あたいの認識ではさとりは怒らせると最もやばい。
それは揶揄とかそんなものではなく本当にやばいのだ。
その上、容赦というものを知らない。
だからあたいはなるべくさとりが激怒するような件には関わらせまいとしている。
だけどさとり自身そんなあたいの心情を知ってか知らずか危ないことに首を突っ込んでは理不尽と不条理を壊そうとする。
何がしたいのかよくわからない。
なぜこんな変な独白をしてしまうのか考えてみればなるほどと納得してしまう。
ついこの前さとりが数日帰らなかった日がある。
あたいが人身売買の基地を制圧してから丁度1年後の事だ。
帰ってきたさとりは服こそボロボロだったけれどそこまでひどい傷はなかった。いや…あったとしても回復してしまっているのだろう。
どこで何をしていたのかと理由を聞いても深くは話してくれなかった。
だけどこいしはどこで何をしてきたのか知っているらしくて呆れていた。
後で文とか柳って言う白狼に聞いて回った結果どこで何をしていたのかは朧げながらわかった。
何故か様々な情報が出てきて紛らわしいことこの上ない。あの時の組織を壊滅させていたらしい。
とは言ってもさとり1人でやったわけではなく天魔や大妖精更には椛までもこの件に噛んでいるらしい。
結局、あたいは知らないうちに蚊帳の外にされていたみたいだ。なんだか残念だなあと思う反面さとり絶対激怒していただろうなあって恐ろしさを感じる。
現に、さとりと一緒に行ったと思われる椛とかは全く喋ろうとしない。
どちらかと言うと思い出したくないというのが本音だろう。
それからと言うもの変な噂が飛び交い始めていた。
なんでも…さとりを怒らせたらやばいというものだ。もちろんその噂の原因は文々。新聞だったりする。
噂の広がりは早くあたいが耳に挟んでからわずか数日で地底にまで広がった。
そういうものに無頓着なさとりだったから早い段階で教えてあげてはいたけれど…あまり気にしている様子はなかった。
だけど多くのヒトは噂に左右されやすい。
実際昔と違ってさとりをよく知らない者が多いここではその噂が原因でさとりを怖れる風潮までできてしまった。
一度できてしまった風潮はなかなか消すことはできない。
このままだと皆さとりを誤解してしまうかもしれない。
恐れの感情がどれほど危ないものかそれはさとり自身が一番わかっているはずだ。だけどさとりは仕方がないと諦めてしまっている。その理由がよくわからない。
「あ、お燐さん」
「ああ、何時ぞやの」
心配をしていると横に誰かきた。わざわざ振り向かなくてもわかる…あの時の猫又だ。
あたいと別れたあと彼女は藍が引き取っていったらしい。藍から直接聞いたから間違いはない。理由はよくわからないけれどさとり曰く飼い猫にするらしい。
今はまだ正式にではないようだけれど…名前は貰ったらしい。
「今は橙って呼ばれてます!」
「へえ……いい名前じゃないかい」
「それで…今日はどうしたんだい?」
わざわざあたいを訪ねてくるなんてねえ…
「特に理由は無いですよ」
「そっか……」
まああたいらの行動に理由なんてないことが多いからね。
「お客さん?」
お空の声が頭のすぐそばで聞こえる。
「ああ、お空かい。この子はただの知り合いだよ」
顔だけ動かして見ればエプロン姿のお空があたいのすぐそばにお盆を持ってきていた。
その奥ではこいしがこっちをみて微笑んでいる。どうやら気を利かせてくれたらしい。
「えっと……烏さん?」
「うにゅ?私はお空だよ」
誰も名前を聞いたわけじゃないんだけれどねえ…
「家族のお空だよ。本名は霊烏路空だけどみんなお空って呼んでる」
なんでかは知らない。だけどスッキリした呼び名だったから使っている。
「そうなんですか…あ、私は橙と言います」
「橙ね。よろしく!」
相変わらずお空は誰とでも仲良くしようとするよねえ…
でもあたいらを守ろうとする気が一番強いのは彼女なんだよなあ…確かさとりが言ってた。
それと同時に心配もしてたっけ…その思いは時に危険を孕んでしまうって……あたいにはよく分からないや。
「お燐さんどうしたのですか?考え込んでいるようですけれど」
「なんでもないよ。ただの考え事」
考えてもよくわからない事だけれどね。さとりの言うことってよく分からない。
「お燐ってさとり様と同じでよく考え込むよね」
まあ…さとりが分からないことを言ったり行動したりするからねえ。その真理を探りたいって思ってしまうだけさ。
「……ちょっと出かけてくるから…留守お願いね」
一通りの仕事が終わったので隣で黙々と書類に目を通すエコーにそう声をかける。
「…分かりました」
相変わらず口数は少ないけれど以前より距離は近くなった。
実際彼女が私を避けるのはトラウマが原因であってそれ以外の感情では私に対してそこまで嫌悪を持っていない。
昨日の夜からずっとこの部屋に引きこもってしまっているから少し体が痛い。
それにしても地上ではもう朝なんですね…時間感覚を忘れてしまいそうです。
「お、さとりじゃないか。こんな時間に珍しいな」
ふらりと館の外に出てみれば早速庭で飲んでいる勇儀さん達と出くわす。
いつもここで飲んでますよね…お気に入りの場所なんでしょうか。
「ちょっと行きたいところができましてね」
「へえ……どこに行くのはか知らないけれど…たまには羽を伸ばしてきな」
「そうしますね。そちらも飲みすぎないように」
「鬼は飲み過ぎても問題ねえよ」
後でしじみの味噌汁作っておきましょう。
どうせ絶対飲むとか言い出すでしょうからね。
勇儀さんは大丈夫でしょうけれど他の鬼達は飲むペースが早すぎますよ。そんなんじゃ絶対大変なことになります。
「後でしじみ汁作っておきますから必要なら飲みにきてくださいね」
「お!じゃあ後で行くよ」
「俺もそうする!」
「私も!後朝飯お願いできる?」
ちゃっかりご飯をたかろうとしてますけれど……感心しませんねえ。まあ出さないわけにはいかないのですけれどね。
「おいおいさとりにたかりすぎじゃないか?」
勇儀さん酒飲みすぎです。体に良くないし後がつらくなりますよ。
「原因の半分勇儀さんですからね」
「そうかい?あたしはどう見てもあんた達の方が酒に弱いようにしか思えねえんだが」
それは絶対ない。
全員の言葉が重なった瞬間だった。
「なんだいつれないねえ…よしお前ら!飲み比べだ!」
どうしてそこでそうなるのか全く分からない。
家にある転移装置を使っても良かったけれどたまには旧地獄を見て回るのも悪くはない。
元から旧地獄に住んでいた者や鬼達が飲んで騒いでの喧騒の中をすり抜けるように歩く。
時々地上からの訪問客とすれ違うことがある。彼らの顔に嫌な気は感じられない。
それが良かったと思う反面、事情があって地上で生きてはいけないヒト達には辛いところがあるかもしれない。それでも地上との交流を絶つ訳にはいかなかった。
正体を隠し押し流されそうな人混みを抜ければようやく地上へ続く縦穴に出る。実質的な距離がありすぎるために設置したこの扉もだいぶ年季が入ってきた。
今日はキスメが当番をしているらしい。
一声かけて扉をくぐる。
少しだけ体が浮いて、再び地面に降り立つ。地底とは違い涼しい風が体に吹き付ける。
木々が織りなす緑の屋根が日差しをちょうど良い感じに避けてくれて居心地が良い。
振り返ってみればそこには大きな縦穴がぽっかりと空いていた。無事に通過できたようだ。
季節は初夏だというのにあまり暑さを感じられない。
まあそれは良いのだけれど…やはり夏はある程度暑くないとなんだかパッとしない。
「……」
そんなことを思いながら緑の屋根を抜けて空に飛び上がる。
眩しい光に目が慣れなくて少しの合間何も見えなくなる。
日は登ったばかりなのかまだ山の少し上あたりにある。
それでも日の明かりは初夏の幻想郷を照らし言葉にできない光景を生み出す。
青々と茂った草木に命が宿り、命の色が吹きあれる。
いつまでも景色を堪能している場合ではありませんね。
目的の場所に向かって飛び出す。
大体の方角は分かっているけれどもう何百年も行っていない土地だ。覚えていられるだろうか……いや愚問でしたね。
しばらく飛び続けていたらようやく目的の場所についた。歩きでは何日もかかってしまうけれど文さんの力をある程度想起すればすぐに行くことができる。
木々の合間をすり抜けて、あの場所に行ってみる。急に視界が開け、同時に体が空中に放り投げられた。
直ぐに空中に浮き体の自由落下を止める。
どうやらこの数百年間の合間に随分自然に埋もれてしまったみたいですね。
断崖絶壁ほどではない崖があったところは既に草木に覆われて判別不能。その下も小さな池になってしまっている。
まあこんなところに彼女の亡骸は無いのですけれどね…
ふと思い出してみれば、なんだかまた会いたくなってしまい結局はここへきてしまう。
未練はある…結局その未練に縛られているのでしょうね。
「あらさとりじゃない」
声をかけられる。それはこんなところにいるのは少し珍しい声。
振り返ってみれば、周囲の色とは全く合わない朱色と橙色の服を着た少女が立っていた。
「秋姉妹の……姉ですね」
季節感がずれているけれど…服の先っぽが若葉色に変色しているから多少は意識しているのだろう。
「静葉よ。覚えなさいってば」
静葉さんが頭を小突く。あまり合わないのでなかなか覚える機会がないんですよ。
「それに少し緑っぽいですし…」
「夏が近いからこうなっちゃうのよ」
夏が近いとそうなるんですか。初耳です。
それにしても貴女が一人でいるなんて珍しいですね。普段から妹と一緒のことが多いですから。
まあそんなことは置いておこう。
下に降りて様子を見に行く。静葉さんがそれに続く。特に会話はないけれど、彼女が疑問を言い出そうと見計らっているのはすぐにわかる。
「それで、こんなところまで何しにきたの?」
私が下に降りたところで案の定疑問が投げられた。
「ちょっと墓参りを」
お墓なんてものはないのですけれど…なんとなくそんな言葉が出てくる。
「お墓?ここら辺にあったかしら?」
「墓自体はないですけれどね」
そう…お墓なんてものはない。だけどここはあの子が自ら命を絶った場所である。
琥珀と言う名の少女の事を知るのは私とお燐だけ…
知っている妖怪はもういないだろうしいたとしても彼女を琥珀として認識などしていなかっただろう。
彼女に人の温もりというものを分かってもらう前に…消えてしまった。
「大事な人だったのね…」
「大事かどうかは今となっては分かりませんけれど…大切な仲間でした」
こいしを除けば私が出会ったことのある唯一の覚り妖怪だ。だから私も少しお節介を働かせすぎてしまった。その結果がこれだ。ダメだとは分かっていてもどうしても引きずってしまう。今までは色々あって記憶の隅に追いやってましたけれど、どうしてかふと思い出してしまった。
あれ以降同族には誰にも会うことはなく……この種族も私達二人だけになってしまった。
まあ紫がそう思っているだけでどこかにまだ住んでいるのかもしれませんが…もう表に出てくることはないでしょうね…表の生き辛さは相当ですから。
「………」
そういえば今なら閻魔さんのところに行って彼女の魂がどうなったのか確認できるんでしたね。
そうと決まれば早速閻魔さんの所に…ってあそこは冥界でしたね。
まあ…そのうち降りてくるでしょうね。その時は説教が最初に来るでしょうけれど。
「なんか邪魔しちゃってごめん」
後ろで気まずそうに静葉さんがつぶやく。
「気にしないでください。私がただ未練がましいだけですから」
結局そういうものなのだろう。残された人の思いとかなんとか言うけれど結局は未練と言う鎖に引っ張られているだけ。
「折角ですしちょっと近くを見ていきましょうか」
もう忘れようと静葉さんに向き直る。
「そうね……付き合ってあげるわ」
なにかを察したのか静葉さんも私を先導して飛び始めた。
「ふうん……覚り妖怪の仲間ねえ…」
飛びながらあの場所であったことを話す。どうしてそうしてしまったのかはわからないけれどなんとなく言っておこうかと思ってしまった。神様に話すようなことでもなんでもないんですけれどね。
「ええ、唯一会ったことのある仲間です」
「こいしがいるんじゃないの?」
「こいしは正確に言えば覚り妖怪じゃなかったんです」
それを覚りにしてしまったのは私だ。まあその選択肢に後悔はない。
「まあいいわ。あ、小さいけれど町があるわね」
話を聞きながら周りを見ていた彼女が町を見つけた。
遅れて私も村を意識の中に持ってくることができた。
小さいながらもそれは立派な町だった。
おそらく周囲の村や集落から集めた年貢を置いておくところなのだろう。
規模が大きくなくともかなり活気がある。
「ちょっと寄ってみるわ」
何をしに行くのかはわからないけれど静葉さんが高度を下げ始める。
「急にですね…何かご利益でも配るつもりですか?」
「そんなわけないじゃないの。豊作のご利益は妹よ。私は…ただ人間の暮らしを見に行くだけ」
「神様もそういうのに興味持つんですね」
「当たり前よ」
まあそれもそうか。神様といえど…基本的には人間と変わらないようなもの。多少の価値観の違いはあるけれど…
それにしても…この町があるところって確か私が崩壊させたあの場所なんじゃ…ああ、そうだった。
今となっては遠い記憶。何にも残っていないから…知っているのは私だけですね。
「あら、古本屋じゃない」
静葉さん…はしゃぎすぎですよ。
そんなこんな時間を過ごしているといつのまにか日が傾きオレンジ色の光が周囲を染めていた。人々の足取りも家に帰るものに変わっている。
私達もそろそろ帰らないとですね。それに…約束もしてしまいましたからね。