少々病んでいる   作:縁ナシ

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「――寒いですね」

 

 

 暦の上では十二月もそろそろ終わる頃。

 かじかむ手を口元に持っていき、ほぅ、と白い息を吹き掛けた。赤くなった指先がほんの微か、熱を取り戻した瞬間に、耳元で轟と風の音が鳴る。

 顔の横を吹き抜けていった空気が温かさを奪って、彼方へ飛び去って行く――大人しく、ジャンバーのポケットの中に両手を収める事で妥協する。

 

 段々と。

 指先から手首へと、感覚が冷気に蝕まれて枯れ落ちていくような感触を覚えていた。

 

 人里には一昨日の晩からしんしんと、粉雪が静かに降り続いていた。遠くから見ると里に白いヴェールがかかったようだ――というのは昨日、彼が仕える主の仕事の邪魔にならないよう、屋敷を出て里をぶらついていた際に顔を合わせた知り合いの紅い館のメイドから聞いた話だ。

 

 珍しく館の主である吸血鬼と、図書館で暮らす紫髪の魔女も一緒だったのが記憶に残っている。以前逃げ出したペットを捕まえるのに協力してくれた、貸本屋の娘にいい機会だからと直接礼を言いに来たらしく、特に魔女の方は貸本屋にあるという妖魔本に興味津々だった、吸血鬼の方は子供じゃないんだから、と呆れ顔だったが。

 面倒見の良い姉のようだと思った。

 

「だから、寒いですね? と聞いているのですが――もし?」

 足元に落としていた視線。その視界に無理矢理、下を向いていた自分の顔を覗き込む形で割り込んできた一人の少女がいた。

 

 ……声を掛けられて事にさえ気付けなかった。考え事に夢中になると、人の話を聞かなくなる。悪い癖だと自覚はしているのに、中々治せないでいる。きっと、もう躰に染み付いているのだ。

 

「……うん、そうだね」尚もじぃっ、とこちらの顔を見つめる阿求の言葉に少し、遅れて返答する。

 寒さで躰の中の回路がどこかおかしくなったようだった、そんな感覚がしていた。聞き取れなかったのはこいつが仕事をしないせいか、と剥き出しの両耳をぐにぐにと指先で強く揉む。触れた所からじわりと熱が滲み出ては、寒さに呑まれて消えていく。

 ……芳しい効果は得られそうにない。

 

「ずいぶん頭に積もっているよ」

 

 言い訳をしながら、目の前の頭の上に乗った粉雪を払い落としてやる。

 昨日会った魔女とは似ていながらも明確に色合いの違う、黒に近い紫髪。若草色の長着の上から黄色い地に花柄の羽織を纏い、赤いロングスカートが、動きに合わせてふわりと揺れる。

 

 少女の名を稗田阿求、という。

 九代目阿礼乙女と言えば人里でその名を知らぬものはおらず、またこの世界に跳梁跋扈せし妖怪連中にも、その名の通りは良いだろう。

 

「無視されると悲しいです。しょんぼりです」

 言葉の割に、上機嫌に阿求は紡ぐ。

 あるいは何か良い事を思いついた――なんて、小悪魔染みた企みを含んだ表情だった。

 

「……ちょっと考え事に夢中になっていたんだ。ごめんよ」

「そんな風に軽く謝られても、許したくありませんけど――あぁ、そういえば行き付けの茶屋で美味しそうな最中(もなか)を売り出し始めたそうですね。うちの女給が言っていました」

「……今度買いに行こうか」

「えぇ、一緒に行きましょう」にっこり、と笑みを浮かべる。

 完全に手玉に取られているのを自覚し、やはり敵わない、と頬を掻いた。

 

 時分は既に夕暮れであった。

 季節特有の薄暗さと寒さ、それと人の身からすればよろしくない、この小癪な天気のせいか。人里の中央を走る大通りの人通りはいつもより芳しくなく、そして道行く人は皆、少し早足になっているように感じられた。

 さくさく、きゅっきゅっ――と。

 靴底が粉雪を踏み締める、どこか虚ろな音が響く。

 粉雪の降る中、二人並んで往く。

 

「ところで、ついて来いと言うからついてきたけれど――結局どこへ向かっているんだい? 阿求さん。いつもの散歩じゃあないようだけれど」

 

 ふと、屋敷を出た当初から抱いていた疑問を告げた。

 ……阿求お付きの使用人、という名の単なる遊び相手として雇われ、屋敷に居候させてもらっている身分の彼は当然、主である阿求に頭が上がらない。

 ゆえについて来いと言われれば二つ返事でついて行くが、散歩と言うにはいつもの散策コースから外れているように思えた。

 

「あぁ、言っていませんでしたね。呼び出されたんです」

「……。それは、どういう?」いまいち要領を得ない阿求の回答に、彼は問い直す。

「私が外に出るとき、あなたが一緒について来ない理由がありますか」

「……あー」

「えぇ」

「……」

「……」

「……いやいやいやいや」

 断言するような語調に危うく納得させられかけたが、別に問いに対する答えを貰えたわけではない。

 二の句を継ぐ前に、阿求の言葉が飛んで来て、口をつぐまされた。

 

「私について来ればおのずと分かります。それとも――何か物申したいことでもあるのでしょうか」

 

 ずい、と顔を寄せた阿求が耳元で囁く。

 ――少女の躰から漂う、花のような甘い香が鼻腔を擽った。

 周囲の視線が彼へと、四方八方から突き刺さる。見守るような、はたまた嫉妬か、それともこんな往来で何をしているのか、という呆れや怒り交じりだろうか。

 阿求としてはからかい半分でしかないだろうに、からかわれる側の彼にすれば、洒落にならなかった。

 ただでさえ御阿礼の子の家に居ついた外来人として、狭い里の中ではそれなりに名や顔の通った人物であるというのに、こんな事で主人との浮ついた噂など流されてしまっては、一層生きにくくなるだろう。

 

 ……さておき、彼は注目を集めて平常心でいられるような性格をしていない。

 やめてくれないかと訴えると、阿求はやれやれ、と言わんばかりに肩をすくめて彼から離れた。

 

 止まった足をまた動かせば、自然と周囲の視線は散っていく。

 

「大人をからかうのはやめてくれ……」少々げんなりしながら彼は言う。

「からかっているつもりはありませんよ? うふふ」

「……まぁ、主が楽しそうで、遊び相手としては感無量なのかな……?」

 

 行き先は有耶無耶にされてしまったものの、この調子だと無茶をするつもりではなさそうだった。例えば紅白巫女や白黒魔法使いのような用心棒を連れずに里の外に出ようとしているのなら、お目付け役も兼ねている彼は必至で止めねばならない。

 

「――理性より先に、その関係から切り崩したいところですね」

「……ん、何か言ったかい。阿求さん」

「いえ、理解する必要はありませんよ――いずれ、必ず理解しますし。させますし」

「……?」首を傾げながらぼそぼそと呟く阿求に追随して道を往く。

 

 それから大通りを外れて脇の小道に入り、暫く。そこで勘というか経験則が働いた、何となしに、阿求が自分を連れて行こうとしている先が分かって来たのだ。

 と言うより、むしろ今迄気付かなかった自分がかなり、鈍感だったと彼は思った。

 この道順は、彼自身何度も辿ったことがあるではないか。

 

「……もしかして、鈴奈庵?」

「あ、ご明察ですね」あっけらかん、と阿求は答えてみせる。

 ……今まで情報を出し渋っていたのが嘘のような態度であった。

 阿求は笑みながら続けた。

 

「実は小鈴に貴方を呼んで来るよう頼まれたんですよ。私も一緒に来るように、という話でした」

「え?」

 

 小鈴――本居小鈴は、大正の女学生のような服を好んで着ている人里の貸本屋、鈴奈庵の看板娘の名前である。

 ……何か呼び出されるような事をしただろうか、と思考の糸を巡らせる。

 

 彼は鈴奈庵に置いている外の世界の本――故郷の本と言っていい――を読ませてもらう代わりに、時折貸本屋の手伝いをしている。

 その関係である程度、彼は小鈴と親交があった。

 手伝いで呼び出されるならともかく、阿求も一緒に、となると――本当に心当たりがなかった。

 

「もしかして、知らない間に仕事で何かヘマをしでかしていたとか……」

「あぁ、そういう事ではないようです。けれど、詳しい事は私も良く分からないんですよね」

 

 阿求は困り顔で腕を組む。

 

「小鈴が来たのは昨日私が仕事をしていて書斎に籠っていた最中で、しかも直接聞いた訳ではないので。丁度貴方も屋敷を離れていたから、うちの女給に言伝を頼んだらしいです。いわく“貴方と一緒に鈴奈庵(うち)まで来てくれ”、と」

「……不可解だなぁ」

 

 首をかしげる彼の隣で、阿求は眉根を揉む。

 

「また何か、変な事を画策していなければ良いんですが」

 

 はぁ、と重い息を吐く。

 吐息は白く染まって、それから冬の寒空へ溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

     ※ ※ ※

 

 

 

 

 

「――クリスマスパーティーへのお誘い?」

「そうなのよ、実は昨日赤い館の吸血鬼がやって来てね。“ペットの一件のお礼だ”って、こんな招待状を貰ったのよ。何でも今年は、紅魔館でクリスマスパーティーをするんだってさ」

 

 ひらひら、と小鈴は指先で摘まんだ、蠟印のされた封筒を自慢気に阿求へ見せる。

 ――場所は変わり、鈴奈庵の店内である。

 年季の入った蓄音機の上では、これまた古めかしいレコードがクラシックを奏でていた。店内に満ち満ちる紙の匂いは、心を落ち着かせてくれるような不思議な古めかしい香りだ。

 

 座り心地の良いソファに腰かけていると、思わずうつらうつらと舟をこいでしまいそうだった。

 隣に腰かけた阿求が肩に頭を乗せていなければ、本当に寝ていたかもしれない。

 

「そしてこれ。じゃじゃーん」

「……封筒が、合わせてひぃ、ふぅ、みぃ……三枚?」

「一つは当然私のもの。そして、残りの二枚は貴方と阿求のものだそうよ。渡しておいてくれ、って頼まれたの」

 

 ひらり、両手に持った封筒をそれぞれ、小鈴は彼と阿求へ手渡す。

 高級そうなそれを暫く眺めた後、彼は蠟印をぺりぺりとはがし、中身を改めた。

 封筒の中には一枚の、これまた高級そうな紙が入っていた。その上で金色の文字が躍っている。

 ……ただし英語、それも筆記体で書かれており、日本人である彼には全く内容が分からなかった。

 彼が解読に勤しんでいる間、阿求と小鈴の会話が織り成される。

 

「外出許可下りるかしら。……というか何で直接渡しに来ないのよ」

「顔を合わせたくないとかなんとか言っていたわね。ホントは招待だってしたくないとか。

 でもこの人を呼べば力ずくでもついて来るだろうから、御阿礼の子を不法侵入者にするのも悪いし招待状くらいは出してやろう――みたいな事を上から目線で言っていたわ」

「へー。……絶対許可取り付けてやる」

「あはは、言うと思った」頬を膨らませる阿求と対照的に、けらけらと腹を抱えて笑う小鈴。

 そのやり取りの傍ら、とうとう筆記体の解読を諦めた彼は、招待状を机の上に置きながら続けた。

 

「というか俺、昨日鈴奈庵に行く途中だったあの人達と会っているんだけど。……なんでその時に渡してくれなかったんだろう」

 

 阿求はどうも吸血鬼と折が合わない様だが、自分は少なくとも道端で会えば会話する位には仲が良い筈だと彼は思っていた。

 そもそも嫌いな相手に招待状を渡す理由も無い。

 だから解せない、何故あの時に渡してくれなかったのか――。

 

「そうなんですか? ……あぁ、あの独り言はそういう意味ね」

「何か言っていたのか」

「確か――いや、やっぱり言うのはやめておきますね」

 

 聞き返すと、小鈴は何かを言おうとしてから引っ込めた。彼としては生殺しのような状態だ。

 当然、小鈴を追及する。

 

「何故」

「私は阿求の味方だからね。敵に塩を送る真似はしたくないわよ、流石に」

「……すまない、意味が分からない」

「分からなくて良いんですよ。だから深く考えるのはやめて下さいね? きっと小鈴の言葉に嘘はありませんから」

「……、はい」

 

 小鈴の回答はきっぱりとしていて、続けられた阿求の言葉は断り難い重みを持っていた。

 そもそも、阿求はその独り言の内容を知らない筈なのに。

 それなりに毒を含んだ軽口を冗談で言い合える程度に、この二人には奇妙な信頼関係があった。

 

 ともあれ、これ以上は踏み入っても火傷するだけだと判断して彼は追及をやめた。それにまさか、自分が仕える主からの命を突っ撥ねる雇われがいる筈もない。

 引き下がれば――自然と、話題はパーティーについての話に移り変わっていく。

 

「開催は聖夜、十二月二十四日の夜よね? 丁度一週間後――ところで何時に紅魔館へ行けばいいのかしら」

 未だ、彼の肩の上に頭を置いたままの阿求が呟く。

 それを微笑ましいものでも見るように小鈴は眺めながら、

 

「招待状、英語で書かれてるから二人とも読めないでしょう? ……いや、貴方は英語、ある程度は読めるんだっけ? 今読んでいたよね?」

「筆記体は読めない」言いつつ、彼は机上の招待状を指差す。

「うわ何ですかこの蚯蚓がのたくったみたいな文字は」

「それ阿求さんが言う?」

 

 彼は幻想郷縁起に使われている文字もこういう感じだったと記憶していた。

 あれは日本古来の由緒正しいものだと頬を膨らませる阿求に彼が頭を下げるのを見ながら、小鈴は脇に置いていた眼鏡を手に取った。

 

「どれどれ、ちょっと拝借。確か集合時間は七時とか八時って書いてあったような――」

 

 机の上に置いてあった彼の分の招待状を手に取り、小鈴は早速解読を始める。すると小鈴の周囲に異様な空気が漂い始め、彼の首筋を電気が走り抜けるような感覚が襲った。

 

 ――判読眼のピブロフィリア、本居小鈴の持つ異能の真骨頂。

 どんな文書もたちどころに解読してしまうその瞳は、妖魔本という妖怪が記した書物を読み解いていくうちに自然と目覚めたものだという。

 小鈴はすらすら読めるようになって嬉しい、とその能力に目覚めた際、感極まって飛び跳ねたというが――一方で友人の阿求はというと、その在り方を心配している。

 それは、小鈴が妖に近付いていっているという証明なのではないかと。

 

 ともあれ、小鈴が招待状を読み解くのには十秒もかからなかった。

 ただし、その内容を嚙み砕くのに手古摺っている様子だ。

「……うぅむ」

「どうしたのよ、まるでお爺ちゃんみたいに唸って」

「せめてお婆ちゃんと言いなさいよ。あ、集合時間は八時ね。八時。覚えておいて――って、こんな心配あんたには無駄か。……にしても“これ”はどういう意味かしら。こんな文章、私の招待状にはなかったんだけど」

 

 ――何か変な事でも書いてあるのだろうか。

 思って訊ねると、怪訝な表情のままに小鈴はこう言った。

 

「“親しい知り合いを連れて来てくれ”、だって。それも出来るだけ多く」

「……えぇと……何だ。パーティーを賑やかにしたいのかな」

「それなら私と阿求の招待状にもそう書くと思うのよね……となると、ますます意図が分からない。

 大体、賑やかにしたいなら大々的に宣伝でもすれば良いのよ。天狗でも雇って。人を集めたいならこのやり方は妙にまどろっこしい」

 

 何時の間にかシャーロック・ホームズのような探偵の衣装に着替えていた小鈴は、ルーペをきらりと輝かせて断言する。いつ早着替えする程度の能力を手に入れたのだろう。

 

 しかし恰好は兎も角、実際の所小鈴の言う事は的を射ている。

 だって人を集めたいならこんな風に、手ずから招待状を配り歩いたりしない。小鈴の言う通りに宣伝して人を集めれば良い。

 わざわざ招待状に“人を集めてくれ”、なんて事を書くよりも、そちらのほうが余程効率的だろう。彼の招待状にのみその文言が書かれていることも不可思議だ。

 

 つまり歯車が上手い事噛み合っていないというか、ちぐはぐなのだ。

 二人が感じている違和感はそれだった。

 

 ――一方で。

 静かに、阿求は彼の肩に置いていた頭を起こしていた。

 得心がいったような表情で――、

 

「……あぁ、そういう事」

「阿求?」

 

 小鈴の問いかけに耳もくれず、ふふふふふ、と俯いたまま仄暗い笑みを浮かべている。壊れてしまったのだろうか――そう二人が心配する傍らで、不意に彼女は何やらぶつぶつと早口で呟き始めた。

 

「意図は察したわ。だって私があの吸血鬼だったらきっと同じ事を考えるだろうし。でもそれは深淵への片道切符よ。その多さ(・・)に絶望なさい……! そもそも、悪魔が聖夜を祝おうっていう時点で不自然であるということ……!」

「……何をヒートアップしているんだろう……」

「結局一体何に気付いたのよ、あんた」

 眉を顰める小鈴に、ばっと顔を起こした阿求が鋭い声音で告げた。

「小鈴――耳を貸しなさい。あぁ、でも貴方は耳を塞いでいてくださいね?」

「え、何で――」

「厳命です。耳をふさげ」

「……はい」

 

 不承不承しっかりと耳を塞ぎ、店の隅へと歩いて行った二人の会話を遮断する。

 ぼそぼそごにょごにょ――と、口を動かしているのだけが見える。

 

 ……取り敢えず、小鈴のげんなりしたようなうんざりしたような横顔から、阿求の気付いた事実が非常にしょうもないものであるという事は分かった。

 聞かなくても別に良かったんだなと彼は人知れず思い、小鈴を気の毒に思ったのだった。

 

 ――しかし結局、吸血鬼の意図とはなんだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けばとっぷりと日は暮れ、外にはぽつぽつと光が灯っている。

 ――二人が招待状を手に鈴奈庵を出て行った後、小鈴はというと、定位置である椅子に腰かけ、すっかり日課となった妖魔本の解読を始めていた。

 ランタンのぼけた灯りを頼りにページを捲ろうとして、伸ばした綺麗な指がぴたりと止まる。

 ふと、先程の阿求との会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

「――ライバルを炙り出す?」

「そういう事。あの人の招待状にのみ書かれているのなら、あの人が知り合いを連れて来ることに意味があるのよ。だったらそれ以外に考えられないじゃない。

 私以外……その、そういう意味で、懸想? してる者はいないようだけど」

「でもそれって愕然としないかなぁ。あの人といっつも一緒にいるせいで、既にそのライバルっていうやつを全部把握しているあんたみたいにさ」

「ざまぁみろ、よ。あの吸血鬼め。私への誠意を欠いた報いを受ければ良いんだわ。悪魔が聖夜を利用しようなんて、虫の良い話はこの世にないのよ」

 

 

 

 

「前途多難だなぁ、恋路って――まぁ阿求の場合は相手が悪過ぎるだけなんだけど。あの人、一手に歪んだ感情受け取りすぎなのよ」

 取り敢えず自分は暫く独り身でいいやと、そんなことを思ううら若き乙女・小鈴であった。

 

 

 

 

 

     ※ ※ ※

 

 

 

 

 

 ――クリスマス・イヴまで暇を貰った。

 

 年末も近いし休みをあげる、と阿求本人から言われたのだ。余暇の間に知り合いをパーティーに誘ってこい、と。

 だからある意味、パーティーの賑やかしを連れてこい、という仕事を任されたのかもしれない。

 

 とはいえ仕事のある時以外はずっと遊び相手として傍にいて欲しい、とまるで単純な希望のように言いつつも、手練手管でそれを殆ど彼に強制している阿求のものとは到底思えない言葉であった。

 

 ……尤も、クリスマスパーティーに出席するため幻想郷縁起の編纂の仕事を前倒ししたせいで忙殺され、自分がついていけない事について呪詛のようにぶつぶつと恨み言を呟きながら――だったので、結局の所は何時も通りだった。

 

 何とか外出許可を取り付けられそうだ、と言っていたが、果たして上手くいくだろうか。

 

 ――それにしても、どうして自分は彼女にあんなに執着されているのだろう。

 遊び相手として気に入られている、それはこの数年間で十二分に分かっているのだが――、

 

「また考え事? ……置いていってもいいならそうするけれど」

「……あぁ、すまん」

 

“吸血鬼の目を剝かせる為には致し方ないですが、やはり身を切るような思いでした”――そんな主人の小さな呟きを思い返しつつ、彼は数メートル先で立ち止まり、振り返った同行者に駆けていく。

 

 知り合いに会うため、早朝から里の外へと足を運んでいた。

 里の中で偶々会った同行者もその知り合いの一人だった。パーティーについては「別にいい、興味ないし」と、先程にべもなく誘いを断られてしまったのだが。

 

 朝早く、枯れた冬空は灰色の雲で満ち満ちていた。

 枯れ森の中を往く。

 

 冷え込んだ空気を飲み込む度に、喉が凍てつくような感覚に襲われる。水筒の中に入っていた熱い茶は、里を出て未まだ一時間もしていないのに殆ど無くなっていた。

 借りてきた防寒着の上から背筋を侵す寒さを紛らわす為に、彼は近付いて来る同行者の背中に声を投げる。

 

「正直助かったよ、同行を引き受けてくれて。わざわざ歩く必要だってないだろう? だって帰り道なんか、飛んでいけば一直線だろうし」

「礼も謝罪も要らないわ、友人の頼みは快く聞くものらしいし。可能な範疇で」

 

 振り返らずに同行者は続ける。

 

「それに私も道連れが欲しかったのよ、飛んでいくなんてこの雪景色に失礼だわ。勿論ちょっと遠回りにはなるけれど、偶にはこういうのも良いものよ。というか一応私も妖怪なのだけど。捕って喰われるかも、とは思わないの? ……ずずっ」

 

 鼻をすする同行者。

 寒さは苦手、そう言った彼女の鼻頭は真っ赤だった。

 その割に雪景色を見て回りたいというのだから、中々可愛らしい所があると彼は思う。

 漸く追いつき、隣に並んだ彼は苦笑する。

 

「俺を“友人”って言う人が俺を殺すとは思わない。それに君みたいな物を考えられる妖怪の人達はどうも、俺を殺したり食べたりする事に意義を見出していないらしいし。だから殺されたら、まぁ……自業自得だ。そこまで機嫌を損ねた俺が悪い。……でも、できればどうか食べたりはしないでくれ。阿求さんに“私が死ぬまで死ぬな”って言われているから。縁起でもない言葉だけどさ」

「存外肝が据わっているわよね、貴方。あとは、在り方が人間の癖に小生意気というか、生きていたいのか死にたいのか不鮮明というか。そういう所が気に入ったんだけど……おや」

「どうした?」

「探し人はあちらかしら」

「……、多分。あの目に悪い光のパターンには見覚えがある。あと、あの止まる弾幕にも」

 

 ――少女達の囃し立てるような叫び声と、何かが弾ける綺麗な音がする。

 ちらりと視界の端に見えた花火のような光を目指して歩いている内に、いつしか森を抜けていた。足を止めた同行者を追い越し、見えてきた景色に暫しの間、目を奪われる。

 森を抜けた先には半分以上、凍りついた湖があった――霧の湖と、そう呼ばれている。

 そして凍て付く霧の奥には、微かに見える巨大な建造物がある。ちょうど湖の中央付近に浮かぶ小島、その湖畔に建つ紅い、吸血鬼の住まう館。クリスマスパーティーの会場、紅魔館だ。

 けれど目を奪われたのはそちらではなく――、

 

「――何時見ても綺麗だな」

 ……そんな風景をバックに、二人の少女が光弾舞い飛ぶ宙に浮かび、氷霧の中を踊っていた。

 弾幕ごっこ、というものがある。

 それは幻想郷における公的な決闘の形。少女同士が互いの知恵と技、力を比べ、競う場所。

 決闘なんて仰々しい言い方より、競技と言った方がいいのかもしれない。

 だって興じている黒と青の探し人達はとても楽し気に、そいでいて無邪気に笑っていて――真下で二人に声援を飛ばす小さな妖精/観客達も、同じ類の笑みを浮かべている。

 

 ――よくも、こんな平和な決闘(あそび)を考えついたものだと思う。

 ともあれそんな幻想的な景色に目を奪われ、呆ぼうと眺めていると――急に後ろから防寒着の襟を掴まれ、後ろへ引き摺り倒された。

 当然、その下手人は同行者の少女だ。

 

 仰向けに倒れた自分を赤い瞳で見下ろす彼女に“一体何を”と、その意図を問おうと口を開きかけ――直後、先程まで自分が居た場所に、少女達の方から飛来した鋭い光弾が突き立った。

 衝撃が積もっていた雪を吹き飛ばし、その下にあった地面は乱雑に抉れている。

 吹き飛ばされた雪をぼすん、と頭に乗せた彼の口から言葉が零れ落ちた。

 

「――死ぬかと思った」

「確実に死んでたわね、私が助けなかったら」

 

「というか、弾幕ごっこってあくまでごっこ遊びなんじゃ……?」

「えぇお遊びよ――あなたみたいな常人なら、当たり所が悪いと死ぬような、ね。

 あと、死んでも大丈夫な奴に対して手加減する莫迦はいないし。勝負だもの、全力の方が楽しいわ。だから流れ弾には努々気をつけなさいな。私もそうなんだけど、弾幕ごっこの最中ってね? ――相手の事しか見えなくなっちゃうから」

 くすくす――目を細めて楽しそうに微笑む同行者に、ぞわりと背筋が総毛立つ。

 ……彼の主人は確か、この少女の事を“危険度:極高”なんて自身の書物に記していたが――その片鱗を今、垣間見せられた気がした。

 そして赤と白のチェック柄のマフラーを首に巻いた寒さの苦手な花妖怪――風見幽香は、倒れた彼が自分で起き上がるのを、愛用の傘を杖のように雪の上に突き、嗜虐的な笑みを浮かべながら見ていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫しして、弾幕ごっこは決着を見せた。

 

 一度見れば記憶に焼き付いて離れない程衝撃的な、目に悪い極彩色の弾幕に撃ち落とされた青い少女が、氷の翼をかちかちと打ち鳴らしながらぶすくれた様子で逆さまに湖へと墜落。水面に張った薄氷を割り砕いて、派手な水音を上げながら水底に沈んでいく。

 

 では勝者である周囲の空間に闇を侍らせた、黒い少女はというと――観客の賞賛の声に応えるべく振り返った少女の赤い眼が、その観客の中に混じって見物をしていた彼を捉えた。

 

 にぱっ、と見た目相応の無邪気な笑みが少女の顔に浮かんだ。空を蹴飛ばして、一直線に彼の方へと飛んで来る。

 そのスピードに反して、少女の着地は静かだった。減速に合わせて純黒のスカートの裾がひらりと揺らめく。彼の目の前に降り立ち、頭を左右に振って乱れた金髪を乱暴に整える。

 それから自然な動作で、少女は有無を言わさず彼の右手を取った。

 

「お兄さんおはよう。――挨拶ついでに食べていいよね?」

「痛っ」

 

 がぶりと。

 挨拶の直後にノータイム、かつ問答無用で人差し指を噛まれた。

 

 甘噛み、どころではなかった。肉を食い破った歯はそのまま奥に隠れていた神経をぎこぎこぎこ、と鋸のように荒々しく刻んでいる。

 流石は人喰い妖怪ルーミアである、躊躇も容赦もない。

 ぐぐぐぐぐ――と、指を離すまいとするルーミアと、彼女の口の中から指を引き抜こうとする彼の間で綱引きのようなやりとりが暫し、行われる。

 ……結局、彼の隣にいた幽香が額に青筋を立ててルーミアへ殺気を向けるまでその攻防は続いた。

 その巻き添えを喰らった観客が、蜘蛛の子を散らすように退散していく。

 後に残ったのは彼ら三人だけだった。

 

 幽香の脅しに屈する形で渋々ルーミアが、突き立った歯を外して彼の指から口を離すと、つぅー、と真っ赤な粘ついた糸が、彼女の唇と彼の指先の間にかかった。

 それに気付いたルーミアは、親指の腹で唇の上をなぞるように拭って糸を払った。

 汚れた親指にぺろりと舌を這わせ、赤色を唾液と混ぜて舌先で絡め取る。

 

 ……見た目こそ年端もいかぬ童女だが、その中身は数百余年を生き抜いてきた化生である。

 仕草が妙に艶めかしいのはそのせいだろうか、と適当な事を考えて痛みを紛らす事に努める。

 ぽたぽたと、彼の指先から滴り落ちる血液が粉雪の上に鮮烈な赤を散らしていた。

 

「うぇ。……不っ味い」

「第一声がそれかい?」

 

 べー、と血だらけの舌を出しながら言うルーミアだった。

 食われ損の彼としては非常に複雑な心境である。逆に“美味しい”と言われても反応に困るが……。

 

「というか不味いって言うなら、いつも味見味見、って出合い頭に噛み付くのはやめないかい? ルーミアちゃん」

 おかげで手が傷だらけだ、と噛み傷の痕跡が目立つ右の手を、ルーミアの目の前でぶらぶら揺らしてみる。

 

 ――がちん、と人喰いの口が冷たい空気を齧り取った。

 ……あわや、手の一部を食い千切られるところだった。

 

 咄嗟に引いた手にしっかり、五指がついてている事を確認してから胸を撫で下ろす。自分の身は大切に、そう阿求から言付かっている身としては、単に噛みつかれるのなら兎も角、躰に治せない傷痕が残るのは避けたい所であった。

 

 永遠亭印の消毒液をかけ、包帯を指に巻いて応急処置を施していく。

 ……人外と接する機会が多いと、必然的に怪我が増える。

 それに彼の主人は躰が弱い癖して中々アグレッシブな性格をしているので、習慣的に、応急手当に必要な道具を持ち歩くのが癖になっていた。

 

 しゃがんで救急箱を鞄へ仕舞っていると、ルーミアが顎を頭に乗せ、後ろから首に手を回す。

 

「さっさと美味しくなってよ、お兄さん。お兄さんが私を恐がってくれたら、きっとちょっとくらいは美味しくなるからさ」

 

 味以外は完璧なんだし、などと凄まじい事をのたまうルーミア。

 振り返って、誤魔化すように彼がその金髪頭を撫でてやると、嬉しそうに顔を綻ばせる。

 ……本当に、考えている事が良く分からない。

 価値観の相違、という奴なのだろうか。

 ――そりゃあ人間と妖怪では、価値観なんて天国と地獄程の違いがあるのだろうけれど。

 

「そういえば、さっきの弾幕ごっこの相手って――」ふと思い出し、質問を投げる。

「あれ、氷精(あいつ)と知り合いなの? お兄さん」

「それなりには――というかさっき墜落して、湖の中に沈んでいったけど大丈夫なのかい。死んでも閻魔に叱られる程度だそうけど」

「妖精の命は紙より軽いしねー。……そら、心配の相手が見えたよ? お兄さん」

 

 噂をすれば、とでも言うのか。

 ざぷん。と近くの水面で水が跳ね上がる音がした。

 続いて荒い息継ぎの音。きち、きちり――少女の背中から生える氷の羽の表面に付着した水分は凍て付き、羽の大きさが増していく。そんな少しだけ不快な音が鼓膜を叩いている。

 心なしか、その少女の登場に合わせて周囲の気温が下がったような気がしていた。

 濡れた衣服に水面から上がった少女の指先がすっと触れると、一瞬でその服が乾いた。

 ――否、凍り付いたのだ。

 凍った服を一挙手一投足に合わせてぱきぱきと鳴らしながら、少女は空中を滑るように、ルーミアと彼がいる方へ寄って来る。

 

「あー、負けた負けた。湖に墜ちて頭が冷えたし、今ならどんな問題にだって答えられそう――んぉ? あれ、アンタ何でいるの? というかお久しぶり? アンタの主人って大の妖精嫌いだから、会いに来てくれるなんて思っていなかったわ!」

 

 にへ、と笑った氷精チルノは無邪気に、蒼い粒子を振りまきながら彼の周囲を飛び回る。

 ひらひらと青いスカートが揺れるたび、白い素足が煽情的な角度で彼の網膜に突き刺さる。

 それから気配を感じたチルノがふと、視線を横に滑らせて――はー、と真っ赤な手に白い吐息を吐き掛けていた幽香の姿を視界に捉えた。

 

「げ」

「……………………、あら、そこにいるのは木っ端妖精じゃないの。久し振りね。元気かしら」

 幽香が声を出すまでには数秒の時間が空いた。

 というのも、初めは無視するつもりだったのだろう。しかしチルノがずっと幽香を見ているものだから、仕方なく反応したといった形だった。

 

 ……ここにだけ着目すれば、構われたがりの子供の面倒を見る心優しい女性と取れない事も無い。

 実際に始まったのは言葉のドッジボール大会だった。

 幽香ってば大人げないなー、とルーミアは呆れ顔だ。

 

「今の今までは元気だったわ。そしてその木っ端妖精に負けたのはどこの誰だっけ!」

「手加減されている事に気付けないのも才能かしら。……単に莫迦なだけか?」

「強敵というより標的だって? ふざけやがって~」

「誰も言っていないわよ。聞いてもいないけど」

 ……放っておけばこのまま半日くらい、皮肉の応酬を繰り広げていそうな二人の間に割って入る。

 興味を無くしてそっぽを向いた幽香を暫く、チルノは睨んでいたが――。

 

「……まぁいいわ、恐れをなして逃げたという事ね!」

「あ゛?」

「ひ。……ちょ、ちょっとアンタ。アンタが連れて来たんでしょ。なんか仲良いって聞いたし。何とかしなさいよっ」

 

 ぐるんと首を振って振り返った幽香のドスの効いた声に、チルノはすっかり怯えていた。

 ……チルノが下手に挑発したのが悪いのだが、事態を収集させねばロクに話も出来ない。

 彼は遊びに来たのではなく、彼女ら二人をパーティーへと誘いに来たのだから。

 

「幽香、その辺にしてあげてくれ。チルノも謝ろう。ほら……」

「ぐ、……ご、ごめん……なさい」

「……………………、いーわよ別に。どうでも良い」

 

 あらぬ方向を向いたまま、幽香は適当に応える。

 面倒臭くなって放り投げたようにも、又は、拗ねたようにも見えた。

 

「……お兄さんお兄さん」空中に浮いて彼と視線の高さを合わせたルーミアが、小さく彼へ耳打ち。

「何?」

「後で幽香の機嫌取らないと殺されちゃうかもよ」

「え」

「完全に巻き込まれただけだからお兄さんにとっては理不尽だけどね。女って怖いのだー」

「……何が何だか分からない」

 

 

 

 

 

     ※ ※ ※

 

 

 

 

 

 

「紅魔館でクリスマスパーティー……。いいよ、暇だし行ってあげる。チルノも大丈夫かしら?」

「どうせ予定なんてないしねー。というか今はちょっと“一回休み”中だからいないんだけど、もしクリスマスまでに戻って来ていたら、大妖精を誘ってもいいかしら? あいつもアンタの知り合いだし」

「あ、それなら私も伝えておくよお兄さん。ミスティアと、リグルと、……わかさぎ姫は、わかさぎの癖に冬眠中だから無理だろうけど」

 

 そのようにして、ルーミアとチルノは快く彼の申し出を受けてくれた。

 ――湖畔にあった倒木の上に腰かけ、話している。

 彼の両脇にはルーミアとチルノの姿があった。

 そして一人ないし二人分、スペースを空けた場所に幽香が腰掛けている。

 お兄さんが味方してくれなかったせいで拗ねたのだろう、というのがルーミアの談である。

 

「正直助かるよ。人の足で回るには幻想郷、大分広いから」

 例えば幽香やこの二人のように飛行出来る者に力を借りて飛び回る、という手段もあるものの――まさか大の大人が、見た目小さな少女達の腰にしがみ付く訳にもいくまい。

 

 ともあれこれでパーティーへの参加者が二人増えた形になる。賑やかしを増やしてくれ、という吸血鬼の意向に沿うにも、できれば十人位は誘っておきたいところだった。

 

「……それにしても、本当にいいのか? 幽香」

「何度も聞かないで頂戴な。気が変わって途中で貴方を放り投げてしまうかもしれないわよ」

「放り出されるのは困る……いや、放り投げる?」

「空から」

「空から?」

「持ち上げて」

「持ち上げて」

「冗談よ」

「冗談に聞こえない」

 

 真顔で放たれた末恐ろしい言葉に、ばくばくと鳴る心臓を服の上から抑えつける。

 高いところから放り出されるのは嫌だった。彼は高いところが苦手なのだ。

 飛んで知り合いの下を回る、ということをしないのもそれが理由だった。

 

 ――幽香は今日からクリスマスまでの数日間、里の外を出歩くつもりの彼へと、その期間中の同行を申し出ていた。

 ところで、里にまで届く彼女の噂は凄まじいものばかりである。極悪非道の残虐志向、綺麗な薔薇には棘がある――等々。

 

 話してみれば花を愛でる事が何より好きだと語る心優しい少女だと、きっと分かってくれるのだろう、しかしながら、自分のようにひょいひょい妖怪に近付いていく人間はあまりいないと彼はこの数年で知っている。だから誤解が浸透している事を非常に心苦しく思っていた。

 

 ともあれ実力は折り紙付き、そんな用心棒を獲得した訳だが――どういった心境の変化だろうと、彼は思案する。

 彼は彼女にとってあくまで太陽の畑への道連れだった筈であり、彼自身もそうだと考えていた。

 

 しかし“私と別れた後はどうするつもりだったのだ”、と言われてしまってはどうしようもない。

 ……実際何も考えていなかった、確かに幽香と別れてからは単独行動になる――もしもその間に話の通じない妖怪に襲われれば、彼は確実に命を落とすだろう。それは彼の主人である阿求の望む所ではない。

 

 ――無計画な自分に気を遣わせてしまったのか。

 そんな考えに没頭する彼の頭を、チルノががくんがくんと結構勢い良く揺さぶっていた。

 

 一方腰を上げたルーミアはというと、彼が何時も通り自分の世界へ没入し、こちらの言葉が聞こえていない事を確認してから幽香へ言葉をかける。

 

「どういう風の吹き回し? 傍若無人が服を着て歩いているようなお前が、自分の都合以上に人の事情を優先するなんてね。というか同行なら私やチルノにだって出来ると思うのだー」

「ふん。……まぁそこの木っ端妖精は置いておくとして、貴女なんかとコイツを二人きりにしたら、貴女はどうせコイツを食べようとするでしょう? あの手この手で“美味しくしようとしてから”、ね。それは望むところじゃないの。――コイツを怖がらせるのは、他でもない私よ」

「あら? まだ初対面の時の事、根に持ってるのね。あと同行者が一人って決まりは無いと思う」

「二人も要らないわ。――それとも、私に挑むつもりかしら」

「……残念。流石に勝てないから諦めるとするわ」

 

 肩を竦め、白旗の意味で両手を上げたルーミアの額には、幽香の握っている傘の先端が突きつけられていた。

 ぴりぴりと空気に凍て付く緊張感が満ち満ちる感覚に、彼の意識がはっと呼び戻される。

 チルノなど、二人の真剣な表情を見てぎょっとしている彼の背中に隠れて震えていた。

 

「――じゃあさ、降参ついでに一つだけ聞いていい? 結局、何でこの人の都合を優先したのさ。“友人”止まりのこの人の都合をさ。長い目で見ればいくらでも替えなんて効くでしょう?」

「……それは、」

「あ、待って。予想するから。えっとえっと」

 幽香の言葉を遮って暫し考えを巡らせた後、ルーミアは手をぱしん、と叩いて笑った。

 

「――もっと構って欲し」

「それじゃあ決闘開始ね、拒否権はないわ。――さっさと死になさい」

「問答無用なのかー!?」

 

 ちゅどーん、という冗談みたいな音と共に傘の先端から黄金色の光線が放たれた。

 

 

 

 

 

 そうして始まった弾幕ごっこの結果は語るまでもない。

 取り敢えず、ルーミアはクリスマスまで永遠亭で安静を余儀なくされたそうだ。

 そして流れ弾ならぬ流れ光線で吹き飛ばされたチルノは一回休みと相成った。

 幽香曰く“狙った”らしい。

 ――それと、彼へ流れ弾が飛んでいく事は一度も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 阿求:思慕の対象
 小鈴:知り合い
 幽香:友人
 ルーミア:美味しそう
 チルノ:近所のお兄さん

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