私に向けられた拳は、されど私をとらえることはなかった。
突如私と萃香さんの合間に張られた結界は、向けられた拳の威力のほとんどを受け止めガラスのように砕け散った。
破片となった妖力が空気中に拡散する。
「危ないねえ…全力で張った結界を一撃とは」
真横で声がした。それはさっき帰ると言ってレミリアさん達の方に向かったはずの人物だった。
「どうして……」
「ご主人様から言われましてねえ…戦いたくはないのですけれど仕方がありませんわ」
メイド服はいつの間にか青に蝶の模様が描かれた着物に変わっていてかなり色っぽく着崩していた。
「なんだあ…面白くなって参戦したのかあ?私は二対一でも構わねえぜい」
萃香さんはノリノリ…それどころか自身の拳を受け止めきれる相手が来て嬉しそうです。
やっぱり酔いは怖い…
「ではそうさせていただきますわ」
そう答えるなり私に一瞬だけ視線を向けてくる。
参戦ということはもちろん連携をして欲しいとのことであって…その目線はそういうことですね。
先制攻撃は玉藻さん。どこから出したのかいつのまにか握られていた二本のナイフを構えて突撃していった。その隙に私は鎖で固定された腕を切り落とす。
一瞬だけ走る痛みと、なにもなくなった感触。すぐに回復に妖力を回しながら萃香さんの後ろに回り込む。
下で何か悲鳴のようなものが上がった気がしましたけれど大丈夫ですよね。あ、もしかして下誰かいました?
振り下ろされたナイフを鎖で弾いた瞬間、真横から私が円錐状の弾幕を撃ち込む。それすら膝蹴りで弾き飛ばされた。よく見れば妖力を鎧のように一瞬だけ展開している。あれではダメージは与えられませんね。
「へえ、同時かあ…でも息はあっているのかあ?」
「それはどうでしょうねえ」
萃香さんが玉藻さんの振り下ろしたナイフを弾き飛ばし本人自体にも蹴りを与える。
間一髪でそれを避けたものの、鎖に引っ張られていた重りが彼女の背中に接触した。軽く弾かれる玉藻さん。
各個撃破を狙っているようですがそれはある種の隙のようなものだ。
真後ろに回り込めた私が彼女の腰に弾幕を撃ち込む。
いくらあなたが頑丈であっても、弱いところは確実に存在する。玉藻さんに対処していたため対応が少しだけ遅れる。
複数発が背中に接触し閃光と爆煙を放出。爆風を利用して一度距離を取る。
「やったのですの?」
あれで倒せたら苦労しないんですよ。弱点なんてあくまで身体機能の一部に直接制限を与える程度ですから。
「まだd……!」
考えるより体が先に動いていた。それは生命が危機に瀕した時に発する特殊な感覚。生存本能に基づいた回避行動だった。私とほぼ同じ考えだった玉藻さんも反対側に避けている。
刹那……
轟音と巨大竜巻のような突風が辺りに撒き散らされ私も玉藻さんも吹き飛ばされた。
幸い地面に叩きつけられることはなかったのでよかった。だけれどそれ以外は良かったどころではない。
さっきまで私達がいたところを衝撃波が通過したらしい。
一直線に眼下の地面と背後にあった山の一部が大きくえぐり取られている。パンチ1発の威力でコレですか。
「やるじゃねえか…」
爆煙はさっきので残らず吹き飛ばされたようだ。
その場所には全く傷を負っていない振る舞いを見せる萃香さんの姿があった。
「効いてないじゃないですの」
「おそらく命中直前に弾かれたんです。それでも……無傷とはいかなかったようですけれど」
「あれで無傷じゃないって…やっぱり鬼退治は嫌いですわ」
同意します…鬼の四天王ってやろうと思えば単騎で国を滅ぼせますからね。
それを相手しないといけないとなるとやはり魂を差し出す覚悟が必要でしょう。
先ほどとは比べものにならない妖気を放ち萃香さんが飛びかかってきた。
速すぎて目で追えない。感覚だけで回避を行う。サードアイからの情報も兼ねて必死に回避する。だって真空波が発生するような拳を受けたくないですから。
「こちらも忘れてもらっては困りますわよ」
玉藻さんが、殴るために一瞬だけ動きを止めた萃香さんにナイフ数本を投げつける。
高速回転をしながら銀の刃物は萃香さんの背中に突き立てられる。だけれど強靭な筋肉の影響か深く刺さることはなく表面を軽く傷つけただけに過ぎない。
ただ、注意を引きつけることはできた。
高笑いをしながら萃香さんは目標を私から玉藻さんに切り替えた。今度は私が追撃を行う。だけれどほんの僅かに出遅れたため追いつけない。左右に細かく動き玉藻さんに接近する。玉藻さんだって流石に接近されるのは嫌なのか逃げている。だけれど速度差があるせいでこのままだとすぐに追いつかれてしまう。
指を振った玉藻さんから妖気が溢れ出し、いくつもの結界が萃香さんの前に張られる。
しかしそれらは薄いガラス板のようにあっけなく砕け散る。だけれどそれは囮…
玉藻さんが懐から一枚のカードを取り出す。
「怪符『燦々日光午睡宮酒池肉林』」
周囲にいくつもの花火が咲き乱れ、鮮やかな色の弾幕が周囲に飛び散る。
しかし何ですかその名前は……
「スペルカードですわ」
それが⁈
なんだかものすごい名前だったのですけれど……ああ、身体強化を主目標としたスペルカードですか。
見れば周囲を埋め尽くしていた弾幕が一斉に玉藻さんに集まり吸収される。
その瞬間玉藻さんが消えた。
移動しただけだというのになんて速さ……通った後に僅かに赤い光が残っているから通ったであろう軌道はわかるのですけれど…
「へえ…面白くなってきたんじゃない?さっきよりかはねえ…」
高速で動く玉藻さんが…赤い光の筋が萃香さんと接触する。
萃香さんの体が大きく裂かれたように見えた。
実際には裂けていない。
よく見れば萃香さんの上の方で折れたナイフの刃が舞っていた。
それでも何度も赤い光の筋は接触を繰り返す。参戦しようにも下手に入れば巻き添いを食らいそうだ。
「速度と攻撃力はかなりのものだな」
攻撃を防ぎながらよく言いますよ。それじゃあ攻撃力があるようには見えないのですけれど。
「でもなあ……」
萃香さんの片手が拳を作る。空中で何を足場にしているのかはわからないけれどかなり足に力を入れている。
「動きが見切りやすいんだよ」
音を置き去りにして拳が放たれた。
その拳はしっかりと赤い光の元を捉えていた。
「ぎゃん‼︎」
なにか可愛らしいようなそうでないような声を残して玉藻さんが地面に落ちていった。
「これで一対一だな」
「そのようですね……」
鬼とタイマンとかやりたくないのです。ある程度ルールを決めた決闘なら良いのですが今やっているのはルール無し。
距離を取りながらレーザー弾幕で応戦。
だけれど気休めにしかならない。その全てを回避、あるいは弾かれてしまう。
「逃げないで戦おうよお」
怖いよ!なんで笑顔で近づいてくるんですか!
「想起『グングニル』!」
レミリアさんちょっと借ります!
鬼に対抗できるのは鬼と同じ存在……片手に集められた妖力を強引にグングニル状にし、追尾能力を付与。そして思いっきり投擲だ。
本当は拳銃があるのだけれど通常弾しか持っていない。萃香さん相手なら少なくとも鬼用徹甲弾を持ってくるべきだ。
ともあれまっすぐ最短コースで萃香さんに向かっていったグングニルを彼女は躱すことはなかった。
「無駄だああああ‼︎」
ただ全力で拳をぶつけていた。
嘘でしょ……
グングニルが崩壊する。
やはりコピーじゃどうしようもないですね。まあレミリアさんの使うアレだってオリジナルと言うわけではありませんけれど…
「そんなもんなのかあ?随分弱いなあ」
勘違いしているようですが私は弱いですよ。
萃香さんが懐に飛び込んでくる。せっかく距離をとったのにこれでは意味がない。右に体を逸らそうとして、二の腕から下が千切れている方の肩が熱く焼けたような感じがする。ふと見れば、萃香さんの蹴りが肩をかすめていたのか少し浅めに傷ができていた。
直撃していたらと考えるとゾッとする。
だけれどこの距離は……」
一瞬だけ萃香さん自身を想起。そのまま拳を脇腹にねじ込んだ。
吹っ飛んでいった萃香さんが山の斜面に突き刺さる。
ようやくダウンを取れた…代償として私の腕は砕けましたけれど…まあこれくらいならすぐ治る。
もう大丈夫…そう思った瞬間殺気が体を貫いた。
目の前に萃香さんが迫っていた。もう回避はできない。
咄嗟に体を捻り妖力を爆発させて体を回す。その勢いで回し蹴りを敢行する。
蹴りと殴りが交差。
接触音と何かを貫通する音が一度だけする。
吹き飛んだ肉片が地面や下にいる白狼天狗に襲いかかったらしい。何か悲鳴のようなものが聞こえていた。
「……終わりましたか…」
萃香さんの拳は私のお腹を貫いていた。勿論私の蹴りは全然届いていない。そのかわり……
「ちぃ…」
萃香さんの首元には玉藻さんのナイフがぴったりとあてがわれていた。流石に体が筋肉質で硬いといっても首を斬られたら終わりだ。
「チェックメイトですわ」
実は吹き飛ばされたのは演技。多少傷は負ったらしいけれどどうにか耐えきったようです。
「降参降参」
流石にこの状態でこれ以上何かしようとは思わなかったらしい。
血でべっとりと汚れた腕が体から引き抜かれる。
うえ…なんだか気分が悪いです。引きちぎれた臓器の一部が背中の傷からこぼれ出している。これ骨も逝ってますよ……
「大丈夫なのかい?」
殴った相手が言いますか。
「ええ、回復に時間がかかるくらいですよ」
実際脳と心臓がやられていなければ回復はできる。実際この程度の傷からも回復した経験があります。
「むふ…私がある程度楽にしてあげますわ」
「お願いします」
玉藻さんが私のお腹に手を当て呪文のようなものを唱え始めた。
少しづつ緑色の光が玉藻さんの手から放たれ、骨が砕けて筋肉も裂傷していた腕が治る。さらに空いていた傷も少しではあるけれど塞がった。
「少し穴が大きすぎますわねえ……」
「これでも十分すぎますよ」
「水天日光天照八野鎮石を使えればもっと回復させてあげられますのに」
何ですかその長い名前は……
「うーん…なんだか昔聞いたことのあるような……」
「萃香さん知っているんですか?」
「名前だけは聞いたことあるんだけれどなあ……」
そうなんですか……まあ無い物ねだりをしても仕方がありません。諦めましょう。
それにしても内臓まで一気に吹き飛ばされたのには驚いた。いやあ…さすが萃香さんです。
ところで吹き飛んだ内臓はどこに行ったのでしょう。
放っておいてもすぐに消えるのですけれど流石に放置したままにするのは忍びない。
あたりを見渡してみると、遠巻きに私を見ている白狼天狗さん達がいた。
下半身が動かないので少しだけ浮きながら近づいてみると、千切れた内臓を持っていた。ああ、頭に当たってしまったようですね。
「すいません大丈夫でした?」
「あ…あ…だ、大丈夫……」
顔面蒼白ですがどうしたのでしょうか?流石に内臓を持つのは気持ち悪いのでしょうか…
「気分が優れないのですか?」
「い…いえ……その…」
どうにも歯切れが悪い。
あ、もしかして血で汚れました?服白いですし血がつくと目立ちますよね。手もベトベトのようですし…
その若い白狼天狗の横に今度は鴉天狗が並ぶ。あら…貴女も顔色が優れないようですけれど…まさかお腹を殴られたのが影響しているのでしょうか。早めに病院にいかれたほうが良いですよ。
それで…あ、私の手を拾ってくれた方ですね。
「私の腕ね…ありがと」
「い、いえ…その……」
回収した腕と内臓をまとめて燃やす。
こうでもしないと私の体の破片を悪事に利用される可能性がある。私じゃなくても普通はそんなリスク誰にだってある。本来は放っておけば消えますけれど山の場合は念を入れておく。
「あ…うあ……」
なんで震えているんですか?ただちぎれた肉片を燃しているだけじゃないですか。
「な、なんでもありません……」
不思議ですねえ……
「さとり、あんた鈍感すぎるだろ」
「そのようですわ」
なぜか2人に怒られた。わけがわからない。
「そういえば最近宴会やっていないわね?」
どうにも1日が暇でしょうがないように思える。今までの生活を繰り返しているだけだというのにだ。その原因を探ってみれば記憶では宴会をやったような気がする。
「そりゃ昨日やったからに決まっているだろ」
縁側で寝っ転がっていた魔理沙が独り言に入ってきた。
「でも前までは毎日やっていたような気がするわ」
記憶にはない。というよりここ数日の記憶が抜けているような気がするのだ。
「考えすぎじゃねえのか?」
「魔理沙が考えなさすぎなのよ」
もしかして異変かしら?でもその様子はもうない。
後で紫に聞いてみましょう。