学校長はそう言って、一枚のプリントを机の上に置く。
それを覗き込み、俺は目を見開いた。そこに書かれていたのは。
『精霊学科転入書類』。……『精霊学科』への、門を開く一枚の紙だった。
「もしも君に、『精霊』と契約してその人間を超えた力を正しく使う覚悟があるならば。その信念があるのならば。いつでも、『精霊』と一緒に私の所へ来なさい。……期待してるわ」
学校長はそう言うと、その紙を俺に押し付けるように渡してくる。
少しの躊躇いを持ちつつも紙を受け取った俺は、再び学校長に案内されて『聖域総合高等学校』の寮まで案内された。
『精霊学科』の校舎を出て、黒い正門まで歩き、その黒い正門から見て正面が学生寮だ。
大きな建物は中心の塔を中心にマンションの様に広がっている。塔の一番上には大きな時計と正門からでも見えるくらいに巨大な金色の鐘が吊ってあった。
先導する学校長の後ろを、白衣にサンダルのまま追いかける。学校長は何も言わなかったが、俺にとってそれはありがたい。
何故なら、今俺の胸中は『精霊』の事について一杯だったから。
『精霊』の持つ、人間を超えた力を正しく使う事が出来るか。
その正しさが何なのかは分からない。でも最低限分かるのは、その力を犯罪には使ってはいけないと言うことだけ。電車内の電光掲示板に映し出されているニュースでも、『精霊』関連の犯罪について報道していた。
人間を超えたからこそ責任は増す。その力の使い方は、難しくなる。
その覚悟が持てないのも、『精霊学科』に転入しようかどうかで悩んでいる理由の一つ。
後一つあって、その一つの理由は単純。
俺は、『精霊』が怖い。
単眼の巨人に襲われたのが大きな理由だろう。携帯や俺の体を一瞬で元通りにしたあの得体のしれない力も、巨人をめった刺しにした矢も、学校長が撃っていた漆黒の弾丸も。
それら全てが、俺にとっては異常。そして田舎で緩やかに平穏な生活を送ってきた俺にとって、その異常は恐怖なのだ。勿論、凄いや俺もこの力を使ってみたいという思いもある。でも今は、恐怖の方が大きい。
今首に下げているペンダントの中にも、人間を超えた力を持つ『精霊』が宿っている。
それはもう、漆黒の弾丸を消したのや単眼の巨人にダメージを負わせた事から殆ど確実だと思う。
『精霊』は怖い。
だからこそ、俺はペンダントの中の『精霊』と話してみようと思っていた。俺が今まで見てきた恐怖でしかない『精霊』の力だけで、全ての『精霊』を恐怖と言い切るのは視野が狭すぎる。
それに、俺はペンダントに宿っている『精霊』にお礼を言いたかった。
守ってくれてありがとう、と。
たとえ『精霊学科』には入らないとしても、それだけは伝えたい。
そんな事が胸中で渦巻く中で、学校長は寮の中に入っていく。俺もそれを追いかけると、中の玄関の広さにまず驚いた。
白いタイルの床に、塔の一番下だからか天井は凄く高い。塔を中心にして左右にマンションの様な寮が広がっているため、ここは学生寮の中心。天井には大きなシャンデリアに、観葉植物はあちこちに置いてある。寮の見取り図は大きく張り出されていて、まるでそこはホテルの受付の様だった。
その塔の一番下、受付らしき所へと学校長は歩いていく。
追いかけつつ、周囲をじっくりと眺めつつ。俺は学校長の横から顔を出して、受付の人の顔を見て。
「……ここにも居た」
銀髪のツインテールに、赤い瞳の最早見慣れた少女が受付に座っていた。
俺よりも、そして涼花よりも身長の低いこの人は先輩である。生徒会の腕章を付けた少女は、学校長と何かを話していた。
数分後、話は終わったらしい。学校長は俺の方へ振り向くと、口を開いた。
「式君、君の住む寮の寮母さん……代わりの、寮母の仕事をしてくれている生徒会の人よ。彼女の名前はカリストア・ルテミスと言う。まあルテミスとでも呼んでおいたら?」
「勝手に決めないで欲しいです。こんにちは、朝の馬鹿な人。私を呼ぶ時はルテミスで良いですよ。殆ど関わる事も無いでしょうし、それくらいは許しましょう。ただし先輩なので、敬語を付けてくださいね」
「そーそー! これで先輩なのよね。小っちゃいし可愛いのに、貴方きっと中学生で通るわよ?」
「高校二年生です」
「もー、可愛いー!」
冷静に告げるルテミスと、テンションを崩さない学校長。
俺の前では無表情を貫いていたルテミスも、どうやらこの人の前では平静で居られないらしい。背後にメラメラと炎が見えるのは気のせいか。
「じゃ、式君。後はルテミスちゃんに任せるから、彼女の指示に従うこと。……いつでも待ってるからね? じゃあねー! 頑張れ生徒諸君!」
「あ、はい。ありがとうございました!」
ぶんぶんと手を振って、寮を出ていく学校長。手を振り返し、学校長が完全に見えなくなったところで俺はルテミスへと体を向けた。
「……めんどくさいですね。一人で行けますよね?」
「俺ここ初めてな気がするんですよねー。ちょっと案内して下さい!」
「めんどくさい」
「遂にそれだけになったか」
頑なに言い張るルテミスは、やがて諦めたかのように受付から鍵を持って出てきた。
「それじゃあ、行きますよ。寮の中を案内しつつ、貴方の部屋へ行きます」
そう言うが速く、ルテミスはさっさと歩き始めた。
「ここが共用台所。誰が使っても良いです」
一階から順番に上がっていく。
「食堂ですね。ご飯は朝昼晩、時間は……部屋に張り紙があるので見て下さい」
「お風呂です。右が男子、左が女子。覗きはダメですよ?」
「洗濯機とか、自動販売機とかです」
「学校終了後と休日に解放される遊戯室です」
広い寮の中を歩きつつ、淡々と説明される。
塔を中心に、右側が男子寮。左側が女子寮と別れているらしい。その右側の男子寮、そのまた最上階の一番端っこに俺は案内された。
「この最上階の一番端っこが貴方の部屋です。……遅刻しろ」
「もう隠す気無いですよね!?」
ぼそっと小さく呟くルテミスは持っていた鍵で俺の部屋を空ける。その中には段ボールが幾つかあり、中身は上梨村から送った俺の私物だった。
部屋はベッドと机、椅子が一つ、水道にトイレがある。まあまあ広めの部屋の窓からは壮大な景色が見える部屋。
「さて、もう良いでしょうか?」
「大丈夫です!」
「そうですか。では、学校生活頑張って下さいね。分からない事があったら受付に来てください」
鍵を俺に投げ渡したルテミスは、そのままドアを閉めて受付へと戻っていった。
俺は取りあえず窓を開けて、段ボールをいくつか開封する。荷物を机の上や床に広げて整理し終え、ベッドへとダイブした。
学校長が言うに、もう今日の授業は終わっている。明日、先生に話を聞きなさいとの事。
つまり俺はもう自由だ。そして、大事な事をやる時間だ。
ベッドの上で、俺はペンダントを首から外した。
赤い宝石が、開け放たれた窓から差し込む太陽の光に輝く。一見すれば、何の変哲もない。
しかし、中には『精霊』が宿っている。俺は一度、焦る鼓動を落ち着けるために長く息を吐く。呼吸を整えて、俺は寝っ転がっていた状態から起き上がり、ベッドに座った。
「……『精霊』さーん」
恐る恐る、俺はペンダントへ向けて声を出す。
……だけど、何も声は帰ってこなかった。少々拍子抜けした、次の瞬間――――
ぐん!!
と、突然腹の内側から引っ張られるような感覚が俺を襲った。気味の悪いその感覚に、歯を食いしばって耐えるや否や、視界が急に暗くなり始める。
そして、落ちていく。暗闇に落ちていく様な、そんな感覚が俺を包み込んで。
やがて視界は暗くなって、意識も消えた。
最後に、薄れゆく意識の中で見えたのは。
……白く白く輝く、赤い宝石の付いたペンダントだった。