亡き友との思い出を胸に携えて。
生温かくて少し気持ちの悪い風が、ぬるりと頬をなぞった。
ふわりと舞い上がりそうになる髪を左手で咄嗟に押さえて、あかね色に染まる大空をにらむ。
「皐月ちゃん」
ポツリと無意識にこぼした親友の名前に、ぎゅっと胸元の白いネクタイを握りしめる。
あたし、うまくやれるかな
カタカタと右手に装着した主砲の先が、震える。
皐月ちゃんがいなくなってから、これで2ヶ月。その間に戦況は変わった。――いや、皐月ちゃんが沈んだ時にはもう変わっていたんだろう。
握りしめられたネクタイが微細に震えて、その白いネクタイにつけられた金色のブローチがちかちかと夕日を返してくれる。
皐月ちゃんと出会ったのは、兵学校の寮のこと。あたしは出会ってそうそう、同室の皐月ちゃんにむかって盛大な体当たりを敢行してしまった。
持ち前の災厄レベルに等しい運動神経がフルに仕事をした結果だけど、皐月ちゃんはぎゅっとあたしをだきしめて支えてくれたんだ。そのことが、皐月ちゃんと親友になる切欠だった。
でも、やっぱり怖い。皐月ちゃんがいないと、少し不安になる。
あたしは皐月ちゃんといつも行動を共にしていた。訓練も、哨戒も、そして実戦も。
こんなに不安そうにしていたら、皐月ちゃんに笑われちゃう。パンと自分のほっぺたを叩いてそう一喝したあたしは、じぃっと遠くの空をねめつけた。
「――皐月ちゃんなら、たった一人で15機だって20機だって、落とせそう」
ただ敵の航空機を待つだけの暇な時間に軽く苦笑して、再び回想の世界に入り込む。
『時代は航空主兵だ』
開戦して少したって、司令官にそう言われた。あたしはよく言ってる意味がわからなかったけど、あたしや皐月ちゃんから魚雷を取り外して機銃や高角砲を増設し始めてから、だいたいその意味がわかってきた。
敵艦を一撃で沈める魚雷ではなくて、航空機くらいにしか通用しない機銃が必要になる。それは、戦争の転換を表していたんだろう。
何にしてもどんくさいあたしと違って、皐月ちゃんは天才的だった。
「鳳翔さんの練習機を皆落としたのは、皐月ちゃんが初めてだったっけ」
あの頃は我が事のように皐月ちゃんの栄光を喜んだものだ。昔を思い出してえへへと緩む口元を、きゅっと締める。
本土から遠く離れたトラック諸島からみる斜陽は、まるで連日の敗北続きな戦況のよう。
はあ。と、ため息を一つついて、黄昏の空を見上げた。
「あたし、皐月ちゃんの邪魔になってなかったのかな…………」
旧式の駆逐艦にしてはたぐいまれな対空能力は、すぐさま皐月ちゃんを重用することを強いた。それに加えて一人で対潜戦も出来るって言うんだから、重用されるのも無理はない。
そんな新進気鋭の皐月ちゃんは新型の駆逐艦娘に負けず劣らず、それどころかめきめきと頭角を現して、真っ先に熟練の艦娘と呼ばれるようになったんだっけ。
思い返すと、毎日毎日トンボ釣りから船団護衛まで幅広く従事させられていた皐月ちゃんがいつもあたしと一緒にいてくれたのは、ものすごい無理を強いていたんだと思う。
「……あれは、敵機?」
もうじき水平線の向こう側に半分隠れるどうかと言ったところの夕焼けに、黒い点が一つ二つ三つに四つ。次第に大きく見えてくる彼らは、十中八九敵の爆撃機だろう。
「ついに来ちゃった」
ガタガタと、掌の震えが増す。ここまで怖いと思ったのは、後輩の駆逐艦娘数人に囲まれちゃったときくらいか。
なんでも、皐月ちゃんとあたしでは不釣り合いなんだとか。うん、それは解っている。あたしが1番、皐月ちゃんと釣り合いがとれないようなことはわかってる。
あたしはどんくさくて、どじで、要領も悪いからやっかみの対象になったんだろう。
そうこう考えていると、もう敵機は目の前だ。黒い機影が、悠々と空を覆い尽くさんばかりに飛んでいるのが見える。
「高角砲、信管調整良し。――攻撃開始」
ドンっと重く鈍い衝撃が腕から足に掛けて充満する。皐月ちゃんはこんな物をぽんぽんぽんぽん当ててたのか。測距なんてつけられたもんじゃなく、当てずっぽうに調整された信管は敵機の遙か真下で炸裂した。
初撃で当たらなかったとはいえ
あたしは撃墜なんて到底狙えない。だからせめて、せせこましく逃げ続けて見せよう。
でも、いつまでも避け続けることは出来ない。いずれどれか敵の弾に当たる。
皐月ちゃんが目の前で弾に当たったのも、そうだ。絶対に弾に当たることなんて無いって思ってたのに、そんな根拠のない期待を胸に寄せていたのに、皐月ちゃんはあのとき当たってしまった。
前線の基地への物資輸送。でもそれは、敵に察知されて迎撃されてしまう。
対空戦闘の中、左の主機に直撃した航空爆弾は皐月ちゃんの左足に大きな傷を負わせた。欠損とまでは行かなかったけど、早く戦闘を中止して船渠に行かなければ治らないような大怪我。
皐月ちゃんはそれでも、左足の踏ん張りがつかなくてバランスのとれない身体を主砲で支えたりしながら戦い続けた。
そうして敵機が去った後に、あたしに頼んだんだった。最期にボクを思いきり抱きしめてくれって。
「……っ」
キーンと耳鳴りがする。丁度すぐ近くで破裂してしまったから。
うでがじくじくと痛む。破裂した爆弾の破片が掠めて行ったから。
皐月ちゃんの最後のお願いには、応えることが出来なかった。
今のあたしじゃ皐月ちゃんには釣り合わない。だから――
「だから、生きてって言おうとしたのに。そう思ってたのに」
皐月ちゃんの形見として、ネクタイを回収した。あたしたち睦月型のトレンドマークとも言える白いネクタイと金色の三日月ブローチ。
右へ左へと転舵を繰り返して、敵の混乱を誘う。
そんなときすぐ左に投げ落とされた爆弾。左半身を中心に切り傷だらけになる。
その爆弾の破片は、二つ重ねて結んでいたネクタイの結び目を裂いていた。
「皐月、ちゃん」
千切れた白いネクタイが宙を舞ったその時、主砲も、機銃も、重たい物は皆投げ捨てて、ただひたすらに皐月ちゃんを追わなければいけない衝動に襲われた。
すぐそばにあるはずの爆音も、何もかもが遠くに聞こえる。ボチャンボチャンと何かの装備が脱落したように覚える。
「置いて、いかないで」
走って、走って、走って、走って
「待って……まってよ、皐月ちゃんッ!」
ひらひらと、きらきらと、彼女は走る。
いつまでもあたしの先を、それでいて時々立ち止まって待ってくれた親友。
「どこ……どこいくの。ねぇ、教えてよ!」
彼女が急にちかりと火色に輝いた。
はっとして船脚にブレーキを掛けた瞬間、落ちた爆弾が激しく激しく燃え上がって、きーんとした衝撃波があたしの耳朶を打つ。
皐月ちゃん。待ってよ皐月ちゃん。あたし、強くなったのに。もう、昔みたいなへまはしないのに。
つんと痛む鼓膜の奥から、どろりと熱い体液が漏れ出す。至近弾の破片が切り裂いた腕から、頬から、じくじくと嫌な痛みが脳を刺す。
「なんで……なんで追いつけないの! なんでっ、もうここまで、やれるのにっ!」
嘔心瀝血。四季七曜の島の間で、あたしは
血を吐くまで歌い続ける彼女たちのように、あたしはこの喉が潰れて足が棒になるまで皐月ちゃんを追い続けるしかできないのか。
同時に、皐月ちゃんの後ろ姿しか見れなかった思い出が蘇る。同時に、あたしの非力をなじられた記憶が蘇る。
しまなみの間にある白い浜辺に、皐月ちゃんは飛んでいった。時折の爆炎すらもひらりひらりと踊るように躱して、でもいたずらっ子みたいな笑顔で、ちかちかきらりと金色の三日月の上に笑う。
そんな皐月ちゃんが恨めしくって、羨ましくって、思い切り息を吸い込んで、一つ大きく叫んだ。
「あたしだって、思いっきりぎゅって抱きあいたかったよ!!」
その一瞬、月曜島の方から思い切り、強い逆風が吹いた。それに押し流されるようにして、ひらひらと空を漂っていた皐月ちゃんのネクタイは一気に急上昇。そして丁度あたしの真上の方に。
ああ、やっと手が届くのか
長かった日々に、まだ出撃すらも出来なかった時の思い出が、走馬燈みたいにぐるりと脳裏を駆け巡る。
ぎゅっと目をつむって、爆弾の破片が擦れて血まみれになった右腕を思い切り伸ばした。
ともすれば虚しく空を切るはずだった掌に、ふわり。と柔らかな布の感触があった。ほのかに温かい三日月状のブローチがあった。
――やっと掴まえた
あたしがうれしさに頬をほころばせると、彼女は悔しげに、でもとてもうれしそうに笑って。
そのとたん、あたしの身体に強い衝撃が襲いかかった。
敵の投下した爆弾が缶に直撃したのか、足がうまく動かない。かたくなに握りこんだネクタイが赤黒く染まっているのが、薄くぼやけた視界でもわかった。
皐月ちゃんが心配そうにこちらをみてくる。
そうだね、なかまになろう。ふふふっと自然に、笑みがこぼれてくる。
これが本当の走馬燈なのか。なんだかとっても、綺麗。
黒い長袖の上着でぐずりと涙をふく皐月ちゃんは、私に思い切り抱きつく。まるで親元を離れる子供のように、ぎゅっと、ぎゅっと力強く。
皐月ちゃん。またこんども、ともだちでいようね