海老名さん√がまちがっているわけがない。   作:あおだるま

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告白(前編)

 

 新しい朝が来た、とは誰が作った言葉だったか。

 

 俺に言わせれば滑稽極まりない。今日は昨日の延長であり、明日もまた然りだ。人は前日の惰性で今日を何とか生き抜き、それを死ぬまで繰り返す。そして変わらないからこそ回っている世界があり、変わらないことを望む人も大勢いる。むしろ変化を良しとする人間のほうがマイノリティではないだろうか。

 

 よって、これも特筆すべき事柄にはならないし、俺に新たな朝は来ない。

 

「ヒキタニ君へ 放課後、体育館裏にきてください」

 

 下駄箱にいれられた10センチ四方の紙には簡潔に伝えたいことのみが書いてあった。しかし、送り主の名前はない。

ため息が出る。

 

 瞬時に目だけであたりを見渡す。目につくところにはこちらを指さす集団は見えない。高校生ともなればいやがらせ一つとってもそう簡単にはぼろを出さない。

 

 俺は特にその紙切れを気にする様子を見せず、無関心で教室へ向かう。こういった時にはあからさまな無視も、反発も必要ない。そのどちらも「あいつ調子乗ってんな」の一言で片づけられ、嘲笑の的にされる。必要なのはただただ無関心でいることだ。そうすれば少なくとも傷を広げる可能性は格段に低くなる。

 

 教室につく。ここまでで目立って俺に視線を送るようなものは見当たらなかった。まあ、気にしすぎることは意味がないとさっき自分で言ったが、簡単にそうできれば苦労はない。

 

 机にカバンを置き、席に腰掛ける。と、同時に

 

「はろはろー、比企谷君。今日は一段と目が腐ってるけど、どーしたの?なんかいいことでもあった?」

 どこの部族のものかわからない挨拶をし、海老名姫菜は前の席に腰を掛ける。

 

「うす」

 

 短く挨拶を返す。いつも通りの彼女を見て俺は少し安堵する。この様子だと彼女ではないだろう。

 

「俺の目がキラキラしてても困るだろ。…すこし、気分の良くないことがあってだな」

 

 柄にもないことを言ってしまった。彼女には少し口が軽くなっているかもしれない。

 

「へー、比企谷君が気分の悪い、とはっきりと口にすることか。…少しばかり興味をそそられるね」

 

 彼女の瞳が鈍く光り、声のトーンは幾分か落ちる。まあ我ながら失言ではあったが…。

 

 そんなことより。おれは彼女とあってからの違和感の正体に思い当たる。

 

「海老名さん。ヒキガヤって、どこの誰だ?」

 

 彼女は俺のことを「ヒキガヤ」と呼んだ。

 

 別に本名で呼ばれたくないわけではないが、彼女は去年一年間は俺のことを「ヒキタニ」と呼び、俺もそれに慣れていたし、そこそこ会話するようになった最近も呼び名に変化はなかった。

 

 少し意地の悪い言い方をしてしまったかもしれない。彼女はたははー、と苦笑を漏らす。

 

「ほら、こないだ「ヒキタニ君」って言って、一色さんを怒らせちゃったでしょう?私はあの呼び方で慣れちゃってたから何とも思ってなかったけど、比企谷君だってやだったよね?…ごめんなさい」

 

 ペコリと頭を下げる。どうもその呼び方は彼女にされるとむず痒い。頭を2,3回かく。

 

「別に何とも思ってねえよ。それに、一色は別に怒っていたわけじゃないと思うけどな」

 

「そうは見えなかったけどなぁ…」

 

 実際に一色は本気で怒っていたわけではないだろう。

 

 おそらく、だが。

 

「たぶん、海老名さんと張り合ってただけじゃないか?」

 

 俺の言葉の意味をしばし考えたのか、海老名さんは少しの間顎に手を当て、何を思ったのか手を左右にぶんぶんとふる。

 

「ちょ、比企谷君突然なに言ってるの?そ、それってどういう意味?」

 

 理由を話すのは少し気が引けるが、何か誤解を与えたままというのも気分が悪い。だがまあ海老名さんだったら大丈夫だろう。

 

「どういう意味って…そのままの意味だ。海老名さん、おそらくだが一色のこと嫌いだろ」

 

 海老名さんは虚をつかれた顔になる。

 

「私、そんなに顔に出てた?」

 

 裏付けも取れたので少し安堵する。決して気持ちのいい話ではなかった。

 

 実際に一色と話すときの彼女の笑顔と仕草は普段と寸分も変わらなかった。だが、それだけに、見た目が全く変わらないだけに、その笑顔に込められた意味が俺には透けて見えた。「敵意」。少し大げさだが、言葉にするとしたらそんなところか。

 

「いや、顔には出てなかった。ただ、まあ、なんつーか…よく話す女子の様子がおかしかったら、流石に気づく」

 

 そっぽを向いてそう答える。

 

 俺の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、海老名さんは目を見開く。

 

「そ、そっか…」

 彼女はようやくその一言だけを絞り出す。

 

「…」

 

「…」

 

 …きまずい。

 

 突然黙りこみ、うつむいている俺たちにクラスメイトも怪訝な視線を送り始める。ま、まずい。このままではあらぬ誤解を与えるかもしれない。

 

「で」

 

 俺はようやくの思いで一言を絞り出す。

 

「名前の件なんだが、まあ俺はどちらでも構わん。海老名さんの呼びたいように呼んでくれ」

 

 彼女の顔に笑顔が咲く。う、まぶしい。

 

「そ、そう?じゃあ…」

 

 赤くなった顔をあげ、今度は両手を口に当てる。

 

「これからもよろしくね、は、はち、はち、まん…」

 

「…それは勘弁してくれ」

 

 いや、ほんとにそれは無理だ。それは戸塚以外には許されない呼び方だ。

 

「だ、だって!」

 

 彼女は机をバンとたたく。

 

「こないだ一色さんに普段は名前で呼んでるって言っちゃったんだよ?いまさら後には引けないでしょ!」

 

「前にも後ろにも行きようがないし、行く必要がねえだろ」

 

 俺の言い分にふんっ、と鼻を鳴らして口をとがらせる。別に間違ったことは言ってないよな?

 

「あ、ところで比企谷君が言ってた気分の悪いことって…」

 

 彼女の声を遮るようにホームルームを告げるチャイムが鳴る。

 

「ほれ、時間だ」

 

「う…仕方ないね」

 

 彼女はしぶしぶ自分の席に戻っていき、それと同時に前の席の男子も席につく。いつも本当にすいません。

 

 男子の気持ちになった俺は本当に申し訳ない気持ちになり、心の中で謝る。口に出して言っては無駄な火種を生みかねない。

 今日はいつもより長く、ホームルームが始まってからも前からの視線を感じた。寝たふりでごまかすしかない。…本当に、申し訳ありません。

 

 

 

 その日は海老名さんは調子がよかったらしく、あらゆるもののカップリングに忙しそうだった。よってさっきの疑問も忘れてくれたらしい。にしても…せめて有機物と絡ませてくれ。

 

 放課後。俺はいつも通り奉仕部に向かう。呼び出しには「放課後」とはあったが時間指定も宛名もなかった。十中八九いたずらだが、一応それらを理由にし、もしも本当に女子に呼び出されていた際の言い訳を無駄に自分に言い聞かせる。…もてる男はつらい。

 

 自分で傷口を広げつつ、奉仕部のドアを開ける。

 

「こんにちは」

 

「うす」

 

 短く挨拶を交わす。

 

 雪ノ下は教室で一人文庫本を広げ、紅茶を飲んでいた。夕日が彼女の長いまつげを差す。何も知らないものが見ればさながら絵画のワンシーンのように感じるだろう。しかし

 

「…どうしたのゲスガヤくん、そんなところにぼーっと突っ立って。不審者に間違われて通報される前にさっさと座ったほうがいいのではないかしら」

 

 これである。

 

「通報されるってここにはお前しかいないだろ」

 

「何を言ってるの、私に通報されたくなければ、という意味なのだけれど」

 

 雪ノ下は誰もが見とれるほど綺麗に、にっこりと笑う。

 

 …どうもあのサイゼリヤでの騒動から、彼女の俺に対する当たりがきつい気がする。いや、別に元々柔らかいわけじゃなかったんだけどね。

 

「やっはろー!」

 

 突如元気よくドアが開かれる。声の主は言うまでもなく由比ヶ浜だった。

 

「いやいやー遅れてごめんねー!ちょっと優美子に捕まっちゃってて…」

 

 なぜかちらりと俺の方を見て彼女はつぶやく。

 

「いえ、そこの男も今来たところよ。それより由比ヶ浜さん、この間姉さんにもらったお茶菓子があるのだけれど、どうかしら?」

 

「あ、うん!もらうもらう!」

 

 ぶんぶんとふられる尻尾が見えるようだ。犬ガハマさんェ…。

 

「では、お茶を淹れましょう。紅茶でいいかしら?」

 

「うん、ありがとう、ゆきのん!」

 

 パァ、と由比ヶ浜は笑顔を咲かせ、雪ノ下に抱き着く。今日も百合百合してまいりました。一応全年齢でタグ付けしてるからゆるゆりでとどめていただきたい。

 

「い、いえ、別に大したことではないわ」

 

 抱き着こうとする由比ヶ浜を押しのけながら、雪ノ下は顔をそらす。気持ちはわかるぞ。ボッチに由比ヶ浜の裏のない笑顔はきつすぎる。

 

「…ヒッキーの分は?」

 

 カップを1つ用意した雪ノ下に、由比ヶ浜は問う。雪ノ下はちらりとこちらを一瞥するが、目が合うと慌てて由比ヶ浜に顔を向ける。

 

「…水ならあるわよ、比企谷君」

 

 …話すときにはその人の方を向きなさい。こんなところで雪ノ下のブーメランが刺さるとは。あまりの態度に少し腹が立ち、つい軽口で返す。

 

「おう、ありがとな雪ノ下。心からの愛を感じるな」

 

「なっ…!!」

 

「ちょ、ヒッキー、なにいってるし!!!」

 

 雪ノ下は頬を赤くし、由比ヶ浜は目を吊り上げる。…やっぱりこいつら、あれからおかしい。

 

 

 

 気まずくなったところで、唐突にノックの音が響く。

 

 三者三様の沈黙が部室に満ちる。

 

 しかしノックは止まず、雪ノ下はため息を漏らした。

 

「…どうぞ」

 

 来訪者は雪ノ下からの返事を受けると少し迷ったのか、しばらくたってからドアを開ける。

 

「ち、ちーっす…」

 

 現れたのはセミロングの茶髪をカチューシャで止めた、いかにも軽薄そうな男。えーと、確かこいつは…

 

「あ、戸部っちじゃん。ひさしぶり、どしたの?」

 

 由比ヶ浜が話しかける。そうそう、基本いい人の戸部だ。ただしうざい。

 

「いや、今日はそのさ…」

 

 戸部は下を向き、言葉は千切れる。どうもはっきりしない。はて。俺は少し違和感を覚える。戸部とはこういう人間だっただろうか。去年依頼に来た時も言いにくそうにはしていたが、ここまで自信なさげではなかったと思うが。

 

 そんな戸部の態度に雪の下も若干イラついたのか、「何かしら?」と続きを促す。ゆ、ゆきのん怖いよぅ…。

 

 そんなことを考えると、雪の下からにらまれる。声には出てないはずだが…雪ノ下雪乃、恐ろしい子。

 

「いや、なんていうか…」

 

 雪ノ下からの催促で戸部の声はさらに小さくなる。しかし、ちらりと俺の方を見ると突然意を決したのか。所在なさげに横を向いて立っていた体は、こちらに向けられる。え、俺?

 

「ヒ、ヒキタニ君!」

 

「な、なんだ?」

 

 突然の大声にビクッと体を震わせる。

 

「実は、今日ヒキタニ君の下駄箱に手紙入れたの…あれ、俺なんだ!」

 

 戸部はそう叫ぶと調子が戻ってきたのか、「っべー、まじぱないっしょ、これ…」とつぶやき、頭をかく。

 

 由比ヶ浜は「ひゃー」いいながら俺と戸部を交互にみる。

 

 雪ノ下はゴミを見るような…違いました。ゴミを見る目で、自らの体を抱きかかえながら俺と戸部を眺めている。

 

 いろいろまちがってるだろ、これ…。

 

 静寂が支配する部室の中、俺は一人絶望する。

 


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