今年のサンフェス用衣装は、青のジャケットと黒のワイシャツ、ズボン、中折れ帽、そしてスニーカーだった。
ズボンのサイドラインには青のスパンコールが入っていて、帽子には青のリボンが巻かれ、スニーカーにも青のラインが入っている。
青のジャケット以外は今回新たに制作されたものだ。このジャケットは北宇治のトレードマークみたいなものなので、上級生は大幅にサイズが変わっていない限り昨年のものを持ってきている。
普段着ているのが学ランなので、ジャケットに対し毎年なんだか違和感がある。中学でブレザーだった人はそこまで違和感がないだろうが、俺は中学も学ランだったので落ち着かない。
……ほむぅ、俺達はそろそろ着替え終わったのだが、女性陣はまだのようだ。教室を跨いで聞こえてくるはずの優子の声が未だに聞こえないのがその証拠。香織先輩はまだ崇められていない。
しかしいつまでも立往生しているのも時間がもったいない。ちょいと声を掛けておきますか。そう思い音楽室の戸を数回叩いた。
「誰!?」
「黒田ですー。部長、今大丈夫でしょうかー?」
「はーい。ちょっと待ってて」
戸が開けられ衣装に身を包んだ晴香が出てきた。可愛い。用件をさっさと話してしまうのももったいない気がするから、もうちょっとだけ眺めていよう。
立往生の時間が勿体ないと言ったな。しかし仕事をするよりも、彼女の可愛い姿を眺める方が大事だと思わんかね。
「篤?」
「…………」
「あの、どうしたの?」
「…………」
「篤ってば!」
「キャアアア!! 香織先輩かわいいいい!! マジエンジェル!!」
む、せっかく彼女の可愛い姿を眺めていたというのに邪魔をしやがって。おかげで我に返れたけど。
優子の声が聞こえたということは、女性陣も粗方着替え終わったんだろう。
「男子全員着替え終わったんだけど、どうしたらいい? もう音楽室入って良いなら楽器持ってきたいんだけど」
粗方終わったといっても全員が終わった保証はない。それに、この後外でマーチング練習をするから日焼け止めを塗ったりするはず。
それまで男子禁制は解けないから、何か雑用でもあればやっておこう。
「えっと、もうちょっと掛かると思うからテントの設営しておいてもらえる? 先生には話してあるから職員室行ってね。それと楽器置く用の机と、椅子を何個か出しておいて。外に出す机と椅子はここのじゃなくて」
「3階講義室の古いやつ、だろ。わかってるって。男子それに全員連れて行ってもいいの? 楽器運搬でいらない?」
「うーん、終わり次第でいいかな。人数いるし、運びやすいのから運ぶよ」
「おっけ。じゃあ行ってくるわ」
晴香の指示を受けた俺は、男共をテント担当と机椅子担当に分けて雑務に繰り出した。
俺はぱっと見の身長選抜により、背の高い連中と共に滝先生のもとを訪れる。選抜メンバーはヒデリ、卓、秀一、俺の4人。こん中じゃ俺が一番小さい。まったく、でかい楽器担当者の高身長率は異常だな。
「先生、テントってどこにありますか?」
「あちらにありますよ。ついてきてください」
職員室内はあまり広いわけではないので、ドラクエのように一列になって先生の後を着いていく。
なんだかドラクエと言うよりもカルガモ親子の行進みたいだ。或いは水族館で冬にやるペンギンのお散歩。
もう少し仕事をしてから伺いますね、とのお言葉を背中に受けながら、部屋の奥の方に合ったテントをヒデリとえっちらおっちら運び出す。あとの2人は先導みたいなことをしている。
「急がないと文句言われるからな。早くしないとっ」
「先輩、机と椅子もう来てます」
「楽器が来てなきゃいんだよ」
女子が来る前に、というか楽器を運び終えられる前にテントを設営しておかないと大変なのだ。
何故なら木管楽器は日に弱い。木製の部分が、ではあるが。最悪の場合割れてしまうこともある。マーチング練習の時にはカバーを付けたりもしているが、やはり日に曝さない方が良い。
その為、外練習の時にはテントが必須。さっさと設置しておかないと楽器が傷んでしまう。万一壊れた場合に弁償なんてできないし。だって高いんだもん。
それに、もし間に合わなかったら部員(女子)の視線が痛い。楽器が傷むだけでなく、彼女たちの柔肌(日焼け止め塗布済)も紫外線によってダメージを受けてしまうからな。
ああ、そんなことになったらと思うと……。
吹奏楽部にある程度在籍したなら、男子は否が応でも学ぶことがある。女子って恐いってことだ。勿論すべての女子が怖いなんてことがないのはわかっている。この4人中3人は吹部内に彼女いるし。
しかし恋人がいるすべての女子部員が恐くないわけではないし、逆も然り。だって俺ヒデリの彼女苦手なんだよ。恐いんだもん。あんまり変なこと言ったらあのドリルみたいな髪で攻撃されそう。
恋人がいないけれど恐くない部員の代表と言えば当然中世古香織だろう。外見も中身も素晴らしいからこそのマドンナ。もう北宇治のマドンナでいいんじゃないか? 吹奏楽部限定じゃなくても。
「ここら辺でいいだろ。立てるか」
「先に頭被せるんだって」
「広げるぞ。せーの!」
秀一以外は去年も立ててるのでなんともスムーズに立てられる。
ということは幾分か余裕があるので、雑談に移っていった。内容はさっき俺が考えていたことの一部だった。だが俺が言い出したのではなく、話題を振ったのはヒデリだ。
「そういえば、後藤と篤は彼女と上手くいってるのか?」
「えっ、お2人とも彼女いるんですか?!」
この野郎、公言してないことを普通に言いやがって。特に言わないってことはどういうことかぐらい考えろよ。この中で、俺と晴香、卓と梨子が付き合ってることを知らないのは秀一だけだから良いと判断したんだろうか。
その秀一も食い付いてきちまったじゃねえかよ。
ちょっとムカついたから、卓が言い淀んでいる隙に質問返ししてやる。
「ヒデリこそ、田浦とどうなんだよ。まさかパー練中に乳繰り合ったりしてねえだろうな?」
「なっ! し、してねえよ。なあ塚本」
「は、はい。てか野口先輩と田浦先輩って付き合ってたんですか?」
「俺も初めて知りました」
「篤てめえ!」
「テヘペロ(・ω<)」
あれ、卓も知らなかったのか。ソイツハワルイコトシタナー。まあいいや。仕返し成功ってことで。
これで俺の彼女については逃れられたかな。逃れる理由は単純、恥ずかしいのとめんどくさいからだ。ついでに卓達も庇ってやろう。ピンチになったら犠牲にするけどな。
とか思ってたけどあの野郎言いやがった。
「ちっ、こうなったら篤と小笠原の関係をあることないこと誇張して広めてやる」
「えっ、黒田先輩と小笠原部長が?!」
「上等だコラ、千円。こっちこそお前が複数の女子と付き合ってるって噂、吹部外から流してやる。巡り巡って田浦の耳に入る頃にはどれだけ凄まじいことになってるかな。フフフフフフ」
「おまっそれっやめろっ。本気でやめてくれ。マジでヤバいことになりそうだから」
脅しには脅しを、だよな。昔のドラえもん風の笑い方で止めを刺してやるとヒデリの顔が一気に青ざめた。
……流石に気の毒になってきたなあ。取り敢えず今はやらないでおいてやろう。いざとなったらやるけど。
あ、ちなみに俺がヒデリの事を千円と言ったのはそれがコイツの渾名だから。野口ヒデリ。最後の”リ”を”よ”に変えて漢字変換してやれば、野口英世になる。
だからコイツは、Xperia。じゃなくて、千円先輩。
「楽器、来ましたよ」
「おーっし。俺らもそっちに混ざるか」
女子達が楽器を持ってきたことを確認し、俺達も仕事を探しに行こうとしたのだが晴香に止められた。え、まだ別行動でやることあんの。
視線だけでそう訴えると、申し訳無さそうな顔をしてライン引きを頼んできた。
「ごめんね。体育倉庫の鍵は貰ってきたから」
「はいはい。メジャーは?」
「それもあります」
「これは先にセットしておいてくれ。持ってきたら直ぐに線書けるようにな」
ということで、俺達には体育倉庫からライン引きを持ってくる仕事も加わった。前に調べたことがあるが、石灰で線を引く物の名前はライン引きで良いらしい。道具の名前がそのまんま過ぎて言い換えようがない。文字数も微妙だから省略もできない。なんなんだよアイツ。
それはともかく運動部の諸君、ちょいと拝借させてもらいますぜ。持ってくるのにそんなに人数はいらないから、流れで俺と卓がライン引きを持ってくることに。
ボーン組はなんかわちゃわちゃやってた。舐めんな働け。お前らの中の細胞達は24時間365日元気に働いているんだぞ。誰かのために(誰かのためーにー)一生懸命(一生けんーめー)あなたも私も必死に働いてるんだからな。しかもみんなのために命懸けで。頑張れ細胞達。俺もブラック企業にならないように頑張るよ。プライド持って健康第一!
……何で細胞の応援してるんだろ、俺。
「黒田先輩は、部長と上手くいってるんですか?」
「なんだお前まで。別に普通だよ。そっちは?」
「俺達も、まあ、普通です」
「そうか」
普通ってなんだろうね。自分で言っておきながら謎だ。
特筆すべきことはなく、安定しているという意味でいいだろう。少なくとも今はな。
倉庫に着いた俺たちは、石灰が足りているかを確認して2台拝借した。無駄に撒いてしまうことの無いように前輪を上げた状態で運ぶ。
しかしこのライン引きという道具は不思議なもので、撒かないようにするにはウイリーの状態にしなければいけないが、撒くときはジャックナイフの状態にする必要がない。どうして口の部分に開閉できる何かを付けてはくれなかったのだろう。つけられているものもあるにはあるんだが、うちの学校のはついていない。そこんとこちゃんと吟味してほしかったなあ。
「みんな揃ったー? それでは、今日もまず楽器を持たずに演奏します。初心者の1年はいつも通りステップ練習をしてください。他は全員行進の練習から始めます。散々言っていますが、足が揃っていないと演奏のミスよりも目立つので、気合を入れていくように」
「はい!」
俺たちがまだ準備してるでしょうが!(田中邦衛風) 歩幅の基準になるところに線を引いている最中なんだからハブるの止めてもらえませんかね、副部長。そろそろ出来るから良いんだけど。
行進の歩幅は1歩62.5cm。これは8歩でちょうど5mとなる。出す足は左足とこれも決まっている。歩きながら演奏する前に、まずはこの足の動きを身体に叩き込まなくてはいけない。
今までの練習でもやってきているが、毎日グラウンドを使って練習できるわけでもないので使える時には必ず足の練習から行う。
それに今回は本番の衣装を着用しての練習だ。ジャージとは動きやすさが格段に違うので少しでも慣れておくためにやる必要がある。毎回衣装着ているような時間は無いし、何より汚れたり破れたりしては大変だからね。
今日も今日とて、部長と副部長兼ドラムメジャーによるスパルタ行進練習が始まった。
「歩幅、きちんと意識して」
「足ばっか気にして背中丸めない! かっこわるいよ」
至らぬ点がまだまだあるようだ。これでも最初よりかは大分ましになったんだけどな。
手作りバターの生クリームですかってぐらいトラックをグルグルグルグル回らされ、いい加減目が回りそうだ。
ようやっと及第点に達したのか、諦められたのかはわからないが、休憩に入った。但し5分。この後は楽器を持っての練習になる。
ほぼ全員がこの時間に休む。しかし楽器も旗もポンポンも持たないが、この時間にまで練習する、誰よりも忙しいやつが1人いる。
それはドラムメジャーを務める、我らが副部長殿。
ドラムメジャーというのは、マーチングにおける指揮者の役割を果たす者のことだ。練習では皆をまとめ指導し、本番ではバンドの先頭に立ちバトンを使ってリズムを整える、そのバンドの顔である。
昨年、一昨年は部長がその役を務めてきたが、今年は個人の性格や楽器のバランスを考えるとあすかが務めるのが妥当だろう。
今日もグラウンドの隅で器用にバトンを回している。
「ヒューヒューかっこいいですなー」
「ふふん、そうでしょ」
「自分で言うもんなあ、お前。ま、うん。お前で正解なんじゃね」
「晴香には向いてないってこと? あんたぐらい信用してやんないと、あの子いじけるよ」
「人前に出ることに関しては晴香への信頼低いぞ」
「それでも彼氏? 引くわー」
うるへー。俺らには俺らの距離があんの。好き好き大好きラブラブで交際続けられるかってんだ。
俺があまり信頼してないのは大勢の前に出て注目を集めることに関してで、それ以外の面では信頼してるっつーの。
それに晴香が担当するバリトンサックスは他に担当者がいないから、あまり抜けさせたくない。その点ユーフォはあすかがいなくても2人いるからな。
「この時間晴香の所行かなくていいの? 練習まだ続くよ」
「んなことはわーってる。香織が行ってるだろうしいいよ。後で冷やかされるのも面倒だしそれに、
お前はほっとくと勝手に溜め込むからな」
「あんたぐらいだよ、あたしの心配するのなんて。
……心配されるようなことは無いから気にしなくていいのに。過保護だねえ」
「過保護で結構。慎重派なの、俺は」
「そうだっけー?」
互いにすぐさまいつもの冗談めいた会話に戻る。ちょっぴりシリアス入れてみたけど、やっぱり疲れる。
一瞬の沈黙の後、顔を見合わせてふっと笑い合った。頭の良いこいつとの距離は、やはり心地良い。
「はーい、休憩終わり。集合してくださーい」
晴香の声がした。頑張って声を張ろうとしなくても十分響く声は、彼女の魅力の一部だろう。気弱ではあるが、ついて行きたくなるような、支えたくなるような、そんな小笠原晴香という人物を象徴するようだ。
なんてことをぼんやり考えながら、集合場所に向かって歩き出す。
「行くか」
「おうよ」
太陽公園で行われるから『サンライズフェスティバル』。
とても安直だといつも思っていた。
でも今年は、俺達にピッタリなネーミングに思えた。
このパレードで北宇治という古豪は復活する。
新顧問、滝昇のもとで。
さあ、もうすぐサンフェスだ。