ようやく書き上げられたので、投稿します。
皮膚の裏側を襲う、猛烈なかゆみに甲矢は目を覚ました。折れた頭蓋にナノマシンが急速な治療を施した影響だろう。
額をかきむしれば、指先の感覚で骨が元通りになっていることが分かった。
念のためにLast-Arrowのメディカルチェックを受ければ、陥没していた前頭骨はすっかり治っていた。
立ち上がれば、昨夜に流した血のためか、立ちくらみに襲われる。身体から力が抜け、頭に重さが集中する。おぼろげな意識の中に、不快感が生まれた。
うめき声を漏らし、壁に手をつきその感覚が立ち去るまで耐える。
ふと、手をついた壁を見れば、それは鏡だった。そこに映るのは、生白い肌をした、そのくせ目ばかりが剣呑な色を帯びた、人の形をした何かだ。
じっとその影を見据えていた甲矢だが、目覚ましの音に反応し、目をそらす。
普段ならばとうに顔を見せる時間帯だ。
食堂に向かえば、ほかの子たちがいた。何人かはまだ眠っているのか、姿が見受けられない。しばらくすると、バタバタと足音を立てて、寝坊した子が食堂に流れ込んできた。
慌ただしげに椅子へ着くと、朝食が始まった。
幼い子供のおしゃべりを耳に入れながら、甲矢は黙々と皿の上を片付けていく。
普段と変わらない朝。だというのに、眼前に座った子が話しかけてきた。
「甲矢お兄ちゃん、どうしたの?」
いつもは食事の最中に話しかけられることはあまりない。だというのに、おっかなびっくりとした口調で話しかけられたことに驚いた。
「何かおかしいか?」
「うん。なんかお兄ちゃん、最近もだけど、今日は特に怖いよ」
そう言われた甲矢は、無意識に自らの顔に手を当てた。
自分よりも幼い子供たちが分かるほど、感情を表に出しているのだろうか。
「何でもないよ。ちょっと、学校で出た宿題が難しくって、悩んでいただけだ」
その返答に納得いったのか、安堵した顔を浮かべたのを確認し、甲矢は内心で眉をひそめた。
気をつけなければならない。誰かに知られてはならない。
そのことを再び自らに刻み込み、甲矢は席を立った。
海鳴市の高層ビルの屋上にフェイトはいた。
抜けるよう青空が広がり、吹き付ける風は強い。さらわれる髪を鬱陶しげに押さえたフェイトは中央へ向かう。
そばにはアルフもおり、眉を力なくたれ下げて後をついてくる。
「ねえ、フェイト。本当にこんなものいるのかい? アイツなんかに」
乱雑に持ち上げられた手には、洋菓子店の箱があった。甘い香りがあたりにぷうんと立ちこめる。
中身はシュークリームだ。海鳴市で根強い人気のある品らしい。
「そんなこといわないで、アルフ」
アルフの眉がさらに力なく垂れ下がる。
その表情に、胸がちくりと痛む。
力なく笑いかければ、余計アルフの顔はひどくなった。
そんな表情をさせたくないのに。
フェイトはアルフから顔を背け、デバイスを構えた。
循環する魔力がデバイスを通して術式に注ぎ込まれる。転移の術式は起動を始めた。
扉が開かれる。界と界をつなぐ次元の扉が。
同時、フェイトとアルフとを守るために、魔力が繭と化す。
この魔力の守りがないと、別の世界を渡る次元転移魔法は使用できない。厳密には、使用しても死んでしまう。
世界と世界の間はいまだ未知の世界。強固な守りがなければ、生存できないのだろう。あるいは次元潜行能力を有した次元艇ならば話は別だが。
「うぐっ」
すさまじい負荷に、うめき声が漏れる。
歯を食いしばり全身を締め付ける息苦しさに耐える。ふっと痛みが消え去り、まぶたを開ければ、高次元空間に浮かぶ城、時の庭園が眼前に広がっていた。
玉座の間へ向かえば、そこにはフェイトの母、プレシア・テスタロッサが待ち構えていた。
「フェイト」
「はい、母さん」
バルディッシュのストレージから、集めてきたジュエルシードが飛び出てくる。
青い菱形の宝石は、プレシアの手に収まった。
「……ふうん、あれだけ時間がありながら、この程度しか集められないの」
「この程度って! ロストロギアをあんな短時間でこれだけ集めるのがどれだけ難しいか!」
「黙っていなさい。フェイト、貴方は使い魔もまともに作れないのね」
フェイトが身を縮こまらせた。
プレシアは大きなため息をつくと、手で退室を促す。しかし、フェイトは部屋をでなかった。
「何かしら、フェイト。何か報告でもあるの」
「あの、母さん、これを」
差し出された洋菓子の箱を見つめたプレシアは、フェイトに近寄る。
そして、箱をはたき落とした。
「あっ」
「こんなことをしている暇があるのならば、一つでも多くのジュエルシードを見つけてきなさい」
地面に落ちぐしゃぐしゃになった箱を見て、フェイトの目から涙がしたたり落ちる。
それを見たアルフは狼の姿になると、うなり声を上げてプレシアに飛びかかった。が、地を蹴った瞬間、全身をバインド魔法により縛り上げられた。
「ふん。主が主なら使い魔も使い魔ね」
プレシアが自らのデバイスを取りだすと、魔法を発動した。転移魔法が、わずか一挙動で発動される。
アルフは転移の光に包まれながら、歯ぎしりをしながら叫ぶ
「アンタは母親だろう! どうしてフェイトを悲しませるんだ!」
プレシアの返答はなく、海鳴の拠点としているマンションに転移させられた。
夕方、ジュエルシードが発動した。
ジュエルシードは樹木を取り込み発動したらしく、周囲へ無差別に攻撃を繰り返している。
最初にたどり着いたのは、甲矢だった。
ジュエルシードの封印を単独では行えず、かといって、攻撃をしようものならば周辺の被害がジュエルシードの暴走よりも酷いことになる。
甲矢にできたのは、フェイトかなのはがやってくるまで、ジュエルシードの攻撃を引きつけ続けることだった。
クラゲの触手のように、暴走体は枝を、根をしならせて攻撃してくる。だがその硬度は鋼鉄並みらしく、アスファルトをたやすく粉砕している。当たれば、もろい甲矢の身体など、はじけ飛ぶのは間違いない。
死の一歩手間でありながら、ナノマシンの感情抑制機能を駆使しながら、冷静に、いっそ冷徹なまでに回避動作を続ける。
『フェイト・テスタロッサおよびタカマチ・ナノハ両名の到着を確認しました』
Last-Arrowの報告を聞き、甲矢は一瞬で暴走体の攻撃範囲内から離脱する。
危険があれば暴走体を跡形もなく粉砕できるよう、照準を合わせる。
そうこうしている合間にも、なのはとフェイトとが協力してジュエルシードを封印して見せた。
先の時と違い、ジュエルシードの封印は安定している。
ひとまずLast-Arrowを下ろす。
「私、高町なのは。貴方の名前を教えて」
「なんで、そんなこと……それにアルフが言ったから知っているはず」
「貴方の口から聞きたいの」
「私は……」
言いよどむフェイト。だが、覚悟を決めたのか再び口を開く。その瞬間、なのはを狙い、アルフが奇襲を仕掛けた。
当然、甲矢はその一撃を防ぐ。
「くっ、邪魔をするな! この化け物! フェイト、こんなやつらに関わる必要ないよ、ぬくぬくと甘えているだけの、こいつらに!」
気炎を上げるアルフに対し、どこまでも冷静に、対処する。爪、爪、牙。時にその尾すら利用した連撃。だが、それらは当たらない。圧倒的な速度差が、アルフの攻撃を空振りにさせる。
唐突にあたりの魔力素に変動が起きた。高魔力の存在がユーノの張った結界内に現れた。
アルフもそれに気がついたらしく、すぐさまフェイトを抱えると、目くらましの魔力弾を放ち、消えていった。
「逃げられた、か。仕方がない。とりあえず、そこの三人、話を聞きたい」
それはデバイスを持った少年だった。
甲矢はLast-Arrowを下ろすことはしなかった。