地底であたいが溺死しかけてから数日が経った。あたいの体もほとんど完治。水への一時的なトラウマもいつの間にか消えていた。
戻ってきてから最初は地上に残っていた妖怪たちから質問責めにあったり地図とか情報整理などで引っ張りだこだったさとりを含めたみんなも、ほとぼりが冷めたのか聞き出すことは聞き出したのか最近はおとなしくなっている。
だんだんと季節が変わっていくのを感じながらあたいもいつもの日常に戻っている。
ただ、今日はなんだかいつもと違った。
いつもどおり庭で採れた野菜を山の妖怪に売りつけ帰路に着いたはいいのだがどうも誰かに見られている。
帰路になってから誰かの視線が全身をチクチク刺すように流れている。おまけに…
普通の妖怪や人間には分からないように隠されてるけどあたいのような小動物や半獣に近い子ならこの程度はすぐにわかる。
それにさっきから独特の匂いが鼻につく。
くさいとかそう言うわけではなく……この匂いはあたいら特有の獣の匂い。
それも妖力混じりのものだ。もう少しはっきり匂いがすればどの程度の実力かもわかるんだけどなあ。わかったところでどうするわけではない。ただ、猫のあたいをつけまわす物好きが誰なのか興味が湧いた。
まだ時間はあるし匂いの発信源でも辿ってみるかねえ。
嗅覚を一時的に鋭くする。途端に感じられるようになる森の匂い。生命の出す特有の匂い。
それらが混ざり合い調和し…綺麗な流れを生む。
その中からあたいが探している対象の匂いを探る。
……おかしい。
十分以上探し続けたのに一向に見つかる気配が無い。
確かに少量だから位置まではわからないかもしれないけど流石に匂いのする方向くらいはわかるはず。
あたいの鼻…バカにでもなったかなあ。いやそれ以外の匂いは普通に感知出来ているからやっぱりこの匂いが独特なんだと結論付ける。
ん?待て待て、この感覚初めてじゃ無いよ。
何かに似ている。この…得体の知れない観測不可能な意識と言うべきか…この場合匂いだけどね。
つい最近…どこで感じたんだっけな。
えーっと、あたいが家にいるとき……
で、さとりはいなくて……
「……ああそうか」
なんだ、あれと一緒なんだ。となると……
あたいの動きを観察するなら絶対上空。それも後方より前方…そっちの方が意識が向かない分、心理的にも死角になりやすい。
だいたい見るときはそう言うところから見てる事が多いって前にさとりが言ってたっけ。
「なーにコソコソしてるんだい?」
後方上空に向けそう言い放つ。
途端に獣の匂いが濃くなる。やっぱり後ろで見ていたみたい。でもなんで獣なんだろう。
そういえばついこの前初めて式が出来たとかなんとか聞いたっけ。それはどこ…で?
「……流石、紫様のご友人の家族ですね」
空中に空間の割れ目が現れ、その真ん中がパックリと割れるように広がる。
空中に、黒と目玉に支配された異世界が現れる。
その空間から女性が出てくる。
金髪のショートボブに金色の瞳、その頭には角のように二本の尖がりを持つ紫様のに似た帽子が乗っている。
ゆったりとした長袖ロングスカートの服に青い前掛けのような服が被っている。なんだか道教みたい。
そしてきわめつけは、その腰から生えた九つの尻尾。
そう九尾。あの妖獣の中でも上位に入る。ある意味神に最も近い妖怪だ。
わたしより少し大きい程度のその姿からは想像できないほどの妖気と…神気が流れ出ている。
それらが混ざり合い、あたいの体を包み込む。
すでに神格を持っていると言うことは相当の強さだ。あまり敵対したくはない。それにしても何かがおかしい。
妖怪から神になったにしては神気が純粋すぎる。
普通、妖怪や人間が神になった場合と元々が神だったものとでは神気の性質が異なる。
簡単に言うと何かと混ざっているか混ざってないって言う違いだね。
まああたいには考えてもわからないや。
「……もしかして式神かい?」
「ご名答、八雲紫様の式。藍だ」
ほっそりとした狐目が更に細まる。獲物を狙うようなその目線に、寒気が走る。
「ふうん…それで?九尾があたいになんの用だい?」
その声が少しだけ震えているのに気づく。あたいでも知らないうちに生命の恐怖が体を支配しようとしている。
多分相手もそれが狙いなのだろう。
本気で襲ってくるようなことはない。だって紫の式なのだからね。
そう思えば無意識に抱いていた恐怖も自然と消えていった。
単純なあたいで助かったよ。
「顔合わせをしてこいと言われたもので。ついでに試してたんだが」
「わざわざ猫又兼火車のあたいにご苦労なことだね」
顔合わせねえ…どう考えてもあの二人の共謀だろうね。なんのためにしてるのかは知らないけどどうせどっかでまた見てるんだろうね。
「それで…あたいは見ての通りこれから帰るところだけど…何をお望みなのかな?」
「いや、特に望みなどない。付いていくだけだ」
あ…そうなんだ。てっきりなんかしてくるとかは無いんだね。でもそんな見下したような言い方だと……まあ相手の方が格上だし闘志すら削がれるほどの実力差ってのはわかっているからいいんだけど里の人にはもうちょっと目線を下げてやってほしいな。
せっかくいい関係が築けてるんだからさ。
「まあ、あたいは構わないよ。ただ里の人たちには手を出さないでほしいなあ」
「私がそのような愚行をするとでも?」
表情は変わらないけど眉がピクって動いた。もしかして格下にどうでもいいような注意言われてイラっとしたのかな。
「だっておねーさんさっきから威嚇してて怖いんだもん」
あたいは誰が相手でも態度を変えない。
そもそも猫相手に格上だとかなんだとかって言うのは無闇に近寄ったり、襲われないようにってだけで敬えだとかそう言うわけではない。
「すまんな。ちょっと力を出しすぎてたようだ」
それでちょっととか言えてるあたり規格外だなあって感じるよ。
しばらくの合間里へ向かう道を駆けていったがずっと後…それも一定の距離を保ったまま藍はついてきていた。正直落ち着かない。
「あのさ…後ろにいられても落ち着かないんだけど」
速度を落とすことなく後ろにいるであろう九尾に問いかける。
「なんだ、イヤなのか?」
返事が返ってくる。まるでイヤだったのかと意外に思っているような響きが含まれている。
確かに九尾にまでなると後ろから追われる事はほとんどないけどさ。流石に背後から強大な力を持った奴が付いてきてたら落ち着かないでしょ。
横から風が吹き、視界に金色の海が流れる。
それが藍の尻尾だということに気づくのにはもう少し時間がかかった。
「なら、隣で良いか?」
「え…?あ、うん…いいよそれで」
横に来てくれたお陰でなんとか気を落ち着かせる事は出来た。ただ、もう一つ気がかりなのは里にどうやってはいるのかだ。
多分、隙間とか言う異次元航路を使って出入りするんだろうけど…あの里に張られた結界をも通過可能な紫様の能力って…デタラメすぎやしませんかねえ…
いつの間にか隣にいた藍はその姿を消していた。でも匂いはまだ残っているから大方どこかで見ているのだろう。
いつも通りの手続きで門を抜けて、のんびりと里をめぐり歩く。家とはちょっと方向が違うけどあたいはいつもこんな感じに遠回りしている。ちょうどこの時間帯は夕食だとかで人間が一番活発になる頃だからね。この活気があたいは好きなのさ。
「まっすぐ家には帰らないのか?」
「おわっと!いきなりの登場だねえ。びっくりしたよ」
後ろで匂いが濃くなったと思ったら肩に手が乗っけられ、思わず跳ね上がる。
全く趣味の悪いことなんのだよ。
「それについては謝ろう」
「気にしなくていいよ、人の活気を感じてただけだからさ」
すぐに活気とはなんぞやと言った目線が飛んでくる。
まあ、あたいくらいしか興味ないようなものだから知らないのもしょうがないけどねえ…
他の妖怪はもっぱら恐怖とかなんだとかの方が好きみたいだし。
その後、特に九尾は目立つことなくくっついてきてた。かなりべっとりとくっつかれて鬱陶しいって思ったあたいは悪くない。
あたいの連れと思われたのか周りの人も九尾の妖怪について無駄に詮索はして来なかった。
まあ九尾がどんな妖怪なのか知らないってのもあるんだけどね。
そんなことをしていたらいつの間にか家の前まで足が進んでいた。
「ただいま帰りました」
「失礼します」
あたいに続いて藍が家の中に入る。一歩足を踏み入れた途端に濃くなる妖気。
異なる二つが巧妙に混ざり合い、独特の雰囲気を醸し出している。
「おかえりなさい」
襖を開けて奥の部屋に行こうとすると、さとりが襖を開けてやってきた。
多分九尾の出迎えだろう。
一瞬開いた扉から紫様とこいしも見える。
「初めまして八雲紫様の式神、藍です。話は紫様から聞いております」
「古明地さとり、ただの妖怪です」
あれれ?さとりとは初対面だったのかいって事は紫様の独断でこっちに寄越したのかな…それともさとりが一応許可したのかな。
しかもさとりのその挨拶、どう考えてもおかしいと思う。ただの妖怪って…さとりがただの妖怪なわけ無いじゃん。
「だれだれ、お客さん?」
こいしが紫様の帽子をかぶって出てきた。なんかその帽子結構似合ってますね。色合いはともかくですけど。
さとりはすぐに紫様の方に戻っていき、この場にはあたいとこいしと九尾だけが残った。
「わあ…もふもふの尻尾だ」
「こいし、触っちゃダメですよ。魔性に逆らえなくなりますから」
隣の部屋からさとりの注意が飛ぶ。
なんだい魔性って…どこをどうしたら魔性になるんだか。
「褒めてもらってるのかそうじゃないのか……」
「「あ、褒めてます」」
これは完全にあの二人のペースになってるね。藍様だっけ?しばらくは耐えてね。
別に助けるわけではないけど…
客人がきているときは誰も相手にしてくれはしないし特にあたい自身が何をすると言うこともないので猫の姿に戻りのんびりと体を伸ばす。
「気ままだな」
主人に追い払われたのか隣に金色の尻尾が降ろされる。
猫は気まぐれなんだよ。
藍の言葉に尻尾を振って返答する。
あたいの仕草に特に気にした様子はなく…伝わったかもどうかわからない。
伝わってないのかそもそも答えは聞いてないのか…
どちらにせよ今あたいはのんびりしたい。
しばらく惰眠を貪っていると、体を誰かに抱えられる感覚で目が覚めた。
体がふわりと浮く浮遊感が終わった後、誰かの膝の上に乗せられたのか触れている布から暖かさが伝わってくる。
右目だけを開けて相手を見やる。
細く柔らかい手があたいの頭に乗っかっている。その手の先は白い服の中に吸い込まれていて視界の後ろの方に続いている。
二本ある尻尾で相手の体を軽く撫でる。
(……藍?)
この感触は間違いない。消去法だけど……
慌てて後ろを振り向く。
「おっと、驚いたのかな」
ええ盛大に驚きましたよ。
まさかあたいを膝に乗せてそんな惚れ顔していたら驚きますよ。
まさかの猫派だったんですか?
前にみた時とは完全に違う藍の差に戸惑う。
いくら猫がいいからって……
「もう少しだけそうしていてくれないか」
はいはい、抵抗する気なんて元からないですよ。
別に優しくしてくれるならあたいは構わない。
それにしても撫でるの上手いのなんの…
「あら…もうそんなに仲良くなって」
そう言われた気がして顔を上げる。
いつに間にか寝てしまっていたらしい。いまだにあたいは藍の膝の上みたいだ。
視線を前に戻すと見知った紫色の髪を後ろで一本にまとめたさとりがこっちの顔を覗き込んでいた。
(……話は終わったのかい?)
「ええ、終わりましたよ」
そっか、ならいいや。そろそろご飯の時間も近いしね。あ…そうだった。
(ところで、今日は紫様も一緒にご飯を?)
ふと気になったことをさとりに聞く。
一緒にご飯を出すのであればこのまましばらくはこの膝の上でのんびりと寝ていられる。
丁度藍も首を傾けて寝ているようだし…
だけどさとりは静かに首を横に降る。なるほど、食べていかないのか。なら、今日はこいしが料理担当なのかねえ…
「そうそう、これから行かないといけないところあるから、藍のこと一時預かっててくれない?」
思い出したかのように紫様が言い出す。
また急なことで…
「構いませんよ」
「わたしも全然いいよー!」
二人とも軽いねえ…相手はあの大妖怪の式神。まあ怒らせることなんて無いだろうけど気に入らなくて壊しましたーなんて事もあるかもしれないのに。
まあそこがいいとこなんだろうけど…
「それじゃあよろしくね」
そう言い残して紫様は隙間を開いて素早く退散していった。なんだかあたいと藍を見て微笑んでたけどなんだったんだろうね。
「それじゃあ…お姉ちゃん、ごはん作ろっか!」
「そうね…」
なるほど、二人でやるのか。どんな料理が出来るのか楽しみだねえ…
特にさとりの料理は見たことも聞いたことも無いような料理ばかりだけど誰よりも手間暇かけて作っているし、それにとっても美味しいから大好きなんだよね。
不思議に思うんだけどあの大量の知識とか技術は一体どうしたら身につけられるんだろう。
本人は…色々あったとはぐらかしてしまうけどあれほどの知識…紫様ですら驚愕するほどのものなのだ。一体どこから……
「ん……?なんだ寝てしまっていたか」
(おやおや、私を膝の上に置いていい寝顔していたヒトが起きましたよ)
ちょっとだけ脅かしてみようかと邪念が頭を横切った。
膝の上に乗ったままで、あたいは姿を人にする。
さっきまでそこにいた猫が急に少女となり膝の上に乗っかる。
思わず股を開いたのかあたいの体は藍の膝の合間にすっぽり収まる。
「おはよう。狐のおねーさん」
「あ……ああ、おかげで目が覚めた」
それは良かった。
「それで?いい寝顔だったけど。心地よかったのかい?」
「……そうだが……それがどうかしたのかな?猫ちゃん」
あたいの首根っこが真上に引っ張られそのまま体を持ち上げられる。
さすがに股の合間にいつまでもいちゃ悪かったかねえ。
「おはようございます。寝起きのところ悪いですが、ご飯がもう直ぐ出来ますので、こちらの部屋までお願いします」
台所と直結している部屋の方からさとりが入ってきた。
おやおや、もうそんなに時間が経っていたのかい。なんか思考に更けていると時の流れが早く感じちゃうよ。
「えっと……失礼ですが、紫様は…?」
「彼女の方なら用事があるとのことで、しばらくあなたを預かっていてくれと言われました」
「は…はあ……」
展開が早すぎるのかただ意識がついていけないのか生返事だけを返す藍。
なんだかわかっていなさそうなのであたいが一言でさっぱり説明。
「要はご飯食べて待っていてってこと」
「……そうか」
一応納得したらしい藍を見てさとりは台所の方に引っ込んで行った。
心なしかこいしの声が聞こえてすっ飛んで戻っていったようにも見えるけど……
多分さとりがいるし大丈夫と体を起こして歩き出す。
藍もあたいの後に続いて隣の部屋に行く。
「らしくないな…」
「え?」
藍が何かを言ったようだけどよく聞き取れなかった。
「いや、妖怪らしくないなあと…お前のご主人は」
「否定はしないね」
確かにねえ…さとりほど妖怪らしくない妖怪はいないな。あれじゃ妖怪の体をもって生まれた人間といったほうがしっくりくる。
「普通ならもっと人間や妖怪に嫌われていてもよいものなのだがな」
なにかを思いながらそう呟く藍に一瞬だけムッとする。
「……あんた。さとりがなんの妖怪か分かってて言ってるのかい?」
自らの意思に関係なく嫌われる者の苦しみなんて、本人くらいにしかわからないだろうね。
「一応……な」
なんだか歯切れが悪いねえ。なにか思うところでもあったのかな?
「いや、さとり妖怪と言うのはもっと陰湿で、ひねくれているのかと思っていてな。まさかあそこまで臆病で、それでいてお人よしだったとは思わなかったよ」
臆病…その単語が引っかかる。
確かにさとりは自身から逃げている。自らの種族を隠して人間をずっと欺いている。少し前までは妖怪も欺いていた。そうじゃなきゃさとりは他人と触れ合うことが出来ない。臆病と言えばそうだろう。だが、それがどうしたと言うのか。
「臆病は……嫌いだ」
「へえ…。じゃあさとりとは気が合わない?」
「そう言うわけではない。さとり自身はいいやつだと思う。あれほどの人柄なら種族の壁すら突破できるしな。ただ……」
「ただ?なんだい?」
「臆病が故…大切なものを失いやすい」
藍は藍で何か思うことでもあったのかねえ。あたいには関係ない事だけど。
「まあそう言うのも全部ひっくるめてのさとりだからねえ」
「それもそうか……つまらないことを言ってしまったな」
気にしなくていいよ。どうせあたいらなんてこの世界の中ではちっぽけな歯車であってもなくてもあんまり変わらないようなもんなんだからね。
「二人ともご飯できたよ!今から持ってくるね!」
こいしが立て付けの悪い襖を力強く開けて…襖を外した。
外れたことに気づいて慌ててそれを直し台所に駆けて行く。
妖獣と神だから二匹だと思うけどそんなことにいちいち突っ込んではいかない。
「さて、ご飯でも食べて気持ち切り替えようか」
「そうだな。紫様のご友人では最も料理に長けてると言うがその腕如何なものか」
ふふふ、どんな表情をするのか楽しみだねえ。
この匂いは……肉系?何だろう…色々混ざってて嗅ぎ分け辛い。
とにかくわかるのは美味しそうな匂いって事。
「美味しそうだな…」
「でしょ?」
さて、あたいもある程度手伝いに行きますか。