夢を売る人と、夢に溺れる人。
「どれだけいい夢を見たって夢は夢。現実じゃないじゃない」
 それを言う人をよそに、現実から目を逸らそうとその人は夢売りに依存していく。せめてもの幸福を求めて。
 ――夢は夢でも、夢の中では幸せでいられるんだ。
 ――いいだろう? 夢の中でくらい幸せでいても。


オリジナル小説です。短編小説にはしていますが、続けるかもしれません。

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夢売りと僕

 夢を売る人と、夢に溺れる人。

「どれだけいい夢を見たって夢は夢。現実じゃないじゃない」

 それを言う人をよそに、現実から目を逸らそうとその人は夢売りに依存していく。せめてもの幸福を求めて。

 ――夢は夢でも、夢の中では幸せでいられるんだ。

 ――いいだろう? 夢の中でくらい幸せでいても。

 

   ◇◆◇◆◇

 

 彼は突然現れた。学校からの帰り道、暗い夜。冬の日だった。その日は演劇サークルの用事が長引いて、学校を出たのが午後九時半だった。用事というのもサークル室の掃除で、今までの公演で使った衣装や大道具、小道具類を整理することだった。普段滅多に身体を動かさないため、放課後からぶっ続けの作業はこたえた。疲れて、歩くのさえ億劫に感じながら、それでも学校で一泊するのはいただけないと家へ帰っているところだった。途中コンビニに寄り、適当に弁当を選んで店から出て少し歩いたとき、彼と出会った。

「あの、すみません」

 その一言を無視し、聞こえなかったことにすることもできた。

「駅までの道を知りたいのですが、ここをまっすぐ行けばいいのでしょうか?」

「ああ、はい。ここをまっすぐで大丈夫です」

 それなのに、どうして僕は彼の声に反応してしまったのだろう。これが、全ての発端だとは知りもしないで。

「へえ、学生さんですか? そこの大学の?」

「ええ、まあ」

「サークルとか入ってるんですか?」

「演劇サークルに」

「演劇? 本当に? 私もでしたよ。といっても、舞台装置とか背景とかがやりたくて演じたことは一度もありませんでしたが」

「そうですか」

 あまり必要以上に自分のことを喋りたくなかった。しかし、彼の話術を含めた雰囲気はあまりにも巧みで、まるで誘導尋問をされているかのようにスラスラと喋ってしまう。彼のことを恐ろしいと思い、駅までにある自分の家を、偽って駅の向こうだと言った。

 そして駅に無事辿り着くと、彼は僕を食事に誘った。一瞬、行ってもいいかもしれないと思ったが、僕はその誘いを断った。やはり、怖いという感情が襲ってきた。

「振られてしまって残念です」

 そう言いながら彼は優しい微笑みを浮かべていた。その微笑みは慈愛に満ちたかのような優しい微笑みだった。まるで初めて子を抱いた母親のような、家に連れ帰った傷ついた子猫が与えたミルクを飲んでいるのを見ているかのような、あたたかく、柔らかく、そして優しい微笑みだった。人を安心させるような微笑み。駅からの帰り道、その微笑みがやけに脳裏にこびりついてしまって、嫌に何度も思い出してしまった。

 家に帰ると、コンビニで温めてもらったはずの弁当は辺に生温かくなっていて、帰ってきて早々に電子レンジに弁当を放り込んだ。

 

 そこで目が覚めた。それで、今までのことが夢であったことに気がついた。僕は頭を抱え、ため息をついた。金を払って夢を見たにもかかわらず、見た夢がこのような夢であったことにげんなりしたのだ。今の唯一の喜び、楽しみであるというのに、その唯一の楽しみが楽しみにならなかったとは。ため息をついてしまうのは、当然のことだった。

(彼に会ったら、一言文句を……)

 妙に目覚めだけいいのも腹が立つ理由の一つだった。

 いい夢を見た日は目覚めもいい。まるで、今見たものがいい夢であったと言われているようだった。

「はあ……」

 ため息をつきながら朝食の準備をする。目覚めがいい日はいい一日を過ごしたい。普段は食べることのない朝食を食べるというところから始めたいのだ。

 朝食を準備するといっても、そんなに難しいことはしない。せいぜい、食パンをトーストしてマーガリンをぬって食べるくらいだ。それでも、朝食をつくって食べるということは、普段に比べれば随分と幸せなことだ。

 たとえそれが僕の思いこみだったとしてもかまわない。確かに、僕は朝食を食べることによって僅かながらの幸福感を得られているのだから。僕が何によって幸福感を得ているかなんて、僕以外に誰も分からない。誰が何と言おうと、これは僕の幸福だ。

「次は天気予報です。お天気の新山さん」

「はーい。東京の○○では今日も雲ひとつない青空が広がっています。……」

 テレビではニュースがひと区切りしたようで、今日の天気予報が流れていた。東京では雲ひとつない青空が広がっているというが、それを知ったところで、東京ではないここではその情報は役に立たない。外は雨だった。

 雨は嫌いではない。傘を持ち、差さなければならないのは面倒だが、雨そのものに悪い気はしない。肌をしっとり濡らすあの雨粒も、土のにおいを際立たせる雨のにおいも、しとしとという雨音も、他の音を吸収してしまう雨の性質も全て。好きだとは言えないが、好きに近い嫌いではないと言える。

「さて、次はクイズの時間です。視聴者の皆さんはお手元にあるリモコンのボタンからご参加ください。……」

 ふと気がつくと、テレビでクイズが流れていた。このニュース番組の締めのコーナーだ。リモコンの四色ボタンを使った四択問題で、正解してポイントを集めると視聴者プレゼントに応募ができるという。この程度の問題に正解して豪華プレゼントがもらえるのなら、僕だって参加してみたい。豪華プレゼントがはずれたとしても、プリペイドカードを貰うことができる。しかし、生憎僕はテレビをインターネットに繋げていなかった。あらかじめ、参加資格がないのだ。

 僕はテレビを切り、家のカギと鞄を持って家を出た。

 大学までは歩いて十分で着く。大学から近い物件を両親が選んだのだ。狭い部屋だが、大学が近いと言う条件を外すことはできなかった。

 部屋を出ると雨の降る音がしていた。夏になってから毎日蝉が鳴いていたのだが、今日は雨が降っている。さすがの蝉も、この雨の中鳴くことはできないらしい。

 一度部屋を出て鍵を閉めたところで、肝心な傘を持っていないことに気がついた。まだ部屋の前にいてよかったと思いながら、一度閉めた鍵を開けて傘を手に取った。

 本当に、夢を買った日の翌日はついている。目覚めのいい日はついている。いい夢を見た日は……。

(そうだ。次彼に会ったときには、一言文句を……)

 だからこそ、今日はいい夢を見たかった。あんな夢を見てしまったことに、僕は今一度げんなりした。

 その後の一日を、僕はそつなくこなした。今日の講義は、特に難しいものはない。きちんと座って話を聞いていれば理解もできる。それに、講義がひとつ休講になった。その分、昼休みをゆっくりと過ごすことができた。

 やはり、あのいい夢は幸福をもたらしてくれる。今日の朝の夢は微妙だったが、それでも今日は幸せな日のように思う。もしかしたら、今朝に見た夢もいい夢だったのかもしれない。……否。やっぱりもっといい夢を……。

「川端くん、どうしたんだい? そんな思いつめた顔をして」

 声が聞こえた。あの日、今朝見た夢の中で彼と出会ったあの日のように。その人は、ただそこに立っていた。そして、僕はその声を無視し、聞こえなかったことにすることもできた。しかし、僕は反応してしまった。思いがけず出合ってしまった彼だが、文句を言いたいところだったからちょうどいい。そう思った。

「そうもこうも、あなたのせいでもあるんですよ」

 初めての文句だった。緊張している。それを隠すために鞄の紐をキュッと握り締めた。

「それは心外だ。私はいいものしか扱ってないよ」

「だからですよ。今朝見た夢はただの過去の記憶でしかなかったじゃないですか。僕は夢を、いい夢を見たいんです」

「いい夢じゃないか。私と君の、記念すべき出会いの思い出だよ」

「それのどこがいい夢なんですか?」

「私と出会わなければ、君はいい夢を見ることはできなかった。いい目覚めをして迎える朝の喜びや、いい目覚めをもたらす夢の価値を知ることはなかった。それらを知ることのできた機会というのは、いいことであると、私は思うがね」

「……」

 彼の言い分に、僕は押し黙った。そう言われてみれば、そういう気がしてきてしまう。彼と話すときはいつもそうだった。彼の特徴だった。いや、逆に彼に流されやすいのは僕の性格なのかもしれない、とさえ思った。

「なんてね。まあ、私もこれを商売にしている以上、お客様のクレームには対応しなければならない。お客様のご要望にはお応えし、この商売を改善していく必要がある。善処しよう」

「それは……ありがとうございます」

「お詫びに、いい夢をひとつ、おまけしておくよ。期限は七日間だ。くれぐれも、期限切れには気をつけて使用してくれたまえ」

「え、あ、ありがとうございます」

 彼はそう言って小袋を手渡してきた。僕は礼を言いながら小袋の中身を確認した。中に入っているのは一枚の紙だ。その紙には様々な文字や模様が描かれている。それはファンタジックで、占いや魔法や魔術などの怪しそうなお札に似ている。

「それでまた、私をひいきにしてほしいんだ。君は、大事なお客様のひとりだからね」

 彼は微笑んだ。あの、人を安心させるような不思議な微笑み。

「分かってますよ」

 僕は返した。

「では、またよろしく。いつもの時、またここで」

 彼の声に会釈をした。

(そうだ。僕は、もう……)

 僕が少し歩いて振り返っても、彼はその微笑みをたたえながらあそこに立ったままだった。客が立ち去るまでは動かないのが、彼の中の決め事らしい。

 僕は再び道を歩き始めた。

(そうだ、僕はもう、戻れないんだ……)

 僕に幸福をもたらした、彼のいい夢。苦しい日常の中にたまの幸福な一日をくれた、彼のいい夢。価値のある、彼のいい夢。

(この夢は、明日見よう)

 彼は夢売り。僕にせめてもの幸せをもたらす夢を売る人。彼から貰った小袋を落とさないように手で握りながら、僕は祈る。次こそは、幸せだと思ういい夢を見られるよう。


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