打ち鳴らせ!パーカッション   作:テコノリ

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第21話 託す想いと背負う重圧

 本日吹奏楽部はそこそこ慌ただしいこととなった。と言ってもなんてことはない。ただのホール練習だ。慌ただしいのは管理職と楽器運搬係くらい。

 トラックに楽器を積み込み、学校近くのホールへ向かった。本番の会場とは程遠いが、音楽室よりかはずっとマシだ。金無し足無し設備無しじゃ文句も言ってられない。

 

 人がホールに揃ってから程なくして楽器を乗せたトラックが到着した。

 

 

「楽器到着しましたー。手の空いてる人は運ぶの手伝ってくださーい」

「それでは、皆さん準備を始めてください。中世古さんと高坂さんは、オーデションの準備を」

 

 

 トラックの到着に伴って出された指示で全員が動き出す。やることは至ってシンプルな肉体労働。ステージの上に椅子を並べ、楽器と譜面台を配置する。

 この大所帯が特徴の一つである吹奏楽部だ。一人や二人、三人や四人いなくなったって大差ないだろう。

 

 

「香織の所行ってきたら? 話したいと思ってるよ」

「そういうわけにいかないでしょ。あたし副部長だし」

「こういう時ばっかり」

 

 

 晴香かあすかのどちらかが既に香織のもとへ向かっているのかと思えば、そうではないようだ。俺という選択肢は無いし、仮にあったとしても伝えることは先週伝えている。

 この状況ならあちらのお方が言った方が良いだろう。もう片方は正論で誤魔化すことしかし無さそうだからなあ。

 肩をポンと叩いて声を掛ける。

 

 

「香織の所行ってやれ、晴香」

「私? でも」

「ここはこいつと俺が引き受けるから。なあ?」

「そうそう。こんな優秀な指揮官と手駒がいるんだから」

「手駒言うなよ」

 

 

 あすかの思惑はわからないが、晴香を香織のもとへ、という点は共通しているので揃って送り出そうとする。

 俺達二人が結託した以上何を言っても無駄であるのは、晴香なら重々わかっている。

 

 

「二人が言うなら任せるね。終わることには戻ってくるから」

 

「はいよ、行ってらっしゃい」

「はーい、行ってらっしゃい」

 

 

 晴香を香織の所へやり、優秀な指揮官こと副部長の指示を仰ぐ。でも別にないよな。

 

 

「で、なんか指示あんの?」

「特になーし。あ、椅子と楽器を譜面台を良い感じに配置とか」

「ああそうかい。訊いて損した気分だよ」

 

 

 今やってるのがそれだっつの。優秀な指揮官が残った意味無いじゃねえか。

 

 さて、そんなアホなやり取りは置いておいて、あすかの管理下で準備は着々と進む。

 普段と違う環境、あのトランペットソロパートの再オーディション、そして府大会本番が迫っている、と部員たちの心境をかき乱す要素が揃い踏みしている、なんだかそわそわしている様に見えるが、こればっかりは仕方ないのかね。

 

 準備の終わり際、香織と麗奈のもとへ派遣された人たちも戻ってきた。

 いよいよだ。再オーディションが始まる。

 

 

「ではこれより、トランペットソロパートのオーディションを行います」

 

 

 舞台上には二人だけ。観客席の後方に俺達は座っていて、その後ろに顧問の先生方が控えている。

 女子部員に前の方を譲り、男子部員は皆一様に最後尾を陣取った。俺はその中でも端っこを。

 客席からステージはこう見えているんだな、という感想を一年ぶりに覚える。

 この距離でも案外しっかり見えるもんだ。注目する箇所が少なければその分より見える。特に、ステージ上にいる人の表情とか。

 

 

「中世古さん、高坂さんの順で吹いてもらいます。両者の演奏が終わった後、全員の拍手によって決めます。いいですね?」

「はい」

 

 

 二人はそれぞれ覚悟を決した口調で返事をした。緊張が伝播したのか、近くからゴクリと唾を飲み込む音がした。

 

 

「ではまず中世古さん、お願いします」

「はい」

 

 

 すうっと息を吸い込んだ。そして、香織の繊細で柔らかな音がホールいっぱいに広がる。

 ついこの間聴いたばかりだというのに、さらに上手くなっている。彼女はいったいどれほどの努力を重ねてきたんだろう。

 

 

「ありがとうございました」

「ずいぶんと上手くなりましたね、驚きました」

 

 

 先生は微笑みと共に言った。香織の表情が一気に和らいだものになる。

 

 この後にやるというのは、いくら麗奈でもやりずらいんじゃないか?

 ちらと麗奈の方に視線をやると、胸に手を当てて大きく深呼吸をしていた。

 

 

「次に高坂さん、お願いします」

「はい」

 

 

 一音目が放たれる。

 自らの技量に揺らぐことの無い信頼と誇りを乗せたその音は、どこまでも気高く美しい。

 あちこちから、静かに息を吞む音が聞こえる。香織の時には起こらなかった。

 圧倒的だ。麗奈が上手すぎる。

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 力強くもどこか甘い音色に脳を揺さぶられた余韻に包まれたまま、審判の時が訪れる。

 

 

「これより、ソロを決定します。中世古さんが良いと思う人」

 

 

 真っ先に立ち上がり、拍手をしたのが一人。あのデカリボンは……優子か。香織は寂しそうな、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 もういくつか拍手が鳴る。きっと晴香も手を叩いているんだろう。

 今俺達が決めるべきは『どちらがソロを吹くか』であり、『どちらが上手いか』ではない。だから、優子や晴香の拍手を否定することはない。

 

 

「はい。それでは次に、高坂さんが良いと思う人」

 

 

 こちらも真っ先に立ち上がって拍手を鳴らした人がいた。ここで動ける人は……ああ、久美子か。あのふわふわした癖っ毛はそうだ。麗奈は少しだけあどけない、安堵の笑みを零した。

 香織の時より少ないが、他にもいくつか鳴った。俺も鳴らした。上手いほうに吹いてほしくて、上手いほうが吹くべきだと思っている。俺には中立だなんだと抜かす理由が無い。遠慮なく手を打たせてもらおう。

 

 拍手によって決めるならばソロは中世古香織になりそうなんだが、どうなるんだ?

 

 

「中世古さん、あなたがソロを吹きますか」

 

 

 部員たちがざわつく。傍から聞けばそれはとても酷くて、意地悪で、残酷な質問に思える。

 しかし尋ねる先生の声は、真っ直ぐであるが柔らかい。何故ならこの問いの本質は別の所にあるのだから。

 

 

「吹かないです」

 

 

 数秒の沈黙の後、香織は答えた。

 

 

「……吹けないです」

 

 

 自らの方が強者だと自認していても、他者からぶつけられて動揺することはある。

 吹けない、の言葉の後に香織から向けられた視線。込められた想いの強さに高坂麗奈がたじろいだ。

 

 

「ソロは、あなたが吹くべきだと思う」

 

 

 それはきっと香織の本心で、そして本心とは程遠い感情だろう。それでも彼女は自ら認めたのだ。ソロを吹くべきは麗奈だと。自分ではないと。

 今にでも声を上げて、膝を折って泣き出したいだろうに、震えた声からは悔しさのほかにどこか晴々とした感情も伝わってきた。

 諦めきれない。納得できない。

 そんな気持ちを力尽くで捻じ伏せられた。だからやっと納得できた。

 残酷に思えた問いかけは、香織に自ら納得するための機会を与えるものだった。

 

 

 小さな子供のように、大きく大きく泣き喚く声が響く。

 

 

 

          *

 

「私、もう、本当に悔しくて。香織先輩がソロ吹けないことが」

 

「私は香織先輩に諦めて欲しくないんです」

 

「じゃあ、黒田先輩。香織先輩が、納得することを諦めない為の方法はありますか。無理に納得したことにしない為の方法は」

 

          *

 

 

 

 以前、彼女と交わした言葉を思い出した。

 優子は、香織がソロを吹くことを誰よりも望んでいた。諦めることなんてしてほしくなかった。この結果だってずっと前からわかっていたのに。

 無理矢理諦めることは無かった。それは彼女の望みの一つだったけど、妥協した望みだった。

 妥協なんかしたくなかった。妥協なんかさせてほしくなかった。

 優子の声が訴える。

 悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。

 それでも受け入れるから。香織先輩(あなた)が納得したなら私も納得するから。わがままはこれで終わりだから。

 今は泣かせて。

 

 

 選ばれたならば、選ばれなかった者の分まで上手くならなければならない。背中に何を負っているかを知らなければならない。

 

 

「高坂さん、」

「はい」

 

 

 滝先生が麗奈の名を呼んだ。まだ見ぬ重圧に表情は強張っている。

 

 

「あなたがソロです。中世古さんではなく、あなたがソロを吹く。いいですか」

 

 

 先生はここで突き付けたのだ。ソロを担当することのプレッシャーがどれほど大きいのかを。その大きさはいったい、どんな意味を持つのかを。

 麗奈はゆるりと背筋を伸ばし、応えた。

 

 

「はい」

 

 

 これで、麗奈は誰にも背負えないものを抱えた。誰にも渡せない。誰にも分けられない。彼女のみで背負わなければいけないもの。

 麗奈に託された想いは、あまりに強い。その想いの強さはきっと麗奈を強くする。

 負けてくれるなよ。頼むからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オーディションも合奏も終わり、あっという間に撤収作業の時刻が訪れる。

 オーディションで目の当たりにした香織と麗奈の熱にあてられたように、その後の合奏練習での気合の入りようは凄まじいものだった。上手くなりたい。全員がそう言っている様だった。

 その熱は楽器を音楽室に戻してから、今日は解散。まあしかし合奏での熱はまだ残っているようで、帰りのバスのなかでは、学校に着いてからの練習について話す声に溢れていた。

 

 

 

「ごめんね。お待たせ」

 

 

 人が少ないのをいいことに、下駄箱前の簀の子に座り込んでなかなか暮れない夕日を頼りに文庫本を読んでいると声を掛けられた。

 普段は自分のノルマを達成したらそそくさと帰宅しているんだが、今日は一緒に帰ろうと言ったのだ。偶には恋人らしくしようとしてみたっていいじゃないか。

 

 

 

「練習してたのに謝る必要ないだろ」

「そっか。じゃあ、ありがとう」

「うーん、うん。別に感謝されることでもないけどな」

 

 

 練習してて相手を待たせたからって、どうってことないと思うんだけどな。待たせてごめんね、でもないし、待っててくれてありがとう、でもないんじゃないか?

 

 癖で早めに動かしそうになる足をどうにかゆっくりにして、ぽつぽつと話す。――とできたらいいんだが、言葉が浮かばない。チチチチと俺の自転車のタイヤの音だけが、途切れず二人の間を流れた。

 あーダメだ。ストレートな言葉しか出て来ねえ。

 なんとなく逃げやすさも考えながら、信号待ちの間に自転車越しで晴香の頭に手を載せる。

 

 

「もう泣いてもいいぞ。俺しかいねえんだから」

 

 

 これが正解じゃないのはわかってるが、せめて不正解でありませんように。こう思いつつ横目で顔を見る。

 ポカンとした顔から、泣きそうな笑顔を浮かべた。

 

 

「私が泣くの確定なの?」

「じゃあ泣かないのか?」

「まだ泣かない。ここだと篤が困るでしょ」

 

 

 仰る通りで。

 まだ泣かないと言っているが、ずっと限界に近かったんだろう。声が震えている。話したら泣いてしまいそうだから、口を閉ざしていたんだな。

 ほんの少しだけ歩くペースを速めて、いつもの公園へ行こう。

 

 

 

 

 

 ガシャン! と、いつも使う公園のベンチの傍に自転車を駐めて振り返る。

 

 

「なんか飲み物でも買っ、て……」

 

 

 振り返ってちょうどのタイミングで、それなりの勢いで晴香が俺の肩に顔を埋めてきた。

 もう暗くなってて本当に良かった。なんて、目の前の光景と自分の身体の感覚をすぐに受け入れられていない自分が思う。だがそれも一瞬のことだ。

 数時間もずっと我慢してたんだよな、君は部長だから。俺の前でぐらい肩書をどこかにやればいい。好きなようにしろよ。俺は全部受け止めるから。言葉だって想いだって涙だって。

 片手を背中に回し、もう片方の手で頭を撫でる。

 

 

「香織、凄かったよね。凄く上手になってたよね」

「でも、高坂さんが、もっと上手で」

「香織は、納得できたよね。……ねえ」

 

 

 何も言うまいと思っていたが、尋ねられれば答えるさ。

 耳元に向かって囁く。

 

 

「ああ。納得できたよ、ちゃんと。ちゃんと、諦められた」

「そうだよね。それなのに、香織に吹いてほしかったって、ダメかな?」

「ダメじゃない。当たり前だ。そこで止まっちゃダメだけどな」

「わかってる」

 

 

 香織本人が後悔していなかったら、他が立ちどまっちゃいけない。それは香織の気持ちを踏みにじることになる。そんなことをさせちゃいけない。でも晴香がちゃんとわかってるなら、いいんだ。

 

 晴香はここまでの道中のようにまた黙り切った。俺も同様に黙った。

 

 暫くして背中に回されていた手が離れた。もう大丈夫、と彼女は言う。

 

 

「大丈夫が本当に大丈夫かぐらいわかるぞ。彼氏なんだから」

 

 

 先程までより少しだけ強く抱き締める。これだけ言わせろ。前を向こう。道はある。

 

 

「全国行くぞ。最後まで演奏するんだ。みんなで」

「行けるよね? 全国」

「行ける。行く。考えてみろよ、すげー上手くてもソロになれないほどの実力者だっているんだぜ。しかも指導者は滝先生だ。あとは結果に繋がるほどの努力をすればいいだけだ」

 

 

 努力こそ自信。自らを信じる為の証拠みたいなものだ。その証拠を全力で積み重ねればいい。

 何とも自分勝手だが、言いたいことも言ったので回していた手を離した。

 

 

「篤。ありがとう、大好き」

 

 

 本当に日が落ちていて良かった。顔が熱い。

 どうしようもなく緩む口角ををどうにか笑みの範疇に抑える。

 

 

「知ってる。俺も」

 

 

 晴香の体を引き寄せ、そのまま顔を近付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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