絶対に生きてやると誓った。

 前までは、死ぬのなんて怖くないと思った。以前までは、幸せになれればそれで充分だと思っていた。
 だが、今は違う。死ぬのがとても怖い。恐ろしい。

 だから、絶対に生きてやる。あの人と結ばれるために、あの人と戦車道を歩む為に、俺は絶対に絶対に生きて帰ってやる。
 何処かで聞いたことがある、意志力があれば生還率は高くなると。

 あんなにも素敵な人と、俺は結ばれたい。
 ――よし、ちょっと頑張ってくるか。

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命の恵

 空を見ていた。

 寒々しい水色に染まったそれは、秋の訪れをじんわりと感じさせる。露骨に気温も下がっていた。

 小さく、ため息をつく。

 「あの」夏頃が、そろそろ過ぎ去ろうとしている。なのに時の流れを受け入れられるのも、やはり年を食ったせいだろう。

 やだなあと、ベンチに腰掛けながら思う。

 このなんでもないベンチは、大学のキャンパス内に設けられたものだ。ここからは「大学の戦車道エリア」がよく伺えるもので、戦車や輸送車、危なっかしい薬莢から可愛いチャンネーまで、とにかく戦車道に通ずるものなら何でも目にすることが出来るのだった。

 

 なるほど、男の子的には楽しい場所だったわけだ――

 

「ありゃ、メグミ、何してんの?」

 

 名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に、視線と顔が引き寄せられる。

 軍手をはいたルミだった、手で挨拶された。軍手は絶賛土まみれで、今日も今日とて花と戯れてきたらしい。

 

「あー……待ってた」

「え、誰を?」

「人を」

 

 力なく笑いながら、私は「あえて」「待ってた」と口にした。

 ルミが、当然のように首をかしげる。そりゃそうかと、私はルミの疑問に同意する。

 

「お邪魔だった?」

「んーん、そんなことないよ。――座る?」

 

 よいせとベンチの隅に移動し、空いた箇所めがけ人差し指を指す。

 ルミは目で「いいの?」と問うたが、私は「いいよ」と口にした。

 それならと、ルミがメグミの隣に腰掛ける。それだけで私はどこか安堵したような気持ちになって、小さく息を吐いた。

 

「で、誰を待ってたの?」

「実は男」

 

 私は、小さく笑った。ルミは「へー男」と軽く流そうとして、

 

「えっ」

「おっ。驚いてる?」

「あ、当たり前じゃないッ! え、何? この前もそうだけど、最近のメグミって凄いことになってない?」

 

 この前って何。私は、首を傾ける。

 

「あんた、『あの』西住みほを撃破したでしょ。もう忘れたの? 戦車道ニュースでもさんざん話題になったじゃない」

 

 ああ――。

 そういえば、そんなこともあった。あったっけ。

 今となっては戦車道の有名人で、西住流に打ち勝った大学生で、大洗学園艦を終わらせた女で、プロになれと急かされて、

 私は、恋心を抱く待ち人となった。

 

「ああ、そうだね。最近の私、なんだか変わってきてるね」

「そうそう。今のあんたも相当変だし」

「そなの?」

 

 ルミが、遠慮なく「うん」と頷き、

 

「あんた、なんていうのかな……詩人っぽい顔してる。いつもなら高らかに笑ったり、露骨に不機嫌顔になったりするじゃない」

「あー」

 

 心当たりがあったから、私は「あー」とか声に漏らしてしまった。

 同時に、「そっか」という気持ちも抱いた。今の私は、さぞかし大人っぽく見えているのだろう。ああ、やだやだ。

 

「まあ、色々あったからね」

「まあ、色々あったけどさ」

 

 私は、鼻息を漏らした。

 

「私さ」

「うん」

「恋、したんだ」

 

 ルミが「へー」と軽く返事をして、

 

「えッ!? 聞いてないッ」

「聞かせてないからね」

 

 ルミが不満そうに表情を曇らせる。ごめんねルミ、あの頃はこっ恥ずかしくて話せなかった。

 

「恋って、その、これからここに来るらしい男に?」

「うん」

「はー、ロマンスー」

「そういうルミだって」

 

 ルミの顔が赤く染まる。最近、ルミにも「いい人」が出来たのだ。もちろん、たっぷりと可愛がってやった。

 

「――で、次はメグミの番と」

「そういうことになる?」

「なるの」

 

 なるのか。

 それは、良いことだ。

 

「ねえ」

「ん」

「ひとつ、惚気話を聞いてくれない?」

「ラーメンおごり」

「いいよ」

 

 再び、目前の世界が上の空になる。

 たぶん、今の私は辛気臭く笑っているだろう。なるほど、詩人っぽいという評価は的確かもしれない。

 息を吸う。

 惚気話をしている最中に、彼が来たら良いのにな。

 

―――

 

 今日も今日とて戦車道を歩み、勉学なんて嫌だ嫌だと苦悩して、島田愛里寿は可愛いなあと思考したりする。

 晴れて自由の身になれば、友人とショッピングに出かけたり、居酒屋でどんちゃんして、時には「彼氏作りてー」と嘆いたりして、実に楽観的な毎日を送ってきた。

 だからこそ、内心では変化を望んでいたのだと思う。来ても良いけれど、別に訪れなくても問題が無いような――実に、私らしい考え方だ。

 

「おー、今日も派手に汚れたねえ。私のパーシングゥ」

 

 だから私は、今日もパーシングを雑巾で愛でる。練習試合をやっつけたばかりで、泥だの土だのススだのが随分とこびりついてしまった。

 だが、掃除をすることに苦を感じたことはない。赤の四角いエンブレムが塗装された、「私の」パーシングは常に元気であって欲しいからだ。

 常に綺麗に、常に万全に、常に元気良く。これが私の、愛車に対するモットーだった――綺麗といえば、部屋の中にあるゴミ袋が溜まってきたような。

 思い出して、はーやだやだと嘆く。明日はゴミ出すかなー、燃えるやつだっけ燃えないやつだっけ。

 まあいいやと総括して、パーシングの上に乗っかる。きたないねー綺麗にしてあげるからねーとにやつき、

 

 なんとなく、ベンチが視界に入った。

 何気なく、ベンチに座っていた男と目があった。

 

 ふうん、と思う。戦闘機を眺めるならまだしも、男が戦車道エリアに立ち入るなんて。

 まあ、見るだけならおかしくもなんともない。試合を見に来る客層の中には、兄ちゃんおっさんじいちゃんも含まれているわけだし。

 

 今日のところの関心は、そこまでだった。

 今はパーシングを綺麗にしつつ、ゴミ捨てへのやる気を絶やさないことが、私に課せられた使命だった。

 

―――

 

「あのー」

 

 ベンチの男と目が合って、これで四度目になる。最初は「男か」程度で、二度目は「また居る」で、三度目は「誰なんだろう」で、四度目になって遂に興味を抱いた。

 こうなってしまえば、もう誰にも止められない。根っからのサンダース気質の私ときたら、昔から「行動すれば何とかなる」で、事を済ませてきたものだ。

 

「あ――何かな? 邪魔だったら、退散するけど」

 

 素直に対応された。私は、いやいやと手を振り、

 

「見学は自由だから大丈夫だよ。それより……いつもここにいるよね、興味あるの?」

「ある」

 

 これまた素直に返された。私は「ほう」と声に出す。

 

「ここ、生き生きとしてて好きなんだよ」

「え、そうなの?」

 

 そうなの。彼は、頷くことで私の言葉に同意した。

 

「へえー……あ、でも、男向けなら戦闘機道じゃないかな?」

「あー、それもいいかな。乗れれば乗ったんだろうけど」

「けど?」

 

 そこで、彼が明るく苦笑する。

 

「俺、心臓に難病抱えてて。過度な運動は控えるようにって言われてるの」

 

 あっさりと言ったものだから、軽い調子だったから、うっかり聞き逃すところだった。

 二度の瞬きと、四秒の間を置いて、私はようやく「え」の一言を口にすることが出来た。

 

「あ、ごめん。気にしないでいいから」

「いやいやいや」

 

 どうしよう、何と言えば良いのだろうか。

 このまま流してしまうのが正解なのか、気の利いたことを言えればそれで良いのか。正直、私には分からなかった。

 だから、

 

「その……そっか。そうなんだ」

 

 事実を、受け止めることにした。

 

「まあ、とりあえず、戦闘機は後回しにしましょう」

「ありがとう」

 

 察したのだろう。彼は、あくまで笑顔のまま。

 

「で、戦車道ってそんなにイキイキしてるかなー。まあ確かに、これほどアツいスポーツも無いとは思うけど」

「してるしてる」

 

 彼は、元気良く首を縦に振った。

 

「だって、鉄の塊がガガーッと動いて、長い筒からドカーンと火が噴いて、甲高い音と共に直撃するからね」

「ほほー」

 

 思わず感心してしまう。実を言うと、彼の意見と私の好みは、非常に合致していた。

 

「で、戦車って一人で動かすものじゃないんでしょ? 綿密に通信して、効率よく操縦して、よっこらせっと装填して、感覚的にぶっ放して、それらを冷静にさせる隊長――こういうところが好きなんだよね」

 

 わかる、わかりすぎる。嬉しそうに口元を曲げながら、私は「うんうん」と言ってしまった。

 

「結構コアだねー」

「いやいや。単にこう、熱いものが好きなだけで」

「そっかー」

 

 彼はベンチに腰かけたまま、私は真正面に突っ立ったまま。

 いつも通りに練習試合を終えて、雑巾がけを行って(あとゴミも捨てた)、好奇心のままに彼と接触して、難病のことを聞かされて、戦車道を称賛されて――出会って1時間にも満たないはずなのに、随分と色々なことを話した気がする。

 お互い、表情はお気楽そのものだ。直感的に「こいつとは気が合う」とさえ思っている――だからこそ私は、「難病」という単語がいまだに忘れられない。

 だから、

 

「ねえ」

「ん?」

「ええっと、その。出会って間もないくせに、こんなことを聞くのはあれだけど……」

「いいよいいよ」

 

 知ってか知らずか、彼は快く承諾してくれた。

 これで、質問する段取りは出来た。これで、逃げ道はふさがった。

 両肩で息をする。

 

「えっと、難病だっけ? それってヤバいの?」

「あー、一応ヤバいのかな? 手術しないと三十路まで持つかどうか保障出来ないんですって」

 

 声を失う。彼はおかまいなしに、日常的な声色で、

 

「でまあ、この手術の難易度がやや高いんだって。最近は医学の発展で、成功率が上がっているらしいけど……でも、命がかかってるってなると、ビビっちゃうの」

 

 まるで他人事だった、あくまで笑っていた。

 マイナスしか口にしていないはずなのに、彼の顔からは不安がまるで感じられない。

 

「いやー、情けない話だよね。このまま、緩慢に終わりを迎えるのかな? ……まあ、幽霊にならないように、幸せに図太く生きるつもりだけどね」

 

 あくまでギャグっぽく、ふふんと胸を張る。絶対的な恐怖がいつ訪れるのか、分かったものじゃないのに。

 ――その姿を見て、私はつい、

 

「……強い」

「え?」

 

 彼が、きょとんと停止する。

 

「強いね、あなたは。私だったら、ヤケになってる。やけ酒確定」

 

 しみじみと、深々と頷く。今の私は、いったいどんな表情をしているのだろう。なんともいえない苦笑か。

 強い。この単語を耳にして、彼は少しだけ硬直する。

 

「……いやー」

 

 そして、彼の表情があっという間に明るくなる。

 

「強くなんかないよ、俺」

 

 彼がくつくつと、恥ずかしそうに笑う。私は「そうなの?」と聞き、彼は「そうなの」と答える。

 

「高校三年の頃だったかなー。その時にぶっ倒れちゃって、いきなり『心臓に病気が……』と診断された時は、そりゃもう大荒れしちゃって」

 

 遠い思い出であるかのように、彼は語り続ける。

 

「世の中呪いまくったし、一生分『ほっといてくれ!』って叫んだね。俺どーなっちゃうんだろって、いつ終わっちゃうんだろうかって、そりゃもう不安だった」

 

 想像する。

 人間、心臓が動いていなければ生きていられない、勿論遊べもしない。友人とのショッピングだって、居酒屋で酔っぱらうのだって、戦車道を歩むのだって、心臓が元気だからこそ成せることだ。

 それが、何だ。もしかしたら明日、下手すれば今日、心臓が停止するかもしれない。そうなってしまえば次は何が起こる、何処へ辿る、何を見る事になる――

 わからなかった、想像できなかった。

 恐ろしかった。

 

「……でも、両親は、こんな俺を見捨てはしなかった。生きていて欲しいって、願ってくれた」

 

 彼の笑みが、少しだけ静かになる。

 

「次第に、何やかんやで落ち着いてったよ。俺なりの道を見つけたからかな? さっき言ったあれ、幸せに図太く生きるってあれね」

 

 うん。

 

「それを実行する為に、俺は普通に大学に入った。定期的に診断を受けて『今は問題ありません』って言われながら、今日まで生きてきた」

 

 後頭部に手を当てながら、えへへと笑う。

 

「まあ、まだ手術を受ける勇気は沸いてこないけどね、こえーし。まあ、三十路までには受けるつもりだけど」

 

 彼が、膝に手を置く。夏らしい、ぬるい風が吹いた。

 

「『万が一』になっても悔いが残らないように、これでも全力で生きてるつもり。大学の食堂メニューを制覇しようとしたり、花壇の手入れを手伝ったり、研究の見学をしてみたり、ボランティアに参加してみたり」

 

 そこで、彼が「まあ」と一言付け加え、

 

「最終的には、戦車道が一番面白いって感じた。生き生きしてるから」

「なるほどー……」

 

 だから、このベンチでずっと戦車道エリアを眺めていたのか。

 納得する。同時に、嬉々とした気持ちを抱く。

 

「そういうわけだから、実際は弱っちいよ俺。こうしてヘラヘラしているのは、虚勢張ってるだけだし」

「そんなことないよ」

 

 私は即答した。首まで横に振った。

 

「何としてでも幸せになろうとしてるんでしょ? それは、強いよ」

「そうかな?」

「うん。私はそう思う」

 

 彼は、「そっかぁ」と、安堵するように呟いた。顔も、そう語っている。

 ――そんな彼を見て、私の中で本音が溢れてくる。

 戦車道を見て、希望を抱いてくれるのなら。戦車道履修者としては、こんなにも、

 

「……ねえ」

「うん?」

 

 私は、はっきりと、にこりと笑った。

 

「ありがとう。戦車道を選んでくれて」

 

 この時、彼の表情が、瞳が、口が、何もかもが硬直していた。

 私は「あ、あれ?」と戸惑う。何かまずいことでも言ったかな、間違いでも犯してしまったのかな。なけなしの想像力に火をつけようとして、

 

「あ……い、いやいやっ。俺はただの、見る専だし」

「ああ――ううん、それでいいの」

 

 うん。小さく頷く。

 

「戦車道を見て、それで何かが得られるのなら……いつでも、ここに来てもいいからね。私は歓迎するよ」

 

 夏が訪れて、まだ日が浅い。今は涼しい方だが、数日後になればどうなることやら。

 虫の音が、世界中から聞こえてくる。遠くで、パーシングが暑苦しく移動している。何処かからか、「エンジンが動かん!」と悲鳴が上がる。

 私は、ベンチに座る彼の前でヤンキーピースを決めた。彼は、少し恥ずかしげに親指を立てる。

 

 戦車道か。

 やっぱり、いいものだ。

 

―――

 

 生まれてこの方、近所からは「よく笑う子だねえ」と評されたり、ろくすっぽ勉学には励まなかったり、人並みに喧嘩しては人一倍勝利を得たり、持ち前の好奇心であれやこれやとチャレンジしたりと、私はいたって健全な学生諸君だった。

 が、

 野球でボールをぶち上げても、サッカーで球をすっ飛ばしても、テニスで持久戦を楽しんでも、バスケで空間と遊んでも、スケートでスピードを追求しても――何かこう、いまいちピンと来なかった。

 

 高校三年になった頃、本当に何気なく「私、戦車道やります」と宣言した。あの頃はロクな知識も無かったのに、愛着も抱いていなかったのに、単に「やったことがないから」で戦車道を歩もうとした。

 そうしてみた結果、これがしっくりきてしまった。飛び交う砲撃、容赦のない爆発音、安全かつ情熱的な勝敗、カッコ良ければすべて善しな面――これらが、私の好みと上手く絡み合ってくれたのだ。たぶん、アクション映画好きというのもあったのだろうけれど。

 そんなわけで、今となってはすっかり戦車道の女なのだった。自己紹介する時も、はっきりと「私は戦車道が大好きです!」と主張する自信まである。しかも調子こいて、プロまで目指していたりして。

 

「……というのが、戦車道を始めたきっかけかなあ」

 

 ということを、彼に長々と語った。今度は真正面に突っ立つのではなく、隣同士で腰かけながら。

 私が口を開けている間、彼は「ほうほう」と「なるほど」と「すごい」と頷いてくれた。表情も相変わらず明るかったものだから、ついつい夢物語まで口にしてしまった。

 

 彼と接して五回目くらいになるが、とても話しやすいのだ。どんな話題にしろ、くだらないことにしろ、彼はいつだって「マジで?」とヘラヘラ笑ってくれる。時にはシリアスなことも話題にするが、決まって「その時は仕方がない」とか「間違いなんてあるある。俺なんて間違いだらけ」と、決してトーンを暗くさせない。

 たぶん、私はよく笑う人が好きなのだと思う。

 

「目標まで持ってるし、凄いね君は。モテそう」

「いやー、いやいやいや」

 

 私は、オヤジ臭く苦笑しながら、

 

「これがなかなか、ソッチ方面ではうまくいかないんすわ」

「え、そうなの?」

 

 そうなの。私は躊躇うことなく頷く。

 

「同期もね、『なーんで敵戦車にはモテて男にはモテないんでしょうねー』とか言ってたよ。ほんとなんなんだろうね、私はともかく」

「ともかく?」

「そ、ともかく。だって料理は出来ないわ編み物に興味はないわ金銭感覚も適当だわ、そのくせ恐れ知らずの戦車道履修者だからねー」

 

 モテない理由なんて、大体は自覚している。それすらも受け入れられている。だからアズミやルミと、一緒になって愉快に愚痴りあえるのだ。

 本気を出せば、私だって――そんなことを思い、今日も楽観的な人生を送れている。悲観ぶるよりは、まあいいやとプラスに生き残った方がはるかに良い。

 

「うーん、そうかなぁ」

 

 しかし、彼は表情で反論する。

 

「前にも言ったけど、戦車道履修者ってみんな生き生きしてると思う、輝いているっていうのかな。俺は魅力的だって思うけどなあ」

「えーそなのー?」

「そなの。あ、サイテーなこと言っていい?」

 

 いいよ。私は黙って頷く。

 

「戦車道が好きな理由として、女の子が活躍するからってのもある」

「サイテー」

 

 互いに、声に出して笑う。

 否定はしない、そもそもできない。戦車道を始める裏のテーマには、「モテたいから」というのもあるのだ。

 たぶん、大昔から引き継がれている不純的な動機だと思う。高校にしろ、大学にしろ、そうした野心持ちはいくらか見かけたものだ。

 

「いやでも、みんな魅力的だと思うけどねえ。俺がこんなんじゃなきゃ、今頃告白の一つや二つ、してたと思うし」

「そなのー?」

「そうなの」

 

 ほほう。私はにやりと笑い、

 

「誰かいる? 気になるコとか。呼んできてあげようか?」

「あ、それはいい」

「いいの?」

「ここにいるし」

 

 彼は、やっぱり明るく笑ったままだ。私も、「へー」と言うだけ。

 夏が訪れて半ば、虫の音色が朝から響き渡る。大学の何処かからか、「エンジンがやっぱり動かん!」と叫び声が聞こえてきた。練習試合を終えたばかりのパーシング達が、汚れまくり傷つきまくりの状態で横一列に並んでいる。

 そんなパーシングを完治させようと、炎天下の中で整備班が悪戦苦闘を強いられている。戦車道履修者は、ホース片手に「はよ綺麗になれー」とパーシングを可愛がっていた。

 私はもちろん、無傷で勝利してきた。車体も、ささっと新品同様にした――彼と、話がしたかったから。

 「ここにいるし」と言ってくれた、彼と話がしたかったから。

 

「……そーお」

 

 私は、あくまでおどけるように、

 

「モテるでしょ、あなた」

「え、なんで」

「言うこと上手いもん。ナンパとか得意そう」

「ンなこたないよ、俺だって人並みに奥手だよ」

 

 私は、「またまた」と口元を曲げる。

 

「奥手なら、そんなこと言えないと思うけど」

「奥手だから、こんなこと言えちゃうの」

 

 間。

 

「……なんてね。ごめんごめん、忘れて」

「え、なんでー」

 

 彼は、己が心臓に手を当てる。

 

「難病持ちだからさ。恋とかしたり、されたりしたら、迷惑でしょ?」

 

 彼は、己が心臓に手を当てている。

 ――思う。

 どうして、自分に対してそんなことが言えるのだろう。どうしてはっきりと、自分には愛する資格がない、誰かを愛してはいけないなんて、口に出来てしまうのだろう。

 そんなの、空しすぎる。

 

「……いや、いや」

 

 否定を、前置きした。

 

「そんなことないと思うよ。どんな人から恋されても、その人はとても嬉しいんじゃないかなあ」

「そうかね」

「そう。誰か一人にでも愛されているのなら、それは生きる意味にも繋がるし」

「じゃあ、いよいよもって俺から愛されるってのはマズイんじゃないかなあ」

「マズくない」

「そうかな」

「マズくないって」

 

 これでも戦車道履修者だ。多少の理不尽には従うし、ちょっとやそっとの泣き言も車長として聞いてやる。強くなれるのであれば、年下からの指摘だって大歓迎だ。

 だが――こればっかりは否応なく否定したかった。意地を張って、認めたくなんかなかった。

 たぶん、命が絡んでいるからだと思う。きっと、彼に愛着を抱いているからだと思う。

 

「恋なんて怪物みたいなものなんだから、少しくらい自分勝手で良いのよ」

「そう、かなあ」

 

 断言するように頷く。

 

「脇目も振らずに愛されて――その人が、嬉しくないわけないからね」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ、時間を用いた。

 彼は、納得したように「そっかぁ」と一言。

 

「ま、まあ、その人が恋人持ちだったりとか? そういうのは例外だとして、」

「ありがとう」

 

 弁解の最中に、お礼が挟み込まれた。

 私の口は半開きのまま、私の目は彼の笑顔を映したまま。

 

「やっぱり、戦車道履修者って、素敵だね」

 

 私は今、どんな顔をしているのだろう。

 無表情に近いそれか、或いは顔を真っ赤にでもしているのか。

 

「あ、あー……言い直すよ」

「え」

 

 彼は、小さく息を吐いた。場は完全にシリアスなはずなのに、彼ときたらやっぱり緊張感の無い笑みを浮かばせたままだ。

 

「君はやっぱり、素敵な女性だね」

 

 こんなことを言ったくせに、彼はやっぱり緊張感の無い笑みを浮かばせたままだった。

 私の顔なんて、今頃は真っ赤っかだろう。

 

「そ、そう? そっかー、私ってそんな素敵だったか……捨てたもんじゃないね」

「そうそう。君は美人だし、付き合いやすいし、魅力だってある。絶対モテるから」

「信じてもいいのだね?」

「もちろん」

 

 そこで、彼が腕時計をちらりと眺める。「もうこんな時間か」と小さく呟き、

 

「じゃ、そろそろ行きますわ」

 

 緩慢な動きで、ベンチから立ち上がる。

 

「ねえ」

「え、何」

 

 本能的に、声が出た。

 彼の動きが止まる。彼と目が合う。

 

「――また、いつでもここに来ていいんだからね?」

 

 笑いながら言えたと思う。

 

「ああ。また、来るよ」

 

 それだけだった、それだけで十分だった。

 彼は、のろのろとした動きで、この場から立ち去っていく。空を見上げるクセがあるらしくて、帰りはいつもこうだった。

 彼の後ろ姿を見届けて――私の気持ちが、もどかしくなる。

 好きなんだろうか、単に好ましく思っているだけなのだろうか。これがいわゆる、友達以上恋人未満というヤツなのかもしれない。

 そのくせ、「彼、あの子と付き合ってるらしいよ」なんて噂を耳にした日には、

 

 「へえ」と、実に気にくわないツラで返答するのだろう。

 

―――

 

「うまい」

「でしょう」

 

 えへんと、私は胸を張ってやる。今日は昼休みに彼と合流し、ベンチに腰かけて「はいこれ」と手作り弁当を差し出したのだ。

 その時の彼ときたら、「マジで?」と目を輝かせていた。私は、「マジでー」と照れ隠しに笑ってやった――早速とばかりに試食が開始されたのだが、結果は「うまい」だった。心の中で、豪快なガッツポーズをキメる。

 

「ど、どしたの急に。何かいいことでもあった?」

「あった」

 

 にへらと、歯を見せて笑ってやる。

 

「あなた、私に対してトンでもないこと言ったよね」

「え、なんだっけ? 何かヤバいことでも言ったっけ?」

 

 本気で思い出せないのか、箸を片手に目が遠くなる。私は「えー」と、不満たらたらな声を漏らした。

 

「悪い悪い、思い出すから。えっと……んー」

「答え。私の事を、素敵な人って言った」

 

 彼の表情が、「言ったっけ?」と問う。それも数秒程度のことで、すぐに「ああ!」と大きな声が出た。

 

「あー、言った言った……え、それで、なんで弁当?」

「お礼」

 

 私の分の弁当箱を、太ももの上に置く。両手を合わせ、小さな声で「いただきます」。

 

「うわー、マジで……いやいや、あれは単なる思い付きで」

「え、思い付きなの?」

「……いや、そういうわけじゃないけど」

 

 その言葉を聞いて、私は心の底から安心する。

 箸でミニトマトをつまみ、口の中に放り込む。

 

「それに、前々から料理の一つや二つ、覚えておきたかったし」

「うーん……」

 

 ミニトマトを歯で噛み砕き、どろっとした液体が舌に沁み込んでいく。刺激的な酸っぱさが、肌に伝わってきた。

 

「悩まない悩まない、素直に食べなされ」

「んー……よし、分かった。ありがとう」

 

 ようやく、いつもの笑みが戻った。

 流石は男の子といったところか、箸の動きが実に速い。三個あったはずのミニトマトは、早くも一個にまで孤立してしまったし、シリコンカップに入っていたはずのグラタンは、既に彼の胃の中だ。

 あ、と思う。「男性」と食事をするのなんて、初めてな気がする。

 

「……どう? おいしい?」

「うまいうまい。将来、いいヨメさんになるよ」

「やったー、ありがとー」

 

 私ときたらすっかり上機嫌になって、から揚げをぼりぼりと食う。彼はふりかけつきの白米に手を出し、うまいうまいと味わってくれていた。

 

「ああ、生きてて良かったぁ」

「おおげさねー」

「大袈裟じゃない人生なんて、つまらないじゃないか」

 

 確かに。アクション映画好きの私は、しみじみと頷いた。

 

「――なんというのかな」

 

 箸が動いたまま、

 

「俺、生きていてすっげえ楽しい。前からそうだけど、今が最高だよ」

「そうなの?」

 

 へらへらと笑ったまま、

 

「だって、さ」

 

 声に感情を籠めながら、

 

「素敵な人と、出会えたから」

 

 私と、目を合わせていた。

 今は昼休みだ。戦車道エリアだからといって、人気はそんなには見受けられない。パーシングだって、数両程度がぽつぽつと点在するのみだ。

 寂しかった。

 あと一時間もすれば、戦車や輸送車、戦車道履修者が所狭しと走り回るはずなのに、とても静かだった。練習試合なんて、まるで遠い未来のように思える。

 

「……誰のことかな?」

 

 けれど、

 

「うーん……言わなきゃダメかなあ?」

「えー? そこまで言ったのに言わないの?」

「それもそうだ」

 

 このベンチは、とても心地良かった。

 結局、素敵な人とやらの名前は教えてはくれなかったが――彼はただただ、私だけを見つめていた。かれこれ二十年ほどは生きてきたが、

 これほど、異性から意識されたのは初めてのことだった。

 これほど、異性に夢中になったのは初めてのことだった。

 

 

 手を合わせ、「ごちそうさまでした」と、食事に告げる。次は、待ちに待った戦車道だ。

 私はうんと背筋を伸ばし、「やってくるかぁ」と一言。彼は、「練習試合、応援するよ」と一声。

 

「授業は?」

「んー、それなんだけどねぇ。でもねぇ……」

 

 あ、こいつ自らを犠牲にしようとしてる。私は口元をへの字に曲げ、両腕を組む。

 

「駄目だよ、ちゃんと単位はとらなきゃ」

「う、ごもっともっす」

「そうそう。それに、」

 

 人差し指を、ぴんと立てる。ウインクまでしてやる。

 

「あなたの熱さは、ちゃんと私に届いてるから」

「――え」

 

 彼の正気が戻る前に、私は「じゃねー」とこの場から立ち去ることにする。はやくパンツァージャケットに着替えて、パーシングに乗らなければ。

 決して、恥ずかしくなったから逃げたわけじゃない。

 

「……俺さ!」

 

 私の足が止まる。

 

「俺、すっげえ幸せだよ! 全部、君のお陰!」

「……それは良かったですねー!」

 

 捨て台詞とともに、私は全速力で駆け抜けた。授業に出遅れたくなかったから、違う。めちゃくちゃ恥ずかしかったから、違う。ランナーに目覚めたから、違う。

 

 嬉しかったから。

 

―――

 

 カッコ良ければ全て善しの戦車道でも、ままならない事態はあるものらしい。

 

 すっかり蒸し暑くなった頃、急に戦車道履修者が呼び出され、何だ何だと履修者同士で顔を合わせる。私も、ルミやアズミと共に好き勝手な憶測を立てていたのだが、島田愛里寿がすぐにでも真実を打ち明けてくれた。

 今週末、大学選抜と大洗が試合を行うこと。この試合に勝てば、大洗学園艦が廃艦になること。試合形式は、三十両対八両の殲滅戦――

 私は大学生で、戦車道履修者なので、露骨な悪態はつかない。心の中では、「クソじゃん」と申したが。

 

 愛里寿は「お願いします」と頭を下げた。私達は、「隊長についていきます」と一礼した。

 ――みんな、二つのことを考えているだろう。「大洗は戦車道に救われたんだよね?」と「大人ってのはこれだから」を。

 

 試合をやれと言われれば、私はやる。愛里寿が命令すれば、私はそれに従う。わざと負けるなんてのは、フェアじゃないから絶対にしたくない。

 試合に負けてしまっても、何かを得られれば、何かを学べれば、立派に戦車道を歩んでいることになる。もちろん勝てれば嬉しいが、「ただ」勝つだけでは戦車道の理念に反するし、そもそもこれっぽっちも嬉しくもなんともない。

 争いなんか、したくはないのだ。

 ――もう一度、心の中で言ってやる。

 こんなの、クソだ。

 

「――ひどい話だ」

「でしょ?」

 

 という話を、ベンチに座る彼に語った。もっと正確に言えば、聞いて欲しかった。

 

「大洗は確かに……なんでだろうね、ホントなんなんだろうね」

「なんでだろうね」

 

 苦笑する。魂の籠っていない表情。

 

「辛そうだ。すごく」

「あ、わかる?」

 

 彼は、黙って頷く。

 あと数日も経過すれば、私たちはここを発つ。勝利を貪る為の「争い」を、しでかしてくる予定だ。

 準備に追われているのか、戦車道エリアは随分と忙しない。模擬戦を終えたばかりのパーシングは、整備班の手によって着々と整備されている。その他のパーシングは、履修者の手によって作業的に清掃されていった。輸送車が横切り、履修者が走り回って、私は休憩している。

 ――みんな、表情が無い。

 

「いやー、ごめんね。巻き込んじゃって」

「とんでもない」

 

 即答された。

 

「君の手助けが出来るなら、俺は喜んで動くよ」

「……そっか」

 

 今度こそ、にこりと笑えたと思う。

 

「――まあ、私は戦う、戦うよ、ちゃんと」

「うん。それが良い、良いと思う」

 

 けどさ。彼がそう言い、

 

「迷ってるよね」

「あ、わかる?」

「わかるさ。もう何日の付き合いだと思ってるの」

「そっかー」

 

 もう、一か月は過ぎ去ったと思う。たったこれだけで、色々なことがあった気がする。

 彼と出会ったのは、確か夏の始まり頃か――ベンチに座る彼と目が合って、次第に興味を持って声をかけた。そんな彼は難病持ちで、けれども幸せになろうと今日まで生き残ってきた。

 そんな彼のお気に入りは、戦車道だった。その縁もあって、私と彼でいくつもの話を交わしてきた――戦車道について、彼について、練習試合の結果について、戦車道を始めたきっかけについて、モテるモテないについて、手作り弁当の味について、恋について――

 なるほど。

 表情を見られただけで、見透かされるのも当然か。

 

「……どう? 正直なところ」

「んー」

 

 見上げる。

 今の心境に相応しい曇り空が、私の視界いっぱいに映る。丁度良い、晴天だったら実に忌々しかったところだ。

 

「戦う、かな」

 

 すぐに、顔を下ろす。

 

「私は戦車道履修者だから。だからこそ、妥協せずに試合をする」

 

 私の服を、パンツァージャケットの胸元を、握りしめる。

 

「する、するけどね……」

 

 勝てば、大洗学園艦は消えてなくなる。戦車道で救われたはずの大洗学園艦が、私達の手で潰える。

 今も、これからも思うだろう。「何でだ」と。

 

「なんでかな、ホント」

 

 パンツァージャケットを握っていた手に、熱が籠もる。

 最初、それが「手を握りしめられたから」ということに気づけなかった。誰の手によるものなのか、それも把握出来なかった。

 彼を見る。

 彼の真剣な目。私しか見えていない目。

 

「こんな俺でよければ」

 

 私は、まばたきした。

 

「俺が、君の決意を守る。戦車道の為に試合をする君の意志を、俺が保障する」

 

 私は、何も言えなかった。

 大学の何処かからか、「エンジンがやっぱり動かねえ!」という叫び声が響いた。

 

「好きだから」

 

 体が震えた。

 

「真剣に試合をする、凛々しい君が好きだから。とても素敵だから」

 

 彼は、やっぱり笑った。

 こんな時だからこそ、笑ってくれた。

 

「他からどう思われようとも、俺が君のことを応援する」

 

 胸元が熱い。

 手を握られているから。彼の、確かな命の鼓動が伝わってきたから。

 

「あー、あとさ」

「うん?」

「俺、手術、受けることにした」

 

 そうなんだ。

 小さく呟いた後、「は?」と声が漏れた。随分あっさりとした表明だったから、聞き流してしまうところだった。

 

「え、あ、ちょっと、え? なんで!?」

「あ、あー……その。凄くその、アレな理由なんだけど、言っていいかな?」

「言わなきゃダメ」

 

 力強く言ってやる。

 彼はいつも笑っていて、沢山の事柄を肯定していって、図太く幸せに生きようとした。楽観的に見えるそれは、彼が見い出した死への抗いだった。

 そんな恐ろしい戦いを、惨たらしい現実を終わらせるには、どうしても手術が必要だった。その手術の難易度は――「やや」高い。

 やや。何かありそうで、希望が含まれているような表現だ。普通ならダメ元で取り掛かるべきだろうが、命がかかっているとなるとまるで話は違う。慎重にならざるを得ない。

 彼は、仕方が無い後回しを繰り返してきたはずだ。

 なのにどうして、今になって、一世一代の決断を下したのか。

 

「今まではね、沢山たくさん幸せになって、『まあ、失敗しても悔いはないかな』って気分で手術を受けようとしてた」

「うん」

「でもね、完治してからじゃないとね、出来ないことが出来ちゃった」

「それは?」

「それは、」

 

 いつもの会話をこなすように、難病とは無縁そうな笑い顔を浮かばせて、

 

「君と、結ばれたい」

 

 ―――。

 

「君に告白して、結婚して、三十以上生きたい」

 

 穏やかな叫びだった。ありったけの本心だった。

 

「君のお陰で、俺は、生きて生きて生きまくりたいって気持ちが芽生えた。死ぬなんて、絶対に嫌だって思えるようになった」

 

 シンプルに笑いかけた。

 彼は、緩慢な死を拒んだ。一筋の光を掴み取ろうと、必死になって戦おうとしている。

 私をきっかけに、彼は賭けに出た。

 

「君に迷惑がかからないように、君と向き合えるように、俺は手術を受ける。あ、告白に対して『メンゴ』って言っても良いからね?」

 

 舌だけが動く、声が出てこない。

 もう一度、口を動かす。

 

「わたし、」

 

 心臓が動く、胸が締め付けられるように痛い。

 

「わたし、何もしていない」

「いいや」

 

 彼は、穏やかに首を横に振った。

 

「君は、ここに来ていいって言ってくれた。それだけで、十分だよ」

 

 私の体が熱くなる、血が流れていく。呼吸を意識し始めて、唾を飲み込む。

 

「君が好きだ、愛してる。君以上に素敵な人なんかいない――結ばれたいから、確かな生を勝ち取りたいんだ」

 

 私の瞳が濡れていく、涙は流れない。心臓の音が、体の中から伝わってくる。

 

「俺は普通の男だけど……君の戦車道だけは、絶対に守る。戦車道に対する君の意志を、俺が支え続ける」

 

 生きている、私は――生きている。

 

「今度の試合、頑張って。自分のやりたいことを、成してね」

 

 私は、わたしは、物言わずに頷いた。

 

「あ、そうだ……これは今更なんだけどさ」

 

 うなずく。

 

「君の名前、聞いてなかったね、馬鹿だなー俺。……良かったら、教えて貰えるかな?」

 

 そうか。そういえば、教えていなかったっけ。

 くすりと、笑いがこぼれる。久々に、こんな顔をした気がする。

 

「メグミ」

 

 なんでもない、普通の名前だ。

 その、なんでもない名前を聞いて、彼は「ああ」と、いつもの表情を浮かばせる。

 

「メグミ、か」

 

 手が、ぎゅうっと握られる。

 とても熱かった。彼は、間違いなく命ある男だった。

 

「とても、素敵な名前だね。聞けて、本当に良かった」

 

―――

 

 空を見ていた。

 寒々しい水色に染まったそれは、秋の訪れをじんわりと感じさせる。露骨に気温も下がっていた。

 小さく、ため息をつく。

 

「――これで、惚気話はおしまい」

 

 しばらく、ルミは何も言いもしなかった。当然の反応だと思っていたから、私はただただじいっと空を眺めている。

 雲が、一つも浮いていない。嘘みたいに塗りつぶされた秋の空は、すうっと私の心を落ち着かせる。今日も、世界は優しい。

 

「……なるほど」

 

 ルミらしくない、軽すぎない返事だった。

 全てを、納得してくれていた。

 

「あんた、道理で強かったわけだね」

「そうね」

「動き、鋭かったもん。一目見て、『あ、今日のメグミなんだかすごいぞ』って思ってた」

「そっか」

 

 私は楽観的で、感情的な人間だ。だから、素敵な人から「君を守る」なんて言われた日には――だから、三十両にまで増加した大洗連合に勝てた。西住流に勝利した。スカウトがわんさか沸いてきた。

 大洗学園艦が、予定通りに廃艦となった。

 世の中、上手くいかないものだ。

 

「……でさ」

「うん」

「彼がどうなったのか、知ってるの?」

「知ってる」

 

 だから、私はここにいる。ベンチに、じいっと座っている。

 このなんでもないベンチは、大学のキャンパス内に設けられたものだ。ここからは「大学の戦車道エリア」がよく覗えるもので、戦車や輸送車、危なっかしい薬莢から可愛いチャンネーまで、とにかく戦車道に通ずるものなら何でも目にすることが出来るのだった。

 

「彼の両親とも会ったよ、葬儀場でね。彼が書いた手紙に全てが書かれてあって、一生分お礼を言われた。私もガン泣きした」

 

 その手紙は、今も大切にしまってある。私と彼の両親以外は触れられない、思い出だ。

 一生分、私はあそこで泣いた。一生分、私はあそこで命について問うた。一生分、私はあそこで「なんで」と思った。

 しかし、私はもう大人になってしまった。

 もう、現実を受け入れつつある。

 

「……ルミ」

「うん」

 

 空から地上へ、視線を映す。

 隣にはルミがいて、真正面にはパーシングがあって、輸送車が佇んでいて、履修者がパーシングを掃除していて、大学の何処かからか「エンジンの調子がいいな」と響いてきて、虫の音なんてもう聞こえない。

 

「変かな。ここで、彼を待ってるの」

 

 ルミは、首を横に振った。

 嬉しかった。

 

「大丈夫。来年になったら、私は、ここには座らないと思うから」

 

 ベンチに背を預ける。

 ――ふと、胸に手を当てる。生きている。

 

「ルミ」

「うん?」

 

 宣言しよう。誰かに聞こえるように、言おう。

 

「私ね、すっごく幸せだよ」

「……そっか」

 

 言おう、

 

「でもね」

 

 言おう。

 

「これ以上の恋なんて、見つかるかな」

 

 ルミは、何も答えてはくれなかった。

 それが、ひどく嬉しかった。

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

大学生だからこそ、この話が書けたと思います。
ストレートな彼女だからこそ、この話が描けたと思います。

恋愛のアイデアをくださった、こんにゃく好きの人様、菊池 徳野様には、心から感謝申し上げます。
これからも、良い物語が書けるように努力致します。

ご指摘、ご感想、いつでもお待ちしています。
一言だけでも良いですので、お気軽に送信してください。


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