【SAO×AB】相似形の世界   作:鬱蝉

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二十話「円環再逢律(ウロボロス)」

少年と少女は云わば、《生命の危機》と呼べるものに瀕していた。

 

それはたかがゲーム内での死に過ぎないが、この一カ月近くでゲーム内の仮想肉体の死と現実世界の肉体の死が連動していることは、最早疑いようもない厳然たる事実であった。

 

少年と少女は死という存在に対して余りにも鈍感だった。死生観が歪んでいた、とでも言おうか。そんなディストーションが彼らの心に甘い蜜のような油断を生んだ。あろう事か、地図を戦闘中に紛失してしまったのだ。あらゆるアイテムは所有者の手を五分以上離れると所有権を放棄した扱いになる(この時の彼らは《全アイテムのオブジェクト化》という方法を知らない)。

 

彼らのパーティーには《タンク》と呼ばれる盾のような存在が居り、今は別行動をとっている。無論、その彼にもメッセージを飛ばしたものの、どういうことか届かない。

 

少年は少女に助けを待とうと意見具申をしたが、アクティブな性格である少女は、それを却下。受動的(パッシブ)になっていては救いの手も差し伸べられないという少女の崇高思想の下、たった二人、余りにも孤独な人海戦術による出口を探す旅が始まったーー

 

 

結果、完全に迷った。   

 

そして森に迷ってから一時間経過し、

彼らは蛇に睨まれていた。

 

いつの間にかフィールドボスエリアに足を踏み入れていたようで、鬱蒼とした森林の陰から巨大な蛇の頭がぬっと現れ、手際よく二人の周囲で一周分蜷局を巻き、彼らの退路を塞いだ。少年は蛇の表皮を眇めた。暗紫色の光沢でぬらぬらと覆われている。見た瞬間、毒判定があると理解できた。

 

少女が戦うことを決意した。

少年もやむを得まいと同意する。

 

実際、彼らには《救援を呼ぶ》、《転移結晶で逃げる》、《戦う》という選択肢しかない。そのうち前者二つが実行不可能な以上、二人の進むべき道は戦うことに集束する。

 

その時、少年は、少女が己の肺に空気を溜め込む音を耳にした。

 

「誰かぁッ!私をッ!助けろぉぉぉぉぉッ!」

 

少年はその声量に甚だ仰天した。現実世界で聞いたら鼓膜が破れそうなほどにデシベル値が大きい。少女の物理的手段による救援要請は、方法論として誤ってはいない。しかし、その行為は大きな代償を有する。

 

大蛇がのそりと回頭し、桿体細胞の発達した夜行性動物特有の縦長状の瞳孔が浮かぶ魔物めいた双眸で少女を睨み付ける。だが、少女は一切怯むことなく、寧ろ抜刀隊のような威勢の強さでダガーを握った。

 

蛇が一瞬にして動いた。少女もほぼ同時に動く。

 

攻撃速度は少女の閃かせるダガーの方が紙一重で早かった。ところが蛇は、その頸部を大きくしならせ、長半径の弧を描くように少女に斬撃を回避。転瞬、肉薄。その顎(あぎと)を顎関節が外れんばかりに開き、ダガーを振り抜いた直後で隙だらけの少女の肩に噛み付いた。

 

「……んっ!」

 

少女が苦悶に喘いだ。少年は隙を見せることも承知で少女に目線を遣ると、HPバーの下にデバフの《毒》状態を表すアイコンが表示された。同時に少女のHPにもデクリメント計算が働く。緩やかな減りではあるが、徐々にHPバーに空白が生まれていくのが見て取れた。少女が膝から崩れ落ち、スタンも発動していると理解できた。すぐに解毒アイテムを使えればいいが、生憎持ち合わせが無い。慢心である。

 

少女のHPバーがイエローに変わった。警戒域である。もう少しで危険域にも突入するだろう。即座この場から離脱したいのだが、大蛇の直径2mを越すかとも思える極太の肉体が彼らを360°包囲している。スタン状態の少女を抱えて脱出しなければいけないため、少年のSTR値では跳躍で飛び越えることはほぼ不可能だろう。触れれば、毒判定を喰らいスタン。後は死の誘引を迎え入れるのみである。

 

少年は、運命を悟った。意外と、抵抗はなかった。ただ自分の実数的な存在が分解され、虚数的な存在として別の世界に送られるに過ぎないのだ。相違点は、生きているか死んでいるか、程度でしかない。

 

その時、少年の脳に、過去の、正確に言えば死後の記憶が去来する。所謂、もう一つの世界、即ち死後の世界における自存在の終着点は何だったか。

 

そうだ。召されることだ。

 

天へ。天へ。幾億の星のように、消え去ることだ。

 

輪廻転生。

 

畢竟、人は、生にしがみつくことも出来なければ、死にしがみつくことも出来ないのである。

 

あの世界に送られた魂は、いずれかは再び生の世界へと飛ばされる。その度に魂は全く別の肉体に移植され、別人の身体を、さも自分の物のように動かして生きていくことを強いられる。

 

恐怖を覚えた。

 

少年は理解する。

 

この世界はシステム上、そう簡単に死んではいけないように仕組まれているのだ、と。

 

存在の消去と魂の変異という恐怖心を欠落させた者から脱落していく世界で、その感情を銘肌鏤骨と刻みつけられている内は、人はなかなか死ぬことは無いのだ、と。

 

ならば、生きなくては。隣にいる少女と。生を謳歌するのだ。少なくとも少女にLoveの好意を抱く人間を一人、少年は知っている。その人のためにも彼女をここで失わせるわけにはいかない。

 

少年は絶望の淵で、救援を待ち望んだ。

 

その願いは、数瞬後に叶えられる。

 

毒蛇が大口開けて噛み付き(バイティング)を仕掛けてくる。少年は咄嗟に片腕で防御するも無論無駄なこと。

 

ーー儘よ……ッ!

 

直後、少年は自身の肉体に浮遊感を覚えた。いや、実際に浮遊している。脇を見れば、少女も浮遊しているのだ。視界に捉えられたのは、残像を残して動く赤毛。その時、少年は何者かに担がれているのだと理解する。

 

蛇の像が遠くなり、包囲の蜷局と攻撃射程から脱出すると、少年は助かったことを確信した。

 

その安堵感からか、少年はアルコール度数の強いウオッカを煽ったような胸の熱さを覚えながら意識の底に身を投げる。

 

「シガリテさん、救出に成功しました。男女の二人組のようで、たった今、後方部隊に預けてきましたよ」

 

俺は事の顛末を脳内で可及的簡潔な文章に纏め、事務的に報告した。ただ、男女二人組、という報告に関しては我ながら信憑性に掛けた。何故ならば、たった一瞬の出来事でありながら尚且つ敵に対し、意識の殆どを向けていたため件の二人をまともに見ることが叶わなかったためである。瞬間的に視野に捉えた分だと、俺が男だと言ったプレイヤーはそこそこ中性的な顔立ちをしていた気がする。もしかしたら両方女性かもしれなかった。

 

「ご苦労、オトナシ。それにしても、圏外を男女二人組で……か。キリアスの無双コンビじゃああるまいに。逢い引きでもしてたのか?」

 

「さあ、分かりませんよ。単純にパーティーからはぐれただけという可能性もあります」

 

「それもそうだな、まあいい。今はボス討伐だ。お前は当初の予定通りの配置についてくれ」

 

「諒解」

 

そう言って会話を済ますと、俺は解毒ポーションを一気飲み(イッキ)し、マーダーサーペントに特攻をかける。大蛇は幾重にも蜷局を巻き、壁のような姿をとっている。風貌だけはフロアボス並の圧巻さだ。俺も肉壁の周囲に集り、他プレイヤーと同様にひたすら大蛇を斬りつけた。

 

やがて、蛇は痛撃に悶えるように胴体を上へと持ち上げ、蜷局の壁は解ける。胴体の上半分が天を突き、俺らを見下ろしていた。

 

「広範囲の毒攻撃……だが、ポーションを飲んでるから問題ないな。攻撃続行!」

 

その叫号を皮切りに俺らの剣撃は加速する。サーペントは左右の顎までぱっくりと割れた巨大な口をあんぐりと開け、口内から空から毒液を模した暗紫色の粘性液体を垂らした、さりとて無視。

 

ところで余談だが、ヘビの毒は基本的に神経毒と出血毒、筋肉毒に分けられる。いずれも人体の組織内部に直接注入することで作用するものであり、体表面に触れるだけでは(おそらく)問題は無い。故にヘビは噛みつき、牙から毒を注ぎ込むのである。口内から源泉かけ流しのごとく垂れ流すものではない。これに関しては、製作者のミスではなく、ボスに応じた広範囲攻撃能力を与える過程で仕様がなく発生した、それこそ『仕様』だと自己解釈している。余談が過ぎた……。

 

マーダーサーペントも大方削れ、ラスト一段となった。大蛇は、胴体下半部で全身を支えたうえで、あろうことか上体を西部劇の保安官の投げ縄よろしくぶん回し、奇抜な円状攻撃に打って出た。これについては流石に製作陣お疲れかな?という感想が浮かぶも、なかなか凶悪的な攻撃だ。何せ回転スピードが速い。遠心力とGで脳漿と脳味噌が混ざりあってミックスジュースになりそうな速さだ。キツツキのような頭でもしてるのかと思った。しかしシガリテ麾下の討伐隊とてこれまで9体のフロアボスを討滅してきた歴戦の剣士である。迅速な反応と敏捷な回避行動を発揮し、易々と攻撃を躱す。

 

「ぐはへっ」

 

集中力を切らしたのか、回避タイミングをミスった日向の横腹に蛇のスイングが直撃。ホームランボールめいて遠方へぶっ飛ばされる。まぁ、日向なら大丈夫だろ。

 

そんなこんなしている内にマーダーサーペントは討伐され、LAは《風林火山》のメンバーの一人が取った。どうやら蛇の鞣皮で出来た毒耐性付のレザーアーマーのようだが、デザインがグロテスクなので正直欲しいとは思わない。貰った当人も苦い顔をしていた。

 

その時である。

 

「「何でお前(アンタ)が此処にっ!?」」

 

ボスフィールドを離れた茂み、ちょうど後方の治療部隊が控えている辺りから、ほぼ同時に男女の声が上がった。

 

内一つの男の声は間違いない。日向である。

 

ではもう一つの女の声は……?

 

とても聞き覚えがあった。

 

俺が茂みの方へ駆け足で向かうと、まず目に入ったのは蛇のスイング攻撃と落下ダメージによりスタンしている日向。木の幹に首で凭れかかり、だらしなく四肢を広げている。

 

「えっ!?」

 

驚きとも、戸惑いともとれる声が上がる。

 

俺が声のした方向に視線を遣ると、そこに居たのはとてもビジュアルが印象的な男女のペアが。

 

男の方は赤髪。女の方は鮮やかな桃色。

 

俺はこの二人に甚だ見覚えがあった。いや、忘れるはずもない。

そこに居たのは――

 

「ちょっと、音無君まで!?」

 

かつて、戦場に立ち、互いの背を預け、神相手に闘いを挑んだ盟友。

大山と中村ゆりである。


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