友好条約を結ぶためにとある国を訪れた提督。その国で世話になった名家の屋敷に使える一人の女召使、彼女との出会いと、別れまでの話を提督自身の口から語る、一人の少女のシンデレラストーリー(?)。




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砕けた硝子の脚と奇跡の魔法

 

 

 ……そうだなぁ。

 

 彼女と初めて会った時は彼女は一番隅っこにいたんだ。

 目線を落として、肩を窄めて、他の女性たちと比べれば明らかに見劣りする服を着て、その全てに自信も輝きも失ったかのように。

 捨てられた子犬?いやいや、そんな風ではなかったかな。

 

 古い街に訪れて、誰も掃除をせずに雨風や土埃に晒されて汚れてしまった美しい女神像。

 昔大層偉大な彫刻家が掘ったものなんだろうと、よく見れば分かるんだろうけど、きっと誰も目に止めない。でも、ある人たちはその価値が分かるから目を止めて賛美するんだ。

 いや、別に僕の目が価値が分かる目だとか、そんなことを言っている訳じゃないよ。

 だから、自慢じゃないって、もう……

 

 でも、そんな感じなんだ。かつては偉大だった。でも、今はとある理由から輝きを失ってしまっている。

 もしくは、偉大になるはずだった。しかし、その道を奪われた。

 

 あぁ、そうだね。ちょうど有名な物語に当てはめるなら灰かぶりかもしれない。

 あの物語も結構現実味があって、解釈によってはグロテスクだよね。人間性の汚点がむき出しになっている。

 あまり話を離れすぎないようにしよう。そうだ、彼女の話だ。

 

 とにかく、彼女はいつもどんな時も目立たないように振る舞っていたんだ。

 そして、自分を命令すればその通りに動くロボットか、都合のいい道具か。きっと彼女自身そう思っていたし、あの家にいた人たちはみんなそう思っていたと今では言える。

 人間として扱われていなかったのかもしれない。奴隷のような扱いを受けていたのかもしれない。僕も彼女のすべてを把握していないし、聞いた話だ。もしかしたら、誤りがあるかもしれない。

 でも、そんな彼女のことをずっと目で追っていたのだけは自覚がある。

 興味本位?まあ、そんな風に言ってしまえばそれに尽きるかもしれないね。うん、鈍感だとはよく言われるけど、自分の感情にまで鈍感だとは思いもしなかった。

 

 一目惚れ、言ってしまえばそんなものなのかもしれない。

 僕はね、彼女と出会ってからずっと彼女と話がしたかった。とても教養がある女性でね、見た目とは裏腹に。これには理由があるんだ、後で話すよ。

 「日本語でもいい」と言ったけど、僕がその国に行かされた理由は誰よりも語学の教養があったからであって、郷に入っては郷に従うのが礼儀と思ったから英語での会話だったよ。

 彼女は本当に上品な口ぶりで話すんだ。少しだけ、僕がこんな高貴な女性と言葉を交わしていたりしてもいいのか、と思うほどに気品溢れる声だったんだ。

 

 そして、その時だけ彼女は笑うんだ。

 なんとなく他の人は彼女のこの笑顔を知らないんだろうな、って思ったよ。こんな楽しそうに話すこともないんだろうな、って。

 えっ?そんなに彼女の扱いは酷かったのかって?

 

 少し僕の話したことから分かるかもしれないけど、彼女の言葉を聞けるのはこのときくらいなんだ。

 言葉を発することも許されないようなそんな扱いだよ。ただ、黙って従事してればいい。言われたことをただやればいい。

 まあ、上下関係が厳しい世界では普通のことかもしれないけどね。でも、異質なのに変わりはなかったよ。

 

 それで、あの子を自分の世話役にしてほしいと頼んだら、少し珍しいものでも見るような目で見られてね。すんなり受け入れてくれたが、その夜だったかな。彼女は腕に痣を作っていたよ。

 

 僕に何か失礼なことをしたらどうなるか、それを叩き込まれたらしい。少しだけ余計なことをしてしまった。でも、彼女はいつもの事だから大丈夫だって。

 このとき少しだけ、堪忍袋の緒が緩み始めてたのかな?抗議してやりたい気持ちだったけど、他人の家のことにとやかく言うことはできないよ。僕はただの大使だった訳だし。

 一応、謝った。そして次の日、彼女はとても良くしてくれたと主人に伝えておいた。

 そのくらいしか僕にはできなかったからね。

 

 彼女の仕事はとても丁寧で、他の召使たちの誰よりも完璧に仕上げてくれる。それも倍以上の仕事で、取扱一つ難しいものさえ、簡単に正しい方法で扱ってしまう。

 字もとても美しい筆跡で書いてくれる。ちょっと意地悪して僕の名前を書いて、って頼んだら小さく微笑んで漢字で丁寧に。小さな紙切れに書かれた文字だったけど、持ち帰って執務机の名札のところに入れておきたいくらいだった。

 それと、もう一つ意地悪をしたかな?

 そうだ、紅茶を淹れてもらったんだ。その日の昼の会談で相手の方に美味しい茶葉をいただいてそれをふと思い出して飲みたくなってね。

 「私の汚い手で淹れたものを飲んでいただくなんてできません……」って自分を卑下して。

 そんなこというものだからちょっと意地っ張りになって「じゃあ、これ捨てる」って言ったら目の色変えて。その紅茶よっぽどいいものだったらしい。僕には分からなかったけど。ちょっと怒られた。

 「僕には淹れられないし、ここの召使の人とも給仕の人ともあまり親しくない。君が淹れてくれたものを飲んでみたいんだ」と言ったら、彼女も折れて。

 僕に貸してもらった部屋に一式あったんだけど、それをさっさと取り出してちょっと待ってと言われたからあっちで買った純文学の本でも読んでいたんだ。

 あっ、内容は全然頭に入ってこなかったかな?なんで、って彼女をずっと目で追ってたからね。

 

 ベタ惚れしてた自覚は今はある。当時はなかったかなぁ。

 気付いたら、自分の目の前にティーカップが置いてあった。

 

 あぁ、中将のところの高速戦艦がいるでしょ?

 そうそう、金剛型の。

 中将のところを訪問した際に紅茶を淹れてもらったんだ、金剛型の彼女に。

 あれは美味しかった。初めてこんな深い風味のあって、まるで広大な草原にいるような爽やかな気分を味わえたものを頂いた。

 

 あれより美味しかった。一瞬我を忘れたんだ。

 すーっと意識が身体を離れていくような、豊かで深い香りに包まれて溶けていくような、温かく抱き締められるような。

 もしかしたら、茶葉が良かったのかもしれないけど、僕は彼女の腕が良かったって思ってる。

 なんでそう思うかって?次の日、別のを買ってきたんだけど、それでも同じ感じだったから。

 ちなみに値段はもらったものの半分くらいだったよ。その店には置いてなかったんだけど、訊いてみたらそうだった。

 

 焦ったのは主人に、紅茶がお好きなのかって訊かれた時だったね。

 彼女に無理言ってた上に僕自身はそんなに詳しくないと来た。あなたの部屋の前を通った時に紅茶の香りがした、ってさ。

 英国紳士は紅茶の香りを嗅ぎつけて集まる習性でもあるのかな?

 もう必死で誤魔化したよ。

 

 あまり詳しくないから自分で勉強して試しに淹れてただのどうのこうの。

 で、次の日、茶会に誘われて汗だくだくだった訳だ。

 夜通しで彼女に享受してもらったから、なんとか予備知識だけはあったから何とか紳士や婦人方の会話に着いて行けたよ。

 彼女は家庭教師でもできるんじゃないかな?とか思ってたよ、あの日は。

 まあ、一番助かったのは、彼らは僕に「艦娘」のことばかり尋ねてきたからよかったんだけどね。

 

  

 ん?僕が艦娘を連れて行ってなかったのかって?

 いや、連れて行ってたよ。二人。だって、僕が英国まで行く間の船団護衛が必要だし。

 一番うちの鎮守府で強い駆逐艦の子を二人。そうそう、あの子たちだよ。

 部屋は別だったよ。向こうが配慮してくれたんだ。

 彼女が僕の身の回りの世話をしてくれてるってことは知ってたよ。

 

 

 まぁ、茶会が終わった後だったかな。主人に呼び出されたんだ。

 おっと、言ってなかったけど、僕がお世話になってたのは英国でも名のある代々続く家柄を持つ名家でね、まあ言ってしまえば貴族のような家柄だ。

 うん、お世話になったのは超豪邸。門から玄関まで徒歩十分とかの。

 主人も威厳に満ち溢れる立派な紳士のような風貌でね。身体つきもがっしりとしてて、ラグビーをやってたとか。いつも見下ろされている感じだったな。

 ただ、その一方で苦労もしておられそうな方だった。時々、大きな身体が小さく見えるんだ。

 そんな方から夜に呼び出されて紅茶でも飲みながら雑談でもしてたんだ。こちらでの生活はどうだ、とか。日本はどんな国なのかとか。

 思えば、主人とはそう言う話をしていなくてね。夜食の時に簡単な話はさせてもらったけど、情勢や経済、戦況などの会話はほとんどせずにほとんど武勇伝じみたもので終わってしまっていた。

 というか、僕はこの家に来てたから彼女に夢中になりすぎていたようで。

 なんというか、その時はただの苦労を背負った男同士。そんな立場で話をしていたようでね。

 

 ふと、厳しい顔つきの主人の顔も優しく綻んでいたように思えたよ。

 

 

 そんな主人の口から彼女の名前が急に飛び出したんだ。

 「本当はあの子が貴方に紅茶を振る舞っていたのだろう?」と問い詰められて本当に困惑した、しどろもどろになって、答えに困っていた時に主人の口から驚く言葉が飛び出してね。

 

 実の娘、だって。

 

 詳しく話を聞きたいと頼むと全部話してくれた。

  

 愛人の娘なのだと。いや、愛人というよりは本当に恋をした女性との間の娘。

 街で一番の才女だったとか。とても教養があり、気品に満ち溢れていつも人々の中心にいた太陽のような女性だったらしい。一〇〇の男たちが常に彼女の後を追うほどに美しく、人を魅了する光を持っていた、と。

 そんな彼女に若い頃に恋をして、過ちを犯し、その末にあの娘が生まれた。

 当然、主人には親が決めた相手がいて、その間に息子と娘もいた。実は女性はそのことを知っていたから子を宿したことを彼に伝えずに去ったそうだ。

 

 主人が知ったのは訃報を聞いたときだったと言う。

 不幸な事故だったらしい。首の骨を折って手の施しようがなかったとか。

 彼女の下を忍びで訪れた彼はあの娘と出会い、自分との間に生まれた娘だと知ったらしい。

 その女性に彼女は本当にそっくりらしい。

 

 当然、引き取った。しかし、家はそれを許さなかった。

 自分以外のすべてが彼女を厄介者として扱った。それは当然のことだ。あってはならぬことなのだ。家の名を汚す存在。その手の者に頼んで始末しようとさえしたらしい。

 主人は何とか交渉して、彼女を召使としてこの家に置くことを許してもらったが、彼女を守ることは当然できない。

 正妻側の人間と家の人間たちはみな彼女に陰湿な嫌がらせと虐待を繰り返した。彼女は自分の立場を知っていたから逆らうことができない。

 

 こうして、今の彼女が生まれたらしい。誰にも与えられず、奪われることしかなく、愛されることもなく、目の前にいるこの男が犯した罪を一人背負って生きていく。

 面白いだろ?まるで、昔の小説家が書いた貴族の醜い姿のような、見飽きた光景だ。

 

 笑えないよな。本当に。

 

 僕は全て話したよ。彼女がどんな子なのか全て。これだけの闇に晒されながらも、彼女は一切自分を捨てることはなく生きているのだと。

 本当に、この闇に屈していたのならば、笑うことさえ忘れていただろうことを。

 主人は震えていた。かつて愛した女性にそっくりだと。

 そして、本当は愛したいのだと言ったよ。でも、それは決して叶わないことなのだとも。

 そのくらい僕でも理解できたし、このことが公に晒されればどうなるか分からないから彼を糾弾することもできない。

 今は世話になっている身だ。かなり良い扱いをしてもらっている。

 彼に頂いた恩を、私情で仇として返すことはできないし、そのつもりもない。

 

 一つだけ尋ねたんだ。

 「どうして今、僕にその話をしたのか」って。

 主人は首を横に振って、それは話せない。たとえあなたにでも。私がこれまで屈してきたことが繰り返されるだけだ。

 もう色々と察したよ。

 

 彼女はきっと捨てられるんだ。僕がこの国を発てばすぐにでも。

 僕には何もできないからね。とにかく、こっちにいる間は僕の世話役は彼女にしてくれ、とだけお願いした。

 主人はそれ以上何も言わなかったかな。

 こんばんは付き合ってくれてありがとう、と一言。それで別れたよ。

 それで、この話はおしまい。

 

 

 ん?こんな話をしてもいいのかって?

 訊いて来たのは君たちだろ?覚悟はしてきたはずだ。それにもう話しちゃいけない訳でもないし。何も残っちゃいないから。

 

 

 まぁ、僕がその家を離れる一週間前くらいかな。

 彼女と会った時にやけに嬉しそうにしてるんだ。当然尋ねたよ。

 「この家を出られる」って。しかも、その後の就職先まで決まっているらしい。

 一体、何が起こったのか分からなかったけど、話を聞く限り怪しい仕事ではないらしい。

 国の機関の末端のような場所で、教養のある優れた人材を欲していたとのことだから、主人が彼女にそこに行くように勧めたらしい。

 それでも、心配だった。

 でも、その時はおめでとう、がんばってね、ってしか言えなかった。

 主人がこの家でこれ以上苦しむことを見かねたのかもしれない。

 彼女としても、まともな職業を見て独り立ちし、自分の人生を歩んでいくことの方が幸せなはずだ。

 

 

 

 事が起こったのは、僕がその家を離れる二日前。

 その日にようやく全ての会談が終わって、条約が締結したんだ。実質の日英同盟を結ぶ重要な条約であった。

 うん、そうだよ。僕かなり大きな仕事もって向こうに行ってたんだよ。

 遊びに行ってたと思ってた?失礼な……ただの惚気話の訳がないだろ。

 

 まあ、君たちも関係してることだから少しだけ教えてあげるけど、僕が向かった理由は「艦娘建造技術の英国への提供」だよ。本当は独逸や伊太利亜の方から経由するつもりのはずが、大西洋の戦闘の激化で難航してね。

 一度、独逸まで運んでから、そこから英国まで行って、って感じの橋渡しでも、直接日本から提督が一人赴く必要があったんだ。建造システムの特殊性は知ってるだろう?

 それで、その日になってようやく建造システムが英国でも稼働したんだ。

 僕の付き添いで来ていた艦娘たちのもう一つの仕事はそこに従事する妖精の召喚。

 それが条約を締めくくる最後の儀式で、無事召喚されたんだ。後は、調整を兼ねながら建造の実証を行い、無事確認が取れたら、数隻の建造を行う。

 そのうちの一隻を友好条約の証として、日本に連れ帰る。

 ここまでが僕の仕事だった。

 

 

 で、話を戻すとちょっとだけ屋敷の方が騒がしくてね。複数の女性の罵声と男の怒声、少し悲鳴のようなものも聞こえたかな。

 すると、僕の部屋にあの子が飛び込んできたんだ。

 後ろ手で鍵を閉めて、突然僕に抱き付いて来たもんだから、本当にびっくり。

 あまりにも突然のことで僕も固まってしまってね。悪かったな、童貞で。

 

 冷静になって彼女に語り掛けたんだ。どうしたのか、って。

 彼女は泣きじゃくってた。今まで見せたことがない、綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして涙も鼻水も流して、全ての感情を噴き出すかのように泣いていたんだ。

 反射的に抱き締めてしまったよ。強く抱きしめてでもいないと、崩れてしまいそうなほど脆い心が剥き出しになっていたから。

 

 落ち着いて話を聞いた。「自分は売られる、国に売られる」って。

 訳が分からなかったけど、とにかく彼女は焦っていた。

 「殺される。化物のような残虐な者たちに殺される実験台にされる。手足をバラバラにされ、全ての血を抜かれ、死してなおこの身体に恥を刻まれるような惨いことに使われる」

 支離滅裂というか、全く脈絡のないというか、滅茶苦茶だった。

 多分彼女としても理解していなかったのだろう。でも、とにかく彼女は何かの実験台にされるようだ。薬品か兵器か、国が関わっているのだから軍事的なものが大きいかもしれない。

 しかし、なぜだ?なぜ彼女が必要なのだ?

 軍事的な条約ならば、今日艦娘の力をこの国にも分け与えたじゃないか。

 

 それなのに、彼女がこの国の犠牲になると言うのならば―――なぜ僕はここに来たのだ?

 

 「私を連れて行って」

 か細い声がそう言った。二度か三度繰り返してようやく聞き取れたくらいに、でも切実な声だった。

 「私をここから連れ出して。一緒に逃げて。あなたの国に行きたい。私を連れて帰って」

 僕の胸元を掴みながら強く訴える彼女を目の前にして僕は呆然としていた。

 できることならば、僕は彼女を連れて帰りたい。でも、僕はそんなことができる立場じゃない。

 この国と、日本の友好的な条約を結ぶ大使としてこの国へやってきたのだ。

 英国の国家としての問題。彼女は既にこの国の所有物のような扱いだろう。

 それを連れ帰る。盗み出すようなことだ。それはもはや友好条約などの問題ではない。

 

 きっと僕は国賊になる。日本に帰っても永久にこの身を追われることになる。

 でも、どちらかを選ばなければならない。彼女を救い出すか、それとも……

 

 「こんな国で…こんな家で…死にたくない」

 

 彼女の中にある人としての尊厳の叫びか、それとも誇りというものが堰を切って溢れだした激情か。

 

 僕には……僕はただの人間でもないし、ただの大使でもない。

 僕には帰る場所があった。僕を送り出した鎮守府に待っている多くの艦娘の子たちが。

 もし、僕が追われる身になれば彼女たちはどうなる?路頭を迷い、周囲から責め立てられて、導く者もなく、闇の中に沈んでしまう。

 

 きっと僕は最悪な人間だ。

 命を懸けた彼女の願いに首を縦に振ることができなかった。

 

 しばらくすると、鍵が外から開けられて主人が入ってきたんだ。

 本当に鬼のような形相だったんだ。いや、単に焦燥に駆られて必死な表情だったのかも。僕と目が合って少し気まずそうな顔にすぐに変わった。

 

 「申し訳ない」と一言言って僕に迫ってくると、凄く強い力で彼女を引き剥がしてさ。

 泣き叫ぶ彼女に耳も傾けずに、すぐに入ってきた二人の召使に羽交い絞めにされながら、引きずられていく彼女を見ていると思わず腰が上がったんだ。

 でも、主人が立ち塞がっていた。「これは我が家門に関わることだから干渉しないで欲しい」と。

 

 「見てみぬ振りはできない。彼女に理不尽な暴力を振るうと言うのならば、私はあなたを糾弾する。私の知る紳士であるあなたの姿とは違った様を私にこうも見せつけてくれるのだな」

 「全ては家の為だ。私の犯した罪を見逃してくれるのだ。それに、彼女にとってもこれが救いなのだ」

 「彼女が望まぬ道であってもか?すべてはあなたのせいだ。彼女の人生まで巻き込むな。解放しろ」

 「私の選ぶ道が彼女にとっての望む道になる。それが私たちのような人間の運命なのだ……あの子に良くしてくれて感謝する」

 「最後まで、あなたはあの子を『娘』だとは呼ばないのですね」

 「私に父を名乗る資格はない」

 

 こんな感じだったかなぁ。え?自分を美化しすぎだって?

 もう少し荒々しい言葉を使ってたと思うよ。いやぁ、このとき頭に血が昇りすぎて実は軍刀に手がかかってた。主人もそれを気付いていたみたいだけど、全然怖気づかなかったなぁ……

 

 騒ぎに気付いて二人の艦娘の子も駆けつけたんだけど、その時にはすべて終わっていたよ。

 「ごめん、二人を選んだ結果、一人を捨ててしまった」

 後から聞いたけど、僕はこんなことを二人に言ったらしい。全く覚えてないや。

 

 とにかく、その夜は寂しかったし、とても寒かった。

 一杯の紅茶がとても飲みたかったんだ。だから、自分で淹れてみたけど、とても飲めたものじゃなかった。

 ふと、恋しくなったんだ。彼女の声も、香りも、字も、温度も。

 なかなか寝付けなかった。それでも、ぼーっとしてたら気付いたら朝で多分寝てたんだと思う。

 

 

 赤かったよ。

 何もかもが。

 

 

 

 「提督っ!」

 あの子たちが部屋に駆け込んできてね。異常に気付いていた僕は既に身支度を整えていたんだ。

 そんなことする余裕さえ本当はなかったんだろうけど、とにかく持ち出せるものは少しでも持ち出しておく必要があった。

 「二人とも、周囲の人たちの避難誘導の手伝いを。怪我をしている方々がいたら、優先して安全な場所まで避難させろ。それと艤装使用の許可も出す。上手く使え」

 二人とも駆逐艦だったから小回りが利くし、機敏に動けた。

 ただ、その様子を見ていた人が一人いてね。主人だった。

 「どうした?早くあなたも避難を」

 「いや、あの子たちは大丈夫なのか?」

 「艦娘はちょっとやそっとの火で火傷なんてしませんよ。瓦礫が落ちてきても自力で抜け出せます」

 「じゃあ、君は」

 「えぇ、私はあなたを外まで逃がす仕事ができた。さぁ、行きますよ」

 主人は右腕を怪我していて血が滲み出ていた。額も切れて左目の横を赤い線が走っていた。

 運よく主人がこの家のことをよく把握していたのですぐに外まで逃げ出すことができた。

 二人も怪我人を担いで飛び出してきて、すぐに確認を取っていった。逃げ遅れた人がいないか。

 

 召使は大丈夫だと言った。ここには全員逃げ出している、と。

 当然、すぐに俺は彼女の姿を探したよ。この屋敷には結構人が住み込んでいたから手間取った。

 でも、どこにもいなかったんだ。彼女はどこにもいなかった。

 

 「彼女はどこだ」。主人に問い詰めた。主人は少し戸惑いながら、ゆっくりと口を開いた。

 「彼女はもういない。この屋敷のどこにも」

 「嘘を吐くな。これ以上、罪を重ねるな」

 もう我慢の限界だった。軍刀を引き抜いて、主人の喉元に切っ先を向けていた。

 「今、あなたのすべては燃えてしまっている。家も、誇りも、何もかも。これ以上、あなたを縛るものはないはずだ。だから、あなたもあなた自身を許してほしい。そして、面と向かって彼女に愛してると言ってやればいいんじゃないのか?」

 「もう遅い……そうだよ、全て燃えてしまった。私には何も残されていない。あの子さえも。残ったのは空虚な偽りの自分が刻んだ人生の残骸ばかりだ」

 「……どこだ?」

 「……地下牢だ。妻が閉じ込めた。鍵は私が持っている」

 胸のポケットから古びた鍵を取り出して僕に突き出した。それを受け取って納刀すると一発、主人をぶん殴ったんだ。

 そして、逃げる様に一目散に走ったよ。燃える屋敷の中に。

 

 困ったことに、僕はこの屋敷についてそんなに詳しくないから地下牢がどこかも分からなかった。

 それなのに、何も考えずに突っ込んでしまって本当に自分がバカに思えてきたよ。

 でも、必死だったんだ。とにかく、行けるところすべてを走り回った。

 

 そしたら、二人が後を追ってきてね。

 「あの方が道を教えてくださいました」と。「脅したらすぐに」と。

 どうも二人の方が賢いみたいだ。でも、助かった。瓦礫が落ちて塞がれてしまった扉を砲撃で吹き飛ばして、地下室へと向かった。

 燃えてはいなかったが、とても熱かったし息苦しかった。

 だからこそ、急いだ。こんな場所で彼女は絶対に耐えられない。

 

 辿り着いた場所で、彼女はそこにいた。暗く湿った牢の中に閉じ込められて、鉄の扉を何度も揺らして必死にここから出ようともがいていた。

 彼女と目が合った。お互いの表情に光が生まれた様な気がした。

 

 すぐに彼女を牢から出したけど、両脚に枷がしてあった。そのカギは渡されてなかったんだ。きっと主人も知らなかったんだと思う。

 主人はきっと彼女に暴力は振るってない。だから、何をされているのか知らないんだ。

 走れない彼女を背負うしかなかった。

 こういう時に艦娘の子たちの力は本当に助かる。こんな使い方間違ってるんだろうけど、退路を必死になって作ってくれる。

 

 ふと、背中の彼女が耳元で訊いてきたんだ。

 「どうして助けに来てくれたの?」って。

 さあ、どうしてだろう。気付いたら彼女を探していたし、気付いたら主人を問い詰めていたし、気付いたら、この家に飛び込んでいた。

 もう本当に何もかも滅茶苦茶だ。自分を動かしている原動力さえ分からない。

 とにかく、思いつく答えが一つもなかったんだ。だから、あの時の自分としてはかなり適当な答えだったような気がしたんだけど、

 「連れ出してと頼んだのは君だ」って言ってた。

 駆逐艦の子たちが振り返ってこっちを見てね、驚いた眼をしていたんだけど。 

 「ありがとう」って彼女が言った時、急に背中にいる彼女の重みも、体温も感じ始めてね。あぁ、このために動いてたんだ、この身体は、って納得できた。

 

 自分でもよく分からないけどその時足が縺れたんだ。

 いや、足だけじゃなかった。なぜか眩暈もしてきた。耳鳴りもしてきたし、息もできなくなっていた。

 煙を吸い過ぎたんだと思う。色んなガスを吸い込みすぎて中毒症状を起こしたんだって。

 それでも、彼女を連れて逃げるのに必死で、出口まですぐそこだったんだ。

 

 なんとか立ち上がったのは奇跡だったよ。いや、僕の力で立ち上がったんじゃないってすぐに分かった。

 彼女が後ろから抱き起してくれたんだって。でも、彼女はゆっくり摺り足のようにしか歩けないから、とても少しずつ前進するしかなかった。

 それでも、彼女が貸してくれた肩はとても強くて優しかった。

 どんな苦痛の中でも決して崩れ落ちることのなかった彼女の芯の強さを感じたよ。だって、そんな状況下で僕の顔を見て笑って見せるんだ。

 

 外が見えたところまで来たんだ。

 助けに入ったつもりが助けられてどうするんだって。外の人たちから見たら滑稽な姿だったかもしれない。

 どんな言い訳をしようかな。そんなことを考えていたんだけど、突然身体が大きく前に飛び出してね。

 

 誰かが背中を押したんだ。同時に駆逐艦の子の一人が私の手を引いたんだ。大きく前に。

 もう一人が僕の後ろに向かって手を伸ばしてた。何かを掴んで引っ張り出そうとするような。

 二人ともとても怯えているような、焦っているような、とにかく必死な顔だった。

 

 階段を転がり落ちて、芝生の上に顔から落ちたよ。遠くで何かが崩れ落ちているような音がしていてね。

 しばらく空に昇っていく黒い煙を眺めながら、ぼーっとしていた。色んな声が僕の周囲を取り囲んで響いていてね。

 

 ハッと意識を取り戻した瞬間に、思いっ切り咽せかえって灰の中の息全てを吐き出した。その反動でかなり大量の空気を吸い込んでまた咽せて。何度か繰り返して徐々に呼吸を整えていった。

 焦点がなかなか合わなくて何重にも重なって見えるんだけど、それでも彼女を探そうとしてるんだ。この頭が。

 でも、どこにもいない。

 

 記憶を遡って彼女が自分のどこにいたのかを探し続けた。

 衝動的に体が動いてまた転んだ。石階段に顎を打って、そのまま這いずるようにして昇っていった。

 大きな玄関の向こうに巨大な壁があった。

 

 そして、その壁と床の隙間に彼女がいた。

 片手と胸から上がこちらに出てたけど、そこから下は瓦礫の下に埋もれていたんだ。

 

 「提督ッ!ダメです!!」

 誰かが引き留めた気がしたけど、這いずってでも彼女の下に駆けつけた。

 動かない手を拾い上げて両手で包んだ。まだ温い、生きてる。でも、赤い液体が広がっていく。

 

 「私たちの力でもこの瓦礫を取り除いていく前にここまで火が来ます!!」

 「ダメだ。彼女を見捨てていく訳にはいかない」

 「提督っ!!」

 「目の前に在る弱き者を見捨ててこの場を去るなど、敵前逃亡に等しき恥ッ!!その命救ってこそ、武士道の道を行く者……帝国軍人の魂を持つ者」

 「何を言って……」

 「理由なんてどうでもいい!!ここで逃げれば一生後悔するぞ!!国に帰っても一生だ!!軍人の誇りでもいい!!ただ、一人の命を救いたい、純粋なその気持でも何でもいい!!」

  彼女の手を額に当てて、泣き縋るように二人に叫んでいた。その様は地面に額を擦りつけて頼み込んでいるような光景だったかもしれない。

 

 「お願いだ……力を貸してくれ」

 一度、彼女を選ばずに逃げてしまった。それを恥じることはきっとない。僕は提督だからだ。多くの希望と期待を背負い、艦娘たちの命を背負い、戦い続けなければならない存在だからだ。

 でも、今は……一度離してしまった手を二度と離したくはなかった。

 

 「ねえ…きっと助けるから頑張ってくれ」

 ぐっと握り締める。今は力のない彼女の手を。

 

 

 「無事でよかった」

 そんな声が聞こえた。

 ふと、目を開くと彼女がこちらを見ていた。目を開いて笑っていたんだ。

 「どうして僕を助けたの?」と尋ねると、そんなの決まってるって言うかのように笑って、

 「あなたが助けに来てくれたのが嬉しかった」って。

 答えになってないじゃないか。すぐに助けるからって、励ますように手を何度も強く握ったんだけど、彼女は最期に一回だけ握り返してくれた。

 「もう逃げられない。腰から下の感覚がない」

 ほとんど朧げに言葉を紡いでいるかのようなとても弱弱しい声で。

 そんなの僕には関係なかったんだけどね。とにかく、彼女を連れて逃げることしか考えてなくて。

 「君を置いていかない。君をここに置いていったら一生後悔する」

 でも、多分聞こえてなかったと思う。呼吸が弱くなっていってたんだ。

 「逃げて」

 最後にそんなことを言って、僕の手を握ってた力がふっとなくなった。

 「できる訳がない。だって僕は」

 こんな時にいったい自分は何を言ってるんだって、後になって思ったけど、きっとこのとき伝えないと後悔するって思ったんだと思う。

 だから、この時深い闇の中に沈んでいこうとする彼女の意識に届くほど強く、はっきりと叫んだんだ。

 初めてだったよ。誰かにこんな言葉を言うのは。でもさ、

 

 「……好きだ。君のことが。初めて会った時から」

 きっと、この人を好きになってしまったんだって、その時になってようやく気付いたんだ。

 失うのが怖い人だって。絶対にいなくなって欲しくない人だって。

 

 手で顔を拭った。鼻血が出ていた。構うことなく瓦礫に手を付けて持ち上げようとした。

 当然だが、ピクリともしない。それでも、何度も力を込めた。

 「上がれぇぇぇ…………上がれぇぇぇ……持ち上がれぇぇぇぇぇぇ!!!あああああああああ!!!」

 息も力も切れてその場に倒れ込む。

 ぐちゃりと身体を支えた先に広がる血だまりに手を触れて、意識がどんどん深くのめり込んでいく。

 「はぁ…はぁ…もう一回」

 瓦礫に手を掛けた瞬間、その腕を横から握られた。

 

 

 「もう、結構です。提督」

 「何を……」

 「私たちで、やってみます。提督が私たちに賭けてくれるのならば」

 二人は私を後ろの方まで下げると、お互いを見て頷いた。

 「角度と……距離を……その人の上にこれ以上落ちないように」

 「こんなことするの初めてだから難しいなぁ……でも、やるしかないでしょう」

 

 低く轟音が響き地面が揺れる。爆風が顔を直撃し、大きく後ろにのめり返った。

 

 「けほっ……けほっ……どう?」

 「……うまく行ったみたい、提督」

 呼ばれて目を開くと、正面にあった瓦礫の壁は姿なく、残っているのは一番下に埋もれていた巨大な柱一つだった。

 二人が細かな瓦礫を彼女の上から払っていったが、彼女の脚だけが柱の下にある。

 「二人とも……ありがとう。もうひと踏ん張りだ」

 三人で柱に手を掛けた。それでも、持ち上がらない。

 いや、二人の力で少しは浮くが、もうひと踏ん張りが効かない。僕の身体そのものに限界が来ていたんだと思う。

 

 火の手がもう達しているような状況だ。時間もそんなにないし、これほど近い距離だと二人の主砲の影響がもろに彼女に及ぶからこれ以上砲撃は無理だ。

 生身の僕も彼女も。それに長い間いれば艦娘の二人だって。

 

 「ちっくしょう……くっそぉ……」

 「もう一度…っ、もう一度上げてみましょう!!」

 「動けよ……動いてくれよ……」

 

 目の前がチカチカしてきた。両腕も引き千切れそうなほどに引っ張られて痛かった。

 それでも、この両腕が捥げてもいいと思うほど、必死に持ち上げていたのだが。

 

 ふと、僕の肩にずっしりと何かが乗ったんだ。

 硬いものじゃなかった。石とかそう言うのじゃなくて、人の手。

 「私も手伝おう」

 一人の大きな躯体の紳士と、屈強な体つきをした三人の男たち。

 僕は何も言わずに後ろに下がった。僕に変わって加わった紳士たちは、艦娘の二人と力を合わせて一気に柱を持ち上げた。

 「さぁ!!早く!!」

 その隙に彼女を引っ張り出した。そして、その両腕を肩にかけて一気に外に飛び出した。

 

 しかし、玄関を潜った瞬間に膝から崩れ落ちてしまったんだ。散々、無理したからね。

 そこから先は、駆けつけていた救助隊の人たちに引っ張り出されるようにして、安全な場所まで運ばれたよ。

 駆けつけてくれた紳士は、艦娘二人に背中を押される様にして飛び出してきたが、右腕の赤い染みが大きく広がっていた。

 

 

 

 そのすぐ後に大きな玄関口が崩れ落ちたんだ。危機一髪だった。

 あの時、紳士が駆け付けてくれなかったら、もう全て飲み込まれてしまっていた。

 

 

 ただ、彼女の容態は最悪だった。

 両脚は完全に潰れていた。骨も粉砕され、筋肉も皮膚もズタズタに裂け、回復は恐らく現代の医療技術でも不可能だ。それと脇腹に食い込んだ瓦礫の破片が大量出血を引き起こしていて、すぐに輸血が行われながら搬送された。

 

 両足首に残されていた足枷は、野次馬として集まってきた周囲の人々の目に触れた。

 無残になり果てた彼女の姿と共に、この家で起こっていた闇が曝け出されてしまった瞬間だった。

 

 「どんな気分ですか?もう終わりですよ」

 「そうだね……不思議と晴れ晴れとしている。ようやく終わるのだと」

 あの時、助けに入った紳士は、主人は本当にすっきりした顔でそう話す。

 それが少しだけ癪に障ったが、もうなにか言い返してやる気力もなかった。

 

 「どうして……?」

 「……?」

 「……どうしてあの時、助けに入ったんですか?」

 「……さあね。でも、ただ一つ言えるのは、『娘』を助けようとするのは親として当然のことなのでは?」

 「……はっ、今更ですか」

 「そうだよ。今更だよ。最初で最後だ……私が父となった瞬間で、父でなくなった瞬間だよ」

 「あなたを許すことは一生ありませんよ。この場で叩き切りたい気分でもある。でも……」

 「何だい?」

 「……いいえ、今までお世話になりました」

 

 そう言って一礼した僕のところに突然軍服を着た男が走ってきて、「敵が来た。力を貸してくれ」ってさ。

 後々聞いたけど、独逸海軍が取りこぼした深海棲艦の残党がこちらにやってきてしまったそうだ。

 「Destroyer Class α-Type,β-Type」の集団と聞いてすぐに駆逐艦娘の二人に出撃命令を出した。

 疲れも見せずに二人は勢いよく走り出して、僕もそれに続いて港まで走ったよ。

 

 双眼鏡を貰って沖合の方を見ると、もう見えるところまで黒い頭が見えるんだ。

 駆逐イ級とロ級が十二、三くらい。向こうのは少しだけ頭が尖ってるんだ。

 

 「一隻も射程範囲に近づけるな!友軍と協力し、全て撃沈しろ!!抜錨せよ!!」

 その合図で一気に二人が飛び出していって……そこまでは記憶がはっきりしてるんだ。徐々に視界がぼやけて音も遠くなっていってね。

 水平線の方で黒い煙が上がってるのは見えたんだ。それと無線で指示を出していたような気もするけど、ふわふわ浮いているような。

 そう、ちょうど夢でも見ているような感覚。

 

 砲撃音が止んだ。二人が周囲を警戒しながら戻って来るのが見えた後からは本当に記憶がない。

 

 その後の僕は、急に倒れてしまいそのまま緊急搬送。軽度のガス中毒と両掌の火傷。眼底骨折、鼻骨骨折など散々。治療のために半月、こちらへの滞在が延長した。

 その間は艦娘二人が世話をしてくれたのだが、頻繁に彼女を思い出す。

 

 彼女はどこで、何をしているのだろうか?そんなことばかり考えていた。

 

 退院間際になったとき、主人が訪れた。

 彼女の意識が戻ったと。だが、すぐに国の機関が彼女を連れて行ったと。

 もう彼女に会うことは叶わないだろう。

 

 もしかしたら、あの場所で彼女を死なせてやった方がよかったのかもしれない。

 僕を救ってくれた優しい彼女の美しい感情のまま眠らせてやったほうが良かったのかもしれない。

 僕がしたことは全て余計なことで、誰も救われないものだったのかもしれない。

 

 でも、あの場所に彼女を眠らせることだけは嫌だった。

 彼女の「連れ出して」という願いを聞き届けたかった。

 

 一連の謝罪と感謝。それと、土産にとやけに高級そうな茶葉と有名な洋菓子店の菓子の詰め合わせ。駆逐艦娘の二人には背伸びしすぎない程度のアクセサリーを送っていたが、僕の目が間違っていなければ、僕の給料半年分くらいする奴だった。

 しかし、よりによって僕に紅茶を送るとは嫌がらせだろうか?

 彼は「向こうに帰ったらゆっくり飲んでもらえると助かる」とか。

 本当に嫌な人だったよ。一生許さないと今も思ってるけど。

 

 その三日後に退院し、それに合わせて帰国の船を手配してあった。

 あぁ、そう言えば、僕の最後の仕事があった。色々とあって忘れかけていたんだけど。

 

 日英友好条約及び、日英同盟の締結の印として、英国製の艦娘一人を連れて帰る必要があるってことを。

 

 こんな気分の状態で、突然現れた英国の淑女のような艦娘を相手にしなければならないと思うと、どっと疲れが押し寄せながらも、それが顔に出ないように努めながら、英国の外務大臣たちと握手を交わしていった。

 だが、まあ、驚いたことに僕はそう簡単に帰れなくなっていて、まさかの英国女王の謁見を許された。正確には授与式で女王自ら僕に勲章を授けるというのだ。

 

 この国に艦娘の技術をもたらしただけではなく、先月の大火。そこでの避難の誘導、及び救助活動。

 その後に起こった戦闘での、見事な艦娘の指揮。

 遠い異国の地に来ても、祖国の武士の心を忘れることなく、弱き者に手を差し伸べる偉大なる騎士の心も持ち合わせた強き者。

 本当に人生は何が起きるか分からないものだ。

 夕方くらいまで式典が続き、僕はなぜか英雄扱いされるように国民から手を振られて、始終引き攣った笑みを浮かべながら手を振っていた。

 

 式典の最中、軍のお偉いさんに会場の隅に呼ばれて、こっそりと話を聞いた。

 今回建造に成功した英国製の艦娘についてなのだが、やや異例の形となって行われた結果、生まれたのは五隻の戦艦。

 

 かの「Queen Elizabeth class Battleship」なのだと言う。

 最初に運用するのが戦艦だとは、やや資源管理が大変そうな未来が簡単に目に浮かぶ。

 しかし、こうして大英帝国を守る五つの盾が生まれた訳だ、などと話していたのだが、彼は「何を言っている。一隻を君が連れて帰るんだろう?」と笑って指摘してきた。

 

 また忘れてしまった訳なんだけど、彼曰く「その五隻の中でやけに日本へ行きたがってるのがいる。変な奴だが、彼女を同盟締結の艦娘としたいのだが、どうだ?」と。

 英国はこういう場での交渉ばかり得意そうで本当に英国クオリティ。

 何か裏がありそうな気もしたが、もう誰でもいいから連れて帰ってさっさと任務から解放されたい。恋をした人を失って傷心中の僕なわけだ。すぐに首を縦に振った。

 

 アルコールは控えて、港へと向かっていったのだが、日の沈んでいく水平線を見て感傷に浸ってしまった。

 鞄の中にある茶葉を日本で自分で淹れるのはやっぱり少し寂しい。

 今度、中将のところにでもお邪魔して金剛型の彼女にでも淹れてもらおうか。この国での話は、いい話題になるかもしれない。

 

 帰りの船を前にして、僕は艦娘の到着を待っていた。

 駆逐艦の子たちは補給も済ませて先に船に乗り込んでいる。

 

 「大使、待たせて申し訳なかった」

 そう言って僕の前に現れたのはさっきの軍のお偉いさん。

 そして、彼の後ろに立っているのは――――――

 

 

 

 「―――――ごきげんよう(Hello)あなたが私の提督なの?(Are you my admiral ? )

 「……えっ?」

 

 自分がどうなっていたのか分からない。すーっと、全身の感覚が消えて行って、音も、声も、色も、何もかも消えて行って、ただそんな世界でもただ一人色彩をもって僕の目に映る彼女。

 「ど、どうして……?そ、そんな……っ!!」

 「本当に、不思議なものね。それにしても、こんなきれいな服を着るのは初めてで……私ちゃんとできているかしら?」

 「えっ、えーっと、うん……綺麗だよ」

 「そう?よかった!」

 

 あぁ、笑った。

 

 間違いない。彼女だ。僕にだけ見せてくれた笑顔だ。

 

 「そ、その冠……まるで女王陛下みたいだね……」

 「こ、これ?これはレガリアを模したものみたい……ちょっと私には身分不相応な感じがするわね……」

 「いいや、君にならなんだって似合うさ―――――」

 

 僕はバカなんだと思う。本当に大馬鹿者だ。隣には軍のお偉いさんがいると言うのに衝動的になって、身体が勝手に飛び出してしまって、彼女を抱き締めていた。

 あの夜に彼女を抱きしめた時よりも、今度は強く。守るためじゃなくて、ただ彼女の存在が本当にそこにあるのかを確かめるために。 

 「君なんだね?」

 「……大丈夫。私はここにいるわ」

 「本当に……君なんだ」

 

 もし、もう一度彼女に会ったら何を言おう。

 もし、もう一度彼女と話すことができたら、何を話そう。

 

 そんなことをずっと、主人に彼女のことを話されるまでずっと、毎日毎日考えていた。

 

 でも、たとえ考え付いていたとして、この瞬間の衝撃に耐えられるものがあったとは到底思えない。全て頭の中から吹っ飛んでしまっていただろう。

 「よかった……」

 「ありがとう。あなたの叫び声、ずっと私に聞こえてたわ」

 「あの時、まだ意識はあったんだね。ありがとう。君のお陰で僕はここにいる」

 彼女にずっと感謝したかったんだ。あの時、僕の背中を突き飛ばしてくれたから僕は今ここに在れてるんだって。

 

 「……すまない、そろそろいいだろうか?」

 「えっ、あぁぁぁあああ!!申し訳ありません!!」

 「えっ、ちょ、ちょっと待って、きゃあ!」

 突然、離れてしまうと彼女はバランスを崩して倒れてしまってね。咄嗟に僕が腰に手を伸ばして支えたんだ。

 そう言えば、彼女が立っていることに違和感を覚えてなかった。

 彼女の両脚はあの時潰されてしまったはずなのに。

 「ご、ごめんなさい……まだ、歩くのに慣れてなくて」

 「こ、これは?」

 「艦娘の技術の応用だよ。元々、人間だった彼女の身体を利用して、艦娘を構築した。その恩恵として彼女の両脚を再生したんだ。だが、感覚そのものは以前の彼女のもののままだからね、歩くのにリハビリを要した。ようやく一人で歩けるようになったばかりだよ」

 「そ、そんなことが……」

 あの時、彼女の両脚を奪ってしまったことへの罪悪感はあった。

 彼女の両脚はガラスのように砕けてしまい、二度と歩けないのだと。

 しかし、その罪さえ許されてしまったのだ。なんだか気持ちが空回りしたような気がして、彼女の顔を見たら目が合って彼女は嬉しそうに笑った。

 「あなたを守れて、私も五体満足。早く歩けるようになるわ。あなたと一緒にいろんなところに行きたいもの」

 そう言って、僕の首に手を回すんだよ。

 正直、こういう体勢を取られたら僕も動きようがなくなってしまうからさ。

 「彼女の艤装は?」

 「既に船に積み込んである。彼女と君だけだ」

 「分かった。色々とありがとう」

 「あっ、きゃっ!」

 彼女の背中と膝に手を回して抱きかかえると、一気に階段を駆け上がって乗船する。

 このとき完全に忘れてたんだけど、結構民衆が集まってて、加えてテレビ局やらも駆けつけていたらしくて。すべてが終わってから、死にたくなったのを覚えてるよ。

 その時は一気に正面の甲板まで走っていって、そこで一度彼女を下ろしたんだ。

 手を貸してゆっくりと彼女に立ち上がってもらって、二人で手を取り合いながら、世話になった英国に手を振った。

 本当にこの国で多くのことがあった。

 

 そして、最後にはとんでもない魔法のような奇跡まで。 

 

 船が出港する。徐々に港から離れていき、 随分と沖合に出たところで、僕は少し彼女から距離を置いて向かい合ったんだ。

 「……こうして向かい合うのは何度もあったけど、今の君とこうして向かい合うと、また別の気持ちになるよ」

 「あら?あの時私に言ってくれた言葉は嘘だったの?あの言葉のお陰でしぶとく生き残れた気もするのだけど?」

 「まったく……じゃあ、改めて君の名前を聞かせてくれ」

 彼女は小さく頷くと、その手を胸に当てて、真剣な顔つきをした。

 

 「我が名はQueen Elizabeth class Battleship 《Warspite》」

 

 そう言って、僕にもう片方の手を差し出してにっこりと微笑んだ。

 「Admiral、よろしく、頼むわね?」

 「あぁ、よろしく。君を日本帝国海軍……いや、僕の艦隊へ心より歓迎するよ」

 「……ふふっ」

 「……ははっ、あははははっ!!」

 

 その時なぜかどうしようもなく笑えて来てね、二人して笑ってたんだけど、途中からなぜか泣けてきて、もう笑ってるのか泣いてるのか分からないまま、しばらく二人でそこにいたんだ。

 いったい、どんな神様の悪戯なんだろうって。

 

 「……あぁ、喉乾いたなぁ」

 「じゃあ、紅茶でも淹れましょうか?」

 「そうだ。僕はずっと君の淹れた紅茶が飲みたくてね……他のお茶を受け付けなくてずっとコーヒーばかり飲んでたらお医者さんに怒られたりしてたよ」

 「あら?私はコーヒーを淹れるのも得意よ?どっちがいい?」

 「うーん……やっぱり紅茶で。そう言えば、いい茶葉をまた貰って……あっ」

 

 ここは逆に君たちに訊きたいんだけどさ、偶然だと思う?

 主人が僕に紅茶をくれたことと、彼女と僕が再会できたこと。

 このとき僕は主人は全て知ってたんじゃないかなって思ってさ、ふと、英国の方角を見てしまったんだ。

 でも、やっぱり許せないよ。うん、許さない。

 え?偶然だって?どうして……?

 

 ……うん、そうだね。そう言うことにしておくよ。

 そっちの方がきっとロマンチックだ。

 

 「どうしたの?Admiral?」

 「……何でもないよ。ほら、良い茶葉をまた貰ったんだ。これで君の紅茶が飲みたいな」

 「わぁ……またこんなに高級なものを貰ったのね。いいわ、このWarspite、完璧に淹れてあげるわ!」

 「うん。あっ待って。やっぱり四つ、連れの子たちにも飲ませてあげたいから」

 「あっ、まだ挨拶してなかったわ。とてもいい子たちみたいね。仲良くなれるといいわ」

 「きっと仲良くなれるよ。なんたって……僕が好きになった君だもの」

 

 

 

 さて、こんなところで僕の話はおしまいだ。

 これが僕と彼女の出会い。それっきり英国にも行ってないんだけどね。

 僕たち二人にとってあまりいい思い出でもないんだけど、彼女の中にある記憶が時々故郷を懐かしく思わせてしまうらしい。それにお母さんのお墓参りにしばらく行ってないから、できればこっそり訪れたいって。

 もしかしたら……近いうちに二人で帰郷することになるかもしれないね。

 えっ?その時は連れていけ?だーめ。お前ら遊ぶだけだろ。

 

 でも、彼女が来てからうちの戦局が一気に変わったよね。

 彼女の冠する名前《Warspite》。

 イギリス海軍から「戦いのあるところ必ずWarspiteあり」と言われるほどの戦歴を持つ武勲艦でさ、常に彼女は最前線で戦ってたし、少しだけうちの鎮守府参戦の作戦も増えた。

 当然、戦いは激化したんだけど苦戦することもなく、うちの子たちが大きな損傷も受けることもなく、勝利の中心にはいつも彼女がいた。

 みんな「勝利の女神」だなんて呼んで。

 

 皮肉だよね。戦争を軽蔑する者という名でありながら、いつも戦闘の中心にいるんだ。一度訊いたことがあるよ、戦いは辛くないのかって。

 「辛いけど、この戦いに終止符(Period)を打つために私は戦い続けるわ。いつか戦いを終わらせたこの名が反戦の証として受け継がれるならば、それでもいいと思わない?」 

  

 「そして、この名と共にあなたの名も語り継がれていく。誰よりも多くの勝利を刻んだ栄光の名を。私たちならできるわ、この戦いを終わらせることが。そうでしょ、Admiral?」

 

 

 

 ん?最後に、彼女をどう思ってるか?

 

 ……最初に例え話をしたのを覚えてるかな?

 うん、例えに『灰かぶり(シンデレラ)』を出したけど、きっとその通りなんだと思う。我ながら上手い例えをしたのかもしれないね。

 でも、お姫様(Princess)というよりかは女王様(Queen)なんだけどね。

 

 だから、シンデレラなんて名前はきっと似合わない。

 彼女の歩んだ道は万人が憧れるシンデレラストーリーなんかじゃないからね。

 

 

 僕の誇りだ。ただ、それだけだよ。 

 

 

 

 

 

 

 




以上となります。読了ありがとうございます。

書いていてどう終わらせようか、かなり悩みました。
ウォースパイト実装時期直後に書いていたものを、ふと思い出して急に掘り起こしてなんとか物語風にしてみました。
若干グダグダのところもあったと思いますが…

ありがとうございました!

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