最初に襲いかかったのは獣のような姿の妖だった。
猿のような手とカンガルーのような下半身に蛇のように自在に動く尻尾。
知性は動物程度しか無いにしてもその割には賢くて待ち伏せとか罠とかで有利な状況から戦いをはじめたがるタイプですね。名前とか詳しいことはわかりませんけれど……
もちろんあいつらは単独で行動はしない。突っ込んで来ているあいつも陽動だろう。
ならば…気をつけなさい。
「正面は陽動、死角に回ってくるはずだから覚悟しなさい」
「は……はい!」
返事は良いけれど早く攻撃しなさい。
正面からくるやつをギリギリまで引きつける。そうでもしなければこちらの攻撃はまともに通らない。まあ……銃を除けばだけれど。
華恋が左右にお札を解き放つ。
それらが夕刻の闇を切り裂いて何かに命中。生き物の悲鳴が上がる。
放ったのは動きを封じるだけのものだったはずだからまだやられてはいない。
奇襲をかける方が失敗したのだから早急に戻れば見逃しても良いかなと考えたのに、未だに真ん中のやつは突っ込んでくる。
既に刃渡りの長い刀なら十分斬りつけられる距離だ。
だけれどもうちょっと……とは言っても時間としてはコンマ数秒の時間だ。
「よいしょっと…」
相手の頭に思いっきり回し蹴り。急に止まることはできない向こうはそのまま頭を突っ込ませる。
その頭が私の足にぶつかり歪に歪む。
折れた歯が数本、中を舞い。遅れて体の方が頭に引きずられる形で横に平行移動する。
「後もう何匹かいるようですけれど……」
やはり賢いらしく尻尾を巻いて逃げていったようだ。
逃げ足が速い奴らですねえ。
まあ…誰だってこの服を着た人間とは戦いたくないですからね。
「蹴りだけで……」
「あまり道具に頼っていたらいざという時に困りますからね」
私の場合いざという時に道具に頼るんですけれど…こればかりは戦い方次第だろう。
あまり見せびらかすものでもないのですぐに動きを封じた妖の元に行く。
動きを封じられてもなお、闘志を燃やす彼らの目に諦めはない。
「さて…逃げた仲間は兎も角、こいつらをどうしましょうか」
人間の血の匂いがすごいですね…何人も喰らってきたのでしょうね。
まあ、今はとなりに巫女がいるのだ。彼女の判断に任せよう。
「……私は博麗の巫女ですから。もちろん、ここで退治させていただきます」
賢明な判断だろう。
今ここで見逃せば色々と面倒ですし博麗の巫女は妖怪を見逃すなんて噂がたてば妖怪側が暴走してしまう。
仕方がないですけれど…運が尽きたと思って成仏してくださいね。
なにかを唱えた華恋がお祓い棒を一振りする。
鋭い悲鳴が妖達から起こり、その姿が碧い炎に包まれる。
炎の真ん中で、妖の形をした影が悶え、溶けていく。
……私もいつか。ああやってこの世から消えるのだろうか。
悲鳴が聞こえなくなると、炎も消え去る。そこには何もなくなっていた。完全に退治されたようですね。
「……さて、他の場所も見に行きましょうか」
いつまでもここに留まっているわけにはいかないと思い出し、華恋を連れて動きだす。
予想に反しその後は何事もなく、日が暮れる頃には見回りも終わっていた。
後は緊急事態以外では特に外に出る用事もない。
でも今回は運が良かったけれど…明日以降もこのように済んでくれるとは限らない。
気を緩めないようにしよう。張りすぎてもダメですけれど……
どうでも良い思考遊びをしていると、私の真横に隙間が開く。
夕食を食べ終えた華恋は今お風呂に入っている。こちらに連絡を入れるには丁度良い時間だろう。
「初日お疲れ様」
頭を出した紫が私の隣に一本の瓶を置く。差し入れのようだ。
だけれど私はお酒が飲めない……受け取るだけ受け取っておこう。
「まだ初日です。あと数年…頑張らないといけないですね」
「そうね……それで、貴方から見て彼女はどうだった?」
どうだった……ですか。筋は良かったですね。それに戦闘でも的確に見えない敵にお札を当ててましたから腕もかなりの物ですよ。
ただ、体も心もまだまだ幼い。あれでは1人にすればあっさり死んでしまう。
「……数年でしっかりとした巫女になると思いますよ」
「そう……貴女がそう言うなら安心したわ」
あまり私のことを信用しない方が良いですよ。得しませんから。
「それじゃあ……頑張ってね」
相変わらず何を考えているのか分からない笑みを浮かべ、紫は隙間を閉じた。
「そんな笑み…貼り付けなくたっていいのに」
幻想郷の賢者は難しいです。
それにしてもこの瓶…どうしたら良いのでしょうね。
部屋の外がガタガタと賑やかになる。どうやらお風呂から出たらしい。
「ふう…いいお湯加減でした」
そう言って襖を開ける華恋。だけれどその姿は体を拭いた布をただ首にかけているだけであり、それ以外は何も纏ってない姿だった。
「……服は?」
「え?あ……忘れてました」
あっけらかんとしてますけれど。しっかりしてくださいよ。なんで服を着ないんですか。そんなんじゃ湯冷めしてしまうし良からぬ奴らが覗いてるかもしれませんよ。
例えば…窓際でこちらを見つめる黒猫とか。
無言で黒猫を見つめる。
その視線に気づいたのか、バツの悪そうな顔をして黒猫は部屋に降りる。
「あれ?黒猫ちゃん?」
「正確には化け猫か猫又です」
「それって退治したほうがいいんですか?」
そう言いながら彼女は構えの姿勢をとる。だけど裸で何一つ道具を持っていないのに構えてどうするんですか。袖からお札を出そうとしてそもそも服着てないのにまた気づくって……何してるんですかもう……
「人間には危害を加えないから大丈夫よ」
華恋を落ち着かせる。まずは服を着て来なさいと部屋を追いやる。
再び静かになる部屋。
「それで…どうしてお燐は来てるの?」
とは言っても猫の姿では喋る事も出来ない。結局、お燐は苦笑いを繰り返すだけ。
「……こいしね」
私の言葉に肯定するかのように何度も首を振る。
全く…心配性ねえ。
「まあいいわ…好きにしなさい」
下手をしなければお燐がバレることはまず無いだろうし、多少妖力を持っていても今さっき安全な妖怪と説明していたから退治されることはないだろう。
だけれどあまり良いものではない。
「後これ、あげるわ」
先程もらった瓶をお燐の背中に括り付ける。
私が何をしたいのか理解したお燐は任せろと言わんばかりに背中に瓶を乗せ窓から飛び出す。
月明かりが彼女の影を照らすが、少ししてその姿も闇に溶け込んでいった。
「おまたせ……あれ?猫ちゃんは」
「帰りましたよ」
そんなに落ち込まなくても…また来ますからね。保証します。
さて、私はしばらくすることもありませんし…少し外を見てきましょうかね。
「さとりさんはお風呂入らないのですか?」
ああ……そういえばまだ入っていなかったわね。折角ですし…入りましょうか。
華恋の言葉に甘え、私も風呂に向かう。
そういえば風呂周り…他より劣化が進行していたわね。
私が足を乗せるだけで木が悲鳴を上げているわ。今度修繕しましょうか…だけど神社を修繕となると簡単なことではないから…紫に一応聞いておきましょう。
非日常性もそれが連続して発生し続ければそれは日常になる。
お姉ちゃんが巫女の教育を始めてからもう半年。
元々お姉ちゃんが家にいない時を何百年と過ごしているから、違和感が薄れている。
それでもお姉ちゃんは時々帰ってくるからあの時のように寂しい思いをしなくて良い。その分楽なんだよね。
洗濯物を干してしまえばしばらくすることがない。それは退屈かと言えば全然そんなことはないけれど…私はなんだかつまらないし面白くないから嫌い。
だって楽しいことが起こって欲しいでしょ。
「あの…すいません」
私の願いを誰かが拾ってくれたのか家の扉が開かれた。
昼間から尋ね人かあ…何か面白いことを引き連れてきたのかな。
だとしたら楽しみだなあ……
「はいはーい。上がっていいよ」
玄関にいるであろう尋ね人に上がるよう催促。しばらくして部屋に入ってきたのはミスティアちゃんだった。
こんな昼間からどうしたんだろうね。しかも深刻な顔してるけど……
「あの……こいしちゃん」
「まあ先ずは座って」
立ったまま話をするのは良くないよ。
それに落ち着かないし。
腰を下ろしたミスティアにお茶を注いであげる。
深刻な表情が少しだけ和らいだ。そろそろ話してもいい頃合いだね。
「ミスティアちゃん今日はどうしたの?」
「えっと……助けて欲しいの」
助けてかあ…何かトラブルに巻き込まれちゃったかな?
「詳細は省いていいかな……」
「うん、でもその前に…推理させてもらってもいい?」
「推理?」
うん、推理。ミスティアちゃんが何に悩んでいるのか当ててみようと思うからね。暇潰しって言われたらそれまでだけれどね。
「うーん……もしかして天狗と揉めた?」
すると、ミスティアちゃんの顔が驚きに変わった。
「え⁈当たってる…どうしてわかったの?」
「そうだね……深刻そうな顔して来たってことはなんかやばいことに巻き込まれたってのは当たり前として、じゃあここにくる理由はってなったらどうなる?」
「えっと……こいしちゃんじゃないと対処できないって思ったから?」
「そう、じゃあわたしじゃないといけないことってなんだろうね。地底の事?でもそれなら地霊殿に駈け込めば良いのだからここまでくる必要はない。それと、ミスティアちゃんの袖にくっついている葉っぱなんだけど…それは枝垂れ桜の葉っぱなんだよね。ここら辺でそれが自生しているのは山の上の方で天狗の領域になるんだ。それに、黒い羽が擦れた跡が服に残ってるよ。以上のことから、天狗と揉めたって思ったんだ」
「すごい!こいしちゃん探偵みたい」
えへへ、照れるなあ。
「それで、天狗とどうして揉めちゃったのかな?」
まあ…理由も想像がつくんだけど。
「えっと……その……」
原因は結構単純だった。
でもそれは理不尽すぎてミスティアちゃん自身も初めはなんだかわからなかったらしい。
まあ天狗の領域に勝手に入っちゃってたのは不味いんだけど…それを警告して追い出すとかじゃなくて、まさかの喧嘩を売られるなんてね。
ミスティアちゃんの記憶を多少見てみたけれど…若い鴉天狗だね。
こりゃ若さ故の過ちってやつかな。
「あちゃ……やっちゃったねえ」
その後はもちろん逃げ出したらしいけどそれが逆に向こうの神経を逆なでしちゃったらしいね。
それで怒る向こうも向こう…いや、ただ憂さ晴らししたかっただけの八つ当たりっぽいね。
「それで、喧嘩の場所とかは指定するから、絶対来てねって言われて解放されたわけか」
行かなきゃいいじゃんとか思うけれど、強引に約束させられた事とはいえ約束は約束。守らないと今度は彼女の方が立場がなくなっちゃう。
「相手は三人なんです…でも全員強そうだし…1人だけならまだしも……」
たしかに3人相手するのは難しいよね。私だって天狗相手に複数人はあんまりしたくないかな…それもただの喧嘩じゃねえ……
「向こうも知っててやってるからねえ…ミスティアちゃん御愁傷様」
「お願いだから助けてよお……」
ああ…泣かないで。できる限りの事はするからさ。ほら、涙拭いて。でも鼻はやめてね。それお気に入りのハンカチだから……
「それじゃあ…せっかくだし私もそれに参加しようかなあ…」
あともう1人だけど…向こうにちょっとお灸を据えたいからねえ。
「こ…こいしちゃん怖いよお」
「うん?大丈夫だよ。どうやって焼き鳥にしようか考えてただけだから」
「天狗さん逃げて!ここに恐ろしい子がいます!」
冗談だってば。本気にしないでよ。それじゃあ…早速準備しますか。
あ、後お姉ちゃんに連絡しておかないと。きっとお姉ちゃんならそれだけで私が何を当て欲しいのか分かってくれるからね。
ふふふ、楽しみだなあ…私の友達に喧嘩を売った天狗がどうなるのか。
「ごめんなさい天狗さん…私…厄災を持ち込んじゃったかも」
「厄災とは失礼だねえ…せめて破壊神とかかっこいいものにしてよ」
「余計怖いよ!」
「あらお燐、私に届け物?」
華恋が外で稽古を始めてすぐ、私の隣に黒猫が1匹やってきた。
首のところに何か手紙のようなものをくくりつけられている。
外してくれと訴える視線に急かされるように首から手紙を外す。
要は済んだと言わんばかりにお燐は駆け出し何処かに行っちゃった。
本当ならこれから遊びにでも行こうとしていたのに急に野暮用を突っ込まれてしまったって感じですね。
さてさて、手紙の内容はなんでしょうねえ……
すぐに手紙を開封し内容に目を通す。
なるほど……こいしも変なことに首を突っ込むわね。でも私まで巻き込もうとするのはどうかと思うのだけれど…ええ、だってそうでしょう。
そもそもこの件なら天魔さんを引き出せば良いのに……こいし絶対楽しんでるわね。それも相手を可哀想な懲らしめ方をしようとしてるし……
でもまあ……それもそれで悪くはないですね。
少し考えた後、結論を出す。
「華恋、ちょっと良い?」
「はい、さとりさんどうしたのですか?」
「明日の夕方、ちょっと天狗の山に行くわよ」
急なことかもしれないけれど…大丈夫よね。
「明日ですか?少し急な気がするのですが…」
「少し天狗を取り締まる必要が出てきたのでね」
「それ…紫さんからですか?」
「いいえ、知り合いの……妖怪かしらね」
妖怪という言葉に華恋が怪訝な顔をする。
「妖怪だって仲良くなろうと思えばなれるものよ」
そんなものはごく少数の妖怪であるけれど……
本来は華恋を連れていく必要はないのですけれど妖怪の世界のことも学ばせておきたいから連れていくことにした。
それに人間に害を成さない妖怪に合わせておいた方がこの子のためにもなる。
人間にも悪人やそうでない人がいるように妖怪にだって人間に味方する者もいる。
そう言う面を理解していないと、本当に大変ですからね。
まあ……仙人の修行を終えた靈夜が戻って来れば私が背負う負担も軽くはなるのでしょう。
「……なんとなくさとりさんの言いたいことはわかりました。では明日の見回りは少し早めに切り上げるということで良いですか」
「ええ、そうしましょうか」
ふふ、それじゃあ、この事は天魔さんにも一応報告しておきますか。後で面倒なことにならないようにね……