも観測できる。そこは、南極と呼ばれる場所でした。

 見てみたい。自分の目で、確かめに行きたい。南極に行ってみたい。

 わたしには父と母はいません。

 船の建造士だった祖父と、内職をしていた祖母が、わたしの家族です。

 ある日、祖父にお願いしました。何かが欲しいときにはいつも祖父にお願いしていましたので、その流れで。

 祖父はわたしのお願いに、ひどく困った様子でした。

 それはそうですよ、体が弱いのに、極寒の地に足を進めたいというのですから。

 わたしが何かをお願いすると、何でも「いいよ」と言う祖父が、このお願いに返事を出したのは、それよりも半年後になってからでした。

 祖父が主に建造していたのは『潜水艦』と呼ばれる船だそうです。

 過去の戦いのときには、海の中に隠れて敵を攻撃する優秀な艦船だったようです。

 わたしが生まれたころには、もう戦いは終わっていましたけど。

 戦後になって、一隻だけ潜水艦が作られることになりました。

 何でも、とある国が地球の最南端の探索に潜水艦を起用することになったからだとか。

 祖父は過去の実績から、その建造に参加したそうです。

 そして、それが完成した日。

 おうちに帰ってきた祖父が言いました。

「いいよ」

 いつも通りの声音で、いつもの言葉が聞けたことに安心しました。

 そして、潜水艦に乗る当日。

 祖父が用意した小さなカバンを背負い、ありったけの防寒服を着こんで家を出ました。もちろん祖父も一緒です。

 祖母は笑顔で見送ってくれました。

 潜水艦内はくさかったです。それはもう、機械はこんな匂いも出せるのかってくらいには臭かったです。

 リュックの中身を確認しようと思って中を見ると、一つのカメラと手紙が入っていました。

 手紙は、祖父が書いたものでした。

 

 『潜水艦に載った人間は、必ず帰ってくると約束をして乗るんだ。

  だから、お前も、気がすんだら帰ってきなさい。

  お前が見たものを、そのカメラに収めてこい。

  帰ってきたら、その写真を見せておくれ。何を見たか教えてくれ。

  だから、必ず帰ってくるんだよ』

 

 短い文章でした。

 もう一枚手紙が出てきました。

 

 『この潜水艦には、お前が帰ってこられるような名前を付けておいた。

  といっても、ばあさんが付けたんだがな。

  他の仲間に見せたら、おかしな名前だと笑われてしまったよ。

  それでも、お前が乗る船には、ぴったりだと思うぞ。

  お前も覚えておくといい。寂しくなったら思い出すんだ。

  いいかい。この船の名前は』

 

 潜水艦――『しおさい』

 

 ***

 

 いつの間にか、部屋にはしおいたちも集まっていた。

 カナデの話に、誰も口を挟もうとはしなかった。

『潜水艦の旅は孤独でした。潜水艦乗りの方はいらっしゃいましたが、それでも寂しさがありました』

 思い出した記憶を言葉で紡ぐ。

『家族が目の前にいない。息のかかるところにいない。それだけで、こんなに寂しくなるなんて、思いもしませんでした。

 きっと祖父は、わたしがそうなることを分かっていたのかもしれません』

 寂しくなったときには、潜水艦の名前を思い出していました。

 カナデの祖父は、潜水艦の名を『しおさい』と名付けた。

 病弱で、ずっと家から出られずにいた彼女の耳には、そこから聞こえる潮騒がしみ込んでいた。名前を思うだけで、彼女の故郷を思い出せるくらいに。

『南極は凍えるような寒さでした。でも、わたし、見たんです。本に載っていた写真と、同じものを』

 一面が白の世界を。

 凍る水上に積もる雪を。 

 その上を歩くペンギンやアザラシ。

 満点の星空にたなびくオーロラを。

 震える指を何とか動かし、カメラのシャッターを切る。

 カメラのフィルムいっぱいに景色を納め、船内ではしゃぐ少女。

『その帰りのことです。意識が遠くなっていくのを感じました。なんとなく察しました、あ~死ぬんだなって。身体は雲の上にいるみたいにふわふわしてました。付き添いの方の声が聞こえましたが、返事をするのもおっくうで――そのまま、眠気に逆らわずに意識を沈めました」

 そして、イムヤたちと出会った。

 常人であれば訪れることのない、沈んだ潜水艦。

 カナデは、何十年越しに誰かと出会ったのだ。

 イムヤは声を掛けたかった。何かを言ってあげたかったが、今声を出せば泣いてしまいそうで。

 彼女の境遇を憐れんだから?

 自分が同じ立場ならと考えたから?

 後でローがしゃっくりを上げている。自分の感情に素直なところを羨ましく思う。 

 やけにしんみりした空気を感じ取ったのだろう。カナデはおどけて手をパタパタと振る。

『あ、でも。思い出したのはそれだけで、自分の家がどこかまでは思いせないんですけど。

 ずっと家の中で過ごしていましたし、車で港に行くまでの間も眠っていましたので』

 たはは、と頭を掻く。

 どう切り出そうか悩んでいると、ハチが前に出た。

「分かるよ。あなたの家」

 え、とハチに視線が集まる。

「潜水艦のことを調べてたら、当時にしては潜水艦らしくない名前を見つけたの。その側に、建造した人の名前も載ってた。カナデと同じ苗字の人」

 もちろん、住所も。

「さすがはっちゃんなのね!」

 イクが大仰にハチの肩を叩く。

「そこって遠い?」

 しおいの質問に、ハチは首を縦に振る。

「街の駅から行けるけど遠い。日帰りで行けるんだけど」

 みな言葉に詰まる。

 日帰りということは、一日だけは休暇が必要、ということだ。

 潜水艦哨戒が日課になっていることを考えると、休暇をもらいづらい。

 しかし、この件には潜水艦娘で対応したかった。

 誰かが出撃でいないのは避けたい。

「こ、こうなれば、ゴーヤがお願いしてくるでち」

「え、どうするの?」

「今までの働きを盾にして休暇をもぎ取ってくるでち」

 そう言って出て行こうとするのをしおいが止める。

「やめときなって。それだけで休みになれば誰も悩んでないわよ」

「でもやってみないと分からないでちよ!」

 ぎゃーぎゃーと騒ぐゴーヤ。

 見かねたイムヤが提案する。

「みんなで、お願いしに行こうか」

「もしそれでも駄目だったら?」

 ローに尋ねられ、「うーん」と天井を仰いだイムヤの結論は。

「ダメなら、みんなで土下座でもしましょうか」

 

 彼女たちの心配は杞憂に終わった。

 提督も、ほぼ毎日出撃させている潜水艦娘に引け目を感じていたそうで。

 言われればいつでも休暇を与える予定だったようだ。

 それならもっと早く休みをくれてよかったのではないか、とはあえて言うまい。

 もし許可が出なければ土下座も辞さないと思っていたのに、なんとも拍子抜けである。

 鎮守府から徒歩20ほどのところにある駅。

 そこから3時間かけて着いた場所は、砂浜が近い駅だった。

 結論からいって、カナデの家の場所はすぐに見つかった。

 イムヤのスマホのGPS機能で、単純に住所のところへ行くだけでいい。

 だが……。

「ここ、駐車場だよ?」

 彼女たちの目の前にあったのは、広い庭でも、日本らしい家屋でもない。

 無機質なコンクリート塀で道路から隔絶された敷地と、白い線でいくつも区切られた駐車スペースだった。

「こんなことって……」

 あり得ない。そう言いたかった。

 辺りを見渡すと、おばあさんがトボトボと歩いているのを見かけた。

「あ、あの」

 ゴーヤが声をかける。

「ここって、駐車場じゃなくて、家がありませんでしたか?」

 おばあさんは「はて」と首を傾げたが、思い出したようで、

「もう年十年も前に、ここに住んでた方が亡くなってねぇ。もう誰も住まないからって、親族の人が壊したんじゃよ」

 それだけ言って、おばあさんはまたどこかへ行ってしまった。

 午後の日差しが焼けるように熱い。

 汗が止まらないのに、拭う手が持ち上がらない。

「……ごめん」

 見れない。

 どうしても、カナデの顔が見れない。

 良く考えてみれば、あり得ないことではないじゃないか。

 カナデが生きていた時には、元々高齢だった老夫婦が、今なお生きているはずがない。

 行き場をなくした幽霊少女の帰る場所を見つけた。

 これで何もかもが丸く収まる。

 浮かれていた。ひとつのことで喜んで、他の大事なところが見えていなかった。

 こんな単純なことなのに、単純だったからこそ、抜け落ちていた。

 これでは、ただカナデを傷つけただけだ――――最低だ。

「仕方ないですよ」

 カナデの声は明るかった。

「だって、もうかなり昔のことですから。わたしが船の中にいた時間も、数えられないくらい長かったですし」

 やめて。

「わたしも、家にはおじいちゃんとばあちゃんがいてくれるって、ずっと思ってましたし」

 やめてよ。

「でも、わたしが死んでるのに、2人が生きているのっておかしな話ですよね」

 これじゃまるで。

「ごめんなさい。わたしがそのことに気づけばよかったです。ここにくる、もっと早くに……。だから――」

 まるで、あたしが……。

「だから、泣かないでください」

 慰められているみたいじゃないか。

 泣かなければいけないのはカナデの方だ。

 期待させたのはあたしたちだ。

 彼女を暗い海から引きずり出したのはあたしたちだ。

 なのに、なんでカナデは涙をながしていないんだ。

 ローのしゃっくりが聞こえてくる。

 後ろを振り返りたかったが、そこにはカナデがいる。

 涙で目を赤くした今の顔を見られたくない。

「みなさん、ありがとうございました」

 はっとした。構わず振り返る。

「どういうこと?」

 カナデとの距離が、妙に遠く感じた。

「こんな形になっちゃいましたけど。それでも、皆さんはわたしのお願いを聞いてくれました。もう……十分です」

 何が十分だ!

 こらえられなくなったのか、ローが叫ぶ。

「十分じゃない、ですって! だって、カナデの家がっ」

「いいんです」

 ローを諭すような声音で。

「たとえ、家として残っていなくても。ここが、わたしの帰るべき場所があったのは、間違いないんですから」

 

「2週間ほどでしたけど、わたし、とても楽しかったです」

 

「もう、誰にも会えないって思ってたのに。みなさんとお話しできただけで、こんなにうれしことはありません」

 

 さようなら。

 

 夏の日差しに溶けるように、カナデの姿は見えなくなった。

 

 ***

 

 イムヤ達は駐車場から動かなかった。

 誰もその場から動こうとせず、真夏の陽光で焼かれたコンクリートに座っている。

 流れる汗を誰もぬぐおうとしない。ただ、ぼーっと座っている。真昼の熱気に、頭の中を茹でられたような感じがする。

「たぶん、あの子は」

 ハチが口を開く。

「これ以上迷惑を掛けられないって、思ったんだよ。家も誰もいなかった。だったら他の親族の家を当たろうって提案するのを防いだんだ。もしそうなれば、はっちゃんたちがもっと苦労すると思ったんだ」

 そうだろう、イムヤも何となく分かる。

 でも、何となくだ。多分とか、おそらくとか。本当にそう思っていたかどうかは、もう分からない。確かめる本人は、もうここにはいない。

 こんな別れ方、したくなかった。

 思うことは、みんな同じ。

 もっと違うやり方があったんじゃないのか。

 例えば、その親族の人のところにいくとか。

 それは、ウミが思ったであろう、イムヤたちには苦労であるかもしれない。それでも、ウミのために動くことを迷惑とは思わなかったはずだ。

「おや、どうしたのかね?」

 不意に、おじいさんが声をかけてきた。

「喧嘩でもしたのかね、友達とは仲良くしないと」

 優しそうに近づいてきたおじいさんの脚が急に止まる。

「そのカメラ……」

 気になったシオイが聞く。

「これが、どうかしたんですか?」

 おじいさんはやや返答に困っている様子だ。

「いや。昔乗った船に、似たようなカメラを持っていた女の子がいたんだ。わしがまだ若造だったころだが」

 イムヤの胸が跳ねる。

 もしかして。

「もしかして、その女の子、『カナデ』っていいませんか」

 おじいさんの目が大きく開く。

「キミたち。お嬢さんのことを知っているのかい?」

 

 立ち話をするには長くなるとのことで、イムヤたちはおじいさんの家に行くことになった。

 趣のある日本家屋に広い庭。

 水が入るとかこんと落ちる竹なんて実際に見るのは初めてだ。

 ローとイクは興味津々で、竹から離れそうになかった。

 客間に案内されて、おばあさんが出してくれた茶菓子を食べて一息ついたころ、おじいさんがやってきた。

「キミたちは、どうしてお嬢さん――カナデさんのことを知っているんだい?」

 イムヤはカメラのフィルムケースのふたを見せる。

「このカメラを、沈んでいた潜水艦から見つけたんです。哨戒中に」

 ふたをおじいさんに渡す。

 おじいさんはしばらく蓋の裏に書かれた名前を見つめ、イムヤに返す。

「わしは、『しおさい』の乗組員だったんじゃ」

 昔を懐かしむように、おじいさんは語り始めた。

 

 

 よその国と南極を探索することになって、わしはそれに志願したんじゃ。

 白い平原、この国にはいない生き物。

 やんちゃだったわしは、それらを一目見たかったんじゃ。

 潜水艦が完成したその日、乗組員が建造主、ヨシノさんに呼ばれてな。

 会議室に入った途端に、わしらに向かって土下座したんじゃ。

 何事かと思ったよ。何か不備があったのか、良からぬことをしでかしたのか。

 しかし、そうではなかった。

 ヨシノさんはわしらにお願いをしたんじゃ――「孫を一緒に連れて行ってやってくれ」、とな。

 聞くと、お嬢さんはもう長くないとのことじゃった。

 お嬢さん自身には聞かせられていなかったようじゃが。

 その彼女が、ヨシノさんに言ったそうじゃ。

 

***

 

「ペンギンが見たい」

 誰かがぽつりとつぶやいた。

 おじいさんは驚いたような目をして、今度は優しそうに微笑んだ。

「もしかして、お嬢さんとお会いしたのかな?」

 ほほほと冗談めかして笑う。

 話の続きを語った。

 

 ***

 

 使い方はどうであれ、潜水艦は艦船じゃ。

 当時、まだ潜水艦に女性を乗せるのは憚られていた。

 しかし、ヨシノさんの必死さに押されてな。お嬢さんの最期の願いというのもあったからかな。

 わしらは、潜水艦にお嬢さんを乗せることにしたんじゃ。

 そして、艦内での彼女の世話は、わしがすることになった。

 良く話す人だったよ。話すことは本のことばかりだったがな。

 こんな本を読んだ。

 あの本は面白いが、それよりも辞書の方がたくさん文字が書いてある。

 辞典は凄い、知らないことばかり書いてある。

 南極までの長い道のり、退屈はしなかったよ。

 時々熱を出して寝込むこともあってひやひやしたが、何とか南極にたどり着いた。

 艦橋から顔を出したお嬢さんは、それはもうはしゃいでおった。

 今時の女の子と変わらないような笑顔と、黄色い声を上げてな。

 鞄の中からカメラを取り出して、夢中でシャッターを切っておったよ。

 オーロラの写真も撮れて満足そうだった。

 後で外国の船員に聞いたんじゃが、時間をかけて南極に来てもオーロラはなかなか見れないそうだ。

 はしゃぎつかれたのか、お嬢さんは居住区にもどってすぐに横になられた。その時も、カメラを手放していなかった。

 事が起こったのは、あと1日もすれば母国に帰れるというところじゃった。

 その日、お嬢さんは「少し休むから」とふらつきながらベッドにもぐられた。

 眠られる顔は、何とも安らかだった。

 彼女を看取った、すぐ後じゃ。浸水したとアラームが鳴り響いたのは。

 すぐに区画の防水扉が閉じられたが、機関室が壊されたそうで、潜水艦はずんずん沈んでいった。

 脱出するとアナウンスも流れた。わしはお嬢さんを担いでチャンバーへ向かった。

 その時に、カメラを落してしまったんじゃ。

 拾う余裕は、無かった。今は、亡くなったお嬢さんを港へ連れて帰る。それが優先だと思ったんじゃ。

 何とか母港にたどり着いて、わしは真っ先にヨシノさんのところへ向かった。お嬢さんは連れて帰った、カメラを落してしまった。

 潜水艦が沈んだと聞いたヨシノさんは、「南極には着いたのか」と尋ねてきた。

 わしは頷いた。

「ペンギンと、七色のカーテンは見えたのか」

 また頷いた。

 それだけ確認して、ヨシノさんはわしを責めなかった。むしろ「ありがとう」と肩を叩いてくれた。

 

 

 おじいさんの話は終わった。

 誰も、何も言わなかった。

 ただ、夏の暑さと、夏空に叫ぶセミの声だけが耳に届いていた。

 おじいさんはゆっくりと口を開く。

「少し、付き合ってくれんか」

 

 潜水艦娘が連れられて来たのは、ある墓地だった。

 綺麗に磨き上げられたもの、年月が感じられるものが整然と並ぶ。その中のひとつで足を止めた。

 墓石には『吉野家之墓』と掘られていた。

「吉野さんのお墓じゃ」

 おじいさんは墓石を見つめる。

「この中に眠っておる。みんな、な。お嬢さんもこの中におる」

 おじいさんにつられるように、イムヤも墓石を見つめる。

 イムヤはローの手からカメラを受け取り、墓石の前で腰を低くした。

 手に持ったカメラを供える。 

 そして、静かに合掌した。おじいさんも、ゴーヤも、ローも、シオイも、ハチも、イクも。

 墓地近くの林から聞こえるセミの声が、いつもは鬱陶しく思うのに、今はなぜか心地よかった。

 依頼は達成したよ。あなたの家、家族が待っているところに届けたわ。

 イムヤは心の中で、そう唱えた。

 顔を挙げ墓地を背にしたとき、

「ありがとうございます」

 誰かの声が聞こえた気がした。

 その声は、イムヤが捕まえる前に、夏の風に解けるように消えていった。 

 

「キミたちに出会えてよかった」

 おじいさんは家の玄関で頭を下げた。

「キミたちと会えなかったら、お嬢さんのことを思い出すこともなかった。良い夏だったよ」

 そう言われると照れくさくなる。

 潜水艦娘は頬を掻いたり笑顔になったり、それぞれ異なった表情をする。

 帰り際にローが思い出したように、ひとつの封筒を渡した。

「きちんと現像できてないけど、カメラにあった写真ですって。おじいさん、持っててください」

 おじいさんは封筒を受け取り、もう一度「ありがとう」と頭を下げた。

 遠くで、ヒグラシが鳴き始めていた

 

 帰りの電車に乗るころには、空はすっかり茜色で満ちていた。

 夕日に照らされた車内に乗るのは潜水艦娘、彼女たちだけ。

 疲れがたまったのだろう、ハチとイムヤ以外は眠ってしまった。

 4人掛けの席に座り、イムヤはスマホを起動し、ハチは持参していた本を読む。

「不思議だね」

 ハチがつぶやく。

「幽霊とか、沈んだ潜水艦とか。未だに信じられない」

「じゃあ写真見せてあげようか」

「いいよ、本読んでるから」

 そのやりとりで、そうだとイムヤは思いつく。

 ゲームを中断して、アルバムを起動する。

「何してるの?」

 ハチが気になってたずねる。

「あの潜水艦の写真、全部消そうかなって。居住区以外の写真も取ってたから」

「いいの?」

 イムヤは頷く。

「あそこは、カナデたちの思いが詰まった場所だよ。ひとのパーソナルスペースを写真に残しておくのは、ちょっとやな感じだしね」

 一枚ずつ丁寧に削除していくイムヤ。

 すると、あるところで、イムヤのスマホをフリップする手が止まった。

 その画面には、消そうとしても消せなかったあの写真。

 間違って撮影してしまった、心霊写真『だった』もの。

 白い影が映っていたはずだが、まるでそこにはなかったように、影は跡形もなく消えていた。

 アナウンスが、次の駅の案内をする。降車駅に到着するには、まだ時間があった。

 着くまでの間ゲームをするのもいいが、電車の揺れで妙に眠くなってきてしまった。さっきからあくびが出そうで仕方なかったのだ。このまま揺れに身を任せて眠ろうと、イムヤは決める。

 そして出来れば、その間に夢を見たかった。その夢にはきっと、一人の女の子が出るはずだ。

 その女の子は古びたカメラを持って、遠くへ走り去ってしまうだろう。

 その子に言いたいことがある。あの駐車場で言えなかった言葉を言おう。

 あの時は涙で顔を挙げられなかったけど、今度は笑顔で、手を振りながら――

 

「バイバイ」

 

 小さく微笑んだイムヤはメニューから『削除』を選択し、スマフォの電源を落とした。

 




 読みづらい部分が多々あったと思いますが、最後までご覧頂きありがとうございました!
 稚拙ではありますが、こちらのお話を動画にしたものをニコニコ動画にアップしているので、よろしければそちらもどうぞ。

 →http://www.nicovideo.jp/watch/sm29954427


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