「名付けて、『あすか先輩を連れ戻すぞ大作戦』です」
妙ちくりんなことに巻き込まれた。
訳がわからない? 俺もわからない。取り敢えず、整理するために少々時間を巻き戻そう。
――――――――――――――――――――――
先日、滝先生から部員一同に向かってあることが通告された。
今週末までにあすかが部活を続けていくことのできる確証が得られなかった場合、全国大会の本番は夏紀に吹いてもらう。
冷静に考えれば至極当然の判断。というか今までこの処置がとられてこなかったことが意外まである。それに関しては、本人の意志とか実力とかこれまでの貢献度とか、そんなところで容赦されていたんだろう。
だが本番まで残すところ三週間。それら諸々を差っ引いても、いい加減限界らしい。
俺があいつに出来ることは本当に何も無いしそれに対して納得だってした。しかしいざこうして諦めまでのタイムリミットが示されると、静かに煮えていたはずの悔しさが熱を増す。切歯扼腕とはよく言ったものだ。
そして今日。練習が終わった後に話があると夏紀に呼び出され、指定された空き教室に向かった。
そこには俺を呼び出した夏紀の他にもう一人、窓際の席に座って待っていた。二人の近くの机に腰掛けながら尋ねる。
「久美子も呼ばれたのか?」
「黒田先輩もですか?」
「私が呼んだの。それじゃあ人も揃ったことですし、作戦会議始めましょうか」
「作戦会議ぃ? 何の」
「名付けて、『あすか先輩を連れ戻すぞ大作戦』です」
時の砂を使っても状況が変わらないのはどういうことじゃい。タイムマスターに時の砂使われるとマジでイラっとするよね。あ、DQⅦの話です。
唯一推測できるのは、あすかのことだなってぐらい。てかクソダサ作戦名の命名者誰だよ。
「なんかビミョーな顔してますけど、作戦名考えたの私じゃないですからね。香織先輩です」
「そうかい……」
あっぶねー。今の口に出してたら優子から私刑食らうところだった。香織って変なセンスしてるところあるんだよな。文化祭の時も宣伝で変な着ぐるみ着てたし。香織が笑顔振りまいてる方がずっと効果あるっての。
「あの、なんでこのメンバーなんですか? あすか先輩のことなら黒田先輩だけでいい気がするんですけど」
「えー。俺要らなくね?」
散々言ってるけど、俺ちゃん今回マジで役立たずよ。
「黄前ちゃんが実行者で、黒田先輩がアドバイザーです」
「夏紀が指揮官?」
「私はただの依頼者ですよ」
「待ってください。私何やらされるんですか?」
悲壮感を滲ませた声で久美子が問う。そう心配しなくても、巻き込まれ慣れしてるんだから大丈夫だろ。
久美子とは対照的に、からっとした様子で夏紀が話し始めた。
「黄前ちゃんさ、来週あすか先輩の家に勉強教わりに行くんでしょ?」
何それ初耳。あいつが家に人呼ぶことほぼないぜ?
「わかりました無理です」
「まだ何も言ってないんだけど」
「そこでお母さん説得してこいって言うんですよね? 無理です。無茶ですってばー」
「そんな黄前ちゃんには、この香織先輩からのメモと黒田先輩をどうぞ」
メモをすっと差し出し、通販番組の様に俺を指し示す。
「俺売却済みよ?」
「黒田先輩は恋愛対象で見れないのでそこはどうでもいいです」
「同じ気持ちのはずなのにちょっとイラっとした」
俺が真の男女平等主義者だったら殴ってるかもしれない。もしくはドロップキック。スティールはしない。紳士だからな。
「『駅前、幸富堂の栗饅頭が一番おすすめだよ』?」
「なんだ。おばさんの好物か」
「おばさんって、あすか先輩のお母さんですか?」
「ああ」
読み上げられたメモの内容は実に安っぽい。そんなので釣られる人じゃない。
「先輩も知ってたんですね」
「香織が知ってて、俺が知らないわけないだろ」
「じゃあそんな黒田先輩からアドバイスをば」
「おばさんの説得は無理だ。諦めろ」
「え」
好物持って行って説得できるぐらいなら俺がとっくにやってる。それぐらいチョロいならそもそもこんな状況になってない。
本当に、香織はあすかの解像度が低いな。焦がれているくせに。
「なんとかなりませんか」
「むーりぃー。あの人、他人の話聞かねーもん」
あすかは後輩に慕われるタイプではない。けれどこうして慮って行動を起こしてくれる人がいる。これはあいつが正当に得た存在だろう。
だがそれ故に気に掛かる。
「夏紀。あすかが戻らなければ大チャンスだってわかってるか?」
目を見開く。それから一拍置いて、「わかってます」と真っ直ぐ言った。
「それに、部にとっては全くチャンスなんかじゃありません」
「お前にとっては?」
「私にとってもです」
「模範解答だな」
「優等生なので」
夏の希美の件といい、夏紀にはどうも意地悪な質問ばかりしてしまう。未知の探究の為に質問をすることが有効なのは、ソクラテスの頃から変わっていない。
六眼と違って何でも見えはしないが、問答と共に相手の目を見れば気持ちはわかる。コンクールへの憧れと執着を含んだ本心。あいつは本当に恵まれている。
「今年はあすか先輩で、来年は私が、この子と一緒に全国で吹きます」
「夏紀先輩……」
久美子の肩に手を乗せて笑う。エゴイズムを押しつぶして。
ならば俺は、俺たちは、それを尊重しなくてはならない。
少しだけ目を瞑り、鼻で短く息を出す。それから久美子の眼を見た。
「期待してる」
この俺としては非常に不本意な感情だが、この子ならどうにかしてくれるかもしれないと思ってしまっている。俺の力では何も出来ないけれど、久美子ならと。
「……ひとつ訊いていいですか?」
「ん?」
問いかけに応える声が重なる。どちらに向けられた質問かわからなかった。
相手を明らかにしないまま、後輩は質問を続ける。
「どうして私なんですか?」
「黄前ちゃんは、これまでいろいろ上手くやってきたから。高坂さんのときも、みぞれのときも。だからだよ」
ゆっくりと、そしてまっすぐ言ってのける。その姿勢は久美子への信頼を雄弁に物語っていた。
「私は何もしてませんけど」
「いンだよ、それで」
これまでの騒動で久美子が何もしていないなんて思っていない。俺が知らないところで何かしらの働きをしてくれていただろう。でもそれを自分の手柄と認めていないのなら、無理に押し付ける必要もあるまい。
それに、俺が久美子に期待している一番の理由は他にある。
「唯一なんだよ、久美子が。あいつが弱音、言おうとしてるの」
「弱音?」
あ、やべ。ここら辺わかってるのは俺だけでいいんだ。
「あまり入れ知恵はしないでおこう。どうせポロポロ喋っちゃうからな」
「偶に頭と口が直結してますからね」
「頭ってか脊髄じゃねえの?」
「それもう反射じゃないですか」
「二人ともやめてください!」
失言女王に対して好き勝手言っていたら失言女王に怒られた。夏紀はこういった軽口にうまく合わせてくるな。
久美子は良心が強くて隠し事が出来ないんじゃなく、何でも喋るから隠し事が出来ないタイプ。なんてことを言うのも今更か。
卑怯なことと知りながら追い打ちのように身体を動かす。机から腰を下ろし、未だ不安そうに揺れる後輩の眼を見つめた。
「頼む。あすかのことを助けてやってくれ」
彼女が「出来る限りのことを」と言ってくれるまで、最敬礼ほど頭を下げ続けた。
誰よりも大切な女の子が救われるのなら、それは俺じゃなくてもいい。
あの子が俺の介入を拒んで、俺以外の誰かを許容しようとしている。悔しくて、寂しくて、でもそれとは真逆の感情もいる。
今、あの子に対して俺が出来ることはこれぐらいだから。
祈るように誰かに想いを託す。
あの子が唯一助けを求めた人は、俺が初めて希望を託した人でもあった。