打ち鳴らせ!パーカッション   作:テコノリ

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第28話 逆鱗

 それは平穏なる日々を、青春なる日常を謳歌していたはずの日のことだった。

 ある生徒、否。ここは元部員と表しておくべきだろう。昨年大量に退部していった現二年生の内の一人が、部に復帰しようとしているという噂が流れた。

 詳細を確認していないので現時点では噂という捉え方になるが、恐らく真実なのだろう。火のない所に煙は立たないのだから。

 いや、火は起こさずとも煙だけが存在することもあろう。だがしかしそんなことをするメリットは誰にもない。少なくとも、今回のケースについては。

 

 

 少々屈辱的な事に、俺はその情報を噂として初めて聞いた。

 大方、渦中の三年生が俺に知らせないようにしたんだろう。流石、俺の行動がある程度予測できるようだ。

 しかし知ってしまったからには、動き出さなければなるまい。

 誰になんと言われようが、こればっかりは俺の義務なのだ。

 例えそれは望まれていなくとも、行動を起こすことは、俺が俺自身に課した義務なのだ。

 

 

 

 

 

 誰よりも大切な女の子が、たった一つ抱え続けている願いを叶えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つい先刻のことだ。

 件の元部員――傘木希美(かさきのぞみ)――が復帰の許可を得ようと、連日低音パートの所へ通っているという噂を耳にした。

 希美はフルートパートだったのにも関わらず、何故低音のもとへ通っているのか。

 いやはや、俺にとっちゃその理由なんぞはどうでもいい。

 ただ耐え難い事実が一つある。

 もう自主練の時間になっていて良かった。心置きなく乗り込める。

 

 

 

 低音パートの練習教室である三年三組の前に、女子生徒三人が溜まっている。どうやら中の様子を窺おうとしているらしい。

 負の感情を無闇に他人へぶつける趣味はない。それも後輩女子なら尚更だ。

 音楽室を飛び出してきたときに放り投げた仮面をつける。俺が俺であるための仮面(ペルソナ)を。或いは、守るべき何かの為の殻を。

 仮面を着けるついでに、急いだお陰で乱れた呼吸を整える。

 驚かれて大きな声を出されるのは面倒だ。気配を消さないことを意識して彼女らに近づく。

 

 

「何してんだ?」

「あ、黒田先輩」

「うわあむぐっ」

「わああんぐっ」

 

 

 わざわざ気配どころかオーラビンビンにしてやったというのに、サファイア川島以外気付いてくれなかった。葉月と久美子はもう少し俺に興味持ちましょうか。

 慌てて二人の口を手で塞ぎ、教室の方を一瞥してから文句を言わせてもらう。

 

 

「でかい声出すな。中に聞こえちゃうだろ」

 

 

 ニュートラルなトーンで言ってから手を放す。流石低音管楽器担当者たち、あまり息が切れていない。

 

 

「先輩はどうしてここに?」

「ああ、ちょっとな」

 

 

 模糊とした言葉で濁すと、室内から切実に懇願する声がした。ドアを一枚隔てたにも拘らず、想いが十分に伝わるだけの熱を持っていた。

 

 

「あすか先輩は特別なんです。あすか先輩から許可を貰いたいんです!」

 

 

 答える声は熱をなかったことに出来るほど冷たかった。冷淡どころか冷徹といって差し支えないだろう。

 

 

「だから何度も言ってるでしょう? 私は許可を出さないって」

 

 

 さっき着け直したはずの仮面の一部がパラパラと崩れる。

 原因は希美の言葉か、あすかの態度か。どちらでもいい。どちらかか、どちらもかなんてのは大した問題じゃない。

 仮面が完全な状態を保っていない。その事実があればいい。

 

 俺の圧が伝わったのか、三人が少し後退る。ごめん、君らを怖がらせるつもりはないよ。

 一番近くにいた久美子の頭にポンと手を乗せる。

 それから一言声を掛ける。俺が感情を剥き出しにする様子を、傍観者に見せたくないから。

 

 

「君たちは練習に励みたまえ」

 

 

 

 意識的に肺に酸素を取り込みつつ、仮面の形を初期の虚化のような不完全な形へ変化させる。

 逆鱗に触れられた時点で俺の仮面(ペルソナ)はここまで崩れた。真実でありながらも偽りのアイデンティティが崩壊し、本当の真実の一歩手前まで俺自身が現れる。

 対象者への容赦とか、忌避すべき面倒事だとか、そんなものは知ったこっちゃない。

 一番上の仮面の良心に合わせた程度で容赦はしてやる。意識的には出来ないが。

 面倒事に割く労力が勿体無いから、それは忌み嫌ってきた。だがなんとしても避けなければならないものがあるなら、なんとしても護らなければならないものがあるなら、俺は何を犠牲にしてでもそれを護る。

 

 

 目の前のドアを強めに叩く。

 返事を待たないうちに開けようとしたが、鍵が掛かっているようだ。

 俺が開けろと言う前に、入れてと声がした。

 すぐに開けられたので遠慮なく中に入る。招き入れた人間以外は驚いた顔をしていた。俺が来るのわかってたのかよ、お前は。

 

 

「何の用ですか」

 

 

 希美が射る様な視線と唸るような声で噛みついてくる。

 邪魔だろうなぁ、この上級生は。多分希美にとって、俺は凡庸な一上級生ぐらいの認識だ。そんな奴がしゃしゃってきたら鬱陶しいことこの上なかろう。

 だが大事なときに水を差されて鬱陶しく思うのは俺もなので勘弁してほしい。

 

 

「その言葉、そっくりそのままお返しさせていただこうか。()()()

「待って下さい、そんな言い方は」

「読んで字の如く部の外の者だ。違うか?」

 

 

 希美を庇おうとした夏紀はぐっと押し黙った。

 詭弁でも正論でも何でも使う。今の俺と話をするというのはそういうことだ。全て捻じ伏せる。

 

 抗議をしてこなかった希美他数名は質問意図を掴めずにいる。

 当然だろう。希美が部に復帰しようとしている、と聞いていなければここに俺は来ていない。あくまでこれは言葉運びの為のやり取りだ。

 

 

「私は部活に戻りたくて、そのためにあすか先輩の許可がほしいんです」

 

 

 そこで止めればよかった、と後にあすかは言った。卓を(けしか)けて実力行使で止めれば、と。きっと俺の方を。

 しかし現実という筋書きのない物語はやり直しが一部だってきかない。

 タラレバが次の機会で推進剤に成り得るとしたって、その時点でやってしまったことは変わらないのだ。

 

 

「いきなり出てきて、邪魔しないでください!」

「邪魔をしているのはどっちだ」

 

 

 心に溜まった憤怒がそのまま音を持ったような声が出た。

 激昂し喚き散らすことなどしない。

 深い海の底を想起させる冷たさと圧力。

 これが俺の逆鱗に触れるということ。掠めたり、興味を持つ程度じゃここまでならねえんだよ。

 

 希美に向かってずかずかと歩み寄り、結果壁際に追い詰める。

 彼女の顔の斜め上に右の掌を思い切りついた。

 

 

「お前の勝手な都合やわがままで、あいつの時間を奪うな」

 

 

 自分の願いを叶えることをあすか自身が諦めていないのなら、俺は全力で障害を取っ払う。

 誰にだって、邪魔はさせない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作用・反作用の法則を用いて壁から離れ、体を半回転させる。

 右手で顎のあたりを擦りながらあすかに尋ねた。昂った感情は粗方鎮火しているので、フラットに。

 

 

「で、なんで通われてたの」

「私が復帰の許可を出さないから。今希美ちゃんに戻られると部にとってマイナスになる」

 

 

 何がマイナスになる? 何が問題になる?

 あすかの思考がわかれば、俺がどうにか出来る。

 

 考えろ。

 散文でいい。俺の頭の中(最強の思考空間)でどうにでもなる。

 

 希美の復帰が部のマイナス。上を目指すための障壁。

 低下するもの。瓦解するもの。

 演奏。モチベーション。技術。表現。

 どれだ。誰だ。

 希美。繋がりは?

 フルート。南中。辞めてない。現在コンクールメンバー。

 誰だ。決定打はどこだ。

 フルートは、調。フルート唯一の二年。

 南中は、誰だ。夏紀はB。他、優子、みぞれ。

 優子。そんな程度で崩れない。香織がいる。

 みぞれ。……みぞれ? 部で唯一のオーボエ奏者。技術は高い。自由曲でソロ。

 これか?

 

 

「ダメになるもんがあるんだな?」

「そういうこと」

「そうなると全国に行けない」

「そう」

 

 

 確定だろう。後で一応確認はするが。

 思考の際に落としていた視線を拾いつつ、あすかに話す。

 

 

「……なるほど。わかった。じゃあ、お前の役割寄越せ」

「どういう意味か、訊いてもいい?」

「許可を出すかどうかは俺が決める。当然、お前の判断基準でな」

「あんたが言うなら承諾するしか……」

「ま、待ってください」

 

 

 俺とあすかの間だけで話が展開されていった。理解が追いつかず呆然としていた二年生諸君だったが、噛み砕けばわかったようだ。

 希美はさっきの恐怖が抜けていないようで、代わりに夏紀が異議を申し立てる。

 

 

「希美が欲しいのは、あすか先輩の許可なんです。いくら黒田先輩があすか先輩の基準で判断するとしたって、無理があるんじゃないですか?」

 

 

 代役だのが出てくりゃ、その差異を気に掛けるのは至極当然のことだろう。俺、今回イマイチまだ情報足りてねえし。

 それでも、今回の件の結論は頭を使えば十分辿り着ける。そして何より、黒田篤と田中あすかの間で、目立った齟齬が発生することはない。

 

 

「大丈夫大丈夫。あたしとこいつの仲だし。あと、こいつのことを低く見積もらない方が良いよ」

 

 

 

 あすかからこの忠告は、現段階だと結構ありがたい。関わりがあまりなかったからなのか、希美には舐められているみたいだからな。

 日頃圧を感じさせないように振舞ってきたのが、こんな風に裏目に出るとは思ってなかった。

 取るに足らない一上級生。それを特別な上級生が擁護していれば、希美の眼にはどう映るだろうか。

 

 

「私は、私はあすか先輩じゃなきゃダメなんですっ! 先輩は特別だから。こんな人の許可じゃ」

「聞こえなかった? 篤のことを低く見積もるなって言ったんだけど」

 

 

 こんな人、なんて評されたのは初めてだ。それだけ俺のタレントステルス性能が向上したってことかね。などと茶化して考えられるのは、あすかの言葉ゆえだろう。

 俺はあすかが特別と言われると腹を立て、あすかは俺が平凡だと言われると腹を立てる。らしい。

 いや、お互いにある程度は認めている。彼女は特別、俺は平凡だと謳われることを。そう振舞っているのだから。それでも、あれだけ真っ向切って言われては思うところがある。ようだ。あいや、スターウォーズのキャラじゃなくって。

 さっきから語尾が不確定になっているのにはちゃんと理由がある。あすかが俺のことで機嫌を損ねるのをみたのが初めてなのだ。

 俺が本当に侮られると、こいつはこうも業腹だということを初めて知った。若しかしたら俺の知らないところで表れていたかもしれないが。

 つい数分前に俺の怒気を思い切り浴びておきながら、希美はよくもまあこんな人、だなんて言えたもんだ。その図太い神経を称賛できるほど俺が無関係だったらよかったのにな。

 

 

「あすか。裁量権は委託してくれるな?」

「あんたが言ってて渡さないわけにいかないでしょ。ついでに副部長って肩書もあげようか?」

「いらんいらん。責任取る様な仕事はいらん」

 

 

 互いについて感情を発散したからこその安心感。というか雑感というか余裕というか。言ってしまえば、身内にだけ容赦するアットホームな雰囲気が作られる。

 道化た言葉と裏腹に、まとう空気はひどく排他的に感じられるだろう。

 あすかをてきとうにあしらい、希美と夏紀に向き直る。

 

 

「さてこいつはこう言っているんだが、それでも君らは、俺ごときじゃ不服か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書いていて嫌な回でした。なりふり構わず彼が感情を爆発させる様子は、表現に苦悶したので余計に……。

希美が好きな方々、申し訳ありません。
あ、作者は希美好きですよ。なあんか人間臭くてリアルな感じが好きなんですよね。リズの時なんか特に。東山奈央さんの演技も最高です。91年組ホントすげえなあ。


そんなこんなで、また次回の更新をお楽しみに。

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