でもこれは嘘じゃありません。新年初投稿です。
いや、本当にもう謝るしかありません。ここまで遅くなってしまい、申し訳ありません。作品は完結させます。投げっぱなしだけはしないつもりです。はい。これからもご愛顧よろしくお願いいたします。
「甲矢君、少しお話をしたいのですが、良いですか」
三時過ぎ、孤児院近くの市立小学校から帰って来た甲矢は、中庭に通じる渡り廊下の中ほどで、院長に呼び止められた。
声のした方に目を向ければ、中庭の隅にある小さな花壇の前に院長はいた。麦藁帽子を阿弥陀にかぶり、動きやすそうなシャツとジーパンを纏っている。足下には泥まみれのスコップと如雨露が、平行に並べられている。どうやら、庭仕事に精を出していたらしい。
院長が日に焼けた皺だらけの顔を、柔和に微笑ませる。
甲矢はこくりと頷いた。
「分かりました」
「今なら誰もいないでしょうし、食堂に行きましょう」
再び頷く。
甲矢は普段よりゆっくり足を進めれば、ちょうど二人が横並びになる。そのまま連れ添って食堂へ向かう。
食堂に入ると、薄暗かった。孤児院の北側に設けられているため、採光がないためだ。とはいえ、泳ぐような闇というわけでもないため、甲矢には十分部屋の様子が見て取れた。しかし、院長には暗すぎるだろう。きっと何も見えていない。甲矢はそう考え、電灯を付けた。僅かな明滅の後、白熱灯が部屋を照らし出す。細長い食堂が、その姿をはっきりさせる。二十人程度ならば一度に食事ができる広さがある。部屋の中央には細かな傷がたくさんついた長机があり、等間隔で赤い花の造花が三つ飾ってあった。
甲矢は入り口に一番近い椅子に座った。院長がその対面に座る。
「そういえば、そろそろ甲矢君の誕生日でしたね」
「はい。でも、全然大きくなれませんが」
甲矢の表情がわずかに変わる。よほど付き合いが長くなければ分からないくらいだが、確かに顔をしかめた。
院長は相好を崩す。
「はっはっは。まだまだ君は若い。後から嫌でも大きくなれますよ」
「だと良いのですが」
「大丈夫ですよ」
しばらくの間、二人の間で談笑が弾んだ。その話が途切れた合間を見計らい、院長が話頭を転じた。
「甲矢君。君に何がありました?」
何の気なしに告げられた言葉に、甲矢は身を強張らせた。
院長は笑みを崩していない。しかしどこかかなしげに甲矢を見澄ましているようにも見える。
その表情が甲矢に悟らせた。院長は気付いている。どこまでかは分からないが、甲矢が超常現象に巻き込まれたと言うことを。
だが、なぜ気付かれたのか。
甲矢は魔法の存在を知ってから、誰にも不審に思われないよう、細心の注意を払って日々を過ごしていた。実際それは上手くいっていた。これまで誰も甲矢の変化に気が付かなかった。
だのに院長は、甲矢の身に何かあったのを確信しているらしく、甲矢の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「どうして、そう思ったのですか」
声は震えていなかった。それだけのことなのに、甲矢は助かったと思った。
院長は甲矢の問いに答えることなく、静かに瞼をつぶりだす。それは、遠い遠い何時かに思いを馳せているようだった。
「ここ最近、甲矢君の顔が懐かしい風貌だったからです」
その言葉に甲矢は小首を傾げる。顔付きが何だというのか。
聞き返そうとはした。だが、院長の声音はどこかかなしげで、聞き返すことができなかった。
「それは私がまだ若い頃、周りの人がした面影です。戦いへ、いえ、戦争へ駆り出された人の顔です。国を、友を、家族を守るため、自らが戦わなければならないと覚悟した面持ちです。この平和な時代に、全く相応しくないのですよ、甲矢君。きっと、私の世代の人が今の君を見れば、心配せずにはいられないでしょう」
甲矢は何も答えられなかった。ただ、自らの頬に手を当てていた。
「甲矢君、どうか、教えてくれませんか」
「……何もありません。いきなりそんなこと言われても、僕にはさっぱり分かりません」
「そう……ですか」
院長は再び目をつぶった。悲しさと弱々しさに浸った顔だ。ちくりと甲矢の胸が痛む。
院長からそれ以上の問いはなかった。
「失礼します」
「ええ……」
一人になった甲矢は、自室へ戻る。赤々とした斜陽が、目に突き刺さる。
わずかに目を細めた甲矢は、後ろ手に部屋の鍵を閉め、辺りの人気を探りだす。
人が近くにいないことを確認するや、カーテンを閉め、ベッドの下から血塗れのシャツを取り出す。
どす黒く変色したシャツを両の手で持つ。わずかに逡巡する。
院長の言葉が蘇ってくる。甲矢は、シャツを一息に引き裂いた。
「いい加減にしなさいよ!」
机を叩く音が、教室の喧騒を静まり返した。
教室にいる全員の目が、なのはとアリサ、すずかを見つめている。いくつもの目線に射すくめられた、なのはは肩を縮こませた。
「ア、アリサちゃん」
だが何よりもなのはの身を竦めさせたのは、眼前で怒りをあらわにしているアリサだった。
「そんなに私たちといるのがつまらない!? ずっと何か考えてばかりで! 気のない返事ばかり!」
「ご、ごめんね、アリサちゃん」
アリサの言うことになのはは覚えがあるために、ただ平謝りするしかなかった。
だがそれがアリサの怒りをより一層強めたらしく、いよいよ彼女は湯気を立てて「もう知らない!!」と教室を飛び出してしまった。
「なのはちゃん」
「あっ、すずかちゃん……」
「アリサちゃんは私に任せて。でも、ね。何か心配事があるなら、私たちにも相談して欲しいな」
そのまま立ち去っていくすずかの背を見つめ、なのはは独りごちた。
「言えるわけないよ、あんなこと」
脳裏には血だらけの甲矢の姿が浮かび上がる。
なのはは黙りこくったまま、好奇の視線に晒されたまま、教室を出て行った。
夕方、なのはは学校近くの児童公園にいた。
いつもならば、スクールバスなどを使うので、公園へ寄り道などはしない。だが、今日は歩いて帰りたい気分だった。そしてその道中で見掛けた公園に、誘い込まれるように入っていった。
ちょうど公園は誰もいなかった。なのはは、風に吹かれるままのぶらんこに座る。
誰もいない。そう思うと、なのはの涙腺は崩壊してしまった。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
『気を落とさないで下さい。きっと彼女たちと仲直りできますよ』
なのはの胸元から返答がある。
胸元からレイジングハートを取り出せば、淡い輝きを発しながらなのはを励ます。
「うん……ありがとう、レイジングハート」
『元気になられたようで何よりです』
なのはの顔に笑みが戻る。
しかしその笑みはすぐに消え去った。
「レイジングハート!!」
『ジュエルシードの魔力波長です!』
繁華街の方角から、膨大な魔力が流れ出している。
なのはは周囲に人の目がないことを確認すると、バリアジャケットを纏い、空を飛んだ。
「すずか、覚えている? 私たちが友達になった日のことを」
リムジンの後ろに座っているアリサは、窓の外の流れていく光景を見つめながら、隣にいるすずかに語り掛けた。
「もちろん。アリサちゃんが私のカチューシャを取っちゃったもの」
「うっ。すずか、アンタね」
痛いところをつつかれ、呻き声を漏らす。振り返れば、すずかはくすくすと笑っている。
「あのとき、なのはが止めてくれたのよね、私を。引っ叩いて」
「そうそう。それでなのはちゃんが言ったんだよね。『痛い? でも大事なものを取られた人はもっと痛いんだよ?』って。あの後も凄かったよね」
「そうね。私が素直に謝れなくて、なのはに飛びかかって大げんか。側にいたすずかは大わらわ」
「最後は皆で謝りあって。それで仲良くなれたよね」
二人の思い出し笑いが車内に満ちる。
けれども、それも次第に静かになる。
「私って、そんなに頼りないかな」
「そんなことないよ。アリサちゃんはいつも私たちを引っ張ってくれるじゃない」
「でも、なのはは」
「なのはちゃんだって、何か事情があるんだと思うよ。待ってあげよう。それもきっと友達だよ」
「……そうね。でも、いつかはきちんと話してもらうんだから」
「それじゃあ、明日はまた謝ろう」
「皆して?」
「そうだね。アリサちゃんとなのはちゃんだけでかな?」
今度の笑い声はいつまでも消えなかった。
引き裂かれたシャツを前に、佇んでいた甲矢は、荒れ狂う魔力の波動に気が付いた。
のろのろとした動作で胸元から玉を取り出す。
「Last-arrow」
『魔力パターン検知。ジュエルシードです』
同時に、周囲のスキャン情報が送られてくる。
3Dモデル化された町並が脳裏に鮮明に映し出される。隆起されたビルディングは、細かな汚れも再現しており、一目でそこがどこなのかを告げていた。ここは、繁華街だ。
煌やかなネオンに紛れ、青い宝石がチロチロとその光を漏らしている。
辺りには大勢の人がいる。
急がなければ大変な事態になる。甲矢は顔をしかめた。
思い出すのはジュエルシードで発生した巨大な樹木。わんさと人が集まっている中でジュエルシードが覚醒すれば、その被害は計り知れない。
甲矢が空を飛んだ瞬間、今も送られているスキャン情報に特異な二つの人影が映った。他の人間はすべて影法師のような真っ黒な人形だというのに、二つの人影だけは鮮やかに色めいている。その顔を甲矢は認識した。
なのはとフェイトだ。
「接触間近か……」
二人の行く先には、当然ジュエルシードがある。後五秒もあれば、二人はジュエルシードを視界に収めるだろう。
甲矢もLast-arrowを携え、空へ飛び出す。空気の壁を強引に破りながら、加速していく。それでもなお、ジュエルシードの元に辿り着いたのは、二人と同時だった。
それぞれの立ち位置は、眼下の街路樹の根元に転がるジュエルシードを中心に、等間隔の距離に三角形で浮かんでいた。なのはへ視線をやれば、その近くにユーノはいない。逆にフェイトはアルフと共におり、こちらを険しい目付きで睨んでいる。
ジュエルシードを確保するのは簡単だ。単純な速度ならばこの中で甲矢が一番速い。フェイトにワンテンポ遅れたとしても確実に手にすることができるだろう。しかし、二人を前にジュエルシードを優先すれば、大きな隙が生まれる。それは致命的だ。
お互いがそのことを理解しているが故に、奇妙な緊張感が漂う。
「甲矢君、どうしてまた!?」
緊迫した空気をなのはの叫びが切り裂く。
甲矢は横目になのはを見据えると、口を開くことなく、フェイトたちへ視線を向ける。
フェイトたちは油断なくこちらを見詰め、各々の
息が張り詰める。雷の刃と、鈍色の爪牙はその鋭さを見せ付けてくる。手に持つLast-arrowがどこか頼りなく感じてしまう。どれほど強力な兵器を装備していても、使えないのであれば、ただの棒だ。
瞠っていたフェイトの姿がぶれる。
魔法での高速移動だ。
強化された動体視力がなければ、見失っていただろう。甲矢はすぐさまLast-arrowで迎撃する。振り下ろされた戦斧に、逆側から振り下ろしたLast-arrowがぶつかり合う。金属が衝突した甲高い音と目を焼く火花が飛び散る。二つの長物はお互いがお互いを食らわんと、ギチギチ音を立てながら鍔迫合う。
甲矢は歯を剥き出しにし、渾身の力を込める。だが、どれほど力を込めようとも、見上げるフェイトの顔には余裕がある。体格差から甲矢の方が力負けしていた。戦斧が徐々に押し込まれてくる。
甲矢の表情が苦悶に歪む。フェイトより小柄な甲矢では、力で勝てる道理はない。かといって、他で勝負しようにも、戦闘の技術はフェイトの方がはるかに格上だ。
その証左に、苦し紛れに放った甲矢の蹴りは、フェイトがわずかに動かした戦斧の柄で捌かれてしまう。さらにはその動きをそのまま利用され、横腹を強かに打ち据えられた。
「っ!」
強烈な一撃に、甲矢の身体がくの字に曲がる。激痛が脇腹から頭頂まで走り抜ける。
痛みから硬直した瞬間、フェイトの鋭い蹴りが腹を穿った。しかも電撃を纏った一撃だ。
胃液が逆流する。身体が感電し、麻痺する。連続のダメージに反応したナノマシンが、急速な回復を行う。常人場慣れした回復能力が発揮される。だが、それでも一瞬で身体の自由を取り戻せるわけではない。
唯一動く眼球が、フェイトを追う。
戦斧がトドメとばかりに振りかざされる。否、
「ディバインシューター!」
だがそれは、横合いから放たれたなのはの魔法で防がれた。
フェイトは絶好の機会だというのに、躊躇うことなく刃を翻し、なのはの魔法を切り裂いてみせた。勝利を目前にしておきながら、油断なく周りへ目をやっている冷静さ。あまつさえ、絶好の機会でもそれに固執しない恐るべき戦術眼。
間違いなく、フェイトはこの場の誰よりも強者だ。
「それが、どうした。俺はやらなければならないんだ」
Last-arrowを握り締める。麻痺から回復した甲矢は、フェイトへ突撃する。接近戦が不利なことは百も承知だ。しかし甲矢には中・遠距離の対人用の攻撃など有さない。どんな方法を取ろうも、確実に殺してしまう。
いくらなんでも殺すわけにはいかない。
「ここ」
滑らかな動きでフェイトはLast-arrowを受け流した。
体勢が崩れる。このままでは再び痛打を受ける。
時間が遅く感じられる。
「お、おおおっ!!」
流れた身体を無理矢理に引き戻す。身体の内側からブチブチと嫌な音が響く。筋肉が断裂した。
それがどうした。その程度の代償、安いものだ。
無茶をして間に合わせたLast-arrowが大きく弾かれる。甲矢も後ろに弾き飛ばされた。
だが、防ぎきった。甲矢の口角がつり上がる。
が、それもすぐに消え去った。
「逃がさない!」
フェイトはすぐさま甲矢との間合いを詰め寄り、デバイスを幾度も振るう。
連続で振るわれる刃。Last-arrowが火花を散らす。甲矢はなんとか白銀の一閃を一つ一つ拙いながらも確実にいなしていく。それでもフェイトの連撃は留まることを知らず、むしろいなされるごとに全身のギアを上げ、回転を速めている次第だ。
徐々に甲矢の防御が間に合わなくなってくる。奥歯を食い縛り、甲矢はフェイトの一挙手一投足を睨む。
「甲矢君!? 今助けに、っ、邪魔をしないで!」
「そういうわけにはいかないね!」
救援は期待できそうにない。
最悪な状況下に、甲矢は思わず舌打ちを漏らす。空しく木霊する。
とにかく流れを変えなければ。なけなしの魔力で、見よう見まねの魔法を放つ。射撃魔法。ただ一直線に魔力弾を放つだけの、簡単な魔法。それですら、甲矢の魔力の大部分が消費された。
全霊の魔力を込めた弾丸。しかしそれはフェイトに裏拳で弾かれるだけで終わってしまった。
むしろ、さらに苛烈な攻撃が、甲矢を襲う。
一撃を受け止めれば、数歩分後退る。その間に相手は十分な踏み込みを加えたさらに強烈な一撃を繰り出す。そんな悪循環が続く。
Last-arrowがなければ、今頃その雷を纏う刃にて両断されているだろう。
「ぐうぅ!」
大きく振り下ろされた一撃に、甲矢はこれまで以上に吹き飛ばされる。背中が冷たい。背後にはビルの外壁がある。死地に追い込まれた。
顔を上げれば、鋭い蹴撃。片腕で防ぐが、鈍い痛みが前腕を蝕む。さらには背後の壁にたたきつけられ、全身に痺れが広がる。
『一時撤退を推奨します』
Last-arrowがそんなことを抜かす。
だから甲矢は叫び返した。
「それができる相手ならな!」
『最高速度での離脱は容易です』
「できるものか!」
最高速をだせば、確かに逃げ切れる。それだけのスペックをLast-arrowは有している。しかし、そうすれば、衝撃波だけで、ここらの生物が死ぬ。それはフェイトのみならず、なのはもだ。そんな手段、取れるはずがない。
かといって、このままただ一方的に攻撃されるだけでは、いつか
フェイトの猛攻に晒されながら、反撃の糸口を探す。
大振りな一撃。それを受け止めるために渾身の力を込めたLast-arrowが、フェイトのデバイスとかち合う。しかし甲矢はみた。お互いの武器が衝突する瞬間、フェイトのデバイスを魔方陣が加速させたのを。
誘われた。それを理解するのは遅すぎた。
耳に残るくぐもった音が響き、Last-arrowだけが跳ね上がる。
体勢が完全に崩れてしまっている。
Last-arrowを力尽くで引き戻し、防御に回す。が、そんな無理矢理な受けでフェイトの一撃を満足に受け止めることができるはずもない。一撃で身体ごと弾かれる。
そして、完全にがら空きになった腹部へ、戦斧の石突がめり込んだ。
「か……はっ」
ビルへと磔にされる。胃液に鉄臭い匂いが混じる。
「しぶとかった」
石突を押しつけてくる力が弱まる。フェイトの表情はわずかに和らいでいた。おそらく、これで甲矢が無力化できたと考えたのだろう。
が、甲矢の瞳に込められた力はいささかも衰えていない。
押しつけられたデバイスの柄を掴む。
「なっ!?」
フェイトはデバイスを振り回し、甲矢を振り落とそうとする。
だが、甲矢とて負けるわけにはいかない。奥歯を噛みしめ、必死に食らい付く。これが最後の勝機なのだ。
「放して!!」
どれだけ振り回そうと食い下がる甲矢に業を煮やしたのか、フェイトは自らの身体に紫電を纏う。このままデバイスから手を放さなければ、その紫電を流すと脅しているのだろう。フェイトの電撃が強力なのは、甲矢もよく知っている。
が、甲矢は決してその手に込めた力を緩めなかった。
フェイトが顔を歪めた。そして、その身から雷光が迸る。
「がぁああああっ!!」
全身が焼かれていく。白く染まった視界に時折映るのは、スパークだけ。それでも脳髄が、ナノマシンが、甲矢の身体に命じる。決してその手を放すなと。それこそがフェイト・テスタロッサを相手取る唯一の方法だと。
となれば後は根比べだ。フェイトの放電か甲矢の意志のどちらかが先に限界を迎えるか。そして、だからこそ、甲矢は必ず勝つと確信していた。
甲矢が死なないよう手加減された電撃。であれば、それはただ苦痛なだけ。そして甲矢という存在はそれ以上の苦痛を何度も味わっている。それらと比べれば、たかが全身を打ち据えられ、焼かれる痛みなど、無に等しい。
「どう、して」
全身から湯気を立たせ、感電により自由の利かない身体を、それでも無理矢理に従わせ、顔を上げる。そこには青ざめたフェイトが甲矢を呆然と見つめ立ち尽くしていた。
「どうして、そこまでして……。この、化け物……」
甲矢は何も答えない。何も答えず、フェイトの肩に手を置いた。
フェイトの肩が跳ねる。逃げようとしたのを抱き竦めるように留める。
「な、なにを!?」
そのままフェイトを羽交い締めにしてがっちりと固定すると、甲矢は足下から青い光りを放ちはじめる。
脳裏にて、Last-arrowが告げる。
――ザイオング慣性制御システム起動
一瞬にして視界からコンクリートジャングルがかき消え、星空だけが世界を満たす。寒々とした空気が甲矢たちを包む。その寒さは焼け焦げた肌を冷やしてくれる。僅かな活力を取り戻すと、甲矢は笑った。
「ま、まさか」
一瞬夜空に見とれていたフェイトが甲矢を見て、先ほどよりも顔を青ざめる。そして必死になって甲矢から逃れようと身を捩りだす。が、甲矢は放れない。
「放して!」
フェイトは今度こそ、一切加減されていない電撃を放った。
甲矢の前腕が焼け焦げていく。あと五秒もあれば、腕を焼き切ることすら可能だろう。それほどの電力。
が、それはすでに遅すぎた。
甲矢とフェイトは高度二キロメートルから地上へと、隕石の如く落下していく。死へのフリーフォール。甲矢は眉一つ微動だにせず、肉体が耐えきれる速度まで加速していく。
フェイトの目が瞠かれる。その先には黒々としたアスファルトがある。
「あ、ああっ! 嫌! し、死にたくない!!」
もはやフェイトに魔法を発動する余裕はないらしく、甲矢の拘束から逃れようと暴れるばかりだ。が、それは甲矢も百も承知。黒焦げの腕で抱きついたまま、決して放さない。
「助けて! アルフ!」
脇腹に衝撃が走る。その勢いで、フェイトの拘束が力付くに外されてしまう。
衝撃のした方へ顔を向ければ、そこには恐らくなのはの魔法でぼろぼろになったアルフが、震えているフェイトを抱え、荒い息を吐きながら甲矢を睨んでいた。
甲矢は地球に引かれている慣性を打ち消す。空中にぴたりと停止する。それは飛行魔法以上に冴えた技術だった。
アルフとにらみ合う中、甲矢はなのはに叫んで伝える。
「今だ! 封印を!」
上空から桜色の光りが降り注ぐ。見上げれば、なのはが険しい顔で甲矢を見つめつつも、砲撃魔法をチャージしている。目標はジュエルシード。
甲矢はそれを確認し、ようやく気を緩めた。もう、大丈夫だ。あれに対処できるフェイトは戦意喪失しており、アルフではあの砲撃を防ぐ手筈はない。
一度安堵を覚えると、身体を犯す痛みに耐えきれなくなり、近くのビルの屋上へ着陸する。ナノマシンが本来ならば治癒せぬほど深刻な状態を徐々にいやしていく。
ほっと溜息をつく。
が、それが間違いだった。桜色に染まっていた光りに異物が混じる。黄色の光りだ。見れば、フェイトが震えながらもデバイスをジュエルシードに突きつけている。
戦意は確かに折れていた。だというのに、彼女はあの短時間で持ち直し、遠距離からジュエルシードを封印しようとしている。
フェイトを止めようとしたが、身体が動かない。一度休んでしまったせいか、気力が根こそぎ失われた。もはや立ち上がることすらできそうにない。
もはや甲矢には止められない。できるのは、願うだけ。なのはの魔法でジュエルシードが封印されていることを。
二人の魔法がジュエルシードを撃ち貫いた。
一瞬場が静まり返る。どちらの魔法によってジュエルシードが封印されたのか。
この場にいる全員が見守る中、ジュエルシードはその身を震わせた。ぶるりと震える様は、まるで赤子が不快さを感じ取ったかのようだった。それを見た瞬間、甲矢は骨身が凍える恐怖を覚えた。
「逃げろっ!!」
張り上げた声は、膨大な魔力がすべて打ち消した。
衝撃が辺りを鞭打つ。甲矢は伏せ、顔を覆った。それでもなお、衝撃に意識が奪われかけた。気を失わなかったのは、ナノマシンのおかげに過ぎない。
朦朧とする意識で眼を開ければ、視界は霞んでいた。二度、三度瞬きを繰り返すと、世界がはっきりした。天を光柱が衝いている。その光柱はすべてジュエルシードから放たれる魔力だ。
視認できるほど高密度の魔力。それが留まることを知らず解き放たれ続ける。まさしく大噴火という言葉が相応しいほどの規模。
「うそ……」
「こ、こんなの……」
真っ先に動いたのはアルフだった。
動けないフェイトを抱きかかえる。
「逃げるよ、フェイト!」
「で、でも! ジュエルシードが! 母さんの!」
「そんなこと言っている場合かい! あれはもう、私たちの手に負えないよ! もう、この世界は次元震で崩壊する!」
その言葉に、なのはが反応を示した。
「そ、それって本当なの!? み、みんなは!」
アルフとフェイトが顔を伏せた。
「多分、あのイタチがそろそろやって来る頃さ。前戦ったときに見たところ、あいつはサポートに特化している。多分、他次元世界への移動も不可能じゃないはずだ。せめて、アンタだけでも生き残りな。それがアンタができる最善だよ」
「皆を置いてそんなことできるわけ!」
「現実を見な! 現実を、見るんだよ……」
「で、でも!」
「なのは……」
なのはの足下にはユーノがいた。
なのはは涙を流しながら、ユーノに笑いかけた。
「嘘だよね、ユーノ君。なんとか、なるよね?」
「っ! 無理だよ、なのは」
ユーノはなのはから顔を背けた。
「そ、そんなことないよ、ユーノ君だったらジュエルシードをどうにかする方法が――」
「そんなの、ないんだよ、なのは。もうあれは世界を滅ぼすだけのロストロギアだ」
なのはが膝から崩れ落ちる。レイジングハートが、アスファルトを転がる。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、アリサちゃん、すずかちゃん……」
フェイトが、アルフが、そしてユーノが歯を食いしばり、なのはから顔を背けた。
その横を、甲矢は通り過ぎた。
いくらか癒えた腕は、Last-arrowを掲げている。
膨大な魔力に近づこうとしている甲矢に、ユーノが叫びかけた。
「甲矢!? 何をする気だ!?」
「このまま手をこまねいていたら世界が崩壊するんだろう。だったら、足掻くだけだ」
「足掻くって、不可能だ! 暴走したロストロギアを個人でどうこうできるわけがない!」
「……超常の兵器なら、破壊することだけならできるかもしれない」
「そんなのは不可能だ! よしんばそれができたとしても、次元震を抑えられるかは分からない!」
「だけど、抑えられるかもしれない。もう世界は滅ぶしかないなら、どんな大博打もできるさ」
声音とは裏腹に、甲矢の表情からは一切の感情がそぎ落とされていた。
脳髄に人工音声が響く。
――Wave Cannon・・・OK
Last-arrowが誇りし、最強の兵器がその牙をむく。
世界が歪む。甲矢の眼前が歪曲する。その中心に青白い光りが存在した。それは瞬く間に大きさを増す。
それに比例し、世界の歪みが拡大していく。
それは、まるで超重力の塊。時空間をねじ曲げながら拡大する超大型ブラックホールのよう。そこにあるだけで、すべてを引き付ける膨大な負のエネルギー。破滅をもたらす、破滅しかもたらさない恐ろしい力。
甲矢以外の全員が驚愕にその身を震わす。
「そんな、馬鹿な……。なんなんだ、それは……。魔力じゃない。魔力じゃないのに、魔法以上の何かを引き起こしている!」
ユーノの独り言を聞き過ごし、甲矢は変化した視界に意識を向ける。
視野の中央にはガンサイトがある。ガンサイトの中央は、暴走をしているジュエルシードに合わせられている。
またガンサイトの下には左端から右端まで伸びるバーが存在する。バーは甲矢の眼前に存在する青い光りの輝きに呼応するかのように、左端から徐々に青く染まっていく。ついにはバーが丸々青く染まった。
その頃には、眼前の光球は、甲矢よりも大きくなっていた。
「1ループチャージ完了。……スタンダード波動砲、発射!」
チャージされたエネルギーに、ベクトルが与えられる。すべてを討ち滅ぼし前へ進めと命を下された青い光りは、今も天を衝く光柱へ目掛け、猛然と突き進む。
放たれた波動砲が、滅びの光りに触れるや否や、凄まじい轟音と共に辺りを目映い光芒が埋め尽くす。視界が真っ白に染まる。
「嘘……」
轟音が過ぎ去った。世界は嵐の後のようにただ凪いだ。
回復した視界には、いつも通りの繁華街があった。
いつも通りの繁華街が。