「きりーつ。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
文化祭・球技大会から一夜明け、校内における非日常と日常の狭間。
行事直後の休みだからといって吹奏楽部まで休みになることはない。もう慣れ切っているからどこからも文句は出ない。今日に限っては練習時間が短いと文句が出ていた。
滝先生が容赦をしてくれたというのもあるが、流石に今日は半ドンにしてくれと俺がこっそり頼み込んだお陰でこうなった。ひとつひとつの負担はそこまで大きくないが、量があったのでマジ疲れた。過労死するかと思ったわ。
「あれ、先輩もう帰るんですか?」
「帰る休む寝る! つーことで、お疲れさん」
珍しく、なのだろうか。足早に音楽室を去って帰路につく。
連日溜まる疲労のお陰で身体の節々や頭に靄がかかったような感覚がある。
「ふぁあ」
目がちゃんと開いていないのが自分でわかる。さっさと帰って寝よう。
と思ったけど、やっぱやめた。雲の動きが非常に怪しい。そういえば台風が近づいているとかだったな。明日あそこに行けなくなるくらいなら、今日のうちに行っておこうか。天気が芳しくなくてずるずると行かないのも気持ち悪い。一日早いぐらいなら許してくれるだろう。
自転車をかっ飛ばし目的地に向かう。今日は花屋に寄るのは止めた。今日か明日か、同じ花が供えられるだろう。千尋さんの好きなイタリアンホワイトが。
毎年九月某日に訪れているのは霊園。この霊園にもう五年は通っている。
丁度お盆の時期、というわけでもなければ親戚の墓参りでもない。五年前に少し関わった人が、関わった間に亡くなった。
憧れへの手がかりをくれた人だった。いつか、と夢を語った間柄だった。唐突にいなくなってしまったから、こうして一方的に会いに来ている。
滝千尋さん。
病気で入院していたから少しやつれていたけれど、美しい人だった。朗らかで、優しくて、温かい人。北宇治高校のOGでマサさんとは高校も大学も同じ。高校で音楽の先生をしていて、教え子を吹奏楽の全国大会金賞へ導くことが夢。旦那さんのことを話すときは本当に幸せそうな顔をしていた。それと同時に、自分がいなくなった後のことをとても心配していた。強がりが上手で弱音を吐けない人だから、と。それから、イタリアンホワイトという白い向日葵が好きで、病室にはいつもその花が飾られていた。プロポーズの際には旦那さんからその花を貰ったとか。花言葉は「あなたを想い続けます」。
千尋さんの言葉で、いつかの未来をたくさん想像した。
俺が憧れた学生に逢えるだろうか。北宇治吹奏楽部で全国金賞が取れるだろうか。その舞台に千尋さんと共に立てるだろうか。千尋さんたちのように、想い合える相手と巡り合えるだろうか。
病気で入院しているというのに、日々のことを楽し気に話す姿は憧れだった。千尋さんと彼女の旦那さんが俺の理想の大人になった。旦那さんに会ったことはないけれど、きっと素敵な人だと感じている。
墓を綺麗にしてから手を合わせた。キリスト教式の墓なので線香を立てることはない。
「ねえ、千尋さん」
何から話そうかな。話したいこと、何があったっけ。ああ、そうだ。
「北宇治高校吹奏楽部、全国大会出場決定しました」
きっととっくに知ってるんだろうな。でもまあ、ここで言いたかったから。
「全国で金獲るから。見ててくれ。連れてく」
それからさ。これも話そうって決めてたんだ。
「あと、昔言ってた人、逢えたよ。うちの部活の外部指導者だって。俺すげえビックリしてさあ。マサさんも、俺のこと覚えてくれてたみたいで。めちゃくちゃ嬉しかった。今度千尋さんの話とかしたいな。いいだろ?」
ざっと砂利が踏まれる音がした。音の方向は迷いなくここを向いている。立ち上がって音を発している人を見やった。
「黒田くん?」
「滝先生?」
どうしてここに。多分お互いそう思っている。
視界の下の方に白いものが映った。イタリアンホワイトだ。
その瞬間気付いた。ああ。この人か。
滝という名字は別に珍しい名字じゃない。だから考えがいたらなかったんだ。マサさんへの繋がりで気付いても良さそうだけどなあ、俺。
「滝先生が、千尋さんの」
「……黒田くんは、妻と知り合いだったんですか?」
「はい。病院で少し」
「そうですか……」
先生は持ってきた花を墓前に供え、手を合わせた。
ふっと見えた横顔は途轍もなく優しくて、どこかイケナイものを見てしまった気持ちがした。誰も触れてはいけない場所だ。
「入院している間、妻がよく話していました。仲良くなった中学生の男の子がいると」
「それ、俺です。滝先生のお父さんが北宇治の顧問をされていた頃の話とか、いつも飾られてるイタリアンホワイトのこととか、いろいろ聞かせてもらいました」
「黒田くんとのことを話しているとき、妻はいつも楽しそうでした。これからの代に希望が繋げて嬉しいと。私と話している間はどこか弱さを隠すように見えていたんです。でも君の話をするときはそれが見えなかった。だからもしいつか逢えたら、お礼を言いたいと思っていたんです。五年も経ってしまいましたが、黒田くん。ありがとうございました」
「あ、いや。俺の方こそ。千尋さんと話してるの、凄い楽しかったので」
「そうですか」
また優しい顔を浮かべる。その面差しが向けられる相手はもういない。
千尋さんからも、滝先生からも礼を言われる筋合いはない。本当に、俺の方が礼を言いたいぐらい希望みたいなのもらったから。
そういえば、と何かに気付いたように言葉を続ける。
「黒田くんはどうして病院にいたんですか?」
「えっとー、腕の骨にヒビ入ったんですよ。学校の階段から落ちて。その治療とかリハビリです。千尋さんとは病院のコンビニで会いました。あの人背ぇ低いんで、上の方のもの自分じゃ取れてなかったんですよね」
強烈なエピソードというわけでもないのに未だにしっかり覚えている。カフェオレというよりはコーヒー牛乳と形容するのが正しいような飲み物を取ろうと背伸びしている女性がいた。その棚がえらく高くはなかったが、小柄な女性だったので苦戦していた。俺は中学一年の夏には成長期真っ只中だったので、代わりに取ることが容易にできそうだったから行動に移した。それだけのことがきっかけの縁。
……巡り巡って五年後に出会う人たちに繋がっているとは。何があるかわかんねえな。
それから、滝先生と千尋さんのことをたくさん話した。
俺が千尋さんと過ごした時間よりも、滝先生が千尋さんと過ごした時間の方が圧倒的に長くて深い。先生はポロポロと、ポロポロと想い出を聞かせてくれた。
それは普段生徒に接しているときと全く雰囲気が違っていて、うっかり話してしまっているのだと窺えた。いまだに彼女がいるかのような話しぶり。生はなくとも、千尋さんは先生の心の中にいるのだ。ずっと。
拝啓 今年もまたイタリアンホワイトの花が盛る時期になりました。そちらでは如何お過ごしでしょうか。
今日は、あなたからもらったものが今の俺を形作っていると改めて感じたよ。俺はあなたにたくさんの希望を貰った。もう少ししたら必ず還すから、待っててくれ。還せてもほんの少しだろうけどさ。
俺、千尋さんの旦那さんに会いたいって思ってたんだけど、もう会ってたみたいだ。滝先生がどんな先生かって知ってるか? 吹部内と吹部外で全然評価違うんだぜ。HRじゃそんなことないんだけど、部活だとめちゃめちゃ厳しいんだ。でも今じゃ部員に慕われてる。って、こんなこと奥さんに報告するものじゃないか。
改めて宣言させてくれ。先生と一緒に、五十五人で全国金賞獲る。俺のしたいことに勝手に他人の想い乗せてるだけだから、気にしないでくれ。これはとっくに俺個人が掲げる目標なんだ。
また来ます。それじゃあ。
滝千尋様