第1話 部長と副部長とパートリーダー
「それでは皆さんご唱和ください」
不思議だ。高校3年の10月も終わるころなのに、まだこの掛け声を聞いている。
その声はとてもワクワクしていて緊張していて、そして凛とした声だった。
「北宇治ファイトー」
俺はその声に昂ぶりまくった感情をぶつけるように声を上げ、拳を宙へ突き出す。
「オー!!」
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四月。今日から京都の公立高校では新学期がスタートする。そのため道を行くのは落ち着いた色のセーラー服に学年ごとに色が違うタイを合わせて着た女子学生か、学ランを着た男子学生ばかりだ。
俺――
「おはよう」
「わっ! びっくりした。おはよ」
こちらへ向かっている少し急いた足音が聞こえたので振り返ると、緑色のタイをしたセーラー服を身にまとったおさげ髪の少女がいた。
「びっくりしたって、驚かそうとしてた
「だって篤、私に気付いてないと思ってたのに急に向くんだもん。仕方ないじゃん」
晴香――
俺を驚かせようとしたが失敗、というか返り討ちを食らい少し拗ねている様子がかわいい。
「にしても、なーんで新学期早々こんなこっ早く学校に来なきゃいけないんだよ。あー眠い」
「部活動勧誘。確か去年も同じこと言ってたよ?」
「眠いもんは眠い。部活動勧誘ねえ。ぶっちゃけアレ意味あるか? あんな演奏聞いて吹部入ろうと思う人なんていないぜ、多分」
うちの部の演奏は酷い。いや酷すぎる。名ばかりのチューニングによって生み出される不協和音。奏でるタイミングもリズムもバラバラの音。もしこんなのを聞いて吹奏楽部に入ろうと思う人がいるのなら初心者以外可能性はないだろう。
「……やっぱり、私が皆を上手くまとめられないからだよね」
「そういうことじゃねーよ。晴香が部長になってから部の雰囲気大分ましになったし、晴香のせいじゃない。ただ、今までの顧問のやらせ方とかがそこら辺あんまちゃんとさせなかったっつーのがデカイだけだ」
自身が部長を務めることに未だ不安がある晴香をそっと諭す。副部長にコンプレックスを抱いているため、こういうことが多々あるのだ。
「俺あの顧問嫌いだったんだよな。技術面の指導全然しねえし。『楽しく』っつっても、そもそも何もできなきゃつまんねーのに」
「悪い先生ではないんだけどね……」
「技術の向上は人を当てにするものじゃないでしょ。まずは自分で頑張んなきゃ」
唐突に会話に入ってきたのは
「それは大前提だっつの。独学じゃ限界あるし、俺ら生徒は教えるプロじゃねんだから一定レベル行ったら指導者が大事だろ」
「まあそれも一理あるけどねえ」
「…………本気で全国行こうと思ってる奴なんて、いねえんだろうな」
本気で思うような奴だったら
わかっていても、少し寂しく思いながらそう呟いてしまった。しかしこの呟きは誰の耳に届くことなく、青く澄んだ空に消えていった。
「そういえば、楽器紹介の内容考えた?」
「もっちろん! ユーフォの魅力を新入部員にたっぷり伝えなきゃね」
「……あー忘ってた」
部長の問いに意気揚々と答えるあすかと鈍い反応を示す俺。そして普通に忘れてたと言う怠け者に溜息をつく晴香。……見事に三者三様だな。
「ちゃんと考えておいてって春休み前から言ってたでしょ。もう」
「へーへーすんませんね」
「あーつーしー」
俺はパーカスの魅力をうまく伝えられないとか言葉が上手く出ないとかそんなんじゃなく、単に考えるの面倒だから考えていない。まあ、それがわかってるから晴香に怒られてるんだけどね。
「晴香ごめんね。うちの幼馴染がこんなので」
「いや別にあすかが謝ることじゃ」
「おい。こんなのってなんだこんなのって」
「幼馴染の扱いが雑で何が悪い!」
言い切りやがったこいつ! 扱い雑って言い切ったしさらには開き直った!
「…………これだから中身ザンネンとか言われてモテねえんがっ」
「何か言った?」
「いいえ。何にも」
完璧な笑顔をつくって威圧してくるあすかに負けじとこちらも完璧な笑顔をつくって返す。何も知らない人から見れば仲睦まじい男女のように見えただろうが実際は違う。
ちくしょー的確に鳩尾にエルボー入れてきやがって。
「香織は考えるの楽そうだよなー。花形の楽器だし」
「呼んだ?」
「おっいたのか」
「幼馴染コンビが楽しく会話してる時からいたよ」
「まとめるのはやめてくんねぇか」
「私の相手をしてもらってました」
「ゴメンナサイ」
香織――
なんだかんだで1年の頃からこの4人でいることが多い。クラスもパートも違うのに不思議なことだが今や何も違和感がなくなっている。それぞれ部長、副部長、パートリーダーという役割についているから周囲からしても違和感はないんだろうな。
「あんた相変わらず晴香には頭上がんないんだねえ。尻に引かちゃって」
「引かれてねえよ。香織、ちょっとあすかの相手頼む」
「はーい」
いつも通りの会話に苦笑しながらさりげなく香織は俺と場所を交換する。
すこしそっぽを向いてしまった晴香を見ながら俺は人知れず溜め息をついた。首の後ろ辺りを掻きながらどうしたもんかと考えていると、学ランの袖を摘ままれた。ちょこんと、という表現がピッタリな掴み方と無意識の上目遣い。これは、ずるい。
「ごめん」
「うん」
「ん」
機嫌が直ったようで何よりだ。付き合いの長さと互いの余裕が、少ない言葉で物が伝わる大きな要因なんだろう。恋愛方面では頭も口も上手く回らない俺としてはこの距離が心地いい。
手の位置を少しずらして晴香の手を掴む。割れ物でも触るように、優しく。繋ぎ方はいわゆる『カップル繋ぎ』だの『恋人繋ぎ』だの呼ばれるものではなく、ただ相手の手を握るだけ。1年の頃から付き合ってるくせに2人して奥手な所為でイマドキの高校生としては交際の発展具合がカタツムリよりも遅い。背伸びしてどうこうする気がないのも原因か。
「今年はクラスどうなるかな?」
「あんまり2年の時と変わらないんじゃない? 選択科目も継続されるし」
「クラス分けはどうでもいいんだけどさ、なんで進学クラスを6、7組にするのかね」
「ほんっとなあ。特別クラスなら優遇しろっつの。移動がめんどくさくて仕方ねえ」
「いいなあ。あすかと篤は頭良くて」
「別に際立っていいことなんかないぞ。ちょっと成績落ちたら廊下ですれ違う度に先生方に小言言われるくらいだ」
「いやそれ篤だけだから」
北宇治高校では1年から文理選択がある。1~5組は配分は忘れたが二つに分けられる。そして残りの6、7組は特別進学クラスとして、各型の成績優秀者40名が集められる。6組が理系。7組が文系だ。俺とあすかは入学時から学年の主席と次席をキープし続けていることからずっとそこに入れられている。
「ま、高校生活ラスト。楽しみますか」
「そうだね」
このときの俺たちは知る由もなかった。今年の吹部は、今までの体制とは真逆を突き進む過酷なものになることを――――
なんてね。