紫とその後も少しだけ話をして、再び宴会場に戻って来ればさっきより人が増えてきていた。この様子だと普段よりも多くの人が来そうですね。まあ時期が時期だから年末の忘年会も一緒にしちゃおうとか考えているのだろう。
なんにせよ人混みのあるところでは姿を隠しておくのに越したことはない。
こいしも私と同じように気配を消して人混みの中に隠れているようだ。まあ…異変の本人とその解決者がメインである分私の方へ意識を向ける人は少なくて良いです。
おかげで静かにできている。何人かは私への悪意は無いようですけれど全員が全員そうというわけではありません。だから人が多いところでは必然的にヒトらしい態度を取る者も出てくる。
そう言う輩の心は人の私を壊すには十分すぎる。故に私は…それらから逃げたくていないふりをする。
外套を深めにかぶっていればたとえ私の存在が目に入っても基本話しかけようとはしない。
「こんなところにいたのね」
ただ一つの例外を除いては。
「気配を消しているのによく分かりましたね」
声をかけてきたのは霊夢だった。もう既にみんなと交ざって酒を飲んでいるのか少しばかり頬が赤くなっていた。そんな状態でよく私を見つけたものだと感心してしまう。
「わかるわよ…母親なんだから」
ああそうか……そうでしたね。少しづつですけれど周囲の視線が集まってくる。霊夢に対する視線が多いけれどそれはやがて隣にいる私の方にも向いてくる。せっかく無意識に入り込めていたのにこれでは意味をなさない。なんだかなあって思ってしまう。
「それはあまり言わない方がいいですよ」
挙句さっきの母親発言である。幸か不幸か私の周囲にいたのが天狗たちだったということだろう。それでも……こういう行事事に顔を出す天狗は情報収集を兼務しているかもの好きくらいなのですぐ噂として広まってしまうのは確実である。通常は……
「関係ないわよ。事実でしょ」
天狗、特にトップや射命丸を筆頭とする情報収集を仕事とする人達にとっては公然の秘密になっている。だから今更天狗側だってこんな事をいちいち周囲に知らせるようなことはしない。そう意識してしまうようにしたのだ。
そもそも公然の秘密なのだから誰もが知っている。誰もが知っていることを新聞にわざわざ載せるくらいであるのならそれこそ今回の異変について事細かに載せた方が新聞購買率にも影響が出ると言うものだ。文を筆頭とした新聞社の連中は大体そういう考えである。
「そもそもあんただって今回の主役なんだからね。こいし共々隠れないでよ」
呆れたような…ちょっと悲しいようなそんな感情が霊夢の声に篭っていた。
そんな悲しまなくてもいいのにと身勝手なことを考えてしまう私は母親にはやっぱり向いていない。
そもそも私がこうして隠れている原因というか理由なんてごく単純で勝手な感情ゆえのものなのだ。ただ単純なものだからこそ揺れ動くことが少ないとも言える。
「……怖いんです」
周囲の視線の大半は好奇心。だけれどそれに交ざる悪意と敵意…マイナスの感情。それをサードアイが読み取ってしまいそうで怖い。
「怖いって…ああそういうこと」
察しがいいですね。でも周囲に睨むのはやめなさい。彼らは別に悪くないのよ。純粋に…ヒトとして当たり前の反応をしているだけなのだから。
「いわれのない悪意…私は強くないんです」
正直言って妖怪の中では最弱の心だろう。ここ数百年で分かったことである。私はどうも意識過剰…というより周囲の悪意をサードアイは検知しやすいらしく人混みや私をさとり妖怪と認識してさとり妖怪に対する思考をしている不特定多数の人が存在する状態では使用できない。というより使用したら確実に心が壊れる。
だからそれが怖くて私はあまり社交性が良くない。種族のトップやある程度の知識を持っているもの、それと純粋に好意を寄せているものくらいしか実際会っていない。それでも私の知識の中の時よりかは断然良いのだろう。
だからというかなんというか…別に大勢の前でさとり妖怪ですとする必要性がない。そもそもそんなことして一体何になるというのやら。そんな事すれば向こうだって悪意を持って対応するに決まっている。
それが結局隠れるという行為に拍車をかけてしまっているのだろう。
「なんか気にくわないわ」
私のそばに腰を下ろした霊夢が酒を飲みながら周囲を睨む。博麗の巫女の実力からだろうか。こちらを見ていた人達はすぐに視線を元の方に戻した。
少しばかり静かになってしまったけれど酒が入っているからかまたみんな騒ぎ始める。
その頃になれば周囲の者もこちらを気にしなくなってきた。なので霊夢と会話に戻ることにする。
「生き物として正常な判断をしているだけですよ。それを責めることは不可能です」
「正常な判断が正しいとは限らないでしょ」
私の頭に手を乗せた霊夢がそう反論する。
「いいえ、案外正常な判断は結構正しいですよ。何を基準にするかにもよりますけれど……」
要は私の能力はどこかの巨大人造人間が戦う世界において言えばアンチATフィールドのようなものなのだ。
ヒトは必ず個を確立させる為に心に壁を作っている。それが個を作り出す形になっているのだから壁というよりむしろ器だろう。
私達の能力はその器の中に入り込み中に溜まっている液体と混ぜかき乱すのと同じような行為だ。
そういえば霊夢はものすごく深刻な顔で頭を抱えてしまった。
「あんたの話…具体的すぎてつらいわ」
イライラを消し去るかのように酒を煽る霊夢。ほら主役がそんなんじゃ周りも困りますよ。まだ午後四時である。これからどんどん人がくるのだ。だから今からそんなんではダメよ。酒じゃなくて水にしなさい。
「具体的じゃダメ?」
「ダメじゃないけど…ああそういうことって理解してしまう私が許せなくなりそう」
そういうものなのだろうか…そういうものなのでしょう。自分で自分を許せなくなる感情……それは私もよく発生する。
「貴女が深く悩むことないのに……」
私はよくそう言われた。
「悩むわよ…私の母さんの事なのよ」
だとしても結局は他人であることに変わりはない。ヒトはどこまでいっても他人の枠から逃れることはできない。他人の枠から外れたら?意識が融合します。
「じゃあせめて……」
霊夢が急に動き出す。何をするつもりなのだろう?
「霊夢?」
体がふわりと持ち上げられ、視界が横にずれる。
「こうさせて」
膝の上に私を乗せた霊夢が背中側から抱きつく。これではどっちが子で親なのか分からない。
というより私は抱き枕か何かなのだろうか?
霊夢の膝元に乗せられたせいで色んなところから視線が来始めた。
奇異の目線…好機の目線…様々である。
その中に、お空のも交ざっているのに気がつく。軽く手を振ったらすぐにこっちに来た。
「あ!さとり様いいなあ…」
よくないわよお空。注目の的にされているのよ。
なまじ純粋な目線でそう言ってくるからある意味対応に困る。無下にすることは出来ないしだからと言って良いものでもない。苦笑するしかなかった。
注目されたくないのにどうして……
私が呆れている合間も参加者が続々とやってくる。まあ…いつもの宴会と大して変わらない。というよりいつも酒飲んだり騒ぎたいという理由で宴会があれば大体皆やってくる。暇人なのだろうかと考えてみたは良いものの結局暇人だったのだから考える必要なかった。
どうでも良い思考を巡らせる事で周囲の雑音を全て消していたら、誰かがすぐそばに来たせいで全て中断された。
「おや、さとり。いい席にいるじゃないか」
片目を開けて隣に来た人物を確認すれば、鬼が2人。
勇儀さん。ここが良い席だというのなら今すぐに代わって差し上げますよ。ほら霊夢。勇儀さんが座りたいって言っていますよ。
「あんたでかいから無理よ」
なんだその理由……
「じゃあ小さかったらいいのか?」
あ、萃香さん……
「母さん以外禁止」
母さん言うなし……変な目で見られますよ。再び瞳を瞑る。その際周囲の思考が少しだけ読めてしまう。サードアイが服の隙間から外を見てしまったようだ。
人形かと思った…と寝てるのかと思った…ですか。そりゃまあ霊夢に抱きかかえられてからずっと微動だにしていなかったから仕方がないとはいえ……
「ははは、さとりを母親とはまた……」
なんですかその言い方…意外だったとでも言うんですか?確かに意外ですけれど…鬼だって人の子を育てる事結構多いじゃないですか。
「珍しくもないね」
「面白いな」
確かに珍しくはない。実際何回か母親として人間を育てたことはある。
だけど面白いってなんですか。
「しかしまあ…霊夢も育ててたのか。てっきり仙人に任せっぱなしかと思ったんだけど」
ああ……確かに世間に向けてはそういう発表にしていましたね。
「むしろ仙人の方が私に任せてきましたよ」
博麗の巫女としてのイロハしか教えなかったですからね。でも私だけじゃ手が足りないから紫も動員したり……
「出来れば私も聞かせて欲しいぜ」
魔理沙口軽そうだから嫌です。
「おや、面白そうですねえ。情報解禁なのでしたら話を聞かせてください」
文さんまで寄ってきた。新聞のネタならもう間に合っているでしょうに……
「布団、富士山、洪水」
じゃあ仕方がない。こうなったら話しますか。
「ああ‼︎いけない!この事は秘密規定だったわ」
霊夢が素早く私の口を塞いできた。
仕方がありませんね。人は誰しも知られたくない過去が沢山ありますから。
とまあこんなことがあったけれど、特に騒ぎが起きることはなく何だかんだ平穏に宴会は終わった。鬼と天狗で揉め事があったようだけれど大した事ではないから騒ぎではない。
だけれど一瞬やばそうな雰囲気を出している妖怪とかはいた。記憶を思い起こせば確か山の実権を握ろうとして私が痛めつけたやつとその取り巻きだったり結構どうしようもない奴らだった。まあ…宴会ということもありこちらに手出しはしてこなかったもののアレは絶対悪意を放っていた。サードアイほとんど展開しなくて良かった……
でもちゃんと常識をわきまえているあたり根しか悪くないのだろう。だけれど…やっぱり私はああいうのには慣れない。もういっそのこと眼を閉じた方が良いのではないだろうか……
「ねえこいし」
ふと同じ炬燵に足を入れている妹に聞いてみた。
「どうしたのお姉ちゃん」
何かの本を読んでいたこいしが顔を上げて私を見つめてきた。
「私が心読めなくなったらどうする?」
まだ仮定の話だ。だけれどもしかしたら起こってしまうかもしれない事実。
その事を聞いた瞬間こいしは一瞬私を深く見つめて……なにかを理解したらしい。察したのだろう。
「どうするって……うーん…お姉ちゃんはお姉ちゃんだからその選択も受け入れたいけど…すぐに受け入れるのは無理かなあ…」
少し困ったような…寂しいような…いろんな感情が瞳に現れる。相変わらずの笑顔だけれど……
「まあそうよね…覚り妖怪が心を読めなくなったら一体何になるというのやらよ」
「アイデンティティの確立が出来ないから自己を保てないんじゃない?」
ああ、確かにそういう可能性の方が高いですね。でもそれは…
「それって妖怪にとっての死よね」
自我が喪失する場合は大きく分けて2つ。
単一性の個体へなる為に個が集結し統合される場合。
自分が自分である確証が持てずそのまま消失してしまう場合。
この場合は後者だろう。
「まあね……でもそうなったら私が覚り妖怪っていう種族の最後ってことかあ……」
私の足にこいしが足を絡ませてくる。
「まあどちらかが覚り妖怪であれば片方もそれに付随するアイデンティティが残っている場合にのみ自己を保つことができるかもね」
これは単なる願望に近い。だけれど可能性として否定することはできない。
「そういうものなのかなあ…」
懐疑的だけれどそれでも理解はしてくれたらしい。
「そういうものでしょうね」
絡ませてきていた足を軽く横に退ける。ついでに剥いた蜜柑をこいしに投げつける。少しカーブがかかった蜜柑をこいしは口でキャッチする。
「そしたらお姉ちゃん能力どうなるの?今は心を読む能力でしょ」
蜜柑を咀嚼しながら彼女は目を輝かせて聞いてきた。
「程度の能力なんてただの解釈による能力の固定化だから正直心が読めない程度じゃ能力は消えないわ…多分心に関する別の能力を発揮させるかも」
「詳しく」
こいしはそっちに噛み付いた。やっぱりこいしは研究畑が合うわね。
でもほとんど思考実験のようなものだから裏付けは不可能である。唯一私が実践する以外では……