脳に響き渡るのは私の息遣いと駆ける足音。
血を失いすぎたのか視界が歪み始めた。
背後から彼女が追いかけてくる気配はない。それが唯一良かったと言えることだろう。
一歩一歩が重たい。空を飛べなくなったのがついさっき。妖力がそこをついたのかただ単に回復に回しているからなのか今では足元すらおぼつかない。
それにいくら体が再生すると言っても短時間で血を失い過ぎれば失血性ショックにだってなる。
体が寒い…これはいよいよまずい状況です。
今までこんなことは…あ、一度だけフランと戦った時にありましたね。
でもここまでひどくはなかった。傷口が止血される前に流血を防いでいたものを抜いてしまったからだろう。
だけれどあの場合仕方がない。
それでも唯一こいしの行ったであろう方向と、こいしが危険を冒してまで残してくれた妖力痕を辿りに森の中を歩いていけば視界が急に開けた。
完全にぼやけてピントが合わない視界が明るさで白く潰される。
ようやく目が光になれたところで、少しだけ周囲の様子が理解できた。
目の前にはひときわ立派な建物が建っていて……
視界が回転する。失いかけていた体の感覚が地面に私が倒れたのを教えてくれたものの、それを理解する前に私の意識は途絶えた。
体が軽い。最初に思ったのはそれだった。
死んだというわけではないだろう。いくらなんでも私の体があれで死ぬとは考えられないしあれで死ぬのであればもっと早くにくたばっている。
ということは生きているということだ。まあ珍しくもなんともないだろう。でもどうしたことやら……
もしかしてこれは夢で目を開ければ覚めるのではないだろうか?
目を開けてみる。
いきなり意識を覚醒させたからか目に飛び込んできた明かりを処理できず視界が白くなってしまう。少しして正常になった視界を頼りに周囲の状況を確認してみる。
知らない天井ですね。何度か似たような天井は見たことありますが……
「目が覚めたか」
視界の外で誰かの声がした。一瞬誰だと聞こうと思ってその声が誰なのか思い出したから言うのをやめた。
「……ここは……いえ、どれほど寝ていましたか?」
ここはどこ?と聞きかけて質問を変えた。隣にいるのはあの軍神…神奈子さんなのだ。ここがどこかなど一瞬で理解できた。
次に体を触ってみる。腕自体はしっかりと動くらしい。どうやら特に包帯を巻いたりというのはないらしい。出血も止まっているからか、体にこびりついた血が黒く変色し固まっていて、私が動くたびにボロボロこぼれ落ちた。
「倒れているところを見つけてからまだそんなじゃない。30分も経っていないさ」
どのような感情が入っているのか…相手はどのようなことを考えているのか…能力を使いたくもなったけれど相手は神様。あまり相手にするべきではない。
まあ素直に今は喜んでおきましょう。
「そうですか……」
体の方は相変わらずですがだいぶマシになった。これなら家に帰るくらいは保ちそうです。ふらふらしているのに変わりはないのですけれど……
それに時間も30分しか経ってないとなればまだ霊夢はここにきていない。くる前に退散しましょう。
かけられていた布団をめくって体を起こす。痛みが全身に走ったものの、そこまでのものではない。痛覚の遮断も相まって大したことはなかった。
「動かない方がいい」
それでも一瞬痛みに顔でもゆがんだのかもしれない。
心配してくれているからなのだろうか?それとの今ここで動かれて倒れるのが嫌なのだろうか…サードアイは隠しているからわからない。
体を起こして周囲を見ればどうやら縁側に面している部屋らしい。何もない…客用の簡素な部屋だった。
布団の隣にいた神奈子さんの表情は驚きに近いものだった。確かにこの傷で動こうというのは異常かもしれません。ですが霊夢に会うわけにはいきませんから。
「心配ご無用です」
ただ一言こう言っておくことにしよう。
「まあそう言うなら……私は止めないがな」
無理に止めようとはしてこなかった。まあこれから博麗の巫女がやってくるのだから私にかまっている時間はないのだろう。
それでも私の側にいたのはもしかして気を使っていたからだろうか?
「それはありがたいです。今度お礼しに行きますね」
お礼…やはり普通にお饅頭でももって行こうか…それとも節分に合わせておはぎでも作ってもって行こうか……
一瞬部屋の隅に別の気配があることに気がついた。それはこちらをみていて…でもその存在がなかなか視認できない。というより感じ取れない。不気味な存在だった。
「貢物か。ならばその時じっくり話し合おうではないか」
振り返れば彼女は笑っていた。その笑みはなんだか怖くて信用のできないものだった。
でもそれは大賢者やトップである存在がいつもする笑みだったのでそこまで怖いとは思わなかった。信用はできませんけれどね。
「ええ…ゆっくりと話し合いましょう」
決裂にならんことを……
ついでだからなにを話すのか聞いておけばよかった。まあ…たわいのないことだと思いたいです。
傷口が開かないよう注意しながら飛び上がる。そう遠くないところで霊夢の気配がした。まっすぐではないけれど確実にこちらに近づいている。
間一髪と言うべきだろうか……
いやそうでもないか。
高度を上げていた体がガクンと下がる。
おっといけない…体を支えるのだけでも精一杯でしたね……
力のほとんどは回復に回していたのだ。仕方のないことだ。
ゆっくりと飛ぼう……
「やはり異質だな」
開け放たれ、やや肌寒くなった外気を部屋に入れる入口となった襖の先を見つめながら神奈子はそう呟いた。
「妖怪として見ればかなりね。私たちから見てもあれは異形の部類に入るね」
そのつぶやきを拾ったのは陰で一部始終を見ていた諏訪子だった。諏訪子の隠蔽は完璧だったが…途中でバレていたぞ。意識がそっちに向いていた。
「そもそもあの状態で生きていられる事自体がおかしいのだがな」
お腹に大穴。片腕をなくした状態だ。出血多量とショックだけでも死にかねない。体というものは案外脆いものなのだ。それに縛られる魂も同様にして。
「呪いだよ呪い。生に縛られた呪い」
なるほど呪いか。そうであればあの状態で生きていられるのも納得である。
「あいにく私は専門外だからな」
どういう原理かはわからないが…ありゃ敵に回したら面倒だ。倒せないことはないだろうがああいうのはなにをしでかすかわからない。死にとらわれない存在がいかに恐ろしいかは身をもって体験したからな。
「呪いまで専門にされたら私の居場所が消えちゃうよ」
ちゃらけたように彼女は笑った。こっちは笑えんさ。
「よく言うな。お前なら私が呪いを専門的に扱うようになったら別のもので対処するだろう」
「そうだねえ…手始めに信仰を奪いますか」
しれっと冗談のようなことを言うが彼女の場合は全然冗談に聞こえないから困る。
「おいおいここで神の戦いを起こすつもりか?そりゃ勘弁願いたいね」
最悪山二つ消えることになるな。なんて被害計算をすれば目を瞑りたい。昔はともかく今それをやるととんでもない。
「私もだよ。でも外の世界でやってもいいんだよ」
ああ…そりゃ確かにいいかもしれない。
「そりゃいい。カルト教に染まった奴らをついでに吹き飛ばせる」
まあそんな事をすればあの世から苦情が来るだろうな。死人に口なしとは言えあの世の奴らは結構言いたい放題だからな。
この話はやめよう。考えただけで頭が痛くなる。
「しかし…見たことない種族だな」
「だよねえ…あの子なんの妖怪なんだろうね」
後ろからお姉ちゃんがしっかりついてきているのか。それを知る術は私には無かった。
やろうと思えば出来るけれどということは多い。だけれどそれをするには準備が必要だったし今からできるようなものではなかった。
「こいし様……さとり様は……」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんなら心配いらないよ」
心配するお空をなだめながら飛んでいたからだろうか…それともさっきまでの戦闘の興奮が覚めないからだろうか?私はとんでもない見落としをしちゃっていた。
空で飛んでいるとかなりの速度が出ているからまだ大丈夫って言う感覚はあてにならない。それはお姉ちゃんに最初に教えてもらったものだったのに……
「あらあんたたち……」
やば…鉢合わせちゃった……
「げ…霊夢!」
今から木々の合間に逃げるなんて間に合わない。
「何よその反応!ってフードのやつがいないじゃないどうしたの」
不機嫌そうに私達を見る霊夢。でもそっちこそ魔理沙の姿がないんだけれど……
「えっとね…はぐれちゃった。そっちも魔理沙がいないけれど」
「……魔理沙とは別行動よ」
別行動?そうなんだ……魔理沙はどこにいるんだろう。弾幕ごっこなら魔理沙の方が楽しいのになあ。
「それでどうする?なにもしないならこのまま通り過ぎたいんだけれど」
戦わずに済むのならそれに越したことはないからね!
平和的解決が一番だよ!
「そうね……でもこっちだってそれは嫌なのよ。あの子に聞きたいことがあるし」
でもそういうわけにはいかなかった。
スペルカードを取り出して戦闘態勢に入っちゃった。
おかしいなあ…普通この流れなら戦わないで先に行くと思うのに。
「普通戦わなくない?」
「あんたらが守矢とつながっていない保証はないし…あのフードの子について教えてくれるかしら?そしたら見逃してあげるわ」
それは無茶なお願いだよ。ほらお空だって流石にそれはダメって首振ってるよ。
うん、ハルノートみたいなものだね。それか継続戦争の講和条約とか。
「うーん…困ったなあ……」
腕を組んで大げさにジェスチャー。あー困った困った。
八方塞がりだし……
あ!そうだこの手があった‼︎
「じゃあ逃げようか」
「そうだね逃げようか」
お空の同意も得られた。ならばやることは一つ‼︎
来た道を戻る。ついでに高度も下げて飛ぶ。向こうが見失いやすいようにやれることはやらせてもらうよ。
「逃がさないわよ‼︎」
やっぱり追いかけてくるかあ…仕方がないなあ。このまま神社まで引っ張ってそこで振りほどこう。
弾幕が背後から迫ってくる。
お空と息を合わせてこっちも弾幕をばらまく。
私の青みがかった弾幕とお空のオレンジ色の弾幕が交ざり合って壁となる。
これで振り切れるかと思ったけれどそうそう甘くはない。
弾幕の壁に極太レーザーが穴を開けた。
うわ…さすがお姉ちゃんを師にもつだけああるねえ……しかも足も速い。
ああ…フラフラする。流石に三十分だけじゃだめでしたでしょうか?でもそんなことはないから多分気合の問題。
風が舞い降り、目の前に人影が現れた。
視界をあげる気力もないので少しうつむいたまま…顔を合わせず通過しようとして声をかけられた。
「……お、さっきのフードの…ってなんだその怪我‼︎」
ああ…魔理沙さんでしたか。霊夢は一緒でないところを見ると……別行動のようですね。
「魔理沙さん?」
でものんびりとはできませんからここは素通りすることにしよう。
「おいおい流石にそれはねえって‼︎こっちこい!今治療……」
でも私の体が気になったのか血相変えてそばに寄ってくる。いや…確かに初めて見る人にしてみれば大怪我でしょうけれどこれ全然大怪我じゃないですからね?二、三日…まあ一週間あれば治りますからね。
「結構です」
事情を知っていればこんな傷大した事ないのだ。
「結構って言ったって……あ?お前どこかで見たような……」
そういえば魔理沙とは何回か顔を合わせていましたね。昔の記憶でしょうけれど昔のそういう記憶ほど覚えている場合が多い。
気づかれる前に退散しましょう。
「あ!おい待て‼︎」
「いやです。それに、貴女達にはやるべきことがあるのでしょう。ならばそれをやりなさい……」
風でフードがめくれ上がってしまう。ああ…顔が見えてしまうじゃないですか。
「お前…まさか」
その言葉を聞くのと同時で私は空を駆けた。
いくらなんでもここで私を追いかけてくる選択は向こうはとれなかった。
実際彼女の本来の目的とは真逆の方向ですからね。やれやれ……
今ので随分と体力を使ってしまった。
まあ家に着くまで保てばいいのだから……ね……
「さとりが負傷したと聞いたが……それはまことのことか?」
薄暗い室内に天魔様の声が響く。
「間違いありません。神社の監視についていた白狼天狗からの情報です」
「そうか……あのさとりを負傷させるか……」
「後で報復攻撃を行うしかないようだな……」
殺意を抑えるのに大天狗が苦労したとか何とか。