「さとり……さんですよね」
静かになってしまった水面に波紋が浮かぶ。1つ2つとそれは増えていき、やがて小さながらも波となった。
いくつもの湧き上がる疑問がそれらの波のように私の心を奮い立たせる。
「えっと……」
さも困りましたと言うかのようにさとりさんは目線を泳がせる。
考えている時は大体あんな感じでしたね。今更になって何を考えることがあるのやらですが。
「あちゃ……想定外ね。私は先に上がるわ」
「紫…逃げるのですか?」
さとりの目線も気にせず身勝手な賢者は隙間を展開する。
「戦術的撤退も策のうちよ」
そう言い残し紫は隙間を開きどこかへ消えていった。
1人取り残された藍が気まずそうに私達から離れていく。
「それで…さとりさんその……丸いものは」
いつまで経っても話し出そうとしない彼女に私は少しだけ苛立ってしまう。
本当はここで苛立っても無駄だと分かっているけど理性で抑えられる感情ではない。
怒り……いや、裏切られたことによる悲しみが温泉の湯のようにゆらりゆらりと心を支配する。
「……私は…さとり妖怪です」
ようやく重い口を開いてくれた。
「だからさとりさんなんですね」
思えば、さとりさんは私に対して肌を見せることを徹底的に嫌っていた節がある。なるほど…気づくこちはいくらでもできてましたね。
「うーんそれは分からないですよ」
偽名なのにそんなことを言ってはぐらかす。だけど私はそれには乗らない。聞きたいことが沢山出来てしまった。
「それで……今まで私を騙していたのですか?」
「騙していたというか隠していた…ですね」
それは結局騙していたのと変わりない。そんなに…信用できないのだろうか。
「そんなに信用ないんですか?」
「……あのね…さとりは他の人にもずっとああなのよ」
ずっと話を聞いていた靈夜さんが割り込んでくる。でも、他の人にも正体を隠して過ごしている?それは本当だろうか……
「靈夜さん?どういうことですか」
「言葉通りです……私はただ臆病なだけです」
本当なのか怪しい……だけど私が信じないでいたらこれは多分解決しない。少し不安は残るけど信用はすることにする。
「でも…言ってくれたら…」
種族は良いとしても、少しでも妖怪だと言ってくれてたら…私が今ここでこんなに悲しんだりモヤモヤして訳がわからない感情を抱かずに済んだのに。結局それがただの自己満足であってさとりさんの中で私は結局その程度だって思われていたって言う事実を認めるのが嫌で……いつのまにか私はさとりさんの中で何か特別な存在であろうとしてしまっていたのだろう。
「言っていたら貴女は私を退治しなかったんですか?」
冷たく……どこまでも続きそうな闇が私の目を覗き込む。
本能的な恐怖がそれから目を外せと言ってくるが、その闇の奥にどうしても意識が釘付けになってしまう。ここまでちゃんとさとりさんの瞳を見つめたのは初めてだろう。その奥にある得体の知れないものにようやく体が恐怖の反応を示し、視線を外させた。
「………」
「それに私は覚り妖怪……あまり知られるわけにはいかなかったんです。それに博麗の巫女の教育に覚り妖怪が関わっていると知れ渡れば……」
どうなるか分かっているでしょうと責めるような目線が私を貫く。確かにさとりさんの言いたいことは分かる。博麗の巫女の教育を妖怪がやったと分かれば信用問題に関わる。だけどさとり妖怪とバレるのが不味いとはどういうことです?
「さとり妖怪ってそんなにまずいんですか?私…よく知らなくて……」
残念ですがさとり妖怪がどういうものか私は知らない。
「私達の能力は心を読んでしまう。良いものも悪いものも全てを無差別的に……その能力ゆえに常に嫌われている身です」
さとりさんを見ているとそうは思えないけれど、向こうで鬼も頷いているし隣にいる靈夜さんもそうねと相づちを打っているあたり事実なのだろう。
「それって……」
「自覚のない純粋な悪意が最も怖い…ただ私は怖いものを見ないように目を瞑っているだけなんですよ」
「……言ってくれれば…良かったのに」
結局私はさとりさんをちゃんと知ろうとせず、それでいて勝手な感情を抱いてしまっていただけなのかもしれない。それでも何か一言言って欲しかったと思わざるおえないのは私のエゴなのだろう。
「ごめんなさい……今まで騙すようなことをして」
「本当よ……」
謝るさとりさんに対し私も少し言いすぎたと思い謝ろうとしたけど…口を突いて出て来たのは拒絶のような言葉だった。
どうして素直になれないのだろう。ここで素直になればよかったのに……
私の返答に絶望したのか、或いは諦めたのかさとりさんはお湯から立ち上がった。慌てて、黒い猫耳の少女も追いかける。
「……また私から逃げる?」
どうしてこんな言葉ばかり出て来てしまうのか…いや、結局は私自身が逃げているだけなのかもしれない。
勝手に抱いた信頼が一気に裏切りへ変わってしまう。それに耐えようとさとりさんを盾にしてしまっている。そんな自分が嫌で仕方がない。
「少し逆上せたようです…」
「そう……」
彼女の腕や頭から伸びた管が、丸い何かに繋がっている。
あれがさとり妖怪である事を表しているのだろうけれど…私はそれをちゃんと見ることが出来なかった。
扉が閉められ、脱衣所の方が騒がしくなる。その喧騒を聴きながらただ私は呆然とお湯に浸かっていることしかできなかった。
「ねえ……機嫌直したら?」
何分くらいそうしていたのかわからないけれど靈夜さんの言葉でようやく我に帰る。そういえば、靈夜さんは彼女のことを知っていたのだろう。どうして教えてくれなかったのか……見当違いの怒りではあったけれど、それを抑える術はわたしにはあまり無い。
「靈夜さんも知っていたんですよね」
ついそんなことを言ってしまう。
「まあ…一応ね」
いつもと変わらない面倒だなあという表情のお陰で少しだけ気が落ち着く。
「覚り妖怪だなんて気にしないのに……」
「あんたはそうでもさとりにとってはきついのよ」
さとりさん自身ですか……確かにそうですよね。今思えばさとりさんだって苦労しているはずなのだ。それなのに私は少し秘密にされていたくらいでどうしてあんなに強く当たってしまったのだろう。
「……」
言葉が出てこない。
「あの子は優しい…優しすぎるの。それこそ覚り妖怪である事が重荷になってしまうほど……」
「それでもです…」
「多分貴女の心を読んでしまって傷つけてしまうのも、自分が傷つくのもどっちも嫌なのよ。だから……」
「分かってます…初対面の人にわざわざ自分が恐ろしい能力を持つ存在だって教えることはできないって…でも、教えてくれてたらって思ってしまうんです」
結局は私のエゴ…それを周りに押し付けているだけでしかない。
「じゃあ貴女はさとりが妖怪だと初めから知っていて…彼女を退治できる?」
その言葉に…私は答えられない。
「それは……」
今ならまだ退治できると言える。だけどもし彼女が妖怪だと知っていて、それの上に関係と信頼を構築してしまっていたら、私は彼女を妖怪だという理由で退治することはできないだろう。
「あの子は貴女を騙し続けることでバレた時に騙してましたってことで、貴女が彼女を退治できなくなってしまうのを防いでいたのよ」
そんな回りくどいことをする必要がどこにあるのだろう?
それに私はさとりさんと敵対するなんてありえないと思ってます。だってさとりさんはずっと人間の味方を……それすら演技?そんなはずはありません。
「……」
「今の貴女なら確実に彼女を退治することが出来るでしょうね」
「……したくないですけどね」
これは本心。
「博麗の巫女として通らないことを祈るわ」
「それは……さとりさんの為にですか?」
だけど返ってきたのは意外な答えだった。
「貴女のためよ。さとりと本気の勝負なんてしたら被害だけでこっちが負けるわ」
そんなに恐ろしいのですかさとりさんって……
「そんなに……」
「それはおいておくとして……貴女はさとりをどうしたいの?」
その言葉に思わず靈夜さんを見つめてしまう。そうすれば最後、私は彼女のまっすぐな瞳から逃れられなくなってしまった。
「どうって……」
「許せる?許せない?」
そう言われて私はちゃんと心に向き直って考える。私は結局さとりさんにどうして欲しかった?これからどうして欲しい?
「そりゃ……騙していたことはショックですけど許すとか許せないとかじゃなくて…またいつものように接して欲しいと思ってます…だってあんな急に分かれて勝手にさとり妖怪だなんて分かって…でもそれだけじゃないですか」
今までショックで混乱してあたり散らしてしまっていたけど…冷静になって考えてみれば結局さとりさんは妖怪だったってだけでさとりさん自身が私を騙したくて騙していたような悪い性格でもなんでもなくて……ただ結果的にこうなってしまっただけ。怒りなんてどこかへ消えてしまった。
「随分お人好しなのね」
そう言われて見てみればそうかもしれない。
「さとりさんから譲り受けたのかもしれませんね」
「それだったらあいつが指導役やったのも無駄じゃないのかもね」
きっとそうだったのだろう。さっきは混乱してしまっていたけど私はさとりさんが妖怪だからといってもう信じないってほど酷いことができるだろうか…昔のまま過ごしていたら分からないけど今なら言える。そんなことはないって……
「なあ…お二人さん自分の中で消化はできたかい?」
先に温泉に入っていた2人の女性が話しかけてくる。ずっと話しを聞いていたのだろうか。確かに少し声が大きかったかもしれない。
1人は一本の角が額から生え、引き締まった筋肉を持つ女性。その隣は額より少し上から二本の角を生やした少女だった。
どっちも鬼のようです。見ればわかるか……
「ええ…ご迷惑おかけしました」
公共の場所だったのですが……完全にそんな意識なかったです。
「気にするなって」
苦笑いをしながらも鬼の2人は許してくれた。ある意味気さくな方たちで助かりました。
「まあさとりもあれだけど根はいい奴だからな」
「それは分かってます……もしかしてさとりさんの知り合いですか?」
さとりさんの知り合いだったのだろうか。確かに、一緒に温泉に入っているように見えましたけど……
「知り合いって言うか友人だな」
一本角の女性がそう答える。
「うん、友人だね」
それに続いて少女の方も答える。
「鬼の友人……ですか」
「おうよ友人。あ、これ飲むか?」
私の目線が少し下がったのをお酒が飲みたいと勘違いしたのか二本角の少女がお酒の入っているであろう盃を押し付けてくる。本当は小さいなあって思っていただけなんて言えない。
「結構、風呂で酒飲んだら溺れるわ」
私が困っていると靈夜さんが助け舟を出してくれた。
「ちぇ……やっぱ後で飲み直そ……」
口では不機嫌そうだけど全然不機嫌には見えない。靈夜さんは鬼のあしらい方熟知しているみたいです。
「仙人に教わったのよ」
師匠さんですか…
「なんかさとりもおんなじ事言ってたな…この前だけど」
無理に酒を進めるのはどうやら鬼共通の事らしい。
一本角の女性はそう言いながら少し赤くなった顔をお湯で流す。
「随分さとり妖怪のイメージと違いますね」
「さとりは例外に近いからなあ……」
「臆病なところと能力以外は覚り妖怪のそれを全然ついでねえ…むしろ人間なんだよな」
なんだかよくわからないですけど……それ褒めているんですよね。
「わかるわかる。だからさっきあんたが飲んだ酒奢れよ?」
「く…まだ言うか」
「あたりめえだろ」
え…急に話についていけなくなった。そもそもどうしてお酒の話になるのでしょうか。
「あんたら2人は呑気ねえ…」
靈夜さんが呆れている。鬼ってみんなこんな感じなのでしょうか。
「呑気だあ?まあ許す!」
「あ、そうだ…あとで少し食べに行かねえか2人とも。良い店知ってるからさ」
そう言いながら一本角の女性は私の肩に手を回してべしべしと強めに叩いた。
乾いた音が響いて私も背中にヒリヒリとした痛みが走る。
「新手のナンパですか?」
痛いのですけど……
「失礼な。観光客相手に少し案内するくらい良いだろ。これでも地底の管理者やらされてる身だぜ」
「なんかしれっとすごいこと言いませんでした?」
地底って確かここですよね。ここの管理ってことは実質最高責任者なわけで……
「本当の主人はさとりだけどな」
「……え⁈」
さとりさんってここの最高責任者だったんですか⁈
ものすごく意外です。
「そう言えばそんなことを言っていたわね……聞き流してたから忘れてたわ」
靈夜さん何忘れてるんですか!
……もうさとりさん関係で何があっても驚かない。うん、そうです。驚きませんよ。
「ふつう忘れないと思うんだけどねえ……」
そろそろ体も温まって来たしこれ以上は逆上せそうと感じた私は皆さんより一足早く上がることにした。
「もしかしたら…外にさとりがいるから声かけておきなさい」
「いなかったら私が連れてくるからちょっと待っときな」
靈夜さんと二本角の少女が背中に声をかける。
「そうします」
いるかな…あんなこと言っちゃった後で……でもいたらちゃんと謝ろ…
いつのまにか置かれていたタオルで体を拭きながら私は脱衣所の外を覗く。
「……あ!」
脱衣所から外を見渡すとそこにはあの黒猫が私の方を見つめ続けていた。
見た目は猫だけれどその体からは妖力がしっかりとにじみ出ている。
間違いない、さとりさんと一緒にいたあの猫だ。
そういえばさっきさとりさんを追いかけて出て行った少女も猫耳があったような……
「お燐、そんなところで見張っているのは良いが方向が逆じゃないか?」
不意に後ろから声をかけられる。思わず振り返ってみれば私の目と鼻の先に大きく実ったたわわが2つ。接触しそうになってしまう。
「おっと…すまんな」
顔を上げてみれば、未だにお湯が滴って髪で顔の殆どが隠れてしまっているが、藍さんだというのがわかる。
実際彼女とはほとんど会ったことはないけれど、特徴が覚えやすいから直ぐに思い出すことができる。
逆に特徴がわかりづらい人は毎日会ってても不意にあったときに思い出せない。
「藍さんも上がったのですか」
「あんたが少し心配だったからな」
表情が隠れてしまってよく見えないけれど彼女の言葉に嘘はなさそうだった。
「何だかんだみんな世話焼きだねえ」
また別のヒトの声が聞こえる。
再び猫の方に視線を戻してみればそこに猫はいなくて、ただ、黒猫の耳と二本の尻尾を生やした少女が立っていた。
極黒のドレスがさっきの黒猫を彷彿させる。
もしかしてさっきの黒猫だろうか。肌に流れる妖力の感覚が同じだ。
「お燐も大概だろ」
「あたいは興味があるものを観察するだけさ」
何処と無く冷めているように見えるけど…でも普通はこのくらいの感覚だろう。
いつのまにかお燐は私を見つめていた。猫の瞳が私の中をかき回すようにぐるぐると渦巻いていく。
「大丈夫かい?」
彼女の瞳に魅入られてしまっているのに気づいたのか本人がすぐに私の意識を戻してくれた。あのままでは引き寄せられてどこかに連れていかれるところでした。
「なんとか……」
「お燐気をつけろ」
藍さんがお燐の首根っこを掴んで持ち上げる。頭一つ分大きい藍さん相手では流石にお燐もおとなしくなってしまう。
「ところで、さとりに会いたいのかい?」
お燐が思い出したかのように私に聞く。
「ええ……できれば」
もちろん答えは決まっている。
「会ってくれば良いんじゃないかな?丁度あっちにいるし」
そう言って指差す方向は廊下の角の奥なので見ることが出来ない。
本当にあっちにいるのか少し不安になったけど私を騙す理由もないだろうし行って居なかったら戻って来れば良いと思い動き出す。
「……分かりました」
そう言って脱衣所を出ようとして…タオル一枚を体に巻きつけただけだった事に気がついた。
「あ…」
「服くらい着ていこうよ」
お燐の呆れた声を背に受け私はすぐに着替えを済ますのだった。
「やれやれだな」
「藍だってタオルくらいちゃんと巻いたらどうだい?」
「私はすぐに戻るから良い。それに人払いもしているのだろう」
その人払いをあっさり通り過ぎている私達の存在があるからあまり当てにしない方が良いかと…そういえばどうして人払いは私達に効いていないのでしょうか。
「そういえば私達素通りしちゃってるような……」
「ああ…多分靈夜って言う元巫女がこじ開けたんじゃないかな?壊れてる雰囲気もなかったし」
な…なるほど、靈夜さん流石です。
誰にも気づかせずに人払いの術をすり抜けて元に戻すなんて…忍者向きですね。
着替えも終わりお燐が言っていた方に向かって進む。
でも冷静になって考えてみれば、あれだけの事を言ってしまった後で会ったとしても大丈夫なのだろうか…お湯で温まっていた頭脳が冷えてくればだんだんと不安が押し寄せてくる。
私から一方的に否定しておきながら…やっぱりごめんなさいって言って許してくれるだろうか。
もしかしたらさとりさん落ち込んだまま拒否してくるかも……ああもう!どうしてそこまで考えが及ばないのよ!
さとりさんがどうであれ私の世話から戦い方から色々としてくれてたじゃないの!だけどその心配は杞憂だったらしい。
「どうして……私はラーメンが食べたいのに」
温泉に併設されている食事処の入り口でさとりさんはうなだれていた。
「こうなったら私が作るしか……でもあれは1日2日で美味しくできるようなものでもないし……そもそも工程が多すぎてすぐにできない……考えたらますます食べたくなって来ます」
しかも言っている意味がわからない。
そもそもらーめんってなんですか?造語ですか?
そんな疑問を頭に浮かべて入れば、顔を上げたさとりさんと目が合ってしまう。
「……ども」
「あ……ども」
人は急に誰かと会ってしまった時に反応ができなくなる。
結果としてよくわからない返答をしてしまいそのまま無言で通り過ぎようとする。
「なんで通り過ぎる!」
「自問自答ですか?」
うん、自問自答に近くなっちゃってます。
しかもだいぶ間が空いた気がするのですけれど……
でもいざさとりさんを前にしてみると、やっぱりなんて言えば良いかわからない。どうしても第一声が出てこなくて詰まってしまい…頭がこんがらがってまた何を言えば良いか分からなくなる。
「えっと…さとりさん」
かろうじて出て来たのはそれだけ。私は……さとりさんに何をしに来たんだ……
「はい…」
無表情なさとりさんがじっと私を見つめる。
責めることもなく、貶すこともなくただずっと待っているのだ。
言わないと…
「さっきは…ごめんなさい!」
そう叫ぶのと同時に頭を下げる。
今の私の顔を見られたくなかったし、私も…ちょっとだけさとりさんを直視することが出来なくなっていた。
「気にしてないですから良いですよ」
そういうとさとりさんは私の肩に手を乗せてきた。
私との身長差で少しだけ背伸びしてしまっているけれど。
「さとりさんは…怒ってないのですか?」
少しくらい怒られるのではないかと恐れていたけどそんなことはなく、さとりさんはずっと無言で私の頬を指でフニフニと押してくるだけ。
「どうせいつかは分かることですし、悪いのは隠していた私ですからね」
そりゃそうかもしれないですけど私は結構ひどいことを言っていたし内心だってだいぶ荒れていた……
心が読める妖怪であれば相当辛かった筈だ……なにせ私の考えていることは全て読まれていたのだから。
「サードアイが見ないと心は読めないから大丈夫ですよ」
だけど帰って来たのは意外な返答で、そう言えば温泉でもずっとあの1つ目玉の何かを隠し続けていたなあと思う。正体を隠すためではなく…あれはただ心を読まないようにしていた…
「そうだったのですか」
私の心を読んでいなかったという安堵半分、そんな安堵に自己嫌悪半分。
「まあ……気にしないでください」
さとりさんは図太いというかおおらかというか…なんだか色々包容しそうです…
それに甘えていてはいけないのについ甘えてしまう私がいた。
「さとりさんは強いんですね…」
「強くはないわ。ただ弱いから逃げ続けているだけ」
どういうことだろう。聞いてみるのも手だったけど…自分でその答えを探してみるのも良いかなって思ってしまう。
そういえば私はさとりさんのことをほとんど知らない。
覚り妖怪だということと優しいということ以外……
「思えば私さとりさんのこと全然知らなかったです」
「知られないようにしてましたからね…」
それもまた逃げているからなのだろうか。
「まあ辛気臭い話は置いておきましょう。そろそろお昼ですし何か食べますか?」
この話はおしまいと強制的に切られてしまう。本当はもっと気になることが沢山あったけど、でも全部をさとりに聞くわけにもいかないし別に聞かなくても良いかなって思えて来たこともあって、さとりの提案に素直に乗る事にする。
「そう言えばさっきらーめんとか言ってましたけど」
「ああ…あれは忘れてください。ただの気の迷いです」
本当に気の迷いなのだろうか……
それにしても…周囲がずっと夜のままだと時間の感覚がおかしくなりそうです。昼ご飯と言われたにもかかわらず感覚は完全に夕食のそれになってしまっている。
だからなのかお昼と称して蕎麦を頼んでいるさとりさんを見てるとなんだか不思議な感じがしてくる。別に蕎麦が悪いというわけではない。
さとりさんは私の方を何度か見ながら…何にも話しかけてこない。
少し焦れったいなあって思いながら私は、覚り妖怪のことについて少し聞いてみる事にする。別に他意があったわけではなく純粋な興味です。
「心が読めるって具体的にはどんな感じなんですか?」
「そうですね…サードアイで読み取った心は頭の方では映像と音声の二択で解釈しているようですけど実際にはもっと複雑でよくわからないものらしいです」
「心って難しいんですね…」
「まあ…拡大解釈がしやすいので記憶や感情、行動予測に夢の中に入るなんて事もできるので私は便利な能力だと思ってますけど」
「さとりさんって夢の中も入れるんですか?」
私が問いかけたのと注文した料理が届くのが重なる。
しばらく店員さんと会話して…すぐに会話に戻る。
深々とかぶった外套を頭の部分だけ外しさとりさんがご飯を食べ始める。それにつられ私も食べ始める。
あ…美味しい。
しばらく無言で食べ続けているとさとりさんがひと段落ついたのか話し始めた。
「さっきの話ですが混沌に近いですよ。純粋な夢って結構ごちゃごちゃして収束がつかない……一般の人からすれば狂気以外の何物でもないです」
「そんなごちゃごちゃで狂ったりしないんですか?」
「夢の住人曰く人間の無意識は大体狂気じみてるし私自身は理解不能なものは情報として入っても脳が処理できないらしく雑音みたいなノイズとして処理されてます」
だから狂うことはないですよ。
でもその言葉に少しだけ寒気がする。
確かに誰かの夢の中に入って狂うことはないかもしれないけど…でもさとりさんってどこか根本的なところが致命的に壊れているように思えて仕方がない。でもそれが何かは分からない。
「難しいんですね……」
さとりさんが少し怖くなってしまったので話題を逸らそうとする。
「そりゃ心なんて難しいですよ。私はフロイトの理論を基礎に動いてますけど妹のこいしはユングの理論に基づいて動いているせいで多少捉え方や考え方が違いますし」
なんかよく分からないけど…要は覚り妖怪にとっても心というのは難しいものなのでしょう。
それにしても妹か…なんだか一人っ子な私からは想像できないですね。
ぼけっとしながら箸を口に持って行く。
食べ物を食べたつもりがそのまま箸ごと噛み砕いてしまった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です…」
木の感触が口の中に残ってしまってなんだか嫌になる。
「でも普段から隠してたら中々使わないですよね」
「私は人の心を読むのが苦痛ですし怖いですから」
臆病というか…ものすごく人間らしいと思ってしまう。
私だって心を読めるのは便利そうだけどやっぱり怖い。
「まあ…その恐怖についてもいろいろありますから一途に能力が怖い人の心が怖いと言えないのですけれど」
やっぱりさとりさんは難しい。
でもなんとなくわかる気がして来た。
恐怖は大きく分けて『ないものがある』『あるものがない』『わからないもの』この3つくらい。
多分さとりさんの場合は最後の…わからないものへの恐怖が近いかもしれない。
でもそれは相手の心を読んで…理解してしまえば終わること。
だけど私がそれについて何か言える立場でもないしさとりさんだってわかっている筈だ。
それでもしないってことは理由があるのだろう。
交換した箸で食事を再開すればさとりさんもこれ以上何かを言うことはなく無言になってしまう。
でもその無言の中にも落ち着いて安心できると思えてしまうのはきっとさとりさんの人の良さが起因しているのだろう。
「なーんか打ち解けているねえ」
「うわっ!びっくりするじゃないですか!」
急に真後ろから話かけられたらびっくりしてしまう。振り返ってみればそこにはお燐が立っていた。
「ごめんよ。脅かすつもりはなかったんだがねえ…」
めんごめんごと謝る気すらない謝罪をしながらお燐は私達の料理を見つめる。
「お燐もご飯?」
お腹でも空いたのだろうかと思い聞いてみる。
「そうするよ。隣いいかな巫女さん」
「構いませんよ。後私は華恋です」
いつまでも巫女さん呼びはなんだか落ち着かない。
まあ普段から博麗とか巫女とか言われてますけどわたしにはちゃんと名前があるんですよ。
「じゃあ華恋さんとなり失礼するよ」
そう言いながらお燐は私の隣に滑り込んで来た。
4人用の席を確保しておいて正解でした。
「お燐お昼ちゃんと食べるようになったのね」
意外だなあとさとりさんがお燐を見つめる。僅かだけどその目に驚愕の色が出ていた。
「失礼な…普段から食べているじゃないかい」
「食べてるに入るのか怪しいのですけど…」
なにやら家庭の事情というやつでしょうか。
「まあそれは置いておいて…華恋と何を話してたんだい?恋バナかい?」
どうしてそんな発想になるんですか!猫気ままに過ぎます!
「華恋は兎も角私が恋バナできると思います?」
「……無いね」
即答ですか。いやいや私だってそんなものないですからね。
「私だってないですよ」
「なんだ…面白みがないねえ…飽きちゃいそう」
既に飽きているのか店員相手に何やら雑談を始めたお燐。料理が来るまでずっとそのままなのでしょうか。
「既に飽きてますよね」
「猫は飽きやすいからねえ…」
それは猫ではなく貴女の性格なんじゃないかと思ったけど口に出すことはなかった。