いくら大寒波が押し寄せたとしても地球が生きており季節が回っているのであれば必ず春はやって来る。
あれほど猛威を振るっていた雪も今や水となり春の陽気の下に消えていった。
数日前に秋姉妹が家を出て、久しぶりに家族だけになった家にまた来訪者がやってきたのはそんな時だった。
そういえば世の中はもう黒船が来航し徳川の幕府が終わりを迎えているそんな時だったか。
少なからず入ってくる江戸や大阪の情報を盗み聞きすればまあだいたいその時期だという確証は取れていた。
「え?結界を?」
「ええ、正確には結界を張るということを告げるのよ」
毎度の事ながら紫は唐突に現れては唐突に要件を言う。
しかも結構ギリギリになってからなので色々と困る。
結界の事だってそうだ。
会議で色々と話はつけられていたように思えるがそれを周囲に告知しているかと言われたら否。まあここにきてようやくと言ったところだろう。
会議に参加するヒト達だけの秘密として今まで通してきていた身としてはなんとも複雑ですけれど。
それが良いか悪いかは分からない。
1つわかる事といえば……
「私はもうそろそろ動きたいから火消しをお願いできるかしら」
火消しが必要なことだろう。
そりゃ勝手に結界を貼ろうものなら反発する妖怪だって出てくるに決まっている。
呑気にお茶を飲みにきたかと思えば爆弾のようなものを落として行きましたね。何しれっとしてるんですか。貴女が原因ですよ。もうちょっと小出しに情報を出したり根回ししたり妖怪や人間から賛同を集めたりしないと…そんなんだから胡散臭いとか信用できないとか…周囲の評価が信頼度マイナスに振れてるんじゃないんですか。
それに無茶なことを公然とギリギリで頼むのやめてください紫。
「どうしてこうギリギリになるんですか…」
大寒波襲来の影響か少し春が来るのが遅れているけれど貴女起きてましたよね?
寒いから冬眠していたわけでは無いんですから確実に起きてましたよね?
「仕方ないわ。私だって本意じゃないのよ」
寒いのが苦手だからと言って隙間に引きこもっているからです。
だからと言って…結界を張るということを幻想郷の住民に知らせるのが夏入る前を予定しているのにもう春なんですけれど…家に招くとかしてでも教えてくださいよ…
「断られる状況を作り出したくないのよ」
「私が断るという選択肢もありますよね」
何故それを除外しているのですか?
「だって、ここまで時間の猶予がない状態ならさとり、貴女は今から貴女以外に頼むのは無理って判断するでしょう」
「……まあ…そうですけれど」
余程のことがない限り断らないんですけれど
「そうすれば貴女が唯一断るであろう他の人にお願いしますは使えないわ」
私がそれを使うのは実際に他の人に頼んだ方が良い場合だけですよ。
「理に適っているのは認めますよ」
「じゃあお願いね」
そう言って紫は隙間を作り出す。なんだもう帰るんですか?
私の返事を聞かずにお願いねって…人使いが荒いことなんの…
「無条件で私が聞き入れるとでも?」
「勿論、報酬だって出すわよ」
そうじゃないですって。
「私を火消しに使うのは良いんですけれど…どこまでやって良いかはどうするんです?」
紫の目を見つめれば真剣な眼差しが逆に突き返される。
「貴女に一任するわ」
良いんですね紫?
私に一任するということはどこまでも誰であっても敵対するものは叩きのめすと言うことになりますよ?勿論敵対しなくなる程度に留めますけれども。
「では…私はあなたの手となり足となり…反発する者を押さえましょう」
本当ならもう少し早くから少しづつ情報を出して欲しかったのですけれども。仕方がありません。紫がそうするのなら私はそれに従う。ただそれだけだ。
「……さとり。手伝って欲しいこととかがあったら言ってね」
「珍しいですね。紫さんがそんなことを言うなんて」
「私だって友人にこんなことをさせたくはないわ」
そうでしょうね。貴女はそういうお方ですから。
「賢者達ですか……」
「直接は言ってこなかったけれど暗に貴女を試してみたいらしいわ」
まるで新しいおもちゃをもらった子供が遊ぶみたいです。
私という存在がどれほど戦えるのかをみたい……多分戦闘が大好きな方がいたのだろう。或いはこれに乗じて何か消したいものがあるのか。
「……期待を裏切って良いですかね」
「裏切ったら怒られるわよ。誰にとは言わないけれど」
ああそうですか。その時は紫が守ってくださいね。約束ですから……
気づいた頃には紫は既にその場には居なくて、ただ空っぽになった湯飲みが置いてあった。
「お姉ちゃんまた厄介ごとでしょ」
扉の向こう側で聞き耳を立てていたこいしが部屋に入って来るなりそう言う。私は家に厄介ごとを持ち込む疫病神か何かと思っているようですが誤解ですからね。
「ええ…でもすぐじゃないし平気よ」
多分すぐじゃないだろうけれどすぐじゃなくても跡が長々と面倒になる。
「だと良いけど……」
心配してくれるのは嬉しいけれどこれについては多分私が動かなくても大丈夫なのかもしれない。
ただ…向こうはそれで納得するのかですけれど。
「絶対裏で何かして来そうだね」
「だとしても何も言わないほうがいいわ」
平穏に暮らしたいなら……
「あの、さとり様」
おや?もう1人聞き耳を立てていた子がいたようですね。
「お空どうしたの?」
「その時になったら私もご一緒させてください」
「お空が?」
意外だった。てっきりお燐かこいしが言い出して来るかと思ったら真っ先にお空が出てくるとは。
「ダメですか?」
お、お空そんな潤んだ瞳で見ないで。可愛いし尊いし…うう、断れるわけない。
実際お空もこいしや幽香さんに稽古をつけてもらっているから実力はかなりのはずだ。後は実戦経験くらいだろうか。まあそれもおいおいつけていきたかったですから丁度良いと言えば丁度良いかもしれない。
「いえ…良いわよ」
「ありがとうございます!」
「良かったねお空」
こいし、最初から分かっていたわね。
「というやりとりが数時間前にありましてね」
地霊殿の会議室に鬼2人を呼んで話す内容にしては少し大きすぎる話かもしれない。
だけれど紫が私のところに来たということはちゃんと情報を共有しておきなさいということであろう。
「さとり…あたしらの知らないところでそんなことしてたのか」
やっぱり少し怒ってますよね。伝えないでずっと隠していた私の方にも責任はあるのですが…
「箝口令が出ていましたので…」
勇儀さんごめんなさい。
「まあさとりを責めるわけじゃねえが…紫めもっと早く噂なりなんなり流して方向性を決めておいてくれよ」
「私もそう思いましたよ」
だけれど過ぎてしまったものなのだ。今更何を打っても無駄であろう。恨まれ役なら買って出る。だから忘れ去られたものの楽園をどうにか作らせないと。
「勝手にそういうことを決められるとこっちも迷惑だよねえ」
萃香さんも少し怒っているようだ。
喧嘩腰と言うわけではないけれど静かに…でも確実に怒気を含んだ口調で紫の嫌味が漏れる。酒が入っていないせいもありますね。
だが怒ったって仕方ない。2人に結界の是非を問う。
答えが返って来るのは少し時間がかかり、結局その答えというのも
「うん…やっぱ反対だな」
「私も反対だなあ」
「反対ですか……意外ですね」
結局紫にとって望ましいものではなかった。当然私にもだ。
「そう言われるのも無理はねえかもなあ」
「あの隙間妖怪が勝手に賢者同士で話し合って決めたって時点で既に嫌なんだけどな」
萃香さんの言いたいことも分かりますけれど……
「さとりもこうなる結果まで分かってたんだろ?」
ええ、萃香さんの言う通りある程度は分かっていました。
だから説得や火消しを私に任せたのだ。
鬼を唯一抑えられるのは私くらいだというそんな理由。紫は多分そうだろう。
「ですが結界に閉ざされればそれはそれで楽になりますよ」
地下にいようと結界が張られた地上にいようと変わらないですからね。もしかしたら2人も地上に戻ってくれるかもしれないし。
「もし結界が作られたら、人間の営みはどうなるんだ?」
「幻想郷の人里以外はこちらからの干渉は不可能ですね」
「ならなおさら嫌だなあ」
勇儀さんどういうことですか?
「確かに人間の所業にはうんざりだよ。だけどな…人間が好きなのは変わらねえんだ」
嫌いだったら地底に人間も来ていいなんてしませんからね。
「でも地上にだって人間の里はありますよ?」
「妖怪に支配される人間の里…か」
ああ…確かに結界で閉じ込められればそうなりますね。
支配された人間の里…純粋に人間が好きである貴方達にとっては面白いものではないでしょうね。
「言いたいことはわかりますけど…」
「結局未練が残っているだけなのかもしれねえな」
「違うと思いますよ?」
「何で疑問形」
疑問に近いものだったから疑問形なんですよ。
「未練というより人間が好きというただそれだけですからね。ですがこうしなければならない事情も察してください」
人間の進化は凄まじいですから。
それに人間は恐怖というものをだんだんと忘れていく。
恐怖によって生まれた私達にとってそれは致命的なものだろう。
まあ消滅するかと言われたらまた少し違う。
今私達を生み出した恐怖は忘れ去られていくかもしれない。だけれど恐怖が無くなることはない。克服したり忘れた分だけ新たな恐怖が生まれ、また新たな闇の住人が生まれる。そういうものです。
だけれど忘れ去られた者達の楽園だって必要なんですよ。
「事情か……正直こっちに篭ってばかりだとちょっとわからねえ。実際に見に行ってみるとしますかねえ」
地上に行くんですか?
「鬼退治が起こりそう」
独り言のように漏れたその言葉に勇儀さんと萃香さんが大声で笑いだす。
「正々堂々と勝負してくれる鬼退治はあるかなあ?」
ないですね。それこそ神話とかまで行かないと…純粋に鬼に対抗できる人間がいたらそれは人間じゃなく鬼と言われてしまいますからね。人間の社会というのはそういうものだ。
「その時はさとりが鬼退治をするんだな」
「え……なんでですか」
私に鬼退治って…なんでそんなこと。
「だって紫に言われたんだろ。敵は倒しなさいってな」
まあそうですけれど…でも私が戦って勝てるかと言われたら絶対否なんですよね。
引き分けか条件付きの勝負なら十分勝機はありますけれどそれ以外の…どちらかが倒れるまで戦い続ける喧嘩のようなものはめっぽう弱い。
戦う羽目にならないようにしましょう。
「それにあたしらも一回サシで勝負したいしな」
「そうそう、さとりはさ、不利になった瞬間すぐ降参しちゃうじゃん」
萃香さんが一番知っているでしょう。だって不利になった時点でやめないと大惨事になりかねないから。
「私の実力で不利になったら後は総崩れだからですよ」
「それ1,000年くらい前の話だろ。今は流石に実力付いているから分かんねえんじゃねえのか?」
「二人掛かりで来られて勝てるとでも?」
「「え?2人同時で挑まれる前提だったのかい?」」
え?違ったんですか!
「流石に…集団攻撃はなあ……」
あ…やっぱりそこは律儀なんですね。
「うんうん、こっちの理念に反する行為だな」
萃香さんそこまで言います?
「やっぱり平和的に解決しません?」
「「そりゃ無理だ」」
「それに、あたしらがここで平穏に解決しても良いけど…」
勇儀さんの平穏ってあれですよね?殴り合い以外の勝負事ですよね。
「その場合他の鬼が怒るからねえ…」
ああ…それは困る。鬼の四天王である彼女達だからこそ統率が取れているのにそれがなくなったらもう手がつけられない。
「そういうこと。それにあたしらを実力でねじ伏せれば下も認めてくれるしあんただってそれなりに融通が利くだろ。手加減は一切しないけどな」
「え…まあそうですけれど」
うん、間違いではない。
「じゃあ決まりだな。さとり、地上でいっちょ派手にやろうじゃないか」
「久しぶりだなあさとりと手合わせできるのは」
地上でやる前提に話を進めるのやめてくれません⁈あと私が負けたらこれまずいんですけど…どっちが勝っても問題ないみたいな顔していますけどねえ!
それに貴女達が反対なのも戦って白黒つくものじゃないですよ。いっときの誤魔化しにしかならない。
「いいじゃねえか誤魔化しで」
「結局、私も勇儀も力でねじ伏せる以外の方法を知らないからね。妥協点を生み出すのも鬼にとってはこれしかないのさ」
「……わかりました。でも地上を見てからにしてそれから決めてください」
「わかったよ」