目の前で失笑しているお燐を盛大に殴りたくなったのは今が初めてだろう。
洋服を着ていないことを思い出し渡されたものを着込んで見たはいいものの、少しだけ小さい服だった為なんだかきつい。というか丈が短いせいでお腹とか丸見えになりかけている。
「あら、似合っているじゃない」
そう言うレミリアはさっきの白いワンピ型とは打って変わり黒のドレスに身を包んでいる。
外見からして人形っぽい感じだが溢れ出る風格は本物の支配者。迂闊なことは言えない。
「レミリア様…できればいつも着ていた服を返していただけないかと…」
「ダメよ。いま洗濯中だわ。それに、仮にもスカーレット家の客人がみすぼらしい格好をするなんて許さないわ」
まあそうですけど……お燐はいいですよね。妖術の一種でしっかり服もこの時代に合わせて再構築できて。私もやればいいじゃないかって?私には無理ですよ。
「あたい…このひらひら苦手だったんだけど…」
「我慢しなさい」
あ、こら皺にしちゃダメよ。あと爪もしまって。服に引っかかってるから……え?擽ったい?我慢してくださいよ。
「元気そうね。それでは場所を変えましょうか。私は先に行っているわ。美鈴」
お燐の服を正しているとレミリアは蝙蝠となって屋根に消えていった。その姿が消えるまで1秒足らず。実力も相当だろう…正直戦いたくはない。
そう思っていると再び部屋の扉が開き、また誰かが入ってきた。
赤い髪の毛とレミリアより頭二つ分大きな体。緑色の中国服に身を包んだ女性。
一見変わったことはないがその体から溢れ出る覇気は武術を極めたもの特有の張り詰めたものになっている。
「お嬢様の護衛兼メイド長の紅 美鈴と申します」
門番……そんな単語が出てきたけどやめておこう。そもそも門番ってなんだ門番って……
あとお燐、無理に手を出そうとしないの。レミリアの護衛ってことは相当強いわよ。
サードアイを隠すために借りた袋を手に取り美鈴のところに向かう。
「さとりと申します」
「さとり様ですね。では、こちらにどうぞ」
イメージにあった寝坊助というよりかはかなり堅い感じを受ける。それに中国帽子もつけていないからなんだか印象が随分違う。
まあ人の印象やイメージなど固定概念の一種だから持っているだけ無駄なものなのですけどね。それでもそれを抱いてしまうのが人というもの…特に私の場合中途半端なモノがありますからね…
隣に来たお燐が私の目をじっと見つめる。
アイコンタクトだ。
どうしたの?
すいません。ずっと気になっていたのですが、少し言い辛かったので言ってなかったのですが…
気にしないわ伝えて
この屋敷、なんだか居心地が悪いです
悪い?術的なもの?それとも視覚的なもの?
いえ、そういうものじゃなくて…なんか野生の勘が警告しているんです。超特大級の危険が近くにいるって…
……心当たりがないわけではない。というかお燐がここまで警戒しているということは当たりだろう。起きて早々、最悪の方向に事が進みそうです。まあ、まだ行動するには早すぎますから様子見ということで……
「2人ともどうかなさいました?」
「いえ、なんでもないです」
危ない危ない…アイコンタクトがバレるところだった。まあバレたところでどうということはないでしょうけどこの方に目をつけられるのは避けたい。
「そういえばスカーレット家ってそんなに有名なのかい?」
「お燐……失礼でしょ」
話題を変えたかったのだろうけどそれはあまり良い手ではない。
そもそもスカーレット家って相当有名なはずですけど…
「私はわかりませんけど有名なんじゃないですか?一応私が元々いた山奥までその噂が届いてましたから」
そういえば美鈴は欧州じゃなくて中国出身だったんでしたっけ。
「へえ、そうなんだ、じゃあ相当有名なんだねえ」
「そのようですね…あ、そろそろ到着です。言っても意味はないと思いますが、あまり粗相を働かないように…私はともかくほかの召使いやメイドが気を立てかねませんから」
「承知しています美鈴様」
「様なんていりませんよ。美鈴で良いです」
「じゃあお二人さん。あたいは猫の姿になってるよ」
そう言い終わる時には既にお燐は猫の姿に戻っていて、私の腕の中に飛び込んできた。
危ないから急にしないでほしいわ。たしかにそのスポッって入るその感覚はわからなくもないですけど…
美鈴が廊下の先にある扉を開ける。両開きの構造はおそらく食堂やホールなどの大きな部屋に繋がる扉の特徴。
案の定というべきか扉の先は白いテーブルクロスが敷かれた巨大なテーブルが鎮座する食堂…ダイニングだった。
そのテーブルの一角に、レミリアはいた。というか従者が複数名周囲にいるせいで嫌でも目立つ。
波長や力の流れから普通の人間が2人と執事としてレミリアの後ろの壁の所に立つ男性は……悪魔だろうか。魔力波長がやけに強い。
「ああ、客人はこっちよ。あまり遠いと話すのに辛いでしょ」
そう言いながらレミリアが手招きをすると、すぐ近くの席が音も立てずにずれる。
何もわからない人から見ればひとりでに椅子が動いたように見えるが、魔力で少し無理に動かしたのだろう。
それを言ったところで何にもならないので黙って指定された席に座る。
外は夜なのか窓に映る光景は暗闇。ロウソクの灯りだけがテーブルや壁を力なく照らしている。
「改めまして、紅魔館当主レミリアよ。それじゃあ色々聞きたいこともあるようだけどすこしお腹を満たさないかしら?」
「賛成です。あ、でも人の肉とかはなるべくやめてくださいね」
「あら?人を喰らわないタイプだったかしら?」
「ええ、人を喰うのはこの猫だけです」
尻尾で手を叩かれる。
どうやらお燐は人じゃなくて死体を食べるだけなようだ。どっちも変わらないと思うけど本人なりの意地みたいなものがあるのだろう。
「まあいいわ。想定済みよ」
掲げた右手が何やら指示を出す。内容までは読み取れないが、手の動きを見た従者が奥の扉に消えていったところを見ると料理をもってこいの合図だったのだろう。
「申し訳ありません」
「謝る必要はないわ。人それぞれ好みがあるのは承知しているわ」
始終笑みを崩さないその姿は、支配者の顔。だがその裏にはどのような素顔があるのだろうか…私の能力を使えば見えるのだろうけれど許可もなくプライバシーにズカズカ入り込むのは好きではない。
「それじゃあ、さとり。あなたの話…聞かせてくれるわよね」
「料理が来るまでの時間潰しですね」
「そういうことよ」
なるほど、どこまで話したらいいやら…一応私の正体は隠すとして、話せる範囲は…
「ただのしがない妖ですよ。ちょっとトラブルに巻き込まれてしまい倒れていたわけですけど」
「ふうん……妖ねえ…そうなると美鈴と同じところかしら?」
「えっと…おそらく美鈴よりも東の国です」
おそらくというよりも確実に東だろう。なにせ極東の国と呼ばれるところなのだから…
「ジパングね…なるほど、これは面白い」
一瞬だけレミリアの顔が笑顔で歪む。その歪みが雰囲気と合わさって少しだけ怖い。
「黄金はありませんけどね」
「黄金などに興味なんぞない。それにしても極東の国か…これは面白い話が期待できそうではないか」
あれ…なんだろうこの感覚…どこかで感じたような…いや違う。記憶が似たような雰囲気を探り出している。
これは…大佐?いやいやたしかに吸血鬼ネタかもしれませんけどまさか…
「それじゃあ何か面白い話でもしれくれないかしら。あら?料理が来たみたいね」
その直後、厨房に繋がっている扉が開かれ料理を乗せたワゴンが入ってくる。
さっきの人…いや、姿が似ているけど違いますね。さっきの方は人間、彼女は半妖…んー半悪魔とでも言った感じですね。
「ワインと前菜をお持ちしました」
お燐の耳が反応している。理由はすぐにわかる…
「シャトーの1600年物よ」
自慢気に紹介してくるがさっぱりわからない。少なくとも23年前に作られたという事くらいしか……
「ワインの良し悪しはわかりませんが……」
「まあそうね。無理もないわ」
(さとり…お酒はやめておいた方が…)
平気よお燐。
あ…でもなんか心配になってきました。まあ大丈夫…だって私だって大丈夫なお酒あるんだから…うん。
結論だけ言おう。ワインはなんとか大丈夫だった。
最初に口を湿らせた段階で少し意識が飛びかけたもののなんとかこれならいける。大量摂取はできないが……
「お口に合ったかしら?」
私の状態が分からないということではないだろうが、わざと聞いてきているのだろう。
少なくとも私はこれ以上飲む気は無い。
「ええまあ……」
まだ晩餐は始まったばかり……ただの晩餐で終わりますように。
なぜあの時外に出ようとしたのかはわからない。
私の視線の先にある少女を見つけた時、胸の内にへんな感覚がしていた。多分それの元凶が私を彼女の元に呼び寄せたのね。
運命…そういえば聞こえは良いけれど。運命とは複雑でその上気まぐれだ。
もちろん他人から見ればそうではないだろうが、運命を見通せる私にとっては全く付き合いきれないじゃじゃ馬だと思っている。
先の事を見ようにも捻くれればすぐに運命は結果を変えてしまう。その上都合の悪い事は結構的確に起こりうる。
本当はさっさと追い出すつもりでいた。だけど、目を覚ました彼女の運命を見た途端その考えは取っ払った。
その先に見えた運命は、これから来るかもしれない未来…だけど私は半分あきらめていたもの。
もしこの少女がそれを叶えるために必要な存在だとしたら…ここで追い出すわけにはいかない。
「美鈴…さとりを逃さないようにね」
「お嬢様?」
美鈴が訝しむのも無理はないだろう。晩餐に招待してみてわかったけど、彼女は少し異常だ。
最初は気づき辛かったが、ワインを飲んだあたりから少しだけ波長が狂っていた。酔っただけかと思ったがそういうわけではないようにも見える。
美鈴もあれを警戒しているのだろう。
「言いたいことはわかっている。だがあえて私はアレに賭けてみようと思う」
「お嬢様がそこまで言うなら…確信があるのですね」
「当然だ」
不確定要素が多いし正体もよくわからない変わった奴だったが…使えなくはない。
それに、さとりを調べるだけなら手はある。
「神はサイコロを振らない……」
ある書物の一節を口ずさむ。
本当に神など碌な奴がいない。そもそも私は悪魔なのだから神などにこの先のことを決められては困るのだが…
「じゃあサイコロの目は…運命が決める」
転がりだしたサイコロは、まだ目を出さない。
「全く……飲みすぎないでって言ったのに…」
夕食の後、用意されていた部屋に戻ったさとりは糸が切れるようにその場にうずくまってしまった。
どう見てもこの反応は飲みすぎが原因だろう。
あとは少し体に食べ物が合わなかったか…あたいは少しだけ合わなかったけどここまで酷くはなっていない。
絶対あのお酒のせいだ…
「ごめんなさい…勧められたら断れなくて…」
「今水もらって来ますから……」
すぐに部屋を出て近くにいたメイド服の魔物に水を持ってくるようにお願いする。一応客人認定されているおかげか、なにも言われることはなく、そのまま暗い廊下の奥に行ってしまった。
もうちょっと愛想良いといいんだけどなあ……それと尻尾のせいでメイド服めくれちゃってたよ。
あれ大丈夫なのかなあ…
「……サキュバスね…」
「さとり、布団に寝てた方が良いよ」
扉の陰からこっちを見ていたであろうさとりが魔物の正体を看破する。サキュバスって言われてもわからないや。一応西洋の妖は少しだけ教えてもらったことあるけど…
「気にしちゃダメよ。あと、部屋に戻って居た方がいいわ」
なんだか突っかかる言い方…部屋の外にいると危険なのだろうか。危険度なんて部屋の外も中も変わらないようなものだと思うけれど…
「食べられても知らないわよ……」
「……え?」
不吉なこと言わないでくださいよ。あたいが食べられるわけないじゃないですか。
「……まあいいわ」
「わかりましたよ。戻ります戻ります」
全く…たかがサキュバスに水を頼んだだけでなんで言われなきゃいけないんだか…
「サキュバスなのが問題なのよ」
ベッドに腰掛けたさとりがそんなことを言い出す。
サキュバスってなんなのだろうか……
「まあ…あなたが知る必要はないわ。知ってもあまり意味はないし多分聞いて後悔する可能性があるから」
「聴く前からよくいうねえ…あたいには知る権利があるんだけど」
「後悔しない?」
「しないさ」
「悪魔の一種で対象相手に淫らな夢をみせ、生気を吸い取る厄介な悪魔よ」
聞かなきゃよかった……ごめんなさい。ほんとさっきのあたいはムキになってました。
どうしよう、彼女を見る目がこれから変わってしまうじゃないか。
「だから言わんこっちゃない…」
「で、でもそれがどうしてあたいが食べられることに?同性ですよね一応…」
悪魔に性別があるのかはわからないが…
「どっちかっていうとあなたのような子がタイプみたいよ…」
「まさか視てたのかい?」
「ええ、ちょっとだけ心を覗かせてもらったわ」
鳥肌が止まらないよ…これからは注意して部屋の外を歩かないと…あたいの命が危ないや。
「あの…水をお持ちしました」
急に扉の方で声がする。振り返ってみるといつの間にか部屋の中にさっきのメイドさんが居た。
音もなく入って来ていたなんて…あたいの耳すら欺くとは…恐ろしい。
「ああ、ありがとう。机に置いておいてください」
全くきにすることなくさとりは指示を出す。突発的なことに驚かない性格なんだろうけどもう少しリアクションが欲しい。あれじゃああたいだけが驚いていたみたいじゃないか。実際そうなんだろうけど…
「それでは、ごゆっくりと」
そのまま扉を閉めて何処かへ行ってしまう。
一瞬だけあたいに向かって放たれたその妖艶な気に気づかないようにしながらあたいは猫の姿に戻る。
「気をつけなさいお燐……」
なんであたいなのか全くわからない。まあ理由なんて大したことはないのだろうけれど…
「……様子見かしら」
独り言のようにつぶやいたその言葉が脳裏に引っかかる。
独り言にしてはなんだか雰囲気が変だった。
もちろんあたいの心を読んださとりが先手を打つ。
「…なんでもないわ。ただの独り言」
やっぱりね。でもあたいにはわかる。さとりはまたなにかをやらかすのだろう。
苦笑い。
やっぱりか…でもどうせさとりのことだから何か知ってるんだろう。心を読めるということはそういうこと。みんなが隠そうとすることすら暴いてしまう。さとりは知ってしまったからには行動しないと気が済まない性格だからね。
もういつものことだからもう止める事もしないけど程々にしてね。また傷ついたりしたら許さないんだからね。
「ええ…気をつけるわ」
そう言って怪我が無かった試しがない。仕方がない。あたいも手伝うよ。
「……ありがとう」
いつものことだろう?それにあたいはさとりの家族だからね。家族が何かしようと言うのならそれを応援しなきゃね。