【SAO×AB】相似形の世界   作:鬱蝉

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十八話「墓碑銘(ネクローシス)」

第一層・はじまりの街。

 

勝利の凱旋をする俺達をプレイヤー達は喝采で讃えたが、彼らには構うことなく俺達の足はある場所へと向いていた。

 

黒鉄宮――

 

名の冠するごとく、黒鉄(くろがね)のような金属で造られた黒鉄宮内部には《生命の碑》というものが存在する。

 

その碑には、無数の名が墓碑銘(エピタフ)のようにずらっと鏤められていた。

お分かりだろうが、これらはSAOの仮想世界、そして同時に現実世界で《死亡》したプレイヤーの名である。

 

その数、ゆうに二千超。

 

しかし恐ろしいことに俺は、その膨大すぎる数の死を実感できなかった。一度死んだ身であるにも関わらず、だ。

 

だってそうだろう――

 

人間の死とは、これほどまでに簡素に、たった26通りの《文字》で済まされてしまうのだから。

 

思えばこのようなことは、現実世界でもよく起こることだった。

 

人間は死ぬと、葬儀が執り行われる。人によっては豪勢に、あるいは質素に。しかしいずれにせよ、残酷なまでに過ぎていく時間の中でその事実は、人々の歴史から、記憶から風化していき、最後に残るのは死体診断書と死亡届に記された頼りない手書文字だけだ。

 

実際、俺もそうだったのだ。唯一の救いだったのは、一人の少女に自分の生きた証を託せたことだ。

 

嫌だと思った。現実にせよ、仮想にせよ、その運命からは逃れられないのだが、自分の死が僅か数バイト程度のテキスト情報に集約されてしまうのは、言い知れない不快感と拒絶を覚えた。

 

プレイヤー達は《生命の碑》の前に立つと、自然に直立の姿勢をとり、その碑を見仰いだ。軍隊めいた敬礼だとか、教会めいた手を組ませた祈りをすることもない。彼らの前で物理的実体を伴う動作など、まるで無意味で滑稽なのは自明である。

 

言い方は悪いが、この《生命の碑》は彼らがかつて生きていたことと、そして死を迎えてしまったことの云わば象徴(シンボル)だ。この世界が残存する限り、少なくともプレイヤー達はこの碑を見る度、彼らのことを思い出す。

 

遠い場所で、自分の近くで、遠い昔、ついこの間、知らない人が、気の知れた友人が、現実では遠く離れていても、同じ世界で、同じ使命のために、戦っていたことを。墓碑の中に浮き上がる彼、彼女の名を決して忘れることは無いだろう。

 

現実世界において、この世界での人間の死は単純に《細胞の死(ネクローシス《)》として処理される。

 

残念ながら彼らの死は、この世界でしか意味を持たないのだ。

 

だがそう遠くない未来、例えこの世界が消失してしまったとしても。

 

墓碑は語るだろう。この場所でかつて自由を求めて闘った戦士達の《意味ある死(ネクローシス)》があったことを。

 

現実世界へ向け、発信するだろう。

 

 

 

《第一部・了》




一層、というか一部完結と言ったところですかね。長かった……私の怠惰も相まって。

これまでの話でも察していただけます通り、当作品は相当に原作をブレイクしています。
ディアベルさんは生存しますし、キリト君はソロプレイヤーになることもないでしょう。

それでもいいと言う方は何年かかるかは分かりませんが私の手慰みの執筆にどうぞお付き合い下さい。

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