古明地さとりが召喚されました   作:歩く好奇心

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 感想ありがとうございます。
 ニヤニヤして見てしまう自分がいて、何やってんだ俺ってなりました。ランキング1位です。本当に感激です。あと、誤字指摘とても感謝しております。


料理人達の望み

 

 遠くの空にオレンジ色の色彩が差す。

 朝だ。

 時計の短針はまだ6時を回っていない。

 学院中庭の一角の水場。

 異形の目を携える少女はごしごしと衣類を洗っていた。

 

「まったく。洗濯物を押し付けるとは。

 私を小間使いか何かと勘違いしてませんかねぇ。」

 

 ぶつぶつと愚痴を溢し、洗う手に力を込める。

 面倒ではある。

 しかし、忌避感があるわけではない。

 地霊殿にいた昨夜までとは何ら変わらない日常の作業。

 むしろ空やお燐、ペット達に必要なシーツ類や衣類がなくなったので作業量としては楽になったくらいだ。

 

「これから毎日洗濯係を宛てがうつもりですかね。

 まだ初春のようですし、肌寒いんで勘弁してほしいんですが。」

 

 冷水を払い、服の裾で拭う。

 ガタガタガタガタ。

 手先が震える。

 地底の安定した気温に慣れすぎたか。

 手先がこわばり、そこから体温が強奪されるよう。

 微かに漂う寒気のある中。

 冷水は皮膚を痛め付ける薬液に成り下がる。

 お湯が恋しい。

 

 ふと空を眺める。

 夜は抜けきっておらず、未だに月が視界に映る。

 二個の満月。

 昨夜、眠る前にも一度眺めた光景だ。

 さとりはハァ、と何処か諦観の混じる息をついた。

 

「何度見ても月が二個ありますねぇ。見間違いであってほしかったですが。

 外界に来たと思っていましたが、見当違いのようです。

 鏡の国にでも来たのでしょうか。

 洗面台で顔を洗っていた昨日が恋しいですね。」

 

 メルヘンは嫌いじゃない。

 しかし私は主人公のアリスとは違う。

 あんな精神異常者が旅する波乱万丈な急展開を体験したいとは思わない。

 そんな益体のない思考に耽っていると、背後から足音が近づく。

 さとりは何となく振り返った。

 見れば、洗濯物が歩いていた。

 

「あ、どうも。おはようございますぅ。

 見ない顔ですね。新人さんですか?」

 

 ひょい、と洗濯物の胴体横から少女の顔が生える。

 黒髪黒目。

 東洋人を思わせる顔だ。

 

「どうも。

 ……新人ですか。

 まぁ、ひよっこという意味なら相違ないですが。

 台詞から察するに、貴女はここの経験が長いようです。

 洗濯の雑務になれるなんて、貴女もこきつかわれているのですね。」

「え? い、いえ。こきつかわれるだなんてそんな。

 これが私の役目で仕事ですから。」

「役割。

 己を己だと確信するための要素であり基盤でもあります。

 まだ若いというのに確立してるんですね。

 立派です。」 

「ど、どうして私、年下の子に誉められてるんでしょうか。」

「ていうか、その洗濯物の山は何ですか。

 そんなに押し付けられると嫌になりませんかね。」

「い、嫌になるなんてとんでもないですよ。

 仕事のない中で、とても恵まれた職場です。

 小さいから仕方ないでしょうけど、あまり我が儘言っちゃダメですよ?」

「おや、献身的な奉仕精神に勤しまれいるようで。

 貴女の雇い主はさぞ果報者ですね。

 こんな朝っぱらから洗濯物を押し付けているというのに、愚痴も聞かずにいられるなんて。」

「そ、そうですかね。

 そこまで言われるほど特別なことではないと思いますが。

 洗濯はいつものことですし、愚痴を言うほどのものでもないと思いますよ。」

「慣れとは怖いですね。まさに従事者の鏡。

 雇用者とは報償のための奴隷です。声を上げることは許されず、常に下を向くことが義務付けられる。

 そのひたむきさ。

 私は尊敬しますよ。」

「ど、奴隷って。

 もう。下を向くことが義務とか、何難しいこと言ってるんですか。

 ダメですよ?

 新人さんなのにすぐサボろうなんて。」

 

 テキパキとした動作で隣に陣取り、黒髪の少女はさとりと同じく洗濯を開始する。

 ざぶざぶざぶ。

 隈の目立つ少女はポカンとする。

 黒髪の少女はさとりの2倍はあろう速度で衣服をそつなく洗っていくのだ。

 私は器用ではないが、家事には一定の自負があるつもりだ。

 しかし、手先の差でここまで速さに違いが出るのだろうか。

 さとりは軽く自信を無くした。

 

 彼女はシエスタ。

 肩口までの黒髪に、メイド服姿。

 自らを平民と名乗り、ここに来て1年になるよう。

 にこにことした愛嬌さが印象的だ。

 濁った瞳の少女は黙々と洗濯をしていると、シエスタが話題を振ってくる。

 人なつっこいことだ。

 

「ほらほら。手が止まってますよ。

 この時期はまだ冷たいですからね。スピードが命ですよ。」

「雑になりませんかね。

 後になってやり直しと言われるは勘弁ですよ。」

「仕事はこれだけじゃないですよ。朝食の準備もあるんですから。

 洗濯にかまけていたら、後が詰まっちゃいます。」

「大変ですね。」

「何他人事みたいに言ってるんですか。 

 もう。困った後輩さんですね。

 貸してみてください。

 私も手伝って上げますよ。」

 

 にこやかな声音で手を差し出してくる。

 ワクワクして堪らないといった様子で第三の目からも伝わり、本心からだとわかる。

 お節介な気質だ。

 やる気のない半眼を常とする少女はどうも、と手渡した。

 

「今日は特別サービスです。

 明日からはビシビシ指導していきますからねー。」

「ご遠慮したいですねぇ。

 初めての後輩に高揚しているのは解りますが。」

「そういうこと言っちゃう人は大体サボり癖があります。見逃しませんよぉ?」

「貴女もお人好しですね。

 普通こういうのは面倒臭がるものですが。」

「ふふふ。私もお世話になりましたから。次は私がお世話する番なのですよ。」

「仁義ですか。

 人道は得てして人から押し付けられる観念ですが。

 貴女のそれは果たして何処から来たのでしょう?」

「え、えぇ?

 う、うーんと………恩義……でしょうか。」

「……みたいですね。本当に純粋です。」

「さとりさん。年下ですよね?」

「どうですかね。」

 

 洗濯が終わり、竿へと洗濯物を干していく。

 そして二人は学院の通路に入り、「じゃ、私はここで」とピンク髪の少女が明後日の方向へ指を向けた。

 シエスタが慌てる。

 

「ちょ、ちょっと何処いくんですか!?

 そ、そっちは貴族様方のお住まいですよ。

 次の仕事場はそちらではないですから。」

「雇い主の元にですよ。起こすように言われてるもんで。」

「え!?

 お、起こす? 貴族様の部屋にお入りになるんですか?」

「ええ。」

 

 平坦な返しに、シエスタは血の気が引いた。

 ある閃きが黒髪の少女の脳に轟く。

 気付きたくなくても、気付かなければならない。

 

「も、もしかして。

 さとりさん、今噂になってる……」

「そうですね。その噂になってるヴァリエールの使い魔ですよ。」

「使い魔さんだったんですか!?」

 

 ………………………。

 解っていても驚愕せざるを得ない。

 見れば、ピンク髪の少女には赤色の蔓のようなものが絡まっている。

 その胸には見たことのない異形の目。

 どうして今の今まで気付かなかったのか。

 馬鹿だ、私。

 見えていたはずだ。

 しかし無理もないことだった。

 黒髪の少女は初めての後輩の出現に舞い上がっていたのだ。

 下の者への教育。

 そのやる気が彼女を少しの盲目へと誘ったのである。

 シエスタは自身の不注意さを呪った。

 

「じゃ。じゃあ、さとりさんって、めめ、めい……」

「一応メイジの枠の入るようですね。

 魔法を使うものはメイジ。それがここの常識みたいですし。

 まぁ、地位はありませんが。」

「っ!?」

「驚愕は下位の証。

 上位者が求めて止まず、眺めて楽しむ観賞物です。

 味わうのは悪くありませんが。

 私の場合、大抵後に忌避を受けるのであまりいいものでもないですね。」

「どうしっ、あ!?」

 

 とっさに口を押さえる。

 しかし異形の目をこちらに向ける少女が、私の制止を無意味とさせた。

 

「どうしてもっと早く教えてくれなかったのか、ですか。」

 

 思っていても口には出すまいとした台詞が、眼前の少女の口から飛び出す。

 どうして?

 なんで?

 そんな疑問が瞬時にシエスタの頭を支配した。

 

「すいません。

 聞かれませんでしたので特に言いませんでした。

 甲斐甲斐しく手を貸す姿に、無理に邪険するのもどうかと思いまして。」

 

 さとりの言葉が半分以上耳から流れる。

 今やるべきことは疑問を考えることではない。

 条件反射で体が動く。

 

「も、申し訳ありません!

 ろくな確認もせずなんて無礼を!」

 

 前に手をつき腰を曲げた一礼。

 大粒の汗がメイド少女の額に沸き立つ。

 内心は気が気でない逸りで一杯だった。

 

「鍛え上げられた謝罪ですね。

 所作と腰の角度が芸術の域です。

 提案ですが、展覧会に出展してみるのも一興かと。」

「申し訳ありません。本当に申し訳ありません。

 平民の分際を弁えず、恐れ多くも貴族様に大言を浴びせて。」

「え、あ、本気にしてます? 冗談ですよ。」

「本当に申し訳ありません。

 この度の失礼なんとお詫びすればよいか。」

「あの、聞いてます?

 頭をあげてください。このままだと貴女、準備に遅れますよ?」

「本当に本当に申し訳ありませんでした。

 次にこのようなことはないよう細心の注意を心掛けますので、どうかお許しください。」

「あ、はい。ダメですね、これは。」

 

 小柄なピンク髪の少女はため息をついた。

 びくり。

 メイド少女の肩が震えた。

 どうやら今のため息すらも悪く捉えた様子。

 過敏症な彼女は今も尚頭を下げ続け、謝罪の意を繰り返す。

 

「謝罪とは不都合を強引に収めるメソッド。

 貴女の求めているのは許しではなく、私の注意が逸れる瞬間のようですね。」

 

 バッ、とメイドの顔が上がる。

 

「そ、そんな、わ、私は。」

「ようやく視線が合いましたね。

 シエスタさん。落ちついて下さい。

 無愛想が取り柄の私ですが、少なくとも憮然ととられるほど顔面神経症なつもりはありません。

 私の顔は怒ってないはずですよ。」

「え、えと……」

「はいはい。解ってますよ。

 メイジが怖いのですね。

 下手に出るのは構いませんが、一心不乱の謝意は押し付けととられかねません。

 不敬罪になるかもですよ。」

「え、えと、その、申し訳ありません。」

「まぁ、貴女に落ち度は何もありませんよ。

 では、要望に応えて失礼させて頂きます。」

 

 大人びた小柄の少女はそう言って立ち去る。

 遠ざかるその背を見つめ、シエスタの顔には影がさす。

 恐怖。

 私は助かったのか。

 しかし、あの少女は他のメイジとは違ったような気がする。

 胸中の複雑さとは対照的に、朝七時の朝日は健やかなもの。

 メイドの少女はその場を後にした。

 

 

 

 さとりは契約主を起こし、共に食堂へと連れ立った。

 アルヴィーズの食堂。

 学院の生徒と教師はここで食事を済ます。

 長大な机が三列並び、その一角に桃髪の少女と共に向かった。

 腕を組んでこちらを振り返るルイズ。

 鼻を鳴らして高圧的な声をよこす。

 

「公爵家の私と食事を同席できるのよ。

 光栄に思いなさい。本来なら使い魔がこれるようなところじゃないんだからね。」

「一応メイジという認識は貰ってるんですがね。」

「うっさい。それでもあんたは貴族じゃないんでしょっ。主人を立てなさいよっ。

 咽び泣いて感謝する気遣いでもしなさいよねっ。」

「何を期待しているのやら。

 新たな一歩は見られても、プライドの高さはまんま変わりませんね。」

「気位が高いのは貴族として当然でしょ。

 馴れ合いで舐められたら終わりなの。あんたには感謝してるけど、私は私の在り方を通すわ。」

「行く道ははっきりしているようで何より。

 頑固は壊れた方位磁針を手放しませんが、その強かさなら心配はないようです。

 方向性は決まったみたいですしね。」

「ふんっ。何小難しいことくっちゃべってんのよ。

 ほら、私の席はあそこよ。椅子くらい引きなさいな。」

 

 ………………。

 返事がない。

 無視されたというのか。

 青筋を浮かべて振り返れば、気だるげ眼をする使い魔が壁脇に視線を向けていた。

 ルイズもならって眼を向ける。

 あれか。

 視線の先。そこには土製の小人人形が陳列していた。

 

「ああ、あれは食堂の名前にもあるアルヴィーズの人形よ。」

「アルヴィーズ。

 ドワーフ、小人の意味ですかね。

 小人が未熟者を指してるなら、ここは子供の食卓ですかね。 

 中々洒落てるようで。」

「蔑称じゃないのっ。

 てか、そんな訳ないでしょ。もっと別の意味よっ。」

「冗談です。

 そうですね。ドワーフは付き合う相手をかなり選ぶとか。従って偏屈の食卓でしょうか。」

「不敬千万で首が飛ぶわよ。賢者ってことよっ。」

「全てを知るものという意味合いもありますしね。

 メイジの生徒なのですから、恐らくそっちでしょうね。」

「まったくっ。先が思いやられるわね。」

「どうもすいません。」

「ま、それでも理解が早い使い魔でよかったわ。

 馬鹿に説明する口は、私にはないから。」

 

 多く並ぶ人形の中から一体を拾いあげる。

 使い魔は濁った瞳で興味深げに眺めた。

 

「これ、躍動感があって今まさに動きそうですね。」

「動くわよ。夜限定だけど。

 見たことはないけど、夜に来てみたら踊ってるはずよ。」

「ほう。

 日光に当ててみたくなりますね。

 私の知る伝承ですが。ドワーフは日光に当たれば石になるか、肉体が弾け飛ぶと聞くのですが。」

「何で二者択一で片っ方だけそんな物騒なのよっ。

 もういいから席行くわよっ。」

 

 全くもう、とうんざり気味な調子でさとりの手を引っ張った。

 定位置の席につく。

 食卓には今日も美味しそうな料理がたくさんだ。

 背後をチラリと見やる。

 さとりの濁った瞳が「おおっ」といった感じに驚嘆した様子だ。

 

「ふふん。これが貴族の食事よ?

 二束三文の平民の朝食とは訳が違うわ。」

「どうやらその通りのようで。

 卵焼きやサラダで済ます私とは何もかも規格外です。

 豪華すぎます。朝っぱらからこの量は胃がもたれませんか?」

「うちはコックも一流のプロを雇っているのよ。

 そこのところくらいキッチリ計算して作ってるわよ。」

「銀の匙をくわえて生まれてきたようで。

 ルイズさんは生涯、食事には困ることはないような気がします。」

「貴族なんだから当然じゃない。」

 

 さとりは小さく息をつく。

 いい身分なことだ。

 しかし自分も一応領主の身。

 偉そうなことは言えない。

 そんな使い魔の思念とは関係なく、契約の主は鼻を高くし、「ふふん」と鳴らした。

 そして興が乗ったのか。足を組んでこちらに向き直り、指をふる。

 「いい?」と諭すような所作。

 芝居染みた感じだ。

 

「それにね、ここ魔法学院は魔法の教育だけじゃないの。

 貴族としての礼節も学ぶ場所なのよ。

 いくら魔法が強くてもね、一流の礼儀作法が伴っていないとそれは所詮二流のメイジ。

 メイジは品格も求められるのよ。」

「ご高説どうも。

 やや嫉みがないこともないような気がしないでもないですね。

 ちなみに、ルイズさんは何流で?」

「ぐぎっ………」

 

 辺りからクスクスと含み笑いが響く。

 癇癪持ちの主は顔を真っ赤にして、苛立たしげに居住まいを正した。

 

「せ、精々主に恥を欠かせないように、あんたもマナーには気をつけなさいよね。」

「テーブルマナーは本で知ってるくらいで、自信はありませんね。

 会食なんて小説の中でしか知りませんよ。」

「だったら私が教えてあげてもいいわ。」

「必要になったら是非お願いしますよ。」

 

 そう一区切りついて、隈のある少女の半眼がゆっくりと下に移る。

 目線の先は足下。

 さとりの気だるげな声が契約主に向かう。

 

「まさかとは思いますけど。これが私の朝食ですか?」

「そうよ。」

 

 えぇ……。

 足下には欠けた皿。その上にパンが2つだ。

 

「このカッサカサなパンが……ですか。この食べたら喉がパサパサしそうな。」

 

 パンを摘まんで、瞳の濁った少女は苦い顔つきでそれを睨む。

 とても食べる気がしない。

 トーストとコーヒーを所望したい。

 さとりは無言の視線を、ジトリと主に投げつけた。

 しかし、主の顔は「なによ?」と言いたげで高圧的だ。

 

「平民が貴族と同じもの食べられる訳ないでしょうが。」

「メイジなんですから、そこら辺は融通利かないんですかね。貴族はメイジなんでしょう?」

「貴族は立派なメイジであってこそ、とは言われるけどね。でもメイジだからって貴族とは限らないの。

 平民がこの食堂に入れるだけでも、大っ変名誉なことなんだからねっ?

 文句言わないの。」

「なんと貴族の皮を被った畜生ぶり。称賛しますよ。」

「あんですってぇ!

 これは罰よっ。助けたとはいえ、あんだけ散々私を打ちのめした罰っ。

 あの時の私の気持ちをその眼で見てみなさいよっ。」

「恩義という概念は、貴女には些か難しいようです。

 恩義は義務ではない。

 あくまでもその人自身から生まれるもの。

 見返りを求めるほど低俗ではないですが、損した気分ですね。

 私の慈悲を返してほしい気分です。」

「何が恩義よ、押し付けがましいわね。

 つか見返り言ってる時点であんたは低俗よっ。」

「押し付けとは人聞きの悪い。節介な主婦や不誠実な同業者じゃあるまいし。

 考えてみて下さい。

 沈みゆく貴女に手を差しのべたのですよ?

 私みたく心優しい者にそんな悪癖があるはずがありません。」

「本当の救済者はそんな自己顕示しないってのっ!」

「言わないと解ってくれそうにないので。」

「私の弱みにこぎつけて、あれだけ好き勝手こき下ろした癖に。話をあれこれ派生させて、先生もあれだけ貶してっ。

 一歩間違えればあんた消されてたわよっ。」

「温厚な方で助かりましたね。」

「あんたの話でしょうが。

 危うく使い魔を失って留年の憂き目にあってたんだからねっ。

 自分の楽観が主人を窮地へ誘うと知りなさいっ。」

「なるほど。私も自己本位と。」

「そうでしょうが。

 私のためなんて言って。大義名分が欲しかっただけなんでしょ。」

「まぁ、否定はしません。合ってますし。

 でも実際、助けにはなったはずですよ。」

「なに、すぐさま素直にぶっちゃけてんのよっ!

 多少は抵抗しなさいよっ。余計に頭くるわっ!」

「痒みを我慢できる人はいません。

 それと一緒です。

 ああいう場面になると、つい舌が乗ってしまうんですよ。」

「言い訳無用っ!反省しなさいっ!」

 

 仕方ない。

 ガジガジと苦々しげにパンを口に含んだ。

 第三の目は、始めから眼前の召喚主を捉え続けている。

 ルイズの思考が眼を通して流れる。

 彼女の腹積もりなどお見通しであった。

 

「ふふんっ。

 卑しい目をしちゃって。」

「パン2つで事足りるほど少食ではないので。」

「私も鬼じゃないわよ?

 どうしてもひもじくて堪らないっていうなら、平民らしく乞いなさいっ。

『ああ、恐れ多くも偉大なるルイズ様。

 どうか卑しき私めに、その高貴なる慈悲をお恵み下さい』ってねっ!」

「どこの悪徳貴族ですか。

 魂胆は解ってましたけど、いざ耳にすると何とも残念です。」

「ぐちゃぐちゃ言わないっ、ほら、言いなさいっ。」

「敬意をお望みのようですね。

 知れば、いかなる崇高な目的も手段へと逆転しておとしめるもの。

 それが敬意です。

 ただ自己陶酔の愉悦の種。求めれば遠ざかる。

 敬意はあくまでも行動への称賛だと思うのですよ。」

「平民は主人を敬って当然なの。」

「頑なですねぇ。台所のしつこい油汚れですか。」

「はいそこっ、口を慎むっ。

 敬意はメイジの実力に加算されるのよ。ヴァリエールの名に仕えること光栄になさいっ。」

「見栄は貴族の友みたいですね。

 切っても切れない絆。美しくてどうしようもありません。

 て言うかぶっちゃけ、露骨すぎて普通に言いたくないです。」

「何よっ。言えばいいじゃないっ!

 敬えば料理の一品や二品くらい、すぐ用意してあげるわよっ。」

「いや、いいです。

 一応メイジの立場はあるんです。自分で頼んできますよ。」

 

 キーッキーッと喚き立てる主人を背後に、さとりは使用人を探す。

 早速見つけた。

 やや聞き覚えのある心の声。

 しかし特に気にする気にもならない。

 さとりは視界に入った使用人に近寄り声を掛ける。

 

「え、えっ!? 古明地様!?」

 

 シエスタであった。

 驚きの表情とともに、胸の内の仄暗い感情が眼を通してこちらに流れた。

 

「どうも、朝方ぶりですね。」

「そ、その件につきましては大変失礼しまし……」

「あぁ、もう結構ですよ。

 赤子の癇癪より耳に残っていますから。

 それより、注文お願いしたいんですが。」

「は、はい。畏まりました。」

 

 注文を終え、小走りで去っていくシエスタの背を見届ける。

 そこでピンク髪の使い魔はハッとする。

 しまった。

 コーヒーの注文を失念していた。

 贅沢か、とやや悩むも、普段の日課をやり過ごすのは気持ちが良くない。

 仕方ない。

 濁った目の使い魔はそう独りごちると、シエスタの去った方角へと向かった。

 

 

 厨房。

 生徒の食事は一斉に開始するのがルールだ。

 宗教柄、食事前には始祖ブリミルへの祈りがある。

 故に、定刻までに朝食を準備しなければならない。

 全生徒三百人分。

 その圧倒的な量のためか、定刻直前でも調理場は騒がしい様子。

 あちこちから怒声が飛び交う。

 出入口から隈の目立つ使い魔が顔を出した。

 戻ろうか。

 その喧騒ぶりに辟易し、注文の取り止めを考える。

 しばらくおろおろとするも、厨房に入ることを決意した。

 さとりは恐る恐ると遠慮がちに一人の使用人に声をかけた。

 

「えっ、ちょっとなんで女の子がここに……。

 って、あ、亜人?

 生徒じゃないみたいだし。

 貴女、ここは関係者以外立ち入っちゃだめよ?」

 

 関係者以外なら何に該当するというのか。

 不審者くらいか。

 それに同調するように、彼女の中でも不審者の線を疑っているようだ。

 眼前の使用人の思考を読み、彼女の困惑の原因がわかる。

 マントである。

 メイジは生徒、教師に関わらずマントを羽織っており、彼女達使用人はそれで区別しているのだ。  

 さとりはマントもない、小柄な少女。

 同業で見覚えがなければ、困惑も当然である。

 

「私、ヴァリエールの使い魔です。

 少し注文したいのですが、宜しいですか?」

「ヴァ、ヴァリエール家の!?

 こ、これは失礼しましたっ。」

 

 ヴァリエール家の生徒が亜人を呼び足したのは周知の事実のよう。

 そして、その使い魔がメイジであることもだ。

 

「おい、どうした?」

 

 使用人の彼女が慌て気味に謝罪していると、後方から男性の声がかかった。

 野太く、粗野な印象を受ける。

 

「あ、料理長。

 実はヴァリエール様の使い魔様が。」

「何? 使い魔ぁ?」

 

 彼女の背後から覗きこむようにこちらを睨む。

 筋骨隆々なその巨躯は、ただあるだけで圧迫を生んだ。

 厳めしい彫りのある相貌。

 睨まれた使い魔は戦慄を禁じ得なかった。

 「っひ」と喉で変な声が鳴った。

 一瞬焦るも、相手には聞こえなかったようで安堵する。

 聞かれていたら自己嫌悪で布団に籠っていた。

 

「ふんっ。噂のメイジ兼使い魔様か。

 そのメイジ様がこんな粗野な場所に何用ですかな?」

 

 響くようなデカイ声だ。

 彼の声に呼応して、料理人や使用人達の視線が集まる。

 いずれも、その眼に宿るは良くない感情。

 アウェーというやつか。

 先の喧騒が嘘のようだ。

 気を抜けばどもりそうになるが、さとりは何とかこらえる。

 

「あ、あ貴方が料理長ですか。」

「いかにもその通りだ。

 ここのコック長を務めさせて頂いているマルトーだ。

 おっと、すまない。

 メイジ様に名乗るほど上等な名ではなかったな。

 不必要な真似だ。

 無礼な真似、許してくれや。」

 

 慇懃無礼のつもりか、その実まったく出来ていない。

 失礼全開である。

 声音からも敵意は丸出しで、明らかに歓迎していないのが見てとれた。

 

「か、構いませんよ。

 礼節を知らぬことが罪ではありません。

 無礼とそしるだけ不毛です。

 無礼とは往々にして自覚ないもの。自覚できるだけ誇りに思ってください。」

 

 ぴくり。彼の眉が動いた。

 ピシリと空気にヒビが入った。

 あれ?

 さとりは嫌な予感を瞬時に感じとった。

 周囲の悪感情も右肩上がりに増していき、緊張に更なる緊張が乗せられる。

 やってしまったか。

 ピンク髪の使い魔は焦燥に駆られた。

 

「……ほう。

 貴族のメイジ様の有難い言葉だ。

 感謝してもしたりねぇな。」

「はぁ、私はメイジではあるみたいですが、貴族ではないので。

 無理に有り難がる必要はないですよ。」

 

 眼前の巨体を誇るコックに対し、様子見に徹するピンク髪の使い魔。

 しかしさとりの言葉にマルトーは大きく反応した。

 野太い大きな笑い声をあげる。

 

「わっはっはっはっはっ!!

 何だお前。メイジの癖に貴族じゃないのか?

 こいつは傑作だぁ。

 おい、聞いたかお前らぁ。

 散々お高くとまった貴族様も地に落ちることはあるんだとよぉ。」

 

 料理長の呼び掛けに、周囲の職人達もまた笑い出す。

 クスクス。ゲラゲラ。

 笑い方は様々。

 しかし一貫してそこに快活さはない。

 皆共通して嘲笑だ。

 使用人も料理人も全員。  

 陰険さを多分に含んだ笑みが張り付いる。

 

「メイジさんも大変だなぁ?えぇ?」

「どうもです。

 労いは仕事内容を全くしらない他職者への挨拶ですが。

 基本的には話題がないときの振りですね。

 用事を済ませましょう。」

「はっ。そう慌てなさんな。

 同じ平民同士だろうが。

 平民になった気分を是非とも拝聴したいねぇ。」

 

 仲間意識を感じさせる言葉選び。

 しかしこの内容と口調。

 いずれにも親愛は微塵も持ち合わせていないことは明らか。

 差別意識が根強いことは知っていたが、いざ当てられると身震いものである。

 鼓動が止まらず口内が乾く。

 平民の彼等は貴族に対し、恨み、嫉みが随分とあるようだ。

 第三の目がそれをより実感させる。

 早く済ませよう。

 心を読み取る使い魔は平静を心掛ける。

 

「どうでしょう。

 領主の位が長かったもので、貴方のいう平民とやらの感覚はまだ解りかねますが。」

「そいつはいけねぇ。

 まだ貴族の鼻高いプライドが残っている証拠だな。

 早い内に犬にでも食わしておきな。

 これからは搾取される側の感覚を存分に楽しんでくれや。」

「貴族に随分恨みがあるみたいですね。

 メイジである私が憎しみの対象になるのは仕方のないこと。

 関連性があるのですから。

 不満は質量を持ちます。

 吐き出さなければ、いすれ決壊するのは道理。」

「流石元貴族様だ。

 甘えさせてくれるとは、お優しいことだなぁ?

 美味しかったか。俺達の人生を好き勝手弄んで、欲を満たす生活は。

 貴族の生活を支える下の気持ちなんて露程にも感じてないんだろぉ?

 貴族が下々の生活なんて考えやしねぇ。政治も何もかも全て自分のためだ。

 はっ。お前もそうだったんじゃねえのか?あぁ?」

「どうでしょうかね。

 下を使うのが上の者の特権ですから。」

「いつまで上から目線のつもりだぁ?

 お前はもう平民なんだ。口に気をつけなぁ。

 もう周りを気にせず喋れる立場じゃねぇんだぜぇ。」

 

 マルトーの言葉を切っ掛けに周囲も乗っかる。

 便乗の形で、次々と野次がとんだ。

 

「そうだっ、いつまでも見下してんじゃねぇぞっ。

 貴族は神か。ああ?

 高説なこった。

 傲った観念しか生み出さない勘違いした猿めっ。」

「そうよっ。下の苦労も知らない小娘の癖に。

 飾ることしか学がない。

 虚飾の鴉にも劣るわ。鴉だってもう少しマシな飾り方を知ってるわよっ。」

「俺達は奴隷じゃねんだぞっ。葉巻みたく、吸うだけ吸ったら使い捨てやがって。

 いくらでも生える雑草か何かと見間違えたかっ。

 魔法は神聖? 殺しと脅しの武器だろうが。

 平民の俺達にそれ以外にどう使ったんだよっ。」

「魔法でいい気になってんじゃないわよっ。

 平民には高い値打ちをつきつけて足下見るくせに。

 魔法の恩恵なんて貴族同士だけで与えあってるたけじゃないの。」

「私の生活を返しなさいよっ。家族を還してよっ。

 何の権利があって私の妹をさらったのよっ。  

 貴族は私達を人として見てないっていうのっ。

 絶対に許さないっ。

 家族を潰した罰をあがなわせるまで、絶対にっ。」

「徴収した税でドレスでも買ってもらったかぁ?

 民の血税を手軽に懐に入れてんじゃねぇぞ。

 税は俺達の生活と労力だっ。

 重みを知らないやつに気安く扱える資格があるなんて思うんじゃねぇぞっ。」

 

 一人の憎悪を切っ掛けに、悪意が次々と伝播する。

 彼等は堰を切ったように、身の丈を声に乗せる。

 人によっては身を切るような思いまで見られる。

 まるで洪水。

 憎悪を一心に受けるメイジの使い魔は唖然とした。

 認識が甘かったのか。

 そう思わざるを得ない。

 人は単純で極端な生き物だ。

 そう確信しているし、濁った瞳の少女は今でもその考えに変わりはなかった。

 すぐに視野狭窄に陥り、他の価値観に影響される。

 それが人。

 魔法は幻想的で利便性が高い、絶対の力だ。

 故に、魔法が扱える者が偉くなるのは必然。

 魔法が血で継承されるなら、血統も大事になるだろう。

 貴族平民階級のカースト制になるのも道理である。

 圧制や不当が蔓延するのも頷ける。

 しかしだ。

 憎悪、怨恨、軽蔑、憤怒、悲嘆、嫉妬。

 第三の眼に映る、どす黒い映像と音声の数々。

 個々の味わった不条理な経験が、次々と突き付けられる。

 戦慄する。

 恵まれた幸運に助かった一握りの者達。

 それが彼等だ。

 第三の目がそれを痛烈に知らせる。

 ここは外部とは隔絶された空間だったのだ。 

 まやかしの灯りなのかもしれない。

 トリステインは今だ闇に覆われている。

 外面だけが飾られた魔法至上主義社会。

 社会の上では特権者達のコーカスレースが執り行われ、力ない平民は犠牲となっているのだ。

 

 罵倒が続く。

 周囲はもはや憎悪に支配された人形。

 断罪でもするかのようだ。

 罵ることこそが正義と信じて疑わない。

 感情。

 人はそれを自分のものとよく勘違いする。

 そうではない。

 感情が人を所有しているのだ。

 現に、彼らは憎悪に操られている。

 第三の目がひしひしと伝える。

 感情に伴う記憶を。

 その憎しみも怒りも経緯が経緯。

 抱いて当然ゆえに、質が悪かった。

 異形の目を抱える少女は息をつく。

 そして、その瞳の色を変えた。

 

「なるほど。

 貴女達は嬉しいのですね。」

「は?

 なんなのこの子?」

「何が嬉しいだって?

 何を聞いたらそんな勘違いができんだ、おい?」

「貴族から落ちぶれ、平民へと降りた元貴族が。

 そして平民でも平民の中には入ることが出来ない元貴族が。

 こうやってノコノコとやってきて、自分達は囲って罵れる。

 この状況に愉悦を感じて仕方ない。

 虐めた借りを返せて楽しくて仕方ないと。 

 わかりますよ、その気持ち。

 唾棄したくてたまりませんね。」

「あんだとぉ!!!」

「アンタみたいなグズと一緒にすんじゃないわよっ!!!」

「口に気をつけな、嬢ちゃんよ。」

「因果応報とはこのことだね。

 あんたのことなんかは知らないよ。

 だけどさ、アンタ元貴族なんでしょ?」

「貴族なら貴族の落とし前をつけなきゃならねぇ。

 平民に生まれた業がありゃ、貴族に生まれた業があるんだよぉ。」

「落とし前とは。

 アウトローが仕返しの際によく使う常套句ですね。」

「仕返しなんて下品ね。

 貴族の言葉とは思えないわ。

 一緒にしないで。アンタ達とは違う。

 暴力はしないであげるわ。」

「非暴力非服従の精神ですか。」

「ここで暴力を振るっちまったら、俺達は貴族と同族になっちまう。

 そんなの死んでもゴメンだ。

 非暴力は暴力より崇高なんだよ。」

「感服ですね。

 貴族の矜持より誇り高いですよ。

 しかし言葉とは裏腹に、その目は暴力を渇望してます。」

「当然じゃない。

 貴族はそれだけのことをしているんだからね。

 何回火炙って殺しても足りないくらいよ。」

「自律の精神ですか。

 罰を与えることより、許すことのほうが何倍も困難というのに。」

「平民を舐めるんじゃねぇよ。

 見栄と傲慢しか頭に入らない貴族には壁が高いかもしれねぇがなぁ。」

「目には目を、歯に歯を。

 罪と罰の等価ですら難しいのです。

 人は得てして同等以上の対価を求めるもの。

 先の憎悪の叫びでわかります。

 貴方達に非暴力の精神は荷が重いようですね。」

「立場わかって言ってんの?

 わかった風な口利いてんじゃないわよっ。

 ムカつくわねっ。」

「理性は流れる感情を押さえるためのダム。

 当然限界があります。

 たがらこそ、マルトー料理長はタイミングよく現れたカモを利用することにした。

 違いますか?」

 

 突如名指しで話を振られ、料理長は訝しむ。

 何を企んでいるのか。

 先程からの可憐な外面にはそぐわない冷静さ。

 不相応な大人びた雰囲気が、警戒心をより一層高めた。

 

「ふん、貴族の業に耐えきれず、苦しみ紛れの戯言かぁ。

 聞く耳もつ気はねぇなぁ。」

「ここにいる皆さんは非暴力、非服従の心構えが根差しています。

 しかしそれは仮初めのものが多い。

 経験からの産物ではなく、人から与えられた規律なのでしょう。

 知識に実感が伴わないのですから、定着が浅いのも当然。

 教えたのは料理長さんですよね。」

「だったら何だ。

 価値観の押し付けとでも言い張る気か?ああ? 

 暴力に暴力で返しても、また更なる暴力で返ってくるんだ。  

 意味なんざねぇ。」

「暴力とは選ばれない者が行使したとき、懺悔の宿命がついてまわる。

 中途半端な力にある性質は破滅。

 魔法の前では多くの平民がそうでしょう。」

「そうだ。

 暴力の多くは報復で発揮されんだ。」

「至言ですね。

 過去の過ちが貴方に刻んだのでしょうか。

 それとも、大切な人がですかね。」

「人の経歴に詮索をかけるとはぁ、いい度胸だメイジ様よぉ。」

「非暴力を訴えている張本人が脅しとは。

 貴方達の差別反対の根底にあるのはやはり報復のようです。」

「手は出さねぇよ。 

 誇りにかけてな。

 料理人は手が命だ。

 商人が商売道具を手荒に扱っちまったらどうしようもねぇ。」

「それが聞けて安心しましたよ。

 感情をぶつけるのは構いませんが、何ぶん子をあやした経験はありません。

 お手柔らかにお願いしますね。」

「んだとゴラァァァ!!!」

 

 ダァァァァァン!!!!!

 

 台を叩きつける音が響く。

 見れば、マルトーの拳が台を突き付けて、台が凹んでいた。

 あまりに突然の出来事。

 濁った瞳をもつ使い魔はポカンと口を半開き。

 思考が止まった。

 少女の瞳に映るは烈火の憤怒。相対するマルトーの般若面である。

 轟音と料理長の覇気に、周りの職人達は沈黙した。

 

「すまねぇ。

 小娘相手に切れるとは、俺も器が知れてらぁ。」

 

 彼は見た目より冷静のようだ。

 濁った半目の少女は内心動悸が止まらない。

 相手の沸点の下がりようがあまりにも急であったのだ。

 私は見極めを誤ったのか。

 

「い、いえ。

 私も口が過ぎたようです。

 謝罪します。」

「ふん、貴族も謝れるんだな。」

「ですが、迂闊でした。

 あんな言葉で反応するとは。」

「はっ。俺が気の長い温厚なお人好しにでも見えるかよ。」

「指してるのは挑発ではありませんよ。

 言葉自体です。」

「あ?

 何訳わかんないこと言ってんだ、嬢ちゃん。」

「『お手柔らかに』ですよ。

 その言葉が貴方の記憶の奥底を刺激したのです。」

「な、なに言って。」

 

 気難しげに料理長の眉が歪む。

 その表情は戸惑い。

 さとりの言葉がわからないと言いたげだ。

 事実理解していなかった。

 第三の瞳はマルトーを見据える。

 重要なのは彼の内面であった。

 

「そうですか。

 友人は武力抗議の果てに目の前で。」

 

 何故それを!?

 厳つい顔が壮大に歪む。

 料理長のマルトーは目に見えて動揺した。

 

「同じ轍は誰にも踏ませない。

 それが貴方の根底。

 義務というやつですか。

 そしてそれは貴方にとって、貴族に対抗する支えでもあるのですね。」

「な、何故そんな。

 てめぇ!!

 一体なんでそんなことを知ってやがんだ!!!」

 

 轟く怒号。

 そして猛烈な勢いで彼の顔が近づいた。

 

「答えろっ!!

 場合によっちゃただじゃおかねぇぞっ。」

「ひょえっ。」

 

 急な事態に奇声があがった。

 私の声である。

 ガバッ、と胸ぐらを持ち上げられ、浮遊感に晒された。

 思考が無くなるがそんなの関係ないとばかりに、有無を言わせない形相がこちらに接近した。

 目と鼻の先。

 目を反らせない。

 隈の目立つ少女はされるがままだ。

 喉が震え声がまともに出ない。

 

「……あ、え、え。えと。その、えと。」

「はっきり喋りやがれっ!! 

 なんで知ってんだっ!!」

 

 その時。

 パーーーッ、と異形の瞳が怪しく光った。

 放射状に発光する光に、料理長が慌てて手を離す。

 

「な、何だ。こりゃあ一体!?」

 

 料理長のマルトーは驚愕の声を発する。

 そして目を疑った。

 

 

 ザシュッ。

 肉が抉れる音が俺の耳に届いた。

 

『が、がは。がは。』

 

 友人ヘルトが料理長の前で血を吹き出させる。

 氷の弾丸で胸を穿たれたのだ。

 友人が倒れる。

 気づけば、料理長は駆け出した。

 

『お、おいっ!? 大丈夫かっ!?』

 

 地面に倒れる前に何とか受け止める。

 しかし凄まじい出血。

 応急手当では済まない傷だ。

 周りに施設はない。

 ここは郊外の貴族の別宅の近く。

 辺りには森が鬱蒼としているだけであり、医療道具は拠点に帰らなければ用意できない。

 助かる見込みは相当低く、自分では助けることが出来ないと察した。

 いや。俺が助けなくて誰が助ける。

 

『ヘルト!おいヘルト!

 しっかりしろっ!!死ぬんじゃない!!』

 

 息は浅く、喀血が続く。

 

『マルトー。悪い………しくっちまった。』

『おい、喋るな!

 傷に響く、まってろっ。

 すぐに治療施設まで運んでやるから!!』

『そ……んな場合か、……逃げ………ろ。』

『おい、寝るな! 起きろっ、ヘルト!!』

 

 認めたくない現実に、マルトーは顔を盛大に歪ませた。

 

『おいおい、もうくたばるのか?

 もう少し楽しませてくれないかねぇ?』

 

 マントを羽織った男性が近づく。

 その声にワナワナと腸が煮えくりかえるのがわかる。

 料理長は在らんばかりの怒声を張り上げる。

 

『お前っ、一体これは何のつもりだっ!?

 この期に及んで裏切る気か!』

『お約束のつもりだ。』

『てめぇっ!』

『はっ、一丁前に憤るか。

 仲間の死に。

 テロ組織風情がヘドが出る。』

 

 マントを羽織る男は貴族。

 しかしながらも、平民の権利回復のために協力してくれる奇特な男だ。

 気のいい男だった。

 そう。

 そうだったはずなんだ。

 しかしその男は、嫌悪と侮蔑を瞳に宿らせ、料理長達を睨んでいた。

 

『所詮貴族かよ。

 これだから人を人とは思わない畜生は嫌だったんだ。』

『ほざくな、劣等種が。

 俺と貴様らが同列だと?

 つまらんジョークは恋人のノロケだけにしておけ。』

『絶対に許さねぇ。絶対にだっ。』

『それはこちらの台詞だ。

 妹を殺された怨みがこの程度で済むと思うなよ、溝鼠どもが。』

『な、はっ?』

『はっ、知らないだろうな。

 ああ、知るはずがないだろうさ。 

 私は言ってない。

 貴様らもこれまで殺してきた奴等のことなんぞ欠片も覚えてないだろう。』

『じゃ、じゃあお前……まさか。』

『そうさ。

 最初っからこれが目的だったのさ。

 これまで共にしてきた任務も全部このためだ。

 このためだけに同族を貴様ら溝どもとともに殺してきた。

 これだけのために、私は貴様ら溝鼠どもに手を貸してきた。

 裏切る?

 私は目的を遂行したまでだっ。

 裏切る要素などどこにあるというんだっ、劣等種がぁっ。』

『この、やろぉ。

 絶っ対ぇに許さねえぇぇぇ!!』

『はんっ!

 貴族に飼われていればよかったものの。

 さすれば、私もこんなことをせずに済んだのだ。』

『ぶっ殺してやるっ!!』

『相方の負け犬はすぐに壊れたからなっ。

 この身を焼いて止まない憎悪が全くもってとれやしなかったのだっ。

 貴様も私の玩具になってもらおうか。』

『こっちの台詞だっ!

 生きてることを後悔させてやる、この貴族がぁ!』

『はっ。

 威勢のいい大言を吐くものだ。

 なら、お手柔らかにお願いしようじゃないかっ。』

 

『ウオォォォォオオオ!!!』

 

 

 バシッ。

 

「あっ。」

 

 乾いた音が響く。

 

「……えっ?」

 

 料理長は瞠目する。  

 

「マルトーさんっ。

 気が付いたんですねっ。」

 

 眼前にはシエスタがおり、心配そうな顔をしている。

 職人達も同様の視線だ。

 料理長は周りを見渡す。

 自分は台を壁にして座っていた。

 頬が痛む。

 記憶の前後関係が整理できず、状況が全く理解できなかった。

 

「どうも。」

 

 声に反応して顔を向ける。

 そこには、ピンク髪の少女がやや申し訳なさそうに佇んでいた。

 

「お騒がせしてすいません。」

 

 今だ混乱がとけない。

 額に手をやり、料理長はゆっくり立ち上がった。

 異形の目をもつ少女はゆっくりとした口調で、状況を説明していく。

 心を読む力。

 そしてトラウマを蘇らさせる力。

 異形の目をもつ彼女にはその力があった。

 さっきの状況は彼女の力に原因があったのだ。

 

「料理長さんは幻覚を見ていたのです。」

「げ、幻覚?」

「そうです。

 詳しく言えば、トラウマになった記憶が再現したのです。」

「記憶。再現。

 そうだ。俺はさっきまで奴と戦っていたはずだ。

 なのに、なんで。」

「それが幻覚です。」

「げ、幻覚っ。

 んな馬鹿なっ、俺は確かに。」

「落ちついて下さい。

 それがトラウマの再現なのです。

 幻覚というのは一般には幻視が有名ですが。

 正確には幻視、幻聴、幻嗅、幻味、幻触の五つがあります。

 その全てが狂い、貴方はまるで当時の記憶の世界に戻ったような感覚になった。

 それが事の全貌です。」

「そ、そんなことが。」

 

 内容を聞いても今だに半信半疑だ。

 

「非は私にあります。

 力を行使するつもりはなかったのですが。

 あの時は私自身パニックになっておりまして、無意識のうちに勝手に能力を発動していたようです。」

 

 声音を小さくし、少女の表情に陰がさす。

 居心地が悪そうだ。

 彼女なりに反省しているのかもしれない。

 いや、いい。料理長はそう言って首を振った。

 

「確かに驚いたが、トラウマというほど衝撃的な記憶というわけじゃねぇ。

 ただ良くない思い出であることにはちげぇねぇが。」

 

 沈黙が降りる。  

 だが、それもすぐに終息し次の展開へ迎える。

 隈の目立つ少女の平坦な声音が彼の耳に流れた。

 

「料理長さん。

 貴方はどうやら悩んでいるようですね。」

「あ?

 大人は常に悩んでいるさ。

 生活費が苦しいだの。家にいる嫁が恐ぇだの。

 悩みのないやつはきっと、心がイカれちまってんだろうよ。」 

「苦悩は人生のスパイスと言いますが。

 当人からすればたまったものじゃないでしょう。

 ないほうがいいのは明らかですよ。」

「俺は辛口派だ。問題ねぇ。」

「私、カレーライスは甘口派です。

 貴方は限界を感じている。

 自覚しているのではないですか。

 私を槍玉にあげて憎しみのはけ口にしました。

 はけ口は人を選びません。

 全てが選択に入り、徐々にその選択が限られてくるのです。

 切迫すれば、家族、友人へと当たっていきます。」

「なんだ。不当に罵倒されて怒っているならそう言えばどうだ?」

「料理長さん。

 貴方の非暴力非服従の精神は破綻に近づいているのです。

 教えを説いている部下達を見てわかりませんか。」

「俺の言ってることが難しいことなのはわかってらぁ。

 だが、どうしろってんだぁ?

 それを止めて何になる?

 反発の意思を亡くしたら辛いだけだぁ。 

 暴力を働けば路頭に追われる。

 元貴族様のお前に俺達の何がわかるってんだよっ。」

「私は貴方達ではないので、わかるとは言いませんよ。

 経験は主観的なもの。

 辛さも同様。

 どんなに言葉で綴っても、当事者以外に共感などそこになく、同情の念が精一杯です。」

「心は読めても、感情は読めねえみてぇだな。

 お前にその目は無用の長物らしいなぁ。」

「まぁ、他者よりはわかるつもりですが。

 所詮、私は傍観者。

 他人事に人はそこまで関心も熱も入れません。

 なので解決策も代替案も今の私には思いつきそうにもないですね。」

「はっ。

 大勢の前で大層なことを言い出したと思えばよぉ。

 デカイ口叩いて軽い期待させといてそれかよ。 

 ただの甘ちゃんがいいこと言おうと頑張ってんのか?ああ?」

「私は問うだけです。

 貴方の根底には過去を根差した義務感があります。

 貴族への憎悪と非暴力の精神。」

「だからここで俺は抵抗を続けてんだよっ。

 魔法だけが全てじゃねぇ。

 この料理の腕は誰にも否定させねぇってなぁ。」

「加えて、ここは比較的に給料がいいみたいですしね。

 貴族は平民から搾取するようですが。

 しかし金をもつ雇用主もまた貴族になります。

 なので、政治が変わらない限り平民もまた貴族にすがるほかないのです。」

「何が言いてぇんだっ!

 俺らもあいつら同様寄生してるっていうのか!

 俺らは正当な労働を提供してるんだ。

 対して多くの貴族は不当な対価。

 寄生なんて言わさねぇ。」

「そうですね。

 正当な労働こそが貴方たちの誇りですものね。

 そして支えでもある。

 しかし同時に、現状への鬱屈した思いも事実。

 貴族への不満。

 料理人としての将来。

 貴方は身動きが取れません。」

「……………」

「ジレンマです。

 貴族への反骨精神、反抗心が強すぎるあまり、貴方はここを抜け出せない。

 そして何も出来ない現状に対して鬱屈する。」

「ああ、そうさ。

 だがよぉ、偉そうな小娘のお前には打開策はないんだろぅ?」

「人はプライドを捨てて生きることはできません。

 捨てて生きてるように見えても、個々の線引きがあるのです。

 プライドは品格ではありません。

 捨てに捨てて、捨てきれずに残ったものです。」

「なんだ?

 俺もまた貴族連中のようにプライドで生きてるとか口走る気かぁ?

 冗談も大概にしとけよぉ。」

「毎日腕を見せ付けるように料理したものを盛大に残される。

 あの手この手と工夫しても暖簾の腕押し。

 量の調節を上に訴えても、見た目がみすぼらしいのはダメだと却下です。

 まるで貴族の眼中にないかのよう。

 反抗とは見られなければ虚しさしか呼びません。

 貴方は得も知れない敗北感に苛みます。」

「て、てめえ!!

 俺の記憶をぉ覗きやがったなぁ!!」

 

 ひぃ。濁った瞳の少女は耳を抑える。

 料理長の怒号が耳を穿ったのだ。

 そして足を踏み鳴らして接近。

 その憤怒の表情が更なる圧迫感を振り落とす。

 や、やってしまった。

 後悔が胸の内で鳴いて止まらない。

 胸の動悸が再び声を上げる。

 冷や汗が額に沸いて止まらない。

 目の前にいる料理長の怒気に、さとりは後づさった。

 

「え、選ぶか選ばないか。

 それが問題なのです。」

「選ぶだぁ?」

 

 眼前の巨躯を持つ男の声が威圧する。

 

「生活に生きるか。誇りに生きるか。

 貴方は料理に自負を持っています。

 他の方達も同様に、自らの役割に一定の誇りがある。

 それが貴方達の支えでもあります。

 不当に対する正当。

 役割をこなすことが、貴方達の反抗なのですから。」

 

 料理長の厳格な面持ちが沈黙を続ける。

 

「しかし、貴族に脅え不満を耐えるにも限界が近い。

 貴方は耐えれても、他の方達は貴方ではありません。

 貴族と相対すれば、ただひたすら謝ってその場を凌ぐ。

 偉そうにするだけならまだマシです。

 不条理な怒号に目をつむり、口をつぐんで堪え忍ぶ。

 惨めさは人を追いやります。

 生きる意味を見失います。」

「結局何がいいてぇんだ?」

「選ぶか選ばないかの話です。

 貴方にはやりたいことがあったはずです。

 多くの人達に、自分の料理を食べて欲しい。

 食べて欲しい人達とは、不平不満の多い貴族ですか?

 料理は貴方の誇り。

 同時に、貴族に対する対抗手段でもある。

 しかし、今の貴方は貴族への対抗に盲目です。」

「耄碌するほど、俺は年とってねぇ。

 見返してやりてぇ。

 それを志すことが悪いのか。

 今の今まで不条理を強いられてきたんだ。

 見返してあの鼻っ柱を叩き折ってやるくれぇしねぇと気がすまねぇ。

 それが悪いか?あぁ?」

「本音が出ましたね。」

「ああ?」

「やはり。

 貴方も暴力を自律しながらも、根底には報いを望んでいるようです。」

「なっ。」

「非難ではありません。

 当然の欲求です。

 しかし人は欲求を自律できます。

 貴方も現にそうしてる。そうでしょう?」

 

 畳み掛ける勢い。

 料理長のマルトーは言葉を発しようにも発せなくなる。

 

「ですが人は弱くもある。

 圧政や暴力に限らず、人は追いやられると自律がほどいていきます。

 今の貴方に必要なのは飛び立つ勇気。

 貴方の本当の望みは反抗ですが、ここじゃないのです。

 貴方の望みはここでは叶わない。

 ここでは本当に食べてもらいたい人達に食べてもらえない。」

「だ、だがぁ俺はぁ。」

「店を出すのが不安ですか?

 お金は充分たまっているのでしょう。

 未知は恐いですか?

 料理の経験はあっても自営業はしたことがない。

 それともまだメイジにこだわりますか。

 貴族への反抗は貴族のいるところじゃないと意味がありませんものね。

 ですが殆どの貴族が貴方を見ていません。」

 

 拳が震える。  

 ギシリ、と歯軋りが鳴った。

 

「これは貴方を慕う人達の願いにもなるのです。」

 

 マルトーはバッと顔を上げる。

 

「ね、願いだと?」

 

 もはや、眼前の少女が何を言いたいのかはわからない。

 しかし。

 大切なことを言っている。

 俺の忘れた何かを知っているのだ。

 

「選びなさい。

 そしてそれが他の者達の希望になるでしょう。

 貴方達は生き甲斐を欲しているのですから。」

「い、生き甲斐?」

「今の貴方達に必要なのは生き甲斐です。

 人生に意味はありません。

 自らが意味を見いだすのです。

 今の貴方達には自らに意味が見いだせずにいる。

 いいえ。

 忘れてきている。

 横暴、借金、扶養家族。

 障害だらけですね。

 貴方達は常に怒号と惨めさの壁に圧迫されている。

 精神の消耗が人生から色を抜いている。

 人は皆救世主を望みますが、根底は違います。

 自らに力と自負を欲している。

 惨めさを嫌います。

 だからこそ、生き甲斐を求めるのです。」

 

 料理長は目を瞠目させる。

 喉が鳴った。

 

「選びなさい。

 それが貴方の心。

 貴方にはその資格がある。

 有り余るほどに財はあるのでしょう?

 金は資格であり、力。

 なしたいことを貴方はなせるのです。」

 

 俺の本当にしたいこと。

 あったはずだ。

 貴族を見返すことか。

 いや。

 そうだが、そうじゃなかった。

 

「周りは先駆者を欲しています。

 全てを救う救世主でなくていい。

 ただ見本が欲しいのです。

 店を開くにしても、貴方は一人ではないでしょう。

 ついてきてくれる味方もいます。」

 

 料理長の瞳に少女の視線が交わった。

 隈のある濁った瞳。

 小娘と思っていたがとんでもない誤解だ。

 深淵が佇む、老成した眼光。

 膨大な年季と貫禄がそこにある。

 彼女の声が続いた。

 マルトーはもはや叡知を授かる心地ですらあった。

 

「貴方に義務はありません。

 自ら勝手に縛っているだけなのですから。

 貴方の対抗はここではない。

 だから行きなさい。

 貴方には付いてきてくれる人もいる。

 救われる人もいるのです。」

「す、救いだと。」

「そうです。

 大事なのは結果とよくいいますが。

 大事なのは行動です。

 貴方の生きざまが見本となり皆の希望になるのです。

 もう踏ん切りはついたでしょう?

 やりたいことは思い出したはずです。」

「やりたいこと……」

 

 そうだ。

 こんなところで燻っている場合じゃない。

 毎日こそこそ陰口たたくのももううんざりだ。

 変われる。

 俺は変われるんだ。

 皆がそれを望んでさえいる。

 俺の生き甲斐。

 俺のやりたいことは。

 

 空気が変わる。

 眼前の異形の瞳が発光したのだ。

 見れば、ピンクの髪が揺らめいていた。

 魔力というやつか。

 怪しい様相。

 そして畏怖の念を禁じ得ない、微かな圧力。

 しかしだ。

 そんなことはどうでもよかった。

 マルトーは異形の瞳と相対する。

 

「問いましょう。

 反抗者よ、汝の名は平民か?」

 

 マルトーはハッ、と小馬鹿に鼻を鳴らした。

 

「誰にものいってんだ。」

 

 マルトーは、自信に満ちた確固たる強い声音をもって意思を発する。

 

「俺は誇りある料理人だぁ!!

 わざわざ云わせんじゃねぇや!!」

 

 

 この日、料理長マルトーを含めた数十人の料理人と使用人が辞職。

 シエスタも一緒だ。

『さ、さとりさん。

 ありがとうございました。

 わ、私もこれからどうなるか分からないけど、変わってみようと思います。』

 別れ際の言葉。

 彼女が家族のために頑張っているのは知っている。

 これが彼女のためになるかはわからない。

 しかし、シエスタは新たに選択したのだ。

 故に、さとりは何も言わない。

 手を振ってお別れするのみであった。

 突如の大規模辞職。

 学院は大慌てで対応することになった。

 残った者達はいるが、当然料理の質は下がるだろう。

 人事の者達は新たな雇用者探しに忙殺されたのであった。

 

 因みに、朝の朝食は一時間も遅れた。

 

 

 夜。

 ルイズの自室。

 桃髪の主は難しい顔で目をつむる。

 同色髪の使い魔から、朝のトラブルについて問い正していたのだ。

 

「まぁ、こんなことがあったんですよ。」

 

 死んだ瞳をした少女の概要説明が終わる。

 淡々としておりとても無駄がない。

 しかし。

 

「なにがぁこんなことよぉぉぉ!!」

 

 召喚主は即座にぶちギレる。

 緊張感の欠片もない無表情に怒り沸いて止まらないのだ。

 

「ばっかじゃないのぉ!!

 何他人事みたく言ってんのよっ!!

 あんたが事件の元凶じゃない!!」

「まぁ、それについては言い訳できませんね。」

「なに何でもないように言ってんのよっ。

 さっさと注文するか、貴族でないことを明かしたらよかったでしょうがっ!! このアンポンタンっ!!」

「ついこの悪い舌が乗ってしまって。

 叱らないでやってください。」

「ああん?」

「反省してます。」

「嘘おっしゃいっ。

 何回目のセリフよそれっ。

「嘘ではありませんよ。

 その証拠に鼻は伸びないでしょう?」

「何の引用よっ!

 知らないことをひけらかしてるつもりなのっ?」

「私のいた世界の童話です。

 人の改心は一度ではありません。

 これは童話の教訓です。

 私も反省はしているのです。

 改心もしています。

 ただ改心は一転して終わりじゃないことを知ってください。」

「二転三転してる時点で改心なんてしてないわよ。

 何偉そうに講釈垂れてん……っのよ!!」

「ぼ、暴力反対ですっ。

 や、やめて、止めてください。」

「うっさい、うっさいっ。

 これはお痛した使い魔への正当な罰なんだからっ。」

「た、体罰は怨みを生むだけです。

 暴力を正当化する教育的指導とは欺瞞なのですよ。

 貴族も野蛮です。」

「非はそっちにあるのよっ。

 立場を弁えなさいっ。

 あんたが何言ったところで説得力は皆無なんだからねっ。」

「い、痛いです。

 脛を蹴らないでくださいっ。 

 膝に当たって致命傷になったらどうするんですかっ。」

「何処に膝が致命傷の生き物がいるってのよっ!」

 

 普段気だるげな雰囲気の少女も、暴力を受ければ話は別である。

 死んだ瞳に険を含め、ややヒステリックに抗議する。

 同色の髪の二人の口論と、一方的な暴力。

 暴力の主はお察しである。

 しかしそれも長くは続かない。

 しばらくして二人は落ち着きを取り戻す。

 召喚主が前髪をかき上げて口を開く。

 

「て言うかさ、それって偽善じゃない。」

「ほう。」

 

 隈のある少女は興味深げに目を向けた。

 

「だってさ、結局料理人達や使用人も残っている人は結構いるんでしょ。

 大言吐くのはいいけど。  

 格好つけた割りには、それが何にもなってない人達がいすぎじゃないの?」

「そうですね。

 毒にも薬にもなりません。

 残った人達は変わらない日常が明日からも続きます。」

「何か釈然としないわね。

 中途半端って感じ。」

「全てを救うなんて正義の傲慢ですよ。

 それに、残った人達にも多少のメリットはありますよ。」

「何よメリットって。」

「マルトーさんがいなくなりました。」

「それが何よ?」

「いやそれがメリットですよ。」

「ど、どういうこと?

 だってあの人って学院でいえば、いわば平民代表って感じだったのよ?

 貴族には超無愛想だけど、他の平民にとっては頼りになる味方じゃない。

 あの強面と巨体で超厳つかったし。

 平民からしてみれば、いなくなっていいことなんてないわよ?」

「平民とか貴族とか。

 固まった枠で物事を見ることはお勧めしませんね。

 トリステイン人は魔法に優れている。

 なんて言われても、実際優れているのは限られているでしょう。

 平民も一枚岩ではないのです。」

「え、え?」

「つまりですね、マルトーも職人達の中では嫌われる性質があったのです。」

「は?」

 

 衝撃の事実。

 考えもしなかった答えが、死んだ目をする使い魔から飛び出した。

 ルイズは口をポカンとあける。

 

「あ、あの平民代表のマルトー料理長が?

 え、だってあの人。

 凄い慕われているのよ?

 私も実際見てるし。」

「そんなの表面上だけですよ。

 料理長なんですから。

 表だって悪く言う訳ないじゃないですか。

 そんなことしたら、働きづらくなるだけですよ。」

 

 桃髪の召喚主は何も言えなくなる。

 

「いい人が往々にして好かれる訳ではありません。

 平民の味方という意味なら、確かに彼はいい人です。

 強面ですから頼りになりますしね。

 ですが、それだけです。

 実際は害のほうが多かったんじゃないですかね。  

 共に働く人にとっては。」

「害?

 あの人も裏では高圧的なことでもしてたっていうの?」

「いえ。

 人は相性が重要です。

 そう思いませんか?」

「わかるように言いなさいよっ、もうっ。」

「あの人は快活でリーダーシップに優れていました。

 しかし、それは同調を強いてきたことにもなるようです。

 常に反骨精神を説き、こうすべきという規律をつくってきたのです。

 恐い顔と恐い怒鳴り声には逆らえないのが普通です。

 職人さんや使用人達はかなりストレスがあったでしょうね。

 非暴力の精神は立派なんですがね。」

「ふ、複雑なのね。」

「人間関係が複雑なのは言うまでもないですよ。

 利害が絡まると余計にね。

 そして彼は料理人としてのプライドも高く、その意識の高さに辟易している人も多くいました。

 人は皆強くはなれないのです。

 職人達の不満は確かに貴族のものも多くあります。

 根強い恨みもありました。

 しかしですね。

 現在進行形でいえば彼の作り出す職場の空気のほうが不満があったのですよ。」

「…………そ、そうなんだ。

 全然知らなかった。」

「見てないのだから当然ですよ。

 つまりですね。

 職場環境の改善という意味では、幾分かマシになったと思いますよ。

 頑固で、怒鳴り声のうるさい強面巨漢が去ったのです。

 残った人達は救われていると思いますよ。

 閉塞感の要因がひとつ減ったんですから。」

「で、でも頼れる味方がいなくなったのよ?

 貴族に絡まれた時はどうすんのよ。

 厳つい顔で追い払ってくれる人がいなくなってるじゃない。」

「貴族に絡まれても、路頭に迷うことはないと思いますよ。

 それに、学院長のオスマンさんがいるんです。

 貴族は恐いことには違いないですが、少なくともここなら困窮に陥るようなことはないのです。

 それは、彼らが一番わかってますよ。」

 

 召喚主は釈然としない顔だ。

 何か言いたそうな素振りを見せるが、隈のある少女は見てない振りをした。

 

「慕われていたと思っていた人が、実は慕われていないなんて。

 よくある話ですよ。」

「で、でも。」

「彼は立派な人です。

 ですが、好かれない人柄でもあるのです。

 立派だからといって必ず慕われる訳ではありません。

 敬意はもたれます。

 だからこそ、職人さん達は口にはしなかったのでしょうね。」

 

 ルイズは沈黙する。

 

「ま、損をした人は少ないですよ。

 マルトーさんは心機一転して歩き出しました。

 残った人達は幾分か心休まる職場を手にしました。

 明日からの調理場は大忙しかもしれせんがね。

 取り敢えず、めでたしめでたしにして下さい。」

 

 さとりは外に視線をうつす。

 双子の満月が死んだ瞳に光りを灯す。

 人の望みは千差万別。

 同じ境遇の者が、同じものを求めているとは限らない。

 誇り。

 それは自らを律して、自信の根底にあるもの。

 そして他者を見下す台座にもなれば、忌避を受ける体臭にもなる。

 異形の瞳をもつ少女はため息をついた。

 

 

 




 自己満足感満載な話になってしまいました、すいません。
 感謝、評価お待ちしております。
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