海老名さん√がまちがっているわけがない。   作:あおだるま

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彼らの行く末(最終回)

 

 何もかも、間が悪かった。

 

「…ヒッキー」

 

「比企谷君」

 

「…」

 

 

 黙る海老名さん、放心状態の由比ヶ浜を横目で見て、雪ノ下はいつものようにこめかみを押さえる。平塚先生はバツの悪い顔をしているだけだし、かくいう俺も言葉を見つけられない。

 

 誰も口を開けない現状に彼女は大きくため息を吐き、きっかけにでもしようとしたのだろうか。お決まりの台詞を口にする。

 

「だからいつも言ってるんですよ、平塚先生。…ノックをしてください、と」

 

「…そうだな。これは全面的に私に非がある。すまない」

 

 平塚先生は深く頭を下げる。彼女が…いや、教師がそこまで生徒に頭を下げている光景を俺は初めてみた。

 

 誰に向けた謝罪だったのだろうか。その目は横の俺を捉え、黙る海老名さんに移り、そして最後に由比ヶ浜へと止まった。…それでは気づかれてしまうのではないだろうか。放心していた由比ヶ浜はその視線で現実へと引き戻されたのか、慌てて手を横に振る。

 

「い、いえっ、べ、別にそんなに大したこと話していたわけじゃないですし…先生に謝ってもらうようなことないし」

 

 ね、と同意を求めるように、縋るように由比ヶ浜は雪ノ下を見る。雪ノ下は神妙な顔で、「そうね」と小さく零す。

 

 また誰も何も言えない中、由比ヶ浜の視線はいく当てもなくさまよい、最後に俺とぶつかる。

 

 ぶつかってしまった。

 

「あ…」

 

 小さく声をあげるとその顔は、教室に満ち始めた夕陽よりもはるかに赤い。視線はすぐにそらされ、ピンクがかった茶髪が由比ヶ浜の顔を覆う。

 元来人間のコミュニケーションにおいて、言語の持つ役割は三割程度であり、残り七割は仕草や表情によって行われる、とは以前も言ったことだが、俺は今度はこれが間違っていると言える。…七割どころではない。

 

 聞き間違え、と言う逃げ場もなくなってしまった。

 

 その由比ヶ浜の様子に平塚先生もまずいと思ったのか、苦々し気に口を開く。

 

「あー…生徒会のことで軽く君たちに力を貸してもらおうと思ってね。部室の前まで来たら比企谷君が不審者さながらドアの前でうろついていたのでな…一緒に話を聞いてもらおうと中に連れてきてしまったん、だが」

 

「そんなこと、どうだっていいんです」

 

 冷たい声が教室に響く。

 

 海老名さんは、俺を見据えて短く問う。

 

「どうして、きたの」

 

 海老名姫菜のいろんな顔をこの短い間で見てきたと思う。去年では考えられないほど、いろんな彼女を知った。

 

 しかし、俺はまだ見たことがなかった。

 

「今度は私の番。私、そう言わなかったかな」

 

 その視線は鋭く俺を射抜き、そこには温かさはひとかけらもない。去年の修学旅行で見たような…いや、それ以上に暗く、深い。しかしまったく異質のものだ。

 

 彼女は怒っている。

 

 明確に彼女に来ないでくれ、と言われたわけではない。しかし、はっきりとした言葉にしなくてもわかることもある。彼女は向き合おうとしていた。一人で、自分の中の罪悪感や劣等感と戦おうとしていた。俺はそれを待つと、そう言った。

 

「信じてくれてると、思ったのに」

 

 その小さなつぶやきに返す言葉を、俺は持ち合わせていなかった。

 

 なぜ俺はここに来た。自らに問う。群れることを嫌ったのは、わかったつもりになられることを嫌ったのは俺ではなかったのか。罪悪感も、劣等感も、共有はできない。そんなことを偉そうに嘯いていたのは俺ではなかったのか。

 

 しかし、なぜか俺の脚はこの部室に向かっていた。なぜだ。なぜ俺は今日ここに来た。話すべきことは、ある。彼女たちに言わなければいけないことがある。戸部と話をした屋上。その前に見た二人の壊れそうな笑顔。結局俺は彼女たち二人に対してきちんとした答えを出していない。

 

 しかし、それは今日ではない。今日話すべきは彼女だ。海老名姫菜だけだ。俺が奉仕部で過ごした時間に彼女は関係ないし、海老名姫菜が二人に抱く気持ちに俺は干渉すべきではない。干渉してしまえば、二人でここに立ってしまえば、どうしてもお互いに寄りかかってしまう。そんなことはわかりきっている。それぞれの気持ちは、時間は、言葉は、海老名姫菜のものでも、俺のものでもなくなる。もっと不純な、本物とはとても程遠いものになる。そのくらい俺たちはもう互いに依ってしまっている。わかっていた。

 

 結果、俺は最悪の形で由比ヶ浜の気持ちを覗いてしまった。結果論かもしれないが、確かに俺の行動が招いたことだ。最悪だ。心底そう思う。いつも肝心なところで俺は間違える。しかも普段の比企谷八幡であれば到底犯さないような失敗だ。なぜ、俺は干渉しようとした。なぜ俺は今日ここにきてしまった。彼女たちの、海老名さんの、俺の願いを振り切ってまで、なぜ俺は…

 

 結局。俺は至ってしまった結論にまた自己嫌悪する。いい加減、終わらせたかったのかもしれない。

 

 この歪な関係を。

 

「由比ヶ浜」

 

 海老名さんの問いを無視し、俺は由比ヶ浜に向き合う。ここまで来てさらに気持ちも、言葉も歪ませるわけにはいかない。今俺が話すべきは、海老名姫菜ではない。

 

 聞いてしまったからには、覗いてしまったからには、答えないわけにはいかないだろう。

 

「…なに」

 

 その目は決して合わない。今後、もしかしたら合うことはないのかもしれない。避けようとしている。彼女はなかったことにしようとしている。避けられる目から、震える肩から、零れ落ちた雫から、そのくらいは俺にもわかった。俺の声もつられて上ずりそうになる。この先を続けることを止めてしまいたくなる。しかしその反面、どこかに冷たく俯瞰する自分もいる。

 

 終わりなど、案外あっけないものだ。

 

「すまん、俺はお前の気持ちには――」「――ちょーっと待った――」「――待ちなさい、比企谷君」

 

 三人の声が重なった。

 

 …俺のこの場における地位は高くはない。そもそも出歯亀を見つけられたうえ、勝手に気持ちに区切りをつけようとしているのだ。なんなら女の敵と罵られても文句は言えないだろう。

 

 声が重なった海老名さんと雪ノ下。お互いに訝し気に見つめ合う。折れたのは雪ノ下だった。ため息を一つ、「どうぞ」と海老名さんに先を促す。

 

「…比企谷君、なに簡単に、ついでみたいに全部終わらせようとしてるのかな?」

 

 刀を突き付けられている気がした。

 

「そもそも比企谷君はここにいるべき人間じゃないの。普段の海老名姫菜は君にとって物分かりがいいかもしれない。でもね、それ以上に今の私は『女の子』なの。勝手についてきて、勝手に告白された気になって、勝手にその気持ちを決めつける。本人から直接聞いたわけでもないのに…ふふ」

 

 ゾッとするような笑顔で、海老名さんは嗤う。

 

「そんな楽でクズすぎる終わり方、赦すわけないよね」

 

 ごめんなさい。

 

 気づけば俺は土下座しようとしていた。この間のディスティニーランドや家庭訪問で、「かわいい」彼女を見過ぎていた。

 本来彼女は俺などよりもずっと暗く、深く、腐っている。それを失念していた。

 

 下げかける頭を何とか押しとどめると、今度は横から聞きなれた、しかし久しぶりに効く気がする、絶対零度より冷たい声が飛んでくる。

 

「まったく、不本意極まりないけれど、その通りよ。…勝手に楽になろうとしないで。これはあなただけの問題でも、海老名さんの問題でもない。ましてや由比ヶ浜さんとあなただけの問題であるはずがない。…私たち三人の問題のはずでしょう」

 

 雪ノ下は一息に言い切り、大きく息を吸う。その流れる柳のような黒髪は教室に溶け込んだ夕陽を反射し、暖かく輝く。

 

 そして彼女はそんな美しさからは程遠く、常からは考えられない。まるで子供だ。理屈も、理論もどこかに忘れてしまったかのような言葉を、胸を張って言い張る。

 

「なら、私も混ぜなさい」

 

 正しいだけ。うまくやれるだけ。依りかかるだけ。強く、綺麗で、壊れそうなくらいに儚いだけの少女は、そこにはいなかった。

 

 彼女に踏み込むことを願っている、と隣に立つ先生は言った。しかし彼女はこうも言ったはずだ。

 本当は、その役目は俺じゃなくてもいい。誰かがいつか、彼女に踏み込む。

 

 嫌だ。反射的にそう思う。先に踏み込んだのは、何の関係もない彼女だ。海老名姫菜だ。それはただの事実で、俺は逃げてきただけだ。そしてこの期に及んで逃げだそうとした腰抜けだ。

 

 でも、今からでも遅くはない。そう、俺は確信する。別に俺であってもいいのだ、それは。

 

 部外者の海老名姫菜であったように。

 

 なぜ今日、ここに来たのか。ようやくわかった気がした。

 

 ぼっちだと嘯いて。独りは気楽だと強がって。群れることを悪として。そしてそれらすべては多分正しくて。

 しかし、元来俺はそんなに強くなかった。弱者でしかなかったはずだった。失敗しかしてこなかった。

 

 単純なことだ。結局本質は情けなくて、卑屈。何も変わってない。世間知らずのガキが、成長もせず強がっていただけだ。認めてしまえば簡単にわかる。そう。

 

 ただ俺は、独りでここに来ることが怖かった。

 

「あー、平塚先生。私たちお邪魔みたいですし、ちょっと外出てましょうか」

 

 海老名さんに今の顔は見られたくなかった。…正面にいるから手遅れだっただろうが。彼女はでていくタイミングを失い、ポツンと取り残されていた平塚先生を教室の外に促す。平塚先生はほっと安堵のため息を吐く。

 

「う、うむ。私も仕事に戻らなくてはならないからな」

 

「何言ってるんですか?平塚先生」

 

 海老名さんのこめかみには、青筋が立っている気がした。

 

「勝手に教室に、ノックも無しに入ってくる人には、仕事以前に身につけなきゃいけない常識がありますよね?」

 

「う…」

 

「さあ、私と一緒にお話しましょう。私もまだまだ未熟な学生の身です。先生と一緒に学べるなんてとても幸せです。…時間はとらせませんよ」

 

 そう、海老名姫菜は色のない顔で微笑み、引きずるようにして平塚先生を外に連れ出す。

 

「…ご、ごめんなさいでしたあああああああああああああああああ」

 

 教室に断末魔が響き渡った。

 

 

 

 

「比企谷君」

 

「…はい」

 

 俺は部室の真ん中で正座させられていた。

 

 目の前にはいつものようなふくれっ面の由比ヶ浜、ゴミを見るような視線でこちらを見下ろす雪ノ下がいた。…いやまあ、確かに最低なことをしたし、しようとした自覚はある。海老名さんと行動するようになってからわざと避けていたのも否定できない。

 

 男にはただただ耐えねばならない時がある。母親に叱られる父の小さな背中を見て、俺はそれを知っていた。

 

「時間もないし、単刀直入に聞くけど」

 

 チラリと窓の外を見ると、すでに夕陽は沈みかけている。そうしないうちに下校のチャイムが鳴るだろう。なにもすぐに終わらせなければならない話ではないし、そう簡単に終わる話でもないだろう。

 

 しかし、この三人で。この教室で話をするべきだと思った。それは目の前の彼女も同じだったのだろうか。

 

「え、海老名姫菜さんと、あなたは…その、お、お、おつきあい…」

 

 気丈なのは立ち姿だけだった。まるで平時の俺のようにどもり、急速に声はしぼむ。…俺がこんなんしたら気持ち悪いだけなのに、美少女がやると急にかわいくなるのは何なんですかね。ちょっと不公平じゃないですかねこの世の中。

 

 続く言葉が何か。流石の俺でもわかったが、雪ノ下はなかなか言葉にしない。そんな雪ノ下を見て由比ヶ浜はフッと小さく笑い、濡れた瞳をこちらに向ける。

 

 そして、静かに問う。

 

「ヒッキーは、姫菜のこと、好き?」

 

 実に彼女らしい。彼女たちらしい。この期に及んで俺はそう思う。さっきまでの威勢はどこへやら、付き合っているかどうかの事実を問うことすらギリギリで迷う雪ノ下。片や先ほどまで涙を流し、余裕などなかったのに、今はただ静かに気持ちを確かめようとする由比ヶ浜。

 

 強いのに誰よりも弱い雪ノ下。弱いのに誰よりも強い由比ヶ浜。

 

 俺だけ弱いのみというのも、格好がつかない。

 

 いつもの笑みを浮かべることができるだろうか。

 

「好きだ」

 

 出てきた言葉はそれだけだった。

 

 いつだって策を弄して、人の心理を透かし見ようとし、言葉で自分も周りも傷つける。

 

 確かに、海老名姫菜を構成する要素。これまであった出来事。そこからなぜ俺が彼女に惹かれたか。証明のようなものは今でも頭に浮かぶ。しかし。俺は首を振って前を向く。

 

 それほど野暮なこともない。

 

「俺は、海老名姫菜のことが、好きだ」

 

「そっか」

 

「そう」

 

 一言で、事は足りた。

 

 静寂で満ちる教室。ギイギイと木がきしむ音がする。風が軽く窓ガラスを叩く。

 

 目の前の少女二人は、静かな笑みを浮かべた。

 

「私は比企谷君が好きよ」

 

「あたしはヒッキーが好きだよ」

 

「そうか」

 

 微笑みながら、彼女たちの頬を光るものが伝った。

 

 優しくまどろむような空気が教室を満たす。懐かしいと、そう思った。

 

 言わなくてもわかる。あながち、幻想でもないのかもしれない。

 

 しかし、その時。

 

 

「いやちょっとまって」

 

 

 ガラ。無機質な音でドアが開く。

 

 

「なに満足げな顔してるの、雪ノ下さんも結衣も比企谷君も」

 

 そこには、心底あきれた表情の海老名さんがいた。雪ノ下はその白磁のような肌を紅潮させ、由比ヶ浜はまた顔を真っ赤にしてあたふたと手を振る。

 

「なっ…あなた、なに普通に入ってきてるの。さっき比企谷君の出歯亀を咎めたのはあなたでしょう!」

 

「そ、そうだよ!…って言うか姫菜、さっきはあたしにあんなひどいこと言ったのに…」

 

「それはそれ、これはこれ。…ていうか、あなたたちの気持ちなんてとっくにバレバレだって。…ようやく話せてよかったね、二人とも」

 

「な…」

 

「う…」

 

 まったく悪びれもせず、海老名姫菜は笑い、俺の方を向く。

 

「そうじゃないと、いつまでたっても二人に対して悪い、とか思われてても鬱陶しいからね。…で、比企谷君」

 

「な、なんだ」

 

 海老名さんの勢いについていけていないのか、雪ノ下と由比ヶ浜は顔を赤くしたまま硬直している。海老名さんはかけていないのに、クイクイと眼鏡を持ち上げるポーズをする。

 

「で、誰を選ぶの。比企谷君は」

 

「「「…は?」」」

 

 声が三つ、重なった。

 

「いや、は?じゃないよ。なに終わった気でいるの、三人とも。…答えは、出してよ」

 

「…言わせたいのか」

 

「言ってくれないと困る」

 

 さっきまで不敵に笑っていた海老名姫菜。底知れぬ笑顔は剥がれ落ち、その声はトーンを落とす。

 

 震える声で、彼女は懇願する。

 

「私と、雪ノ下さんと、結衣。誰が一番か。…言って」

 

 彼女もまた、強くて、弱い。普通の女の子だ。

 

 だから、少しは俺も格好をつけてやらねばならない。

 

「俺は」

 

 少しくらいは、強く見せなくてはいけない。

 

「雪ノ下より、由比ヶ浜より、この世の誰より、お前が…海老名姫菜が、好きだ」

 

「うん、私も」

 

 にへらっ。どこかでみたような卑屈な笑みを浮かべて、海老名姫菜は彼女たちに向き直る。

 

 そして、高らかと宣言した。

 

「とー、いうわけで!この度わたくし海老名姫菜は、晴れて比企谷君と相思相愛となりました!私たちは逃げも隠れもしません。私は比企谷君が好きで、比企谷君は私が好きです。わーい、わーい、バンザーイ!」

 

 空気は、当然凍った。

 

「…由比ヶ浜さん、この子こんなにバカだったかしら。今初めて本気で人を殴りたいと思ってしまっているのだけれど」

 

「…ごめん、ゆきのん。私も姫菜がここまでバカだったとは思わなかった。やっぱり殴ってもいいかな。さっきはゆきのんに止められちゃったけど」

 

「今度こそ、私が止めることはないでしょうね」

 

「よーし」

 

 ぶん、ぶんと二人は肩を回す。…あの、ついでみたいに俺も殴られそうなんですけど気のせいですかそうですか。

 

 あははー、と笑いながら海老名さんはちゃっかりと俺を盾にして逃げる。まって、俺何も悪いことしてない。八幡そもそも何にも言ってない!

 

 一通りの武力制裁を俺が肩代わりし、雪ノ下と由比ヶ浜の呼吸が荒くなると、海老名さんはひょこっと顔を出す。

 

「いやー、やっぱり二人とも比企谷君のこと好きだったんだねー。そんなに怒るとは」

 

「「好きじゃなくても今のは怒る」」

 

 また声が重なる二人に、海老名さんはケラケラと笑いながら、目じりを拭う。

 

 そして当然のように言う。

 

「でも私と比企谷君、付き合ってないしまだ付き合わないよ。だから…あなたたちには、これまで通りにしてほしい」

 

「「「はい?」」」

 

 今度は俺の声も重なった。海老名さんは恨めし気に俺を見る。

 

「…そもそも、付き合ってないって言ったのはどこの誰だったかな?」

 

「いや、それはすまんかったとしか言えないが…でも、流石に」

 

 この期に及んで、この二人と話をして、気持ちを確認して。もう逃げられないと思った。あんぐりと口を開ける雪ノ下と由比ヶ浜を楽しそうに眺め、海老名さんは言う。

 

「今回の件で、どれだけ奉仕部の二人にとって比企谷君が大事か、比企谷君にとって奉仕部の二人が大事か、…三人にとってこの奉仕部が大事か、よくわかりました。わかりたくなかったけど、わかっちゃった。…あんな雰囲気見せられたら邪魔したくなっちゃうでしょ」

 

 最後の方は小声で聞き取れない。声とともに彼女の顔にも影が落ちる。

 

「私はまだまだ比企谷君のことも、三人の関係もよくわからない。…やっぱりまだあなたたちに割り込める自信もないし、割り込んでいいかもわからない。…それにこの二人が絡んだ時の比企谷君、情けなさ過ぎて正直引いちゃったし」

 

「う…」

 

 それを言われると弱い。のこのこ海老名さんについてきて、ありえない出歯亀をしてしまった。独りでここに来ることもできなかった。…人として大丈夫か、俺。失格ですか、太宰先生。

 

「だから、比企谷君」

 

 ぐるん、とうつむく顔を彼女の方へとむけられる。

 

「今度は、君が待って。…まだ罪悪感はあるけど、負い目は消えた。君にも、この二人にも。だから、今度は私に自信がつくまで。君の横にいてもいいって私が思えるまで。君が待って。私が誰にも負けないって、雪ノ下さんにも、結衣にも負けないって、そう思えたとき。自然と君と一緒に居れると思うから。

選ぶのは、その時でいい」

 

「あのー、それって…姫菜、私たちも、ヒッキーのこと好きでいいの?」

 

 恐る恐る横からかかる由比ヶ浜の声がかかる。雪ノ下も由比ヶ浜ともに戸惑う視線を海老名さんに向ける。臆面もないその姿に、思わず俺の顔が赤くなる。

 

 そんな二人と俺を見て、海老名さんはわざとらしくシャー、と牙をむき、力なく笑う。

 

「ほんとは嫌に決まってるよ。二人は、私なんかよりずっと可愛くて、素敵で、比企谷君のことを知ってる。私はいっちゃえば掠め取ったようなものだから。あなたたちから、比企谷君を。

でも」

 

 また落ちる視線は、逆説とともに前を向く。

 

「そのくらいじゃないと張り合いがないし、私に自信がつかないよ。…二人より可愛くて、素敵で、比企谷君のことを知ってる。そんな自信が欲しい。私は。それに…奉仕部の二人は比企谷君の大切なものだから。それが、わかっちゃったから」

 

 海老名姫菜は、今度こそ宣言する。

 

「だから、二人は今まで通り比企谷君のそばにいて。…私は、もっとそばにいるから」

 

「…せいぜい横からさらわれないように気を付けなさい」

 

「むぅ…。余裕でいられるのも多分そんな長くないと思うよ、姫菜」

 

「ふっふっふっ。だから私は負ける気なんてさらさらないって」

 

 ぐ腐腐。いつものように、いつかのように懐かしい笑いを浮かべる彼女に、雪ノ下と由比ヶ浜もつられて笑う。

 

 これ以上ない。こんな屈託なく笑う海老名姫菜を、俺は見たことがない。

 

「でね、比企谷君」

 

 スカートを翻し、彼女はまっすぐ俺を見る。

 

「私に自信がついた時。あなたの隣が誰よりも相応しいと思えた時。その時、私をあなたの彼女にしてください。…八幡」

 

 何度告白されるのだろう。毎日好き好きいうバカップル。蔑んでいたのに、その気持ちをわかってしまう自分が嫌になる。

 

 でも、まあ。そんな毎日も。

 

「いつでも歓迎だ。…姫菜」

 

 彼女となら、悪くない。

 




 おしまい。

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