最上静香は、実は異母姉妹であった北沢志保に振り回される。
2015年歌姫楽園9・ミリオンリー6にて頒布された、しずしほ異母姉妹設定合同誌に寄稿した原稿を改訂したものです

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薄氷

 

 薄氷の上に立つような、そんな関係だ。北沢志保との関係を、最上静香はそう評していた。

 これは、最上静香と北沢志保の、薄氷にまつわる物語である。題名は「薄氷」とする。

 

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 その、北沢志保という女とは、静香が765プロダクションの事務所に母親を連れて――たしか、書類を書いてもらうためだったと思う――行った時が、初めての出会いだった気がする。

 ――――こんにちは、あなたもアイドル候補生なのかしら?

 こんなことを話しかけられたはずだ。現在は犬猿の仲の二人であるが、出会った当初はとてもウマがあった。それこそ、本当の姉妹のように。

 私も親と一緒に来て、先に親がプロデューサーと面談している、とは、聞いたはずだ。静香は、歌姫・如月千早への憧れだとかを語った気がする。ともかく、他愛ないことを囀り合ったのは覚えている。記憶が曖昧なのは、その後起きたことが、人生を揺るがすような事態だったからだ。

 社長室と札が掛かった部屋から出てきた女性の顔には、正面の安ソファに座る少女の面影があった。

 もう終わったの? あとは家で書ける書類だから。自分で帰るから、もうちょっと喋ってていい? あ、〇〇――男の名前である――のお土産も買っていくからほにゃほにゃ。

 ――――なるほど、話し方もなんとなく似ている。彼女が志保の母親なのだろう。

 静香は何の感慨もなく眺めていたが、横に座っていた母が息を呑む音が聞こえたので、訝しげにそちらを見ると、「あ、あなた……。」と何故か動揺した実母がいた。視線の先を追うと、志保の母親も同じような顔をしている。事情を知らない子供達とプロデューサーが、頭にハテナを浮かべていた。

 静香たちの書類手続きを行う予定はお流れになり、急遽四人は、近くのファミレスで話し合うことになった。

 腹違いの姉妹である。

 と、教えられた眼前の志保と、何時間も顔を見合っていたような、互いの母親のバツが悪そうな顔を交互に見比べていたような。ともかくショックが大きすぎて、それからのことは脳内には残っていない。いつの間にか家に戻っていて、氏の違う姉妹とは、同じアイドル事務所に入ることになっていた。

 

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 そんな姉妹とは、どうやら、顔も性格も全く似てないのだということが、この1年でよくわかってきた。

「ねえ。」

「なに。」

「今までどおり、お父さんって呼んだ方がいいのかしら? それとも、今風にパパ? あなたはどう呼んでるの?」

 二人で事務所の安ソファに座っていると、横で絵本を読んでいた女が話しかけてきた。

「知ったこっちゃないわよ。自分で聞きに行けば?」

「面会禁止ってお母さんが言ってたわ。女の恨みってやつね、みみっちいと思わない?」

「…………。」

 静香は、地雷が眠る場所でコンテンポラリーダンスを踊る趣味などはないが、この女はそれをライフワークとしているようだった。

「弟にも同じこと聞いたんだけど、……弟が居るって言ったかしら? 『聞いてない』? ああ、じゃあ私いるのよ、弟。同じこと聞いたんだけど、建設的な回答が得られないのよね。」

「聞いてないってのはその意味じゃないし、弟くんはあんたのファザコン度に呆れてのことでしょ。」

 静香から見ると、志保はファザコン、しかも男の好みにまで影響を及ぼしているくらいの高ファザコン指数を叩き出す、ファザコン女の権化に映っていた。ついでにブラコンでもある。二重苦である。

「まあ半分しか血が繋がってないし、まだ大人じゃないからこの質問は早かったのかも。」

「あんただってローティーンでしょ、……私も半分しか血縁はないんだけど?」

「違う環境で育った人間の意見が欲しいの。というか、よく見ると顔も違うわね。お父さんにも似てないし、私はお母さん似だし、お父さんの精子ってそんなに弱かったのかしら。」

 割と本気で静香は志保をはたいた。

「痛いわね、冗談よ。」

「真っ昼間から事務所で下ネタ飛ばすなってことよ。目の前にいる人を考えなさい。」

「何言ってんの、あんた、饂飩の心を持ってるくせに。コシがうどんの命なんでしょ? もっと本腰入れて人の話聞きなさいよ。」

 静香が無言で志保の顎を掴んで前を向かせると、顔を真っ赤にしてぷっぷかぷっぷかと湯気を出す、雪歩と風花が座っていた。

「……それで、どう呼べばいいか知ら?」

「あんたねえ……。」

 静香は普段、意図して志保とリラックスを決め込むことはあまりない。

 事務所には給湯室、テレビがあるソファ、事務員机の椅子がある。今日、給湯室はこのみ・莉緒・あずさが占拠。事務椅子は亜美と真美が律子とプロデューサーの椅子にいたずらをしていたので、座りたくない。小鳥はパソコンを見てニヤニヤしていて気持ち悪い。静香はテレビ前のソファに陣取り、寝ている可奈をはさんで志保と肩を並べていた。というか、みんな事務所で各々にくつろいでいるが、仕事はないのだろうか。

「ちょっとは先輩に気を使いなさいよ、陰キャ女。」

「陰キャじゃないわよ、うるさいわね。」

 つけっぱなしのテレビが、今年の冬は寒くなると言っている。秋も終わりなのだなあと、静香は思考を少しだけ飛ばした。

「あ、あの、私たちは気にしてませんから……。」

 大天使雪歩が気を遣うが、心が荒野の一匹狼・北沢志保には意味がない。

「あ、ついでだから、雪歩さんたちにも聞いていいですか?」

「ええっ私たちですかぁ?」

「そういう行為を強要すんなっ。」バシン!

 

 まあ、こんな感じで、ふたりの関係は犬猿の仲であった。志保は元のドライさも相まって765プロの狂犬と内外で呼ばれているし、それに噛み付く静香は志保と同じくらいプロデューサーにも食ってかかるので、もうひとりの狂犬だとか、二人合わせてケルベロスコンビだとか、散々に言われていた。

 

 

 

    二

 

 静香は志保を、薄い氷の上で地団駄を踏む、先を見ていない子供のように思っていた。時間がないと常に焦っている静香には、それがもどかしくてしょうがない。

 765プロダクション所属の大人たちは、静香たちの家庭内事情を汲み、ふたり一緒のメディア露出を避けていたが、それでもテレビ局からの要請には答えなければならない。今回のそれは、新進気鋭のアイドル達がツーマンセルで街をぶらつく、という趣旨の深夜番組である。

「志保、もう一個ポテト頂戴。」

「ん。」

 都内の下町にありがちなアーケード街の店を食べ歩きしつつ、だらだらと回るロケ一行。同時進行で、近くの場所でも別のアイドル達が同じことをしているが、プロデューサーは志保たちに同行していた。今回は志保も静香も噛み付き合わないので、彼は胸をなでおろしている。

「静香。」

 静香が呼ばれて志保を見ると、彼女はアーケードの遠くを見ていて、商店街の遠くには古書店の看板があった。

「ああ、いいんじゃない。」

 志保は手に持ったフライドポテトを全て口に放り込み、つつみをクシャクシャに丸めて静香に渡した。

 静香は「あの古書店に行きます。」とカメラに向い言う。店に向かう前にディレクターからカンペがでた。

『普段から仲がいいんですか?』

 それを見たふたりは顔を見合わせた。きっと、さっき言外の志保の意を読み取った静香をみてカンペを出したのだろう。

「いつもは喧嘩ばかりしてますね。あまり事務所でも会いませんし。」

 どう言おうかと静香が口を中途半端に開けていると、志保が不発弾をばらまき始めた。こうなれば乗るしかないので、静香が合わせる形で乗った。

「そうですね。志保は休みの日に書店巡りをしてると可奈から聞いていたので、どうせ書店だろうと。」

「そうそう、あなたの情報っていつも可奈から回ってくるわ。静香と仲が良いってより、共通の仲間と仲が良いって感じです。」

「そうね、志保は可奈に対してデレデレだから。」

 言われてみれば、静香も志保の趣向だとかは、可奈から聞いていたと思い当たる。今や事務所内公然のアンタッチャブル関係である静香・志保姉妹であるが、可奈は、もしかしたらふたりの仲を取り持とうとしているのかもしれない。どちらかといえばありがたくないが、日々ストレス太りと戦う可奈に、今度おすすめの体幹トレーニングを教えよう、と、彼女も彼女で大概なことを思う静香であった。

「私たち異母姉妹なんですけど、親たちもあまり交流がないですし、そうなると友達から又聞きした話しか来なくなりますしね。」

 そして、この志保である。

 頭を抱えたプロデューサーと凍りつくテレビクルーたちを視界に捉えながら、静香は「そうね。」としか答えることができなかった。

「まあ、可奈は事務所の他の人たちより私たちに絡む時間が長いから、私たちは半分だけで、可奈は血の繋がらない姉妹って感じね?」

 ここで静香は間を取った。プロデューサーと律子に教わった、対・志保のブラッティトーク放送事故の切り札、『編集点の追加』である。

「……さあ、古書店の前まで来ましたけど、風情がある外観ですね。」

「うん、早速入ってみましょう。」

 志保もとくに流れに逆らわず、店の中に入っていった。後ろを振り返ると、親指を立てるプロデューサーと、手を合わせたディレクターが口パクだけでありがとうと言っていた。静香は肩をすくめてみせ、志保の後を追う。

 そのあとは目立ったトラブルもなく時間が過ぎ、収録は終わった。

「いやあ、静香ちゃん、今日はありがとね!」

「いえ、こちらこそ同僚が迷惑をかけてしまって……。」

 番組のディレクターから感謝されるも、静香は長いあいだ志保の動向を警戒していたので、疲れきった、覇気のない声で答えた。

「志保ちゃんの言ってたこと、ほんとなの?」

「ええ、まあ。」

「はー大変だねえ……。あ! 安心して、ほかの人には内緒にするから。」

 口の前でジッパーを閉めるゼスチャーをするディレクターに「心遣い痛み入ります。」とおざなりに頭を下げてから、静香はあの核爆弾を孕んだ爆撃機女の姿を探した。案の定、プロデューサーに説教されている。無表情で、口を半開きにしていた。なんで怒られているのかわからない、という顔である。

「静香ちゃん、お疲れ様!」

「……可奈、お疲れ様。そっちはどうだった?」

 ぼうっとそれを眺めていると、同じ番組で別行動をしていた可奈が寄ってきた。

「いやー麗花さんと一緒だったから、楽しかったよ!」

 地雷で飛び石跳びをする女・北上麗花さんと純粋に親しめる人間はそういないだろう。静香は、目の前ではしゃぐ小動物めいた同僚を心の底から称えた。

「私たちは……見ての通りよ。」

「ああ~、志保ちゃんなにしたの? 本屋さんの絵本の品揃えにいちゃもんつけたとか?」

「カメラの前で言っちゃったの、私たちのこと。」

「あ、あぁ…………。」

 あの、北上さんに物怖じしないあの可奈が、引いている。改めて志保の浮世離れの凄さを感じた。

「……志保ちゃん、心配だなあ。」

 その時、静香に衝撃が走る。

 なんということか! 普通の人間ならば、今の志保に対し、『なにやってんだこいつ』みたいな困惑や忌避感や嘲笑から、苦笑いや鼻で嘲笑ったりするのが普通だが、この可奈とかいう聖人は引いていたから嘆息したのではない! 志保に対する気遣いをしてみせたのだ! 

 事務所内で友達があまり多い方ではない静香は、いたるところのグループに馴染んでしまう彼女のコミュ力の高さの片鱗を味わい、圧倒されていた。

「志保ちゃんとプロデューサーさんのとこ、行ってこよ?」

「あ――――。」

 静香は可奈に手を引かれ、ふたりがいる方へと向かう。可奈は、静香にとって、不思議な心地がする女性だった。強引なところがあるのに、嫌な気分がしないのだ。志保と上手くやっているのも、彼女の特質があるせいなのかも知れない。

 プロデューサーの肩ごしに見える志保は、アイドルがどう、とか以前に、年頃の女の子としてどうかというレベルで呆け面を晒していた。もはや、プロデューサーは、主がいないこの猟犬には、説法は通じないと諦め始めている。

「志保ちゃん! お疲れ様!」

 駄犬のように間抜け面だった志保の顔が、可奈の声を聞いた途端、きりりと引き締まった。

「ああ、お疲れ様。――――プロデューサー、もういいですか。」

 志保は男の返事を待たずにその場を離れ、可奈につかつかと歩み寄った。プロデューサーは頭を掻いていたが、肩をすくめると静香を手招きする。またこのパターンか、と、ブンブンとご機嫌に尻尾を振っている志保の背中を、静香は蹴りつけたくなった。

 この後、情けない大人の小言を聞きながら囚人みたいな服の女の横顔に視線を突き刺す作業をするわけだが、志保は自分の発言などもはや覚えてない様子で、自分の方が大人気無いのじゃないかと、だんだん自分に自信がなくなってくる。

(そう、私には時間がない……もっと冷静に、大人な対応をしなくちゃ……。)

 そう心で言い聞かせる静香だが、時間がないのならこんな事に構わなくてもいいのではないか。と、思うのは冗多であろうか。

 チロリ。目の前の腑抜けの顔を睨(ね)めつける。見るからに情けないし、幸が薄そうだ。よしんば何もできないまま、タイムリミットを迎えて平々凡々な生活を送るとしても、生っ白(なまっちろ)い青瓢箪とは一緒になりたくない。こんな頼りない対応をする時点で、プロデューサーとしても外して欲しいくらいなのだ。

 表情筋を固めて、安スーツの第二ボタンあたりを凝視していると、そのスーツの着用者が顔を覗き込んでくる。

「……聞いてる?」

 静香はボタンから電柱に視線を移した「聞いてませんが?」

 この男は使えない男である、と、静香は断じていた。だが、特にこれといったマイナス要素というわけでもない。

「私もそろそろいいですか? 私には、時間がないので。」

 彼女が大人にレッテル張りをするとき、それらにかかるタグは三つに大別される。使えない大人、使える大人、そして、邪魔する大人。思春期の多感な感情や、中学生の身で解決できるトラブルなんかを全て一人で処理してきた、早熟な彼女だからこその処世術であった。

 

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 さて。

「そうだ、このみさん、私たち同い年なんですけど、学年は私が上なんです。でも、生まれた順で行くと静香が上で……この場合、どちらが姉になるんでしょう?」

 長閑な秋晴れの昼下がり、先輩アイドル二名に、ファミレスでデザートをご馳走されていた狂犬コンビであるが、例によって、志保がそれをぶち壊しに行った。

 先程まで、穏やかなる時間と、アイスティラミスを享受していた静香であるが、春雷のごとく現れたトラブルに精神を逆立たせ、トリュフアイスを頬張る子豚に神経を集中させる。

 そもそも、なぜ志保の暴挙を許す形になったのか……ああ、そうだ。このみさんが年齢の話を持ち出して、『アイドル業界はこの年でも年長に入ることが多い! セクシー路線もそうだけど、もっと淑やかな演技や、落ち着きを見せないと!』なんて言ったからだ。こんなところにトラップがあったとは、と、最近保護者役が板についてきた静香である。

 一方、正面に座るこのみは、なんとも言えない苦笑いで汗を一筋垂らしている。誰だって、こんな相談を持ちかけられたら、ご都合主義の小説の主人公でもない限り、彼女のような表情にもなろう。平穏と嵐は、薄氷一枚隔てた場所にあるのだなあと一人黄昏る静香であった。

「…………えーと、どう思う? 歩ちゃん。」

「ええっ、ア、アタシ?」

「ホラ、海外ドラマなんかじゃ、こういう設定のキャラなんて珍しくないでしょ?」

「そういえば、友達にそんなこと言ってる奴、居たかも……って、でも、ドラマはドラマだって!」

「……そもそも、国が違うから、戸籍制度も違うのでは?」

 使えないポンコツダンサーと24歳児に一瞥くれながら、静香は冷やかにつぶやく。歩はこれ幸いとばかりに静香の意見に乗った。

「そ、そうそう! むしろ、そういうのを知ってるんだったら、このみさんの方がどうすればいいかわかるんじゃないの?」

「いや、あくまで私は作品を楽しんでただけだもの! そもそも、そんな下世話な目で家庭内のドロドロを楽しむ人間じゃないわよっ。」

 うわあ、こんな大人になりたくないなあ。

 静香はふたりの漫才を、心理的に遠いところから眺めていた。そして横に座る志保は、質問したのに、話には加わらずに、メニューの最後のページと睨めっこしていた。もしやまた追加で何か頼むつもりだろうか。

「このみさん、イタリアンプリン、頼んでもいいですか?」

 頼むつもりだった。

 コイツ、遠慮もクソもない。しかも、このみはこのみでおざなりに「いいわよっ。」といって、歩と口論を続行するし、静香は何もかも諦めて、ティラミスとプリンの盛り合わせに目を落とした。

「…………ん?」

 ティラミスとプリンの盛り合わせ(税込四〇〇円未満)は、志保が頼んだイタリアンプリンとハーフサイズのティラミスが一緒になった、人気商品の盛り合わせセットである。静香はさっきまでティラミスしか手をつけていなかったが、今見るとプリンの左端が無残に抉(えぐ)られている。静香は右利き。そして左側には志保が座っている。

(この女……。)

 視線だけで凍死させそうな静香に気づき、志保は口だけで笑ってみせる。

「いいじゃない、姉妹なんだし。卑しいわね。」

 カッチブーの静香はテーブルの下で彼女の足を思いっきり踏みつけた。

「はん、痛くないわ。」

 つま先が固めのローファーを履いていた志保は、涼しい顔で注文ボタンに手を伸ばした。

「私は楽しみに残しておいたのっ、それをあんた……この囚人ファッション女!」

「囚人じゃないわ、ユ〇クロよ。」

「アイドルなんだからもっといいところで買いなさいよ!」

「千早さんだって、私服はユ〇クロとしま〇らとア〇ールのヘビロテじゃない。――あ、追加でイタリアンプリンください。」

「千早さんは着こなしが違うの! いっつもボーダーシャツのあんたと同列にしないでくれる?」

「着こなしって(笑)」

「は? なに、先輩に文句つけるの?」

「知らないの? 千早さん、CDを買うために服代や食費を削ってお金を出してるって。」

「へ、へーそうなの。ストイックでいいじゃない。」

「いや、この前千早さんの家に遊びに行ったけど、段ボールとテーブルと楽譜くらいしかないのよ? インテリアはラジカセだけ。」

 静香は絶句する。

「それに千早さん、服をあんまり持ってなかったわ。乾燥まで全自動の洗濯機使ってるからあまり服はいらない、って本気で言ってたし。」

「あー、あー、聞こえない。」

「なにやってんの……そして私は本代におこずかいの大半を使ってるから、自然と安い服を買わざるを負えない……ほぼおんなじでしょ?」

 知りたくなかった憧れの先輩の喪女っぷりを、よりにもよって志保から聞いてしまった静香。知りたくなかったと言わんばかりに顔を覆って天を仰いだ。

 すでに蚊帳の外にあるこのみと歩の争論は、『教育が早い子供と年齢が高い子供どちらが大人か』という、哲学や教育学に片足突っ込んだところまで発展している。これは時間がかかりそうだ。事の発端であった志保は他人事に思った。

「…………ふん。」

 鼻を鳴らした志保は、静香の向こう脛を小突く。

「ほら、ドリンクバーに行きたいの。あんたが退かないと出れないじゃない。」

 半ば涙目の静香は「わたしもいく。」とコップを手にとった。

 なんだか面白そうなので、志保は道中、おぼつかない足取りの静香を先行させて、彼女を観察してみる。

「……そう、そうよ、考えたら食費やファッションやインテリアに使うお金を削ってまで音楽に打ち込んでるってことじゃない……全然問題ないわ。むしろ全然イケてる。めちゃイケ、チョベリグ――――さすが歌姫千早さん、ストイックなところも素敵――――。」

「……キモっ。」

 全然面白くない。志保は、むしろ嫌悪感丸出しの顔をみせて、たまにあらぬ方向に進む静香を牧羊犬よろしく追い立てて、ドリンクバーに誘導した。

「うふふ、千早さん素敵、うふふ。」

 虚ろな目でドリンクボタンを押す静香を、志保はコップに氷を入れながら覗き込み、眉根を寄せた。

「そんなにショックを受けるモノかしら、千早さんの私生活。」

 消えていたハイライトを再び灯して、静香は恨みがましく志保を見た。

「……あんた、最近、千早さんと仲いいじゃない。」

 静香は涙目になっている。

「そう?」

「そうよ。仕事も一緒してるし、私、未だにお話したことなかったもん。」

「……………………。」

(もん、って、子供か……。)

 口に出すと怒ってめんどくさいので、らしくない言動の、情けない姉妹から目を切って、志保は氷の厳選に挑んだ。

「志保は、そういうこと考えないの?」

「なに。」

「憧れの人が、イメージと違ってたら、ってこと。」

「――――――――。」

 志保は五,六秒手を止め、またアイスボックスの中を漁る。

「とりあえず、パパ?お父さん?が、プロデューサーみたいな男だったら嫌ね。」

 またそれか。静香は伏し目がちの無表情でグラスに注がれる液体を眺めた。

「タバコは吸っても吸わなくてもいいけど、ラークとかピースを吸ってて欲しいわ。手は大きくて、ごつごつしてて、わたしのあたまをワシワシできるくらい。本を読むときはメガネをかけてて、仕事に行くときは、ポマードでオールバックに髪を撫でつけて欲しい。あとは……。」

「わかった、わかった。」

 どこのハードボイルド洋画だと、静香は心の中で嘆息した。

「まあ、高望みね。お父さん?パパ?にそこまで理想は抱かないつもり。」

「さっきから、なんでお父さんの二人称があやふやなのよ?」

「この前、あなたに聞いたけど、教えてくれなかったじゃない。」

 意外と律儀な女である。

 静香は体をどけて、さっきから順番を待っていた志保にスペースを作った。

「私はお父さん、って呼んでる。パパの方が呼ばれ慣れてないから、面白い反応もらえるんじゃない? あと、そんなにいい男じゃないわよ。あれ。」

 静香は、タイムリミットを課した男の顔を思い浮かべて顔をしかめる。十何年過ごしてきた子供を信頼してくれない父親なんて、ハードボイルドどころか、三下のモブでしかない。

「そう――――パパ、ねえ。」

 志保はストレートティーのボタンを押し、思案。その姿を見て、静香は警戒。

「ぷりん。」

「は。」

「プリン、一口なら、食べていいわよ。」

「…………。」

 思わぬ豆鉄砲を食らった姉妹を置きざりにした志保の背中を、静香は一拍おくれて追いかける。

「間接キスになるけど、いいわよね、姉妹なんだし。」

「……半分よ。それで手を打ってあげる。」

「質量が釣り合ってないわよ。」

「それくらい価値があったって事。あの一口を、どれだけ待ち望んでいたことか!」

「じゃあプリンだけ頼めばいいんじゃないの?」

「ティラミスの甘苦さを経るからプリンの美味しさが引き立つのよ!」

「ふーん。」

 くだらない押し問答をしながら席に戻ると、注文したプリンが既にテーブルにのっていて、二人はまだ意見を揉み合っていた。大風呂敷を広げて収拾がつかなくなりそうだが、歩とこのみがこれだけの間、ひとつの議題を談じ合えることが驚きだった。歩たちは、少しでも学がある所を静香たちに見せたことがなかったが、もしかしたら、頭は回るのかもしれない。

「まあいいか……ほら、さっさとそれ食べて、お皿空けなさい。」

「別に空けなくても、半分食べたやつをくれればいいじゃないの。」

「ああ、それもそうね。」

 志保は大きめにスプーンを入れ、削ったプリンを口に運ぶ。よほど気に入った様子だ。

 静香も、このファミレスのプリンは好きなのだ。だが、がっついては子供っぽいと、少しずつ、ちびちびと味わっていた。

「……ふー、さて、二人共、さっきの話なんだけど……。」

 静香が半分食べ終わった頃、このみと歩はようやく大風呂敷をたためたようだ。といっても、異母姉妹らはすこっと忘れて、イタリアンプリンに舌鼓を打っている最中だったが。

「あら、なによプリン半分こしちゃって? なんだかんだで仲いいのね。」

「え? ――――あっ。」

 となりの皿を見ると、志保はきっちりプリンを半分残して待っていた。そして手元には、半分より少しかけた、黄色い甘味がぷるぷる震えている。

「違います! これは志保に分けたんじゃなくて……!」

「うるさいわね。ほら、これ食べて糖分補いなさい。」プリンの皿をずずいと押す志保。

「ニョホホ、志保も照れて戻しちゃって、素直じゃないねー。」

「……ぐぐぐ。」

 ここで反論してもなんの意味もない。静香は直感で理解した。そして静香は『喉渇いちゃったから、飲み物持ってくるわ。』と、歩の分のグラスも持って、このみが離席してから数分間、歩のニヤニヤした視線に、うめき声を上げる生物と化していた。

 ちくしょう、こんなことなら半分と言わずに全部といえば、と静香は考えていたが、ここの勘定は志保ではなく、このみと歩持ちである。

「さーて、ちょっと一息入れてから話しましょ。」

 戻ってきた歩と喉の渇きを潤してから、このみは勿体ぶった調子を飛ばした。

「いい? 志保ちゃん、静香ちゃん、私たち二人で考えた結果、私たちは一つの真理にたどり着きました! それは……」

 特に興味はないが「それは?」相槌だけは打っておく静香。

「都合のいい時にお姉さんヅラする! これに限るわ!」

 胡乱げに半眼を作って、静香はこのみを見る。二人は家族なんだから序列は関係ない、とか、そんなふんわりとした外面の良い回答が出るものだと思っていたが、余りの身の蓋もなさに、静香は呆れを通り越して引いていた。

「そんなのでいいんですか?」

 流石の志保も疑わしそうにこのみを見ていた。

「考えてみなさい、志保ちゃん。まず、姉と兄の定義って何かしら?」

 志保は少し考えてから、

「まず、年が上。あと、留年しない限り学年も上で、兄弟間の力関係の上の方?」

「最後になんとなく闇を感じるけど、まあ、概ねそうよね。で、あなたたちにそれを当てはめてみましょう?」

「私たち……学年は私が上、歳は静香が微妙に上です。」

「そう。てことは、どちらも姉としての要素を持ち合わせているってことになるわね。それで、志保ちゃんが言うヒエラルキーだけど……あなたたち、どっちも自分が上だと思ってるでしょ?」

「いえ、私のほうがコイツよりましです。」と静香。

「饂飩中毒のくせに、何を世迷言を。」と志保。

「「は?」」

「まーまー、落ち着いて。」

 歩は、ハーモニーを奏で、インファイトに発展しかける二人を手で諌める。

「話をまとめると、二人共、姉になれて、妹にもなれるってことなんだよ。アタシは妹じゃん? 兄貴がいっつも先にいろんなことやってたけど、その分甘い汁も吸ってたっていうか……。」

 このみも小さな頭を大きく頷かせた。

「そーそー。こんな都合のいい関係ほかにないわよ? 世帯としては別だから、義務として互いの面倒や成長を見る必要もないし。」

 志保はふむふむと素直に耳に入れている様子だったが、静香はなんとなく納得できなかった。

「……いいんですか? 仮にも血のつながった家族なのに、そんな、立場を利用し合うなんて。」

「いーの、いーの。」

 静香の視線を受け流すように、このみは手をひらめかせた。

「家族相手でも譲れないものがあるんなら、家族同士で利用するのだってありでしょ? 自分たちの立場をうまく使って、相手を不快にさせずに上手く立ち回るのが、オトナの処世術ってもんよ。」

「いよっ、このみ姉さん、アダルティ!」

「ふふーん、そうでしょう、そうでしょう。」

 歩が囃し立てたことで、それ以上追求できなくなった静香は、未だこのみと歩が出した答えに不満を残し、モヤモヤしたまま矛を収める。

 他人の意見だから、と、いつもの静香なら割り切れたのだが、自分のことであるから他人事に切って捨てられずにモヤモヤしている、というわけではない。今は、隣の女が珍しく、素直に聴き入っていたこと、それだけが不安で堪らなかった。

 碌でもない大人二人に悪知恵を仕込まれた志保が、一体どんな行動を取るか……悪魔のように動き回る志保と、容易に想像がつく、尻拭いに追われるワタシ…………少女は、これから起きるであろうトラブルに、折れそうになった心を励まそうと、ただただ健気にイタリアンプリンを口に運ぶのだった。

「あー、久々に頭と口を使ったわ。なんでこんな話してるのかしら。」

「たしか、このみの年長者がどうのって話からじゃない?」

 そんなことはお構いなしのお気楽アダルティふたりである。

「そう、話の続きをすると、事務所がアダルティ路線で推したとしても、内面がオトナじゃないと水の泡になっちゃうわけ! こう、なんていうの? 言動の端々から溢れてくるアダルティさを……。」

「ふーん。例えば?」

「そうねえ。基本的には聞き役だけど、ウィットに富んだジョークとピリリと聞かせる感じかしら?」

「あ、ジョークには自信があります。これでも、面白い人生を歩んでいる自信はありますから。」

 大人しくジュースをすすっていた志保が口を開くと、それは物の見事に的外れ。全員が総ツッコミを入れた。

「いやいやいやいや、笑えないっての。」

 とは、最年長のこのみ。

「面白いけど、FunnyじゃなくてWeird。面白いというよりは『おかしい』だって。」

 珍しく英語を引き合いに出した歩。

「そうですか?」

 小首をかしげる姿だけは可憐な静香。

「うん。おかしいわ。いとおかし。趣があるわよ、趣いてるわよ、あなたの人生。」

「そもそも、面白い人生を歩んでいる人間が、すべからく面白い人間ってわけでも無いでしょうが。」

 陰陰滅滅とプリンをすくっていた静香でさえも、気疲れを忘れて突っ込む。

 そして、口を揃えて非難を受けた志保は、けろりと言い放った。

「…………それもそうね。」

 

 

 

    三

 

 ティーン向け雑誌が、モデルの冬私服だとか、クリスマスまでにカップルになる方法で紙面を賑やかしている頃になった。

「ひなたちゃ~ん! ひなたちゃんってぽかぽか~。」

「未来さん、あんましくっつくとあっついよぉ~。」

「ちょっと暑いくらいがいいんだよ~。外は寒くなってきたし、今日は一緒にあったまるべさ♪」

「いやんだぁ、まねしないでよぉ~。」

 もし、ここに亜利沙がいたら、『ぐふふ、みらひな……あたらしい!』とわけのわからない事をのたまっていただろう。だが、静香は、それもわからないでもない気がした。

 伸び悩む自分の技量、相変わらず、おポンチな行動を取る志保、使えないプロデューサー…………日頃、心労を重ねる中学生の彼女に、未来とひなたのじゃれあいはファンタジーRPGでの、後半で覚える単体回復魔法並みの効力を発揮していた。ちなみに、今の彼女は雑誌を頭に被って、ソファで寝たふりをしている。聖域とも言える癒しポイントを自分の存在でぶち壊すなんて、おこがましくてできないのだ。

「もぉ、そんなに騒いでっと、静香さん、起きちゃうべな。」

「あっ、ごめんごめん。」

 声を潜めて会話を再開したふたりに、胸中で土下座しながら狸寝入りを決める静香。

「静香さんも大変だねぇ。今日も志保ちゃんと一緒で、疲れたんだべなぁ。」

「うーん、プロデューサーさんも、ちゃんと別々のお仕事をとってきたらいいのに。」

「一応、とってきてるらしいべさ。でも、うちらシアター組は仕事を選り好みできないくらいには、少ないんだってゃ。」

「そうなんだー。……そういえば志保ちゃん、静香ちゃん以外の前だと、大人しいよね。」

「そういえばそうだねぇ。」

 何ですって……そういえば、静香はほかのアイドルから、志保の悪い話を聞いたことがない。気を使われているのだと思っていたが、本当に何もしていないらしい。静香は雑誌の下で顔を顰めた。

「なんでだろ、……本人に聞いてみようかな?」

「それはやめといたほうがいいんでないべか?」

「えー?」

「家庭の事に足を突っ込むのはいけないんだって、ばあちゃんが言ってたんだぁ。」

 ああ、かわいい。

 765プロのアクの強いアイドルの中で、ひなたのぴかぴかの純粋さは、擦れた中学生の心にしみる、絶好の癒しにほかならない。それがある意味純粋な未来を混じり合うことで、それはそれは尊いものに昇華されるのである。

「あーっ!」

 静香が多幸感に浸りながら、ふたりの話を聞いていると、未来が声を上げて立ち上がった。

「見てみて! 外、雪降ってるよ! 」

「ほんとだぁ!」

 続いてひなたも立ち上がり、ふたつの華奢な足音が遠ざかる。どうやら、かなり早い初雪が、窓の外にちらついているらしい。

「ひなたちゃん、雪だよ雪! あした、かまくら作ろ!」

「ううーん、この降り方だと、朝までに溶けてるかもしれないべさ。」

「ええー……。」

「でも、別の遊びはできるよぉ。」

「おおーっ? 北国直伝の冬遊びっ?」 

「そう言われると、なんか照れるねぇ。」

 足音が近づいてきたので、静香は努めて寝たふりをする。

「雪が溶けて水たまりができると、寒いから凍ってしまうしょや? だからその上に乗って、ツルツル滑ったり、薄く氷が張ってるところを、バリバリって踏んづけたりするんだよぉ」

 静香は想像した。ひなたが冬の日の朝、田舎の道で、氷の張った水たまりの上を、わしわし楽しそうに歩いていくのを。イメージとともに、日向の楽しげな声と、雪の香りが静香の脳内を撫ぜた。つづいて、ひなたを自分に置き換える。

 確かに楽しそうだなあと思う。でも、静香自身のキャラには子供っぽいような気がした。

(第一、そんなことしてると、あのボーダー好き女と一緒じゃない。)

 ひなたと志保を同列に扱う気はないが、彼女だったら喜んでやりかねない

「ふんふん。滑るのはスケートみたいで楽しそうだけど、氷を割るのって楽しいの?」

 言葉は鋭いが、言い方で鋭利さがなくなる未来独特の言い方に、ひなたは胸を張って答えた。

「たのしいよぉ? うすーく張った氷をしゃくしゃくやるのもいいんだけれど、割れそうで割れないところに乗って、割れるか割れないかーって、ドキドキするのも面白いべさ。」

「ほーほー。」

「なんて言えばいいんだべか……ただ、楽しいんだよ。なんとなーく、嬉しくなるんだよぉ。」

「――――泥で服が汚れそうね。」

 その時、志保が事務所に現れ、吐いたセリフがこれだ。彼女にしてみれば全くの悪意がないのだから、困ったものである。

「志保さん、お疲れ様だべ。」

「あ、志保ちゃん、おかえりー! 雪だよ、雪!」

 これに慣れてしまっている彼女らもある意味で重症だが、静香はとりあえず、聖域を侵犯した女に軽く殺意を覚えていた。

「ええ、私が下に着く前から降ってきたわ。今年は初雪が早いのね。」

「そうそう! あ、そう言えば、私たちの話、聞いてた?」

 雑誌を頭に乗せているので何も見えないが、静香の耳に衣擦れの音が聞こえ、志保が上着を脱いでいるのがわかった。

「聞いてたっていうか、聞こえたのよ。階段を上がってすぐまで聞こえてた。」

「ええっ、そんなに響いてたんだ? 静香ちゃん、変な夢、見てないといいけど。」

「――――こいつ、多分起きてるわよ。」

 バサっと体にコートが当たる感触がして、バツが悪そうに雑誌をのける。

「大方、ふたりの会話を邪魔したくないとか思ってたら、起きるタイミングをのがしたとかでしょ。」

「……くっ。」

 図星を突かれた静香は丸めたコートを投げ返して答えとする。

「静香さん、起きてたんなら、言って欲しかったべさー。」

「いえ、私、さっき起きたの。う、ウフフ。」

「…………へっ。」

 コイツ、窓の外に裸で叩き出したい。

「で、なに、冬の遊びの話?」

「そうそう! 氷を割ると楽しいんだって。」

 下手な要約の仕方だが、志保は大体の内容を、外で聞いていたらしい。やはりというか、志保は頷いた。

「……まあ、一度やってみたいわね。」

「ひなたならともかく、年齢を考えなさいよ、高校一年生。」

「考えてるわ。」

「へーぇ。じゃあ何、自分は子供って認めるわけね。」

 にらみ合っている(志保自身はそう思っていない)二人をみて、あわあわとする未来と、大変だぁ、とつぶやくひなた。志保がすぐに目線を切り、スマホを取り出した。

「子供でいいでしょ? ほら、このみさんも立場を上手く使えって言ってたじゃない。応用力ないわね。」

 カッとなりかける静香が口を開く前に、未来が静かの肩を掴んだ。

「そーだよ、静香ちゃん! 子供うちにしか楽しめないことは、子供のうちに楽しまないと!」

「それは……そうだけど。」

 未来も未来で、可奈と同じ雰囲気を持つ、不思議な少女だ。彼女に言われると、弱い静香である。

「私たちが子供でいられるのはもう長くもないんだから、やれるうちにやっておいたほうがいいでしょ!」

「…………。」

 閉口して黙った静香に、志保はスマホの画面を見せた。

「それより、静香、携帯見てないでしょ。プロデューサーが電話ほしいって。雪降ってきたし、次の現場までの電車遅れるんじゃない?」

「ああっ、私の帰りの電車、早くしないと止まっちゃうかも! 静香ちゃん、急ご!」

「未来ちょっと!」

 未来に手を掴まれ、静香はつんのめりながら事務所を後にした。

「いってらっしゃーい。……んじゃあ、私も帰ろうかねぇ。志保ちゃんはどうするんだの?」

「お疲れ様、お母さんに電話してみるわ。」

「そっかぁ。」

 ひなたがコート掛けから上着と防寒具を持って戻ると、志保は足を組んで本を開いていた。ひなたはあさっての方向を向いて、ひとしきり悩んでから、口を開く。

「ねえ、志保ちゃん。なんで、静香さんの前で変なことするんだべか?」

 志保は本を閉じた「変なことって。」

「ほかの人の前で、自分達はお母さんが違う姉妹だーっていうの、静香さんと一緒の時だけしょや?」

 志保は目をぱちくりした。

「なんで?」

「いやぁ、未来さんとそのお話してたんだぁ。おばあちゃんから、人の家族に首突っ込むなって言われてんだけど、静香さん、困ってたべさ。」

「……ふーん。困ってるのね、あいつ。」そして顎に手を当て「少し、悪いことをしたわ。」

 ひなたはまん丸の目を大きく開いて、志保の顔を見つめた。

「……ひなた、これぐらいで驚かれるほど、あなたの中で私は極悪人に写ってるの?」

「いんやぁ、そんなわけじゃないけど、珍しいべさ。」

「そうかし……まあ、そうね。」

 志保は再び本を開き、紙面に目を落とした。

「ねえ、ひなた。あなたに兄弟姉妹が増えるって聞いたら、どうおもう?」

「えぇ? それって、静香さんと志保ちゃんみたいな……?」

「七面倒な関係でなくてもいいわよ。単純に、増えるってだけ。」

「うーん、それなら、とっても楽しみだねぇ。」

「でしょう。つまりは、そういう事よ。」

 それきり志保は口を閉じて、ひなたがまた喋るまでに本を一ページめくった。

「つまり、志保ちゃん、姉妹ができて、浮かれてたすけ、変なことしてたのかぃ?」

「そうだけど?」

 おめめをぱちくりしているひなたを見て、志保は、765プロの面々が私のことを演技もできるサイボーグのように思っているのではないかと、真面目に悩み始めた。

「別に変だとは思ってなかったけど。だって、見せびらかしたいじゃない。……それに、私はもうあいつや、パパとお母さんの関係は納得してるわよ。あっちがうじうじしてるだけで、こっちは苦手にもしてないわ。」

「うーん。よくわかんないけど、わかったべさ。」

 志保は事務所の窓を見た。効きの悪いエアコンがフル稼働していても、雪が降る窓の外のように、足元は寒い。

「未来たち、電車に間に合ったかしら?」

「そうだねぇ、まだ電車が止まらないといいんだけんど。」

「まあ、乗り遅れても、未来と一緒の時間ができてラッキーとか、思うんじゃない?」

「確かに、静香さん、未来ちゃん大好きだもんねえ。」

「あいつ、未来と千早さんが絡むと、とたんにキモくなるのよ。

ひなたも気をつけなさい。お菓子をもらっても、すぐに全部食べちゃダメ。ひと舐めして五分後に何も起きなかったらひとつまみ食べて、一時間たっても大丈夫ならひと掬い食べて、一日たって何も起きないなら、毒が入ってない証拠よ。」

 サバイバル術を伝授する志保の言葉に、ひなたは口をもにゅもにゅ動かした。

「ややこしいよぉ。そんな警戒しても、失礼だべ。」

「だめよ、都会じゃ、疑うのが礼儀みたいなものだから。」

「はー、そういうもんだべか?」

「そういうもんだべよ。」

 いつもなら訛りを真似されて、怒るところだが、真面目くさって志保が言うので、ひなたは笑ってしまった。

「もー、志保ちゃんってば、いきなりトンチキなこと言うんだもん。意外と可笑しぃんだねぇ。」

 けらけら笑うひなたに見向きもせずに、目が若干うつろになった志保が言った。

「そうね、ひなた。あなたは結構辛辣なのね。」

 

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 ひとり事務所にいた志保は、コートを羽織って、帰り支度をしているところだった。

「お疲れ様。未来やプロデューサーから連絡があったんだけど、――――『静香が大人しすぎて怖い。』『静香ちゃんが上の空で何言っても反応が緩い』――――なに、生理でも始まった?」

 バタバタと階段を登る音が事務所の中まで聞こえていたので、静香は何事かと転がり込んできた静香を注視する。

「どうかしたの。」

 息を切らした静香を訝しむ彼女を手で制して、息を整えた。

「……さっさと喋りなさいよ。」

「ねえ、志保。」

「なに?」

「今日、うちに来ない?」

「は?」

「お父さんに会いに来ないかって聞いてるの。」

「…………。」

 志保は眉尻を下げ、哀しげな顔を静香へ向けた。

「はいはい、『ついにおかしくなったのね、この子』みたいな顔を見せない。」

「気でも違った?」

「ほんとに歯に絹きせないわね……私が会わせたいのよ。お父さんが、なんであんたのお母さんと一緒にならないで、私のお母さんを選んだのか、気になるじゃない。」

「ふーん。私たち二人で囲んで尋問すれば、言わざるを得なくなるって魂胆?」

「さっきから言い方に意味もなく棘がある気がするんだけど?」

 志保は、じっとりと睨む静香を無視して、しばし思案した。

「まあ……私も、ちょっと気になるわね。」

心の内を言えば父に会ってみたいだけなのだが、静香は手を握って志保に顔を近づけた。

「でしょ? じゃあ、一緒に行きましょう。」

 なんだこいつは。あからさまにウキウキしている姉妹を見て、志保は口をへの字に曲げた。

志保は、そういえば、今日は母が仕事が遅く、弟も友達のうちでお泊まり会の予定であったことを思い出した。

「ねえ、私のお母さん、残業で遅くなるの。ついでだから、泊まってもいい?」

「いいんじゃない?」

 ますます浮き足立つ静香をみて、志保はなんとなく合点がいった。未来に言われたことで、自分たちの関係に、自分なりの決着をつけたのだろう。肩の荷が下りた彼女の顔は、無邪気なイタズラを仕掛ける子供によく似ていた。

 それから二人は、二人並んで事務所から出た。その時の静香は、普段の彼女を知っている同級生などが見たら、思わず自分の目を疑っていたことだろう。

「で、本当にどういうつもりなの?」

 志保は、あからさまにおかしい静香を横目に見ながら、狐につままれた面持ちだ。

「疑り深いわね、さっき言ったことで全てよ。」

「嘘ね。あんたが両親共々宇宙人にキャトルミューティられて改造されて、地球侵略の尖兵を増やすために、知り合いを片っ端から家に呼んでるのなら、理解できるけど。」

「なによ、それ。」

「当たらずとも遠からずでしょ?」

「ちがうっての、このおたんこなす。……まあ、なんていうか。」

 志保の前に躍り出た静香は、頬を上気させ、偽りなく表情筋を動かして笑った。志保が静香と過ごしてきた中で、いっとう健(すこ)やかな微笑みだった。

「まだまだ私も、子供で良いと思ったのよ。」

 同性さえも目が眩む魅力的な表情に、どきりとして志保は立ち止まった。

「志保?」

「ああ、うん。」

(――――まあ、いいか。)

 笑顔を引いてもまだ明るい表情の静香に、志保はまた肩を並べる。自分が彼女の家に行けば、大目玉を食らうのは必至である。静香に何が起こったかはわかわないが、今の彼女はネジが吹っ飛んでいる。説教役がプロデューサーにしろ、静香や自分の母親にしろ、怒られるのは面倒くさいなあ、と、ぼんやり考えた。

 でも、こうやって、子供のにバカをやらかすのもいいか、とも思う。

(私は、子供だもの――――)

 志保は静香につられ、少し微笑(わら)った。

「行きましょう。電車、もう遅れ始めてるの。早いのに乗らないと、止まっちゃうかも!」

 はねた歩調の姉妹に合わせ、志保もペースを上げる。冷たい冬の空気が、体の中を洗い流したかのようなすがすがしさを、二人は感じていた。

(私たちには、時間がないもの。)

 静香は、生まれて初めて姉妹の手を握り、家路を急いだ。

(大人になるまで、時間は少ないんだもの。)

 それは、まるで水たまりに張った薄氷を、わざと踏んづけて歩いていく、冬の子供のような足取りだった。

 

 

 

 さて、この話の題名は、薄氷である。まだまだ語りたいことはあるが、静香と志保の薄氷にまつわる話は、もうない。これ以上は蛇足であるから、これで、この話を終わりとする。

 




初出:2015年/歌姫楽園9・ミリオンリー6『方円の器2』
2017年1月・改訂

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