古明地さとりは覚り妖怪である   作:鹿尾菜

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depth.32 さとりは準備する

何日…いや何年か。

時が流れるのって意外と早いもので、もう3年。

家に来る人が増えた以外は全く変わらない日常が過ぎ去っていく。

のんびりとした時間の流れは時に記憶を持ち去ってしまうとか言うけどまさにその通りだねえ。

ただ単にあたいの物覚えが悪いだけかもしれないけどさ。

 

 

そこまで思ったところで思考を止める。

あたいが寝っ転がっている屋根の下でバタバタと駆け回る振動や火元の管理をしているであろう音が次早に聞こえてくる。

 

 

今日は珍しく藍を連れて紫様がきている。

多分ドタバタしているのはこいしで火元を操作しているのはさとりだね。

 

あたい?そうだねえ…やる事も無いしこうして屋根で日向ぼっこだよ。とは言ってもさとりが動き出したって事はそろそろご飯の時間かねえ?

そう思ったが矢先、屋根につけられた雨樋を利用して地面に降りる。

 

地面に体が降りた時には既に人型に姿を変える。何千回とやってきた変幻。だけど未だにその理屈はわかっていない。

そんなことはどうでも良いようなもので…

丁度目線を変えれば目の前には開きっぱなしになっている窓。

 

玄関までわざわざ回るのもなんだか億劫なので窓に手をかける。

 

腕の力だけでよじ登って部屋の中に体を下ろす。

 

音を立てずに着地。だけど藍には気づかれたらしい。

狐特有の気があたいを包み込もうと近寄ってくる。

 

だけどその気が乱れて消え去り、また現れてはを繰り返す。なんだか安定していない。それと同じく隣の部屋のバタバタと言う音も若干変化している。

 

こいしが藍に迷惑かけてないと良いんですけどね…

 

未だにバタバタしている隣の部屋へ続く襖を開ける。

 

そこは一言で表せば混沌だった。

藍を追いかけ回すこいしという……

 

「こいし、ほどほどにしておきなよ」

 

「わかってるよ?尻尾触ろうとしたら逃げ出すんだもん」

 

そりゃ誰だって尻尾触られるのは嫌でしょ。

あたいだっていきなり尻尾触られるのは嫌だよ。

 

「あのさ…尻尾ってあたいらにとっては大事なところだから誰かにいきなり触られるのはダメなんだよ。本能的に」

 

あたいの説得が効いたのか残念そうに藍を追いかけるのをやめるこいし。

藍が息を整えながらあたいに頭を下げてきた。

そんな大層なことはしてないから頭なんか下げないで良いってば。

でも助けてくれたのは事実どうのこうのって頭を上げない。

そんな押し問答をやっていると紫様がご飯が出来たと呼びに来た。

 

いつもの服装の上からエプロンを着た紫様。多分さとりに着せられたんだろうね。それに三角巾…は流石につけてないけどその代わりに後ろで髪をまとめて縛っている。普段の印象とは全く違う姿に目を奪われる。やっぱり美人って違うねえと感心。藍も普段見ない主人の姿に驚いてる。

 

 

見とれていると紫様に藍が連行される。

おっといけない。料理が冷めちゃうねえ。せっかくさとりと共同で作ったみたいだし美味しいうちに食べちゃおう。

 

隣の部屋に行くとかなり豪華な食事が揃っていた。

あたいも始めてみるようなものから知っているものまで様々…

 

「また豪華だね!」

 

「そうですね。いくつかは大陸の方で見たことあるものに似てますが…」

 

「ふふふ、もっと敬っても良いのよ?」

 

紫様が調子に乗ってる。その後ろでため息を吐いているさとり様。無表情に変わりはないけどどことなく疲労している。

なにがあったんだろうねえ?

 

「そんなことしてないで早くたべますよ」

 

珍しくサードアイを服の外に出しているさとりが素早く席に着く。

気のせいだろうか、三つ目の目…前に見た時より少し半目になっている気がする。

……普段見ないし気のせいだよね。

 

そんな不安をよそに他のみんなはどんどん席についていく。

やっぱりあたいの見間違えだったのだろうか。

 

それとも本当に…?

 

「お燐、食べないの?」

 

おっといけない。さとりにいらない心配かけちゃったよ。

 

 

 

 

 

食事中、なんだかさとりと紫様の合間に見えない境界のようなものが引かれているような気がした。

藍も心なしか二人を見るときに一瞬哀しい目をしている。

あたいが勘ぐることでも無いけど何かあるのだろうか。

 

 

 

食事も終わりあらかたの片付けが終わったところでこいし達の様子が気になる。

片付けるものを片付けた後再び居間の方に戻ってみるとこいしが一点を見つめて固まっていた。その目線を追ってみれば、藍の尻尾。

 

「じーー」

 

言葉でジーって言うヒト初めて見たよ。どれだけ尻尾触りたいんですかこいし。

「えっと……」

 

「そのもふもふ…気持ち良さそう」

やっぱり諦めていなかったみたいだね。

 

確かに、その気持ちも分からなくはない。あれほどのもふもふならさぞ気持ち良いことだろう。丁寧にかけられたブラッシング、そのおかげで生まれる良い艶加減。

引き寄せられるものが無いわけではない。

 

「わかったわかった…少しなら尻尾触っていいですよ」

 

「え⁉︎ありがと!」

 

こいし、藍が寛大で良かったですね。

 

それすらわかっているのかどうか分からないようなほど遠慮なく藍の尻尾にダイビング。

それでも

最初はなんだか嫌がっていた藍もこいしが気持ちの良いところをピンポイントで撫でているおかげか段々と心地好さそうにしてきた。

さすがさとり妖怪。

 

 

 

こいしが抱きついている尻尾を見ていると所々色が変わっていることに気づいた。なんというか艶がそこだけ1段階落ちているような感じなんだよね。表面が綺麗なだけあって結構目立っている。

 

「そういえばさ、尻尾の手入れはどうしてるのかい?」

 

「自分で見える範囲は自分でやってはいるが…」

やっぱり死角が出来ちゃってるんだね…紫様にやってもらえば良いのにね。

「紫様にやってもらったりはしないのかい?」

 

「式として主人にそんなこと頼めません!それに、紫様は……」

 

そう言いかけて顔を伏せてしまう。

これはもしかして、紫様毛の手入れに慣れてないんじゃ……確かにさとりのように最初から慣れているなんてヒト希だけどさ。

慣れてなくてもやってあげたら良いのに。

 

「それじゃあ私がやってあげようか?櫛しか無いけど…」

 

そう言ってこいしが櫛を取り出す。

普段はあたいくらいのもんだからその大きさでも良いんだけど藍の尻尾をそれでやるってなると相当時間かかるような気がするんだけど…

やらないよりはマシだけどね。

 

「すいません。お願いします」

 

相変わらず尻尾に体を埋めたまま毛繕いを始める。

もうちょっとちゃんとした体勢でやってほしいと思ったあたいは悪くないはず。

 

 

二人が尻尾でじゃれ合っていると隣の部屋の襖が少し開いている事に気付く。

そっちの方に歩を進めると、紫様とさとりが真剣な顔つきで話をしているのが襖の間から見えた。

食後のこんな時になにを話しているのか気になったあたいは部屋の前で聞き耳をたてる。

 

 

 

「………月に興味はないかしら?」

聴覚を鋭くして聞き取ろうとした途端に聞こえた紫様のその言葉に、思い出の底に埋もれて消えるのをただ待っていた記憶が鮮烈に蘇る。

月……舞い散る閃光と飛び交う金属片。頬を撫でる爆風と空中から放たれるいくつもの白煙。

 

「……バカな真似はやめてください」

 

さとりの声だ。怒っているような覇気を感じるのは気のせいじゃないはずだ。

 

「……あら?私はまだ月に興味はない?って聞いただけよ」

 

「わかってますよ。……貴方は月の技術が欲しいんでしょ?その為にわざわざ大陸まで駆け回って強力な妖怪たちを集めているんですよね」

 

まさか紫様は本気で月に侵攻する気なのだろうか。すぐ後ろに別の気配を感じ振り返ってみると藍がいつの間にか背後で聞き耳を立てていた。

あたいの視線に気づいたのか静かにと仕草で伝えてくる。

 

「へえ…よくわかったわね。心は読めないようにしてあるのだけど?」

 

「心など読めなくったってある程度調べればわかりますよ」

 

本当にそうなのか怪しい。少なくともあたいの知る限りでは調べている様子はなかった。

 

「そう……ならあなたは協力してくれるの?」

 

「言ったでしょう?バカな真似はやめてくださいって。むしろ貴方が月に侵攻すること自体反対です」

 

「どうしてよ?月の勢力は確かにあるけどこちらだってそれなりに……」

 

「地上の者は月の民には勝てない。あの人たちを今の常識で測ってはいけない!」

 

さとりの声が焦り出す。今まで聞いたことのないほどの剣幕さだ。さとりにとって、あの時のことはどう映っているのだろう…それほどまでに強烈だったのだろうか。

 

「どうしてそこまでムキになるのよ。貴方らしくないわ」

 

確かに普段のさとりからは想像ができない。あたいもあそこまで取り乱しかけてるさとりは初めて見た。

 

「月の民がどれほど恐ろしいか…わかってるんですか?あの人達はやろうと思えば月から出なくても地上をソドムとゴモラのように出来るんですよ」

ソドムとゴモラがなんなのかはわからないけどなんかヤバいことだけはわかる。

そんな人達に喧嘩を挑もうなど…確かに無謀ではある。

 

藍の横顔をチラ見するがなんだか顔色が悪い。

もしかして藍は月の脅威を知っているのだろうか…それとも、知らないけど想像がついてしまうのか…

 

「心配し過ぎよ。幾ら何でもそこまでは出来ないしそれに場所が特定されないように気をつけるわ」

 

「……お願いですからやめてください。月がどれだけ恐ろしいか……紫。貴方自身が最も危険なんですよ!」

 

その途端、部屋の気温が数度ほど下がったような感覚に襲われる。思わず襖の前から距離を取る。恐ろしい殺気が流れ出てきて、生命の本能を強制的に揺さぶる。

 

「危険は百も承知よ。それに、協力してくれないなら構わないわ」

残念と言うか失望したというか…そんな感じの冷めた口調で、そう言い残して紫は隙間に戻っていった。

 

 

「待って!紫!」

さとりの呼び止めも虚しく紫様は隙間を閉じて消えてしまった。

残されたのはただ静寂ばかり。誰も動くことができない…いや、静寂があたいらの体から自由を奪う。

 

その静寂から解き放たれたのは、さとりのため息だったかこいしのため息だったか。

体から力が抜け、その場に腰を下ろす。紫様に当てられていた強力な殺気と気迫で体力を持っていかれたみたいだ。それを理解した途端体の奥底の温度が一気に下がり冷や汗が噴き出す。

 

さとりが襖の方に視線を向ける。それが、あたいの視線と交差する。

その瞬間入ってらっしゃいとアイコンタクト。

 

一瞬どうすべきか悩んだけど、数秒後にはなにを悩んでいたのか忘れてしまった。

 

ゆっくりと部屋の中に入る。

紫様に置いてきぼりを食らった藍もそれに続く。尻尾にくっついてこいしも入ってくる。紫様を除く全員が揃う。

式神を忘れていくとは相当怒っていたのか…それともさとりが何かしないように監視させているのか。

 

「……」

 

入ってきたは良いものの、悲しそうな…瞳でとってつけたような苦笑を浮かべるさとりを見ているとなにを言って良いのか分からなくなる。

こいしも今回ばかりはなんていえば良いのかわからないのか口を閉ざしている。

 

「あの…さとり様。それほど月の民というのは恐ろしいものなのでしょうか?」

 

全員の合間に流れるなんだか変な雰囲気に耐えかねなくなった藍が口を開く。

 

「そうね…でも言ってもわからないわね。ヒトは……体験したことのない痛みを想像することは出来ないのよ」

 

その言葉に口をつぐむ藍。

体験したことのない痛み…さとりはその痛みを経験したのだろうか…

時々さとりが分からなくなる。

 

「……具体的な戦力だけでもわかりますか?」

 

「まさか紫はそれすら知らないで⁉︎」

 

さとりが机を叩いて思いっきり立ち上がる。

その音で体が飛び跳ねる。心臓も一緒に飛び出しそうになった。もうちょっと落ち着いておくれよさとり…

 

「ええ、一応総人口比率で考えた戦闘員の人数を大まかに算出して、後は百年以上前にあった月の地上攻撃の詳細を引っ張り出して考えたのだが…」

 

百年前……あの輝夜姫の件か。

でもあれほどの戦力を全員が持っているって考えるなら普通は侵攻なんて……いや、それでいけるって確信があったんだねえ。

 

「……その想定の6倍と思った方がいいです…直ぐにでも止めないと。藍さん、立場上苦しいのはわかってますけど手伝ってくれますか?」

 

真っ青になったさとりが絞り出すように言い放つ。

6倍…少し大げさすぎないかと思う。それよりさとりはどうしてそこまで月の事に詳しいのだろうか。

 

隣を見ればあまりの月の強大さに驚愕してる藍がいた。

 

「そんな…幾ら何でもそんなに強いのか?」

 

「たった百年…ですが技術が進歩するのに100年は十分です。知ってます?人類が人工の翼で初めて空を飛んでから宇宙に行けるようになるまで百年ちょっとしかかからないんですよ?」

 

人工の翼がなんなのかよくわからないけどそれがどれほどの凄いものかはなんとなくわかる。

藍もなにやら思考しているのか表情が厳しい。

 

「……なんとか考え直すように掛け合っては見るが……紫様はどうにも頑固なところがあるかな」

 

止めようとしてもなかなか止められなさそうだ。これは大きな戦争が起こるねえ…

 

「これはまずいです…なんとかしないと」

 

「あたいも月と戦うのはやめさせたいねえ」

 

あの時のアレがさらに進化したものと戦うなんて正気じゃないしねえ。

あたいは直接関わったのは僅かだけどそれでも恐ろしいのは十分に伝わる。

 

「どちらにもいらない犠牲が増えるだけですし…」

 

「……さとり様はどうしてそこまで他人の事を心配するのですか?」

 

藍がさとりに詰め寄る。確かにそこまでする義理はあたいらには無いね。

紫様は確かに親しい仲だけど…それでも相手は大妖怪。彼女らの行動に口出しするのは命がけだったりする。それすら気にせずあそこまで言うなんて……さとり自身が紫様を失うことを恐れているのかまたは酷いお人好しなのか。月の民の犠牲すら減らしたいとはねえ…あたいには全く思いつかないねえ。

 

「知っていて行動しないのは…最も愚かな事ですから…動けるところまでは動かないとです。それが知っている者の定めです」

 

また小難しい事を…と思ったけどそれがさとりだったねと考え直す。

きっとこのよくわからないものこそがさとりなんだろうね。

水のようにすくっても手の隙間からこぼれてしまう。

さとりを知ろうとするのはそういうことだろう…多分一生かかっても分からないんだろう。でもそれで良いや。

 

「……本当に、妖怪らしくないですね」

 

「よく言われます」

 

自然な感覚でさとりが苦笑する。それが本心からのものなのかは一目瞭然。

 

「ともかく紫様をどうにか止めないとだね」

 

「藍さん。紫はいつに決行する気なんですか?」

 

さとりの雰囲気がガラリと変わる。

その違いにあたいの後ろで会話を聞いているだけだったこいしと藍が目を見開く。

でもさとりとの付き合いが長いあたいにはわかる。濁流に近い…それでいて整っているような独特の気はなにかを決意した時のもの。

 

あの時以来だねえ……

 

「次の…満月のはずだが…」

 

「次の満月って…確か2日後…?」

 

ほとんど時間は残されていない。これは忙しくなるね。

と言うか藍は早く紫様の元に戻った方がいいんじゃ無いかねえ。

 

「ちょっと出かけるわ。お燐、留守をよろしく。こいし、一緒に来てくれる?」

 

「はいはい、留守任されました」

 

気の切り替えが終わったのかさとりが素早く行動し始める。

床下の収納から何かを引っ張り出したり荷物をまとめ始める。ここにいると邪魔になりそうだったので藍の手を引いて部屋から離れる。

 

「良いよ。なにをするのかわかんないけど」

 

ずっと黙っていたこいしがいつの間にか用意していた外套をさとりに放り投げる。いつの間に用意していたのか既にこいしは準備が出来ている。

 

「そうね……ちょっと山にね」

 

重そうな木箱を引っ張り出し中から何かの液体が入った瓶をいくつか取り出している。他にも鉄鋼のようなものまで色々である程度

 

「それは…なんでしょう?」

 

藍が瓶の中身を光に照らしながら呟く。

あたいも見たことないんなんだこれ。なんだか本能が危険物って言ってるけど。

 

「三酸化硫黄の水溶液よ。この前五酸化二バナジウムを天狗から貰ったから作ってみたのよ」

 

なんかまた訳のわからないものを作って…

 

そういうものを家で作って保管されてもねえ…落ち着かないんだけどなあ。

 

取り敢えず行っておいで、藍は一応あたいが見てるからさ。

紫様が戻ってきたら渡しちゃって良いんでしょう。

 

「ええ、よろしくお願い」




おまけ

その頃の紫

「ちょっとー藍!どこなのー?」

「おかしいわね……てっきりついてきてると思ったのだけれど…」

「あ、そういえばあの子私の能力まだ使えないんだったわ。普段は能力が使えるように見せかけてたからうっかりしてたわ…」


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